現代社会学部 後期「基礎演習Ⅱ」「演習Ⅱ」(野口担当)履修者のみなさんへ

No.10060

 みなさんが研究対象として希望している「地域振興」・「京都の歴史」・「社会教育」研究の観点から、下記のように、
博物館見学を実施します。
 
 日時:2013年9月21日(土)13~15時
 見学先:京都文化博物館(中京区三条高倉 地下鉄烏丸御池駅から徒歩3分)
 現地集合・現地解散
 
 「基礎演習Ⅱ」(1回生)・「演習Ⅱ」の履修者(2回生)と合同で行います。カリキュラムに基づくものではありませんから、自由参加です。
 ただし、人数によって見学形態を考えますので、参加希望者は、9月15日(日)までに、野口までE・メールでお知らせ下さい。
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☆ 広島大学の下向井龍彦先生より、御高論「「腰縄」「面縛」論争と歴史学の方法-松本政春氏「軍団兵士と『腰縄』再論-下向井龍彦氏の批判に接して-」を読んで-」(『続日本紀研究』400)・「平清盛音戸瀬戸「日招き」開削伝説の形成と浸透」(『芸備地方史研究』282・283)を御恵送頂きました。
 下向井先生に、あつくお礼を申し上げます。

 【追記】Facebookに重源ゆかりの栢ノ森遺跡(京都市伏見区)の写真を載せました。

  便りのないのはよい便り

No.10059

 夏休み中のゼミメンバー。荒天で交通機関が大混乱しているのをものともせずに列島を移動したり、欧州遠征を企てるなど、様々な障害に立ち向かい、進取の精神を貫いて元気いっぱいの様子。
 老輩も見習わないといけません。ゴホゴホ。
 しかし、このところ偏頭痛はするし咳はとまらないし・・・・。
 そろそろ、後期の準備も始めなければなりません。

 ☆ 東京都足立区で長く文化財行政に携わっておられる加増啓二先生より、新刊の御高著『戦国期武蔵の戦乱と信仰』(岩田書院)を御恵送頂きました。
 加増先生とは千葉在住の頃に「千葉氏」の縁で知己を得ました。とても誠実な方で、論文の行間からも、そのお人柄が伝わってきます。
加増先生に、あつく御礼を申し上げます。

 ☆ 群馬県立太田東高校の須藤聡先生より、御高論「近世前期西上州の漆年貢についての一考察-鬼石領を中心に-」(『群馬歴史民俗』34)・「「厩橋」と大胡郷」(『ぐんま地域文化』39)、ならびに御高論「宇都宮朝綱と下野守源義朝」掲載の『武尊通信』132号を御恵送頂きました。
 須藤先生に、あつく御礼を申し上げます。

 Septmber♪

No.10058

 いろいろな歌がありますが、私は竹内まりやの歌を思い出します。

 さて、大学は、前期の追試期間だというのに、もうすでに後期モード。小中高の教職員と兼用ということもあるのですが、駐車場は殆どいっぱいの状態です。
 阿波の武士団に関する原稿は進んではいるのですが、途中で校正の仕事などが入るので、中断すると元に戻るのに時間がかかり、後で読んでみると同じことを書いていたりするので困ります。
 そこで教訓「論文執筆はお若いうちに」。なにしろ、体力とモチベーションです。

☆ 学習院大学史料館の木村真美子先生より、御高論「大覚寺義俊と近衛家-将軍足利義晴と朝倉孝景との関係を中心に-」(『室町時代研究』3)・「解題 太政大臣上表次第」(『内閣文庫所蔵史籍叢刊 古代中世篇』第五巻)・「口絵解説 鳳輦及唐車写真絵葉書」(『日本歴史』774)ならびに先生が作成に協力された『実隆公記紙背文書花押署名総覧(公家武家編)』(東京大学史料編纂所研究成果報告2012-8)を御恵送頂きました。
 木村先生に、あつく御礼を申し上げます。

 【追記】 東京大学の呉座勇一先生より、御高論「永享九年の「大乱」-関東永享の乱の始期をめぐって-」(『鎌倉』115)を御恵送頂きました。
 呉座先生に、あつく御礼を申し上げます。

 後期の研究所ゼミと現社「基礎演習Ⅱ」・「演習Ⅱ」について

No.10057

 今日で8月もおしまい。後期授業の再開も近いので、秋の予定などについて連絡させて頂きます。

 ○ 研究所ゼミ(毎週木曜日15時~終日)
 すでに岩田君が書き込んでくれたように>>No.10049、9月19日(木)から史料講読会を再開します。 場所は京都女子大学L校舎 3階 共同研究室。午後3時から終日。
 基本は『吾妻鏡』の講読ですが、個別の研究発表(卒論や修論の事前発表も含む)や『紫苑』の編集、史跡見学会などのイベントに関する相談の時間にも充てたいと思います。
授業の都合に合わせての途中参加も可能です。

 秋に実施することの確定しているのは、伏見区醍醐支所主催の「もちもちぃんウォーク」への参加。11月2日(土)に実施。下見会をその一週間前より以前に行います。
 ほかに、メンバー内で播磨浄土寺や近江安土などに出かける計画もあります。
 それから、神戸大学名誉教授で昨年の大河ドラマの時代考証を担当された髙橋昌明先生からの要請による浄妙寺・宇治陵方面の史跡散歩もありましたね。
 
 機関誌『紫苑』については、すでに編集長の池嶋さんが原稿募集の案内を書き込んで下さいましたが>>No.10040、積極的な応募を期待しています。


 ○ 「基礎演習Ⅰ」・「演習Ⅱ」(毎週火曜日Ⅲ・Ⅳ講時~)
  「基礎演習Ⅰ」は火曜日のⅢ講時、「演習Ⅱ」は同じくⅣ講時にL校舎3階の共同研究室で行います。Ⅴ講時以降も、自主的な活動の時間として研究室を利用出来るようにしたいと思います。
 すでに、ゼミ配属希望調査で何を勉強したいかうかがっていますが、最初の授業に、そのあたりを個別に話して頂いて、指導方針を決めていきたいと思います。
 歴史環境に基づく地域振興とか観光などに興味のある人は、上記の「もちもちぃんウォーク」に参加して下さい。また、授業時間以外に京都市内の史跡や博物館見学も積極的に実施したいと思います。
 研究所ゼミの活動と連繋させて、効果的な活動を行いたいと考えていますが、学生諸姉の積極的な取り組みが何よりも大切なことです。

  ※ 上記活動の実施にあたっては、私の旧職場で同僚だったり、研究活動の過程でお世話になった皆様に御助力を仰ぐケースが多々あると思いますが、何卒宜しくお願い申し上げる次第です。

 名古屋の中世史研究会大会に元木先生が御登壇

No.10056

 昨秋から半年ほど毎月通ったので、名古屋は少し身近な土地になりました。
 今年の中世史研究会の大会は、元木先生の平氏政権論がうかがえそうです。
都合がつけば、是非拝聴にうかがいたいところです。

 以下、中世史研究会のサイトからコピーさせて頂きました。
 《2013年度総会・大会》
  報告者:元木 泰雄 氏
  題目:「武士政権の成立―平氏政権の諸問題」
  日時:2013年9月14日(土)
  総会13:15~ 大会14:30~ (開場13:00) 
  会場:ウインクあいち 12階1203会議室
 (JR名古屋駅桜通口から、ミッドランドスクエア方面へ徒歩5分)

 卒論執筆、楽しんでますか?

No.10055

 本日、「成績帳票確認報告書」という書類を教務課に提出して前期の成績処理を終了しました。
 さて、これで阿波の武士団に関する論文に戻れるかと思いきや、「そうは問屋が卸さない」のが世の常なるもの。
 お盆前に送った校正ゲラが複数というか、ドサッというか、まとめて返送されてきました。
 一方、再校も済ませて、いつ刊行になるのか楽しみしていたものは、諸般の事情で期待していたよりもだいぶ先になってしまうなどという残念な話が伝わってきます。世の中、なかなか、思うようにはまいりません。

 その点、卒論に取り組んでいる4回生諸姉などは、今が執筆の佳境に入った頃で、楽しくて面白くて仕方がないのではないでしょうか。論文の執筆に取り組んでみて、ようやく学問のおもしろさに気がつき始める。
 いつも、秋になると「大学院にのこって、もっと勉強をしたいのですが・・・」という相談を受けることがあります。
 困るのは、ちょっと遅れ気味の人で、卒論提出の頃になってから面白くて仕方がなくなり、院進学を試みようとするのですが、もうほとんどの大学院で願書提出を締め切っているといったケース。
 大学生は、本人が目覚めると、ほんの半年くらいの間にとてつもなく実力を伸ばしたりしますので、本当に若さというのは羨ましいと思います。

 ちなみに、本日のお昼もA地下でカツカレー320円也。
 それから、Facebookに、青山学院大学文学部で非常勤講師として演習を担当したときの記念写真を載せておきました。野口は最初から「おじいさん」だったと思っている人は是非ご覧になってみて下さい。笑えると思います。

京都はまた暑くなって参りました。

No.10054

 今日は父方の祖父の命日です。祖父は明治34年、すなわち、20世紀最初の年に千葉県佐倉市の飯塚という所で生まれました。祖父が生きていた頃、私は、この人は最初から「おじいちゃん」だったみたいに考えていましたが、彼の人生はいかなるものであったのか。 
 あれから45年。ほんのすぐ近くに住んでいたのに臨終にも立ち会わず、高校2年にもなっていたのに、私はまったく駄目人間でした。駄目さ加減は今も大して変わっておりませんが。
 ちなみに、人間の品格というものは何歳くらいの頃に決まるものなのでしょうか。

 仕事の合間に床屋さんに行ってきました。床屋の御主人は教養人なので、いつも教わることがあります。今回は「矢立」の由来について。源平内乱の頃、武士が背に負っていた箙の底には筆と墨が納められていたとのこと。初めて知りました。これは武士論にとっても結構重要な事実。知っていれば『武家の棟梁の条件』(中公新書)に書いたのに、残念!
 武士は無教養で文字など書けなかったなどという一部の俗説に対する有力な反証となる事実といえるでしょう。

 昼食はA地下にてカツカレー320円也。 
 
 今朝、宇治や山科のあたりでは一天にわかにかき曇り、短い時間ですがザッと降雨があったのですが、東山のあたりには降らなかったとのこと。また、猛暑がぶり返して参りました。

 Facebookに、醍醐寺境内にある「頼政道跡」の石碑の写真を載せました。

 この時期、大学生のみなさんは猛勉強中のことと思います

No.10053

 今どきの大学では、もう夏休みも終盤。4回生は卒論で大車輪の毎日だと思います。各大学の図書館では執筆のための資料を求める学生さんたちで大混雑のことでしょう。すぐれた研究書が奪い合いになっている光景が思い浮かびます。
 数年前、同志社大学の図書館では『平安時代史事典』の確保が大変だったとのことです。(ただし、使っているのはいつも同じ顔ぶれだったとか?)
 卒論は、そろそろ草稿を完成しなければんならない時期。後期の授業が開始されたら、早々のゼミで中間報告ということになるのでしょう。それから何度も書き直しを重ねてよいものに仕上げる。提出まであと4ヶ月ほどしかありませんね。
 卒論こそ大学生活の集大成ですから、ぜひ優れた成果をのこして御卒業下さい。


 先日、久方ぶりに佐倉の国立歴史民俗博物館に出かけてきました。
 伊豆の国市の池谷先生から御紹介頂いた企画展「時代を作った技-中世の生産革命-」の見学が目的でしたが、常設展もしっかり見てまいりました。
 企画展会場入り口の大きなパネルにどこかで見たことのある方が映っていましたが、あれはどなただったのか・・・??

 企画展では、中世における技術者の社会身分について、多々考えさせられるところがありました。それから、刀剣の製法や石切りの方法について大変興味を持ちました。
 常設展の方は近現代の展示が新鮮でした。あれは、地元千葉県の高校生には全員に見に行ってもらいたい思いました。日本史の勉強以上の意味を持つと思います。ただし、事前指導と優れた引率者か必要。
 展示室内の「映画館」で上映されていた活動大写真はとても面白いものでした。思いの外撮影技法も凝っている。最近のCGだらけで目まぐるしいばかりの映画に辟易させられている私には実に楽しい一時でありました。
 しかし、「現代」の展示室に展示されているのは、これまで私が手にしたり日常の身の回りにあったものばかり。もはや私自身も過去の遺物であることが実感されました。

 Facebookでも写真を載せて紹介しましたが、『鎌倉』第115号に山本さんの論文「北条時政とその娘たち-牧の方の再評価-」が掲載されています。ゼミメンバー・関係者はぜひ読んでおいて下さい。
 この論文は地味なテーマながら、きっと鎌倉幕府成立期の政治史研究におおきなインパクトを与えることになるでしょう。
 私もミネルヴァの『北条時政』を早く書かなければならないと思っております。でも、今は『研究紀要』に載せる例の阿波国のお話を執筆中です。それが済んだら九州の武士の話を仕上げたいのですが、その前に重源の勉強をしなければならないと思います。

 なにしろ、常に執筆意欲が湧くほどに体調がよくありたいと願うばかりです。

昔「刑事コジャック」というテレビ番組がありましたが・・・

No.10052

 あの頃は、喫煙者が我が物顔でいられた時代でしたが、コジャック刑事は厳つい顔でペロペロキャンディをなめていましたね。

 今日の京都は地蔵盆の日。午前中、馬町交差点のコンビニに出かけたところ、渋谷通りに面した各所にまつられたお地蔵さんに、近所の人や子どもたちが集まり、お坊さん(尼僧もおられました)がお経を上げている光景が見られました。
 雷雨の後、気温は少し下がったようですが、まだ蒸し暑い。
 少し外を歩いただけでもダウン寸前です。まったくの虚弱体質です。
 私は「キョジャック」。

 ☆ 高橋秀樹先生より、新刊の御高著『玉葉精読―元暦元年記―』(和泉書院 日本史研究叢刊25)を御恵送頂きました。
 大変な御労作。まさに「記主の筆録意識まで掘り下げ、史料解釈を新次元へと導く、古記録研究の最前線」。
 記録読解を志す方たちにとって良き導きの書となるばかりではなく、この時代の政治史研究にも大いに活用されることになると思います。
 高橋先生に、あつく御礼を申し上げます。

 ☆ 磯川いづみ先生より、御高論「「大山積神社文書」所収元久二年の二通の下文」(『四国中世史研究』12)を御恵送頂きました。
 磯川先生に、あつくお礼を申し上げます。

☆ 大村拓生先生より、御高論「一五世紀における淀川水系の寺院ネットワークと地域社会-応永一九年北野社一切経書写を手がかりに-」(『市大日本史』16)・「中世の泉国衙と荘園制」(和泉市史編さん委員会編『和泉市の歴史6 テーマ叙述編Ⅰ 和泉市の考古・古代・中世』)を御恵送頂きました。
 大村先生に、あつく御礼を申し上げます。

最近の違和感から。

No.10048

 下記の大粟神社に関する質問にたいして、また、懇切な御回答を頂くことが出来ました。ありがとうございます。
 町教委による調査報告書が出ているようなので、しかるべく取り寄せてみたいと思います。

 それにしても、この猛暑は酷い。先ほど外に出てみましたが、いささか耐えがたいものがありました。しかし、腑に落ちないのは、このところ電力不足の声がマスコミから聞こえてこないこと。もう宜しいのでしょうか。

 また、老人の繰り言のようになりますが、最近使用されている言葉には違和感を感じるものが多いのですが、諸賢は、そんなことはお感じになりませんか?

 その一。「学生」を「生徒」という。
 大学生が自分たちのことを「生徒」と自称する。「変だ」と言ったら、「高校生の着るのは学生服だろう」との御返事。「ならば、セーラー服を着ている女子高生は水兵さんか」と切り返す。
 そのうち、大学にも「生徒会」が出来るのでしょうか?
 ちなみに、高校の先生の校務分掌には「生徒指導」がありますが・・・。私もこれをやりましたが、大変でした。

 その二。「大学」を「学校」という。
 「学長」も「校長」と呼ばれるようになるのでしょうか? 

 言葉遣いの変化は、実体の変化の反映でしょうが、言葉遣いが実体の変化を助長する側面もあると思うのです。 
編集:2013/08/18(Sun) 15:41

学校の生徒さんについて

No.10049

>野口先生 残暑お見舞い申しあげます

 「生徒」「学校」は私も違和感あります。この違和感の、たとえば世代的な境目はどのあたりにあるのでしょうね。

 私が通った大阪の府立高校は「自主・自由・自立」がモットーだったのですが、そういえば先生方や生徒会の皆さんもことあるごとに、『自由とは?』『自由な学生とは?』といったようなことを学生達に問いかけ、私たちも私たちなりに考えていたような気がします。そういう問いかけは、今から思うとなかなか大事なものだったように思います。
 そのようなわけで、私にとっては「学生」=「自主・自由・自立」を体現しながら学ぶ人、といったイメージです。「生徒」といってしまうとそれらが制限された、ずいぶん窮屈なイメージですね。

 そういった面から考えますと、いまはずいぶんとミスを恐れたり、とにかくミスをさせないように仕向けることが“教育”や“訓練”と呼ばれるような世情ですから、若い人たちが普段から「自由」について考えたり、実践してみたりする機会もずいぶん少ないのだろうと思います。社会全体が、個人の裁量という意味での「自由」が許容されにくい方向へ傾斜しているようですし、「自由」と「放置・放任」の違いについて考える機会も少ないのかもしれません。
 これは、若い人の育成を担う年配者(※私も含む)の責任でもあると思います。

 「学生」とはこういうイメージですよね、「生徒」といった場合はこういうイメージですよね、…というように、折に触れて地道に意見交換してみることが大事なのかもしれません。


 ところで、まだ一ヶ月ほど先ですが、次回の『吾妻鏡』のご案内でもさせていただきます。

 日時:2013年9月19日(木)午後3時頃~(予定)

 場所:京都女子大学L校舎 3階 共同研究室
 範囲:秋学期に向けての試運転

 ※しばらく“振り返り”を続けていきますが、それが終わった後の範囲は以下の通りです。
     承元四年(1210)正月一日、二月五日・十日・二十一日、三月十四日・二十二日、四月九日・十九日、五月六日・十一日・十四日・二十一日・二十五日、六月三日・十二日・十三日・二十日、七月八日・二十日、八月九日・十二日・十六日、九月十一日・十四日・三十日、十月十二日・十三日・十五日、十一月二十二日・二十三日・二十四日、十二月五日・二十一日の各条
     承元五年(建暦元年、1211)正月十日、閏正月九日、二月二十二日、三月十九日、四月二日・十三日・二十九日、五月四日・十日・十九日、六月七日・二十一日・二十六日、七月四日・十一日、九月十二日・十五日・二十二日、十月十三日・十九日・二十日・二十二日、十一月二日・三日・四日・二十日、十二月一日・十日・十七日・二十日・二十七日の各条

 『吾妻鏡』講読会は基礎的な史料読解のニーズにも対応しておりますので、再開する頃には秋を感じさせる季節になっていてほしいところですが、そんな季節に何か新しいことを始めてみようという方は、まずは見学からでも、どうぞ「ご自由に」ご参加ください。京都女子大の方限定ではありませんよ。
編集:2013/08/18(Sun) 21:02

大学の根幹に関わる問題

美川圭
No.10050

大学生が自分たちを生徒と呼ぶようになったという問題。大学の根幹に関わると思います。大学というのはもともとヨーロッパ、そのうちイタリアでうまれたものです。しかも近代国家が成立する以前ですね。ですから、大学の自治、つまり国家からかなり独立した存在なのです。国家や権力から相対的に独立している。つまり学問の自由です。そういういわば権力からみれば危険な存在があることによって、近代的思惟というものが発達した。その空気に少しでも触れることは、とても重要なことだ。とくに国家のリーダーになるような人物は、それによって自らの暴走を抑制できる。一般の職業人になっても、国家権力に安易に盲従することがなくなる。ときの権力はしばしばこれを胡散臭く思うことがある。国家の支配下におこうとするのである。しかし、国家の支配に完全に入ってしまうと、その大学の価値は劇的に低下する。それは大学や学問の本質に関わることである。そんな風に思っています。大学の学生という呼称は、そうした国家からの相対的な独立、つまり自由を象徴しているのです。自由にものを考え、発表できなくなったらおしまいです。
編集:2013/08/18(Sun) 23:15

答えは見えているのですが。

No.10051

 美川先生のFacebookにコメントを書き込ませて頂いていたら、美川先生がこちらに書き込んで下さいました。(ちなみに、イメージが元木先生のと同じになっておりますが・・・。これまでのイメージがとても美川先生らしかったので。)

 大学が本来の大学足るべくあってほしいというのが私の願いです。大学生を生徒と呼んでも違和感を感じない世代の出現は、日本社会からほんらいの大学が失われつつあることを示すひとつの指標だと、私は思っています。

 こういうことを専門に研究している方たちは、どんなことを考えているのか知りたく思い、いま、岩波書店の『シリーズ大学4 研究する大学-何のための知識か』を読んでいます。収められている論文の中では、小林傳司「序論-知の変貌と大学の公共性」と野家啓一「人文学の使命」から学ぶべきところがありました。

 なにしろ、将来、まっとうな日本史の研究を行う人と場が確保されるのかが心配でならないのです。