『源氏と坂東武士』の反省と訂正(1)
No.5765
拙著『源氏と坂東武士』(吉川弘文館歴史文化ライブラリー234)、ようやく都内の主要書店には配架がされたようで、諸方から反響が寄せられております。
関東のある国立大学の先生からは、大学院で輪読の対象にしてくださるという、うれしいお知らせをいただきました。
これから内容に対する御意見・御批判もお寄せいただけることと思いますが、著者の立場から、とりあえず現時点で気の付いた反省点や正誤訂正を示させていただきたいと思います。
P 3 6行目 「奉られる」→「たてまつられる」(用法が不統一なため)
P16 「図7 嵯峨源氏系図」→源定(大納言)の子・至(右京大夫)の弟に「唱(左権佐)」を入れ、以下、「俊(近江守)」-「女子(満仲妻)」と続ける。(本文に登場する人名の一部が系図に示されていないため)
P 26 このあたりに藻原庄の位置を示す地図を挿入すべきであった。
P 47 13行目 文末に( )をつけ、史料根拠を明記すべきだったか?
P 49 首藤氏の部分で鎌田正清にも触れるべきであったか?
P 52 「図18 宇都宮氏系図」→注を「『尊卑分脉』等による」として、寒河尼を記入すべきであった。
P 64 「図22 南陸奥と関東」→椿海を記入する必要。
P 96 為義が「大尉」に任じられたことに対する評価を加えるべきであった。
P103 7行目 「御厩」のルビ(誤)「みうまや」→(正)「みまや」
P104 13行目 (誤)「専仕」→(正)「専使」
P112 7行目 千葉常胤が義朝軍に加わっていなかったことについて詳述すべきであったか?
P121 6行目 「女院」のルビ (誤)「にょいん」→(正)「にょういん」
P126 「図39 平家政権下の東国武士団」→椿海にアミがかかっていない 。
ほかにも、多々修正すべき点があろうかと思います。御指摘をいただければ幸いに存じます。
関東のある国立大学の先生からは、大学院で輪読の対象にしてくださるという、うれしいお知らせをいただきました。
これから内容に対する御意見・御批判もお寄せいただけることと思いますが、著者の立場から、とりあえず現時点で気の付いた反省点や正誤訂正を示させていただきたいと思います。
P 3 6行目 「奉られる」→「たてまつられる」(用法が不統一なため)
P16 「図7 嵯峨源氏系図」→源定(大納言)の子・至(右京大夫)の弟に「唱(左権佐)」を入れ、以下、「俊(近江守)」-「女子(満仲妻)」と続ける。(本文に登場する人名の一部が系図に示されていないため)
P 26 このあたりに藻原庄の位置を示す地図を挿入すべきであった。
P 47 13行目 文末に( )をつけ、史料根拠を明記すべきだったか?
P 49 首藤氏の部分で鎌田正清にも触れるべきであったか?
P 52 「図18 宇都宮氏系図」→注を「『尊卑分脉』等による」として、寒河尼を記入すべきであった。
P 64 「図22 南陸奥と関東」→椿海を記入する必要。
P 96 為義が「大尉」に任じられたことに対する評価を加えるべきであった。
P103 7行目 「御厩」のルビ(誤)「みうまや」→(正)「みまや」
P104 13行目 (誤)「専仕」→(正)「専使」
P112 7行目 千葉常胤が義朝軍に加わっていなかったことについて詳述すべきであったか?
P121 6行目 「女院」のルビ (誤)「にょいん」→(正)「にょういん」
P126 「図39 平家政権下の東国武士団」→椿海にアミがかかっていない 。
ほかにも、多々修正すべき点があろうかと思います。御指摘をいただければ幸いに存じます。