授業アンケートの結果に対する所見の執筆に行き詰まっております。
No.10071
1979年に高校に就職して以来、いろいろ授業に工夫はしてきたのですが、結局は教科内容に対する研鑽の度合いと、そのときの健康状態が授業の成否を左右するものです。もちろん、生徒・学生の側の受信能力、それに教える側のおかれている職場環境も重要な規定要因。
私の経験から言うと、変わり者と言われる先生の授業ほど面白かった。
高校の時、数学の先生がいきなり思いついた数式を黒板に書きまくって呻吟したあげく、授業を放りだしてしまったり、倫理の授業で、私が目立ちたい一心で国家体制についての理論的な質問をしたら、真剣に考え込んで、その後30分以上静止状態になってしまわれた先生とか、そういう先生の授業が最高でした。
その後、数学の先生は神奈川大学、倫理の先生は東京学芸大学にうつられましたので、大学の講義というのはああいうものなのだな、と大いに期待したものでした。
あの先生たちなら、授業アンケートにどんな所見を書くものか?
現代国語の老先生(と言っても、今の私よりずっと若かったはず)は、教壇の椅子に座って「かざぐるま~、かざぐるま~」と詩の朗読をしている間に眠ってしまって、生徒たちもチャイムが鳴るまで静かに待っていた、という「事件」もありました。
「シューベルト号」と名付けた自作の自動車(車検がよく通ったものです)で通勤していた美術の先生とか、清掃こそ教育であるという自負のもとに、佐原からの遠距離通勤にも拘わらず、早朝から出勤して木に登って枝下ろしをしていた物理の先生とか。
ちなみに、この先生の授業はサッパリ分かりませんでした。ただ、ドップラー効果を説明するときの仕草のおかしさだけは記憶にあります。
女子生徒が家庭科をやっている時間に、『徒然草』を教材に人生のはかなさを語ってくれた、これも老先生。
その老先生と一緒に、よく司書室の日なたでお茶を飲んでいた小柄な女性の老先生。この音楽の先生は、教室の前の方に座っている生徒には、内職をしていても良い成績をくれました。
あの頃の私は、ソプラノのパートまで声が出ましたっけ。
こんな時代の千葉東高校に行ったので、今の私があるのでしょう。
昨日の大河ドラマでは近代女子教育のポリシーが脚本に反映されていてよかった、ということを書こうとしたら、結局、昔話になってしまいました。
同女の学生さんは、どのように受けとめられたでしょうか。
ちなみに、本学の創立者もこの同志社女学校で学んだのです。
【追記】
☆ 國學院大学大学院OBの池田陽平さんより、御高論「後白河・後鳥羽院政期における延暦寺嗷訴(Ⅰ)(Ⅱ)」(『政治経済史学』555・556)を御恵送頂きました。
池田さんに、あつく御礼を申し上げます。
私の経験から言うと、変わり者と言われる先生の授業ほど面白かった。
高校の時、数学の先生がいきなり思いついた数式を黒板に書きまくって呻吟したあげく、授業を放りだしてしまったり、倫理の授業で、私が目立ちたい一心で国家体制についての理論的な質問をしたら、真剣に考え込んで、その後30分以上静止状態になってしまわれた先生とか、そういう先生の授業が最高でした。
その後、数学の先生は神奈川大学、倫理の先生は東京学芸大学にうつられましたので、大学の講義というのはああいうものなのだな、と大いに期待したものでした。
あの先生たちなら、授業アンケートにどんな所見を書くものか?
現代国語の老先生(と言っても、今の私よりずっと若かったはず)は、教壇の椅子に座って「かざぐるま~、かざぐるま~」と詩の朗読をしている間に眠ってしまって、生徒たちもチャイムが鳴るまで静かに待っていた、という「事件」もありました。
「シューベルト号」と名付けた自作の自動車(車検がよく通ったものです)で通勤していた美術の先生とか、清掃こそ教育であるという自負のもとに、佐原からの遠距離通勤にも拘わらず、早朝から出勤して木に登って枝下ろしをしていた物理の先生とか。
ちなみに、この先生の授業はサッパリ分かりませんでした。ただ、ドップラー効果を説明するときの仕草のおかしさだけは記憶にあります。
女子生徒が家庭科をやっている時間に、『徒然草』を教材に人生のはかなさを語ってくれた、これも老先生。
その老先生と一緒に、よく司書室の日なたでお茶を飲んでいた小柄な女性の老先生。この音楽の先生は、教室の前の方に座っている生徒には、内職をしていても良い成績をくれました。
あの頃の私は、ソプラノのパートまで声が出ましたっけ。
こんな時代の千葉東高校に行ったので、今の私があるのでしょう。
昨日の大河ドラマでは近代女子教育のポリシーが脚本に反映されていてよかった、ということを書こうとしたら、結局、昔話になってしまいました。
同女の学生さんは、どのように受けとめられたでしょうか。
ちなみに、本学の創立者もこの同志社女学校で学んだのです。
【追記】
☆ 國學院大学大学院OBの池田陽平さんより、御高論「後白河・後鳥羽院政期における延暦寺嗷訴(Ⅰ)(Ⅱ)」(『政治経済史学』555・556)を御恵送頂きました。
池田さんに、あつく御礼を申し上げます。