届かないeメールに困っていたら 『研究紀要』第26号ができてきました。

No.9852

 最近、送信しても届かないeメールが多い。アドレスを確認しても誤っていない。受け手のPCのセキュリティーが厳しいためだろうか。結局、仕方が無いから速達葉書を送ることになったりする。一方で、フェイスブックなどというものが流行っている御時世だというのに困った話である。
 ということは、当方に送信されているはずのメールが届いていないと言うことも想定される。しかし、いかがわしい迷惑メールは増加の一途を辿るばかりである。「困る」の一言あるのみ。
           *-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*

 ところで、京都女子大学宗教・文化研究所『研究紀要』第26号が完成いたしました。今号から装幀を一新。『紫苑』と同様にスクールカラーの藤色が採用されました。
 目次から、日本中世史関係の論稿をあげると、

  「下野宇都宮氏の成立と、その平家政権下における存在形態」…野口実(p21~48)
  「鎌倉の顕密仏教と幕府」…平雅行(p81~106)
  「源実朝と京都-和歌を通して考える朝幕関係-」…坂井孝一(p107~118)

があります。あとの二つの論稿は、一昨年の公開講座の講演録要旨です。
 読んでみたいというゼミ関係の方や本学の学生さんは当方の研究室まで。
 追って、各大学の図書館や研究機関になどに発送されますので、お近くの図書館に配架されていない場合でも、その段階で、大学図書館などで文献複写の送付依頼が可能になります。
編集:2013/02/10(Sun) 11:13

二月も『吾妻鏡』

No.9853

 二月も半分以上過ぎてしまいました。はやいですね。
 次回の『吾妻鏡』のご案内です。

 日時:2013年2月21日(火)午後3時頃~(予定)
 場所:京都女子大学L校舎 3階 共同研究室
 範囲:建永二年(承元元年、1207)二月十一日・二十日、三月一日・三日・十日・二十日、六月二日・二十二日・二十四日・二十九日、七月十九日・二十三日、八月十五日・十七日、九月二十四日、十月二日、十一月十七日・十九日、十二月三日の各条
     承元二年(1208)正月十一日・十六日、二月十日、四月二十三日・二十五日・二十七日、閏四月二日・三日・二十五日・二十六日・二十七日、五月二十六日・二十九日、六月十六日、七月五日・十五日・十九日・二十日、八月二十日、九月三日、十月十日・二十一日、十一月一日・十四日、十二月十四日・十六日・十七日・十八日・二十日・二十六日の各条


 二月は毎週木曜日(21日、28日)に開催予定です。

 火曜日の『吾妻鏡』講読会は、参加者のみなさんの自主的な積極性によって支えられております。
 基礎的な史料読解のニーズにも対応しておりますので、春に向けて何か新しいことを始めてみようという方は、まずは見学からでも、どうぞお気軽にご参加ください。

京都女子大学写真部の学外展「テスト終わっ展」開催中

No.9849

 2月10日まで京都女子大学写真部の学外展「テスト終わっ展」が、ギャラリー「祇園小舎」(東山区四条通縄手東入る北側 tel 075-551-3848 京阪祇園四条駅から東に徒歩2分)において開催されているとのことです。時間は11時~18時(10日は17時まで)とのこと。
 写真部は当ゼミの主要メンバーが副部長をつとめておられます。四条に遊びに出かけるついでにでも、ちょっと脚をのばして覗いてやって下さい、とのことであります。
 写真部の皆さんは優等生ばかりだと思うので、「テスト、単位落とし展」の開催の予定はなさそうですね。

 本日、『紫苑』第11号の初校ゲラが出ました。巻頭論文を書いて頂いた満田さんもお見えになり、美味しいお土産を頂きました。
 校正の期間は一週間と短いですが、14日には印刷屋さんに渡せるように、執筆者の皆さん、宜しくお願い致します。

 本日のゼミは岩田君の報告の続き。東国国家論や鎌倉幕府の成立時期についての基礎的な勉強が出来たことと思います。雑談で長引きましたが、ときにはこういうお話もよいでしょう。

 ☆ 滋賀県立大学の京樂真帆子先生より、御高論「平安京都市社会と火災」の収録された三宅和朗編『環境の日本史2 古代の暮らしと祈り』(吉川弘文館)を御恵送頂きました。
 京樂先生にあつく御礼を申し上げます。 
編集:2013/02/08(Fri) 23:01

『紫苑』も進行中-次回の『吾妻鏡』-

No.9850

 先週と今週は拙い報告を聴いていただきましたが、また次回からは『吾妻鏡』を読んでいきましょう。

 日時:2013年2月14日(火)午後3時頃~(予定)
 場所:京都女子大学L校舎 3階 共同研究室
 範囲:元久三年(建永元年、1206)六月十六日・二十一日、七月一日・三日、十月二十日・二十四日、十一月十八日・二十日、十二月二十三日
     建永二年(承元元年、1207)二月十一日・二十日、三月一日・三日・十日・二十日、六月二日・二十二日・二十四日・二十九日、七月十九日・二十三日、八月十五日・十七日、九月二十四日、十月二日、十一月十七日・十九日、十二月三日の各条

 二月は毎週木曜日(14日、21日、28日)に開催予定です。

 火曜日の『吾妻鏡』講読会は、参加者のみなさんの自主的な積極性によって支えられております。
 基礎的な史料読解のニーズにも対応しておりますので、春に向けて何か新しいことを始めてみようという方は、まずは見学からでも、どうぞお気軽にご参加ください。

トンブクトゥ古文書救出作戦

山田邦和
No.9847

野口先生、私の誕生日を気にかけていただき、ありがとうございます。

最近のニュースで、感動した話をひとつ。

アフリカのマリ共和国が内戦状態であり、先日、フランスが軍事介入したことはご存じの通りと思います。その過程で、歴史地区が世界遺産に指定されているトンブクトゥが争奪の的となりました。トンブクトゥはサハラ砂漠の貿易中継地として13世紀以降に栄え、イスラーム研究の中心都市でもありました。そこには12世紀からの貴重な古文書の大群が残っており、国立研究所のほか、60以上の私立施設が古文書を守ってきたといいます。しかし、今回の内戦でこの古文書群が失われたというニュースが世界を駆け巡りました。

ところが、続報で、この古文書群の大半が、実は救い出されていたことが判明したのです。それも、反政府武装勢力が町を占領する直前に、古文書を砂漠に埋めて隠したといいます。
「ここの人々は大昔のことを覚えている。古文書を隠すのには慣れている。砂漠に出て、安全になるまで埋めておくんだ」。

さらに驚いたこと。国立研究所の所員たちは武装勢力が侵攻してきた時、いったんは首都バマコに逃げ出しました。しかし、彼らは改めて、約1200キロ離れたトンブクトゥに密かに潜入し、武装勢力の目をくぐり抜けながら、深夜などに研究所から徐々に文書を回収したというのです。さらに、古文書は砂漠を行き来する交易商人の助けを借り、文書の箱の上に粉ミルクや米の袋など実際の商品を載せてカムフラージュし、首都バマコの安全地帯まで運んだ。最終的には、研究所が所蔵する古文書約45,000点のうち約20,000点は武装勢力の放火で失われたものの、約25,000点が救出されたというのです。もちろんこれは命がけです。もしこうした行動を武装勢力に見つかったら、否応無しにその場で射殺されていたはずです。彼らは命を張って古文書救出にあたったのです。

これだけでも感動的なのですが、私がもっとも心打たれたのは、トンブクトゥのひとりの観光ガイドさんが語った言葉です。
「これらの古文書は、この町の本当の黄金だ。
「古文書、私たちのモスク、私たちの歴史、これらは私たちの宝なのだ。
「それがなければ、トンブクトゥなど何ものでもない。」

これ以上、何もいうことはありません。この高貴な人々に、一刻も早い安寧の日が来るのを祈っています。

【出典】http://mainichi.jp/feature/nationalgeo/archive/2013/01/30/ngeo20130130003.html
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130202-00000013-mai-m_est
http://mainichi.jp/select/news/20130202k0000m030189000c.html

歴史を伝えゆく人々に幸いあれ!

No.9848

 山田先生、よいお話をありがとうございました。

 われわれが研究に活用している、この京都にのこされている文献史料も、応仁の乱など幾多の戦乱をくぐり抜けてきたもので、その過程で多くの先人たちの命懸けの努力があったのだろうと思います。
 ないがしろには出来ません。当然のことながら、後世にしっかりと伝えていかなければならないものと存じます。
 人々が歴史を顧みることを怠るようになってしまった、今日のような時代に、私たちの責任は重大だと思います。

 ところで、山田先生にとって、今年の誕生日はさぞかし感慨深いものがあったことと思います。
 しかし、古代学協会時代、あの少年のように初々しかった山田さんが、もう50代半ばとは。こうして、時は過ぎ去っていくのでしょう。
 しかし来年は、四捨五入すると、山田さんと私は同年代ということになりますね。

 大安の立春

No.9845

 少し遅くなってしまいましたが、山田邦和先生、お誕生日おめでとうございます。

 本日の京都は小雨模様です。
 後期通常の授業期間はとっくに終わっているにもかかわらず、昼休みのA地下食堂は思いの外、学生さんでいっぱいでした。ランチのコーナーに近寄れないので、カツ丼350円也。
 目下、さまざまな事務処理と原稿の執筆、校正が錯綜して混乱しております。

 車の12ヶ月点検で、タイヤやバッテリーを交換したために、懐具合があやしくなってきました。緊縮財政を心懸けたいと思います。

 今月のゼミの予定は、トップページで御確認下さい。

 >鈴木君 お時間が取れるときに、研究室のPCの件、よろしくお願い致します。
編集:2013/02/04(Mon) 17:14

「体罰」・「丸刈り」で旧著を思い出しました。

No.9846

 体罰や丸刈り強制の根源を歴史的に考える上で「武士論」はおおいに参考になると思います。

 私が『武家の棟梁の条件』(中公新書)で「武士罪障論」を展開した背景には、千葉県における新設公立高校教員として経験したこと、そして、鹿児島での義務教育就学期の子どもを持つ親としての体験がありました。

 本の内容については、いろいろな立場の方たちから、たくさん御批判をいただきました。
 生活環境の変化や歳をとったせいでしょうか、今はだいぶ考え方が変わったところもあります。

 今の私には書けない、かなりエキセントリックなことを述べてしまったようなところもありますが、関心のある方はぜひ読んでみて下さい。

 「へんじゃ」はつらいよ。

No.9844

 瀬戸内寂聴さんが、今朝の京都新聞「天眼」の欄に、「老齢力」と題するエッセイを書かれている。その中で、史上最高齢で芥川賞を受賞した黒田夏子氏について、「私はこの人が小説家になろうと決めて以来、生活の都合のいい職業をすべて拒否して、ひたすら書く時間の得られるアルバイトだけをしてきたという姿勢にいたく感動した」と述べておられる。
 これは、小説家に限らず、何か専門的なことに人生の目的を求めようとする人には共通の姿勢だと思う。
 私の周りにいる優秀な若い歴史学徒の諸姉兄も、まさにそれである。だから、逆説的に言うと、世に権力を持つ識者方は、こういう人たちの中にこそ人材を求めるべきであると思う。

 話は変わるが、本の編者は辛い。
 まず、執筆者の選択。優れた将来性を見込んでお願いしたつもりが、本人はすでにモチベーションを失っていたりする。一方、依頼しなかった人の中からは恨み言がきこえる時もある。
 意欲満々で、素晴らしい原稿をお送り下さる方がいる一方、予期せぬ様々な事情で執筆の遅延に追い込まれる方も現れる。こういう方の原稿は待ってあげたいが、しかし、若手の研究者の著作は将来にかかわることもあるから、早々に刊行しなければ申し訳ない。それに、場合によっては出版社の営業上の事情も考慮しなければならない。
 本の編者は責任が重く、辛い。
 しかし、こんなことを公言する編者はいない。私は愚かな変者なのであろう。

『中世の人物 京・鎌倉の時代』(清文堂)全三巻の初校ゲラが出ました。

No.9842

 本日、元木泰雄先生・平雅行先生と三人で一巻ずつの編を担当する『中世の人物 京・鎌倉の時代』の三巻全ての初校ゲラを清文堂の編集者の方から拝受致しました。
 元木先生編の第一巻「保元・平治の乱と平氏の栄華」は3~4月には出版される予定とのことです。
 御執筆いただいた先生方には、校正で、またお手数をおかけ致しますが、何卒宜しくお願い申しあげます。
 早々にお原稿をお送り頂いた先生方には、長くお待たせ致しましたことをお詫び申し上げます。
 刊行をお待ち頂いている皆様には、もうしばらくの御辛抱をお願い申し上げる次第です。御期待にお応えできる書籍となることは間違いありません。
 なお、第一巻「保元・平治の乱と平氏の栄華」と第二巻「治承~文治の内乱と鎌倉幕府の成立」の構成(予定段階)については、>>No.9784>>No.9787を御覧下さい。

 元木泰雄先生が、公益社団法人 中国地方総合研究センター編『「海」の交流 古代から近世までの瀬戸内海・日本海』(同センター発行)に御高論「瀬戸内と清盛の夢」を発表しておられますので、御紹介させていただきます。
編集:2013/01/31(Thu) 23:01

つづきやります-次回の『吾妻鏡』-

No.9843

 前回は研究史整理のようなお話を聞いていただいたのですが、次回もそのようなお話をさせていただくことにいたします。ご了承ください。レジュメは前回お配りしたものを使いますので、次回もご持参いただければ幸いです。

 日時:2013年2月7日(火)午後3時頃~(予定)
 場所:京都女子大学L校舎 3階 共同研究室
 内容:「『上横手雅敬「鎌倉幕府と公家政権」』を読む」
 参考文献:上横手雅敬「鎌倉幕府と公家政権」『岩波講座日本歴史5中世1』1975年(のち『鎌倉時代政治史研究』吉川弘文館、1991年に再録)

 ※次回以降の『吾妻鏡』の範囲は以下の通りです。

 範囲:元久三年(建永元年、1206)六月十六日・二十一日、七月一日・三日、十月二十日・二十四日、十一月十八日・二十日、十二月二十三日
     建永二年(承元元年、1207)二月十一日・二十日、三月一日・三日・十日・二十日、六月二日・二十二日・二十四日・二十九日、七月十九日・二十三日、八月十五日・十七日、九月二十四日、十月二日、十一月十七日・十九日、十二月三日の各条

 野口先生からのご案内のとおり、二月は毎週木曜日(7日、14日、21日、28日)に開催予定です。

 火曜日の『吾妻鏡』講読会は、参加者のみなさんの自主的な積極性によって支えられております。
 基礎的な史料読解のニーズにも対応しておりますので、新年から何か新しいことを始めてみようという方は、まずは見学からでも、どうぞお気軽にご参加ください。

 徳島へ、465.9㎞の調査旅行

No.9841

 26・27日の両日、中世前期における阿波国の有力武士に関係する史跡の調査に出かけてきました。まず、12世紀末のものとされる丈六の聖観音像のある丈六寺(徳島市丈六町)に直行。勝浦川左岸に立地する古刹で、五味文彦氏により田口成良(阿波民部大夫重能)との関連が指摘されている寺院です。次に久安2年(1146)7月11日「河人成俊等問注申詞記」の記事に登場したり関係する国府周辺の史跡へ。

 26日は、先に徳島市立考古資料館に立ち寄って情報の確認。学芸員の方から周辺の地図などのコピーを頂いて、国分寺・常楽寺(延命院)を回り、周辺の空間構造を確認する。国府が鮎喰川の水運を前提に存在していたことを理解。また、ここを伊予街道が東西に走っていることも重要。
 鮎喰川にかかる一宮橋を渡って、徳島市中心部に戻る。

 27日は、田口成良の本拠地と考えられている地域へ。まず井戸寺と隣接する八幡神社。ここを田口氏の居館跡とし、屋島合戦の前に源義経軍が襲来したとする所伝もあるようです。次に目指したのは、桜間の池。桜間は田口成良の弟桜庭(桜間)介良遠の本拠の地で、桜間の池は当時一キロ四方もある大池で歌枕にも詠まれている。吉野川の河道に由来するようだが、現在は桜間神社境内にのこる僅か5メートル四方くらいの小池にその名を留めるのみ。近世に徳島藩主によって建てられた大きな石碑が文化財に指定されています。ここは絶景。すぐ北側を吉野川につながる飯尾川が流れており、やはり舟運がポイント。中世前期の有力武士の本拠の共通要素です。ちなみに、周辺は風光明媚。

 その後、阿波国府の所在地とされる観音寺(境内に総社と八幡社を合祀した祠あり)と府中宮(印鎰社)、ついで国分尼寺跡を見学し、鮎喰川右岸の一宮神社・大日寺を回って帰途につきました。

 調査を行うにあたって、地元研究者の島田泉山氏・山下知之氏・福家清司氏・長谷川賢二氏らの著書・論文を拝読していたこともあり、現地を調査して、気がついたり、考えさせられることが多くありました。従来、中世成立期の四国の武士は日本史の通史叙述の中であまり評価されてきませんでしたが、新たな武士論構築に供すべき様々な事実が、この地域の武士の存在形態にみとめられるように思いました。田口成良については出来れば専論の形で纏めてみたいと考えています。

 ちなみに、調査地のお寺はほとんどお遍路さんの立ち寄るところでした。

 帰途、徳島県立阿波十郎兵衛屋敷に立ち寄って人形浄瑠璃を鑑賞する事が出来たのも幸いでした。地方自治体による地域文化の継承への取り組みという点で、現代社会学部の新年度からの講義の材料にも出来そうです。

研究史整理など-次回の『吾妻鏡』-

No.9839

 29日は『紫苑』11号の入稿予定日ですね。
 『吾妻鏡』は通常の講読をお休みして、私が拙い報告を致します。

 日時:2013年1月29日(火)午後3時頃~(予定)
 場所:京都女子大学L校舎 3階 共同研究室
 内容:「鎌倉幕府の“成立”をめぐって-佐藤説・黒田説の検討-」
 参考文献:
  黒田俊雄「中世の国家と天皇」『岩波講座日本歴史6中世2』岩波書店、1963年(のち『日本中世の国家と宗教』岩波書店、1975年、および『黒田俊雄著作集第1巻権門体制論』法蔵館、1994年に再録)
  黒田俊雄「中世における地域と国家と国王」(『黒田俊雄著作集 第一巻 権門体制論』法蔵館、1994年、初出は1987年)
  佐藤進一「幕府論」『日本中世史論集』岩波書店、1990年(初出は1949年)
  佐藤進一「寿永二年十月の宣旨について」『日本中世史論集』岩波書店、1990年(初出は1959年)
  佐藤進一『日本の中世国家』岩波書店、1983年(岩波現代文庫、2007年)

 ※次回以降の『吾妻鏡』の範囲は以下の通りです。

 範囲:元久三年(建永元年、1206)六月十六日・二十一日、七月一日・三日、十月二十日・二十四日、十一月十八日・二十日、十二月二十三日
     建永二年(承元元年、1207)二月十一日・二十日、三月一日・三日・十日・二十日、六月二日・二十二日・二十四日・二十九日、七月十九日・二十三日、八月十五日・十七日、九月二十四日、十月二日、十一月十七日・十九日、十二月三日の各条

 野口先生からのご案内のとおり、二月は毎週木曜日(7日、14日、21日、28日)に開催予定です。

 火曜日の『吾妻鏡』講読会は、参加者のみなさんの自主的な積極性によって支えられております。
 基礎的な史料読解のニーズにも対応しておりますので、新年から何か新しいことを始めてみようという方は、まずは見学からでも、どうぞお気軽にご参加ください。

29日は、たくさんの方の来会を歓迎致します。

No.9840

 29日の岩田君による研究発表。日本中世史の研究において、きわめて重要なテーマです。
 私も勉強させて頂きたいと、楽しみにしています。
 
 関学や立命館で岩田先生の講義を受講されている皆さんも、ぜひご出席下さい。
 当日は入学試験が行われていますが、研究所のあるL校舎は入構可能です。

 戎光祥出版から刊行される予定の『坂東武士団と鎌倉』の初校が届きました。1983年にかまくら春秋社から出版した『鎌倉の豪族Ⅰ』の復刊ですが、近年の研究成果によって修正を要する点と、その後の関連著作の一覧を「あとがき」に書かせて頂き、また写真や図版を一新致しましたので、新著のような趣です。
 本編のゲラを読んでみて、よく30歳そこそこで、これだけのものが書けたものだと我ながら感心しています。
 私の研究者としての人生は退化の過程だったのかも知れません。

 若い研究者の皆さん。「将来」より、今こそが大切です。

よき友、三つあり

No.9836

 高校生の頃からお世話になっている『徒然草』に、こんなことが書いてあります。「友とするにわろき者、七つあり。一つには高くやんごとなき人。二つには若き人。三つには病なく身強き人。四つには酒を好む人。五つにはたけく勇める兵(つはもの)。六つには虚言(そらごと)する人。七つには欲深き人。よき友、三つあり。一つには物くるる友。二つには医師(くすし)。三つには知恵ある友。」(第117段)。

 兼好さんは年寄りが若者の中に交じることをやたらと嫌悪しておられます。そうかも知れませんね・・・。

 「よき友」の二番目にあげられている「医師」。まさに、そう思います。私が後生大事に抱えている例の結石は膀胱の方まで落ちてきたようで、不快感は続いていますし、何しろ身体の不調こそ諸悪の根源であることを思うとき、「いつ何時たりとも頼りになる医師」が友でいてくれたならとは誰でも思うことでしょう。こういうときにこそ、Facebookで友達申請したら良いのでしょうか。「日本中世史(とくに武士論)の好きな泌尿器科のお医者さん」とか?

 『紫苑』の編集、池嶋さんが頑張ってくださっており、いよいよ来週には入稿の段取りです。学部生の原稿については、先輩たちが下読みをしてアドバイスするという態勢も整ってきて、ゼミの機関誌としては理想的なものに近づいてきたように思います。

 『吾妻鏡』の史料講読会は今月29日も開催。そして、2月中も原則として木曜日に開かれることになりました。これは岩田君や山本さんが牽引してくれているので助かります。  

 ☆ 本学名誉教授の加納重文先生より、御高著『訳注 藤原定家日記(1) 治承四年二月~正治元年六月』・『訳注 藤原定家日記(2) 正治元年七月四日~同二年十二月廿九日』(望稜舎)を御恵送頂きました。
 加納先生にあつく御礼を申し上げます。

 ☆ 長野県の村石正行先生より、御高論「鎌倉時代の「款状」とその機能」掲載の『信濃』 第64巻第12号 (通巻755号)を御恵送頂きました。
 「東国信濃の鎌倉時代」の特集号なので、ゼミメンバーが大挙して掲載各論文のコピーをとらせていただいておりました。
村石先生に、あつく御礼を申し上げます。
編集:2013/01/23(Wed) 14:59

死んだ方がましと思った結石

美川圭
No.9837

 一昨年の7月、山鉾巡行の翌日、西宮北口駅から救急搬送してもらいました。どうにもならない痛さですよね。U先生は、遺書まで書いたという話です。聞くところによると、出産より痛いということですが、まあ軽い出産も、それからそれほど痛くない結石もあるので(以前1度あります)、まったく比較のしようもありませんし、出産と比較するのは、どだい私には無理なこと。お医者さんに聞くと、どうにもならないようですね。痛み止めを使うしかない。水分をよく取って、動いてくださいなどと言われますが、あの痛さの中でどうしろというのか。まあ、静かにねていることもできませんでしたが。

 お若い方々、体質にもよりますが、この病気は、加齢と友だちですので、たぶん経験されると思います。

 3度もこの痛みを(それ以外に出産を1度)経験しているベテランの妻が、以前韓国で買ってきた薬を日に1度飲んでいます(しょっちゅう忘れますが)。カルシュウムが固まりにくくなる薬だそうです。気休めですがね。

 野口先生お大事に。

『阪急電車』と『人類の歴史』

No.9838

 美川先生、ありがとうございます。
 「西北」では大変だったことと思います。同じ「西北」が舞台でも、我々の世代にとっては、リアルでシビアな『阪急電車』ということでしょう。

 ほんとうに結石の痛さは筆舌に尽くしがたいものがあります。ギックリ腰になったときは、これは耐えがたいと思いましたが、海老のような形になっていれば何とかしのげる。結石の場合はどんな格好をしても痛みからは遁れられない。その発症に脅えるが、そのうち忘れてしまう。しかし、その日は訪れる。そんなことの繰り返し。まさに『人類の歴史』の如し。

 現在の不快な症状は結石によって炎症が発生したためらしく、落ち着きませんので、本日、近所のかかりつけの医院を受診して薬を頂いて参りました。目下、風邪が大流行のようで、待合室には熱や咳で辛そうな患者さんが何人もおられました。

 ☆ 中国・西南交通大学の金澤正大先生より、御高論「武田信義没年に関する五味文彦氏説に反駁」(『政治経済史学』549)・「木曽殿源義仲の伊与守遷任の史的意義」(同 550)を御恵送頂きました。
 金澤先生に、あつく御礼を申し上げます。

『玉葉』講読会の運命や如何に?

No.9835

 本日の『玉葉』の講読会は、参加者諸姉多忙(期末試験のレポートが間に合わない)のため、急遽中止することになりました。次回は新年度になる模様です。