京都文化博物館で歴史系の学芸員募集

No.6972

 かつて私が在職したことのある京都府京都文化博物館で、学芸員を1名採用することになったという情報が入りました。
 専門は日本史学で、日本近世史・近代史を専攻している者が対象であるとのことです(大学院修士課程修了以上)。
 詳しくは下記を御参照下さい。
  http://www.bunpaku.or.jp/
  http://www.bunpaku.or.jp/info_bosyu.html
  http://www.bunpaku.or.jp/bosyu.pdf

 京都文化博物館では、平成23年夏を目標に、リニューアルの作業を進めています。実力を遺憾なく発揮できる場が用意されているというわけです。
 多くの優秀な方たちが応募してくださることを期待する次第です。

袖触れ合うも多生の「運」

No.6970

 今日は「東京は葛飾柴又・・・」ではなく、葛飾区郷土と天文の博物館に出掛けて、開催中の企画展『秩父平氏・葛西清重とその時代』を見学して参りました。展示パネルの中に、拙著掲載の地図をベースにしたものがあり、自らの仕事が世に役立ってることを知って安心いたしました。展示は例によって充実した内容でした。ただし、葛西・豊島氏は鎌倉幕府成立以前から在京活動の痕跡が多く見られる武士団ですので、西国との関係に関する新知見を期待していたのですが、宇和島藩伊達氏家臣の葛西氏や日本海交易の関係で北から移住したと想定される小浜葛西氏の存在は初めて知ったものの、そればかりだったのが些か残念でした。中世前期の段階で、まだ材料が見つかるのではないかと思います。
 なお、共同研究にも役に立ちそうなパンフレットが頒布されていたので、余分に購入して参りました。本年度の共同研究のメンバーで欲しい方はお知らせ下さい。

 帰りの新幹線。黒背広の大柄な男性が隣に座ったのですが、この人、缶ビール(大)3缶を飲み干した後、テーブルをおろしたまま、いびきをかきながら豪快に眠りはじめ、窓側の席にいた小生は、京都で下車するのに一騒動を覚悟したり致しましたが、幸いに事なきを得ました。それにしても、ほんとうに神経が図太く(無神経ともとれる)胃腸が丈夫な人が羨ましい(というより、怨めしい)昨今であります。
 家も、電車の座席も、隣次第で運命の明暗が大きく分かれますよね(私の隣になった方も不運であったことは明らかですが)。
 そろそろ、帰省される方も多いと思いますが、皆さんの隣に座った人は幸運な人だと思います。皆さん自身の運不運は?ですが。

 ☆ 慶應大学総合政策学部の野村亨先生より、御高論「南シナ海の領有権をめぐって-過去の経緯と現状」収録の山本信人編著『東南アジアからの問いかけ』(慶應義塾大学出版会)を御恵送頂きました。
 野村先生にあつくお礼を申し上げます。

 ☆ 新宿歴史博物館の今野慶信先生より、御高論「文献史学的調査の成果」(『港区内近世都市江戸関連遺跡発掘調査報告48 石見津和野藩亀井家屋敷遺跡発掘調査報告書』港区教育委員会)、御高論「得宗被官工藤氏の基礎的考察」掲載の『鎌倉』第107号、それに先生が一部の執筆・作成を担当された新宿歴史博物館開館二十周年記念特別展『内藤清成と高遠内藤家展』図録を御恵送頂きました。
 今野先生にあつく御礼を申し上げます。

今年最後の講義案内

No.6967

 22日(火)、キャンパスプラザⅡ講時の「特別講座科目1 『平家物語』と中世前期の京都」は、少し時代を飛ばして、源実朝の妻(西八条禅尼)と遍照心院を取り上げます。2回完結、すなわち2年越しの話になります。

 Ⅴ講時の基礎教養科目「源平内乱の時代を京都で生きた人たち」は、義経の評価で終結となります。

 ● 先週の水曜日(16日)にNHKテレビで放送された「歴史秘話ヒストリア」という番組で、東国武士の野蛮さを示す一例として、壇ノ浦合戦の際、義経軍が水手・梶取を射殺すというルール違反で勝利を得たことが語られたが、それは本当なのかという質問が寄せられました。
 かつて、そんな説もありましたが、これについては佐伯真一先生が、明快に否定されている通りだと思います(『物語の舞台を歩く 平家物語』山川出版社、125ページ)。 ちなみに、この番組では、平家を「草食系武士」と呼んでいたそうですが、そこまで言っては平家に気の毒ですし、武士の何たるかが分からなくなってしまいます。もっとも、最近は「貴族が殴り合っている」ので、仕方のないことなのかも知れませんが・・・(笑)。

 ☆ 長野工業高専の中澤克昭先生より、御高論「生産・開発」・「交通」収録の高橋慎一朗編『史跡で読む日本の歴史6 鎌倉の世界』(吉川弘文館)を御恵送頂きました。
 中澤先生にあつく御礼を申し上げます。

 ☆ 慶應義塾大学の小川剛生先生より、新刊の御高著『中世の書物と学問』(山川出版社)を御恵送頂きました。小川先生にあつく御礼を申し上げます。

 ☆ 日本大学の関幸彦先生より、新刊の御高著『北条時政と北条政子』』(山川出版社)を御恵送頂きました。関先生にあつく御礼を申し上げます。 

共犯者の反省付愚痴

元木泰雄
No.6968

 その番組の罪悪に関しては、共犯者かもしれません。
 熱心なディレクター氏と、数度にわたる面談、何時間もの打ち合わせを重ね、彼の認識は大変な水準に達していました。
 ところが、鶴の一声で、くだらないタイトルに変更され、すでに映像会社で作られた、いい加減な資料に基づく「再現フィルム」が垂れ流しになる。これが受信料を徴収して作られている番組の実態です。
 もちろんそんなことはすでに経験済みでもあり、それで腹が立つなら出るなと言われそうですが(笑)。しかし、わかっていてもこの体質には本当に怒りと、危険を感じないではいられません。
 「鶴の一声」の背景には、一般人が分からない、視聴率が稼げないという、上の方のカンによる判断があるようです。カンが正しいかどうかはともかく、学問、学者はお添え物、視聴率のためには学問を無視しても構わないというのは、まさに詐欺というべきものです。こんな番組にのんきに出ている学者は、でたらめ映像を正当化するピエロですね、まったく。あたかも、インチキな通信販売の宣伝に出るようなものです。

 それを言うなら、学問などどうでもよい、「学生」さえ集まり、ともかく卒業させれば組織は発展する、学生の頭の中は空でよい、教員は学生のご機嫌取りがいいという、昨今の大学、それを推進する文科省の方針も同じこと。この状態が続けば、間違えなく日本は世界に取り残されることになります。いよいよ日本も二流国に、先進国から後進国に落ちぶれてきましたね。これからの人たちは本当に気の毒としか言いようがありません。もちろん、もうすぐあの世に行く身にはどうでもいいことですが(笑)。
 大学の惨状。今週まだ授業があります。明日は3コマ。ちなみに来年から23日も授業になります。木曜は、9時半、14時50分、16時と会議三連発。出て終わりの会議ではありません。宿題が出ます。中期目標とか何とかいう実にくだらない問題ですから、極めてストレスが溜まります。
 これでどうやって研究しろというのでしょうかね。こんなことばかりやっていると、本を書く能力も失われてしまいます。今夏、久しぶりに書物の筆をとりましたが、さっぱり進まず。震災後の3カ月避難の後を思い出しました。学務と学問を無理に両立させて体調を崩された先生もおられます。
 定年を指折り数えて待っていたら、65まで延長とのこと。懲役が伸びた気分です。だれか学務を専門にこなしてくれるアルバイトはいませんかね・・・

 宝くじが当たったら、こんな大学なんかやめてやるのに。
 それより、その資金をもとにアルカイーダの関係者でも雇って文科省、いや国家転覆のテロを計画しようかしら・・・。  

和歌山県博学芸員採用試験の情報

No.6963

 和歌山県の文化遺産課より、県立博物館学芸員採用試験に関わる書類が届きました。
 受験資格は、昭和45年4月2日以降に生まれ、日本中世史についての専門知識を持ち、大学院修士課程修了(or今年度末修了見込み、or同等以上の学力を有する)で、学芸員資格を有する(or同取得見込み)者ということです(欠格条件は略)。
 ゼミ関係者で、受験を考えようという方はお知らせ下さい。

 ◎ キャンパスプラザ特別講座科目受講生のみなさんへ
    前回の講義のさいに、私がど忘れした寺院名は「志度寺」です。

 ※ 宝くじ売り場の宣伝みたいではありますが、以前、この掲示板に書き込まれた博物館学芸員の採用案内を見て応募し、見事に採用された方が実在するのです。
 もちろん、たいへん優秀な方です。

東奔西走下の講義とゼミの予定

No.6961

 まず、平田さんから二重のおめでたいお知らせを頂いたことを報告させていただきます。
 平田さん、それに山田君、本当におめでとうございます!!

 まったく東奔西走の毎日を送っておりますので、 今週のゼミ・授業案内が遅れてしまいました。別に義務というわけではありませんが。
 それにしても、この時期は大変で、昨晩東京から戻ってきてPCを開いたら、火曜日までに某書類を提出しなさいというメールが届いていたので、本日は早起きを余儀なくされたという次第。

 さて、本日の『小右記』講読会ですが、前回出来なかった山本さんの担当分を行います。それから、先般、国文院生の大谷さんが『紫苑』発表用の「法華三十講」についての論文を提出して下さいましたが、それをしかるべき研究者(歴史学)に査読していただいた結果が届きましたので、その件についても。

 18時30分からは、木曜の『吾妻鏡』講読会参加者による忘年会。女坂の「里」にて。ここは、安くて美味い。幹事は2回生の山本さん。

 明日(15日)、キャンパスプラザⅡ講時の「特別講座科目1 『平家物語』と中世前期の京都」は、源義経の合戦について。一ノ谷、屋島、壇ノ浦の合戦の実際と軍記における虚構についてお話しします。

 Ⅴ講時の基礎教養科目「源平内乱の時代を京都で生きた人たち」は、切り口が多少異なりますが、キャンパスプラザの講義を追いかけるように義経をテーマに取り上げます。
 この時間に授業アンケートをとります。

 ゼミは >>No.6959を参照。ちなみに、岩田君のPCは復活できたのでしょうか?

 17日(木)Ⅱ講時目の『吾妻鏡』は、養和元年(1181)年二月十日条からです。

 ※ 昨日の中世戦記研究会は、例によって大変勉強になり、おおいに良い刺激を与えられました。ただ、当ゼミ関係の参加者が藪本君だけだったのは、ちょっと寂しい。なお余談ながら、お茶の水女子大学の構内に入ったのは初のことでした。

今年のゼミ講読会も、いよいよ明日まで。

No.6962

 昨晩から、京都は急に冷え込んで参りました。
 今年もあと僅かだというのに、仕事が捗りません。物忘れがヒドイので、しょっちゅう捜し物をしている始末です。
 若き日の時間の浪費が惜しまれる昨今ですが、まぁ、仕方ありません。

 一昨日、Ⅲ講時の『小右記』は、大谷さんが例によって研究発表並みの資料を用意してくださり、学ぶこと多大なものあり。
 そして、18時半からは予定通り、女坂の「里」にて木曜日の『吾妻鏡』講読会メンバーによる忘年会。
 メンバーはみんな2回生だから、20歳前後です。而して食べ盛り。その点、このお店はじつにリーズナブルでした。久しぶりに行ったのですが、地下は改装されていました。
 懇親会の会場は、近くて、「安くて」、美味いので、やはりここが良いと思います。

 昨日、火曜日の『吾妻鏡』講読会、今年はこれを以て終了。
 この講読会ですが、史学・文学・建築史学を専攻する大学院研究員と院生が一堂に会して行っていますから、ハイレベルで、勉強になること夥しいものがあります。
 そこに学部2回生ながら参加しているのが山本さん。じつに頼もしい限りです。

 岩田君のパソコンはついに入院となりましたが、木曜には退院出来るとのことでした。

 明日の『吾妻鏡』講読会で、今年のゼミ講読会は終了。でも授業は来週もありますから。

 ※ 『紫苑』第8号の原稿締切は22日です。

Re: 東奔西走下の講義とゼミの予定

大谷久美子
No.6965

冬らしい寒さが続く毎日、御体調にはくれぐれも御注意ください。

さて、今年の『小右記』講読会も無事に終えることが出来、ほっとしております。
参加者みなさまには、毎週のように拙い発表を聞かせてしまいましたが
御陰様で、今年の講読会は私にとって裨益の多いものとなりました。
毎週熱心に御指導くださる野口先生に感謝申し上げると同時に、
来年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

年明けは、1月中に一度開催したく、国文院生2人は
1月18日(月)3講時の開催を希望しております。
野口先生の御予定はいかがでしょうか。


また、『紫苑』の件。
拙稿を査読してくださり、なおかつ丁寧な御返答をくださった先生には
感謝の言葉もありません。
御恩に報いることのできる出来に仕上げたい…と思います。

勉強させて頂いた『小右記』講読会

No.6966

 後期の『小右記』講読会は、実質的に大谷さんが引っ張って下さいました。
 毎回、研究報告並みのレジュメを用意し下さり、摂関時代史から長く遠ざかっていた私としては大変勉強になりました。
 せっかくの内容なのに参加者が少ないのが勿体ないような気が致します。国文では平安文学、史学では摂関時代、それに建築史を専攻されている方、他大学からもぜひ御参加下さい。

 >大谷さん
 来年、1月18日の開催、了解致しました。
 『紫苑』掲載論文、大いに期待しております。
 言うまでもありませんが、修士論文と院試の方も頑張って頂きたいと存じます。

師走第二週の講義とゼミの予定

No.6955

 今朝、千葉の家で長く飼っていた黒のラブラドール・レトリバーが死んだという報せが届きました。15歳6カ月と26日で老衰による静かな往生だったようです。
 我が家は、目下、白猫の母娘(13歳と12歳)2疋の天下ですが、昔は私も「犬派」で、学生時代はコリーと暮らしていたことがあります。この犬が死んだのは、1982年の11月23日。やはり大型犬を飼っていた近所の小児科の老先生が、花束を持ってきてくれたことを思い出します。この時は、寂しかったので、コリーの成犬を譲り受けて、もう一度飼いました。
 とても、立派な飼い主だったとはいえませんが、飼われてくれた犬たちには、いろいろ助けて貰ったように思います。(合掌)

 さて、今週の講義とゼミの予定です。
 明日(7日)の『小右記』講読会は国文の院生さん頼み。大谷さんが土曜日に行った研究発表(中間報告)のお話しもうかがいたいところです。

 8日(火)、キャンパスプラザⅡ講時の「特別講座科目1 『平家物語』と中世前期の京都」は、源義経の在京活動について。参考文献は、元木泰雄『源義経』(吉川弘文館)がベスト。これは難しいという方には、上横手雅敬監修『図解雑学 源義経』(ナツメ社)を勧めます。

 Ⅴ講時の基礎教養科目「源平内乱の時代を京都で生きた人たち」は、『玉葉』の記事から「木曾義仲」を解明していきます。
 残念なことに、吉川弘文館の人物叢書、ミネルヴァの日本評伝選、いずれにも『木曾義仲』はありません。最新の研究成果に基づく伝記執筆に適任な若い研究者を私は知っているのですが・・・。
 とりあえずの参考文献は、鈴木彰ほか編『木曾義仲のすべて』(新人物往来社)・浅香年木『治承・寿永の内乱論序説』(法政大学出版局)と下出積与『木曾義仲』(人物往来社)、それに畠山次郎『木曽義仲』(銀河書房)。

 ゼミは >>No.6953を参照。

 10日(木)Ⅱ講時目の『吾妻鏡』は、養和元年(1181)年正月二十一日条からです。

 ※ 忘年会のシーズンですが、聳え立つ負債原稿の山を前に胃腸も萎縮して、とても楽しく「忘年」「宴会」というわけには行かないようです。

親王行啓に勇士は不要。

No.6956

 昨日の講義は、我ながら一方的に話しを進めた観がありました。
 授業なるものをするようになって、30年余(塾も含めれば40年近く)になりますが、なかなかうまく行かないものです。
 
 ゼミ『吾妻鏡』では、宗尊親王が鎌倉に入りました。親王に随行した女房や、北条時頼邸の寝殿に親王が入ると、その主であるはずの時頼が地下に祗候せざるを得なくなるところ等に関心が集まりました。
 そもそも、『吾妻鏡』第四十二の巻頭に天皇・摂関が掲げられているところに、幕府の自己認識が端的に表明されているのだと思います。
 建長四年四月十四日条の遠江二郎左衛門尉光盛と遠江守光盛は同一人物の重出なのでしょうか?

 いよいよ年の瀬。年賀状を書き始めた人もいるようです。

 >長村君 『研究紀要』の校正、よろしくお願い致します。
 
 ☆ 和歌山県の阪本敏行先生より、御高論「寿永二年・三年・元暦二年における熊野別当家関係者と周辺の人々-「僧綱補任」岩瀬文庫蔵本考察を一連の考察の終論として-」(『和歌山地方史研究』第57号)を御恵送頂きました。
 阪本先生にあつく御礼を申し上げます。

壊れかけのパソコン-次回の火曜日『吾妻鏡』-

岩田慎平
No.6959

 自宅ではノートパソコンを使用しているのですが、先週末から動作が不安定になり、今週半ばにはついにwindowsが起動しなくなってしまいました。本当の幸せ教えてよ…

 そういうわけで大学のパソコンからお知らせする次回の火曜日の『吾妻鏡』は以下の通りです。年内は次回が最終回となります。

 日時:2009年12月15日(火)14:00~(予定)
 場所:京都女子大学L校舎 3階 共同研究室

 範囲:建長四年(1252年)四月十四日の後半・十六日・十七日・二十日・二十一日・二十二日・二十四日・二十九日・三十日、五月五日・十七日・十九日・二十六日、六月二日・十日・十七日・二十五日、七月四日・八日・九日・十四日・二十日・二十一日、八月一日・二日・六日・二十一日・二十二日、九月一日・二日・七日・三十日、十月十四日・十六日、十一月三日・十一日・十二日・二十日、
    建長五年(1253年)正月二日・三日、二月三日・二十五日、四月二十日・二十六日、五月四日・十三日、六月三日、七月八日・九日、八月十五日・二十九日、九月十四日・十六日・二十六日、十月一日・十一日・十三日、十一月二十五日・二十九日、十二月八日・九日・二十一日・二十二日、
    建長六年(1254年)正月十日、二月十二日・二十日・二十四日、三月十二日・十六日・二十日、四月十八日・二十七日・二十九日、五月一日・五日、閏五月一日・五日・十一日、六月三日・十五日・二十五日、十月二日・六日・十日・十二日・十七日、十一月十六日・十七日・二十一日、十二月一日・十二日・十七日・十八日・二十日・二十三日・二十五日・二十六日の各条

 毎週火曜日の『吾妻鏡』講読会は、参加者のみなさんの自主的な積極性によって支えられています。冬季に何か始めてみようという方も、まずは見学からでもどうぞお気軽にご参加ください。

PCが絶えてこの世になかりせば・・・。

No.6960

 ほんとうにPCが故障すると大変なことになりますね。何がどうなっているのかサッパリ分からない機械というのは困ったものであります。昔は画面が映らなくなると、ひっぱたくと直るテレビなどと言うものがございましたが。
 元木先生の仰るように、「PCとは奇怪なる機械」にほかなりません。
 卒論執筆中の4回生の皆さんは、くれぐれもバックアップをこまめに取るようにして下さい。PC博士の鈴木君でさえ、「紙媒体が一番確実」と仰っています。

 昨日の『吾妻鏡』講読会。「大路首渡し」の話から始まって「獄門」、「さらし首」、「切腹」と話がエスカレートしました。関連して千葉徳爾氏の著書を紹介しましたが、『負けいくさの構造』(平凡社選書)も合わせて読んでみて下さい。面白いと思います。

 22日(火)ですが、いろいろ前後に重要な所用が重なり、私自身の体力の現状を踏まえて、ゼミはお休みと言うことにさせて頂きました。悪しからず御了承下さい。

師走第一週の講義とゼミの予定

No.6949

 1日(火)、キャンパスプラザⅡ講時の「特別講座科目1 『平家物語』と中世前期の京都」のテーマはいよいよ源義経。生い立ち、平泉での立場、在京活動、一ノ谷・屋島・壇ノ浦合戦、逃走の経過等々、内乱期のさまざまな問題と絡めながら、数回に分けてお話しすることになると思います。言うまでもなく、視座は「京都」にあります。

 Ⅴ講時の基礎教養科目「源平内乱の時代を京都で生きた人たち」では、『平家物語』の人物造形のパターンに触れながら木曾義仲の実像に迫ります。

 ゼミ(『吾妻鏡』)は >>No.6946を参照。いよいよ、「建長の政変」に近づいてきました。このところ、私も了行のように諸事につけて「腹立」することが多くなって困っています」(「日蓮遺文紙背文書」参照)。老化の故でしょうね。

 3日(木)Ⅱ講時目の『吾妻鏡』。養和元年(1181)年に入ります。

 ※ 先週の木曜日に山岡さんから頂いたお土産のお菓子は、いつ供出すべきでしょうか?

 >山本さん 土曜日の女性史総合研究会は如何でしたか?
        ゼミの時に御感想をお聞かせ下さい。

銀杏は美しいが、胃腸はよくない日。

No.6951

 今日の京都は本当に良い天気で、山々の紅葉も美しく、街路の銀杏並木も見事です。而るに私の胃腸は見事に不調で、困ったものです。

 昨日、キャンパスプラザの講義終了を待っていたかのように、教室に入ってきた若者がありました。昨年度の受講生、立命館大学の三木君でした。将来の方向が決まったので、わざわざ挨拶に来てくれたとのこと。そういえば、昨年に比べて表情も服装も見違えるほど明るい。お土産にと「神戸みかさ」の詰め合わせを持ってきてくれました。
 専攻が日本史というわけでもなく、たった半期の縁だったというのに、本当にうれしい出来事でした。三木君は他大学の院に進学して英語を勉強されるとのこと。何事にも興味を持って取り組む、彼の前途はおおいに期待が持てると思っています。

 ゼミ『吾妻鏡』講読は、ついに建長の政変も過ぎました。次回からは宗尊親王が将軍の時代に入ります。
 三木君からのお土産は、ここでみんなと頂きました。

 Ⅴ講時の短大の授業。出席率100%。自分の資料も配布しなければならないかと危ぶんでしまいました。よ~く話を聴いてくれます。来週は『玉葉』の記事を読みます。

 帰宅すると、前任校のゼミの教え子からメールが届いていました。元気にやっている様子。

 この日は教師冥利に尽きる一日であったように思います。

 ☆ 静岡文化芸術大学の山本幸司先生より、新刊の御高著『穢と大祓 増補版』(解放出版社)を御恵送頂きました。かつて平凡社から出版された同名の御著書に関連する新稿を加えられたものです。巻末の資料が充実していて有用です。
 自分の研究に引きつけてみると、内裏警固の問題など、こうした側面から考え直さなければいけないと思いました。
 国文学御専攻の方こそ必読だと思います。
 山本先生に、あつく御礼を申し上げます。 

宗尊親王とその時代-次回の火曜日『吾妻鏡』-

岩田慎平
No.6953

 前回はきちんと範囲をお伝えせずにすみませんでした。今回はけっこう先のほうまでご案内したいと思います。

 日時:2009年12月8日(火)14:00~(予定)
 場所:京都女子大学L校舎 3階 共同研究室

 範囲:建長四年(1252年)三月五日・六日・十三日・十六日・十七日・十八日・十九日・二十日・二十一日、四月一日・二日・三日・四日・五日・十二日・十四日・十六日・十七日・二十日・二十一日・二十二日・二十四日・二十九日・三十日、五月五日・十七日・十九日・二十六日、六月二日・十日・十七日・二十五日、七月四日・八日・九日・十四日・二十日・二十一日、八月一日・二日・六日・二十一日・二十二日、九月一日・二日・七日・三十日、十月十四日・十六日、十一月三日・十一日・十二日・二十日、
    建長五年(1253年)正月二日・三日、二月三日・二十五日、四月二十日・二十六日、五月四日・十三日、六月三日、七月八日・九日、八月十五日・二十九日、九月十四日・十六日・二十六日、十月一日・十一日・十三日、十一月二十五日・二十九日、十二月八日・九日・二十一日・二十二日、
    建長六年(1254年)正月十日、二月十二日・二十日・二十四日、三月十二日・十六日・二十日、四月十八日・二十七日・二十九日、五月一日・五日、閏五月一日・五日・十一日、六月三日・十五日・二十五日、十月二日・六日・十日・十二日・十七日、十一月十六日・十七日・二十一日、十二月一日・十二日・十七日・十八日・二十日・二十三日・二十五日・二十六日の各条

 毎週火曜日の『吾妻鏡』講読会は、参加者のみなさんの自主的な積極性によって支えられています。冬季に何か始めてみようという方も、まずは見学からでもどうぞお気軽にご参加ください。

史料の評価は「読む側」の認識如何。

No.6954

 師走も、もう五日が過ぎようとしています。
 ところで、木曜日の『吾妻鏡』で読んだ養和元年正月五日条は、最近の武士論研究で指摘されていることが、凝縮されているような内容でした。
 第一に、関東の武士が南海を廻って京都を攻撃しようとしているという風聞のあったこと。第二に、相模国を本貫とする波多野氏が、頼朝挙兵以前より伊勢国内に所領を有していたことです。
 後者については、ずいぶん昔に指摘していたことなのですが、あまり顧みられることがありませんでした。でも、地方武士の在京活動や一族間の分業が共通認識になっている現在の研究情況からすれば、まったく奇異な話として受け取られることはないと思います。
 前者についても同様で、摂津の大物浦(現在の尼崎)と下総の三崎(銚子の辺り)の間に航路が想定できるくらいですから、平家が大まじめに対応してもおかしくはありません。それにしても、この時、平家が志摩国に派遣した伊豆江四郎とは何者なのでしょうか?

 『吾妻鏡』講読会(2回生)の忘年会は14日開催に決まりました。

『第10回 平泉文化フォーラム』

No.6945

 本日の『吾妻鏡』講読会。予定通り、治承四年を終了しました。次回は治承五年(養和元年)正月から。それにしても、みんな大変良く読(訓)めるようになってきました。
 参加者によって、ゼミの忘年会の計画も練られているみたいです。
 
 >>No.6939でお知らせしたように、今週末(28日<土>)には、京都で「女性史総合研究会11月例会」が開催されますが、その次の土曜日(12月5日)には、平泉で『第10回 平泉文化フォーラム』が開かれるそうです。

 フォーラムの今回のテーマは「平泉文化研究の今まで、そしてこれから-柳之御所遺跡の成果と展望-」。
 報告者の一人として、来年度、当方の共同研究に加わって下さる前川佳代先生(奈良女子大学)が登場されます。
 御報告のテーマは 「都市史から見た平泉」。 

 フォーラムの開催要項は、こちらを御覧下さい。↓       http://www.pref.iwate.jp/~hp0909/news&event&information/H21news&event.new.html#forum10 

師走の『吾妻鏡』

岩田慎平
No.6946

 火曜日の『吾妻鏡』も次回は12月になります。一年は早いですね。

 日時:2009年12月1日(火)14:00~(予定)
 場所:京都女子大学L校舎 3階 共同研究室

 範囲:建長三年(1251年)八月六日・二十一日・二十三日、九月五日・二十日、十月十九日・二十九日、十一月十二日・十三日・十八日・二十二日・二十七日、十二月二日・三日・五日・七日・十七日・二十二日・二十六日・二十七日の各条

 毎週火曜日の『吾妻鏡』講読会は、参加者のみなさんの自主的な積極性によって支えられています。冬の訪れを思わせる季節に何か始めてみようという方も、まずは見学からでもどうぞお気軽にご参加ください。

走る元気のない先生にも師走は来る。

No.6947

 当ゼミ出身の院生諸姉兄。このところ、着々と足場固めに邁進しておられるようで、すでに結果を出した人もあって、頼もしい限りです。
 
 私は古い領主制論的な見方を克服した視角から、中世成立期における各地の武士の存在形態について再検討を加える必要を感じているのですが、目下、四国に目を注いでおります。実に新鮮で、面白いフィールドです。

 一方、執筆しているのは、了行をはじめとする鎌倉時代のお坊さんたちの活動の政治的背景について。これも面白いのですが、書くとなると結構しんどい。若いときのように、思考がそのまま文章に反映されるほどの勢いが出てきません。

 さて、今週はいよいよ師走突入。もう走る元気のない「師」ですが、がんばりたいと思います。

今週の講義とゼミの予定

No.6938

 23日(月)、京都女子大学は平常授業実施。ゼミ(『小右記』講読)も同様です。

 24日(火)、キャンパスプラザⅡ講時の「特別講座科目1 『平家物語』と中世前期の京都」のテーマは木曾義仲。『玉葉』の記事をもとにお話しを致します。
 Ⅴ講時の基礎教養科目「源平内乱の時代を京都で生きた人たち」では、源頼朝の人物像に迫ります。
 ゼミ(『吾妻鏡』)は >>No.6936を参照。

 26日(木)Ⅱ講時目の『吾妻鏡』。いつものように、共同研究室で行います。
 
 ※ 今週は25日に『台記』研究会が予定されています。久しぶりに元木先生・美川先生や京大の皆さんとお目にかかれるのが楽しみです。

女性史総合研究会11月例会のお知らせ

No.6939

 今週末には、日本古代・中世史に関する、こんな研究会の開催も予定されていました。
 国文の方も是非出席されると良いと思います。

  ◆ 女性史総合研究会 11月(第150回)例会の予定 ◆

 日 時:  11月28日(土) 13:30~17:00
 会 場:  京都アスニー  3F 第二研究室 A
 http://web.kyoto-inet.or.jp/org/asny1/about/institution/honkan/honkan_map.html
 報 告:西川和江氏 「褒められる古代女性」(仮題)
      原知里氏「室町時代における山姥のイメージ―謡曲『山姥』からの発信とその 受容―」

早くも『紫苑』の原稿が提出されました。

No.6940

 本日は『小右記』講読会。大谷さんが「手結(てつがい)」について、詳細な報告をして下さいました。
 その大谷さんが、早くも『紫苑』第8号掲載予定の論文を提出。
 論題は「道長の法華三十講」。400字詰め74枚分という質量共に充実した力作です。
 大谷さんは国文学専攻ですが、歴史専攻者にも裨益大きい内容と思います。
 それにしても、修士2回生のこの時期に、修論とは別に大作を仕上げられたことには、大いに敬意を表さなければならないと思います。
 ほかの執筆者の皆さんも頑張って下さい。

 なお、『小右記』講読会ですが、来週は休会とし、次回は12月7日になります。

先生らしからぬはずなのに。

No.6943

 大学2年生のこの日、青山学院大学の3号館にあった史学科の学生研究室にとんでもない情報が飛びこんできた。最初は冗談なのかと思ったが本当だった。
 あれから、もう39年。今日、研究会に集まった若い院生さんたちには、遠い昔の話であろう。

 京大の元木先生の研究室で開かれた、その『台記』研究会は坂口君の研究発表。
 新たな史料の紹介による、「論証」のお手本のような御報告で、研究の「旬」を感じさせるものでした。

 帰途、重いカバンを肩に提げて206系統の市バスに乗ったところ、老齢の女性から、「先生、荷物をここに置かれはったら」と声をかけられました。全く知らない方からです。乗った場所から類推されたとすれば、光栄なことなのですが・・・。

 明日は二週間ぶりの『吾妻鏡』講読会。いよいよ治承四年も終わりに近づきました。

 ☆ NHK出版の石浜哲士さんから、編集を担当された新刊の大山誠一『天孫降臨の夢 藤原不比等のプロジェクト』(NHKブックス)を御恵送頂きました。
 著者の大山先生は、昔、青山学院大学の史学科で非常勤講師をされていたように記憶します。
 石浜さんに、あつく御礼を申し上げます。

法住寺殿跡見学会の報告がありました。

No.6937

 山本さんから、昨日は予定通り、法住寺殿跡見学会を行ったとの御報告をメールで頂きました。参加者は史学科と国文学科の7名。

 コースは、伝佐藤嗣信・忠信墓→積翠園(伝・平重盛小松殿庭園跡)→東山大仏殿跡→方広寺鐘楼→六波羅探題関係遺構出土地点→蓮華王院(三十三間堂)→後白河天皇陵→法住寺南殿跡→最勝光院跡→今熊野社→新日吉社、と予定通り。
 山本さんが最初に資料を配付して簡単な説明をした後、皆でわいわい地図を片手にまわったのだそうです。
 
 積翠園ではポストカード5枚セットを全員が頂いた由。私が同行していたら、こんなラッキーには遭遇できなかったでしょう。

 用意しておいた資料によって、山田邦和先生の推定された建春門院陵の位置を確認し、また、中村武生先生が人文地理学の講義で話された大仏殿南門前の坂本龍馬が一時住んでいた場所も見学先に加えたとのことでした。

 昨日の京都は天気も良く紅葉もきれいで、所要時間も予定通りでちょうど一時間半。歩いた後は、みんなで錦華食堂でお昼を食べて、また見学会や忘年会をやろうという話になったそうです。まずは目出度し目出度し。

 敢えて言うなら、孫弟子にあたる君たちが史跡見学を楽しんでくれたことは、この日、告別式の執り行われた恩師貫先生への一番の供養になったように思います。
 私が史跡散歩を行うのは、私の学生時代、貫先生がしばしば青学史学科の学生を引率して鎌倉の史跡を案内して下さり、その時、とてもたくさんの思い出を刻むことが出来たことによるからです。

 メールに添付してくれた写真。とっても楽しそうで、ここに掲出できないのが残念です。