公開講座まであと一週間。
No.9987
公開講座が近づいてきました。懇親会には遠方の大学の先生や東京の出版社の方など多くの皆様から参加の申し込みを頂いているようです。また、出席できないので、かわりに懇談会用の御菓子を送って下さるという方もおられて感激致しております。
幹事の池嶋さんには、実習中にも関わらず、いろいろお手数をおかけしています。
昨日の講義。だいぶ気温に影響されました。冷房の調整など、みんな他人任せというのは宜しくない。「どうもすべてに当事者意識がない」、というのは学生さんたちに申し上げるよりも、自らの戒めとしなければならないのかも知れませんが……。
史料講読会は梶原景時失脚の辺り。やはり、この人はただ者ではない。徳大寺家の家人で吏僚的資質を持ち、播磨などの惣追捕使に任じ、美作の目代をつとめ、弁舌に巧み、その上、武芸(軍事行動)にもかなり優れていたらしい。彼の評価を問い直す作業が、治承・寿永内乱論の再構築に繋がるかも知れません。同じことは長沼宗政にも言えます。彼も単純に武辺と評価することは出来なそうですね。
☆ 神奈川県立金沢文庫の永井晋先生より、御高論「下総下河辺庄の現状と課題」(『民衆史研究』85)・「園城寺と河内源氏-戒誉・覚義から公暁まで-」(『国史学』201)・「下総国下河辺庄築地郷について」(『野田市史研究』23)・「中世前期古文書料紙論の現状と展望」(『日本史研究』607)を御恵送頂きました。
「下総下河辺庄の現状と課題」の一節。
「自治体の文化財担当者や地域博物館の学芸員といった地域社会と密接に結びついた研究者は、郷村単位の総合研究を進めている。ただ、地域密着型の研究者は周辺地域との情報交換を盛んに行ってはいるが、地頭以上の上級領主に対する関心は薄く、京都・鎌倉との政治経済的な結びつきについてはあまり意識を向けていない。これは、荘園を閉じた世界としてモデル構築する内部構造派の研究の名残りとみられる傾向なので、荘園制研究そのものにみられる傾向といってよい」・・・なるほど。武士認識についても同じことが言えそうです。
永井先生に、あつく御礼を申し上げます。
☆ 明治大学の渡辺滋先生より、御高論「日本古代史料に見える「揚名」の語義-『孝経』の原義との関係-」(『汲古』62)・「「揚名介」をめぐる中世の諸言説-一条家における家説形成の過程を中心に-」(『国語と国文学』90-2)・「日本古代における親族廻避の制」(『延喜式研究』29)・「厳島神社文書の史料性をめぐる諸問題-近年の「偽文書論」の位置付けを中心に-」(『ヒストリア』237)・「請人・口入人の持つ力-地方有力者が任用国司の地位を獲得する過程から-」(井原今朝男編『富裕と貧困-中世社会における富の源泉と格差-』竹林舎)・「史料現物を見るということ-古代・中世史料の調査から-」(『歴博』178)を御恵送頂きました。
在庁系武士の位置づけなど、こうした新しい制度史研究の成果をもとに再検討の要があるように思いました。
渡辺先生に、あつく御礼を申し上げます。
幹事の池嶋さんには、実習中にも関わらず、いろいろお手数をおかけしています。
昨日の講義。だいぶ気温に影響されました。冷房の調整など、みんな他人任せというのは宜しくない。「どうもすべてに当事者意識がない」、というのは学生さんたちに申し上げるよりも、自らの戒めとしなければならないのかも知れませんが……。
史料講読会は梶原景時失脚の辺り。やはり、この人はただ者ではない。徳大寺家の家人で吏僚的資質を持ち、播磨などの惣追捕使に任じ、美作の目代をつとめ、弁舌に巧み、その上、武芸(軍事行動)にもかなり優れていたらしい。彼の評価を問い直す作業が、治承・寿永内乱論の再構築に繋がるかも知れません。同じことは長沼宗政にも言えます。彼も単純に武辺と評価することは出来なそうですね。
☆ 神奈川県立金沢文庫の永井晋先生より、御高論「下総下河辺庄の現状と課題」(『民衆史研究』85)・「園城寺と河内源氏-戒誉・覚義から公暁まで-」(『国史学』201)・「下総国下河辺庄築地郷について」(『野田市史研究』23)・「中世前期古文書料紙論の現状と展望」(『日本史研究』607)を御恵送頂きました。
「下総下河辺庄の現状と課題」の一節。
「自治体の文化財担当者や地域博物館の学芸員といった地域社会と密接に結びついた研究者は、郷村単位の総合研究を進めている。ただ、地域密着型の研究者は周辺地域との情報交換を盛んに行ってはいるが、地頭以上の上級領主に対する関心は薄く、京都・鎌倉との政治経済的な結びつきについてはあまり意識を向けていない。これは、荘園を閉じた世界としてモデル構築する内部構造派の研究の名残りとみられる傾向なので、荘園制研究そのものにみられる傾向といってよい」・・・なるほど。武士認識についても同じことが言えそうです。
永井先生に、あつく御礼を申し上げます。
☆ 明治大学の渡辺滋先生より、御高論「日本古代史料に見える「揚名」の語義-『孝経』の原義との関係-」(『汲古』62)・「「揚名介」をめぐる中世の諸言説-一条家における家説形成の過程を中心に-」(『国語と国文学』90-2)・「日本古代における親族廻避の制」(『延喜式研究』29)・「厳島神社文書の史料性をめぐる諸問題-近年の「偽文書論」の位置付けを中心に-」(『ヒストリア』237)・「請人・口入人の持つ力-地方有力者が任用国司の地位を獲得する過程から-」(井原今朝男編『富裕と貧困-中世社会における富の源泉と格差-』竹林舎)・「史料現物を見るということ-古代・中世史料の調査から-」(『歴博』178)を御恵送頂きました。
在庁系武士の位置づけなど、こうした新しい制度史研究の成果をもとに再検討の要があるように思いました。
渡辺先生に、あつく御礼を申し上げます。