明日の『小右記』・『吾妻鏡』講読会

No.6230

 『小右記』(Ⅳ講時)は長和四年四月三日条、『吾妻鏡』(Ⅴ講時)は治承四年八月二十七日条からです。
 まだ始まったばかりですから、新しい参加者も歓迎します。

 宗教教育センターの佐藤さんから、ゼミの皆さんに北海道旅行のお土産に「じゃがポックル」というお菓子を頂きました。これはたくさんのメンバーがやってくる明日の講読会に供出したいと思います。
 佐藤さん、ありがとうございました。

 ☆ 京都橘大学の細川涼一先生より、御高論「河越重頼の娘-源義経の室-」(『女性歴史文化研究所紀要』16)を御恵送いただきました。
 拙論を御活用いただいて、たいへん嬉しい内容です。小野さんの御研究にも役立つことでしょう。
 細川先生にあつく御礼を申し上げます。

中世史サマーセミナーの参加申込に関する御案内

No.6227

再び失礼します、大阪の岩川です。
今回は今夏に鹿児島にて催されます中世史サマーセミナーに関しまして御案内をさせていただきます。
本日より鹿児島地域史研究会のHP上にてサマーセミナーの参加申込を開始しました。
サマーセミナーの行き先・報告者等も掲示しております。
定員60名ですので皆様お誘いあわせの上、是非参加していただきたい所存です。
何卒よろしくお願いします。

http://kchiiki.kachoufuugetu.net/index.html

中世史サマーセミナーへの参加を薦めます。

No.6229

 せっかくですから、具体的な内容をコピーさせて頂きます。 
 申込などは、上記アトレレスへ。

 第46回 中世史サマーセミナー

 日時:2008年8月22日(金)~24日(日)
 会場:シティホテルイン霧島(霧島市国分)http://www.chik.co.jp/
 日程
 1日目:研究報告①…南九州の遺跡に関して等、4名報告
 2日目:史跡見学…志布志(志布志城・大慈寺等)・肝付(波見・山宮神社等)
    研究報告②
 3日目:史跡・史料見学…鹿児島神宮・大隅正八幡宮等

 報告内容
 中村和美氏(鹿児島県立埋蔵文化財センター)「万之瀬川下流域の発掘調査成果」(仮)
 渡邊誠氏(広島大学特別研究員)「12世紀の日宋貿易と山門・八幡・院御厩」(仮)
 重久淳一氏(霧島市教育委員会)「中世大隅正八幡宮をとりまく諸相―社家館跡の調査から―」(仮)
 屋良健一郎氏(東京大学大学院)「中世後期種子島氏とその周辺」(仮)
 小山博氏(宮崎県総合博物館)題目未定

 参加定員:60名(先着順)
 参加費用:25,000円(予定)

 ※ 報告者の重久先生には、先年のゼミ旅行の際に、社家館跡や隼人塚などを御案内頂きました。渡邊誠氏の御報告は武士論研究にもおおいに関係しそうです。

 場所は鹿児島。篤姫ファンの皆さんも、この機会にぜひどうぞ。

来月の研究所公開講座の御案内

No.6223

 GWも、のこり僅かとなりましたが、当方、例によって、急な用務が入り、予定していた仕事に着手できないでおります。

 ポスター作成の段階に入った公開講座について、お知らせしておきます。

 ◇「王の装いと武家の空間」(シリーズ「東山から発信する京都の歴史と文化」⑩)
 
 日時:2008年6月28日(土)13:00~17:00 
 講演テーマと講師:
   ①「寝殿造と六波羅泉殿~総柱大型建物の意味~」
                     川本重雄(京都女子大学家政学部教授)
   ②「天皇と装束」
                     近藤好和(神奈川大学経済学部特任教授)

 会場(学内)など、詳細については追って告知いたします。

 ☆ 文教大学の中村修也先生より、御高論「東アジア世界における白村江の戦いの位置づけ」を御恵送頂きました。
 中村先生に、あつく御礼を申し上げます。

 ☆ 京都市歴史資料館の宇野日出生先生より、御高論「「神聖なる葵」-京都の三大祭-」掲載の『まなびすと』Vol.5と共著の御高論「京都大原の山林文書(一)」(『生物資源経済研究』13)を御恵送頂きました。
 宇野先生にあつく御礼を申し上げます。

 ☆ 神奈川大学の近藤好和先生より、御高論「日欧甲冑比較論序説」(小島道裕編『文化資源の高度活用 武士関係資料の総合化-比較史および異文化表象の素材として-』人間文化研究機構,2008)ならびに「装束からみた天皇の人生」(『国立歴史民俗博物館研究報告』141)を御恵送頂きました。
 先週は公務研究でフランスに行かれていた由。ちなみに、御高論のうちの後者は、公開講座での御講演のベースとなるものであるとのことです。事前学習に役立てたいものです。
 近藤先生に、あつく御礼を申し上げます。また、来月の御講演、宜しくお願い申しあげる次第です。

その次の『吾妻鏡』

No.6224

 連休の最中ですが、みなさんいかがお過ごしでしょうか。
 やや遅くなりましたが、次回の『吾妻鏡』のご案内です。

 日時:2008年5月10日(土)13:00頃~(予定)
 場所:京都女子大学L校舎 3階 宗教・文化研究所共同研究室
 範囲:『吾妻鏡』嘉禎二年七月十日、十七日、二十四日、二十五日、八月三日、四日、五日、九日、二十日、九月九日、十日、十月二日、五日、二十九日、十一月一日、十三日、十四日、十五日、十二月三日、十九日、二十九日
    嘉禎三年正月二日、六日、三月八日、十日、二十一日、二十五日、三十日、四月五日、十一日、十九日、二十二日、二十三日、五月十五日、六月一日、二十日、二十三日、二十五日、七月八日、十日、十一日、十九日、二十五日、二十九日、八月七日、十三日、十五日、十六日、十月十六日、十一月十七日、十二月十二日、の各条

  (※かなり先の方まで掲出しましたが、読めるところまで読んでいきましょう。また、掲出した範囲以外に「これは」という条文があれば、その都度お知らせ下さい。)

 なお、その先は、5/13(火)15:00頃~開催の予定です。以後は毎週火曜日15:00頃からの開催を予定しておりますので、よろしくお願いします。
 『吾妻鏡』講読会は、参加者のみなさんの自主的な積極性によって支えられております。どなたさまでも、まずは見学からでもどうぞお気軽にご参加下さい。

山城郷土資料館「中世文書の世界」展

元木泰雄
No.6226

 大手前大学の小林基伸先生から、山城郷土資料館の展覧会の案内が転送されてまいりました。古文書学会の見学会にしたい内容ですが、当方、この時期の土日は全く身動きが取れませんので、見学会は開催いたしません。
 しかし、充実した展覧会ですので、是非ご覧下さい。
 とりあえず、案内のみ掲載致します。
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京都府立山城郷土資料館の「中世文書の世界」展のお知らせです。

企画展「中世文書の世界」
〔会期〕平成20年4月26日(土)~6月15日(日)(月曜休館、ただし 5/5は開館し5/7休館)
〔開催趣旨〕
 古文書は歴史を研究するうえで最も基本的な資料です。量的に増える近世以降に対して、中世の古文書は残された数も多くはなく、それ自体、貴重な文化財といえます。
当館は南山城ゆかりの寺社の文書(正法寺文書)、朝廷や貴族に仕えた官人の文書(調子家文書)、山城の国一揆の一員であった狛氏の文書(狛文書)、惣村や宮座の文書(木津天神宮文書・宮本座文書)など特色のある中世文書を数多く収蔵しています。
 これらのなかから中世文書の魅力を感じていただける資料を選りすぐって展示し、さらに畿内御家人に関する古文書として著名な和泉国和田(みきた)文書(当館寄託)を14年ぶりにまとめて公開します。
〔主な展示内容〕
 ○正法寺文書・・・鎌倉時代に八幡の山下に創建された浄土宗寺院の文書
 ○調子家文書・・・平安時代以来つづく朝廷や摂関家に仕えた官人の家の文書
 ○狛文書・・・山城国一揆の一員で室町時代の上狛に住んだ国人の文書
 ○中岡氏所蔵文書・宮本座文書・・・木津や南山城村田山などの惣村や宮座の文書
 ○和田文書・・・鎌倉時代以来、和泉国を本拠に御家人として活躍した和田氏の文書
【注】前期(4/26~5/18)と後期(5/20~6/15)で大幅に展示替えします。

〔文化財講座〕
  5月10日(土)14:00~16:30
講演「南山城の中世古文書学入門~その姿・形を読み解く~」
講師 文化庁文化財部美術学芸課文化財調査官 地主智彦氏
  ※ 講演会終了後、当館担当者による展示解説があります。
〔入館料〕一般 200円、小中学生 50円(団体割引あり)
〔主催〕京都府立山城郷土資料館
〒619-0204 京都府木津川市山城町上狛千両岩
電話 0774-86-5199 Fax 0774-86-5589
http://www.kyoto-be.ne.jp/yamasiro-m/

 山城郷土資料館へのアクセスは以下の通り。

 JR奈良線上狛駅下車徒歩20分(1.4Km)
 JR関西本線・学研都市線木津駅下車タクシー5分
 近鉄京都線山田川駅下車タクシー10分
 国道24号線・163号線「上狛4丁町」交差点東へ1.5Km

 徒歩では行きにくいですが、タクシー分乗などにて、お越しください。

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 6月の公開講座、楽しみにしております。
 例のミルクホールも新装再開していることと思います。
 今度の場所は西木屋町四条上る、鉄板焼きメニューも充実させるとのことです。
 そのころは当方の移転も、一段落していることと思います。
 ミルクホール再開にあわせて(笑)、京都市民になる予定です。
 家が近くなったら、これまで以上にのみに行くのか、はたまたすぐに帰宅するのか。どうなるんでしょうね。

『吾妻鏡』講読会・公開講座懇親会etc.

No.6228

 本日(4日)は、雨野弥生さんが主催された補陀落寺跡の見学会が行われ、大きな成果をあげられたとのことです。
 行動はすべての原点。雨野さんに敬意を表します。

 元木先生から御案内頂いた山城郷土資料館ですが、ゼミメンバーからの御希望が多ければ、見学会の設定を考慮したいと思います。 

 公開講座の懇親会については、元木研究室の山岡さんに幹事をお引き受け頂いております。何卒、宜しくお願い申し上げます。
 元木先生の御在京、心強い限りです。

 『吾妻鏡』講読会。13日(火)は、いつもの共同研究室ではなく、研究所教授室(野口研究室)で行いますのでご注意下さい。

 なお、10日は、久方ぶりに山本陽一郎君(今春、神戸大学大学院を目出度く修了されました)が参加して下さる由。『篤姫』のおかげです。
 ↑に岩川君がサマーセミナーの御案内を書き込んで下さいましたが、篤姫と言えば島津氏。

 ☆ 本日(4日)、戦国期島津氏の研究で令名高い山口研一先生より、その島津氏に関する御高論掲載の『歴史群像シリーズ 戦国九州三国志 島津・大友・龍造寺の戦い』を御恵送頂きました。
 ちなみに、山口先生は私の大学院の後輩に当たり、1989年に私が鹿児島経済大学(現、鹿児島国際大学)に赴任するに至ったのは、先生から教員公募の情報を頂いたからにほかなりません。私と鹿児島を結びつけてくれた恩人です。サマーセミナーは参加されるのでしょうか?
 山口先生に、あつく御礼を申し上げます。

追悼 米谷豊之祐先生

No.6212

 郵便物が返送されてきたことから、米谷先生が逝去されたことを知りました。御遺族よると亡くなられたのは3月1日。享年92歳とのことです。
 
 米谷先生には院生時代から書信を通じて常に励まされ続け、また、たくさんの御研究の成果を頂き、多くのご教示にあずかりました。お目にかかったのは、たった一度だけでしたが、まぎれもなく私の恩師の一人です。
 昨年、『紫苑』の前号をお送りした際、尻池さんの御論攷に讃辞を寄せて下さったことは、まだ記憶に新たなところです(>>No.5625)。 

 先生の御業績を今後の研究に活かすと共に、私に示して下さったような後進への暖かい眼差しを受け継がなければならないと思っております。

 米谷先生の御冥福を、衷心よりお祈り申し上げる次第です。
                                   合掌

Re: 追悼 米谷豊之祐先生

元木泰雄
No.6213

 米谷先生の訃報に接し、大変驚いております。
 お年賀状も頂戴しただけに、とても信じられない思いです。
 心よりご冥福をお祈り申し上げる次第でございます。

 米谷先生とは、昔、予備校の講師としてご一緒したことがあり、そのときに源為義に関する御論文の抜き刷りを頂戴致し、お話を伺ったことがありました。お話の中で野口先生のことを大変高く評価しておられ、「お若い方だが、随分と学恩を賜っている」と仰ったのが印象に残っております。
 その後も御著書を賜ったうえに、拙著を送りした際には、いつもお心のこもったお祝いのお言葉を頂いたことが思い出されます。
 学問も、お人柄も、まさに昔気質の、実に堅実な先生でした。華々しい論を展開されることなく、ストイックにひたすら事実を追い求められる研究姿勢を貫かれました。
 古めかしいといえばそうでしょうが、今日のように各種の索引やDBがなかった時代に、丹念に史料を渉猟し、源為義や下北面・検非違使、実務官人平信範一族など、地味だが重要な人々に光を当てられたことは、ある種驚嘆に値すると思います。
 テーマの重要性、御研究の意義に、やっと我々が気づいたといえるのかもしれません。
 もう、このようなタイプの学問をされる方は出ないことと思いますが、御研究は決して色あせることはないことでしょう。
 
 また一つ、時代が過ぎた感が致します。
 余談ですが、先生は長年大阪の高津高校の古文の先生として教鞭をとっておられました。その門下に受領研究で知られる愛媛大学の寺内浩先生などがおられます。
 
 

米谷豊之祐先生の略歴と研究業績(稿)

No.6214

 私が把握している範囲で米谷先生の御経歴ならびに御業績を紹介させて頂きます。

【略歴】
1915年 誕生。本籍は奈良県宇陀郡兎田野町(宇陀市兎田野区古市場)。
1940年 神宮皇學館本科卒業。その後、一年半あまり兵役に服す。
1942~47年 堺市立堺商業学校勤務。その後、古本業を営む。
1952年~ 大阪府立高津高校に勤務(定時制16年間・全日制10年間)。
       この間、関西大学文学部史学科に編入学、ついで大阪大学大学院に進学。
1957年 大阪大学大学院文学研究科修士課程修了。
その後、大阪城南女子短期大学・大阪産業大学などの非常勤講師をつとめる。

【著書】
『院政期軍事・警察史拾遺』近代文藝社,1993年
『平信範-傍流伊勢平氏の興亡を余所目に、摂関家の家司の立場を守り続けた人物-』
             新風書房,2006年

【論文】
「中原廣元・親能の関東来附の経緯について」
             『大阪城南女子短期大学研究紀要』第6巻,1971年
「武士団の成長と乳母」『大阪城南女子短期大学研究紀要』第7巻,1972年
「検非違使覚え書き-特に前期院政下の〝尉〟〝看督長〟について-」
            『大阪城南女子短期大学研究紀要』第8巻,1973年
「滝口武士考序説-特に十二世紀後期における様態-」
             『大阪城南女子短期大学研究紀要』第9巻,1974年
「源為義 其の家人・郎従の結集・把持-武家政権樹立前夜における武士団棟梁の苦悩-」
              『大阪産業大学論集 人文科学編』第38号,1974年
「鎌倉時代における母権-特に猶子・継子との関係における-」
            『大阪城南女子短期大学研究紀要』第10巻,1975年
「院武者所考-白河・鳥羽両院政期を中心として-」
        時野谷勝教授退官記念事業会編『日本史論集』清文堂出版,1975年
「後白河院北面下﨟-院の行動力を支えるもの-」
             『大阪城南女子短期大学研究紀要』第11巻,1976年
「源俊房と院政開始期の政局」『大阪産業大学論集 人文科学編』第61号,1981年
「滝口武者考」『日本歴史』第388号,1983年
「院政期検非違使歴名表及び附考」『大阪産業大学論集 社会科学編』第75号,1989年
「院北面武士追考-特に創始期について-」
              『大阪産業大学論集 人文科学編』第70号,1990年
「看督長考-特に院政期について-」『大阪産業大学論集 社会科学編』第91号,1993年
「平安中期における六位蔵人」
     大阪大学文学部日本史研究室編 『古代中世の社会と国家』清文堂出版,1998年
「佐竹家の祖-源義業」『古代文化』第54第6号,2002年

Re: 追悼 米谷豊之祐先生

No.6221

 米谷先生が亡くなられたとはショックです。

 私の『白河法皇』(NHKブックス)の執筆が、苦手な武士の部分で滞ってしまったとき、米谷先生の御著書を参考になんとか乗り切れました。そのとき本当に先学の業績というもののありがたみを痛感いたしました。出版後、さっそく拙著をお送りしたところ、過分のお褒めのことばをいただき、恐縮いたしました。ついにお目にかかる機会をつくることができなかったことが残念でなりませんが、そのお人柄の温かさが、その後のお手紙からも十分伝わってまいりました。今後も先生のすばらしいご業績を、自らの研究にいかすとともに、僭越ながら、できる限り世に広める努力をしたいと思っております。

 ご冥福をお祈りいたします。

補陀落寺跡見学ツアー(再)のお知らせ

No.6208

前回(>>>No.6086)、大雪に閉ざされてしまった補陀落寺跡見学ツアーですが、以下の要領で再度、ツアーを企画・催行いたします。(申し込み〆切:5月2日)

日程:5月4日
    (雨天の場合は、6日に順延予定です。順延する場合はメールにて全員にご連絡いたします)

行程:出町柳駅集合~京都oスで城山へ(約50分)~バス下車後、徒歩(一時間少しくらい)にて現地へ

参考文献:梶川敏夫氏 「京都静原の補陀落寺跡 -平安時代創建の山岳寺院跡-」
       (『古代文化』1990年3月  40頁~)


(1)参加費は無料です。ただし交通費などは各自実費でご負担ください。
(2)昼食をはさみますので、お弁当を持参してください。
(3)(雪は融けたとはいえ、)現地は相当の山中ですので、装備などは各自で適宜ご準備の上、ご参加ください
(4)参加ご希望の方は、雨野の携帯メールか、上記のメールアドレスに、5月2日までにお申し込み下さい。折り返し、集合の詳細についてご連絡いたします。
(5)お申し込みの際、「6日に順延になった場合、参加されるか否か」も、併せてお知らせください。
(6)お手数ですが、お申し込みは、こちらの掲示板ではなく、必ずメールにてご連絡頂けますようお願い申し上げます。

  都合により、掲示板での告知が遅れましたことをお詫び申し上げます。


>野口先生
よろしくお願い申し上げます。

GW中の見学会。

No.6215

 かつて、当ゼミでは、この時期に宝物の虫払いが行われる神護寺の見学が恒例行事だったのですが、2004年を最後に中絶しています。そこで、出掛けたくてウズウズしている方には、雨野さんの企画された補陀落寺跡見学ツアーはお薦めです。
 梶川先生の御案内が頂けるとのことで、またとない機会かと存じます。私ももう少し元気ならば参加したいところですが、残念。

 ちなみに、京女の近くにも重要な史跡は多くあります。大学から歩いて行ける範囲で、たとえば、清閑寺や即成院など、近々みんなで出掛けてみたいと思っています。

 ☆ 青山学院大学短期大学部等非常勤講師の清水眞澄先生より、御高論「慈円の法流-大原来迎院から醍醐寺まで-」(『聖徳大学 言語文化研究所 論叢』15)を御恵送頂きました。
 清水先生は、日本歌謡学会の学会賞を受賞されることとなり、5月31日~6月1日に同志社大学室町キャンパス寒梅館で開催される同会の春季大会にお出でになられるとのことで、この大会の御案内も頂きました。
 国文学専攻の方々は、ふるってお出かけください(大会案内は研究室前に掲示しておきたいと思います)。
 清水先生、受賞のこと、おめでとうございました。また、上記御高論の御恵送に、あつく御礼申しあげます。

 ☆ 神奈川県立金沢文庫の西岡芳文先生より、御高論「金沢称名寺における頓成悉地法-企画展「陰陽道×密教」補遺-」掲載の『金澤文庫研究』第320号を御恵送頂きました。
 本誌に収録されている井原今朝男「小笠原遠光・長清一門による将軍家菩提供養」は、源実朝の養育にあたった女房大弐局に触れるところが多いので、小野さんは必読です。
 西岡先生に、あつく御礼を申し上げます。

 ☆ 同志社大学の竹居明男先生より、御高論「菅原道真伝拾遺-三つの問題点-」(『文化史学』第63号)・「『天神信仰編年史料集成-平安時代・鎌倉時代前期篇-』訂正増補(稿)」(『人文学』第182号)を御恵送頂きました。
 竹居先生にあつく御礼を申し上げます。

 ☆ 本願寺史料研究所の佐藤文子先生(本学史学科の御出身)より、先生が企画担当された『親鸞聖人七五〇回大遠忌記念 本願寺展』の図録を御恵送頂きました。
 佐藤先生は、このお仕事のために「怒濤の半年間」をお過ごしになられたとのことです。
 ちなみに『本願寺展』は広島県立美術館(4/18~5/25)を皮切りに、徳島市立徳島城博物館(10/4~11/16)、名古屋市博物館(来年4/18~5/31)、石川県立歴史博物館(来年9/19~11/3)と巡回されます。
 佐藤先生に、あつく御礼を申し上げます。

 ☆ 国士舘大学の秋山哲雄先生より、御高論「移動する武士たち-田舎・京都・鎌倉-」掲載の『國士舘史學』第12号を御恵送頂きました。
 「在地領主」「武士」研究に新しい地平を開く御研究だと思います。
 秋山先生にあつく御礼を申し上げます。

 ☆ 同志社大学歴史資料館の浜中邦弘先生より、同館の図録をはじめ、同志社大学構内の発掘調査などに関する資料を御恵送頂きました。
 浜中先生にあつく御礼を申し上げます。

 ☆ 鹿児島尚古集成館の寺尾美保先生より、大阪歴史博物館で開催中の「天璋院篤姫展」の御案内を頂きました。(※寺尾先生の御高著については、>>No.6159を御参照ください。)
 ぜひ見学に出掛けたいと思います。大河ドラマ『篤姫』ファンの山本君をお誘いしたいところです。
 寺尾先生、ありがとうございました。 

『篤姫』は久々のヒットです!

山本陽一郎
No.6218

 毎週欠かさず、というか再放送も含めて週二回『篤姫』を視聴しております(こんなに大河ドラマにはまったのは1991年の『太平記』と1995年の『八代将軍吉宗』以来です)。まだ話は序盤の段階ですが、篤姫と侍女の幾島(松坂慶子)のコンビネーションが絶妙です。
 
 また、幕末史の研究書をあんまり読んだことがないので一概には言えませんが、従来の日本人の幕末史のイメージは、ほぼ司馬遼太郎の『竜馬がゆく』などの司馬史観一色で塗りつぶされているのではないかと思います。しかし従来から自分は、司馬史観には違和感を感じていたのと、幕末の志士のみから描かれることの多かった幕末史を、当時の女性の立場から描いている点が、新鮮であり、かつこのドラマの魅力だと思います。
 
 また大河ドラマの主人公は男性というのが定番でしたが、今回女性であるのは、近年盛んになってきている女性史の成果がやっと大河ドラマに影響を及ぼし始めたのでしょうか?
 
 そろそろ篤姫が将軍家へ興し入れするのでますます目が離せません。

明日の基礎演習Ⅰ

No.6205

 明日(29日)は「昭和の日」ですが、京都女子大は平常授業。
 Ⅲ講時(13:00~)の現代社会学部「基礎演習Ⅰ」は、いよいよ個別報告が始まります。
 先陣を切るのは、山本さんと吉田さん、「京都になぜ学生が集まるか」「女子大と共学の大学」などを論点に報告とディスカッションがなされる予定です。
 活発な発言を期待したいと思います。

 続いてⅣ講時(14:45~)からは、ゼミの『吾妻鏡』講読会上級者クラス。前回26日は一回生も参加。その続きです。
 岩田君と満田さんには、池谷先生から教えていただいた論文のコピーを差し上げます。また、米澤君から御依頼の小山田義夫先生の論文集は、本日、研究室に持参しました。

 Ⅴ講時目、私は授業(教室はA306)。総合教育科目7B「日本史から現代社会の問題を考える」の4回目。中世の女性たちの活躍についてお話ししたいと思います。

 なお、5月14日(水)14:45から、満田さんの修士論文の報告が行われます(教室はB507)。詳細は追って告知しますが、公開で行われるとのことなので、時間の空いている人、空けられる人はぜひ聴講して下さい。

『紫苑』拝受・拝読いたしました

池谷初恵
No.6203

野口先生・ゼミの皆さま、こんにちわ。伊豆の池谷です。
このたびは、『紫苑』6号をお送り下さり、まことにありがとうございました。
いずれも力作で、大変興味深く拝読いたしました。
とくに、「侍所」と「御所の空間」についての論考は、考古学の研究テーマとも共通するもので、大変参考になりました。発掘調査では、柱穴や礎石の列としか表れない建物跡ですが、建築学や文献史学の諸研究を参考にしながら、空間の復元に取り組んでいきたいと思っております。
なお、考古学から東国武士の館や建物構成について論じたものに、小野正敏氏「中世武士の館 その建物系譜と景観」『中世の系譜』高志書院 があります。ご参考までに。

池谷先生、お久しぶりです。

No.6204

 池谷先生、書き込みありがとうございます。
 昨年度、建築史学専攻の満田さんがゼミに参加されてから、当ゼミに於いては、空間から政治を読み解く方法論が一世を風靡しております。
 
 私の感想としては、鎌倉時代段階に於いて、地方の守護級武士の居館は、京都の貴族邸宅の構造とさほど大きく異なるところは無いように思えるのですが、如何でしょうか。
 檜皮葺の将軍御所など、まさに準摂関家にふさわしい貴族邸と思います。

 小野先生の御高論は読んでいながら、ゼミメンバーに紹介するのを忘れておりました。御教示に感謝します。
 この論文(192ページ)で紹介されている筑波の小泉館には、当方の研究所に於ける宇治を対象にした共同研究の関連から大いに注目しています。翼廊をもち前面に浄土庭園を備えた阿弥陀堂形式の日向廃寺というのは、平等院阿弥陀堂や平泉の無量光院を彷彿とさせるものがあります。
 こうした居館周辺の空間は、常陸大掾氏のみならず上総氏や藤姓足利氏などの本拠にも形作られていたと考えております。

『吾妻鏡』と大阪歴史学会中世史部会

岩田慎平
No.6198

 ◆すでに野口先生からもご案内いただいておりますが、本日開催されます大阪歴史学会中世史部会のご案内です。先般の木幡・宇治見学会に同行して下さった樋口健太郎氏(当研究所共同研究員)の大会準備報告です。「中世摂関家の成立と王家」が明日開催されます。
  報告者:樋口健太郎氏「中世摂関家の成立と王家」
  時間:18:30~
  場所:西宮市大学交流センター(ACTA西宮東館6F)講義室1
    (阪急神戸線西宮北口駅下車、北出口2階から徒歩2分)

 ◆次回の『吾妻鏡』の予定も再度ご案内致します。
 日時:2008年4月26日(土)13:00~(予定)
 場所:京都女子大学L校舎 3階 宗教・文化研究所共同研究室
 範囲:『吾妻鏡』嘉禎二年正月一日、十七日、二月二十二日、二十八日、三月七日、十三日、十四日、二十日、二十一日、四月二日、四日、五月二十四日、六月五日、六日、十一日、二十六日、二十七日、七月十日、十七日、二十四日、二十五日、八月三日、四日、五日、九日、二十日、九月九日、十日、十月二日、五日、二十九日、十一月一日、十三日、十四日、十五日、十二月三日、十九日、二十九日の各条
  (※少し先の方まで掲出しましたが、読めるところまで読んでいきましょう。また、掲出した範囲以外に「これは」という条文があれば、その都度お知らせ下さい。)

 なお、その先は、4/29(火)15:00頃~、5/10(土)13:00~、5/13(火)15:00頃~、と開催の予定です。変則的な日程となりますが、よろしくお願いします。

 いつものことながら、『吾妻鏡』の講読会は新規メンバー随時募集中です。定期的な史料講読に取り組みたいという方など、まずは見学からでもどうぞお気軽にご参加ください。

若さとは-次回『吾妻鏡』-

No.6202

 本日は、一回生のみなさんを多くお迎えし、女子大っぽい、且つ若い雰囲気の講読会となりました。『吾妻鏡』の講読会は新規メンバー随時募集中ですから、この先もご都合の付く範囲でどしどしご参加ください。当講読会は、参加者のみなさんの積極性によって支えられております。どなたさまでも、まずは見学からでもどうぞお気軽にご参加下さい。

 さて、次回の『吾妻鏡』の予定です。
 日時:2008年4月29日(火)15:00頃~(予定)
 場所:京都女子大学L校舎 3階 宗教・文化研究所共同研究室
 範囲:『吾妻鏡』嘉禎二年二月二十八日、三月七日、十三日、十四日、二十日、二十一日、四月二日、四日、五月二十四日、六月五日、六日、十一日、二十六日、二十七日、七月十日、十七日、二十四日、二十五日、八月三日、四日、五日、九日、二十日、九月九日、十日、十月二日、五日、二十九日、十一月一日、十三日、十四日、十五日、十二月三日、十九日、二十九日
    嘉禎三年正月二日、六日、三月八日、十日、二十一日、二十五日、三十日、四月五日、十一日、十九日、二十二日、二十三日、五月十五日、六月一日、二十日、二十三日、二十五日、七月八日、十日、十一日、十九日、二十五日、二十九日、八月七日、十三日、十五日、十六日、十月十六日、十一月十七日、十二月十二日、の各条

  (※かなり先の方まで掲出しましたが、読めるところまで読んでいきましょう。また、掲出した範囲以外に「これは」という条文があれば、その都度お知らせ下さい。)

 なお、その先は、5/10(土)13:00~、5/13(火)15:00頃~、と開催の予定です。変則的な日程となりますが、よろしくお願いします。

藤原成親の再評価

No.6195

 元木泰雄先生より御高論「藤原成親と平氏」(『立命館文学』605)を御恵送頂きました。
 
 昨年秋の『台記』研究会における「奇跡の報告」>>No.5968で大要はうかがっておりましたが、従来の藤原成親に対する評価(私には村井康彦氏が『平家物語の世界』の中で〝騒動を売る男〟と評価されたのが印象的でした)を克服、ないしは一変させ、また平家政権下に於ける重盛の立場を明確にし、それらにともなう平家政権の地方武士掌握の面での弱点を示唆して、治承寿永内乱の帰趨に大きな展望を示されたものと思います。
 
 あらゆる史料を綿密に読みこなされた元木先生は、この時代に生きた人たちよりも、この時代の政治を理解されている。それをあらためて実感させられました。後白河による武力編成のあり方についても、おおいに蒙を啓くことが出来ました。
 
 元木先生に、あらためてあつく御礼を申し上げる次第です。
 
 なお、本論文は、『平家物語』研究に大きな影響を与えることと思います。国文学の研究者の皆様にも御一読をお薦めいたします。

 
 ☆ 今年度から明治大学にうつられた鈴木彰先生より、御高論「鬼丸・鬼切説の展開と『太平記』」(佐藤和彦編『中世の内乱と社会』)・「曾我兄弟所持の太刀と『曾我物語』-仮名本の流布と再生-」(関西軍記研究会編『軍記物語の窓』第三集)・「『平家物語』-京・薩摩国・鬼界島」(小林保治監修『中世文学の回廊』勉誠出版)を御恵送頂きました。
 こちらは逆に歴史学の側で享受されるべき重要な内容を含みます。
 三番目の御高論は鹿児島で中世史を研究されている方には興味津々だと思います。
 また、本年度の中世史サマーセミナーにお出かけになる方も、一読しておくと宜しいかと存じます。
 
 『曾我物語』の御高論は、学習院の伊藤さん、必読ですよ。

 なお、昨日は江波さん・山岡さん、お疲れ様でした。

Re: 藤原成親の再評価

元木泰雄
No.6200

野口先生、またまた過分の御褒詞を賜り、誠に有難うございました。面映いやら恥ずかしいやらですが、しかしこの論文を書いて本当に良かったと思いました。

 先の保元・平治の乱の再検討では、信頼の武門の統合者という立場を解明しました。これは、保元の乱後の政治構造の混乱に対応したものですが、成親は後白河院の複合権門化にともなう、独自の武装の中核として、平重盛や下北面を統合する存在と位置づけてみました。またまた不評の人物の「冤を雪ぐ」ことになりましたかどうか、ご批判を仰ぐばかりです。
 こうなると、やはり次は重盛、そして検非違使庁の掌握をめぐって成親と競合した時忠論を取り上げなければ、という気分です。研究したいことは山積ですが、気力・体力が衰え、酒量と体重、それに雑務ばかりが増大中でございます(笑)。

 今回の拙稿では、『兵範記』人名索引を駆使致しました。子細に見ておりますとミスも目に付きますが、やはり威力抜群。今後の研究に大きく裨益することは疑いないものと存じます。
 余談ですが、『立命館文学』もいまやA4版、グローバルスタンダードです。字が大きくて老眼には有難いのですが、反面大きすぎて扱いにくい面もあります。
 野口先生も仰せですが、図版、写真を多用する理系はともかく、人文系は昔のままでも良かったのではないかななどと思ってしまいます。

 なお、19ページ下段に記した家成一族の左馬寮知行は、長村君のご教示によるものです。このことを註②に書き加えるべきでした。長村君ならびに各位に深くお詫び申し上げます。
 弟子との会話を失念するにいたっては、もはや論外。引き際を考えるときかも・・・
 ローンもあるし、ここは一つ怪しげな小説でも書いてみますか(笑)。
 

「怪しげな小説」、楽しみです。

No.6206

 元木先生、御返信ありがとうございます。
 「怪しげな小説」ぜひ読んでみたいのですが、その前に、学界待望の論文集の御刊行を宜しくお願い申し上げる次第です。
 ちなみに、元木先生の御著書は小説家にも引っ張りだこで、内容のみならず、文章までお手本にされているようですから、小説家としての御成功は間違いないと存じます。

 なお、余談ながら、先日、拙著の文章を国語の試験練習問題に使いたいという依頼を頂くなどという信じがたいことが発生しており、日本人の国語力の将来には大いに懸念がもたれるところであります。

 長村君には私もいろいろ御教示を得ることが多く、御高見を論文などで使わせていただきたいと考えています。拙論の注は長村君のお名前で埋め尽くされてしまうかも知れません。

>美川先生  お勧め(>>No.6061)のWiiスポーツですが、奇特なる親族の寄進によって、はじめることができました。

Re: 藤原成親の再評価

元木泰雄
No.6209

  野口先生、その小説とは『吾妻鏡殺人事件』というタイトルの予定です(笑)。
 1982年ごろ、二時間ドラマになった夢も見ました。主演は加藤剛。彼が探偵なのか、『吾妻鏡』の研究者なのか定かではありませんが、夢ではっきり見たおぼえがあります。当方も、加藤剛と話をする場面があるのですが、それはチョイ役としてなのか、関係者としてなのか、それもはっきり致しません。
 この話をしたら、美川先生が「そんなにテレビに出たいのですか」と噴出されたのを覚えております。
 ところが、サントリーバーのご常連のK先生が、「おれも大学辞めたから小説を書くねん。『吾妻鏡殺人事件』言うてな、『吾妻鏡』の欠落部分の頼朝殺害の場面を発見した研究者が、自分も殺人事件に巻き込まれるゆう話や」と仰せでした。そっちの方が面白いかも知れません。
 殺人事件なら、どこかのワンマン理事長支配下の「伏魔殿」を舞台にしたほうがストーリーは複雑怪奇になりそうですね。でもそうした事実をもとに小説を書くと、「将軍様の支配下じゃあるまいし、日本でそんなことがあるわけがない。リアリティーに乏しい内容」とか批判されることでしょう。
 でも、東西でセクハラ理事長が逮捕されていることから見ても、けっして絵空事ではないのですが・・・・
 小説はともかく、本はどんどん書きたいと思います。
 第二論文集『武士政権成立史論』、ミネルヴァ書房『日記で読む日本中世』(松薗先生と共編、関係各位、よろしくお願い申し上げます)、中公新書『河内源氏―武士本流』、ミネルヴァ人物評伝選『平時子・時忠―平家にあらざらむものは人非人也』、第三論文集『初期公武政権論』、NHKブックス『源頼朝の苦闘』(上下)、『源平争乱の脇役達』(塙新書)・・・・。小説はその次ですかね(笑)。
 これを取らぬ狸の何とかというのですが、冗談とはいえ、何となく書こうという気になってまいりました。去年までの閉塞状況が打破できるような希望が持てそうな気が致します。これも、昨秋の野口先生の御報告に勇気付けられたおかげと、心から感謝致しております。
 今日は、新入生相手の『ポケットゼミ』。
 拙著『源義経』を素材に輪読を始めたところ、実に活発な議論となり、90分で終わりきらないほどでした。新入生も、対応次第でついてきてくれるし、関心を引き出せることを痛感致しました。
 毎年、史料ばかり読んできた全学共通科目の演習の方法も、今の学生達の学力や関心に応じて柔軟に対応することが必要であると思わされました。
 
 余談です。「権藤、雨、権藤」。
 掲示板で野口先生がよくお書きですが、お若い方にはチンプンカンプンと思います。
 権藤とは、往年の中日のエースで、元横浜の監督権藤博氏のことです。ウィキペディアの記事から、彼の活躍ぶりを引用しておきます。
 「鳥栖高校からブリヂストンタイヤを経て1961年に中日に入団。杉下茂の後の背番号20を受け継ぐ。同年のオープン戦で28回3分の1を投げて自責点1(防御率0.31)という驚異的な成績を残し、1年目よりエースとして大車輪の活躍。この年チーム試合数130の半分以上に当たる69試合に登板、そのうち先発登板は44試合。35勝19敗、投球回数429 1/3回、奪三振310、防御率1.70を記録。35勝は新人での最多勝プロ野球記録。連投に連投を重ねる権藤を指した「権藤、権藤、雨、権藤(雨、雨、権藤、雨、権藤と続く)」という流行語も生まれた。翌年、61試合に登板(先発登板39)、30勝17敗、投球回数362 1/3回、奪三振212、防御率2.33の成績を残し2年連続最多勝に輝いた。」

 でも権藤は翌年10勝、その次は6勝におわり、酷使が原因で投手生命を絶たれることになります。
 その彼が、コーチ、監督として、リリーフ投手にもローテーションを導入したのですから、使い潰された無念があったのでしょう。横浜の監督として、佐々木主浩投手を擁し、日本一になったのが98年。今も歯に衣着せぬ辛口解説で有名です。
 ちなみに61年度の、中日投手陣の成績は下記の通り(プロ野球記録博物館のサイトより転載)。権藤に次ぐ投手は河村、板東。

P 権藤 博 R 35 - 19 1.70 (Rは右、Lは左投手、以下勝・負・防御率)
P 河村 保彦 R 13 - 13 2.53
P 板東 英二 R 12 - 10 2.60
P 西尾 慈高 L 6 - 5 3.09
P 石川 緑 R 3 - 1 4.58
P 柿本 実 R 3 - 3 2.67 17 63.2
P 広島 衛 R 0 - 4 2.87 20 46.1
 
 岩田君が河村投手。すると当方はいまや芸能人のBさんですかね(笑)。昔、B氏とは大阪中津の「串樽」でばったり出会い、思わず挨拶しかけましたが。
 なお61年度ペナントレースの結果は以下の通り。権藤の奮戦むなしく、ドラゴンズは勝ち星で勝りながら、勝率は僅差で巨人に及ばす覇権を逸しました(現在なら勝ち星一位と勝率一位が異なる場合はプレーオフ)。あの管理野球の川上が新任でセリーグ制覇、勢いをかって日本シリーズも制しております。

 読売ジャイアンツ 130 71 53 6 .569 - -
 中日ドラゴンズ  130 72 56 2 .562 1.0

 最高殊勲選手は 打率.353、本塁打28本で二冠王となった長嶋茂雄が初めて受賞致しました。今なら35勝のほうが価値がありそうですが・・・何せあのころは稲尾42勝、杉浦38勝とか、30勝は珍しくなかったですからね。

やぶ蛇でした。

No.6216

 K先生とは、このところお目にかかることが重なったのですが、なるほど、そのようなことをお考えだったのですか。

 ミネルヴァ書房『日記で読む日本中世』、締切が今月末でしたね。そういえば、私も「関係各位」の一人でした。これは大変です。

 ちなみに、元木先生とペアを組まれる共編者の松薗先生は、今月、日本史研究会の例会で報告をなさいます。

 【例会】日記研究の現在―古代・中世の思考―
   5月24日(土)13:00~ 機関紙会館5F
   加藤友康氏「平安時代日記研究の多角的視座
         ―平安中期における日記の筆録・書写・部類を中心として―」
   松薗 斉氏「王朝日記と「家」の日記」

 「伏魔殿」ですが、これは全国至る所にございますね。

 ちなみに、「権藤、雨、権藤」を持ち出されたのは岩田君です。私は知りませんでした。岩田君世代の人たちは、なぜか1960~70年代に通暁されているのです。佐伯君もやたらと昔の歌を御存知です。
 かれらは本当は60歳くらいなのかも知れないと思うことがあります(笑)。

えっ!

元木泰雄
No.6217

 権藤一件は岩田君が言い出したのですか?
 何で知ってるのでしょうか。
 まあ歴史家ですから、40年あまり前のことくらい、知ってて当然ではありますが(笑)。
 あるいは熱狂的中日ファン?
 明日(5月2日)あったら訊いてみましょう。
 
 昔の歌といえば、以前どなたかの結婚式の余興で、高橋昌明先生が『梁塵秘抄』の一曲を歌われたことがあります。
 いわく「レコードを聴いて練習した」とのこと。これなら、調子が外れてもわからないなと感心したことがあります。
 

出典は定かではありませんが…

岩田慎平
No.6219

>元木先生、野口先生
 はい、確かに「権藤、権藤、雨、権藤」は私が言い出しっぺでした(※この掲示板では)。
 このフレーズは、権藤氏が横浜ベイスターズの監督として日本一になった1998年の、雑誌の記事などで読んだのではないかと思います。
 「20勝で沢村賞」の現代で、権藤氏やあるいはカネヤン(金田正一氏)のようなかつての年間数十勝投手が登板したらどういうことになるんでしょうね。

権藤監督

元木泰雄
No.6220

 岩田君、早速にレスを有難うございました。
 了解いたしました。
 今の沢村賞は、20勝まで行かないことの方が多いですね。
 往年の大投手が、今のようにローテーションを守り、きちんと分業していたら、選手寿命は飛躍的に延びたでしょうが、通算勝ち星はだいぶ減ったのではないでしょうか。
 優勝のかかった連投と、金田のような気楽な登板では、消耗度は違っていたと思います。

黒江の三本足打法

No.6222

私も、元木先生の御論文、恵送いただいております。すっかり、お礼が遅れてしまっています。この場をお借りして、お礼申し上げます。

 以上は、忘れていたのではないのですが、「関係各位」の方は、完全に締切を忘れておりました。えらいことです。今、某総合雑誌用の原稿を書いているところなので、それが終わったら始めたいと思います。

 で、権藤の話を読んでいて、変なことを思い出しました。巨人のV9時代に活躍した内野(遊撃)の黒江のことです。そのころ、父が読売につとめていた関係で、よく巨人戦のバックネット裏のチケットがまわってきました。父は読売社員ながら、熱狂的中日フアン。そのためか、中日戦が多かったと記憶しています。一度、そのチケットで母方の叔父と観戦したときのこと、酒に酔った叔父(スワローズフアン)が絶妙のヤジを飛ばすのです。ちょうどバッターボックスに黒江が立ったとき、叔父が「くろえー、おめえの3本の足はぜんぶ同じ長さじゃねえか」というまことに下品なヤジを飛ばし、周囲の観客が大笑い、しかも黒江にも聞こえたらしく、打席をはずして、こちらを振り返り、それがまた観客の笑いを呼びました。そのときの黒江の顔を今でも覚えています。失礼しました。

 昔のこと(しかもしょうもないこと)ばかり覚えている歳になりました。

Re: 藤原成親の再評価

元木泰雄
No.6225

美川先生、場所柄、これは「レッドカード」ですよ(笑)。ネタは選ばないと・・・
 その黒江氏、いまは西武のヘッドコーチですね。
 一時、長嶋監督の下で三塁コーチを務めて、無謀な本塁突入の指示ばかり出したので、『壊れた信号機』とか言われておりました。
 成績は以下の通り(前記サイトより転載)
 
年度 所属 試合 打数-安打 本塁 塁打 打点 盗塁 四球 死球 三振 打率 長打率
1964 巨人 26 43- 7 0 7 1 2 3 2 7 .163 0.163
1965 巨人 61 64- 11 0 13 0 11 6 0 7 .172 0.203
1966 巨人 91 262- 64 2 86 17 21 21 4 35 .244 0.328
1967 巨人 129 424- 118 9 174 49 10 40 8 51 .278 0.410
1968 巨人 129 423- 120 7 166 37 16 35 8 45 .284 0.392
1969 巨人 130 481- 141 7 182 63 8 34 3 56 .293 0.378
1970 巨人 123 405- 103 10 160 48 7 21 1 40 .254 0.395
1971 巨人 124 407- 113 6 157 42 22 30 8 27 .278 0.386
1972 巨人 127 451- 124 7 159 52 16 25 7 32 .275 0.353
1973 巨人 111 353- 87 8 130 47 10 24 3 28 .246 0.368
1974 巨人 84 165- 35 1 46 15 4 14 5 9 .212 0.279

 社会人から入団したので、選手寿命は短かかったのですが、69,70年ごろはONに次ぐ成績を挙げ、5番を打っておりました。
 また、70年のロッテとの日本シリーズ第一戦でサヨナラホームランを打つなど、しぶとい玄人好みの選手でした。

「年度はじめ」も終盤にさしかかりました。

No.6194

 当方、相変わらず提出書類の締切に追われる毎日ですが、昨日、非常勤でお見えになっている先生から紹介していただいたとのことで、国文の一回生がゼミに参加。武士の心性に興味があり、『平家物語』を勉強したいとのこと。さっそく、佐伯真一先生の『戦場の精神史』を借り出されていきました。授業時間の関係で『吾妻鏡』講読会に参加できないのが残念。
 『小右記』講読会にも院生の大谷さんが参加され、新年度からの参加者は史学科一回生6名、国文院生・学部生各1名、都合8名ということになりました。これからが問題ですが、前代未聞の発展ぶりです。先輩の諸姉兄の皆様、よろしく御教導のほどお願い申し上げます。

 昨日は、山岡さん・江波さん、それに史学科一回生4名の皆さんに、抜刷等を送付するための準備作業をしていただきました。

  一方、昨年度に引き続いて本年度も担当させていただいている現代社会学部「基礎演習Ⅰ」の一回生たちも元気いっぱい、やる気満々で、本日は報告テーマと報告日を決定したのですが、その過程そのものが、もうすっかり議論百出のゼミらしくなってきています。
 ちなみに、この掲示板について「先生の日記なんですか?」なんて質問も飛び出しました。さもありなん。なにしろ、「権藤、雨、権藤」ですから。

 ☆ 千葉市教育委員会で市史の編纂を担当されている簗瀬裕一先生より、御高論「中世後期の常滑焼片口鉢の編年について-東国の消費地遺跡における検討から-」(芹沢先生追討論文集刊行会編『芹沢先生追悼 考古・民族・歴史学論叢』六一書房)・「徳川将軍の御殿と御茶屋-千葉御茶屋御殿跡の検討から-」(千葉城郭研究会編『城郭と中世の東国』高志書院)、ならびに新刊の『千葉いまむかし』第21号を御恵送いただきました。
 簗瀬先生にあつく御礼を申し上げます。

 ☆ 鹿児島県霧島市教育委員会より、『霧島市埋蔵文化財発掘調査報告書(4) 留守氏館跡Ⅲ-第5・6次調査-』を御恵送いただきました。あつく御礼を申し上げます。

『紫苑』・抜刷等拝受しました。

尻池由佳
No.6199

 本日、ポストを見ると『紫苑』第6号が届いていました。
 野口先生、宇治史跡見学の資料を送ってほしいなどとご無理を言い、お忙しいところ申し訳ありませんでした。そして送付作業をしてくださった山岡さん・江波さん、元気のよさそうな史学科新一回生の皆様、ありがとうございました。『紫苑』はこれから楽しみに読ませていただきます。
 野口ゼミは今年度に入って大変盛り上がっているご様子。ますますのご発展を安芸国(ときには備後国)より祈っております。と同時に自分も成長するよう努力していきたいと思います。
 それでは、またお会いできる日を楽しみにしております。

『紫苑』拝受いたしました。

No.6201

『紫苑』拝受いたしました。
ありがとうございました。

今回のみなさまの論考は、昨年の吾妻鏡講読会でのお話が形になったものが多く、読んでいて非常に懐かしかったです。
みなさまの論考が完成されていく経過を拝見させていただいたことは、非常に貴重な経験だったと思います。


また、山岡さん、江波さん、一回生のみなさん、送付作業お疲れさまでした。


今年は一回生の参加者が多いと聞きました。
野口先生や、優秀な先輩方のもとで、様々なことをたくさん学んで、自分の向かうべき道や、夢を実現させる力を身につけてください。

野口ゼミの今後ますますの発展を、東国よりお祈り申し上げます。

また、上洛の際はよろしくお願いいたします。

一所傍輩のネットワーク

No.6207

 尻池さん、伊藤さん、ご送信有り難うございました。
 東西での御活躍、大いに期待しています。ほんとうに「一所傍輩のネットワーク」が構築されたようで、嬉しい限りです。
 時に、御地の様子など御報告下さい。
 そして、御上洛の折には、後輩諸姉への御助言などいただければ幸いです。