学位論文『鎌倉幕府と武士社会の研究』拝受。

No.9968

 昨日の「教養科目」。三別抄の話が十分に出来なかったのが残念。時間さえあれば「刀伊の入寇」についても、じっくりお話ししたいところでした。
 来週は、シラバスでは「板額と巴」というテーマの予定なので、やはり中世の女性についてお話ししようと思っています。

 研究所ゼミの方は、師範代に御用があり、しかも実習で不在の方が複数おられましたので、急遽、目下研究発表の準備を進めている「田口成良」について、作成途中のレジュメ草稿によって、私の話を聴いていただきました。やはり、「田口成良」の呼称はまずい。しかし、その存在形態は、今後の武士論研究において、ひとつのモデル的事例となると思います。成良のみならず、12世紀後半~13世紀前半期における阿波の武士たちの動向は、中央の政治・経済の状況に即応しています。
 聴かされる側は、さぞかし御迷惑であったと思いますが、おかげ様で、少しばかり頭の中の混乱が収拾できました。

 滝沢さんから頂いた長野のお土産は、栗の入った高級な和菓子。先週、山本さんからいただいた岡山の「藤戸饅頭」「高瀬舟羊羹」同様に美味しくいただきました。お休みの人が多かったおかげで、勝手ながら私だけ2人分を「ご馳走様」。しめしめ。

  師範代の岩田君からは、学位論文のPDFファイルをプリントアウト製本した冊子を頂きました。世界中に5冊しかないとのこと。タイトルは『鎌倉幕府と武士社会の研究』。
 最新のすぐれた武士論の研究成果が、広く行き渡らないというのは惜しんでもあまりあるものがございます。すぐに版下が作れると思うので、早々の出版を期待しています。
 よい原稿、すぐれた執筆者を求めている編集者の方々には朗報では?
編集:2013/05/24(Fri) 23:59

“質”の向上は簡単ではありません-次回の『吾妻鏡』-

No.9969

 坂額御前は私も授業で取り上げたことがあります。受講生の皆さんにもかなり興味を持っていただくことができましたが、感想カードに『(史料講読の)本題よりもおもしろかった』と書かれたときは困ってしまいました…。

 拙稿の冊子ですが、いまは簡易製本もほんとうに簡単にできるようになりましたね。ありがたいことです。

 ところで、前回は都合により早退させていただき、失礼致しました。また次回以降もよろしくお願いします。次回もひきつづき、『吾妻鏡』頼家・実朝期の記事を抜粋して振り返りを行っていきたいと思います。史料を挙げながらいろいろな問題について意見交換していきますので、とくにこれといった予習もなくご参加いただけると思います。

 日時:2013年5月30日(木)午後3時頃~(予定)
 場所:京都女子大学L校舎 3階 共同研究室
 範囲:頼家・実朝期の振り返り

 5月も木曜の午後、30日に開催予定です。

 『吾妻鏡』講読会は基礎的な史料読解のニーズにも対応しておりますので、早くも夏の訪れを思わせる季節に何か新しいことを始めてみようという方は、まずは見学からでも、どうぞお気軽にご参加ください。京都女子大の方限定ではありませんよ。

 研究教育者の矜恃

No.9965

 『京都大学大学院文学研究科専攻(専修)案内』(平成24年7月)に、こんなことが書いてありました。
 「本専修では,大学院生の独自性を重んじて,できる限り指導しないように努めている。必要な場合には最良,最少限の助言を与えることもある。」

 本日の「基礎・教養科目」。
 先週の授業の際に申し上げたので、ここには書きませんでしたが(もう書いたような記憶があるのですが・・・)、シラバスどおり、テーマは「ムクリ・コクリ」、元寇のお話です。
編集:2013/05/23(Thu) 11:46

 問題とすべきは大学院生の矜持でしょうか?

No.9967

 人文系の大学院生が、ひたすら所属する大学に閉じこもって履修要綱に沿って単位を取り、手取り足取りの指導を受けて修論・博論を仕上げるという受身の態度では困ります。

 近年は、資格を取るための、昔でいえば専門学校とか各種学校に類するような存在に見える大学院もありますから、そんな院生も実在するかも知れません。とはいっても、人文系のジャンルの研究は、そんなわけには行かないはずですので、その辺りのことを確認する意図が、上掲案内の文言に反映されているのかもしれません。でもそれは、最近問題になった高等教育院設立の発想などとは齟齬するようにも思えるのですが。

 一方、必要な場合には「最良」の助言を与える-というところには、自負と迫力を感じました。これは、なかなか出来ることではありませんから。


 ちなみに、自分の話で恐縮ですが、私は院生時代には授業料を払っていないところばかりで勉強させて頂いておりました。
 安田元久・土田直鎮・桃裕行・豊田武・田中久夫といった錚々たる先生方には、授業や研究会で、ずいぶんお世話になりましたし、そこで知り合いになった同学の方たちとは、今に至るまで長いお付き合いをさせて頂いております。
 そういえば、史料編纂所に行って、新田英治先生に青学の研究室で欠号になっていた『日本史研究』所載の論文のコピーお願いするという、思い出すと冷や汗の出るような、図々しい所行をしでかした事もありました。

 もっとも、ほとんどの場合、こうした先生方の所にお邪魔するにあたって、仲介の労を執って下さったのは、指導教官である貫達人先生だったのです。

昔は「平常服」も「たいらのつねふく」と脳内変換されるほどだったのですが・・・。

No.9964

 昨日、熊本学園大学の小川先生や若き碩学の坂口君から、いろいろ御教示を頂きましたが、今日も京都文博の長村君に、書かれているのに見つけられなかった記事の御教示を頂きました。『六代勝事記』の記事です。
 書いてあっても見つからないとは、もう情けないこと限りなし。昔は、史料を読むと記事の方から目に飛び込んできたものです。なのに・・・、もはや神通力は失せたか。

 本日は、本学に出講してくださっている中村武生先生にA地下で昼食をともにさせて頂きました。先生はここに入られたのは初めてとのこと。そういえば、私も現・長村夫人に連れて行って頂くまで、逡巡のあげく5年かかりましたっけ。

 ☆ 青山学院大学の佐伯真一先生と国立歴史民俗博物館の菱沼一憲先生の御連名で、新刊の延慶本注釈の会編『延慶本平家物語全注釈 第三末(巻七)』(汲古書院)を御恵送頂きました。
 両先生に、あつく御礼を申し上げます。
 

 注に挙げられているのに、見つけられない話。

No.9962

 目下、来週の研究会で報告するために、12世紀末の阿波の有力武士「田口成良」に関するレジュメを作成しています。その中で、 久安二年(1146)七月十一日「河人成俊等問注申詞記」(『愚昧記』裏文書,『平安遺文』2583)を取り上げたいのですが、ある論文に、これに触れた先行研究として戸田芳実「初期中世武士の職能と諸役」(『日本の社会史』4)が注に示されていました。書架を見たところ、あいにく『日本の社会史』のこの巻だけが見当たらないので、この論文が再録されている戸田先生の論文集『初期中世社会史の研究』で参照したところ、この文書に触れた記述は全く見つかりませんでした。
 また、老人呆けであることをおそれますが、もし戸田先生あるいは地元以外の研究者がこの文書に関説した論文を御存知の方がおられましたら、御教示いただければ幸いとするところです。

 当時の阿波一宮の比定とか、なかなか厄介で頭が混乱しております。そもそも、「田口成良」という呼称も問題があり、如何様に表記すべきか迷っております。しかし、どうして田口成良(重能)という名で一般に流布してしまったのでしょうか。
 それにしても、中世前期の西国武士団の研究は、一次史料が多くて(あくまでも、東国との比較において)、なかなか新鮮です。

 ☆ 高知大学の市村高男先生より、御高論「四国における中世城館と交通」収録の、橋口定志編『中世社会への視角』( 高志書院)を御恵送頂きました。
 市村先生に、あつく御礼を申し上げます。

【追記】 戸田先生の論文の件、Facebookに同じことを書いたら、すぐに熊本の小川先生から御教示をいただけて、解決致しました。こんなとき、Facebookというのは便利なのですね。
 小川先生には、本当に感謝あるのみです。

 なお、ほかにこの文書に関説した論文を御存知であったり、「田口成良」の表記についてのお考えをお持ちの方がおられましたら、よろしく御教示頂きたくお願い申し上げます。

【追々記】 坂口君から1892年~2005年の間に発表された 7件の関係論文を教えて頂きました。
      ありがとうございました。
      そういえば、坂口君の御高論が『史学雑誌』最新号の巻頭を飾っております。とても重厚な内容です。
編集:2013/05/21(Tue) 20:05

早退させていただきますが…-次回の『吾妻鏡』-

No.9963

 前回から、『吾妻鏡』頼家・実朝期の記事を抜粋して振り返りを行っております。史料を挙げながらいろいろな問題について意見交換していきますので、とくにこれといった予習もなくご参加いただけると思います。

 日時:2013年5月23日(木)午後3時頃~(予定)
 場所:京都女子大学L校舎 3階 共同研究室
 範囲:頼家・実朝期の振り返り

 5月も木曜の午後、23日・30日に開催予定です。

 23日は私(岩田)は都合により4:00過ぎには退場させていただきますが、ご了承ください。

 『吾妻鏡』講読会は基礎的な史料読解のニーズにも対応しておりますので、早くも夏の訪れを思わせる季節に何か新しいことを始めてみようという方は、まずは見学からでも、どうぞお気軽にご参加ください。京都女子大の方限定ではありませんよ。

 ♪ 向こう意気なら焼津の半次~

No.9961

 最近、京都テレビで「素浪人花山大吉」が放送されるようになりました。私が大学に入った頃に毎週土曜夜8時から放送されていた番組で、私はこれの大ファンでした。近衛十四郎演じる花山のダンナと、品川隆二の焼津の半次の掛け合いがとても楽しい。こういう軽妙なやりとりは今どき聴くことがなくなりました。

 ところで、Facebookなるものをはじめて20日ほどになります。ゼミのページでは、昔の写真をたくさん見ることが出来て便利で有り難いのですが、コミュニケーションの場としては、なかなか難しいところもあるようです。お会いしたこともない方と「友達」というのも、なんか気の引けるところがありますし、「いいね!」の応酬ばかりでは意に反する。書き込んだ内容を思うように修正できないし、人間関係の構築という面からも、少し面倒ですね。
 「やろうかな、と思いはするものの、何度も逡巡します」という、ある知人の意見は尤もだと思います。

 私もそうですが、突き詰めると、情報収集に便利であることから、仕事上・生活上の必要に迫られて使っているという人が多いのではないかと思います。若い人は、すでにこれが当たり前のコミュニケーション手段なのかも知れませんが。それにしても、これを始めたことで、40~50代の同業の方でも私とは相当に価値観が違うのだということを痛いほど認識させられました。これは厳しい現実を知ったと思っています。
 しかしまぁ、私の頑迷さに自ら呆れる日が来るかも知れません。

 明日は、降誕会で大学の授業はありません。

ああ、結婚!《速報》

No.9960

 つい先ほど、古参メンバーで何かとエピソードの多かった、あのケータイを必需品とするN君(私の猶子?)から、結婚が決まったというお報せを、ケータイから頂きました。

 あの「Y」を頭文字とする3人は、当分結婚など「しない」(ほかの表現もありますが)だろうと思っていたのですが、どうやら、うちお二人は私(24歳・未就職)を見習って頑張ってくれたようです。でも、彼らはちゃんと就職してからで、その点は常識人。
 
 思い起こせば、お饅頭(Facebookの伊豆旅行の写真参照)やら、おいてけぼりやら、彼も大変でした。

 とっても、とってもうれしそうな声で、こちらもうれしくなってしまいました。まずは、めでたし、目出度しです。

 式は今出川の母校のチャペルで挙げるとのこと。
 新婦さんに、お得意の京都案内をされるのでしょうか?
 
 さぁ、古参メンバーの諸姉兄、さっそくお祝いのメール、メッセージを送りましょう。

「忘却」の日々

No.9959

 このところ物忘れがひどくなり、あるはずの物が見つからなかったり、食堂で食券を買うとき、券売機で同じ金額の異なるメニューのボタンを押してしまったことに食べるべき物がで出て来た段階で気がつく、などということが多く、危ないばかりです。今朝も、頂いたばかりの本を探しています。耄碌した上に、自宅も研究室も本や書類で満杯になっているのが原因だと思います。

 昨日の「教養科目」の講義。琉球・沖縄の歴史をお話ししましたが、どうだったのでしょうか?最近、教壇からでは学生さんたちの反応が分かりにくくなってきたように思います。次回は、国家領域の問題から派生する形で、「ムクリ・コクリ」というテーマで、元寇のお話しをしようと思います。

 研究所ゼミの『吾妻鏡』講読会は、岩田君が資料を用意してくれた上に、適切な問題提起をして下さり、たいへん勉強になりました。昨日は、卒論で紀州の湯浅氏をとりあげている4回生も参加してくれましたが、これから6月にかけて、学部生がいろいろな実習に出かけてしまうのは少し残念。
 それから、山本さん、お土産、ありがとうございました。

 月末の週に講話と研究発表が重なっているので、いささか焦り気味です。研究発表の方は、阿波の田口成良に関する内容を考えていますが、研究成果の報告というより、見学記みたいな事になってしまいそうです。
 講話の方は悩むばかり。史学科の1回生が対象なのですが。

 宗教部の『芬陀利華』331号に「若者たち」という小文を書きました。Facebook(「宗教・文化研究所ゼミナール」)にも転載しておきましたので、学外の方も御笑覧下されば幸いです。

今週の「教養科目」は琉球・沖縄の歴史をとりあげます。

No.9956

 完全に老人化した証みたいな話ですが、このところ、A地下で流れている最近の若者向け音楽が騒音としか聞こえなくなりました。クラシックかなんかにしてくれないかなぁ。
 昔、はじめて鹿児島の長崎鼻に行ったら、スピーカーで歌謡曲が流されていて、せっかくの雄大な光景が台無しだと思ったことがありますが、まぁ、私のような人間の方が少数派なんでしょうね。

 昨日のラボール学園の日本史講座。みなさん熱心に聴いて下さいました。50人ほどの受講者ですが、私の親と同じ世代の方も数人おられました。私より若い方は9人しかおられなかったので、たくさん昔(といっても30~50年くらい前)と今を比較するお話が出来ました。この世代の方たちは、日本史に関する基礎的な教養と伝統的な日本文化の素養を身につけておられるので、ある部分、とても話が通じやすいのです。
 嬉しさいっぱいで、2時間にわたって、マイクなし立ちづめでお話しした結果、家にたどり着いたらグッタリの有様でした。いまも腰痛です。
 往復の「阪急電車」では、15分たっても何も奇跡は起きませんでしたが、「京阪電車」は新型車両ばかりで快適でした。

 救急車を呼ぶほどの深夜の急病人が、病院から受け入れを拒否されたという話は以前から聞いており、ゆゆしき時代になったと恐ろしく思っていたののですが、そうしたことが関東にいる身内に発生いたしました(幸い大事には至りませんでした)。
 いろいろ事情はあるのでしょうが、病院が病人を見捨てたら話にならないと思うのですが。

 老いゆく我が身、病院で体中に管をつけられて、連続する機械音とともに事切れるか。それとも、都会の雑踏の中、通りゆく人たちのシカトの中で苦しみ息絶えるか、どっちかな~、と想像してしまいます。

 ところで、本題ですが、明後日の「教養科目」では、前回お話しした空間的な浄穢構造との関わりから、中世日本の国家領域認識と、それに関連して琉球王国・沖縄の歴史について、お話ししたいと考えています。
編集:2013/05/14(Tue) 15:25

単なる音か音楽か-次回の『吾妻鏡』-

No.9957

>野口先生 私も“最近の若者向け音楽”を認識できなくなってきております。'70~'90頃の歌謡曲など流してくれたらいいのになぁと思うときもあります。が、そうするとついつい聴き入ってしまい、長居→客席の回転が悪くなる→売り上げに響く、のかもしれません…
 こちらが“最近の若者向け音楽”を単なる音としてしか認識できなくなっているように、こちらの発信している情報も、あちらでは単なる音としてしか認識されてないのかな…と危惧したくなることもありますね。

 阪急電車(とくに今津線)は奇跡に溢れているそうですが、私は9年ほどの間“奇跡的に”そういった奇跡には遭遇できませんでした。気付かなかっただけかもしれませんけどね。

 ところで、次回以降しばらくの間の『吾妻鏡』の時間は、これまで読んできた頼家・実朝期の振り返りをするとお伝えしました。振り返るべき記事を挙げてみるとなかなかたくさんありますので、けっこう時間がかかると思います。参加者のみなさん、ご了承ください。

 日時:2013年5月16日(木)午後3時頃~(予定)
 場所:京都女子大学L校舎 3階 共同研究室
 範囲:頼家・実朝期の振り返り

 5月も木曜の午後、16日・23日・30日に開催予定です。

 『吾妻鏡』講読会は基礎的な史料読解のニーズにも対応しておりますので、早くも夏の訪れを思わせる季節に何か新しいことを始めてみようという方は、まずは見学からでも、どうぞお気軽にご参加ください。京都女子大の方限定ではありませんよ。
編集:2013/05/14(Tue) 13:08

「BGMの考察」と『吾妻鏡』講読会へのお誘い。

No.9958

 な~るほど。あの音楽は老人撃退の効果を狙ったものたったのかも知れませんね。
 音楽の好みは、世代や価値観に反映されるものでしょうから、期待する客層に応じてBGMも使いようというわけですね。

 私が音楽を聴くのはもっぱら車の中ですが、いまだにアリスや竹内まりや・五輪真弓ばかり、それもテープで聴いています。いまどきカセットデッキを搭載した新車はないでしょうから、これからもプレミオ(2003年に購入)は大切に乗り続けていきたいと思います。
 それにしても、こうした音楽を聴いていると、高校教員時代に毎日走った千葉の国道16号や鹿児島経済大学在職中、毎週火曜日に往復した宮崎自動車道路の景色、そればかりか、そのときの心境まで思い出してしまうのですから、音楽の力は侮れません。

 さて、『吾妻鏡』の講読会ですが、頼家・実朝将軍期の振り返り。岩田君、よろしくお願い致します。
 年度もかわったばかりですし、この機会に、新しいメンバーにもぜひ加わって頂きたいところ。
 もちろん、京都女子大学の学生さんは大歓迎ですが、それ以外、所属する大学(大学院)・学部(研究科)・専攻などは問いません。
 中世前期の研究をしていきたい方はもとより、これから卒論を書くのに『吾妻鏡』など中世の史料に取り組まなければならないという方もどうぞ。
 ちなみに、史料講読会は史料ばかりを読んでいるだけではなく、雑談のメリットもあります。研究所主催の公開講座や地方自治体主催の歴史散歩などへの協力で大いにネットワークを広げる楽しみもあります。

 これまで、史料講読会に参加してくれたメンバー(院生も含む)の所属大学をざっとあげてみましょうか。
 同志社大学・立命館大学・関西学院大学・京都大学・神戸大学・京都精華大学・京都橘大学・奈良女子大学・同志社女子大学・京都府立大学・・・、このほか、忘れていたら、おゆるし下さい。

 これらの大学に在籍した当ゼミメンバーの後輩のみなさん、さらに、今まで参加者のなかった大学から先陣を切ろうという方の参加をお待ちしています。

明日の「基礎演習Ⅰ」とFacebookの友達リクエストについて

No.9955

 明日の基礎演習Ⅰは田渕さんの発表。
 テーマは『正義の味方アメリカ~アメリカから見る正義~』とのことです。
 アメリカの正義とは何か。戦後を振り返り、これからの日米関係について考えましょう。

 Facebookには、多くの方から友達申請を頂いており、有り難く存じます。ただ、やはり、まったく存じ上げない(面識の有無ということではありません)方と、ネット上とはいえ「友達」になるのは、いささ気が引けるところです。
 旧知の方は存外ですが、せめて、私のよく知るどなたかからの御推薦を頂きたく存じます。
 よろしく、御理解頂きたくお願い申し上げます。

 今日は夜間の講義をしてまいりました。すっかり疲れてしまいましたので、この辺で。

 非違を検する使(つかい)

No.9952

 月曜日に京都勤労者学園で「武士と検非違使」のお話をするので、そのための資料づくりをしています。しかし、検非違使の仕事というのは、武士の担当業務に相応しい軍事・警察のみならず、裁判から清掃・水防、国家・王権に対して秩序を乱す、あらゆる問題=「穢」の取り締まりを一手に引き受けていたわけですから、分業はされていたとはいえ大変だったと思います。
 現代社会で「秩序を乱すもの」といったら、すぐに思いつくのは環境破壊とかネット犯罪。平安時代に入ってから、社会の変化で律令制に基づく行政機関が機能不全を起こしたときに、令外官として検非違使が出現したのと同じように、今の社会もお役所の機構をどんどん変えていく必要があるのかも知れませんね。お役所だけではないか?
 しかし、歴史学上の「穢」の問題というのは、京都にいるとよく分かります。
  昔、ある民間の博物館に勤務していた頃、あまりの待遇の悪さにふと不満を漏らしたとき、国立大学に勤める某研究者から、「歴史を商売にしている者にとっては京都にいるだけでも給料月額5万円くらいの価値があるのだから、がんばりなさい」と、暖かいが変な励まし(?)をいただいたことを思い出しました(私は今、これを受け売りにして、使っています)。
 
 とすると、京都の大学で日本史を専攻している学生さんは、学費が安いと思わなければいけないという理屈になるのかな?「どうですか?」と滝沢さんにフる。

【追記】Facebookの方に、岩田君が伊豆旅行や学習院の兵藤先生のゼミのみなさんを法住寺殿跡に御案内したときなどの懐かしい写真を貼ってくれました。
    伊豆旅行では、山田先生御夫妻のお姿も!うな丼もあります。
編集:2013/05/11(Sat) 23:20

御指名をうけまして、

滝沢智世
No.9953

 野口先生、確かに京都は博物館・史跡が身近にたくさんあって訪れやすく、また地理的・風土的な感覚が理解しやすいので、京都で日本史を学ぶことができて本当によかったと思っています。
 地方から出てくる場合は交通費だけもかなりかかりますし、特に風土感覚は実際に住んでみないとわかりませんので。京都に来て4年目ですが、いまだに春の訪れの早さに驚かされています。

 ただ、自分が地の利を生かして月5万円分も他の地域の学生さんより学べているのかといわれるとその自信はないのですが・・・。

アンチ京都の人たち。

No.9954

 滝沢さん、回答ありがとうございます。
 どこにだって歴史はある。「京都」、「京都」と喧伝されるのは不愉快である。私も昔、そう思いました。
 「首都論?、どうせ京都の話でしょ、わかった、わかった」みたいな発言も、(とくに武士好きの人たちから)よく聞かされます。

 しかしですよ。良質な史料(文献のみならず遺跡・遺物・・・)が圧倒的な分量と密度でのこり、地名や伝統技術も継承されて、景観もほとんど昔と変わらない。考古学的な情況証拠と文字史料の突き合わせが可能、なんていうところは世界的にも稀有でしょう。
 だいたい、前近代の史料のほとんどは京都やその周辺にのこされているのですから、ただ史料を読む上でも、せめて平安京の街路の名前くらいは知っておかないとマズイ。

 京都で日本史を学ぶメリットをお金に換算するのはナンセンスかも知れません。ただ、この恵まれた環境を享受する意志如何にかかる。
 葵祭なんか下宿や寮から歩いて見に行けるでしょう。その後で、『小右記』から賀茂祭の記事を拾って読んでみる、なんて最高ではありませんか?
 
 ちなみに、高校生の時、修学旅行で京都に来たとき、三十三間堂に並ぶ観音様の数に圧倒されましたが、「朱雀」とか「醍醐」というのが、現行地名として日常の中に生きているのを知り、京都の高校生は日本史学習の上で、ちょっとズルイ立場にいるなと思いました。千葉の地名なんて、日本史の教科書にちっとも出てきませんから。「加曽利貝塚」くらいか?