藤原成親の再評価

No.6195

 元木泰雄先生より御高論「藤原成親と平氏」(『立命館文学』605)を御恵送頂きました。
 
 昨年秋の『台記』研究会における「奇跡の報告」>>No.5968で大要はうかがっておりましたが、従来の藤原成親に対する評価(私には村井康彦氏が『平家物語の世界』の中で〝騒動を売る男〟と評価されたのが印象的でした)を克服、ないしは一変させ、また平家政権下に於ける重盛の立場を明確にし、それらにともなう平家政権の地方武士掌握の面での弱点を示唆して、治承寿永内乱の帰趨に大きな展望を示されたものと思います。
 
 あらゆる史料を綿密に読みこなされた元木先生は、この時代に生きた人たちよりも、この時代の政治を理解されている。それをあらためて実感させられました。後白河による武力編成のあり方についても、おおいに蒙を啓くことが出来ました。
 
 元木先生に、あらためてあつく御礼を申し上げる次第です。
 
 なお、本論文は、『平家物語』研究に大きな影響を与えることと思います。国文学の研究者の皆様にも御一読をお薦めいたします。

 
 ☆ 今年度から明治大学にうつられた鈴木彰先生より、御高論「鬼丸・鬼切説の展開と『太平記』」(佐藤和彦編『中世の内乱と社会』)・「曾我兄弟所持の太刀と『曾我物語』-仮名本の流布と再生-」(関西軍記研究会編『軍記物語の窓』第三集)・「『平家物語』-京・薩摩国・鬼界島」(小林保治監修『中世文学の回廊』勉誠出版)を御恵送頂きました。
 こちらは逆に歴史学の側で享受されるべき重要な内容を含みます。
 三番目の御高論は鹿児島で中世史を研究されている方には興味津々だと思います。
 また、本年度の中世史サマーセミナーにお出かけになる方も、一読しておくと宜しいかと存じます。
 
 『曾我物語』の御高論は、学習院の伊藤さん、必読ですよ。

 なお、昨日は江波さん・山岡さん、お疲れ様でした。

Re: 藤原成親の再評価

元木泰雄
No.6200

野口先生、またまた過分の御褒詞を賜り、誠に有難うございました。面映いやら恥ずかしいやらですが、しかしこの論文を書いて本当に良かったと思いました。

 先の保元・平治の乱の再検討では、信頼の武門の統合者という立場を解明しました。これは、保元の乱後の政治構造の混乱に対応したものですが、成親は後白河院の複合権門化にともなう、独自の武装の中核として、平重盛や下北面を統合する存在と位置づけてみました。またまた不評の人物の「冤を雪ぐ」ことになりましたかどうか、ご批判を仰ぐばかりです。
 こうなると、やはり次は重盛、そして検非違使庁の掌握をめぐって成親と競合した時忠論を取り上げなければ、という気分です。研究したいことは山積ですが、気力・体力が衰え、酒量と体重、それに雑務ばかりが増大中でございます(笑)。

 今回の拙稿では、『兵範記』人名索引を駆使致しました。子細に見ておりますとミスも目に付きますが、やはり威力抜群。今後の研究に大きく裨益することは疑いないものと存じます。
 余談ですが、『立命館文学』もいまやA4版、グローバルスタンダードです。字が大きくて老眼には有難いのですが、反面大きすぎて扱いにくい面もあります。
 野口先生も仰せですが、図版、写真を多用する理系はともかく、人文系は昔のままでも良かったのではないかななどと思ってしまいます。

 なお、19ページ下段に記した家成一族の左馬寮知行は、長村君のご教示によるものです。このことを註②に書き加えるべきでした。長村君ならびに各位に深くお詫び申し上げます。
 弟子との会話を失念するにいたっては、もはや論外。引き際を考えるときかも・・・
 ローンもあるし、ここは一つ怪しげな小説でも書いてみますか(笑)。
 

「怪しげな小説」、楽しみです。

No.6206

 元木先生、御返信ありがとうございます。
 「怪しげな小説」ぜひ読んでみたいのですが、その前に、学界待望の論文集の御刊行を宜しくお願い申し上げる次第です。
 ちなみに、元木先生の御著書は小説家にも引っ張りだこで、内容のみならず、文章までお手本にされているようですから、小説家としての御成功は間違いないと存じます。

 なお、余談ながら、先日、拙著の文章を国語の試験練習問題に使いたいという依頼を頂くなどという信じがたいことが発生しており、日本人の国語力の将来には大いに懸念がもたれるところであります。

 長村君には私もいろいろ御教示を得ることが多く、御高見を論文などで使わせていただきたいと考えています。拙論の注は長村君のお名前で埋め尽くされてしまうかも知れません。

>美川先生  お勧め(>>No.6061)のWiiスポーツですが、奇特なる親族の寄進によって、はじめることができました。

Re: 藤原成親の再評価

元木泰雄
No.6209

  野口先生、その小説とは『吾妻鏡殺人事件』というタイトルの予定です(笑)。
 1982年ごろ、二時間ドラマになった夢も見ました。主演は加藤剛。彼が探偵なのか、『吾妻鏡』の研究者なのか定かではありませんが、夢ではっきり見たおぼえがあります。当方も、加藤剛と話をする場面があるのですが、それはチョイ役としてなのか、関係者としてなのか、それもはっきり致しません。
 この話をしたら、美川先生が「そんなにテレビに出たいのですか」と噴出されたのを覚えております。
 ところが、サントリーバーのご常連のK先生が、「おれも大学辞めたから小説を書くねん。『吾妻鏡殺人事件』言うてな、『吾妻鏡』の欠落部分の頼朝殺害の場面を発見した研究者が、自分も殺人事件に巻き込まれるゆう話や」と仰せでした。そっちの方が面白いかも知れません。
 殺人事件なら、どこかのワンマン理事長支配下の「伏魔殿」を舞台にしたほうがストーリーは複雑怪奇になりそうですね。でもそうした事実をもとに小説を書くと、「将軍様の支配下じゃあるまいし、日本でそんなことがあるわけがない。リアリティーに乏しい内容」とか批判されることでしょう。
 でも、東西でセクハラ理事長が逮捕されていることから見ても、けっして絵空事ではないのですが・・・・
 小説はともかく、本はどんどん書きたいと思います。
 第二論文集『武士政権成立史論』、ミネルヴァ書房『日記で読む日本中世』(松薗先生と共編、関係各位、よろしくお願い申し上げます)、中公新書『河内源氏―武士本流』、ミネルヴァ人物評伝選『平時子・時忠―平家にあらざらむものは人非人也』、第三論文集『初期公武政権論』、NHKブックス『源頼朝の苦闘』(上下)、『源平争乱の脇役達』(塙新書)・・・・。小説はその次ですかね(笑)。
 これを取らぬ狸の何とかというのですが、冗談とはいえ、何となく書こうという気になってまいりました。去年までの閉塞状況が打破できるような希望が持てそうな気が致します。これも、昨秋の野口先生の御報告に勇気付けられたおかげと、心から感謝致しております。
 今日は、新入生相手の『ポケットゼミ』。
 拙著『源義経』を素材に輪読を始めたところ、実に活発な議論となり、90分で終わりきらないほどでした。新入生も、対応次第でついてきてくれるし、関心を引き出せることを痛感致しました。
 毎年、史料ばかり読んできた全学共通科目の演習の方法も、今の学生達の学力や関心に応じて柔軟に対応することが必要であると思わされました。
 
 余談です。「権藤、雨、権藤」。
 掲示板で野口先生がよくお書きですが、お若い方にはチンプンカンプンと思います。
 権藤とは、往年の中日のエースで、元横浜の監督権藤博氏のことです。ウィキペディアの記事から、彼の活躍ぶりを引用しておきます。
 「鳥栖高校からブリヂストンタイヤを経て1961年に中日に入団。杉下茂の後の背番号20を受け継ぐ。同年のオープン戦で28回3分の1を投げて自責点1(防御率0.31)という驚異的な成績を残し、1年目よりエースとして大車輪の活躍。この年チーム試合数130の半分以上に当たる69試合に登板、そのうち先発登板は44試合。35勝19敗、投球回数429 1/3回、奪三振310、防御率1.70を記録。35勝は新人での最多勝プロ野球記録。連投に連投を重ねる権藤を指した「権藤、権藤、雨、権藤(雨、雨、権藤、雨、権藤と続く)」という流行語も生まれた。翌年、61試合に登板(先発登板39)、30勝17敗、投球回数362 1/3回、奪三振212、防御率2.33の成績を残し2年連続最多勝に輝いた。」

 でも権藤は翌年10勝、その次は6勝におわり、酷使が原因で投手生命を絶たれることになります。
 その彼が、コーチ、監督として、リリーフ投手にもローテーションを導入したのですから、使い潰された無念があったのでしょう。横浜の監督として、佐々木主浩投手を擁し、日本一になったのが98年。今も歯に衣着せぬ辛口解説で有名です。
 ちなみに61年度の、中日投手陣の成績は下記の通り(プロ野球記録博物館のサイトより転載)。権藤に次ぐ投手は河村、板東。

P 権藤 博 R 35 - 19 1.70 (Rは右、Lは左投手、以下勝・負・防御率)
P 河村 保彦 R 13 - 13 2.53
P 板東 英二 R 12 - 10 2.60
P 西尾 慈高 L 6 - 5 3.09
P 石川 緑 R 3 - 1 4.58
P 柿本 実 R 3 - 3 2.67 17 63.2
P 広島 衛 R 0 - 4 2.87 20 46.1
 
 岩田君が河村投手。すると当方はいまや芸能人のBさんですかね(笑)。昔、B氏とは大阪中津の「串樽」でばったり出会い、思わず挨拶しかけましたが。
 なお61年度ペナントレースの結果は以下の通り。権藤の奮戦むなしく、ドラゴンズは勝ち星で勝りながら、勝率は僅差で巨人に及ばす覇権を逸しました(現在なら勝ち星一位と勝率一位が異なる場合はプレーオフ)。あの管理野球の川上が新任でセリーグ制覇、勢いをかって日本シリーズも制しております。

 読売ジャイアンツ 130 71 53 6 .569 - -
 中日ドラゴンズ  130 72 56 2 .562 1.0

 最高殊勲選手は 打率.353、本塁打28本で二冠王となった長嶋茂雄が初めて受賞致しました。今なら35勝のほうが価値がありそうですが・・・何せあのころは稲尾42勝、杉浦38勝とか、30勝は珍しくなかったですからね。

やぶ蛇でした。

No.6216

 K先生とは、このところお目にかかることが重なったのですが、なるほど、そのようなことをお考えだったのですか。

 ミネルヴァ書房『日記で読む日本中世』、締切が今月末でしたね。そういえば、私も「関係各位」の一人でした。これは大変です。

 ちなみに、元木先生とペアを組まれる共編者の松薗先生は、今月、日本史研究会の例会で報告をなさいます。

 【例会】日記研究の現在―古代・中世の思考―
   5月24日(土)13:00~ 機関紙会館5F
   加藤友康氏「平安時代日記研究の多角的視座
         ―平安中期における日記の筆録・書写・部類を中心として―」
   松薗 斉氏「王朝日記と「家」の日記」

 「伏魔殿」ですが、これは全国至る所にございますね。

 ちなみに、「権藤、雨、権藤」を持ち出されたのは岩田君です。私は知りませんでした。岩田君世代の人たちは、なぜか1960~70年代に通暁されているのです。佐伯君もやたらと昔の歌を御存知です。
 かれらは本当は60歳くらいなのかも知れないと思うことがあります(笑)。

えっ!

元木泰雄
No.6217

 権藤一件は岩田君が言い出したのですか?
 何で知ってるのでしょうか。
 まあ歴史家ですから、40年あまり前のことくらい、知ってて当然ではありますが(笑)。
 あるいは熱狂的中日ファン?
 明日(5月2日)あったら訊いてみましょう。
 
 昔の歌といえば、以前どなたかの結婚式の余興で、高橋昌明先生が『梁塵秘抄』の一曲を歌われたことがあります。
 いわく「レコードを聴いて練習した」とのこと。これなら、調子が外れてもわからないなと感心したことがあります。
 

出典は定かではありませんが…

岩田慎平
No.6219

>元木先生、野口先生
 はい、確かに「権藤、権藤、雨、権藤」は私が言い出しっぺでした(※この掲示板では)。
 このフレーズは、権藤氏が横浜ベイスターズの監督として日本一になった1998年の、雑誌の記事などで読んだのではないかと思います。
 「20勝で沢村賞」の現代で、権藤氏やあるいはカネヤン(金田正一氏)のようなかつての年間数十勝投手が登板したらどういうことになるんでしょうね。

権藤監督

元木泰雄
No.6220

 岩田君、早速にレスを有難うございました。
 了解いたしました。
 今の沢村賞は、20勝まで行かないことの方が多いですね。
 往年の大投手が、今のようにローテーションを守り、きちんと分業していたら、選手寿命は飛躍的に延びたでしょうが、通算勝ち星はだいぶ減ったのではないでしょうか。
 優勝のかかった連投と、金田のような気楽な登板では、消耗度は違っていたと思います。

黒江の三本足打法

No.6222

私も、元木先生の御論文、恵送いただいております。すっかり、お礼が遅れてしまっています。この場をお借りして、お礼申し上げます。

 以上は、忘れていたのではないのですが、「関係各位」の方は、完全に締切を忘れておりました。えらいことです。今、某総合雑誌用の原稿を書いているところなので、それが終わったら始めたいと思います。

 で、権藤の話を読んでいて、変なことを思い出しました。巨人のV9時代に活躍した内野(遊撃)の黒江のことです。そのころ、父が読売につとめていた関係で、よく巨人戦のバックネット裏のチケットがまわってきました。父は読売社員ながら、熱狂的中日フアン。そのためか、中日戦が多かったと記憶しています。一度、そのチケットで母方の叔父と観戦したときのこと、酒に酔った叔父(スワローズフアン)が絶妙のヤジを飛ばすのです。ちょうどバッターボックスに黒江が立ったとき、叔父が「くろえー、おめえの3本の足はぜんぶ同じ長さじゃねえか」というまことに下品なヤジを飛ばし、周囲の観客が大笑い、しかも黒江にも聞こえたらしく、打席をはずして、こちらを振り返り、それがまた観客の笑いを呼びました。そのときの黒江の顔を今でも覚えています。失礼しました。

 昔のこと(しかもしょうもないこと)ばかり覚えている歳になりました。

Re: 藤原成親の再評価

元木泰雄
No.6225

美川先生、場所柄、これは「レッドカード」ですよ(笑)。ネタは選ばないと・・・
 その黒江氏、いまは西武のヘッドコーチですね。
 一時、長嶋監督の下で三塁コーチを務めて、無謀な本塁突入の指示ばかり出したので、『壊れた信号機』とか言われておりました。
 成績は以下の通り(前記サイトより転載)
 
年度 所属 試合 打数-安打 本塁 塁打 打点 盗塁 四球 死球 三振 打率 長打率
1964 巨人 26 43- 7 0 7 1 2 3 2 7 .163 0.163
1965 巨人 61 64- 11 0 13 0 11 6 0 7 .172 0.203
1966 巨人 91 262- 64 2 86 17 21 21 4 35 .244 0.328
1967 巨人 129 424- 118 9 174 49 10 40 8 51 .278 0.410
1968 巨人 129 423- 120 7 166 37 16 35 8 45 .284 0.392
1969 巨人 130 481- 141 7 182 63 8 34 3 56 .293 0.378
1970 巨人 123 405- 103 10 160 48 7 21 1 40 .254 0.395
1971 巨人 124 407- 113 6 157 42 22 30 8 27 .278 0.386
1972 巨人 127 451- 124 7 159 52 16 25 7 32 .275 0.353
1973 巨人 111 353- 87 8 130 47 10 24 3 28 .246 0.368
1974 巨人 84 165- 35 1 46 15 4 14 5 9 .212 0.279

 社会人から入団したので、選手寿命は短かかったのですが、69,70年ごろはONに次ぐ成績を挙げ、5番を打っておりました。
 また、70年のロッテとの日本シリーズ第一戦でサヨナラホームランを打つなど、しぶとい玄人好みの選手でした。

「年度はじめ」も終盤にさしかかりました。

No.6194

 当方、相変わらず提出書類の締切に追われる毎日ですが、昨日、非常勤でお見えになっている先生から紹介していただいたとのことで、国文の一回生がゼミに参加。武士の心性に興味があり、『平家物語』を勉強したいとのこと。さっそく、佐伯真一先生の『戦場の精神史』を借り出されていきました。授業時間の関係で『吾妻鏡』講読会に参加できないのが残念。
 『小右記』講読会にも院生の大谷さんが参加され、新年度からの参加者は史学科一回生6名、国文院生・学部生各1名、都合8名ということになりました。これからが問題ですが、前代未聞の発展ぶりです。先輩の諸姉兄の皆様、よろしく御教導のほどお願い申し上げます。

 昨日は、山岡さん・江波さん、それに史学科一回生4名の皆さんに、抜刷等を送付するための準備作業をしていただきました。

  一方、昨年度に引き続いて本年度も担当させていただいている現代社会学部「基礎演習Ⅰ」の一回生たちも元気いっぱい、やる気満々で、本日は報告テーマと報告日を決定したのですが、その過程そのものが、もうすっかり議論百出のゼミらしくなってきています。
 ちなみに、この掲示板について「先生の日記なんですか?」なんて質問も飛び出しました。さもありなん。なにしろ、「権藤、雨、権藤」ですから。

 ☆ 千葉市教育委員会で市史の編纂を担当されている簗瀬裕一先生より、御高論「中世後期の常滑焼片口鉢の編年について-東国の消費地遺跡における検討から-」(芹沢先生追討論文集刊行会編『芹沢先生追悼 考古・民族・歴史学論叢』六一書房)・「徳川将軍の御殿と御茶屋-千葉御茶屋御殿跡の検討から-」(千葉城郭研究会編『城郭と中世の東国』高志書院)、ならびに新刊の『千葉いまむかし』第21号を御恵送いただきました。
 簗瀬先生にあつく御礼を申し上げます。

 ☆ 鹿児島県霧島市教育委員会より、『霧島市埋蔵文化財発掘調査報告書(4) 留守氏館跡Ⅲ-第5・6次調査-』を御恵送いただきました。あつく御礼を申し上げます。

『紫苑』・抜刷等拝受しました。

尻池由佳
No.6199

 本日、ポストを見ると『紫苑』第6号が届いていました。
 野口先生、宇治史跡見学の資料を送ってほしいなどとご無理を言い、お忙しいところ申し訳ありませんでした。そして送付作業をしてくださった山岡さん・江波さん、元気のよさそうな史学科新一回生の皆様、ありがとうございました。『紫苑』はこれから楽しみに読ませていただきます。
 野口ゼミは今年度に入って大変盛り上がっているご様子。ますますのご発展を安芸国(ときには備後国)より祈っております。と同時に自分も成長するよう努力していきたいと思います。
 それでは、またお会いできる日を楽しみにしております。

『紫苑』拝受いたしました。

No.6201

『紫苑』拝受いたしました。
ありがとうございました。

今回のみなさまの論考は、昨年の吾妻鏡講読会でのお話が形になったものが多く、読んでいて非常に懐かしかったです。
みなさまの論考が完成されていく経過を拝見させていただいたことは、非常に貴重な経験だったと思います。


また、山岡さん、江波さん、一回生のみなさん、送付作業お疲れさまでした。


今年は一回生の参加者が多いと聞きました。
野口先生や、優秀な先輩方のもとで、様々なことをたくさん学んで、自分の向かうべき道や、夢を実現させる力を身につけてください。

野口ゼミの今後ますますの発展を、東国よりお祈り申し上げます。

また、上洛の際はよろしくお願いいたします。

一所傍輩のネットワーク

No.6207

 尻池さん、伊藤さん、ご送信有り難うございました。
 東西での御活躍、大いに期待しています。ほんとうに「一所傍輩のネットワーク」が構築されたようで、嬉しい限りです。
 時に、御地の様子など御報告下さい。
 そして、御上洛の折には、後輩諸姉への御助言などいただければ幸いです。

史跡見学の日々。

No.6191

 「京都大学西部構内・吉田泉殿町遺跡 発掘調査速報」
http://www.kyoto-u.ac.jp/maibun/news/news01.html
の現地説明会の写真。
 さて、私はどこにいるでしょう?お隣に辻君のお姿も。

 これは11日(金)のことでしたが、その後、15日(火)には、現代社会学部「基礎演習Ⅰ」のメンバーと京都女子大周辺の史跡、そして本日はゼミの皆さんや摂関家研究の第一線で御活躍の樋口さんなどと木幡・宇治の史跡と、見学会が連続してありました。
 
 本日は、少し風が強かったものの、久しぶりの日差しの中で(日の当たるところは暑く、木陰は寒いような天候でしたが)、あまり疲れを感じずに、正味4時間程、木幡・宇治の史跡を歩くことが出来ました。
 コースは、浄妙寺跡→宇治陵→松殿山荘→許波多神社→願行寺→西浦遺跡→宇治橋→橋寺→宇治上神社→宇治神社→塔の島→平等院→小松殿跡など。
 今回の見学会で特筆すべきは(江波さんの率いる)1回生の熱心さ。
 岩田君には西浦遺跡の写真を御用意頂き、ありがとうございました。また、樋口さんには、大阪歴史学会の大会報告に何かお役に立てることがあったのならば、幸いとするところであります。
 1回生のみなさんの御感想は如何?

 ☆ 千葉県で高校教員をしていた当時、大変お世話になった山本直彦先生より、東庄郷土史研究会編『東荘史 東庄町史研究 第五号』(東庄町史編さん委員会発行)を御恵送頂きました。『房総叢書』未収録の貴重な史料です。
 山本先生にあつく御礼を申し上げます。

 ☆ 一昨年度の研究所公開講座で講師をつとめて頂いた樋口州男先生より、新刊の御高著『武者の世の生と死』(新人物往来社)を御恵送頂きました。
 ほぼ『保暦間記』の対象とした時代に生きた人々の、戦いとの関わりを軸線に、その死生観をテーマにした十七篇で構成された一書。とくに国文学専攻の方に、ぜひ読んで頂きたい内容です。
 樋口先生にあつく御礼を申し上げます。

史跡見学と『吾妻鏡』

No.6192

 昨日は午前のうちはお天気も心配されましたが、午後からはすっきりと晴れ上がり、一時は汗ばむくらいの陽気に恵まれるなか、見学会が開催されました。
 浄妙寺跡、宇治陵、松殿山荘、許波多神社、願行寺、西浦遺跡などはどれも自宅から徒歩15分以内の場所ですが、今回はそういった身近な史跡を再認識するとても良い機会となりました。

 さて、ご無沙汰しておりました『吾妻鏡』の次回の予定をご案内致します。
 日時:2008年4月26日(土)13:00~(予定)
 場所:京都女子大学L校舎 3階 宗教・文化研究所共同研究室
 範囲:『吾妻鏡』嘉禎二年正月一日、十七日、二月二十二日、二十八日、三月七日、十三日、十四日、二十日、二十一日、四月二日、四日、五月二十四日、六月五日、六日、十一日、二十六日、二十七日、七月十日、十七日、二十四日、二十五日、八月三日、四日、五日、九日、二十日、九月九日、十日、十月二日、五日、二十九日、十一月一日、十三日、十四日、十五日、十二月三日、十九日、二十九日の各条
  (※少し先の方まで掲出しましたが、読めるところまで読んでいきましょう。また、掲出した範囲以外に「これは」という条文があれば、その都度お知らせ下さい。)

 なお、その先は、4/29(火)15:00頃~、5/10(土)13:00~、5/13(火)15:00頃~、と開催の予定です。変則的な日程となりますが、よろしくお願いします。

 いつものことながら、『吾妻鏡』の講読会は新規メンバー随時募集中です。定期的な史料講読に取り組みたいという方など、まずは見学からでもどうぞお気軽にご参加ください。

Re: 史跡見学とゼミ

船津丸幸起
No.6196

先日の史跡見学と本日の『吾妻鏡』のゼミ大変お世話になりました。
ありがとうございました。
木幡に関しては先生や先輩、研究員の方々の博識さと熱心さに圧倒されました。
自主的にどこどこにいきたい!となるまでは時間がかかると思いますが、先輩方の史跡見学には積極的についていきたいとおもいます。
また『吾妻鏡』に関してはまだまだ未熟で恥ずかしいものですが、ご指導よろしくお願いします。

宇治川の先陣は船津丸さん。

No.6197

 一回生の書き込み、船津丸さんが先陣をきりましたね。

 史跡見学。今年は積極的に計画したいと思っています。滋賀県の安土や長浜など。もっとも、京女周辺にも見所は沢山あります。今の季節はチャンスかも知れません。

 『吾妻鏡』。最初は取っつきにくいかも知れませんが、先輩諸姉たちも、まったくのゼロから、あれよあれよという間に、第一線の研究に関与するに至っております。
 史料から歴史を構築していく作業はとても楽しいものなのです。
 今年の一回生はおおいに見所がありますから、期待するところ多大です。卒論を書く頃までに、どれだけ成長しているか楽しみです。

 ちなみに、直前になってしまいましたが、先般の木幡・宇治見学会に同行して下さった樋口健太郎氏(当研究所共同研究員)の大阪歴史学会大会準備報告「中世摂関家の成立と王家」が明日開催されます。
  時間:18:30~
  場所:西宮市大学交流センター(ACTA西宮東館6F)講義室1
    (阪急神戸線西宮北口駅下車、北出口2階から徒歩2分)

史跡見学会、集合時刻変更のお知らせ

No.6190

 19日(土)に実施予定の「木幡・宇治史跡見学会」の集合時刻ですが、参加の一回生がⅡ講時まで授業があるため、集合時刻を13:30に変更させて頂きます。御了承下さい。
 本日、その見学会資料を作成しました。A3で11枚という大作になりました。『小右記』と『吾妻鏡』(初級)講読会に御出席の参加者には既に配布済み。
 しっかりと、目を通してきて下さい。
 
 本日は当方にとっては記念すべき一日でしたが大雨。誕生日(>>No.6177参照)も雨模様でしたから、どうも彼は「雨男」になるようです。
 なお、思いの外の御祝詞・お心遣いを頂戴して恐縮いたしております。ありがとうございました。

 本日、もう一つ記念すべきことは、『小右記』講読会と『吾妻鏡』(初級)講読会の開始です。新しい方が2名(史学科1回生と国文院生)も加わって下さって、実に充実した2コマになりました。これは、当方としても大変勉強になりそうです。
 神戸から駆けつけてくれた小野さんに、木曜日のゼミでは御活躍を願うことに致しました。
 小野さんの御健闘に期待致します。 

紫苑第六号刊行!!

山岡 瞳
No.6185

今号もいろいろとありましたが、本日ようやく紫苑第六号が完成いたしました。
目次は以下の通り。

紫苑第六号
目次
論文 鎌倉幕府侍所に関する覚書・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・岩田慎平
       * * *
研究ノート 鎌倉幕府御所の空間について・・・・・・・・・・・・・・・・・・・満田さおり
      鎌倉将軍家の女房について-源家将軍期を中心に-・・・・・・・・・小野 翠
      蟹満寺満縁起・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・江波曜子
活動記録 旅行記 二〇〇七年十二月九~十日-茨城--・・・・・・・・・・・・岩田慎平

執筆者の皆さま本当にお疲れさまでした。
校正を手伝ってくださった岩田さん、ありがとうございました。
そして、お忙しい中、原稿一つ一つに目を通してくださった野口先生、本当にありがとうございました。

紫苑は来週より順次発送いたしますので、もうしばらくお待ち下さい。

山岡さん、御苦労さまでした。

No.6187

 山岡さん、ほんとうにお疲れ様でした。

 原稿の依頼、催促、校正、印刷屋さんとの交渉・・・。そうした御苦労の成果が、見事な形になって報われたと思います。本号は、質量ともに重厚感を増したように思います。
 
 校正段階では、はじめて「研究ノート」を執筆した学部生への岩田君の親身な御指導も特筆に値するものでした。ありがとうございました。

 私は、たしかに「原稿一つ一つに目を通し」ましたが、その目は節穴で、後始末はみんなこのお二人がつけて下さいました。

 当方には、早くも送付申し込みのメールが到来しております。  

山岡さん、御苦労さまでした。

No.6189

 一つの仕事に手抜きをせず取り組み、それが具体的な形となって世に出るというのは、本当に尊いことだと思います。
 今回も山岡さんは、ご自身の主体的な仕事として『紫苑』の編集にご尽力いただきました。
 執筆者の一人として、深くお礼申し上げます(※締切を超過してすみませんでした)。

今週(14~19日)の研究所ゼミの予定

No.6183

 15日(火)午後:『紫苑』第6号納品
 17日(木)4講時:『小右記』講読会、5講時:『吾妻鏡』講読会(初級)
 19日(土)木幡・宇治史跡見学会:午後1時、JR六地蔵駅改札口集合

【追記】上記の講読会と見学会の出席者の確認です(敬称略)。
   申し訳ありませんが、参加希望で名前のない方は、野口まで御連絡下さい。
 
 17日(木)4講時『小右記』講読会 : 満田・江波・(国文の院生の方)・小野・大森

        5講時『吾妻鏡』講読会(初級) : 桑原・深井・山本・井草・船津丸

 19日(土)木幡・宇治史跡見学会 : 樋口・岩田・江波・大森・桑原・深井・山本・井草・船津丸 

五十代も半ばを過ぎますと・・・。

No.6177

 『御堂関白記』寛弘五年九月十一日条・『玉葉』治承二年十一月十二日条。
 史上稀に見る有力貴顕を例に挙げるのは烏滸がましい限りですが、本日、私にも同様の事態が発生いたしました。「鳴弦」は研究室のギターにて。
 『山槐記』治承三年十二月十六日条。
 梅小路公園(「西八条」)の辺りに「明障子」のある家はありませんか?(笑)
 今日ほど彼らに共感を覚えたことはありません。

 >満田さん 淡路のお土産、ありがとうございました。

 ☆ 新年度、相模女子大学学芸学部日本語日本文学科に赴任された高木信先生から新刊の御高著『平家物語・装置としての古典』(春風社)を御恵送頂きました。
 当ゼミの国文学専攻者のほとんど、否、すべては高木先生の大ファンです。
 高木先生にあつく御礼を申し上げます。

Re: 五十代も半ばを過ぎますと・・・。

元木泰雄
No.6178

 野口先生、まことにおめでとうございます。
 
『御堂関白記』の敦成親王の先例のごとく、これからの長い人生が幸い多きことを、心よりお祈り申し上げます(『玉葉』の方は先例として如何なものでしょうかね(笑))。
 横綱というわけには行きませんが、近藤先生に抱っこしてもらっては如何ですか。
 将来の健康、幸運は間違えないことと思います。

 野口先生と当方はほぼ同世代、独り身の気安さで、何となく若い(無責任な)気分が抜けないのですが、そういう年齢になったのですね。
 改めて時の経過を痛感致しました。
 
 でも、道長も清盛も、本当の人生の頂点は、そのあとです。
 好々爺になるのはもう少し先にしましょう。

 ともかく、心よりのお祝いを申し上げる次第でございます。
 
 

四代将軍頼経の「外祖父」の別邸跡

No.6179

 元木先生、ありがとうございます。
 元木先生のこの書き込みそのものが、生まれたばかりの彼にとって、大変なプレゼントだと思います。
 近藤先生に抱っこしてもらうチャンスも、ぜひとも得たいと思っております。近藤先生は文武両道ですから、その御利益は「横綱」をはるかに凌駕することでしょう。

 ところで、本日の新聞を開いたところ、京大の西部構内で西園寺公経の吉田泉邸のものと思われる遺構が検出されたという記事を発見。現説は本日とのこと。
 参照→http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2008041000150&genre=M2&area=K00

 『吾妻鏡』講読会では目下、頼経将軍期を読んでおり、「外祖父」がらみということもありますから、これは行かなければなるまい、と言うわけです。
 なんだか、公経にまで親しみを感じてきております。

【後記】
 現説に行ってきました。辻君と久しぶりにお目にかかれました。

 さて、遺構のメインは調査地の南東隅から検出された石敷き・掘り込み地業をともなう建物跡で、これを調査担当者が、有力貴族の邸宅(西園寺公経の吉田泉殿)に関連づけられたのは納得のいくところでした。
 なお、この建物の東西の軸線がブレているのは京大構内を貫通していた白川道に規定されたからではないかと、私には思われました。
 素人考えですが、それに対して、この建物以外の柱穴を結んだ東西軸は平安京街路の末に沿うものだったのではないでしょうか。

 鎌倉時代の貴族邸宅については史料の検出が未だ十分ではないと思われますので、文献史学の方からのアプローチの余地も多く残されていると思います。

 ちなみに、私はこの調査地より少し南の吉田近衛で、藤原泰子(忠実の娘・鳥羽皇后・高陽院)の御願寺である福勝院(高陽院白川堂)跡と思われる地点の発掘調査に文献担当として参加したことがあります。

 西園寺公経は「泉殿」と称される邸宅を複数持っていたようで、天福元年(1233)五月二十六日、大夫尉として在京していた三浦光村は、公経から「河崎泉亭」に招請されてあつくもてなされたことが知られます。
 この一ヶ月ほど前、光村は賀茂祭の行列に供奉していますが、その装束は公経から贈られたもので、公経と三浦氏はかなり密接な関係を結んでいたようです(拙稿「執権体制下の三浦氏」)。

おめでとうございます

山田邦和(同志社女子大学)
No.6180

野口先生、お誕生日おめでとうございます。

吉田泉殿町の発掘調査現地説明会、午後の部に行ってきました。建物遺構は一部分だとはいえ、石敷と雨落溝が非常によく残っており、なかなかの見ものでした。同席した考古学研究者の皆さんと議論をしていたのですが、おそらく、石敷の内側には「亀腹」(寺院の床下などによく見られる白い高まり)があり、その上に礎石が載せられている、という構造の建物だと思われます。この建物跡からは瓦は出土していないようですが、発掘現場内の別の部分には瓦溜(いらなくなった瓦の廃棄土坑)があったようですので、この建物が瓦葺であった可能性は充分にあると思います。そうすると、この建物は吉田泉殿の邸内に作られた仏堂といった性格を考えてはどうか、と思います。
 建物東西の軸線がずれていることも、興味深いことです。この現場のすぐ南側でも過去に発掘調査がおこなわれており、そこでは中世初期の「武士の館」と推定された邸宅遺構が検出されているのですが、どういうわけかそちらはほぼ正東西方向でした。このあたりでは、基軸線が複数あったのかもしれません。

 とにかく、よい勉強をさせていただきました。

Re: 五十代も半ばを過ぎますと・・・。

美川圭
No.6181

野口先生。

おめでとうございます。
この少子化の折でもあり、その点でも、ほんとうにめでたいことです。

さて、西園寺公経邸らしき遺構の現説、ぜひ参加したかったのですが、
休講などけっして認められない昨今、平日だとなかなか行けません。
せめて土曜日にしてくれないと。

新年度になってから、大学の雑用においまくられ、まったく研究が進みません。

水曜日の研究会での報告をお約束したのですが、単なる雑談に終わりそうです。
内容は、寝屋川市史に書いた「東高野街道」、この前歩いた「唐櫃越」の感想。
といったところです。時間が大幅に余ると思いますので、
そのときにぜひ吉田の遺構についてのお話をお聞きしたいと思います。

鎌倉時代の西園寺氏

No.6182

 山田先生・美川先生、ありがとうございます。

 現説に行く際、地下鉄の中で西園寺公経の時代の政治状況について、ひと勉強しようと持参したのは、美川先生の『院政』(中公新書)でありました。
 たしかに、授業のある時期の平日に現説を行うというのは、いろいろ事情があったのでしょうが、残念なことでした。
 なお、公経を中心とした鎌倉時代の西園寺氏については、やはり龍肅『鎌倉時代 下・〔京都〕』(春秋社)の「西園寺家の興隆とその財力」が、今日に至っても最高の水準を保っていると思います。龍氏は私の恩師の師にあたります。
 ちなみに、鎌倉時代の西園寺氏は、三浦氏のみならず、小早川氏や千葉氏とも関係が深いことが知られており、武士論のみならず国家史理解のうえからも、おおいに追究の余地のある存在だと思います。

 年度はじめのこの時期は、新しい授業が始まり、提出書類が多く、そのうえネット上の情報更新を○○日締切でやりなさいなどという、かつて無かった用務も加わって、もとより事務能力の欠如した私など大混乱を呈しております。

 水曜日の研究会は楽しみに致しております。ただ、上記にともなう事情で早々に引き上げなければならないのが残念です。

 ☆ 千葉で高校教員をしていた頃から、研究を継続する上で大きな励ましを頂いている小山田義夫先生(流通経済大学名誉教授)から、御高著『一国平均役と中世社会』(岩田書院)を御恵送頂きました。
 有名な「造内裏役の成立」をはじめ、一国平均役を中心とする先生の大学院生時代からの御研究の成果が収録されています。
 収録論文のうち、当ゼミのメンバーにとっては「承久の大内裏再建事業について-造営費調達形態を中心として-」などは必読でしょう。
 小山田先生にあつく御礼を申し上げます。

 ☆ 愛知学院大学の福島金治先生から、「書評 永井晋『金沢北条氏の研究』」(『史学雑誌』116-9)を御恵送頂きました。永井先生の御著書に正面から厳しく斬り込まれた、いわば書評のお手本です。
 福島先生にあつく御礼を申し上げます。 

Re:鎌倉時代の西園寺氏

No.6184

野口先生

 龍肅『鎌倉時代 下・〔京都〕』(春秋社)とは懐かしい。もう30年も前の話なので、時効だろうと思いますので、今まで公にしなかった話をします。私が卒論で、鎌倉後期の公家政権をやろうと、上横手雅敬先生にご相談したところ、この本と、三浦周行の『鎌倉時代史』の2冊を読むように、と教えていただきました。ところが、後者はすぐ手に入ったのですが、前者は図書館などにもなく、困り果て、先生にあらためてご相談したところ、「ぼくはこういうことは普通はしないのだが」と言われながら、なんと特別に私本をお貸しいただきました。そのご本には、先生ご自身の傍線などがたくさん引かれ、どこに先生が注目されたかもわかるものでした。本そのものからはもちろんですが、私はその傍線からも、多くのことを学びました。今だったら、全国の大学や、周辺の公共図書館の蔵本が、すぐにインターネットで検索できますので、自分の先生の本を借りるなどということはしないでしょうが、当時は自分の行っている大学と二三の図書館ぐらいしか、すぐには利用できなかったのです。その後、この本を、東京神田の古本屋で、かなりの高額で手に入れました。私の『院政』をお読みいただければすぐわかるように、私は卒論以来、鎌倉後期の勉強をさぼり続けています。なんとかしたいのですが、大学の雑務は増え続け、もうだめな気がします。若い方々、なんとかがんばって、龍粛の本が過去の歴史になるように研究を発展させてください。お願いします。

偉大なり龍肅(りょう・すすむ)。

No.6186

 美川先生
 「もうだめな気がします」などと気弱なことを仰らずに、一頑張りをお願いいたします。鎌倉後期の政治史を、公武双方、正当な視野のもとに見据えることのできる研究者は、美川先生のほかに見当たりませんから。

 私の恩師である貫達人先生は、その論文「承久変論」(高柳光寿博士頌寿記念会編『戦乱と人物』昭和43年)の末尾にこのように書いておられます。
 「竜先生の論文を見ると、具体的にちゃんと壺がおさえてある。恐らく、この小論に述べたような事は、先生百も御承知であったのだろう。温順な先生は、時世を考え、胸底深く蔵して顕さなかっただけだと思うと、このようなことを書く私が、浅猿しく感ぜられる。」

 戦前の碩学ののこした業績を、〈戦後歴史学〉は結構切り捨ててしまったり、継承し切れていなかったりする部分が多いのではないでしょうか。

鈴木御夫妻帰国&ゼミ新メンバー

No.6176

 鈴木御夫妻が新婚旅行先のフランスから帰国。ベルサイユ宮殿やモン・サン=ミシェルなど、たくさんの文化遺産に触れ、大いにエネルギーを蓄積されたそうです。お二人合わせて何十倍もの御活躍を期待したいと思います。
 研究室への凱旋と土産「話」を楽しみにしています。

 ゼミには早くも新入生が5名も加わりました。出身地は佐賀(佐賀城跡の近く)・新潟(下越)・岡山(倉敷)・群馬(高崎)・愛知(岡崎)と様々。まさしく、「在京ネットワーク」の構築がなされようとしています。
 全員が平田さん・鈴木(永富)さん・尻池さん・伊藤さん・小野さん・・・たちの後輩。すなわち、史学科生です。みんなやる気満々で、もう『吾妻鏡』を読むのだと張り切っています。
 そのため、今年度は従来の上級者向けとは別に、治承四年からの『吾妻鏡』講読会の時間を設定することになりそうです。

 ☆ 本日、京都大学の勝山清次先生より、先生を研究代表者とする科学研究費による研究成果報告書『中世寺院における内部集団史料の調査・研究』を御恵送頂きました。
 新史料も収録された質・量ともに優れた報告書に圧倒されました。
 勝山先生にあつく御礼を申しあげます。

 ☆ 昨年の日本史研究会大会古代史部会で報告をされた渕原智幸さんから、御高論「古代末期の東北支配と軍事力編成-国衙軍制成立史の一断面-」(『日本史研究』547)を御恵送頂きました。
 渕原さんにあつく御礼を申し上げます。

木幡史跡見学会のお知らせ

No.6175

 木幡の見学会は以前にも行ったことがありますが、新しく加わった共同研究員の方やゼミメンバーから史跡見学会開催の要望がございましたので、以下の要領で開催したいと思います。

                         記

 ・日程:4月19日(土)13:00(JR六地蔵駅改札口集合。地下鉄・京阪線六地蔵駅も至近です)
          (当初、この日に予定されていた『吾妻鏡』講読会は休止します)

 ・見学予定の史跡:浄妙寺跡・宇治陵・松殿跡・西浦遺跡・宇治市街遺跡など(徒歩と電車利用)
 
  ※ (1) 今年度の大阪歴史学会大会で摂関家について報告される樋口健太郎氏(研究所
     共同研究員)も参加されます。
       〈これで、広島大学大学院の尻池さんもお出でになられたら鬼に金棒なのですが〉

    (2) 雨天の際は、浄妙寺跡・宇治陵以外の見学先を変更して実施します(平等院・源
     氏物語ミュージアムなど)

    (3) 資料を準備しますので、参加者は事前に御連絡下さい。京都女子大学の学生さんの
     参加歓迎。また、外部の方でも共同研究員・ゼミメンバ-の紹介があれば参加を歓迎い
     たします。 

今年度の担当科目から

No.6167

 明日(3日)の『吾妻鏡』講読会の時間に、今年度前期のゼミ史料講読会・例会などの開催曜日・時間を決めたいと思います。そのため、できるだけ多くの方の御出席をお願いいたします。なお、出席が不可能な場合は、御自身の週の予定について研究室宛のメールでお知らせ下さいますようにお願いいたします。

 なお、本年度私が担当する講義科目(大学院を除く)の中で、主に日本中世を対象とするのは以下の科目です。履修登録の参考にして下さい。

 ・総合教育科目7B「日本史から現代社会の問題を考える」(前期 火曜 Ⅴ講時)
 ・基礎・教養科目20「「武士」で語る日本の歴史と文化」(後期 木曜 Ⅴ講時)
 ・大学コンソーシアム京都提供科目 特別講座科目「武家政権の成立と京都」(後期 火曜 Ⅱ講時
  於、キャンパスプラザ京都)

※ 授業概要などについてはシラバスを参照して下さい。

 ☆ 日本学術振興会特別研究員の和田琢磨先生より御高論「今川了俊のいう『太平記』の「作者」-『難太平記』の構成・思想の検討を通して-」(『日本文学』3月号)を御恵送頂きました。
 和田先生にあつく御礼申しあげます。

新年度も『吾妻鏡』

No.6169

 桜も見頃を迎えるなか、新年度の『吾妻鏡』も始まりました。
 さっそく次回のご案内です。
 
 日時:2008年4月9日(木)13:00~(予定)
 場所:京都女子大学L校舎 3階 宗教・文化研究所共同研究室
 範囲:『吾妻鏡』嘉禎二年正月一日、十七日、二月二十二日、二十八日、三月七日、十三日、十四日、二十日、二十一日、四月二日、四日、五月二十四日、六月五日、六日、十一日、二十六日、二十七日、七月十日、十七日、二十四日、二十五日、八月三日、四日、五日、九日、二十日、九月九日、十日、十月二日、五日、二十九日、十一月一日、十三日、十四日、十五日、十二月三日、十九日、二十九日の各条
  (※少し先の方まで掲出しましたが、読めるところまで読んでいきましょう。また、掲出した範囲以外に「これは」という条文があれば、その都度お知らせ下さい。)

 いつものことながら、『吾妻鏡』の講読会は新規メンバー随時募集中です。定期的な史料講読に取り組みたいという方など、まずは見学からでもどうぞお気軽にご参加ください。

さらに『小右記』にも挑戦!!

No.6170

 本日、集まったメンバーの協議により、本年度前期の『吾妻鏡』講読会は、基本的に土曜日の午後に設定されることになりそうです。土曜日は学会の大会などが開催される事が多いのですが、その際は休会。しかし、心置きなく長時間の続行が可能でしょう。
 なお、上に岩田君が告知して下さいましたように来週は9日(水)に実施いたします。

 ◇ 『吾妻鏡』だけではもの足りない、というか、平安時代中期を対象に勉強がしたい、あるいは記録(日記)読解に本格的に取り組みたいという方を対象に、『小右記』をじっくり、ゆっくりと読む会を始めようかと思っています。主たる対象は京女勢。実施日程の設定は、国文の江波さんと家政学研究科(建築史)の満田さんにお任せしてあります。
 講読範囲は長和四年(1015)の部分。
 『小右記』を紐解くのは久しぶりで心許ない限りなので、メンバーと同列になって勉強しなおしたいと考えています。ただ、私が大学院生時代に学習院大学大学院で聴講させて頂いた土田直鎮先生(当時、東京大学史料編纂教授)による演習の受講ノート(私の宝物です)が「虎の巻」として役だってくれるものと思います。
 
 江波さん、日程設定を宜しく。日程が決まったら再度告知して、さらに参加希望者を募りたいと思います。

 ◇ 先日、宇治の見学会を実施いたしましたが、その後、木幡にも行ってみたいという方が共同研究員ならびにゼミメンバーに続出。そこで、適当な時期に、木幡浄妙寺跡・宇治陵・木幡観音院(寺)跡、さらに宇治市街遺跡などを対象にした見学会を開催することになりました。GWあたりがよいのでしょうか?

 ☆ 新年度、日本大学文理学部教授に就任された関幸彦先生より、御高著『武士の時代へ 東国武士団と鎌倉殿』(NHK出版)を御恵送頂きました。
 先生の担当されるラジオ放送(NHKカルチャーアワー 歴史再発見)のテキストです。
 関先生にあつく御礼を申し上げます。

【追記】 今日の『吾妻鏡』講読会に江波さんが持ってきて下さったお土産(牡蠣物語スナック)は絶品でした。美味い!!
 某先生には大ジョッキで飲むピールのおつまみに。そして、そのお弟子さんの某君の御飯のおかずにも使えそうです。
 江波さん、ご馳走様でした。

『小右記』講読会の開始について

No.6174

 『小右記』講読会ですが、大きな差し障りがなければ、木曜日4講時(14:45~16:15)に実施することになりました。
 来週は9日(水)に『吾妻鏡』講読会が予定されていますので、第一回目は17日といたします。
 テキストは大日本古記録本。長和四年(1015)の部分をゆっくりと読み進めます。
 人数によっては、共同研究室を確保する必要がありますので、参加希望者は御連絡ください。

 ☆ 昨年、本学を定年退職された元文学部史学科教授の稲本紀昭先生より、御高論「北畠国永『年代和歌抄』を読む」(『史窓』65)を御恵送頂きました。
 詞書を史料として戦国期における伊勢北畠氏の動向を解明した興味深い内容です。
 稲本先生にあつく御礼を申し上げます。