『中世前期女性院宮の研究』を頂いて。

No.6982

 ここ数日、自らの文章表現力の乏しさにウンザリさせられております。大学院生の頃に書いたものの方がずっと良い。これは手書きであったこともありますが、何よりも意欲の差によるものであろうと思います。私など問題外ですが、若い方たちは、往年のすぐれた研究者たちが何歳の時にどのような論文を執筆したのか、調べてみると良いと思います。

  ☆ 明治大学の山田彩起子先生より、御高著『中世前期女性院宮の研究』(思文閣出版)を御恵送頂きました。博士論文の御公刊です。まさに意欲溢れる論文が並んでいます。「あとがき」を拝見すると、院生時代には、聖心女子大学・慶應義塾大学・学習院大学・東京大学などで開かれた記録の講読会に参加された由。やはり、自ら学んでいく場を開拓する気持ちがなければ、学問は大成しないのだと思います。
 かつて、私が学位を頂いた際、恩師の一人である岡田章雄先生から、博士論文の次の作品が研究者としての評価の分かれ目であるというお言葉を頂戴致しました。
 山田先生の今後の御活躍に期待したいと存じます。
 御恵送にあつく御礼を申し上げます。

 ☆ 広島大学の渡邊誠先生より、御高論「年紀制の消長と唐人来着定-平安時代貿易管理制度再考-」(『ヒストリア』217)・「日本古代の対外交易および渡海制について」(専修大学社会知性開発研究センター『東アジア世界史研究センター年報』3)・「平安末・鎌倉初期の宋銭流通と国家」(『九州史学』153)・「年紀制と中国海商-平安時代貿易管理制度再考-」(『歴史学研究』856)を御恵送頂きました。
 もはや、日本史の枠をこえた東アジア史。旺盛な御研究ぶりに敬意を表します。
 渡邊先生にあつく御礼を申し上げます。

 当ゼミ出身者からも、いよいよ学位請求論文を提出しようとする方があらわれようとする段階になりました。博士号は、最近の風潮を反映して日本国内では評価は低いのですが、海外では恐ろしい程高い評価を受けます。そもそも、現実的には研究職につく前提でもあります。しっかり頑張ってください。

論文に行き詰まって、年賀状談義(2)。

No.6981

 いよいよ京都女子大学の年末年始休日は終了。冬期休暇は6日までですが、そろそろ学務始動という次第です。

 お正月休みのうちに仕上げたかった論文は、やはり時間不足(学問や研究は「時間さえあればできる」というものではありませんが、時間がなければ確実にできません!)。出版社や編者の先生はもとより、すでに脱稿・提出された共著の方々に御迷惑をお掛けすることを怖れるばかりです。

 ところで、いただいた年賀状ですが、先に御紹介( >>No.6979)したもの以外にも、考えさせるもの、お手本になるもの、面白いものが沢山ございました。

 同業の先輩方からは、そろそろ定年というお知らせが多く、些か寂しいのですが、一方で若い同業者の方からは長いフリーター生活を嘆く声もありますから、円滑なポジションの交代が必要なのかも知れません。

 しかし、なによりも健康が第一で、左手書きで、脳出血後のリハビリ生活を語って下さった方もおられます。明るい内容ながら、筆跡が日々の闘いを伝えてくれました。南極旅行にもチャレンジするような方なので、きっと完治されることと思います。

 高校生の時の古典の先生からは「八十二才、元気です」の一言。ホッとさせられます。

 私が高校教員をしていた時の教え子も、もうかれこれ40代半ば。すでに子どもさんが高校に進学という人も出てきました。

 大学の教え子からは、ついにバツイチの知らせが。でもバツは世間の物差し。御本人は一時の落胆を克服して至って意気軒昂。自立のために資格を取り、すでに就職先も確保した由。「アカデミア・サバイバル」とか「高学歴ワーキングプア」などという言葉に踊らされて前途を悲観している一部院生諸君は、この前向きな姿勢を見習うべきでありましょう。

 その一方で結婚のお知らせも。中にはファッション雑誌のグラビアを思わせるようなカレシ(彼氏)とのツーショット写真のものもあり。妬みを招きそうですよ(笑)。

 それから写真で多いのが、海外の旅行先で撮影されたもの。けっこう一人旅に出掛けられた人も多いようで、さすがは野口ゼミの出身。私は未だに1996年5月、アジア歴史学者会議でバンコクに出掛けたのが唯一の国外旅行だというのに(しかも保護者同伴で)、最近の若い女性は凄い。
 
 一番こわい年賀状は出版社の編集者の方からのもの。
 「○×△□お待ちしています」というやつです。でも、尊敬する同業の大先達は、40年以上も、かかる年賀状を受け取り続けておられるとのこと。見習いたいのですが、私の場合は、身捨てられるか、寿命が保たないかです。

 愛犬・愛猫の写真も多かったのですが、犬に車を運転させているのもありました。寅は飲酒運転になるが、犬の場合は?(答えを知りたい人はメールにてお問い合せ下さい)

 それにしても、年に一度の年賀状だけで半世紀近く繋がりを保っている人もありますから、この慣習は長く続いてほしいと思います。
 「今どき、メールだ・・・」な~んて言っている人は、後できっと後悔しますぞ。

足立氏と籐九郎盛長について

足立 勗
No.6980

ご無沙汰いたしております。
昨年末、今まで見たこともない足立氏の系図を発見いたしましたので紹介いたします。
それは鈴木真年編静嘉堂文庫蔵『百家系図』六十二というものですが、この系図の中では安達籐九郎盛長は次のようにかかれています。
   高藤ー定方ー朝忠- - - - - 忠兼T遠兼ー遠元

                  |
L 実兼ー景盛ー
                     「籐九郎入道」
                      後盛長改
メールではうまく表示できませんが、要するに遠兼の弟となっているのです。
そもそも研究者の間に流布している「丹波国佐治庄地頭足立系図」が世に出たについては次のようないきさつがあったといいます。昭和四十六年に「足立氏の先祖を語る会」が開かれ、そのときの速記録を手に入れました。それによると現丹波市青垣町山垣の足立九郎兵衛氏が、その本家が村を離れるときに紙くずとして捨てていたものを拾ったことから始まります。
彼はその紙くずを報恩寺に持ち込み住職に清書してもらったそうです。それが後に東大歴史編纂所に収蔵されたといいます。
 此の「百家系図」が信頼できる根拠は遠元の子とされている遠光の傍注に書かれた「先子父死去」の文言に私が疑問を抱いたところから始まります。此の系図では「先于父死去」となっているのです。これは『尊卑分脈』の佐々木系図の盛綱の曾孫の資実が「先于父死」と書かれて、信重の子でありながら「為祖父子」と書かれているのに相当するものだったからなのです。
 此の系図は『尊卑分脈』の模倣でない証拠に山陰流ではなく高藤流であることです。そして一般に流布している山垣系のものと違って、天正時代に福知山市夜久野町直見に逃れた足立氏の子孫から明治時代に採集されたものであろうと考えられ、足立氏系図としては全く新しいものです。
とりあえずご報告まで。現在私のメールは使用不能です、念のため。

トラ年のネコたちと年賀状。

No.6979

 年明けに呼応するかの如く、新しい論文(と言っても、締切は昨年末のもの)に取り組んでおります(昨夜はサボってBSで「マイ・フェア・レデイ」を見てしまいましたが)。
 予想通りに、書いた紙数の数倍の勢いで順調に体重は増加しております。

 今年はトラ年ですが、当家の白ネコ母子はネコ科に属するトラが十二支に入っているのに、その本家本元であるネコ様がこれに漏れていることに不満を抱いているらしく、新年になって、あまり機嫌が良くありません。

 もっとも、今年で母(名はペン)14歳、娘(クゲ)13歳の高齢ネコでありますから、そうそう人間の機嫌をうかがう元気も失せてくるのは理解できるところです。しかし、娘ネコのおクゲさんは、このところ認知症気味で粗相・徘徊が多くなり、困りものです(明日の我が身を見るようで、他人事とは思えません)。

 このおクゲですが、「ネコ年がないのなら、自分が虎になってしまおう」と思ったらしく、電気ストーブにはり付いて、見事な黄色い焦げ目を作りました。おクゲ変じておコゲです。
 画像を掲示できないのが残念です。


 ※ さて、今年もたくさんの年賀状をありがとうございました。

 御結婚・御出産・学位論文提出、それに「中古住宅を購入しました」といった慶事から、転職、お引っ越し。なかには、学芸員として就職したはずなのに、なかなか博物館が建たなかったのが、17年目にしてようやく完成したという御報告もありました。
 いろいろ大変な局面に遭遇している方もおられますが、ものは考えよう。
 「子育て、ヘトヘトですが、これ程面白いものもありません」・・・こういう人を見習いたいものです。

 それから、「京都になかなか行けない」と残念がる人もいれば、「昨年は結局、東京-京都間を52回往復しました」という方も。

 また、この掲示板を毎日読んで下さっているという方もたくさんおられました。中には、記事内容についての御心配も。
 もちろん、私の書いたものに対してではございません。 

 >大谷さん 山本さんに送信された『紫苑』の原稿ですが、一太郎では開けないとのことですので、当方に添付ファイルでお送り下さい。

こいつぁ、春から・・・「法住寺殿」!

No.6977

 あけまして、おめでとうございます。
 今年も宜しくお願い致します。
 ゼミの今月の予定はすでにトップページに掲出しました。『紫苑』の編集作業も始まります。

 元日の分厚い新聞を開くと、「法住寺殿の建物跡か」という見出しが目に飛び込んできました(京都新聞)。京都国立博物館敷地で法住寺殿の遺構が出土したことは既報なのですが(読売新聞2009,12,8)、この記事では、後に豊臣秀吉が建立した方広寺のプランが法住寺殿の区画の影響を受けていた可能性があるという、京都市埋蔵文化財研究所の見解が報じられています。
 イデオロギー的な側面から、秀吉がこの地に執着した可能性については、以前書いたことがあるのですが(「法住寺殿造営の前提としての六波羅」髙橋昌明編『院政期の内裏・大内裏と院御所』文理閣)、区画も踏襲していたとなると、殿舎配置などを明らかにする手がかりが得られることになるかと思います。
 今年も「郷土史」(?)の一環として、法住寺殿を考えていきたいと思います。
 6月の公開講座では、京都・六波羅と北条氏との関係がテーマになります。こちらも楽しみです。

『小右記注釈-長和三年正月』などなど。

No.6976

(1) オヤジ研究者の年末年始

 年末締切を厳命された二つの論文のうち、一本がようやく形になりました。あと一本をのこる一日で書くのは、まぁ無理でしょうね。
  といった次第で、大掃除も正月の準備の手伝いもせず、顔も洗わずに、書いては食べ、食べては書くという毎日を送っております。
 書いた枚数と増加した体重が相関関係にあれば幸い。しかし、たいていの場合、体重ばかりが増えるわけであります。


 (2) 『古代文化』第61巻第3号の紹介

 『古代文化』第61巻第3号(季刊)が刊行されました。
 今号の巻頭論文は、大日方克己「院政期の王権と相撲儀礼」。
 政治史的分析を踏まえながら、院政期の相撲節会の特質を論じた大作です。私も昔、院政期の相撲人と武士との関わりに注目した論文をまとめたことがあるのですが(『中世東国史の研究』所収)、相撲節廃絶の事情など、なかなか考えが及びませんでした。この論文は、そのあたりも見事に解明しています。
 宮廷儀礼の研究としても秀逸で、昨年、建築史の視角からこの問題に取り組まれていた満田さんには、ぜひお読み頂きたいと思います。もちろん、現在、『小右記』講読会に参加されている国文の院生さんをはじめとする皆さんにも。

 研究ノートとしては、宮田敬三「承久の乱における京方の軍事動員」が必読。最近、承久の乱の過程に関する実証的研究が進み、それを前提にした軍制研究も活発になっています。長村祥知君などがその牽引者だと思いますが、宮田さんはこの研究ノートで「京都軍制」なる概念を提示されています。
 やはり最近の「武士論」は、京都からの発信力が強いようです。

 新刊書籍の〈紹介〉では、女性史総合研究会代表の西野悠紀子先生が、古記録を読む会編『小右記注釈-長和三年正月-』を取り上げて下さっています。
 この〈紹介〉をお読みになって、手もとに置きたいと思われた方は、身内の関係する本ですから、当方でもお取り次ぎを致しますので、遠慮なく御連絡下さい。実費(500円程度)で頒布するとのことです。


 ☆ 葛飾区郷土と天文の博物館の谷口榮先生より、同館で開催中の企画展『秩父平氏・葛西清重とその時代』(>>No.6970)のパンフレットと、12月6日に開催されたフォーラム「秩父平氏を探る-葛西清重とその時代-」の資料などを御恵送頂きました。
 谷口先生にあつく御礼を申し上げます。  

貫達人先生の四十九日法要

No.6975

 先日、貫達人先生(自然院貫風達道居士)の四十九日の法要が北鎌倉の東慶寺において営まれました。お墓は質素な造りの五輪塔で、鎌倉の街を望む高台の上にある材木座霊園にあります。霊園の裏山の向こうには七里ヶ浜が広がり、当日は好天に恵まれたので富士山が望めたそうです。
 僭越な物言いですが、貫先生の中世前期の政治史に関する御研究は、一部なりともしっかりと引き継いで行きたいと考えております。


 ◎ 来年1月の日本史研究会中世史部会の御案内です。
【部会①】1月19日(火)18:30~ 於機関紙会館3F
  山岡瞳氏「鎌倉時代の公家政権と西園寺家」

【部会② 卒業論文報告会】1月26日(火)18:30~ 於機関紙会館3F
 中島涼太氏「中世における風刺詩としての落書―軍記物を用いて―」
 本田章訓氏「石清水八幡宮強訴と室町幕府―尊氏から義満を中心に―」

 部会①の報告者の山岡さん(京都大学大学院DC)は、京都女子大学と同志社大学の学部生にとっては先輩にあたります。そして、当ゼミ機関誌『紫苑』の先々代の編集長。
  部会②は、これから卒論を書こうという学部生にとっては、良いお手本の示される絶好の機会です。


  『紫苑』第8号。続々と(は、大げさですが)原稿が集まっているようです。
  山本さん、宜しくお願い致します。


 ☆ 京都大学大学院の辻浩和君より、御高論「『遊女記』『傀儡記』校異ノート」掲載の『梁塵 研究と資料』第26号(中世歌謡研究会)を御恵送頂きました。
 大変な労作。
 辻君にあつく御礼を申し上げます。
 なお、同誌掲載の姫野敦子「『文机談』関東・鎌倉楽人伝拾遺-資能・行方-」は、山本さんが現在執筆中の研究ノートにとても役立ちそうな内容ですので、追ってコピーをお送りします。

京都文化博物館で歴史系の学芸員募集

No.6972

 かつて私が在職したことのある京都府京都文化博物館で、学芸員を1名採用することになったという情報が入りました。
 専門は日本史学で、日本近世史・近代史を専攻している者が対象であるとのことです(大学院修士課程修了以上)。
 詳しくは下記を御参照下さい。
  http://www.bunpaku.or.jp/
  http://www.bunpaku.or.jp/info_bosyu.html
  http://www.bunpaku.or.jp/bosyu.pdf

 京都文化博物館では、平成23年夏を目標に、リニューアルの作業を進めています。実力を遺憾なく発揮できる場が用意されているというわけです。
 多くの優秀な方たちが応募してくださることを期待する次第です。

袖触れ合うも多生の「運」

No.6970

 今日は「東京は葛飾柴又・・・」ではなく、葛飾区郷土と天文の博物館に出掛けて、開催中の企画展『秩父平氏・葛西清重とその時代』を見学して参りました。展示パネルの中に、拙著掲載の地図をベースにしたものがあり、自らの仕事が世に役立ってることを知って安心いたしました。展示は例によって充実した内容でした。ただし、葛西・豊島氏は鎌倉幕府成立以前から在京活動の痕跡が多く見られる武士団ですので、西国との関係に関する新知見を期待していたのですが、宇和島藩伊達氏家臣の葛西氏や日本海交易の関係で北から移住したと想定される小浜葛西氏の存在は初めて知ったものの、そればかりだったのが些か残念でした。中世前期の段階で、まだ材料が見つかるのではないかと思います。
 なお、共同研究にも役に立ちそうなパンフレットが頒布されていたので、余分に購入して参りました。本年度の共同研究のメンバーで欲しい方はお知らせ下さい。

 帰りの新幹線。黒背広の大柄な男性が隣に座ったのですが、この人、缶ビール(大)3缶を飲み干した後、テーブルをおろしたまま、いびきをかきながら豪快に眠りはじめ、窓側の席にいた小生は、京都で下車するのに一騒動を覚悟したり致しましたが、幸いに事なきを得ました。それにしても、ほんとうに神経が図太く(無神経ともとれる)胃腸が丈夫な人が羨ましい(というより、怨めしい)昨今であります。
 家も、電車の座席も、隣次第で運命の明暗が大きく分かれますよね(私の隣になった方も不運であったことは明らかですが)。
 そろそろ、帰省される方も多いと思いますが、皆さんの隣に座った人は幸運な人だと思います。皆さん自身の運不運は?ですが。

 ☆ 慶應大学総合政策学部の野村亨先生より、御高論「南シナ海の領有権をめぐって-過去の経緯と現状」収録の山本信人編著『東南アジアからの問いかけ』(慶應義塾大学出版会)を御恵送頂きました。
 野村先生にあつくお礼を申し上げます。

 ☆ 新宿歴史博物館の今野慶信先生より、御高論「文献史学的調査の成果」(『港区内近世都市江戸関連遺跡発掘調査報告48 石見津和野藩亀井家屋敷遺跡発掘調査報告書』港区教育委員会)、御高論「得宗被官工藤氏の基礎的考察」掲載の『鎌倉』第107号、それに先生が一部の執筆・作成を担当された新宿歴史博物館開館二十周年記念特別展『内藤清成と高遠内藤家展』図録を御恵送頂きました。
 今野先生にあつく御礼を申し上げます。

今年最後の講義案内

No.6967

 22日(火)、キャンパスプラザⅡ講時の「特別講座科目1 『平家物語』と中世前期の京都」は、少し時代を飛ばして、源実朝の妻(西八条禅尼)と遍照心院を取り上げます。2回完結、すなわち2年越しの話になります。

 Ⅴ講時の基礎教養科目「源平内乱の時代を京都で生きた人たち」は、義経の評価で終結となります。

 ● 先週の水曜日(16日)にNHKテレビで放送された「歴史秘話ヒストリア」という番組で、東国武士の野蛮さを示す一例として、壇ノ浦合戦の際、義経軍が水手・梶取を射殺すというルール違反で勝利を得たことが語られたが、それは本当なのかという質問が寄せられました。
 かつて、そんな説もありましたが、これについては佐伯真一先生が、明快に否定されている通りだと思います(『物語の舞台を歩く 平家物語』山川出版社、125ページ)。 ちなみに、この番組では、平家を「草食系武士」と呼んでいたそうですが、そこまで言っては平家に気の毒ですし、武士の何たるかが分からなくなってしまいます。もっとも、最近は「貴族が殴り合っている」ので、仕方のないことなのかも知れませんが・・・(笑)。

 ☆ 長野工業高専の中澤克昭先生より、御高論「生産・開発」・「交通」収録の高橋慎一朗編『史跡で読む日本の歴史6 鎌倉の世界』(吉川弘文館)を御恵送頂きました。
 中澤先生にあつく御礼を申し上げます。

 ☆ 慶應義塾大学の小川剛生先生より、新刊の御高著『中世の書物と学問』(山川出版社)を御恵送頂きました。小川先生にあつく御礼を申し上げます。

 ☆ 日本大学の関幸彦先生より、新刊の御高著『北条時政と北条政子』』(山川出版社)を御恵送頂きました。関先生にあつく御礼を申し上げます。 

共犯者の反省付愚痴

元木泰雄
No.6968

 その番組の罪悪に関しては、共犯者かもしれません。
 熱心なディレクター氏と、数度にわたる面談、何時間もの打ち合わせを重ね、彼の認識は大変な水準に達していました。
 ところが、鶴の一声で、くだらないタイトルに変更され、すでに映像会社で作られた、いい加減な資料に基づく「再現フィルム」が垂れ流しになる。これが受信料を徴収して作られている番組の実態です。
 もちろんそんなことはすでに経験済みでもあり、それで腹が立つなら出るなと言われそうですが(笑)。しかし、わかっていてもこの体質には本当に怒りと、危険を感じないではいられません。
 「鶴の一声」の背景には、一般人が分からない、視聴率が稼げないという、上の方のカンによる判断があるようです。カンが正しいかどうかはともかく、学問、学者はお添え物、視聴率のためには学問を無視しても構わないというのは、まさに詐欺というべきものです。こんな番組にのんきに出ている学者は、でたらめ映像を正当化するピエロですね、まったく。あたかも、インチキな通信販売の宣伝に出るようなものです。

 それを言うなら、学問などどうでもよい、「学生」さえ集まり、ともかく卒業させれば組織は発展する、学生の頭の中は空でよい、教員は学生のご機嫌取りがいいという、昨今の大学、それを推進する文科省の方針も同じこと。この状態が続けば、間違えなく日本は世界に取り残されることになります。いよいよ日本も二流国に、先進国から後進国に落ちぶれてきましたね。これからの人たちは本当に気の毒としか言いようがありません。もちろん、もうすぐあの世に行く身にはどうでもいいことですが(笑)。
 大学の惨状。今週まだ授業があります。明日は3コマ。ちなみに来年から23日も授業になります。木曜は、9時半、14時50分、16時と会議三連発。出て終わりの会議ではありません。宿題が出ます。中期目標とか何とかいう実にくだらない問題ですから、極めてストレスが溜まります。
 これでどうやって研究しろというのでしょうかね。こんなことばかりやっていると、本を書く能力も失われてしまいます。今夏、久しぶりに書物の筆をとりましたが、さっぱり進まず。震災後の3カ月避難の後を思い出しました。学務と学問を無理に両立させて体調を崩された先生もおられます。
 定年を指折り数えて待っていたら、65まで延長とのこと。懲役が伸びた気分です。だれか学務を専門にこなしてくれるアルバイトはいませんかね・・・

 宝くじが当たったら、こんな大学なんかやめてやるのに。
 それより、その資金をもとにアルカイーダの関係者でも雇って文科省、いや国家転覆のテロを計画しようかしら・・・。