やる気になりさえすれば。
No.6788
このところ、ゼミメンバーの「やる気」が目立ちます。
金曜日の『吾妻鏡』では、2回生の山本さんが富士川合戦について記録の所見を読みたいということで、予習をふまえて一人で『山槐記』を読破。
一方、建築史の山口さんは鶴岡八幡宮にも関心を広められたようで、研究室から境内発掘調査の報告書まで借り出して行かれました。『紫苑』に何か書いていただけるでしょうか?
さらに、岩田君も来月の大阪歴史学会中世史部会の例会報告を引き受けられた由。
それから、これはお知らせが遅れてしまったのですが、学習院の大学院に進学した伊藤さんは、さる19日に静岡大学で開催された「日本文学協会第29回研究発表大会」の中世部会で「『和田宴』考」というテーマの研究発表をなされました。
みなさんの<元気>にあやかりたいものであります。
今週は試験あり、レポートの提出ありで、実質的に前期の最終週ということになります。
☆ 髙橋昌明先生より、 >>No.6783で紹介させて頂いた御高論「六波羅幕府という提起は不適当か-上横手雅敬氏の拙著評に応える-」(『日本史研究』563)を御恵送いただきました。
「幕府」とは何か。近年の武士論における実証的成果を前提に、東国国家論や王権論も踏まえて再検討しなければならない段階に来ているのかも知れません。
「六波羅幕府論」については、関東や東北の研究者の御意見をうかがいたいところです。
高橋先生にあつく御礼を申し上げます。
☆ 学振研究員の小原嘉記先生より、御高論「平安後期の任用国司号と在庁層」(『日本歴史』735)と共著の御高論「「東大寺大勧進文書集」の研究」(『南都佛教』91)を御恵送いただきました。
前者については>>No.6786で紹介させて頂いたとおりです。この論文の「おわりに」の「雑色人層は京との接触を断続的に有しており、地方勢力の結集ということが彼らの主要ベクトルであったわけでもない」という指摘は、平安末期の地方「武士」の存在形態にも敷衍できる重要な指摘であると思います。
後者からは、鎌倉前期における東国有力御家人の西国守護補任に関する新知見を得ることが出来ました。
小原先生に、あつく御礼を申し上げます。
金曜日の『吾妻鏡』では、2回生の山本さんが富士川合戦について記録の所見を読みたいということで、予習をふまえて一人で『山槐記』を読破。
一方、建築史の山口さんは鶴岡八幡宮にも関心を広められたようで、研究室から境内発掘調査の報告書まで借り出して行かれました。『紫苑』に何か書いていただけるでしょうか?
さらに、岩田君も来月の大阪歴史学会中世史部会の例会報告を引き受けられた由。
それから、これはお知らせが遅れてしまったのですが、学習院の大学院に進学した伊藤さんは、さる19日に静岡大学で開催された「日本文学協会第29回研究発表大会」の中世部会で「『和田宴』考」というテーマの研究発表をなされました。
みなさんの<元気>にあやかりたいものであります。
今週は試験あり、レポートの提出ありで、実質的に前期の最終週ということになります。
☆ 髙橋昌明先生より、 >>No.6783で紹介させて頂いた御高論「六波羅幕府という提起は不適当か-上横手雅敬氏の拙著評に応える-」(『日本史研究』563)を御恵送いただきました。
「幕府」とは何か。近年の武士論における実証的成果を前提に、東国国家論や王権論も踏まえて再検討しなければならない段階に来ているのかも知れません。
「六波羅幕府論」については、関東や東北の研究者の御意見をうかがいたいところです。
高橋先生にあつく御礼を申し上げます。
☆ 学振研究員の小原嘉記先生より、御高論「平安後期の任用国司号と在庁層」(『日本歴史』735)と共著の御高論「「東大寺大勧進文書集」の研究」(『南都佛教』91)を御恵送いただきました。
前者については>>No.6786で紹介させて頂いたとおりです。この論文の「おわりに」の「雑色人層は京との接触を断続的に有しており、地方勢力の結集ということが彼らの主要ベクトルであったわけでもない」という指摘は、平安末期の地方「武士」の存在形態にも敷衍できる重要な指摘であると思います。
後者からは、鎌倉前期における東国有力御家人の西国守護補任に関する新知見を得ることが出来ました。
小原先生に、あつく御礼を申し上げます。