「補陀落寺」跡見学ツアーのお知らせ

No.6086

京都市左京区静原町「補陀落寺」跡見学ツアーのお知らせ           
                            (申し込み締切:2/6)

野口先生、こんにちは。長文の告知、お許しください。
ゼミメンバーの皆様に、お知らせです。

このたび、下記の詳細で、「補陀落寺」跡地見学のツアーを個人的に企画しました。
ゼミメンバーでご興味お有りの方は、雨野のメールアドレスまで、2月6日迄に、下記の要領でお問い合わせください。

                       記

このたび、洛北の山岳寺院「補陀落寺」の跡地への見学ツアーを実施いたします。
補陀落寺は、記録によれば清原深養父の山荘を基とし、天台座主・延昌によって創建された寺で、『今昔物語集』巻15-27の記述や、『平家物語』「大原御幸」の後白河法皇叡覧の記事によっても知られます。
また、奥州平泉・毛越寺の吉祥堂の本尊は補陀洛寺本尊を模刻したものであるとする、『吾妻鏡』の記事によっても注目されます。

中世以降に廃絶し、近世では「幻の寺」となっておりましたが、地元では山中にある礎石の存在が寺の痕跡として伝承されてきており、近年、改めて京都市埋蔵文化財調査センターによる調査がなされ、通称クダラコージ山中で、寺跡と見られる遺物が改めて確認されたことが話題を集めました。

   参考文献:
   ・梶川敏夫氏 「京都静原の補陀落寺跡 -平安時代創建の山岳寺院跡-」
    (「古代文化」1990年3月  40頁~)

今回は、上記の梶川敏夫先生(京都市文化財保護課)に、ご多忙の中、現地へのご案内をお願いしております。厳寒の山中での見学となりますが、市内からでもなかなか訪れにくい場所への踏査ですので、ご興味お有りの方は、この機会にご一緒しましょう。

日程:2008年 2月 9日(土)
   ※ 天候によって、2月11日に順延します
   ※ 順延の場合はメールにて前日までにお知らせ致します

集合場所・集合時間は未定
   ※ 追って参加希望者の方に連絡させて頂きます

現在、数人の先生方や、同志社・京大の学生を中心に、10数名程度の参加希望者がおられます。参加をご希望の方は、上記のyahooアドレスか、雨野の携帯まで、メールにて、

●「順延の場合、お知らせを受け取れるメールアドレス(携帯など)」
 を明記の上、
●「順延する場合、11日(祝)にも参加可能か否か」

を、必ず明記の上、お申し込みください。

当方は掲示板を自宅で見られない環境にありますので、この掲示板にお申込み・お問合わせをして頂いてもお返事は出来かねます。お手数ですが必ず、メールにてお申し込み頂けますよう、お願い致します。

※当日はお昼をはさみますので、お弁当をお持ち下さい。

※相当な寒さと、湿気による足元の悪さが想定されます。
 充分な防寒や雨具など、各自でご用意頂けますようお願いいたします。
 (注意事項や持ち物の詳細は、参加者に追ってご連絡します)

※前日までの気象状況などによって、順延・中止の可能性があります。
 また、当日の残雪の状況により、現地での遺跡の見学が充分にできない
 可能性もあります。 あらかじめご承知おきください。
                                    以上
 
このような企画立案は初めてで、若輩者ゆえ不手際も多々あるかと存じますが、よろしくご指導くださいませ。
まずはお知らせまで

>野口先生
よろしくお願いいたします。

雨野  弥生

私立大学の教員は目下大忙しなのです。

No.6085

 科研費の報告書の版下の作成も成績処理もまだ済んでいないというのに、今週は締め切り間近の来年度用シラバス執筆も重なり、いささか混乱を呈しております。

 こんなときに本務外の《原稿催促》など「以ての外」のことですから。

 一方、『紫苑』の編集は順調に進んでいます(私の執筆部分を除く)。また、『吾妻鏡』講読会も4日に再開されます。みんな山岡さんや岩田君をはじめとするメンバー諸姉兄のおかげです。
 ただ、ゼミ例会も宇治の研究会も2月の開催は難しそうです。そこで、研究意欲満々の方は日本史研究会の中世史部会にいかれたら如何でしょうか。報告者は当ゼミ由縁の坂口君です。

   2月19日(火)18:30~ 機関紙会館3F
   坂口太郎氏「遍智院宮聖尊法親王について―南北朝動乱と密教僧―」
   《参考文献》
     今川佳世子「醍醐寺遍智院をめぐる三宝院賢俊と遍智院宮聖尊の相論について」
          (『鴨台史学』4、2004)
     森茂暁『南朝全史』第4章「南朝を読み解く」(講談社、2005)

 ☆ 京都精華大学の堤邦彦先生より、新刊の御高著『江戸の高僧伝説』(三弥井民俗選書、三弥井書店)を御恵送いただきました。
 北条氏の三鱗紋や関東の親鸞伝説の話など、私の研究テーマに即しても興味津々の内容です。
 堤先生にあつく御礼申し上げます。
 
 >末松さん  御覧になっていたら、先生に宜しくお伝え下さい。 

もうすぐ中世戦記研究会

No.6083

 科研費報告書作成の合間に、27日(日)に開催される中世戦記研究会例会で担当させていただく輪読(『真名本曾我物語』巻八)の資料を作成。
 といっても、期末テストの採点も重なって、その場しのぎの感は免れず。まったく「論」をなしておりません。分かる範囲で登場する武士の人名比定を行い、歴史サイドから興味のひかれる記事を指摘する程度に過ぎない報告になると思います。ただし、例の如く、資料には系図と地図はたくさん入れておきました。
 そんな次第で、今回の例会で期待すべきは二つの研究発表。すなわち、

  鈴木啓子氏「『平家物語』における徳大寺実定説話 ―左大将就任をめぐって― 」

  生駒孝臣氏「治承・寿永内乱期の渡辺党(仮)」

 生駒さんは、私から御報告をお願い致しました。目下、畿内武士団とりわけ「渡辺党」研究の最前線におられる気鋭の研究者です。わざわざ関西からお運び下さいます。
 関西からは、初参加の方がもうお一人。名論文として評価の高い「徳大寺家の荘園集積」(『史林』86-1)を書かれた「御存知!」佐伯智広君です。かくして、鈴木さんの御報告も更に大いに楽しみ。議論沸騰を期待するところであります。

 行きもしないうちから、当日日帰りで、即、帰洛しなければならないことを本当に残念に思っております。

 ☆ 本日、脇田修先生・晴子先生から御夫妻の御共著『物語 京都の歴史 花の都の二千年』(中公新書)を、また、奈良大学の河内将芳先生より御高論「南都園会に関する二、三の問題」(『立命館文学』602)を御恵送いただきました。
 脇田先生御夫妻ならびに河内先生にあつく御礼を申し上げます。

「中世戦記研究会」日帰り報告。

No.6084

 中世戦記研、行って参りました。会場に行く途中で志立先生に出会って、最初に出た言葉が「今日は寒いですね」。言ったとたんに「あっ、しまった!」。
 ※ なぜかは申すまでもありますまい。

 私の「かる~い輪読」は論外として、本日の2つの研究報告はとても充実した内容。
 佐伯君にも期待通りのコメントをいただきました。東京で見るお姿の方が頼もしい。ひょっとしたら、佐伯君には東京の水が合うのかも知れません。ちなみに、帰洛の暁には大学院の後輩の某君がアイスクリームをご馳走してくれるのだそうです。
 ※ どこのアイスクリームかはお分かりですよね。

 生駒さんには、さっそく御報告内容の論文化をお願い致しました。私には、むしろ、渡辺党の研究から東国武士の存在形態について考え直すヒントが得られそうに思えました。

 今回も又、ご参会の方々から、たくさんの研究業績を拝受致しました。みなさまにあつく御礼を申し上げる次第です。

 さてさて、懇親会は失礼させていただきましたが、伊藤さん、如何でしたか?

【追記】 先年の東京ゼミ旅行のさい、大変お世話になった浅草金龍寺ご住職の並木優記師より、師が訳注・資料の作成を担当された野口善敬編著『禅門陀羅尼の世界-安穏への秘鍵-』(禅文化研究所)を御恵送いただきました。
 並木師にあつく御礼を申し上げます。

第3回「国家と宗教」輪読会のご案内

No.6080

 以前お知らせした輪読会の次の日程がまた決まりましたので、再び宣伝させていただきます。

日時:2月13日(水)
   13:00~15:00(予定)
場所:大谷大学 響流館 3F 演習室4
*地下鉄烏丸線「北大路」下車、6番出口上がってすぐです。

●末木文美士氏『日本宗教史』(2006年、岩波新書)
・Ⅱ神仏論の展開〔中世〕 P70~121

 前回の輪読会では、自分の力不足のために議論に発展できるような意見が示せず、私がお世話になっているゼミの木場明志先生や先輩にだいぶ助けていただきました;;学生の参加者は私を含めると4人でしたが、何とか担当者の人数は揃ったので続ける事ができそうです。
 以前、学生達がこのような輪読会を行う事が珍しくなかったというのは初めて知りました。自分がこのような活動を行う機会に恵まれた事を感謝せねばと思います。今後もこの輪読会を続けられるように努力したいです。

今年の中世史サマーセミナーは鹿児島で。

No.6081

 1960~70年代の大学生は、岩波文庫などでよく討論の機会をもったものです。
 私の場合は、高校時代に仲間たちと読んだ高島善哉『社会科学入門』(岩波新書)から、とても大きなインパクトを受けました。
 受け身の授業だけでは自ずと限界がありますね。
 
 まだ年度が終わっていないにも拘わらず、目下、科研の報告書づくりに追われておりますが、大方の御助力を得て、何とか見積もりをとれる段階まで到達。一安堵したところです。
 しかし、<中味>が問題!

 ☆ 本日、鹿児島大学法文学部の金井静香先生より御高論「鎌倉後期~南北朝期における荘園領主の変容-本所と中世国家-」を御恵送いただきました。
 金井先生にあつく御礼を申し上げます。

 ちなみに、同じ鹿児島大学の教育学部におられる日隈正守先生からは、本年度の中世史サマーセミナーが鹿児島で開かれるとのお知らせをいただきました。
 鹿児島での開催は15年ぶり。前回開催の時は私も鹿児島におりましたので、事務局を担当された柳原敏昭先生のお手伝いを少しばかりさせていただきました。あの夏、鹿児島は500年に一度といわれる程の大豪雨の直後、交通網が寸断された中での開催で、柳原先生と鹿児島の若い研究者の方たちの御尽力には頭が下がる思いでした。
 今年は一日目に、持躰松遺跡関係、鹿児島神宮や大慈寺(志布志)の交易関係の報告がなされ、二日目は志布志の大慈寺(文書・宝物)・宝満寺跡・志布志城跡出土遺物・山宮神社・波貝の湊・下伊倉城跡など、三日目は鹿児島神宮(文書など)・神宮寺・神官館跡出土遺物などの見学を行う予定とのことです。
 鹿児島に行ったことのない方は、ぜひこの機会をお見逃しなく。

 書信といえば、神戸大学の髙橋昌明先生の最終講義の御案内をいただきました。高橋先生とはじめてお目にかかったのは、先生が40歳代になったばかりの頃。
 あれから、もう四半世紀近く経過したのかと思うと、時の流れの速さに戦慄を禁じ得ないものがあります。 

『吾妻鏡』講読会のご案内

No.6082

 今週は気が付くとすでに木曜日が過ぎ去ろうとしております。遅くなってしまいましたが次回の『吾妻鏡』のご案内です。

 日時:2008年2月4日(月)13:00~(予定)
 場所:京都女子大学L校舎 3階 宗教・文化研究所共同研究室
 範囲:『吾妻鏡』貞永二年四月十五日、十六日、五月十九日、二十七日、六月十九日、七月九日、二十日、八月十八日、九月十八日、二十四日、二十八日、二十九日、十一月十日、十二月二十九日の各条
 (※掲出した範囲以外に「これは」という条文があれば、随時お知らせ下さい。)

 講読会ですが、2月4日(月)、21日(木)、29日(金)と開催予定です。新規メンバー随時募集中ですので、オフシーズンに史料講読に取り組んでみようという方は、まずは見学からでもお気軽にご参加下さい。

ゼミ機関誌『紫苑」第6号予告 !

No.6076

>田中さん  鈴木君・永富さん結婚祝賀大イベントの幹事受諾、ありがとうございます。
 一生の思い出となるような、好企画、ぜひ宜しくお願いいたします。

>鈴木君  カウンターの調整、ありがとうございました。このところ、HPで機能しているのはBBSのみ、と言った感じだったのですが、『紫苑』第5号のアップロードは慶賀にたえません。優れた論文に貴重なデータも収録されていますから、学界に寄与するところも大きいと自負するところです。
 なお、時間に余裕のあるときに、HPの一層の充実を宜しくお願いいたします。

 さて、『紫苑』第6号の構成案がまとまりました。

   論文
   鎌倉幕府侍所覚書・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・岩田慎平(関西学院大学大学院研究員)

  研究ノート
   鎌倉幕府御所の空間について・・・・・・・・・・・・・・・・満田さおり(京都女子大学大学院生)

   鎌倉将軍家の女房について-源氏将軍期を中心に-・・・小野 翠(京都女子大学4回生)

   蟹満寺縁起・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・江波曜子(同3回生)

  活動記録/ 旅行記/ あとがき

といったラインナップで、これまでで最大の本文85ページになる予定です。
  執筆者ならびに編集長の山岡さんは、よく頑張って下さいました。完成までもう一踏ん張り、宜しくお願いいたします。

 ☆ 本日、大阪工業大学の大村拓生先生より、御高論「中世渡辺津の展開と大阪湾」(『大阪の歴史』70)を御恵送いただきました。
 27日の中世戦記研究会における生駒さんの御報告にも関係する内容だと思います。
 大村先生にあつく御礼を申し上げます。

機関誌『紫苑」第5号アップロード!

No.6078

ただいま更新しました。

http://donkun.ath.cx/~sion/organ/
よりアクセスしてください。

なお、ページ数多い&スキャナの性能が悪いのでファイルサイズが18MBと大きくなっています。
画質も粗くなっていますので、パソコンのモニタではなく、印刷されてから読まれる事をお奨めします。

ありがとうございました。

No.6079

> 鈴木君  お忙しいところ、どうもありがとうございました。
  PCのモニタでも十分に読み取ることが出来ると思います。
  多くの方に、御一読を頂ければ幸いとするところであります。

 さて、本日は久しぶりの『吾妻鏡』、また岩田君が美味しいコーヒーをご持参下さいました。また、小野さんからは熊野旅行のお土産。ご馳走様でした。
 残念だったのは、みんなが楽しみにしていた山本君の御出座の無かったこと。
 なお、来月の『吾妻鏡』は普段と異なった日程で行う予定です。来週は入学試験前日につき、ありません。

 『紫苑』の見積もりを事務方にお願いしました。つぎは科研の報告書です。時間との闘いです。またしわ寄せが出てきてしまいそうです。
 なにしろ忙しい。
 テレビ(ローカル局です)出演の御依頼もおことわりしました。

> 永富さん 「ひゃっほぅ♪」っていうのは、心底楽しそうな表現でいいですね。
  田中さんは「田中姐さん」。だとしたら、鈴木夫人である永富さんは何とお呼びすべきか?

『吾妻鏡』の再開

No.6068

 しばらくお休みをいただいておりましたが、『吾妻鏡』も再開致します。新しい年、新しい気持ちで何かを始めようという方(新規メンバー)を随時募集中ですので、まずは見学からでもどうぞお気軽にご参加下さい。

 日時:2008年1月21日(月)13:00~(予定)
 場所:京都女子大学L校舎 3階 宗教・文化研究所共同研究室
 範囲:『吾妻鏡』貞永元年十一月九日、十三日、十六日、二十八日、二十九日、十二月五日、二十三日、二十四日、二十九日、
         貞永二年正月十三日、四月十五日、十六日、五月十九日、二十七日、六月十九日、七月九日、二十日、八月十八日、九月十八日、二十四日、二十八日、二十九日、十一月十日、十二月二十九日の各条
 (※掲出した範囲以外に「これは」という条文があれば、随時お知らせ下さい。)

 昨年末に、『なお、1月7日(月)は13:00が『紫苑』の原稿締切ですので、執筆者のみなさんは遅れないように気を付けましょう(私も気を付けます)。』と書いておきながら、執筆者のなかで私だけが遅れるという大失態を演じました。年初から最低です。
 しかし、前を向いてがんばっていこうと思います。

『吾妻鏡』講読会の成果は大きい。

No.6070

 岩田君、昨日の部会報告、お疲れ様でした。
 出席者も多く、充実した研究会であったという情報が伝わっております。
 『日本史研究』掲載の「討論」は、長村君が執筆されるとのこと、ゼミメンバーのますますの活躍はよろこばしい限りです。

 さて、『紫苑』第6号ですが、山岡編集長の御尽力によって、早々のうちに見積もりがとれそうです。山岡さん本当にありがとうございます。
 岩田君は謙遜していますが、今号は岩田君の幕府侍所に関する論文を筆頭に、将軍御所の空間を解き明かした満田さん、未解明な部分の多い幕府の女房にせまった小野さんの研究ノートなど、従来の鎌倉幕府認識に再考をせまるほどの内容をもつ素晴らしいラインナップで、大満足です。これまでコツコツと積み重ねてきた『吾妻鏡』講読会の成果が結実した構成となりました。目次は追って告知したいと思います。

 ところで、27日の中世戦記研究会ですが、本日、『台記』研究会の席上、佐伯君から正式に参加の意思表明がございました。伊藤さんも確実に参加されますが、ほかに参加希望の方がおられましたら、お知らせをお願いいたします。
 ちなみに、小生担当の輪読ですが、御期待に応えられるものか、あやしくなってまいりました。

 本日は『台記』研究会の後、四条花見小路で、米国はハーバード大学から御上洛の日本史の先生を交え、元木先生・美川先生と小宴。久方ぶりにとても楽しい一時を過ごすことが出来ました。アメリカの大学における「歴史学」の位置づけがよく分かりました。

 ☆ 平安時代研究の泰斗、山中裕先生より新刊の御高著『藤原道長』(人物叢書)を御恵送いただきました。山中先生にあつく御礼を申し上げます。 

【追記】大森さんがイタリアから帰国されました。
    落ち着かれた後、また『吾妻鏡』講読会に参加してくださるとのことです。

日本史研中世史部会で岩田君の報告

No.6066

 今月第3週のゼミ活動はお休みですが、代わりにこれがあります。
 ゼミメンバーは、ぜひ御出席下さい(私は残念ながら行けないのですが)。

 日時 :1月15日(火)18:30~
 場所 :機関紙会館3F
 報告者 :岩田慎平氏
 論題 :「頼家・実朝将軍期における鎌倉幕府の運営形態について」
 参考文献 :黒田俊雄「鎌倉幕府論覚書」(『日本史研究』70、1964年、『黒田俊雄著作集第一巻       権門体制論』(法蔵館、1994年)に再録)
        岩田慎平「草創期鎌倉幕府研究の一視点―奉行人を中心に―」『紫苑』4、2006年。
・・・・・・・・・・・・・・・・・

 >山本君 修論、大詰めだと思います。身体をこわさないようにして頑張ってください。

がんばります

No.6067

>野口先生 
 宣伝していただきましてありがとうございます。
 最近、身近な仲間が長年の成果をもとに画期的な研究発表をされたのですが、せめて私も恥ずかしくない報告を心掛けたいと思います。

無事提出しました。

山本陽一郎
No.6069

 先日、修論を大学の方へ無事何とか提出しました。
まだ来月の試問が残っているので、安心はできませんが、とりあえず提出できたことで今はホッとしています。
 
 ところで今年の大河ドラマである『篤姫』を、まだ二回ですが、久々に楽しんで観ております。宮崎あおいさんが、かわいいというのもあるのですが、『篤姫』のガイドブックなどを見ると、中央の政治史(将軍家後継争いなど)もきっちり盛り込まれているみたいで、また久々に期待が持てる豪華キャスト(高橋英樹や江守徹、草刈正雄、中村梅雀など)で、これぞ大河ドラマの王道という感じです。しかしドラマを観ながら、野口先生の武士認識に多大な影響を与えたという鹿児島県(薩摩藩)にも興味が湧いてきて、2005年のゼミ旅行の薩摩ツアーに、多少無理してでも参加しておけばよかったなと今になって大変後悔しております(泣)。

山本君、お疲れ様でした。&『驚姫』。

No.6071

 修士論文の提出、まずはおめでとうございます。
 しばし、休養し栄養をつけてください。京女A地下の欧風ランチくらいなら、ご馳走しますので、遊びにお出で下されたし。
 これから、口頭試問に備えてひと勉強といったところですね。そもそも山本君が創始者である『吾妻鏡』講読会もお役に立つと思いますよ。

 大河ドラマの『篤姫』ですが、たしかに面白い。私が鹿児島に赴任した翌春にはじまった『翔ぶが如く』のような暗さが無くて良い。ただし、幕末の摩藩の武家の娘が、あのような行動をとれたかというと、相当疑問です。その点からいえば『篤姫』ではなく、『驚姫(おどろきひめ)』というタイトルが適切だと思った次第です。
 歴史学のフィールドとして鹿児島は実に魅力的な土地です。山本君もぜひ、訪れてみてください。赴任先という手もありますよ。

 ちなみに、篤姫とその時代について御関心のあるむきには、ともに鹿児島ゼミ旅行の際に大変お世話になった徳永和喜先生(黎明館)の『天璋院篤姫』(新人物往来社)と寺尾美保先生(尚古集成館)の『天璋院篤姫』(高城書房)をお勧めします。

掲示板に甦った山本さん

No.6072

 …という思いを抱きました。山本さん、お疲れさまでした。また掲示板でいろいろな(喜)(怒)(哀)(楽)(泣)(笑)を表現してください。
 ひと休みして落ち着かれましたら、次の月曜の『吾妻鏡』などにもぜひおいでくださいね。読みながらまた力の抜けた意見交換しましょう。

こういうときは田中さん!

No.6073

 「甦った」などとホラー映画みたいです。もっとも、山本君にはクラーク・ケント(スーパーマン)説がありましたね。米澤君がやはりスーパーマンなのでしょうか。
 山本君には、私からも21日の御来臨をお願いしておきました。ご馳走しますよ!
 「脱力系」の方々の意見交換は楽しみですね。

 昨日は「現代社会論Ⅱ」の最終講義と試験を行いました。授業アンケートもあり、300人以上の受講生なので、伊藤さんに応援を依頼。答案にはみんなびっしりと書いてくれました。
 火曜日にはキャンパスプラザで「平安~鎌倉時代の京都」の試験も済ませました。こちらも答案を拝見すると、私の講義内容をよく理解してくれたようで、うれしく思っています。私は、試験というのは、受ける側よりも、むしろ課す側の成績があらわれるものだという認識をもっています。

 うれしいと言えば、茨城大学の高橋修先生より、拙著『源氏と坂東武士』(吉川弘文館 歴史文化ライブラリー)の書評を『茨城大学中世史研究』に掲載して下さる旨のお知らせをいただきました。
 有り難いことです。
 当方からも『紫苑』に「水戸旅行記」を掲載する予定があるとお知らせしておきました。
 岩田君よろしく。

 さらに、うれしいと言えば、鈴木君・永富さんの結婚式・披露宴が3月23日(日)に正式決定。詳細は当BBSの管理人である御本人たちから、告知があるかと思います。
 それで、式後の少し後の時期をえらんで、当ゼミとしても、草創期以来のメンバーにも集まっていただき、何か祝賀行事を挙行しようではないかという話が当然の如く持ち上がっております。
 かかる国家的?大祝賀イベントの幹事(「上卿」)ともなれば、田中さんをおいて適任者はいない。ぜひ、よろしくお願い申しあげる次第であります。

 それから、ついでに鈴木君に業務連絡ですが、HPトップページのカウンターの数字がおかしくなっているようです。

お久しぶりの

田中裕紀
No.6074

呼ばれて、飛び出て・・!です。
大祝賀イベント幹事、承りました☆
しっかりがっちりたっぷり、お祝いさせていただきます。

そして山本さん、修論提出おめでとうございます&お疲れ様でした。
中間報告も聞きたかったです。しばしの休息の後、上記祝賀イベントには
ぜひともご参加下さい。

カウンタについてとその他

No.6075

野口先生

カウンタの修復は昨晩完了しました。
イベントの告知については、もうそろそろやりますので、お待ちください。

紫苑第5号アップロードお待ちのみなさまへ
PDF化のめどが立ちました。今日、明日の間にはアップロードできるかと思います。
遅くなって申し訳ありません。

ひゃっほぅ♪

永富 絵里子
No.6077

なんだか知らないうちに祝賀イベントの企画が・・・!!
最近ゼミにはすっかりご無沙汰してしまっているにもかかわらず、お祝いしていただけるなんてとっても嬉しいです♪♪ありがとうございます



田中姐さん>手作りリングピローに加え、幹事まで・・・!本当に重ね重ね感謝感謝です



新春の明と暗

No.6065

 お正月明け、連日のハードワークが続いた後、少しばかり時間がとれたので研究会の資料づくりに取り掛かろうとした矢先、いつものパターンですが、はるか大昔に書いた原稿の校正刷りが届きました。アリ地獄に落ちているようなものです。

  このところ、国内外の友人・知人からは、人種差別からイジメ・パワハラまで、嫌な話ばかりが伝わってきます。そこには、一部の人たちが自身の拠って立つところを見失い、本来なら連帯すべき人たちに刃を向けている図式が浮かび上がります。本来立ち向かうべき相手はほくそ笑んでいる。そんなことが身近なところでも感じられる悲しい時代になりました。

 とはいえ、元気に、真摯に、たくましく学問に立ち向かっている人たちも健在です。『紫苑』には素晴らしい原稿がたくさん寄せられています。最近、ゼミメンバーの中に、もう確実に自立した研究者としてやっていけるだけの実力を身に付けた人が育ってきたように思います。心強いことです。

 以前、私の二人の曾祖母の命日のことを書きましたが、今日は母方の祖母の命日です。1991年、私は鹿児島にいました。その前年の暮れに体調を崩した私は、原因不明の高熱を発し、正月二日から鹿児島大学附属病院に一週間程入院していたのですが、祖母の死はまさに病気が回復したその直後のことでした。その時は、本当に身代わりになってくれたように思いました。
 この祖母は何代か前に盲目の学者が出たという上総の名家の生まれで、幼い頃に里子に出されて苦労したり、また、娘時代には旧大名家に行儀見習いに行かされたりしたなどという話を聞いたことがあります。小学校高学年の頃だった思うのですが、ほんのちょっとのことで外出するときにも儀式に出掛けるかのようにキチンと身支度を調える祖母に、ぐうたらな私は悪口を吐いたことを覚えています。バカ孫でした。

 さて、ゼミですが、先日7日には、『紫苑』の編集の仕事や原稿の提出にみえた、山岡さん、岩田君、小野さんに、新婚ホヤホヤの鈴木御夫妻も加わって、ちょっとした新年会気分でした。山岡さん・鈴木御夫妻からは伊予松山・京都東山、それぞれ名代のお菓子のお土産をいただきました。
 ちなみに、これらのお菓子はその後の研究会などで消滅。目下、研究室には九日に元木先生からいただいた聖護院のお菓子がございます。元木先生ありがとうございました。 

 ○ 本日、高知大学の市村高男先生と茨城大学の高橋修先生の御連名で、市村高男編集・茨城県立歴史館編『中世東国の内海世界』( 高志書院)を御恵送いただきました。
 市村先生・高橋先生に、あつく御礼を申し上げます。

 ※ 今年はゆえあって、年始の御挨拶が遅れております。なにとぞ、御容赦下さい。 

第2回「国家と宗教」輪読会のご案内

No.6063

 おくればせながら、新年あけましておめでとうございます。
昨年の24日にあった岩田さんのご報告は、ただ拝聴する事しかできませんでしたが、メンバーの方々のやりとりは、自分にとってとてもよい刺激となりました。
ギリギリになってしまったのですが、その時に申し上げた勉強会のお知らせをさせていただきます。

日時:1月15日(火) 18:00~

場所:大谷大学 響流館 3F マルチメディア演習室
*地下鉄烏丸線「北大路」下車、6番出口上がってすぐです。

●末木文美士氏『日本宗教史』(2006年、岩波新書)
「はじめに」「Ⅰ.仏教の浸透と神々〔古代〕」(P1~66)の輪読
担当者:青木友里(大谷大学文学部史学科 3回生)

 このような勉強会を開く目的として、「『国家と宗教』というテーマをとおして、時代や分野を越えた幅広い視点をもって自身の研究を深めていく場を皆でつくっていく」事を掲げております。学年や学校を問わず、一人でも多くの方にご参加いただければと思います。

1973年に大学を出た大学教員の感慨。

No.6064

 学部生が「新書」を対象にした読書会を自主的に開催するというのは、今から35年くらい前には各大学で普通に見られたことだったのですが、当節は絶滅かと諦めていました。

 私は大学の教育で最も大切なのは、こういう、学問に主体的にとり組もうとする意志を学生さんたちに涵養することだと考えています。その意味で、青木さんとそのお仲間の方たちの存在は嬉しい限りです。

 若い人たちには、大いに学び、悩み、論じあってほしいと思います。

 多くの学部生が参加されること、そして、この勉強会の発展を期待するところです。 

正月五日

No.6062

 ようやく「承久の乱」を脱稿。先程、原稿とFDをポストに投函してきました。慈光寺本『承久記』を現代語訳して、さらにそれを圧縮したに過ぎない内容ですが、執筆中にいくつか新たな発見があり、よい勉強になりました。しかし、以前は、原稿執筆中に生じた疑問について徹底的に究明したものでしたが、最近はその辺りのエネルギーが薄れてきて、満足のいくものが書けなくなってきたように思います。そのうえ締切すら守れない。若い頃は厳守していたのですが。

 締切といえば、『紫苑』の原稿、いよいよ明後日(7日)正午までですから、万難を排して宜しくお願いいたします。実はすでに、原稿も付図もレイアウトの指示も完璧に済ませた執筆者がおられます。しかも、内容は抜群に良い。もちろん形式も整っているし、誤字脱字もない。
 研究者の卵はかくあるべしです。 

  これから、またすぐに別の原稿に取りかからなければならないのですが、とりあえず年末年始を寝込むことなく乗り切れたのは幸いでした。私は鹿児島と千葉で一度ずつ、年末年始を病院で過ごしたことがあります。ちなみに、私の幼・少年期に健在だった曾祖母二人の命日は十二月二十六日と正月五日で、私もいずれそれを踏襲するかも知れません。

 十二月二十六日に亡くなったのは母の父の母。正月五日に亡くなったのは父の母の母です。ですから、今日は父方の曾祖母の四十何回忌かにあたります。たしか、私が小学校の五年生の時だったと思いますが、母や妹と消防出初め式を見に行った千葉公園に、叔母が自ら曾祖母の死を知らせに駆けつけてくれたことを覚えています。
 曾祖母の死因は、餅を喉につまらせたことによる窒息でした。耳は遠いものの、とても元気で、杖をつきながら町内を歩き回り、いつもご近所の縁側で話に花を咲かせているというような人でした。食べることが大好きだったので、私は子供心にも殉死のような幸せな死に方だったのはないかと思ったことでした。
 それにしても、曾祖母がもう一世紀とすこし後に生まれていたら、きっとどこかの誰かさんたちのように、ブログにやたらに自分の食べたご馳走の写真をupして、ストレスに苛まれて胃腸の具合の悪くなった中高年のオジさんたちをゲンナリさせたことでしょう。
 彼女は、房総半島は九十九里の浜育ち。生まれは慶応年間。明治・大正・昭和をどのような思いで生き抜いてきたのか、今さらこれを問う術はありません。享年は九十四歳でした。

 ※ 今年はゆえあって、年始の御挨拶は松の内が開けてから、お送りするつもりでおります。なにとぞ、御容赦下さい。