いよいよ前期もおしまい。付、明日の予定

No.6789

 今日は本来5月25日に予定されていた京都勤労者学園「日本史講座」の講義があります。新型インフルエンザによる休講の補講です。
 承久の乱の際に高辻京極の邸で幕府京都守護伊賀光季が討たれた事件を取り上げます。講義はすでに、中世末まで進んでいるはずなので、かなり時代を遡ることになります。
 
 さて、本年度前期火曜日の授業は明日でおしまい。Ⅲ講時の基礎演習Ⅰはレポート提出。各報告の評価表の提出もお忘れなく。レポートの表紙はL校舎エレベーター前に置いてあるものを使って下さい。ただし、提出先は私に直接です。
 Ⅴ講時の基礎教養科目B25は筆記試験。既にお知らせしてあるとおり、持ち込みは不可。学生証を忘れないようにして下さい。

 夏休み期間中の史料講読会・研究会について、何か希望があればお寄せ下さい。『紫苑』第8号への投稿希望についても同様です。

京女の夏、『紫苑』の夏

No.6790

 夏休みに入ってしまう前に、昨年度(第7号)の『紫苑(しおん)』の投稿規定を参考までに再掲します。

《投稿規定》
枚数:
 注を含め四〇〇字詰原稿用紙に換算して七十枚以内とします。但し、分量については適宜相談に応じます。

原稿:
 ・種類は、論文・研究ノートなど。縦書き・完全原稿とします。
 ・ワープロ原稿の場合は、四〇〇字の倍数、縦書きで打ち出してください。投稿の際は、原稿を保存したメディア(フロッピー、CD-R、など)一部を添え、使用ワープロの機種名・ソフト名を明示して下さい。
 ・手書き原稿の場合は、四〇〇字詰または二〇〇字詰原稿用紙に、本文・注とも一マス一字、縦書き、楷書で、鉛筆書きは不可とします。
 ・注は本文末に一括して、(1)、(2)、…のように付けて下さい。
 ・年号を用いる場合は、なるべく西暦併用でお願いします。
 ・図表・写真(いずれも鮮明なものに限ります)の添付は刷り上がり時の大きさを勘案して字数に換算します。これらを添付する場合は、おおまかな掲載場所を指示してください。
 ・編集作業の迅速化のため、住所・氏名(ふりがな)・目次を記した別紙一枚を添えて下さい。

採否:
 編集担当者が掲載の可否を審査いたします。

著作権・公開の確認:
 本誌掲載の論文・研究ノート等の著作権は著者に帰属するものとします。ただし、宗教・文化研究所ゼミナールは、本誌に掲載された論文・研究ノート等を電子化または複製の形態などで公開する権利を有するものとします。執筆者はこれに同意して、投稿されるものとします。やむをえない事情により電子化または複製による公開について許諾できない場合は、採用が決定した段階で宗教・文化研究所ゼミナールにお申し出ください。

備考:
 ・他誌への二重投稿はご遠慮ください。
 ・掲載後一年以内の他への転載は控えていただきます。

やる気になりさえすれば。

No.6788

 このところ、ゼミメンバーの「やる気」が目立ちます。

 金曜日の『吾妻鏡』では、2回生の山本さんが富士川合戦について記録の所見を読みたいということで、予習をふまえて一人で『山槐記』を読破。
 一方、建築史の山口さんは鶴岡八幡宮にも関心を広められたようで、研究室から境内発掘調査の報告書まで借り出して行かれました。『紫苑』に何か書いていただけるでしょうか?
 さらに、岩田君も来月の大阪歴史学会中世史部会の例会報告を引き受けられた由。
 それから、これはお知らせが遅れてしまったのですが、学習院の大学院に進学した伊藤さんは、さる19日に静岡大学で開催された「日本文学協会第29回研究発表大会」の中世部会で「『和田宴』考」というテーマの研究発表をなされました。
 みなさんの<元気>にあやかりたいものであります。
 
 今週は試験あり、レポートの提出ありで、実質的に前期の最終週ということになります。
 
 ☆ 髙橋昌明先生より、 >>No.6783で紹介させて頂いた御高論「六波羅幕府という提起は不適当か-上横手雅敬氏の拙著評に応える-」(『日本史研究』563)を御恵送いただきました。
 「幕府」とは何か。近年の武士論における実証的成果を前提に、東国国家論や王権論も踏まえて再検討しなければならない段階に来ているのかも知れません。
 「六波羅幕府論」については、関東や東北の研究者の御意見をうかがいたいところです。
 高橋先生にあつく御礼を申し上げます。

 ☆ 学振研究員の小原嘉記先生より、御高論「平安後期の任用国司号と在庁層」(『日本歴史』735)と共著の御高論「「東大寺大勧進文書集」の研究」(『南都佛教』91)を御恵送いただきました。
 前者については>>No.6786で紹介させて頂いたとおりです。この論文の「おわりに」の「雑色人層は京との接触を断続的に有しており、地方勢力の結集ということが彼らの主要ベクトルであったわけでもない」という指摘は、平安末期の地方「武士」の存在形態にも敷衍できる重要な指摘であると思います。
 後者からは、鎌倉前期における東国有力御家人の西国守護補任に関する新知見を得ることが出来ました。
 小原先生に、あつく御礼を申し上げます。

広島大学大学院下向井研究室の学生募集

No.6786

 広島大学の下向井龍彦先生より、大学院の学生募集についての御案内と掲示の御依頼をいただきました。以下、*****の枠内に原文のまま告知させていただきます。
**********************************************************************
 広島大学大学院教育学研究科下向井研究室(SHIMOKEN塾)で平安時代史の研究しませんか

広島大学大学院教育学研究科では博士課程前期の学生を募集を行います。
出願期間 2009年8月4日(火)~10日(月)
受験日時 2009年9月9日(水)英語
           10日(木)午前:専門科目、午後:口述試験
 [募集要項]には次のように書かれています。
 学校教育と生涯学習社会のつながり及び生涯発達を視野に収め,各発達段階における地理歴史・社会科学認識の形成過程と論理を,教育現場でのフィールド・リサーチを中心とした科学的手法を用いた研究によって解明し,これらの研究を踏まえて社会認識の教育的意義や教育方法,内容等に関する研究・教育を展開します。
 [募集要項]を読んだだけでは、とてもここで日本史の研究ができるとは思えませんが、「内容等に関する研究」のなかに、実は日本史の研究も含まれているのです。
 私の研究室(SHIMOKEN塾)で仲間達と一緒に奈良平安時代史(王朝国家論)の研究をしてみようか、という人、是非、受験してみて下さい。現在、塾生は、教育学部・文学部の院生・学生など10数名。

院生以上の塾生の研究テーマは、
「平安時代対外関係史/平安時代国家財政論」(広島大学研究員)
「平安時代の祭礼と武士」(文・D3)
「平安時代の勝負儀礼と舞楽」(教・D2)
「院政・鎌倉期の摂関家と藤氏長者儀礼」(教・M3)
「平安時代の国衙と郡司」(教・M2)
「平安後期大宰府の裁判機能」(教・M1)

受験科目
英語(全専攻共通)。25点に満たないと不合格。英和辞典持ち込み可。
専門科目
社会科教育学・日本史

詳しくは下向井に問い合わせて下さい。
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下向井龍彦
広島大学教育学部社会認識教育学講座
〒739-8524 東広島市鏡山1-1-1
Tel & Fax 0824-24-7065(直通)
E-mail shimoken@hiroshima-u.ac.jp
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 下向井先生には、咋夏、宮島で開かれた古代史サマーセミナーで大変お世話になりました。また、その場で下向井研究室の実力の程も、存分に認識させていただきました。
 当方のゼミ出身者もお世話になっております。当ゼミ、本年度は4回生がいないのが残念です。

○ 昨日、『日本歴史』第735号が届きました。その巻頭論文である小原嘉記「平安後期の任用国司号と在庁層」は、武士論を考える上でも意義深い成果だと思います。いわゆる在庁クラスの有力武士の成立事情が、在地からの視点だけからではなく捉えられています。
 ちょっと時期的にズレがあるかも知れませんが、先年、岩田君が『古代文化』第59巻第1号に発表された「武士発生史上の院宮王臣家・諸司-富豪層との関連について-」で主張されたことが思い出されました。
 武士論も幕府論も、あらたな視角から、従来の枠組みを再検討すべき段階に来たようです。

【追記】 おめでたい話を「追記」に書くというのは失礼かとは思いますが、とりあえずの内輪のお知らせということで。
 本学史学科卒業後、関西圏の国立大学の院に進学され、修了後、高校の教師をされている(ここまで言えば誰か分かりますよね)当ゼミの古参メンバーから、結婚が決まった旨のお知らせをいただきました。
 お相手は、古参メンバーならよく御存知の方、もちろん日本中世史研究者(若手の期待の星)です。
 おめでとうございます!!

受賞のお祝いと授業の訂正。

No.6785

 今春本学家政学研究科修士課程を修了された満田さん(現、京都大学大学院工学研究科DC・昨年度まで当ゼミに参加)が日本建築学会「優秀修士論文賞」、同じく家政学部生活造形学科を卒業された山口さん(現、家政学研究科MC・今年度から当ゼミに参加)が同「優秀卒業論文賞」を受賞されました。いずれも、川本先生の研究室における御研鑽の成果です。
 お二人とも、本当におめでとうございました。ますますの御活躍を期待しています。

 この際、こんなに素晴らしい学生・院生を輩出している川本研究室のイベントをあらためて御紹介したいと思います。→>>No.6778を御覧下さい。

 > 基礎教養科目B25受講者諸姉
  本日(21日)の講義の際、永平寺について「富山県」に所在していると申しあげましたが、もちろん「福井県」の誤りです。
  こんな初歩的な誤りをし、しかも授業後に気づくなど、何とも情けない限りです。

おめでとうございます

No.6787

 満田さんと山口さんには『吾妻鏡』の時間に、見落としがちな建築関係の記事についていろいろと教えていただいております。そんな火曜日の『吾妻鏡』の次回は以下の通りです。

 日時:2009年7月28日(火)14:45~(予定)
 場所:京都女子大学L校舎 3階 共同研究室
 範囲:寛元五年(宝治元年、1247年)十二月十二日・二十九日
     宝治二年(1248年)正月三日・七日・二十五日、二月五日・十八日、三月十八日、四月七日・二十九日・三十日、五月十五日・十六日・十八日・二十日・二十八日、六月五日・九日・十日・十一日・二十一日、七月三日・七日・九日・十日、八月一日・十日、九月七日・九日・十九日・二十日・二十二日・二十六日、十月六日・二十四日・二十五日・二十七日、十一月十三日・十五日・十六日・十八日・二十三日、十二月五日・十二日・二十日、閏十二月十日・十六日・十八日・二十日・二十三日・二十五日・二十六日・二十八日の各条

 寛元五年=宝治元年はじっくり読んできましたが、そろそろ宝治二年に入ろうかとしております。宝治二年が終われば【普及版三巻】もおしまいです。
 毎週火曜日の『吾妻鏡』講読会は、参加者のみなさんの自主的な積極性によって支えられております。基礎的な史料読解のニーズにも対応しておりますので、夏の前に何か新しいことを始めてみようという方は、まずは見学からでもどうぞお気軽にご参加ください。次回は参加者がちょっと少なそうなので初めての方もお気軽にお越し下さい。

征夷大将軍を首長としない幕府はありか?

No.6783

 蒸し暑い毎日が続き、体調の管理がなかなか大変です。
 今年は新型インフルエンザによる休校の影響で、京大を除く京都の大学は授業時間確保のために学期が長くなっています。
 したがって、普段なら夏休みの期間に設定されている研究会など、なかなか出席が叶いません。

 ちなみに、本日は日本史研究会中世史部会で、大会共同研究報告準備会(報告者 佐伯智広氏 、報告 「中世前期の皇位継承と王家領」)がありますし、24日には大阪歴史学会の中世史部会例会で、生駒孝臣氏「鎌倉幕府の成立と畿内武士社会の変容」という報告が予定されています。

 ところで、昨日、『日本史研究』563が届きました。これに研究展望として、髙橋昌明「六波羅幕府という提起は不適当か-上横手雅敬氏の拙著評に応える-」が掲載されています。
 御意見を聴取したいと思いますので、歴史専攻のゼミ関係者は読んでおいて下さい。

 ○ 『研究紀要』に発表する共同研究成果の論文ですが、長村君と私の共著で承久の乱における宇治川合戦をテーマにしたものを纏めることになりました。

今日の報告、明日の予定。

No.6784

 平家政権=「六波羅幕府」。
 しかし、もし研究者の合意を得ることが出来たとしても、学校教育の現場はさぞかし混乱するだろうと思います。

 「海の日」の大学。午前中からA地下が大繁盛しています。一方、付属の小中高は夏休みに入っていますから、教職員駐車場が空いていて助かります。

 地域限定だとは思いますが、最近、京都女子大学のTV・CMが放送されるようになりました。天気予報のバック映像で学内各所・サークル活動などが紹介されています。

 さて、明日(21日)ですが、Ⅲ講時の基礎演習Ⅰは、これまでの全報告をふりかえっての総括を行います。全員の報告レジュメと評価表を持参のこと。
 Ⅴ講時の基礎教養科目「女性の視点から日本中世の歴史を考える」の今回のテーマは「中世の仏教と女性-「女人ナニノトガヽアル、男子ナニノ徳カアル」-」。
 やや専門外の話に越境致します。

 【追記】 上の書き込みをした直後、愛知の野口君がお見えになりました。
     同じ教育現場にいる山本君と会って話しがしたいと言っていました。
     クラス担任一年目の夏休み。私にはちょうど30年前のことでした。
     気持ちがよく分かります。

海の日の次の『吾妻鏡』

No.6781

 前回はご案内も出さないまま当日を迎えてしまい、参観者の皆さんを混乱させてしまいました。またちょっと遅いですが、次回のご案内です。 

 日時:2009年7月21日(火)14:45~(予定)
 場所:京都女子大学L校舎 3階 共同研究室
 範囲:寛元五年(宝治元年、1247年)十月八日・十八日、十一月一日・十一日・十四日・十五日・十六日・十七日・二十三日・二十七日、十二月八日・十二日・二十九日
     宝治二年(1248年)正月三日・七日・二十五日、二月五日・十八日、三月十八日、四月七日・二十九日・三十日、五月十五日・十六日・十八日・二十日・二十八日、六月五日・九日・十日・十一日・二十一日、七月三日・七日・九日・十日、八月一日・十日、九月七日・九日・十九日・二十日・二十二日・二十六日、十月六日・二十四日・二十五日・二十七日、十一月十三日・十五日・十六日・十八日・二十三日、十二月五日・十二日・二十日、閏十二月十日・十六日・十八日・二十日・二十三日・二十五日・二十六日・二十八日の各条

 寛元五年=宝治元年は「宝治合戦」の記事など重要な記述が多いのでじっくり読んできましたが、そろそろ宝治二年に入ろうかとしております。宝治二年が終われば【普及版三巻】もおしまいです。
 毎週火曜日の『吾妻鏡』講読会は、参加者のみなさんの自主的な積極性によって支えられております。基礎的な史料読解のニーズにも対応しておりますので、夏の前に何か新しいことを始めてみようという方は、まずは見学からでもどうぞお気軽にご参加ください。

海の日当日の『小右記』

No.6782

 今日は祇園祭山鉾巡行の日。八坂神社周辺のお店は、さぞかしの忙しさだと思います。

 例によって、20日「海の日」は、多くの私立大学では通常授業が実施されるのではないかと思います。本学も同じ。
 授業があるのならば、ゼミもある。『小右記』講読会、実施致します。
 「娑婆」で御活躍、あるいは国立大学のみなさまはお休みだと思いますので、宜しければ一回だけでも、ぜひご参加下さい。
 範囲は、長和四年四月三十日条の後半(古記録本17ページ3行目)からです。
 時間は13:00より。場所は教授室(たくさんお見えの場合は共同研究室を借ります)。
 
 本日の『吾妻鏡』(治承四年)の講読対象は「富士川の合戦」でした。平家の大軍が一人残らず敗走したのと同様に、先月の公開講座の時、お土産にいただいたお菓子が、ついに一つ残らず消滅致しました。なぜか、金属製の箱まで見あたりません。
 2回生は頼朝軍か、はたまた甲斐源氏か?無敵です!

建築史に興味のある高校生の皆さんへ

No.6778

 こんな機会は滅多にないので、ご紹介致します。
 京都女子大学で企画している「ひらめき☆ときめきサイエンス」の一環として、東山の古寺をめぐり(拝観料無料)、そのあとで講義が聴けるというイベントが以下の要領で開催されます。

 「日本建築の謎を読み解く 東山の古寺 清水寺・三十三間堂・妙法院の謎を読み解く」
 
 日時:平成21年8月1日(土) 9:30~15:15
 集合場所:京都女子大学B校舎(B418実習室)
 担当:川本 重雄(かわもと しげお)家政学部・教授
 対象:高校生(男・女)
 定員:40名(申し込み多数の場合は抽選)
 申込締切:平成21年7月24日(金)
 詳細・申込は京都女子大学HPにて
 http://www.kyoto-wu.ac.jp/chiikikoryu/hirameki/index2.html

 川本先生は、言わずと知れた寝殿造研究の第一人者(第8回 紫式部学術賞受賞)。
 その先生の御案内で東山の古寺を巡り、お話が聴ける、さらには、研究室も開放して下さるという。しかも、拝観料不要・参加費無料・・・というのは、夢のごとし!!
 高校生が羨ましくなる企画です。

 高校の先生をされている鈴木御夫妻や平田さんは、教え子のみなさんに是非知らせてあげて下さい。
 これは、近畿圏以外の高校生も上洛の価値があると思います。

いよいよ本格的に耄碌。

No.6779

 上の書き込みをした直後、研究室の電話が鳴りました。長村君から。
 今日、『台記』研究会があった由。そういえば、とは思いつつも、すっかり意識の外にあったことを自覚。しかし、次の研究会は米澤君の報告で、これを楽しみにしていたのも事実。しかも、昨日、米澤君とは『吾妻鏡』講読会で会っている。
 たしかに、『台記』研究会の日程を手帳に書き込むのを忘れていましたが、しかし、個別情報を総合すれば、気がつきそうなものである。昔なら気がついたはず。いよいよ、耄碌が進んで、脳の情報統御システムが機能しなくなってきたようです。
 以前、某先生がスピーチをするはずの披露宴への出席を忘れてすっぽかしたという話しをきいて、ずいぶんヒドイ話だと思ったことがあるのですが、これはもう他人事ではありません。
 やはり、50代も後半になると、脳みそが容量不足のPCのようになってくるようです。自らのこの経験で、人の失敗を責めることの非を悟りました。
 いずれにしても、本日は本務があって京大にお邪魔することは叶わなかったのですが、元木先生、ならびに今日の報告を担当した米澤君をはじめ、元木研究室の皆様に、この場を借りて心よりお詫び申しあげる次第であります。

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 浴衣姿の若者が沢山歩いていると思ったら、そうだ、今日は祇園祭の宵々山でしたね。大学の構内でも見かけました。
 毎年書いていますが、この日は私の故郷では稲毛の浅間神社のお祭です。まだ、神社のある山の下がすぐ海であった頃、京成電車に乗ってお詣りに行ったことが懐かしく思い出されます。
 50年前の世界から、風鈴の音が聞こえてくるようです。

 ☆ 国立長野工業高専の中澤克昭先生より、先生御執筆の「シンポジウム「動物と中世社会」の成果と今後の課題」収録の小野正敏ほか編『動物と中世 獲る・使う・食らう』( 高志書院)を御恵送いただきました。
 中澤先生にあつく御礼を申し上げます。 

明日(14日)の基礎演習と総合教育科目

No.6776

 この時期の京都の蒸し暑さは並大抵のものではありません。
 そんな中でも、「授業は続く~よ、どこまでも~♪」なのであります。がんばりましょう。

 さて明日(火曜日)Ⅲ講時の基礎演習Ⅰ。
 中野さんの「現代社会の格差問題」をテーマにした報告です。個別報告はこれで全員終了ということになります。活発な議論を期待したいところです。

 Ⅴ講時の基礎教養科目B25「 女性の視点から日本中世の歴史を考える 」は、「第12回 七条町と西八条-「女の都市」-」の後半。
 今回は、平家西八条邸の主であった平時子、当時最大の荘園領主であった八条院(暲子内親王)、そして七条町で活躍した女性商人たちについて、現在の京都駅周辺の中世前期の空間構造をからめながらお話しする予定です。
 お馴染みの「七条わたりの借上」も登場。鎌倉時代、今の京都駅の辺りにフィットネスクラブがあれば繁盛したかも。一方、鴨川の河原には飢民の群れが。
 なお、Ⅲ講時・Ⅴ講時とも授業評価アンケートを行いたいと思います。

承久の乱における「宇治川合戦」

No.6775

 もちろん、純粋に学問的な目的によってなどではなく、数々の締切の過ぎた原稿執筆を処理するための作業の一環においてのことなのですが、ここ数日、承久の乱における宇治川合戦について考えております。

 宇治に住みついてから今年で11年目。野口は東国の出身であるから、この地とはもともと「縁もゆかりもない」と思われがちなのですが、どうもそうではなさそうです。
 『吾妻鏡』承久三年(1221)六月十八日条に引かれている宇治川合戦における討死・手負いの交名の中に私の先祖の一族とおぼしき人名があるのです(この交名の史料としての分析に関する研究成果は、長村君が次の『研究紀要』に発表される予定)。
 このことには、以前から気がついていましたが、あらためて見なおしてみると、この合戦では郷里周辺(上総・下総)の武士たちが多数戦死したり、負傷したりしたことが分かります。

 反対に京方の武士を討ち取って手柄を立てた者もいますが、『大日本史料』に掲げられている諸史料を精読してみて、また、あらためて、この合戦がたいへんな激戦であったことがわかりました。京方は東軍の入洛を防ぐために必死であり、しかも宇治川は大雨で増水し、流れは急。そんななかで、東軍は渡河を決行したわけですから。

 最近、承久の乱における院の軍事的な思惑や京方武力の動員に関する研究が新しい展開を見せていますが、それらを踏まえると、どうもこの乱は、従来考えていたほど、幕府勝利の必然性はなかったように思えるのです。史料をよく読んでみて、この合戦自体も、東軍の「楽勝」などでは全くなかったことがよく分かりました。

 ところで、この合戦が行われた6月13・14日は、太陽暦に換算すると8月の上旬ということになります。私のご先祖の仲間達は、猛暑の中を西上して来たわけです。そして、もう一歩で京都というところで、討死した者もあった。彼は、それから八百年ほど後に、自身またはその一族の遺伝子を継承した者が、この近くに住み、自らが落命を余儀なくされた合戦をネタにしてものを書くことになるとは露とも思わなかったことでしょう。

 ちなみに、8月上旬といえば宇治川では恒例の花火大会が10日に開かれます。例によって『源氏物語』のイメージを前面に押し出したイベントが企画されているようですが、私としては、これを勝手に「承久宇治川合戦」戦死者の慰霊の行事と捉えたいと考えております。

 ☆ 大阪市史料調査会の生駒孝臣先生より、御高論「水都発展の礎を築いた 水の武士団・渡辺党」(『大阪春秋』135)を御恵送いただきました。
 大阪の発展を渡辺党と結びつけて分かりやすく語られた内容です。
 生駒先生には、以前ゼミの公開研究会で拙著の書評をして頂いたことがございますが、また機会を見て、渡辺党のお話しなどをいただけたら有り難いと存じております。 
 生駒先生に、あつく御礼を申し上げます。

ゼミメンバーによる研究発表の御紹介 (2)

No.6774

 大阪歴史学会中世史部会の卒業論文報告会で、米澤君が研究発表をされます。
 歴史学専攻で関西圏の大学院に進学した当ゼミメンバーの必ず通らなければならない関門です。最初は山本君の「デビュー戦」。もうだいぶ昔のことになりましたが、印象深く記憶されるところです。
 さて、今年度の当該報告会の全容は以下の通り。日本中世史専攻の学部生は、こぞって出かけるべきだと思います。

 ・日時 2009年7月26日(日)13:00~
 ・会場 西宮市大学交流センター セミナー室2
     [阪急西宮北口駅より北東へ徒歩2分、ACTA西宮東館6階]
 ・報告
  1:富永裕太郎氏「在地社会における摂津渡辺党遠藤氏の社会的位置」(仮)
  2:米澤隼人氏「鎌倉時代の公事用途調達方式」
  3:西岡侑子氏「織田信長領国における分国・分郡統治の構造について」
  4:川名俊氏「中近世移行期における大名領国支配と一国一城令―前田氏を事例として―」(仮)
  5:谷口拓氏「16・17世紀における地域経済の展開―近江東部の市場を中心に―」
 
  ※ 詳しくは→http://wwwsoc.nii.ac.jp/historia/

 ちなみに、東京でも18日(土)に歴史学研究会日本中世史部会の卒業論文報告会が開催予定で、中世前期の京中警固・武士論関連の報告があるそうです。

 ※ 昨年度、当研究所の共同研究員を勤めていただいた神戸大学の樋口健太郎先生より、御高論「准大臣制の成立と貴族社会-鎌倉後期の家格再編と南北朝・室町期への展開-」(『年報中世史研究』34)を御恵送いただきました。
 樋口先生にあつく御礼を申し上げます。

 ★ おそらく公開講座の時だと思いますが、私の研究室に大型のバッグを忘れていかれた方がおられます。お心当たりの方はお知らせ下さい。
 ついでながら、本日研究室前の傘立てにお洒落な橙色の雨傘を忘れていかれた方もおられます。