そこが人文系研究者稼業のつらいところよ

No.6985

 娑婆の方たちと生活形態を異にする点で言えば、私どもは渡世人と一緒でございましょう。

 『男はつらいよ』の寅さんが、妹のさくらに、「今度のお正月くらいは柴又で・・・」と勧められても、そうはしたいが、「そこが渡世人の辛いところよ」というセリフをのこし、大きなカバンをぶら下げて旅に発つ。これは、まったく私どもと同様に思えるわけでございます。

 私どもには季節感を楽しむ余裕などございません。クリスマスもお正月も関係なく、ただひたすらPCをうつ毎日。それが人生の本務ですから仕方はありませんが、昔はまだ余裕がございました。今は周囲に遠慮しないで原稿書きに専念出来る季節といったら、年末年始くらいしかなくなってしまいましたからねぇ。

 そのお正月も終わってしまい、この間に仕上げようと予定していた二つの論文のうち、一つは完成、発送に漕ぎ着けたものの、もう一つは未だに七割程度。しかも不本意なる内容。それなりに身を削る思いで奮闘努力しているのではございますが、削ったはずの身は運動不足で肥え行くばかり。なんと理不尽な話ではございませんか。

 という次第で、例の論文集の掲載原稿、まだ未提出です。岩田君、長村君は如何ですか?

 ◎ 本日、山本さんは郷里で成人式とのこと。おめでとうございます。
  お酒のお誘いにはくれぐれも気をつけて下さい。

【追記】 トップページの今月の予定に、12日に『吾妻鏡』講読会があるように書いてしまいましたが、当日はⅤ講時に試験が予定されていますので、講読会はありません。
 かわりに、有志による『紫苑』の編集会議が行われます。

「デラ中」とは何か。50字以内で答えなさい

No.6984

 本学の平成22年度「一般入試前期」「大学入試センター試験利用入試前期」の出願受付は、すでに開始されています。くわしくは下記を御参照下さい。
      http://www2.kyoto-wu.ac.jp/detail.cgi?target=0&news_id=519  

 新年度の前期、私は今年度同様、現代社会学部1回生の基礎演習を担当させて頂く予定です。どんな学生さんにお目にかかれるか、今から楽しみです。

 当方の研究所ゼミへの参加を目的にして、京都女子大学に入学してくれる人が出てきたら、それはもう最高なのですが。

 ちなみに、今日はA地下で「デラ中」でした。京女の人以外には意味不明かも?

 いよいよ、明日から講義再開です。
 
 【追記】 関西から新幹線で千葉方面にお出かけの場合は、品川乗り替えが便利です。

キャンパスプラザ京都と京都勤労者学園

No.6983

 山本さんから『紫苑』の原稿が出そろったとの報告を頂きました(一太郎のファイルも事務に練達されているお母様の御助力を得てワードで開けたとのこと)。
 来週早々のうちに事務方にお願いして見積もりをとりたいと思います。
 ちなみに、山本さんは、9日午前の講義に出席するために日帰りで上洛し、それから地元で成人式に出席されるとのことで大変です。
  
 今日は、研究室で「さて、一仕事」と思っていたところ、教務課長さんから、来年度の授業を京都市内の大学に中継・配信することを依頼されました。大学コンソーシアム京都の事業の一環だそうです。「授業は対面に限る」というのが私の確固たる持論なのですが、何事も経験であり、メリットも見いだせそうなのでお引き受けすることにいたしました。後期開講の予定です。

 講義といえば、ラボール学園(京都勤労者学園・京都労働学校)から、例年のように新年度の「日本史講座」への出講の依頼を頂きました。今回の統一テーマは「検証・京の転換点(ターニングポイント)」。
 私は5月24日(月)に「源頼朝と京都-なぜ、鎌倉を去らなかったのか-」というテーマでお話をさせていただきます。「去った」(もちろん、京都に)可能性は十分にあったという内容です。
 なお、ほかの先生方(美川圭先生や山田邦和先生をはじめ、関西のオールスターキャストです)の講義テーマなどについては、後日、お知らせしたいと思います。

 本日のA地下食堂は高校生でいっぱい。その中で、学長も食事をしておられました。

 大学宛てにお送り頂いた年賀状は本日拝受。ありがとうございました。

Re: キャンパスプラザ京都と京都勤労者学園

山田邦和
No.6986

>ほかの先生方(美川圭先生や山田邦和先生をはじめ、関西のオールスターキャストです)

すみません。
指定された日時には、同志社大学の講義が重なってしまっており
(同志社大学では夜の授業〈変な意味ではありません!〉もある)、
今年のラボール学園はお断りせざるをえませんでした。
あしからず、ご了承くださいませm(_ _)m。

『中世前期女性院宮の研究』を頂いて。

No.6982

 ここ数日、自らの文章表現力の乏しさにウンザリさせられております。大学院生の頃に書いたものの方がずっと良い。これは手書きであったこともありますが、何よりも意欲の差によるものであろうと思います。私など問題外ですが、若い方たちは、往年のすぐれた研究者たちが何歳の時にどのような論文を執筆したのか、調べてみると良いと思います。

  ☆ 明治大学の山田彩起子先生より、御高著『中世前期女性院宮の研究』(思文閣出版)を御恵送頂きました。博士論文の御公刊です。まさに意欲溢れる論文が並んでいます。「あとがき」を拝見すると、院生時代には、聖心女子大学・慶應義塾大学・学習院大学・東京大学などで開かれた記録の講読会に参加された由。やはり、自ら学んでいく場を開拓する気持ちがなければ、学問は大成しないのだと思います。
 かつて、私が学位を頂いた際、恩師の一人である岡田章雄先生から、博士論文の次の作品が研究者としての評価の分かれ目であるというお言葉を頂戴致しました。
 山田先生の今後の御活躍に期待したいと存じます。
 御恵送にあつく御礼を申し上げます。

 ☆ 広島大学の渡邊誠先生より、御高論「年紀制の消長と唐人来着定-平安時代貿易管理制度再考-」(『ヒストリア』217)・「日本古代の対外交易および渡海制について」(専修大学社会知性開発研究センター『東アジア世界史研究センター年報』3)・「平安末・鎌倉初期の宋銭流通と国家」(『九州史学』153)・「年紀制と中国海商-平安時代貿易管理制度再考-」(『歴史学研究』856)を御恵送頂きました。
 もはや、日本史の枠をこえた東アジア史。旺盛な御研究ぶりに敬意を表します。
 渡邊先生にあつく御礼を申し上げます。

 当ゼミ出身者からも、いよいよ学位請求論文を提出しようとする方があらわれようとする段階になりました。博士号は、最近の風潮を反映して日本国内では評価は低いのですが、海外では恐ろしい程高い評価を受けます。そもそも、現実的には研究職につく前提でもあります。しっかり頑張ってください。

論文に行き詰まって、年賀状談義(2)。

No.6981

 いよいよ京都女子大学の年末年始休日は終了。冬期休暇は6日までですが、そろそろ学務始動という次第です。

 お正月休みのうちに仕上げたかった論文は、やはり時間不足(学問や研究は「時間さえあればできる」というものではありませんが、時間がなければ確実にできません!)。出版社や編者の先生はもとより、すでに脱稿・提出された共著の方々に御迷惑をお掛けすることを怖れるばかりです。

 ところで、いただいた年賀状ですが、先に御紹介( >>No.6979)したもの以外にも、考えさせるもの、お手本になるもの、面白いものが沢山ございました。

 同業の先輩方からは、そろそろ定年というお知らせが多く、些か寂しいのですが、一方で若い同業者の方からは長いフリーター生活を嘆く声もありますから、円滑なポジションの交代が必要なのかも知れません。

 しかし、なによりも健康が第一で、左手書きで、脳出血後のリハビリ生活を語って下さった方もおられます。明るい内容ながら、筆跡が日々の闘いを伝えてくれました。南極旅行にもチャレンジするような方なので、きっと完治されることと思います。

 高校生の時の古典の先生からは「八十二才、元気です」の一言。ホッとさせられます。

 私が高校教員をしていた時の教え子も、もうかれこれ40代半ば。すでに子どもさんが高校に進学という人も出てきました。

 大学の教え子からは、ついにバツイチの知らせが。でもバツは世間の物差し。御本人は一時の落胆を克服して至って意気軒昂。自立のために資格を取り、すでに就職先も確保した由。「アカデミア・サバイバル」とか「高学歴ワーキングプア」などという言葉に踊らされて前途を悲観している一部院生諸君は、この前向きな姿勢を見習うべきでありましょう。

 その一方で結婚のお知らせも。中にはファッション雑誌のグラビアを思わせるようなカレシ(彼氏)とのツーショット写真のものもあり。妬みを招きそうですよ(笑)。

 それから写真で多いのが、海外の旅行先で撮影されたもの。けっこう一人旅に出掛けられた人も多いようで、さすがは野口ゼミの出身。私は未だに1996年5月、アジア歴史学者会議でバンコクに出掛けたのが唯一の国外旅行だというのに(しかも保護者同伴で)、最近の若い女性は凄い。
 
 一番こわい年賀状は出版社の編集者の方からのもの。
 「○×△□お待ちしています」というやつです。でも、尊敬する同業の大先達は、40年以上も、かかる年賀状を受け取り続けておられるとのこと。見習いたいのですが、私の場合は、身捨てられるか、寿命が保たないかです。

 愛犬・愛猫の写真も多かったのですが、犬に車を運転させているのもありました。寅は飲酒運転になるが、犬の場合は?(答えを知りたい人はメールにてお問い合せ下さい)

 それにしても、年に一度の年賀状だけで半世紀近く繋がりを保っている人もありますから、この慣習は長く続いてほしいと思います。
 「今どき、メールだ・・・」な~んて言っている人は、後できっと後悔しますぞ。

足立氏と籐九郎盛長について

足立 勗
No.6980

ご無沙汰いたしております。
昨年末、今まで見たこともない足立氏の系図を発見いたしましたので紹介いたします。
それは鈴木真年編静嘉堂文庫蔵『百家系図』六十二というものですが、この系図の中では安達籐九郎盛長は次のようにかかれています。
   高藤ー定方ー朝忠- - - - - 忠兼T遠兼ー遠元

                  |
L 実兼ー景盛ー
                     「籐九郎入道」
                      後盛長改
メールではうまく表示できませんが、要するに遠兼の弟となっているのです。
そもそも研究者の間に流布している「丹波国佐治庄地頭足立系図」が世に出たについては次のようないきさつがあったといいます。昭和四十六年に「足立氏の先祖を語る会」が開かれ、そのときの速記録を手に入れました。それによると現丹波市青垣町山垣の足立九郎兵衛氏が、その本家が村を離れるときに紙くずとして捨てていたものを拾ったことから始まります。
彼はその紙くずを報恩寺に持ち込み住職に清書してもらったそうです。それが後に東大歴史編纂所に収蔵されたといいます。
 此の「百家系図」が信頼できる根拠は遠元の子とされている遠光の傍注に書かれた「先子父死去」の文言に私が疑問を抱いたところから始まります。此の系図では「先于父死去」となっているのです。これは『尊卑分脈』の佐々木系図の盛綱の曾孫の資実が「先于父死」と書かれて、信重の子でありながら「為祖父子」と書かれているのに相当するものだったからなのです。
 此の系図は『尊卑分脈』の模倣でない証拠に山陰流ではなく高藤流であることです。そして一般に流布している山垣系のものと違って、天正時代に福知山市夜久野町直見に逃れた足立氏の子孫から明治時代に採集されたものであろうと考えられ、足立氏系図としては全く新しいものです。
とりあえずご報告まで。現在私のメールは使用不能です、念のため。

トラ年のネコたちと年賀状。

No.6979

 年明けに呼応するかの如く、新しい論文(と言っても、締切は昨年末のもの)に取り組んでおります(昨夜はサボってBSで「マイ・フェア・レデイ」を見てしまいましたが)。
 予想通りに、書いた紙数の数倍の勢いで順調に体重は増加しております。

 今年はトラ年ですが、当家の白ネコ母子はネコ科に属するトラが十二支に入っているのに、その本家本元であるネコ様がこれに漏れていることに不満を抱いているらしく、新年になって、あまり機嫌が良くありません。

 もっとも、今年で母(名はペン)14歳、娘(クゲ)13歳の高齢ネコでありますから、そうそう人間の機嫌をうかがう元気も失せてくるのは理解できるところです。しかし、娘ネコのおクゲさんは、このところ認知症気味で粗相・徘徊が多くなり、困りものです(明日の我が身を見るようで、他人事とは思えません)。

 このおクゲですが、「ネコ年がないのなら、自分が虎になってしまおう」と思ったらしく、電気ストーブにはり付いて、見事な黄色い焦げ目を作りました。おクゲ変じておコゲです。
 画像を掲示できないのが残念です。


 ※ さて、今年もたくさんの年賀状をありがとうございました。

 御結婚・御出産・学位論文提出、それに「中古住宅を購入しました」といった慶事から、転職、お引っ越し。なかには、学芸員として就職したはずなのに、なかなか博物館が建たなかったのが、17年目にしてようやく完成したという御報告もありました。
 いろいろ大変な局面に遭遇している方もおられますが、ものは考えよう。
 「子育て、ヘトヘトですが、これ程面白いものもありません」・・・こういう人を見習いたいものです。

 それから、「京都になかなか行けない」と残念がる人もいれば、「昨年は結局、東京-京都間を52回往復しました」という方も。

 また、この掲示板を毎日読んで下さっているという方もたくさんおられました。中には、記事内容についての御心配も。
 もちろん、私の書いたものに対してではございません。 

 >大谷さん 山本さんに送信された『紫苑』の原稿ですが、一太郎では開けないとのことですので、当方に添付ファイルでお送り下さい。

こいつぁ、春から・・・「法住寺殿」!

No.6977

 あけまして、おめでとうございます。
 今年も宜しくお願い致します。
 ゼミの今月の予定はすでにトップページに掲出しました。『紫苑』の編集作業も始まります。

 元日の分厚い新聞を開くと、「法住寺殿の建物跡か」という見出しが目に飛び込んできました(京都新聞)。京都国立博物館敷地で法住寺殿の遺構が出土したことは既報なのですが(読売新聞2009,12,8)、この記事では、後に豊臣秀吉が建立した方広寺のプランが法住寺殿の区画の影響を受けていた可能性があるという、京都市埋蔵文化財研究所の見解が報じられています。
 イデオロギー的な側面から、秀吉がこの地に執着した可能性については、以前書いたことがあるのですが(「法住寺殿造営の前提としての六波羅」髙橋昌明編『院政期の内裏・大内裏と院御所』文理閣)、区画も踏襲していたとなると、殿舎配置などを明らかにする手がかりが得られることになるかと思います。
 今年も「郷土史」(?)の一環として、法住寺殿を考えていきたいと思います。
 6月の公開講座では、京都・六波羅と北条氏との関係がテーマになります。こちらも楽しみです。

『小右記注釈-長和三年正月』などなど。

No.6976

(1) オヤジ研究者の年末年始

 年末締切を厳命された二つの論文のうち、一本がようやく形になりました。あと一本をのこる一日で書くのは、まぁ無理でしょうね。
  といった次第で、大掃除も正月の準備の手伝いもせず、顔も洗わずに、書いては食べ、食べては書くという毎日を送っております。
 書いた枚数と増加した体重が相関関係にあれば幸い。しかし、たいていの場合、体重ばかりが増えるわけであります。


 (2) 『古代文化』第61巻第3号の紹介

 『古代文化』第61巻第3号(季刊)が刊行されました。
 今号の巻頭論文は、大日方克己「院政期の王権と相撲儀礼」。
 政治史的分析を踏まえながら、院政期の相撲節会の特質を論じた大作です。私も昔、院政期の相撲人と武士との関わりに注目した論文をまとめたことがあるのですが(『中世東国史の研究』所収)、相撲節廃絶の事情など、なかなか考えが及びませんでした。この論文は、そのあたりも見事に解明しています。
 宮廷儀礼の研究としても秀逸で、昨年、建築史の視角からこの問題に取り組まれていた満田さんには、ぜひお読み頂きたいと思います。もちろん、現在、『小右記』講読会に参加されている国文の院生さんをはじめとする皆さんにも。

 研究ノートとしては、宮田敬三「承久の乱における京方の軍事動員」が必読。最近、承久の乱の過程に関する実証的研究が進み、それを前提にした軍制研究も活発になっています。長村祥知君などがその牽引者だと思いますが、宮田さんはこの研究ノートで「京都軍制」なる概念を提示されています。
 やはり最近の「武士論」は、京都からの発信力が強いようです。

 新刊書籍の〈紹介〉では、女性史総合研究会代表の西野悠紀子先生が、古記録を読む会編『小右記注釈-長和三年正月-』を取り上げて下さっています。
 この〈紹介〉をお読みになって、手もとに置きたいと思われた方は、身内の関係する本ですから、当方でもお取り次ぎを致しますので、遠慮なく御連絡下さい。実費(500円程度)で頒布するとのことです。


 ☆ 葛飾区郷土と天文の博物館の谷口榮先生より、同館で開催中の企画展『秩父平氏・葛西清重とその時代』(>>No.6970)のパンフレットと、12月6日に開催されたフォーラム「秩父平氏を探る-葛西清重とその時代-」の資料などを御恵送頂きました。
 谷口先生にあつく御礼を申し上げます。  

貫達人先生の四十九日法要

No.6975

 先日、貫達人先生(自然院貫風達道居士)の四十九日の法要が北鎌倉の東慶寺において営まれました。お墓は質素な造りの五輪塔で、鎌倉の街を望む高台の上にある材木座霊園にあります。霊園の裏山の向こうには七里ヶ浜が広がり、当日は好天に恵まれたので富士山が望めたそうです。
 僭越な物言いですが、貫先生の中世前期の政治史に関する御研究は、一部なりともしっかりと引き継いで行きたいと考えております。


 ◎ 来年1月の日本史研究会中世史部会の御案内です。
【部会①】1月19日(火)18:30~ 於機関紙会館3F
  山岡瞳氏「鎌倉時代の公家政権と西園寺家」

【部会② 卒業論文報告会】1月26日(火)18:30~ 於機関紙会館3F
 中島涼太氏「中世における風刺詩としての落書―軍記物を用いて―」
 本田章訓氏「石清水八幡宮強訴と室町幕府―尊氏から義満を中心に―」

 部会①の報告者の山岡さん(京都大学大学院DC)は、京都女子大学と同志社大学の学部生にとっては先輩にあたります。そして、当ゼミ機関誌『紫苑』の先々代の編集長。
  部会②は、これから卒論を書こうという学部生にとっては、良いお手本の示される絶好の機会です。


  『紫苑』第8号。続々と(は、大げさですが)原稿が集まっているようです。
  山本さん、宜しくお願い致します。


 ☆ 京都大学大学院の辻浩和君より、御高論「『遊女記』『傀儡記』校異ノート」掲載の『梁塵 研究と資料』第26号(中世歌謡研究会)を御恵送頂きました。
 大変な労作。
 辻君にあつく御礼を申し上げます。
 なお、同誌掲載の姫野敦子「『文机談』関東・鎌倉楽人伝拾遺-資能・行方-」は、山本さんが現在執筆中の研究ノートにとても役立ちそうな内容ですので、追ってコピーをお送りします。