公開講座、終了御礼。

No.4878

 公開講座は盛会のうちに終了。御来場下さったたくさんの皆様に御礼を申し上げます。
 講師の樋口州男先生・樋口大祐先生には、素晴らしく力のこもったお話を頂き、たいへん感銘を受けました。質問への回答やコメントということで、何度も御登壇をいただき恐縮に存じました。
 また、ポスターや立て看板の作成、会場の準備や事務手続きをして下さった事務職員の方々、受付や録音など、当日の運営に御協力を頂いたゼミメンバーのみなさんに、あつく御礼を申し上げます。
 懇親会も楽しいものでした。幹事の田中さん、ありがとうございました。なお、私の隣席の方たちには、耄碌による贅言・妄言をただちに御放念下さいますようにお願い申しあげる次第です。

 帰途、いささか脱力気味でバスを待っていたところ、同じ団地に住んでいる同僚の先生に声をかけられました。この先生のお名前とお近くにお住まいのことは知っていたのですが、初見参。大学宗教部の機関紙に載っていた私の写真で気がつかれて、声をかけて下さったという次第。この機関紙の拙文を学生さんたちに読むように薦めて下さったというお話を聞いて、少しばかり元気を取り戻しました。

 明日は大阪歴史学会が関学であり、特別な使命を帯びた岩田君や山本君をはじめ、多くのメンバーが出席されることと思います。おおいに楽しんできて下さい。
 私はすこしばかりでも滞留中の原稿執筆を進める予定でおります。

>鈴木君  パソコンへのFDドライブの接続、ありがとうございました。月曜日に試してみるのを楽しみにしております。

>永富さん 次の機会にはぜひ。

『回顧と展望』にもう一つ。

No.4879

 『回顧と展望』には、陰陽道関係の論文の筆頭に中村晃子「陰陽頭と「陰陽師第一者」」(『文化学年報』54)も紹介されています(P64)。
 中村さんは、当ゼミ草創期に牽引役を務めてくださった方です。当時のゼミはほとんど史学関係でない学部の一回生で占められていたので、すでに同志社大学大学院のMCを修了されていた中村さんにとっては研究上メリットの少ない場であったと思うのですが、積極的に参加してくださり、第一回の公開講座の際には司会をつとめていただきました。
 上記論文は、その後DCに進学された後の御研究の成果とうかがっております。
 思うに、中村さんの鎌倉幕府の陰陽道に関する御研究など、岩田君や長村君・山本君たちに聴いて貰いたいところでした。

卒論準備会。

No.4876

それでですね。
せっかくなので、今年卒論提出の方に、前期のうちに一度準備会で報告していただこうということになりました。
日時は7月15日(土)の午後1時30分から、場所はいつもの京都女子大学L校舎3階共同研究室です。
一人当たり報告が最低30分~最長40分、質疑応答30分程度で考えています。
(もちろん、盛り上がれば延長アリで。)
で、終わってからは前期の打ち上げをやる、と。

現時点では古文書読み会参加者の方には話をしてあって、
伊藤さん・尻池さん・西川さんにエントリーしていただいております。
で、古文書読み会に参加されていない山内さんはいかがですか?ぜひぜひ!

修論の方は…えーっと、Dの皆様の中で、どなたか企画して下さい(苦笑)。
なんぼなんでも、そこまで私ばっかりが企画するのも、ねえ。
なんなら企画者を指名しましょうか?(笑)

>野口先生
先日はどうもありがとうございました。
今日の公開講座は参加できなくて申し訳ありません。

追伸。

No.4877

当たり前の話ですが、ゼミメンバーの方は4回生じゃない人も予定はあけといて下さいね~!ちゃんと夜まで(笑)。
普段なかなか来れない人も、かわいい後輩の方々のためにぜひぜひご参加下さいませ。
お待ちしています!

☆古文書読み虎の穴☆次回の日程

No.4875

佐伯です、こんにちは。
まずは取り急ぎ、次回の古文書読みの研究会の日程をお知らせします。
7月4日(火)13:00~ 於京都女子大学L校舎3階共同研究室
範囲…越前島津家文書51~53
   三鈷寺文書2~参考2
次回が古文書読み会としては前期最終回となります。
よろしくお願いします。

古記録講読会

尻池由佳
No.4885

 大変遅くなりまして、申し訳ありません。次回の古記録講読会を次のとおり行います。
 
 日時:7月4日(火)16:30~18:00
 場所:京都女子大学L校舎共同研究室
 範囲:『百錬抄』
    承保三年十二月十八日、寛治元年五月十九日、寛治三年三月廿九日、
    同年八月廿三日、永久三年九月廿一日、永久四年六月廿日

 よろしくお願いします。

Re: ☆古文書読み虎の穴☆次回の日程

末松憲子
No.4890

佐伯さん

結局欠席のまま前期が終わりそうです…
ごめんなさい!

現状は、一つ終わると、次の発表やら原稿やらが訪れるという状態です。
それをこなすべく代休やら有給やらを遣り繰りしているのですが、自転車操業で・・・

すみません~

次回の『吾妻鏡』講読会の範囲

No.4873

 次回の『吾妻鏡』講読会の範囲です。

 日時:7月3日(月):15:30頃~
 場所:京都女子大学L校舎3階共同研究室
 範囲:建保五年①四月十七日、②五月十一日、③六月二十日、
     建保六年④正月十二日、⑤正月十七日、⑥二月四日、
           ⑦二月二十三日
 
 なお以前書きましたように、来週の6月26日はお休みです。

 また7月の予定は、一応31日まで行ないたいと思います。
  (7月3日・7月10日・7月24日・7月31日)
 ただし、7月24日が岩田さんも自分も出席できないので、講読会を行なうか
 どうか検討したいと思います。

 下の野口先生の書き込みを見て、縮み上がっています(よりにもよって『回顧と展望』って!)。あれは本当に、レポートに毛が生えたようなもので、とても皆様に読んでいただけるような代物ではありません(恥)。ただ最近いろいろな研究会で、「越前斎藤氏」が題材として取り上げられるので、それらの研究から学びつつ、今後斎藤氏が「武士団」として、どのような存在形態でまた展開していったのか考えて行きたいと思います。

>岩田さん
 3日は自分は(恐らく)講読会に出席できませんので、御指導の方よろしく
 おねがいします。

いよいよ公開講座。

No.4874

 7月24日、岩田・山本両君が出席できないのであれば休会もやむ無しと思います。
 なお、卒論発表会が佐伯君の差配のもとで企画されていますが、こちらの日程も決定次第、宜しく告知をお願いいたします。
 ちなみに、修論の方はどうしましょうか?

 本日(23日)は、山本君・山岡さん・石井君、お手伝いをありがとうございました。
 いよいよ公開講座。研究所の公式行事ですが、当日は実質的にゼミメンバー諸姉兄の御協力で運営されています。今年度も、宜しくお願い申しあげます。

 ☆ 本日、東海高校の高木信先生より、御高論「知盛〈神話〉解体-教室で『平家物語』を読むことの(不)可能性-」(『日本文学』6月号)を御恵送いただきました。タイトルも問題設定も、高木先生ならではの論文だと思います。結びの「知盛を美学化させないためのひとつの「喪の作業」として本稿はある」という一節に、少なからぬインパクトを感じました。
 高木先生に、あつく御礼を申し上げます。

『紫苑』山本論文 『回顧と展望』に登場

No.4871

 『史学雑誌』の「回顧と展望」をめぐっては、同業者の世界で様々なエピソードが伝えられておりますが、若手研究者にとって論文が紹介されるということは、ようやく自らの存在を認めてもらえたように思えて、うれしいものだと思います(この歳になっても、せっかく一生懸命に書いたものが載っていないと寂しいものです)。

 本日届いた2005年度版においては、山本陽一郎君の「北陸地域と比企氏」(『紫苑』第3号)が陽の目を見ました(P79)。同時に『紫苑』も研究誌として市民権を獲得できるか?
 山本君、おめでとうございます。
 とりあえずは、明日の作業と、公開講座の「上卿」を宜しく。

公開講座についてのおしらせ

No.4866

 いよいよ今週末の土曜日に行われます公開講座についてのお知らせです。
 
 公開講座に参加されるゼミメンバーは、当日、12:00に会場である京都女子大学J校舎の525教室に集合してください。仕事は、受付や会場の準備などがありますので、みなさんよろしくお願いいたします。
  
※補足①
 公開講座の内容に関する詳細は、>>No.4733を参照。
 公開講座の内容に関する参考文献などは、>>No.4815>>No.816>>No.4851参照してください。

※補足②
 来週の26日の『吾妻鏡』講読会はおやすみです。
 講読範囲は、なるべく早くアップしたいと思います。

ここにこそ、公開講座についてのおしらせ

No.4867

 ☆ 平成18年度 京都女子大学 宗教・文化研究所公開講座

  シリーズ 東山から発信する京都の歴史と文化 ⑧

 テーマ:「英雄と鎮魂」

    6月24日(土)午後1時~午後5時

 会場:京都女子大学J校舎525教室(市バス「馬町」下車、5分)
     http://www.kyoto-wu.ac.jp/access/index.html
     http://www.kyoto-wu.ac.jp/library/riyou/guide/access.htm
講演
 午後1時~2時30分
 「為朝・義経-日本的『英雄』の条件について」
     神戸大学文学部助教授(国文学)樋口大祐氏
 
午後3時~午後4時30分
 「安元3年の崇徳院鎮魂――天下静かならず――」
     専修大学非常勤講師(歴史学)樋口州男氏

※ 樋口大祐先生からのコメント
 ①為朝・義経(及び正成ら)、日本で「英雄」とされる人々が、軍記物語の中で、武士の規範から逸脱する人物として表象されていることと、②現実の「武威」の支配(あるいは公武二重体制の存在)が、コインの裏表のような関係にあったのではないかということを、③中国の「英雄」の表象などと比較しながらお話したいと思います。また、時間がございましたら以上の論点を④現代でも拘束力を失っていない「日本」的な行動美学の批判的分析につなげたいと思っております(時間的には①②のウェイトが大きくなると思います)。

 ※ 樋口州男先生からのコメント
 崇徳院鎮魂行事を通して後白河院にとっての安元の大火や鹿ケ谷事件の意味を考えてみたいと思っています。ほかにも考えてみましたが、京都で京都のお話をする緊張感も良いかなと覚悟を決めました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
>山本君  公開講座の「上卿」役、ありがとうございます。
      金曜日、同志社の授業後、京女に戻って資料の用意のお手伝い、宜しくお願いいたします。    
>山岡さん・石井君  同じく、金曜の件、宜しくお願いします。

宇治史跡見学会についてのお知らせ

No.4868

  >>No.4846でお知らせした、来る7月1日(土)に実施予定の宇治史跡見学会ですが、同志社女子大学の開講科目とは無関係に同大学学生の有志と当ゼミとの合同企画という形で実施することになりました。したがって、集合時間も午後1時半以降になる模様です。すでに配付資料も完成していますので、多くの参加をお待ちしております。
 集合場所・日程・見学先(源氏物語ミュージアム・宇治上神社・宇治市街遺跡・歴史資料館・白川金色院跡などを予定)などの詳細については、後日御連絡いたします。なお、見学先などについて御希望があればお知らせ下さい。
 
 なお、前言のように、本年度の研究所共同研究「摂関家の空間における政治と文化 中世前期の宇治に関する総合的研究Ⅰ」の共同研究員の方々には、とりわけ積極的な参加をお願い申し上げます。

中村修也『偽りの大化改新』拝受。

No.4869

 上記、宇治史跡見学会の見学先のうち、源氏物語ミュージアムはあいにく改装工事のため、この日は見学が無理のようです。見学先はかなり研究者好みの地点に集約されることになりそうです。
 ちなみに、聞くところによると、この日、7月1日には京大吉田グラウンドで京大対東大の硬式野球の試合があるとのこと。

 ☆ 本日、文教大学の中村修也先生より御高著『偽りの大化改新』(講談社現代新書)を御恵送いただきました。教育実習に行ってきた方から、「大化改新」を「たいかのかいしん」と読んだら、指導の先生に「たいかかいしん」であると注意されたというお話をうかがったばかりでしたが、この本を開いてみると、そもそも最近の学界では「乙巳の変」と呼ぶのが一般的なのだそうです。
 中村先生にあつく御礼を申し上げます。

 > 佐伯君 本日はお疲れ様でした。ジャンル違いですが、地方武士や幕府の族長・首長の交代の問題を考える上で示唆を得ることが出来ました。  

公開講座の資料印刷完了。

No.4870

 本日、午前、公開講座の資料の印刷を済ませました。資料から両樋口先生の本公開講座に対する力の入れようが伝わってきます。当日が楽しみ。とても、有り難く思っております。

 印刷した資料をホチキスでとめる作業は、明日、同志社の授業後に研究室に戻って行う予定です。「上卿」の山本君をはじめとする、いつもの「わびすけ」メンバーにお手伝いをいただきます。

 ☆ 千葉県船橋市教委埋蔵文化財調査事務所の道上文先生より、御高論「中世房総出土の東海系煮炊具について-遠隔地物流の諸相-」掲載の『房総中近世考古』第2号を御恵送いただきました。文献史料の少ない中世前期の房総の具体像が考古学からのアプローチによって徐々に解明され、わずかな文献史料の記述に広がりが加わっていくようで、うれしい限りです。
 道上先生にあつく御礼を申し上げます。

第44回中世史サマーセミナーのご案内

No.4865

 (東北大学柳原先生のご依頼により掲示いたします。)

第44回中世史サマーセミナーのご案内
期日 8月21日(月)~8月23日(水)
会場 ホテル武蔵坊
    〒029-4102 岩手県西磐井郡平泉町平泉字大沢15
     ℡;0191(46)2241  FAX0191(46)2250
研究報告
 シンポジウム「中世における統合の契機とその構造」
  新田一郎氏「世界はいかにして「統合」されるのか」(仮)
  永井隆之氏「日本の国民主権の基層」(仮)
  片岡耕平氏「穢観念の浸透過程について」(仮)
  渡邉 俊氏「滅罪と安穏」(仮)
 研究報告 
  菅野成寛氏「新発見・衣川遺跡群と都市平泉研究」(仮)
  斉藤利男氏「北方世界からみた都市平泉・衣川」(仮) 他1名を予定しております。
日程
 21日 正午 受付開始
13:00~ シンポジウム
 22日 午前 研究報告3本
     午後 史跡見学 柳之御所遺跡・無量光院跡・衣の関道遺跡・接待館遺跡・細田遺跡・六日市場遺跡・長者原廃寺など
23日 午前 史跡見学 関山中尊寺・達谷窟・骨寺村
※最終日は見学会ののちJR一ノ関駅解散予定。
費用 25,000円程度(詳細は後日、参加者にご連絡もうしあげます)
申込方法 葉書もしくはメールに以下の事項をご記入の上、下記事務局宛にお送りください。①氏名②性別③年齢④郵便番号・住所・電話番号・メールアドレス⑤所属⑥喫煙の有無⑦全体参加か部分参加か(部分参加の場合は参加日程をお書きください)。
     宿泊定員は70名ですので、宿泊については定員に達し次第、締め切らせていただきます。
受付期間 6月1日~7月10日
事務局 〒980―0862 仙台市青葉区川内27―1 
東北大学文学研究科日本史研究室気付 東北中世史研究会
        E-mail : tohoku_chuseisi@yahoo.co.jp
※ご不明な点は、片岡耕平(電話 022‐228‐4047)にお問い合わせ下さい。

公開講座 参考資料補足の事 附 懇親会の事

No.4851

ご無沙汰しております。
公開講座の参考資料を補足しておきます。
為朝論に関しては、たくさんの論文が出ています。樋口先生のご講演を聴くにあたっては、樋口先生の論文が一番勉強になるのは勿論なのですが、中でも読んでおいた方がいいのではないかと思うものを挙げておきます。
 永積安明「中世的叙事詩としての平家物語」
     「「軍記もの」の展望」
          (『中世文学の展望』/東京大学出版会/1956年)
 野中哲照「『保元物語』の〈現在〉と為朝渡島譚」
          (『国文学研究』104号/1991年6月)
 大津雄一「為朝・崇徳院考ー王権の〈物語〉とその亀裂ー」
          (『軍記と語り物』27号/1991年3月
            →『軍記と王権のイデオロギー 』(翰林書房/2005年3月)
 
ギリギリになってしまって、申し訳ありませんが、手に入りにくいものはありませんので、ゼミメンバーの方々は是非24日までに読んでください。

>山本さん
 当日は1日空けてありますので、何かお役に立てる事があれば何なりとどうぞ。

なお、懇親会は例の如くではありますが、七条京阪の「まんぞうハーツ」を予約しています。人数に若干の余裕がございますので、参加を希望される方は早めにご連絡いただければと思います。

『紫苑』次期編集長に石井君内定?の事..

No.4852

 田中さん、ありがとうございました。当日、久々の拝眉を楽しみに致しております。
 なお、大津雄一『軍記と王権のイデオロギー 』は研究室に配架ずみですので、御利用下さい。
 
 ◇ 『ヒストリア』200号のP.102【受贈図書】のコーナーに『紫苑』も名を連ねております。
 ただ、寄贈しただけのことですが、『紫苑』もだいぶ大人になったなぁといった感慨をもちました。
 ところで、昨日の作業中の雑談の中で、『紫苑』刊行体制を出版社にたとえるなら、会長(創業者):永富さん、社長:山岡さん、(その他、女院もろもろ)、そして次期編集長は石井君であるという話になりました。

 ◇ いつもお世話になっている横須賀市文化振興課の鈴木様から『三浦一族研究』10号』が出来上がったというお知らせをいただきました。今週中に到着の予定。
 「三浦氏と京都-義経の時代を中心に-」と題する私の講演録が載っています。かなり長編です。
 また、抜刷作成のお手伝いをお願いします。

>長村君  兄弟の分業関係については尊氏と直義みたいな事例もありますね。また、異母か同母かということも検討の余地があるのかも知れません。
 千葉氏など大番役勤仕の負担について、かなり一族間の協力関係がみられます。
 なお、梶原源太景季の「源」について、江平望『島津忠久とその周辺』には論及されておりませんでした。私の記憶違いのようで、山岡さんにも御迷惑をおかけしました。ちなみに、同書収録の「一条能保の前半生-その身分と官途について-」は佐伯君・長村君はすでにお読みになられているでしょうか?

>岩田君  中原氏の周辺、実朝が将軍に在任していた時期などみても、かなり大きな役回りを果たしていたように思います。目崎先生の指摘された波多野氏や源雅頼との関係等々、それに季時の評価など、さらに追究の余地がありそうです。

>柳原先生  衣川シンポの案内、送信いただいた電子版を抄出させていただきました。貼り付けですので誤りはないと思いますが、御確認下さいますように、お願いいたします。

講読のサカナに

No.4854

>『吾妻鏡』にご参加のみなさん
 明日も岩田は欠席いたします。すみません。
 先週話題になった二階堂行村について、おおざっぱですが気付いたことをお伝えしておきます。
 行村の『吾妻鏡』での初出は正治二年九月二十五日条。安達源三親長とともに官途を所望する、という記述がみられます。その後は、左衛門尉・検非違使大夫判官・隠岐守等を歴任します。
 従事した幕府内の業務としては、
 ・仏事のことなど(建暦元年四月二十九日条、建保四年二月十一日条など)
 ・警察的なこと(元久二年十二月二十四日条で黒柄次郎入道が追捕狼籍を行った際の沙汰を受け持つ。このとき上総国奉行となる。建暦三年二月十五日条で、金窪行親とともに阿静房安念法師の取り調べを行う。建暦三年三月九日条で、和田一族の面前で囚人・和田胤長の身柄を引き取る。建保六年七月二十二日条で、侍所司の五人のうちの一人となる。)
 といったあたりが目を引きました。
 京都との連絡云々については、建保五年七月二十六日条・八月二十五日条で院の病悩に際して使節となった記事くらいでしょうか。
 建保七年正月二十八日には他の御家人ともども出家を遂げています(その前日に実朝死去)。その後は、幕府の重鎮・相談役・ご意見番のような地位にあったようです。

 それで前回話題となった、中原広元→大江広元となるに際しての行村の仕事ですが、これはどう考えたらいいんでしょうかね・・・。

 …と、ここまで書いて気付いたのですが、前回話題になったのは「行村」ではなくて「行光」でしたね。しまった・・・_| ̄|○

 二階堂行光についてはまた調べておきます。すいません。こんなあたいを笑うがいいさ・・・(泣)。

国奉行と.黒柄次郎入道

No.4855

 >岩田君  この行村が任じたという上総国奉行がわかりません。それから、黒柄次郎入道も。黒柄は「長柄」の誤りかとも思うのですが。

 かくのごとく、千葉で「郷土史好きの少年」をやっていたころからの課題がまだ片付いておりません。まったく「老いやすく、学成り難し」です。

がんばります

No.4856

>野口先生 ありがとうございます。国奉行は、他にたしか安達親長(?)が上野国奉行に任ぜられたという記事も、過去に講読会で扱いましたね。具体的なことはわかりませんが、上に挙げた元久二年十二月二十四日条に記される、追捕狼藉→名主らの訴え→沙汰という一連の処理が、国奉行というものを考える手がかりになると思います。黒柄だか長柄だかは、先生がご存じなければ私にはお手上げです。 w(´`)w オテアゲ

Re: 公開講座 参考資料補足の事 附 懇親?..

KM
No.4858

>>安達親長(?)が上野国奉行に任ぜられたという記事

これは、『吾妻鏡』元暦元年七月十六日条です。
藤九郎盛長、すなわち安達盛長が正しいです。

中国からのアクセス可能.

KM
No.4859

本掲示板を含む『宗文研ゼミ』は、中国ではアクセスできませんでした。
しかし、ある方法で読み取りは可能なので、ずっと読んでいました。
その方法で書き込みが出来るか試したところ、全段の通り書き込めました。
そこで、普通の方法でアクセスしたところ、問題なくアクセスできました。
改めて、中国からアクセス可能なことをお知らせします。

これは、たぶん、本年春から行われている「金盾行程」(中国政府によるインターネットのファイヤーウォール・システム。これにより好ましくないサイト・Webをアクセス禁止に出来ます)の新システムへの移行のおかげかと思われます。この新システム移行で、現在、日本のサイトにあるEメールの受信に困難を来していて、関係者は迷惑を被っています。

.藤九郎盛長は安達盛長か?

No.4860

 >KM様 と申し上げても、どなたかは分かっておりますが、お書き込みをありがとうございました。

 せっかく書き込みをいただいたところ恐縮でございますが、当方の掲示板は、環境秩序維持のために、基本的に本名での書き込みをお願いいたしております。投稿者名の修正をお願いできれば幸いです。

 ところで、奉行人については薩摩における島津忠久もそうであったと思うのですが、守護とのかかわりなど、何か知見がございましたらご教示いただければ幸いです。
 なお、形式的な発想かもしれませんが、盛長は生涯「藤九郎」であって、厳密には「安達」とすべきではないと思うのですが如何でしょうか?足立と同族かどうかという問題とも関わると思いますが。

.>藤九郎盛長は安達盛長か?

金澤正大
No.4861

最初に、ハンドルネームを使用したことをお詫びします。

足立遠元と藤九郎盛長が甥・叔父関係であることは、拙稿「鎌倉幕府成立期に於ける武蔵国々衙支配をめぐる公文所寄人足立右馬允遠元の史的意義」(『政治経済史学』156,157号1979年5,6月)をご覧ください。なお、『吾妻鏡』文治五年七月十九日条の頼朝奥州鎌倉進発軍交名の分析で、藤元と盛長が同族関係にあることを補強しております(「武蔵武士足立遠元(その6)六、頼朝期における遠元(中)―奥州兵乱と第一次建久上洛―(2005.12.25)『歴史と中国』 http://km45/spaces.msn.com/)。

盛長が安達氏の初祖であるとことは言うまでもありません。確かに『吾妻鏡』では盛長は「藤九郎」としか見えていません。しかし、梶原景時弾劾連署関係記事では「足立藤九郎入道」(正治元年十月二十七日条)、「安達藤九郎盛長入道」(同二十八日条)と見えており、嫡男の弥九郎景盛は初見(同七月十六日条)に「安達弥九郎景盛」とあり、すでに頼家期には彼らは安達氏と見られていたのではないでしょうか。

なお、摂政の兼実は厳密に言えば、同時代では「九条殿」藤原兼実であって、九条兼実ではありませんが、九条家の初祖ということで、今では九条兼実と呼ばれるのが通例です。盛長の安達も同様ではないでしょうか。

金澤先生、よろしくお願い申し上げます。..

No.4863

 金澤先生、早速のご返信、ありがとうございました。なお、暗唱キーを先に登録しておいていただきますと、書き込みの訂正・削除が可能ですので御利用ください。

 安達盛長の件、私の発想ですと天皇はみな今上天皇と呼ばなくてはならないような話で、おっしゃるとおりだと思います。盛長が足立一族であることについての御高説の御教示もありがとうございました。
 ちなみに、ついでの質問にて恐縮ですが、↑で話題にした梶原源太景季の「源」ですが、安達親長が源通親との関係で源姓を称したとすると、梶原の場合、金澤先生はこれをどうお考えになられるでしょうか。

 目下、ゼミの史料講読会で『吾妻鏡』を読んでおり、金澤先生におうかがいすれば即座に解決するであろう問題にしばしば直面いたします。今後ともよろしくお願い申し上げます。

明日の古記録講読会

尻池由佳
No.4864

 本当に連絡が遅くなって申し訳ありません。明日の古記録講読会は、前回の続きから読ませていただこうと思います。教育実習から帰ったばかりで、準備が不十分(いつもですが…)なので、私が教育実習で収穫できたことについてお話しするようになるかもしれませんが、よろしくお願いします。

 古記録講読会
  日時:2006年6月20日 16:30~18:00
  場所:京都女子大学L校舎共同研究室
  範囲:『百錬抄』 康平四年十月廿五日、治暦二年十月十三日、治暦三年十月五日、
           延久元年五月廿九日、延久四年十月廿六日
  

ショタイフ・ブルーとブッシュの上洛

No.4850

 本日は研究室パソコンの交換を鈴木君にお願いしました。半日がかりの大作業でパソコンは面目一新、鈴木君ありがとうございました。

 これと並行して、共同研究室では資料の製本作業(これも同志社勢にお世話になりました。お疲れ様でした)。
 その一齣。昨日の京大出張ゼミ例会における在京武士の家格分類に頭脳を集中させたYさんの発言。「サムライ・ブルー? 侍層は六位でしょ。六位じゃ可愛そう。だからショタイフ・ブルー・・・」。
 以前、承久の乱の勉強に没頭したために、私が講義中の世間話で「ブッシュ上洛」と言ったのを、「武州(北条泰時)、上洛」と聞き間違えられた方もおられましたね。卒論、おおいに期待しています。

 ☆ 本日、神奈川県立金沢文庫の永井晋先生より『企画展 金沢文庫古文書への誘い』の図録を御恵送いただきました。永井先生の仰るように、まさに中世古文書学のための「中級の入門書」として好適だと思います。永井先生にあつく御礼申しあげます。

 >伊藤さん  「古文書読み虎の穴」は、開講の趣旨、それに当ゼミの目的や参加メンバーの顔ぶれからして、やはり中世文書を対象にすべきものと思います。近世、歌舞伎の題材になっているところの「中世」をおおいに学んでいただきたいと思います。

 来週は大変忙しくなりそうです。公開講座の準備など、よろしく御協力のほど!! 

「日本史のなかの衣川遺跡群」の御案内

No.4848

 いよいよ来週6月24日(土)は公開講座です(参照 >>No.4733)。
 東北大学の柳原先生より、同じ日に開催される衣川シンポジウムの開催要項をご送信いただきました。行けないのが残念ですが、一部割愛して転載させていただきます。不明な点は柳原先生(Eメール: tyana@sal.tohoku.ac.jp)までお問い合わせ下さい。  

 衣川シンポジウム「日本史のなかの衣川遺跡群」
開催趣旨
  2005年、平泉の北の衣川地区において、大量のかわらけが出土する接待館遺跡や、庭園・道路跡などにより構成される大規模な衣川遺跡群が発見された。この遺跡群の発見は、平泉研究に衝撃を与え、単に平泉の都市構造の再検討にとどまらない問題を提起している。衣川シンポジウムは、衣川遺跡群が内包する歴史的な意味とその評価について、日本中世史および考古学研究の立場から検討することを目的として開催するものである。
主催:衣川シンポジウム実行委員会 (実行委員長:入間田宣夫 東北芸術工科大学教授)
共催:平泉文化研究会・岩手史学会・岩手考古学会・蝦夷研究会・北上川流域の歴史と文化を考える会
シンポジウム内容
日時:6月24日(土) 会場:サンホテル衣川荘 ℡0197-52-3311
   10:00     開会   10:00~10:15 実行委員長挨拶
   10:15~10:20 来賓挨拶
   10:20~11:10 講演1:高橋昌明(神戸大学教授)「北の衣川・平泉と西の福原」
   11:10~12:00 報告1:羽柴直人((財)岩手県文化振興事業団埋蔵文化財センター文化財専門員)
               「衣川遺跡群」
   12:00~12:50 昼食休憩
   12:50~13:40 報告2:斉藤利男(弘前大学教授)「都市衣川・平泉と北方世界」
   13:40~14:30 講演2:保立道久(東京大学史料編纂所所長)「義経・基成と衣川遺跡群」
   14:30~14:45 休憩
   14:45~16:15 シンポジウム「衣川遺跡群、その評価と歴史的価値をめぐって」
   16:15~16:20 閉会   17:30~    懇親会
<費用>
参加費         1,000円(資料代含)
懇親会費        5,000円(宿泊せず懇親会のみ参加の方)
懇親会+宿泊費  10,000円(朝食付)
<申し込み方法>
  シンポジウムのみ参加の方は、申し込みの必要はありません。懇親会に参加もしくは宿泊を希望する方は、6月18日(日)までにサンホテル衣川荘へ、住所氏名を明記してファックスにてお申し込みください。サンホテル衣川荘 FAX0197-52-3686