鳥部山(鳥辺山)の煙(けぶり)

No.6935

 貫先生にお別れして参りました。さみしい限りです。
 しかし、これから、いよいよ、先生の御研究に学ばせて頂く所存でおります。

 私の母校、千葉東高校は、明日から京都方面への修学旅行だそうです。
 41年前の修学旅行も今ごろでした。学生帽をかぶり、首からカメラをぶら下げた17歳の私は、はじめて乗った新幹線ではじめて京都に来て、その文化財の密度に圧倒されたものでした。あの時、将来、京都でこんなに長く暮らすことになろうことなど、ついぞ予想も致しませんでした。
 清水の舞台の上から、「あの方向が鳥部山の煙の立つ辺りか」と眺めやった先にある研究室で、いま私は日々を過ごしているのです。
 明日上洛する後輩諸君の運命や如何に?

 ☆ 北海道教育大学の鈴木哲雄先生より、新刊の御高著『香取文書と中世の東国』(同成社)を御恵送頂きました。
 香取文書に対する総合的な御研究の成果です。
 鈴木先生に、あつく御礼を申し上げます。

 ☆ 長野県立歴史館の村石正行先生より、御高論「中世前期における処分状作成の一様態-いわゆる書分をめぐって-」(『史学』第77巻第4号)と、長野県立歴史館で開催された信濃史料刊行40周年記念・長野県立歴史館開館15周年記念夏季展の図録『信州 知の遺産の系譜 歴史を記録した先人たち』を御恵送頂きました。
 村石先生にあつく御礼を申し上げます。

しかし、人生は続く-次回の『吾妻鏡』-

岩田慎平
No.6936

 貫達人先生ご逝去の報には本当に驚きました。
 先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます。 

 * * * * * * * * * * * * * * * *  

 日時:2009年11月25日(火)14:00~(予定)
 場所:京都女子大学L校舎 3階 共同研究室

 範囲:建長三年(1251年)四月二十日・二十六日、五月一日・五日・八日・十五日・二十七日、六月五日・十日・十五日・二十日・二十一日・二十二日、七月四日・八日・十日・二十日、八月六日・二十一日・二十三日、九月五日・二十日、十月十九日・二十九日、十一月十二日・十三日・十八日・二十二日・二十七日、十二月二日・三日・五日・七日・十七日・二十二日・二十六日・二十七日の各条

 毎週火曜日の『吾妻鏡』講読会は、参加者のみなさんの自主的な積極性によって支えられています。冬の訪れを思わせる季節に何か始めてみようという方も、まずは見学からでもどうぞお気軽にご参加ください。

急告 貫達人先生所縁の皆様へ

No.6931

 貫達人先生が逝去されました。

   お通夜は18日 18~19時
   告別式は19日 11~12時
    場所 カドキホール 鎌倉市御成町3-5℡0467-24-4455    
     所在地は下馬四つ角(鎌倉駅より海岸方向に徒歩5分)
             http://www.kadoki.co.jp/
 
  ※ お知り合いの青山学院大学史学科の関係者などに、御連絡頂ければ幸いです。

木曜日の法住寺殿跡見学会について

No.6932

 19日(木)に予定していた法住寺殿跡の見学会ですが、御案内が出来なくなりました。
 資料は作成済みですので、自由見学という形にしたいと思います。
 10時半に研究室前で、山本さんから資料(7枚)をお受け取り下さい。
 「地図を片手に、自分で場所を確認しながら」というのも一興だと思います。

 山本さん、よろしくお願い致します。

『紫苑』第8号の執筆依頼&明日の講義

No.6929

 岩田慎平君・藪本勝治君・大谷久美子さん・山本みなみさん

 すでに内諾は頂いておりますが、『紫苑』第8号掲載原稿の執筆を、この場を借りて、上記の方々に正式にお願い致します。
 公式締切は本年12月22日(火)と致します。
 なお、不明な点は編集長にお問い合わせ下さい。
 ほかに、執筆希望の方がおられましたら、遠慮無くお申し出下さい。

 ※ 岩田君を皮切りに、発表内容についての中間報告を例会の形で開催したいと考えています。


 明日(17日)のキャンパスプラザⅡ講時「特別講座科目1 『平家物語』と中世前期の京都」は、「鎌倉政権の成立と源頼朝」がテーマです。なお、前回の後白河院の話の補足として、最新の研究成果に基づく院御所法住寺殿の地図を配布します。また、事務サイドからの依頼により、授業アンケートをお願いします。

 Ⅴ講時の基礎教養科目「源平内乱の時代を京都で生きた人たち」は前回の続きで、平治の乱以降の後白河院と政治の動きを見ていきたいと思います。

31回目の年末調整

No.6926

 今年も年末調整の書類を作成する時期になりました。私はこういう事務仕事が苦手で、その上、整理も悪いので、保険会社から届いたはずの控除証明書が見つからなかったりして、毎年てんやわんやの大騒ぎという為体です。
 しかし、思い起こせば、今年ではや31回目。つまり、1979年に高校教諭になって以来、給与生活者として既に30年が過ぎ去ったということになります。
 それでも、まだこの書類作りは慣れません。しかし、あえて申せば、科研のように電子申請にならないのが救いです。

 既に岩田君が案内を出してくれている(>>No.6923)火曜日(17日)の『吾妻鏡』講読会ですが、先にお知らせしたように、共同研究室を入学センターにお貸ししますので、今回は教授室で行います。お間違えのないように。コピー機も使えませんので、コピーは事前にお願い致します。

 ☆ 千葉県の県史編纂の仕事の際などに大変お世話になった佐賀県小城市の眞子雅允さんより、今秋、小城市立歴史資料館で開催された佐賀大学地域学歴史文化研究センター・小城市教育委員会共催の特別展の図録『中世小城の歴史・文化と肥前千葉氏』を御恵送頂きました。
 眞子さんに、あつく御礼を申し上げます。

はたらけどはたらけど

No.6928

 本当にいつも杜撰なご案内で申し訳ありませんが、次回(明日)の火曜日の『吾妻鏡』は通常通りの時刻より、野口先生の研究室で行います。よろしくお願いします。
 範囲は以下のとおりです↓

 範囲:建長三年(1251年)正月一日・四日・五日、二月一日・十日・二十日・二十四日、三月六日・七日・十四日、四月二十日・二十六日、五月一日・五日・八日・十五日・二十七日、六月五日・十日・十五日・二十日・二十一日・二十二日、七月四日・八日・十日・二十日、八月六日・二十一日・二十三日、九月五日・二十日、十月十九日・二十九日、十一月十二日・十三日・十八日・二十二日・二十七日、十二月二日・三日・五日・七日・十七日・二十二日・二十六日・二十七日の各条

 年末調整の書類、提出しました。バイト先では店舗ごとにまとめて提出することになっているのですが、誰が出していないだとかどの書類に不備があるだとか、何かと面倒が出来致します…。

昼食はお饅頭 付 来週の見学会案内

No.6922

 今日はミュージアム知覧の新地浩一郎さんがお見えになり、沢山のお土産をいただきました。
 学術資料の他に「薩摩花林糖饅頭」も。
 『吾妻鏡』講読会は、先日、畠山先生にいただいた福山名物のお饅頭もあり、7人の2回生のみなさんは大満足だったことと思います。
 新地さん、どうもありがとうございました。

 今回は昨年の公開講座で川本重雄先生の使用された資料を使わせていただいて、将軍御所の空間的な身分秩序についてお話ししました。これは、東国武士に対する通説的な理解を打破する上で重要な事実であると考えています。

 治承四年十二月十二日条ですから、鎌倉幕府の成立時期についても一席ぶたせていただきました。
 私の恩師、貫達人先生の「承久三年説」は、『青山史学』創刊号(青山学院大学史学科研究室)に掲載されています。

 今日は「一所傍輩」も出て参りました。「小松殿」ならぬ「小松寮」で一所傍輩の学生さんには、自分のことのように「一所傍輩のネットワーク」の意味が理解できたことと思います。
 橘公長と加々美長清の関係です。
 ところで、橘氏(→小鹿島氏)と言えば、
 >岩田君  関学での御報告は如何でしたか? 

 ◎ 来週木曜日の『吾妻鏡』講読会は、六波羅の一部と豊臣氏関連遺跡を含める形で後白河院の院御所であった「法住寺殿跡」の見学です。
 見学先は「伝佐藤嗣信・忠信墓」→「積翠園(伝・平重盛小松殿庭園跡)→東山大仏殿跡→方広寺鐘楼→六波羅探題関係遺構出土地点→蓮華王院(三十三間堂)→後白河天皇陵→法住寺南殿跡→最勝光院跡→今熊野社→新日吉社、というコースを予定しています。
 10時30分、研究室前に集合して下さい。
 ゼミメンバー以外の参加も歓迎します。
 なお、「お金の取られるところ」には入りませんので、費用は要りません。ほかでは絶対に手に入らない資料を用意する予定です。

吏僚的武士の橘氏-次回の『吾妻鏡』-

岩田慎平
No.6923

 新地さんに鹿児島をご案内いただいてからもう四年ほど経ちますね。その節は大変お世話になりました。
 あのときは、出発前に(最近話題の)大阪南港のフェリーターミナルで時間潰しをしたり、知覧警察署のお世話になったりと、いろいろなことがありました。

 >野口先生
 水曜日は橘氏について報告をして参りました。またお聞きいただきたいと思いますが、橘氏の存在形態もまた、鎌倉幕府に対する通説的な理解を打破する上で重要な事柄であると思われます。

 次回の火曜日の『吾妻鏡』は以下の通りです。 

 日時:2009年11月17日(火)14:00~(予定)
 場所:京都女子大学L校舎 3階 野口先生の研究室

 範囲:建長三年(1251年)正月一日・四日・五日、二月一日・十日・二十日・二十四日、三月六日・七日・十四日、四月二十日・二十六日、五月一日・五日・八日・十五日・二十七日、六月五日・十日・十五日・二十日・二十一日・二十二日、七月四日・八日・十日・二十日、八月六日・二十一日・二十三日、九月五日・二十日、十月十九日・二十九日、十一月十二日・十三日・十八日・二十二日・二十七日、十二月二日・三日・五日・七日・十七日・二十二日・二十六日・二十七日の各条

 毎週火曜日の『吾妻鏡』講読会は、参加者のみなさんの自主的な積極性によって支えられています。後期もどうぞよろしくお願いします。冬の訪れを思わせる季節に何か始めてみようという方も、まずは見学からでもどうぞお気軽にご参加ください。

橘氏の研究は立ち話では終わらない。

No.6924

 岩田君が知覧警察署のお世話になったというのは、落とした財布が見つかったのを受取りに行ったというだけの話ですので、念のため。
 ちなみに、岩田君が財布を落としたのは、大雨の中、車でいっぱいの駐車場で車から降りようとした私を濡らすまいと、無理な体勢で傘を差し掛けてくれたからでした。

 ところで、橘(小鹿島)氏ですが、本年度の共同研究の一環として、公開での研究発表会を企画したいと思います。今月末か12月の初め頃に如何でしょうか。
 ほかに報告(テーマは自由)を希望する方がおられましたら、お申し出下さい。

逃走経路、如件

岩田慎平
No.6925

 しつこいですが、大阪南港のフェリーターミナルで時間を潰したのは私が集合時間を間違えたためでありますが、その後、住之江公園のほうのフェリーターミナルに移動し宮崎行きのフェリーに乗船、船内で一風呂浴びて、翌朝カンカン照りの宮崎港に到着しました。フェリー内では自作のお弁当を開く方もいました。まさに用意周到です。
 船内放送(?)ではW杯ドイツ大会アジア予選最終戦の日本vsイランが流れていました。
 知覧警察署の受付の窓の向こうの、机の上にちょこんと置かれた赤い(当時)サイフの光景は今でも忘れられません。拾って届けて下さった方には、ただただ感謝です。

 さて、ご提案いただきました研究発表ですが、日程は後日ご相談させていただくと致しまして、させていただけるとすれば以下のような内容になる予定です。

 題名:「小鹿島橘氏の治承寿永内乱」
 概要:坂東武士ではないが鎌倉幕府の有力御家人である橘氏(小鹿島氏)のことを取り上げながら、中世前期の武士の存在形態や鎌倉幕府成立にまつわる諸問題を考えたいと思います。
 主な参考文献は以下の通りです。

 川合康「内乱期の軍制と都の武士社会」『日本史研究』501、2004年。
 塩谷順耳「武士団の東北移住―橘氏(小鹿島氏)を中心に」『歴史』19、1958年。
 野口実『源氏と坂東武士』吉川弘文館、2007年。
 元木泰雄『源義経』吉川弘文館、2007年。

「一天、にわかにかき曇り」の宮崎空港

No.6927

 「カンカン照りの宮崎港」・・・とのことですが、その日のお昼、岩田君たちが飛行機組と宮崎空港で集合したときには「一天、にわかにかき曇り」となり、それから三日の間、雨の降らないことはなく、桜島すらうすボンヤリとしか見えず、開聞岳に至っては影も形もございませんでした。
 ゼミの一行の中に雨降(あめふらし)の験者がおられたのでしょうか?

 鎌倉期の橘氏に関する参考文献ですが、以下も役に立つと思います。
  塩谷順耳『中世の秋田』(秋田魁新報社、1982年)
  服部英雄「開発・その進展と領主制支配-肥前国長嶋庄の橘薩摩一族-」
        (『地方史研究』152)

来年度の共同研究申請が承認されました

No.6921

 本日の研究所運営委員会で、下記の平成22年度における研究所共同研究助成の申請が承認されましたので、お知らせ致します。
                   記
 <研究課題>「中世前期における都鄙の文化・社会情況
         (法然・親鸞登場の歴史的背景に関する研究Ⅱ)」
 <研究代表者> 野口 実(本学研究所教授・日本中世史)
 <研究協力者> 岩田慎平(関西学院大学大学院研究員・日本中世史)
            畠山 誠(元、広島県公立高校教諭・日本仏教史)
            前川佳代(奈良女子大学人間文化研究科博士研究員・日本中世考古学)
            藪本勝治(神戸大学大学院人文学研究科DC・日本中世文学)

 <研究目的>以下については、>>No.6892を御参照下さい。
 研究協力者(共同研究員)のみな様、何卒よろしくお願い申しあげます。 

 >三輪さん  香川県の旅行のおみやげのお菓子、たしかに受け取りました。ありがとうございました。

明日(10日)の講義予告

No.6919

 キャンパスプラザⅡ講時の「特別講座科目1 『平家物語』と中世前期の京都」は、前回の院政成立の話を踏まえて「後白河院とその院御所法住寺殿」について述べたいと思います。なお、会議の都合で、終了時間を繰り上げます。

 Ⅴ講時の基礎教養科目「源平内乱の時代を京都で生きた人たち」も前回の続きで、こちらは後白河院の人物像そのものに迫りたいと思います。

 >長村君 『研究紀要』の校正、受け取りました。ありがとうございました。

 【追記】
● 14日(土)17:00から11月15日(日)にかけて、メールサーバメンテナンスが行なわれるため、大学研究室のメールの送受信が行なえなくなりますので、ご注意下さい。 

「平家一門の栄華と瀬戸内海」の見学

No.6916

 本日(7日)は福山市の広島県立歴史博物館で開催されている特別展「平家一門の栄華と瀬戸内海」を見学し、同館主任学芸員鈴木康之氏による博物館講座「平家の時代の考古学」を聴講して参りました。

 展示は文献史学・考古学のみならず、建築・文学・芸能の分野にも目配りした充実した内容で、近年の平家研究の成果を集大成した展覧会として、もっと話題になって良いものだと思いました。まだ、御覧になっていない方は、可能ならば是非お出かけ下さい。それだけの価値はあると思います。

 驚いたのは、岡山市の吉野口遺跡から妹尾兼康のものと想定できる頭骨が出土しているということで、これは私の周辺の研究者にも全く情報が伝わっていないと思います。『平家物語』研究者にとってもビッグニュースなのではないかと思うのですが、御存知でしたでしょうか。
 ちなみに、妹尾兼康の行動から、あらためて平家の軍制のあり方についても再考させられました。

 また、伊勢平氏の家に伝えられた薫物の書である「香之書」の存在も初めて知りました。貴族社会の一員としての伊勢平氏の姿を鮮明にする史料といえましょう。

 鈴木先生のお話で、楠葉型瓦器の特徴なども、よく理解することが出来ました。

 法住寺殿の武将墓から出土した鍬形や鏡轡も出展されていましたが、パネルと図録掲載の六波羅・法住寺殿の地図は山田邦和先生と私の共同研究の成果によるものでした。この地図は、最近刊行された平家関係の書籍には必ず掲載されており、完全に市民権を獲得したようで、嬉しい限りです。

 今日は共同研究員の畠山誠先生が岡山から駆けつけて下さり、また京女の卒業生で現在広島大学大学院に在籍している尻池由佳さんも同行して下さいました。おかげで、福山に関する知見を得ることが出来ましたし(畠山先生からは福山に関する書籍も頂きました)、共同研究の情報交換も行うことが出来ました。

 あっという間に時が過ぎ、帰りに福山の駅で、私がゼミのお土産をなんとか安いお菓子でごまかそうとしていると、すかさず畠山先生が、「これ、ゼミの皆さんへのお土産です」と言って、私が買い渋っていた高級なお菓子(しかも大箱)をお渡し下さいました。恐縮あるのみでした。

 それから、わざわざ新幹線ホームまでお見送り下さった尻池さん、ありがとうございました。きっと、素晴らしい論文を書き上げて下さい。

今週・来週、木曜日の『吾妻鏡』講読会

No.6914

 昨日のゼミ『吾妻鏡』講読会は、学園祭明けだったせいか、参加者は少なかったのですが、内容はたいへん充実したものでした。このところ、山本さんが『玉葉』『山槐記』から関連記事を抜粋したコピーを用意してくれているのです。
 学部2回生の『吾妻鏡』講読で、記録との併読が出来るというのは、なかなかのレベルなのではないでしょうか。
 次回は、学長・川本先生が昨年の公開講座の際に用意して下さった資料を活用して、将軍御所の空間について考えたいと思います。

 ちなみに、次回は12日ですが、文化庁の会議出席のために上洛されるミュージアム知覧の新地浩一郎先生が、午前中、帰りの飛行機の出発までの空き時間にお立ち寄り頂けるとのことですので(先日拝見した展示資料についての用向もあります)、少しの時間でも、中世の南九州や博物館のお話を、みんなでうかがうことが出来れば幸いと思っています。
 先年の鹿児島旅行に参加した方も、御用がなければ是非お出で下さい。

 目下、『研究紀要』23号掲載予定の、長村祥知君と共著で執筆した「承久宇治川合戦の再検討-史料の検討を中心に-」という論文の初校校正をしています。長村君の担当部分が重厚且つ理路整然たるものであるのに対して、拙文の不明さは際立つばかりです。

 加藤和彦もレヴィ=ストロースもいなくなって、「時」が、どんどん、どんどん過去に押し流されてしまうように思える今日この頃です。 

失われた時を求めて-次回の火曜日『吾妻鏡』-

No.6915

 山本さんは火曜日の『吾妻鏡』でも良い準備をしてきてくれています。いつもありがとうございます。
 ちょっと下の方に沈んでしまいましたので、また次回の火曜日の『吾妻鏡』のご案内です。

 日時:2009年11月10日(火)14:00~(予定)
 場所:京都女子大学L校舎 3階 共同研究室

 範囲:建長二年(1250年)九月十日・十八日、十月七日、十一月十一日・二十八日・二十九日、十二月三日・五日・七日・九日・十一日・十五日・二十日・二十三日・二十七日・二十八日・二十九日
    建長三年(1251年)正月一日・四日・五日、二月一日・十日・二十日・二十四日、三月六日・七日・十四日、四月二十日・二十六日、五月一日・五日・八日・十五日・二十七日、六月五日・十日・十五日・二十日・二十一日・二十二日、七月四日・八日・十日・二十日、八月六日・二十一日・二十三日、九月五日・二十日、十月十九日・二十九日、十一月十二日・十三日・十八日・二十二日・二十七日、十二月二日・三日・五日・七日・十七日・二十二日・二十六日・二十七日の各条

 毎週火曜日の『吾妻鏡』講読会は、参加者のみなさんの自主的な積極性によって支えられています。後期もどうぞよろしくお願いします。秋から何か始めてみようという方も、まずは見学からでもどうぞお気軽にご参加ください。

京都女子大学「錦華殿」の展観

No.6913

 本日、京女は藤花祭の後片付けで休講ですが、私は研究室で山のような(?)書類と格闘中です。
 一段落したところで、錦華殿で図書館主催の西国三十三カ所に関する図書館資料の展観をやっているのを思い出して見学に行ってきました。内容は以下を参照。
       http://www2.kyoto-wu.ac.jp/detail.cgi?target=0&news_id=498

 京女にも、結構な資料があることが分かります。国文学専攻の人にはたまらない内容だと思いました。
 まだ見に行っていない人は、必ず明日中に覗いてみて下さい。なにしろ、明日までですから。

 >雨野さん  上記展観を見学に来て下さったようですね。「急襲」のし甲斐が無く申し訳ありませんでした。また、お出かけ下さい。

 ☆ 京都造形芸術大学の野村朋弘先生より、御高論「『久我家文書』一号文書の再検討」(『古文書研究』第67号)を御恵送頂きました。
 野村先生に、あつく御礼を申し上げます。

【追記】 ある方から、「>>No.6912の歌の意味が分かりませ~ん」とのメールがありました。
 20代前半の頃、この私にも、体重58㎏で上半身が逆三角形ということがあったというわけですよ。
 こういうのを「無常」というのです。それにしても「無情」な質問ですね。