IT社会における「傷だらけの人生」

No.9831

 このところ自らの身体の老化の進行に脅えておりますが、その回復に一役買ってくれるはずの風呂の給湯機が3日ほど前に壊れました。その解決には、業者さんとの遣り取りが欠かせないわけですが、こういうことに、もしも私が関わると、世間慣れしていないためか、行き違いが多くて困ることになります。
 当たり前に生きていくことが出来ない人間が歴史を研究しているというのは実にマズイですね。

 マズイといえば、本日、大学の図書館から貸借依頼をしておいた本が届いたという連絡を頂いたので受け取りに行ったのですが、あまり時間の余裕がないのに、館内でしか閲覧できず、また著作権の関係で複写の分量に制限があるという条件下、例の如く落ち着きを失ってしまったらしく、コピーカードをコピー機に入れたままにして引き上げてしまい、電話を頂いて取りに戻るという失敗をしでかしました。
 図書館カウンターの職員のみなさまには、いつも親切に対応して頂いているにも拘わらず、御迷惑をおかけするばかりで申し訳ない限りです。

 次に、御迷惑といえば、最近、つぎつぎと知人(青学の時のゼミの外務大臣の某君など)からFacebookに参加したから見てくれというメールが届くので、どんなものかと覗いてみて、アカウント登録などという未知の領域に分け入ってみたところ、いろいろな方のお名前(写真があるものも)が現れ、この人を知っているかという問が表示されたので、「知ってる、知ってる」とばかりにクリックしてしまったのですが、それは、どうやら「お友達になりましょう」というメール送信のボタンであったらしく、ひょっとしたら、多くの方の所に、そんなメールを送りつける仕儀になってしまったかも知れません。
 そもそも、 私がFacebookに自分の情報を正確に登録できているかどうかも不確実ですので、受け取られた方は誰からの送信なのか分からないのかも知れませんが、こんなところからで恐縮ですが、お詫びを申し上げる次第です。
 これからの時代、意思伝達にこういう手段が一般化して、使えない人間は市民的権利の行使が困難になってしまうかも知れませんから、いずれ、どなたかこの方面に詳しい方に、上手な使い方について御教示を仰ぎたいと考えております。

 しかし、全ての人が全世界に向けて自分のプロフィールを晒すというのは、些か不気味なようにも思えますね。
編集:2013/01/19(Sat) 20:10

facebookの製品

美川圭
No.9832

私も2年ほどfacebookをやっています。
先日、新聞でfacebookの社長が、利用者はfacebookのお客ではなく、製品であると発言していました。つまり、私たち利用者は製品としてそのプロフィールを広告主に売られている。広告主はそれを買っているわけで、いわば人身売買の一種だろうと思います。
そのことをよく知って利用したいですね。それにしても、何というビジネスモデルなんでしょう。広告主は不特定多数に広告を出さなくてもいいわけです。⚪⚪大学卒とか、⚪⚪会社勤務とか、ターゲットが絞り込める。

はじめまして

No.9833

野口実 様

千葉県の市野澤と申します。

>全ての人が全世界に向けて自分のプロフィールを晒すというのは、
>些か不気味なようにも思えますね。

ご懸念の点、尤もと存じます。
しかし、情報を制限することも可能です。

>上手な使い方について御教示を仰ぎたいと考えております。

私も上手とはいえないと思いますが、宜しければお聞き下さいませ。

 御教示ありがとうございます。

No.9834

 なるほど、企業の利潤や戦争のために科学技術は長足の進歩を遂げる。

 いずれにしても、私は(管理人さんの御迷惑を顧みず)ゼミや講義の連絡にこの掲示板を利用させて頂いておりますので、Facebookは参加をお知らせ頂いた方のプロフィールを拝見する程度にとどめておきたいと思います。なにしろ、耄碌して何処で何を書いたか忘れてしまいますので。

 千葉歴史学会中世史部会は長い間御無沙汰しております。このところ、千葉県の中世史研究は、とくに室町・戦国期で活況を呈しているように思います。中世前期についても大いに期待するところがございます。また、参加させて頂く機会があれば幸いと考えております。

  『芸備地方史研究』第282・283号の特集は「平氏研究の最前線」

No.9830

 広島大学大学院に進学された尻池さんが委員をつとめておられる芸備地方史研究会の会誌『芸備地方史研究』第282・283号が刊行されました。特集は「平氏研究の最前線」。
 論説として、渡邊誠「後白河・清盛政権期における入宋交渉の舞台裏」、下向井龍彦「平清盛音戸瀬戸『日招き』開削伝説の形成と浸透」と、拙稿「平家と瀬戸内の武士」が掲載されています。
 拙稿は大学院以来の畏友である畠山誠氏(このとき岡山市在住)の御案内を得て、吉備地方や倉敷市藤戸周辺を調査・見学する機会に恵まれたことによって纏めることができたものです。
 そういえば、藤戸に行ったのは、ちょうど近くの高校で山本さんが教育実習をされていた時期でした。

 ☆ 日本大学の関幸彦先生より、御高著『武士の誕生』(講談社学術文庫)を御恵送頂きました。
  関先生に、あつく御礼を申し上げます。

 不良老人

No.9828

 本日は、痛みこそありませんが体調は頗る不良。風邪でもひいたのかも知れません。

 懸案の来年度の授業シラバスは、なんとか入力を済ませました。長文というわけではありませんが、いろいろな思いが交錯して、すぐには書けませんでした。
 来年度は、現代社会学部で、これまで担当してきた「基礎演習Ⅰ」(前期)に加えて1回生対象の「基礎演習Ⅱ」と2回生対象の「演習Ⅱ」を、それぞれ後期に担当することになりました。歴史から現代の日本社会を照射したいと思います。
 ここでは、社会科学としての日本史学に取り組みます。
 研究所ゼミとうまくタイアップできれば、履修者から日本史専攻で大学院に進学するような人が出てくるかも知れませんね。

『紫苑』については、目下、事務方にお願いして見積もりを取って頂いております。

年度末の足音のする『吾妻鏡』

No.9829

 期末試験や入試、『紫苑』のことなどもありますが、次回の『吾妻鏡』のご案内です。

 日時:2013年1月22日(火)午後3時頃~(予定)
 場所:京都女子大学L校舎 3階 共同研究室
 範囲:元久三年(建永元年、1206)五月六日、六月十六日・二十一日、七月一日・三日、十月二十日・二十四日、十一月十八日・二十日、十二月二十三日
     建永二年(承元元年、1207)二月十一日・二十日、三月一日・三日・十日・二十日、六月二日・二十二日・二十四日・二十九日、七月十九日・二十三日、八月十五日・十七日、九月二十四日、十月二日、十一月十七日・十九日、十二月三日の各条

 火曜日の『吾妻鏡』講読会は、参加者のみなさんの自主的な積極性によって支えられております。
 基礎的な史料読解のニーズにも対応しておりますので、新年から何か新しいことを始めてみようという方は、まずは見学からでも、どうぞお気軽にご参加ください。

『紫苑』第11号の目次案&「けっせき」届

No.9827

 編集長の池嶋さんの御尽力の甲斐あって、『紫苑』第11号の構成がほぼ固まりつつあります。昨日、前編集長の山本さんや岩田君も加わって、構成について検討しました。それに、ちょっと、後で気のついた私見を差し挟んだものですが、ここに目次案を提示したいと思います。
 分量は例年より少し薄めですが、71ページくらいになる見込みです。
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 ◇ 『紫苑』第11号目次(案)◇

【論文】
  「平安宮内裏における御簾の用法」
          ・・・・・・・満田さおり(京都大学大学院工学研究科DC、本学大学院家政学研究科MC修了)

【研究余録】
  「武士論からみる中世前期・後期の分岐―吉田賢司氏『武家編制の転換と南北朝内乱」に接して―」
           ・・・・・・岩田慎平(関西学院大学・立命館大学非常勤講師、当研究所共同研究員)
  「『英雄』小考」・・・山本みなみ(京都大学大学院人間・環境学研究科MC、本学文学部史学科卒)
  「文観弘真関係文献目録稿」・・・・・・坂口太郎(同 DC、高野山大学密教文化研究所受託研究員)

【研究ノート】
  「史料上に見る富木常忍」・・・・・池嶋美帆(本学文学部史学科3回生)
  「守護代長尾氏の越後支配の展開と中央の権威」・・・滝沢智世(同)

【活動記録】 【執筆者紹介】 【投稿規定】 【あとがき・奥付】
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 とくに、もと編集長だったみなさん、何か御意見・アドバイスがありましたら宜しく。

 >執筆者各位
  刊行に至るまでには、まだ、いくつかのハードルを越えなければなりません。御協力をお願いいたします。

 結石による不快な症状は未だに時々現れます。いつ、激痛に見舞われるのか、爆弾を抱えているような有様で落ち着きません。しかし、結構同じような条件の下にある同世代の方も多いようです。
 私が不機嫌そうにしていたら、このためですから、どうぞ気になさらないようにお願いいたします。  

 小手先の仕事

No.9826

 『吾妻鏡』講読会、明日から本格的に始動です。
 『紫苑』も印刷屋さんに、見積もり依頼の段階へ。これからが、編集長の「腕の見せ所」です。

 首都圏の某大学におられた先生のお話によると、最近の学生さんの中には「就活」で内定をもらった後に、チョチョイのチョイという感じで卒論を仕上げてしまう人がいるとのこと。なんでも一晩に何千字も書くのだそうです。「ただの作業にしても、大変な速さですね?」と申し上げたら、「いや、貼ってるんですよ」とのこと。まさに小手先の仕事のようです。

 ところで、「就活」と言えば、内田樹氏のインタビュー記事がありました。日頃、誰かさんが話しているのと同じようなお話しだと思われるかも知れませんが、学部生諸姉兄はぜひ読んでみて下さい。
     → http://www.asahi.com/job/syuukatu/2014/hint/OSK201301040041.html

 最近、せっかく就職したのに、僅か数年で方針転換をした人の話をよく聴きます。ほんとうは院に進学して、もっと勉強したかったのに、周囲に反対されたので、みんなと一緒に就活の波に身を投じたところ、世間で超一流と言われている会社に受かってしまった。そこで、勤めてはみたものの・・・、というケースが多いようです。
 そうかと思うと、「どんな仕事をやっても生きていけることを確認できたので、学問の世界に戻って来ました」と仰る猛者もいる。世の中捨てたものではありません。
 一番苦しいのは、自ら不本意な状況にあることを意識しながら、それを続けざるを得ないことなのかも知れません。ただ、やりたいことをやっているように見える人たちが黙って負っている重荷も見落とすべきではない。果たしてかれらは、家族環境や経済的に恵まれていたからというだけで、そう出来たのかというと、そうでもないと思うのです。
 いずれにしても、矜持をもって生きられる選択をしたいものです。

身体髪膚、これを父母に受く、あえて毀傷せざるは孝の始めなり

No.9825

 昔、祝日が待ち遠しい時期もありましたが、今は連休などあると、かえって事務仕事が停滞してしまって困るようなこともある。のこされた時間が短くなってきたから、こんなことを言うのでしょう。
 昨日は今年初めて新幹線で旅行をしました。とは言っても名古屋まで往復しただけ。片道40分ほどながら、瀬田の唐橋・三上山・彦根城・伊吹山・関ヶ原・木曽川・清洲城などが次々と見えてくるのには、実に心躍るものがございました。
 伊吹山といえば、見るたびにいつも、建久元年の上洛の際に、この山は源頼朝のトラウマを呼び起こしたのだろうかと想像してしまいます。
 頼朝で思い出しましたが、いまだに、中世前期の東国武士といえば「腕力一辺倒」みたいな理解が相変わらず人々の意識に根強いようですね。私も、かつて、そのような認識を抱いていた時期がありましたが、やはりそれは一面でしかない。
 瀬野精一郎先生が仰るように、伊豆の御家人天野遠景は確かに「殺し屋」であったとは思いますが、その一方、大宰府機構を掌握して平家滅亡後の鎮西支配を担当した統治能力(文官的素養)も高く評価する必要がありましょう。「内舎人」の官歴も有していましたしね。相模の波多野氏からは歌人も輩出していますし。
 鎌倉時代初期に西国守護に任じた東国武士は、総じて在京経験が豊富で行政手腕にも秀でた存在と考えるべきだと思います。

 『紫苑』第11号に掲載される予定の池嶋さんの富木常忍をテーマにした研究ノートを見せてもらいました。なかなか要を得た内容でした。ほかの方の分も楽しみです。

 昨夜、また尿管結石の痛みが発症。病院がお休みの時に限って、こんな目に遭います。身体の異常は精神や思考に致命的な打撃を与えることを痛切に体験。
 今年も声高に、「身体髪膚、これを父母に受く、あえて毀傷せざるは孝の始めなり」と叫び続けたいと思います。

 東京で元木先生の御講演「幻の平安京」

No.9823

 昨年、当方の公開講座に御出講下さった京都大学の元木泰雄先生が、来月、東京で講演をされます。首都圏の元木先生ファンの皆さんはぜひ。

 日時:2月15日(金曜日) 13時00分~14時30分
  場所:京都造形芸術大学 外苑キャンパス(東京都港区北青山1-7-15)
 ※ 要申込→http://www.kyoaruki.jp/events/view/166
      参加費 無料 定員160人(先着順)
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 昨日の今年最初のゼミは、各地(岡山・長野・新潟)から寄せられた美味しいお土産を囲んでの懇談会となりました(というより、私の放談会であったかも知れません→すみません)。
 『紫苑』の原稿も、何とかなりそうですね。
 ゼミ旅行の提案も。
 近場の見学にも行きたいものです。善峯寺(三鈷寺)・浄土寺(小野市)・・・など
 来週からはまた、本格的に『吾妻鏡』を読み進めましょう。
編集:2013/01/09(Wed) 09:27

グーニーズの黄色いハンカチ

No.9824

 昨日は新年初回ということでいろいろなお話をすることになり、ほどよくも読みませんでしたが、次回以降よろしくお願いします。準備していただいていた参加者の皆さんには申し訳ありません。

 日時:2013年1月15日(火)午後3時頃~(予定)
 場所:京都女子大学L校舎 3階 共同研究室
 範囲:元久二年(1205)十一月十五日・二十日、十二月二日・二十四日の各条
     元久三年(建永元年、1206)正月十二日・二十七日、二月四日・二十日・二十二日、三月十二日・十三日、五月六日、六月十六日・二十一日、七月一日・三日、十月二十日・二十四日、十一月十八日・二十日、十二月二十三日の各条

 2013年1月は、15日・22日に開催予定です。

 火曜日の『吾妻鏡』講読会は、参加者のみなさんの自主的な積極性によって支えられております。
 基礎的な史料読解のニーズにも対応しておりますので、新年から何か新しいことを始めてみようという方は、まずは見学からでも、どうぞお気軽にご参加ください。

「平安王朝の儀式とジェンダー・五節と遊女 」

No.9822

 日本史研究会の古代史部会で、昨年、当方の公開講座に出講して下さった服藤早苗先生がお話になられます。私は残念ながら出席できませんが、昨年の講座で関心を持たれた方は是非出掛けたらよいと思います。
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 日時:1月19日(土)15:30~18:00
 場所:機関紙会館5階大会議室
 講師とテーマ:服藤早苗氏「平安王朝の儀式とジェンダー・五節と遊女 ~網野善彦批判」
 〔参考文献〕
 服藤早苗『古代・中世の芸能と買売春』明石書店、2012年
 網野善彦『中世の非人と遊女』講談社学術文庫、2005年
 後藤紀彦「遊女と朝廷」(『週刊朝日百科 中世Ⅰ』朝日新聞社、1986年)
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☆ 実践女子大学の横井孝先生より、御高論「『紫式部集』をめぐる風景-「かへし 又のとしもてきたり」-」(『実践国文学』80)・「講義 源氏と源氏以後-第一一項講・「文学」と「効用」の問題-」(同 82)・「紫式部日記の効用-白詩への架橋をとおして-」(仁平道明編『源氏物語と白氏文集』新典社)・「『栄花物語』著作者のバイアス」(『むらさき』47)を御恵送頂きました。
 横井先生にあつく御礼を申し上げます。 

 「ならぬことはならぬものです」か?

No.9819

 今年は、大河ドラマをあまり神経をとがらさずに視聴できます。幸いなことですが、ちょっと思いだしたことがありますので一筆。
 皆さんよく御存知の野口実という人が、1994年に出した『武家の棟梁の条件』(中公新書)という本の中で、こんな事を書いています。

 「戊辰戦争で薩摩軍に手酷い仕打ちをうけた福島県の会津若松。実はここも男尊女卑の本場である。幕末に至るまで会津若松藩歴代の藩主に遵守された藩祖遺訓のなかには「婦女子の言、一切聞くべからず」という一条があった。
 面白いことに近世の会津藩と薩摩藩は藩士の子弟教育に共通した方法をとっていたらしい。それは地域ごとの少年(青少年)たちの自主的な学習組織が存在することで、薩摩では「郷中」、会津では「什」とよばれる。
      ・・・・・・・・(中略)・・・・・・・
 幼い会津藩士の子弟が「遊びの什」の集会で毎日復唱した「申合せ」の中には「戸外で女の人と言葉を交えてはなりませぬ」という条文があった。これは薩摩武士の「自然と婦人女子を忌み嫌うは蛇まむしを憎むに似て、道路に美人に逢えば、身不潔に及ばんとするがごとく避け遠ざかりつつ」(『倭文麻環』巻之二)という女性観と共通の土台にのった観念である。しかも什の「申合せ」の次の条文は「ならぬことはならぬものです」というもので、これは多様な価値観や生き方を否定する頑迷な人間をよしとする精神風土を育てた。
 こうみると薩摩武士と会津武士というのは似たもの同士といえそうである。そういえば戊辰戦争の白虎隊と西南戦争の私学校党のイメージには何かオーバーラップするものがある。」(p170~171)

 20年近く前の本ですから著者の「野口さん」の御意見も少しは変わっていることと思いますが。一つの見方ではあると思います。

 本日はシラバスを作成していたのですが、何かの障害が生じたらしく、保存されるはずが、エラー表示が出て、せっかく書いたものが消滅。昨日PC入力の悪口を書いた為でしょうか?
 IT社会というのは、常に根底から全てを失いかねないという不安がつきまといます。

 帰省中の皆さんも、そろそろ京都に戻られることと思います。道中くれぐれもお気をつけて。
 そういえば、私が学生の頃、庄司薫『赤頭巾ちゃん気をつけて』という小説が人気でした。たしか、映画にもなりましたね。

 明日は研究室にいるつもりです。
編集:2013/01/06(Sun) 22:18

新年あけまして『吾妻鏡』

No.9820

 明日は新年初回の『吾妻鏡』です。
 講読予定は以下の通りですが、新年初回ということもありますし、年末年始のことなどいろいろお話し合いしつつ、ほどよく読むようにしましょう。

 日時:2013年1月8日(火)午後3時頃~(予定)
 場所:京都女子大学L校舎 3階 共同研究室
 範囲:元久二年(1205)十一月十五日・二十日、十二月二日・二十四日の各条
     元久三年(建永元年、1206)正月十二日・二十七日、二月四日・二十日・二十二日、三月十二日・十三日、五月六日、六月十六日・二十一日、七月一日・三日、十月二十日・二十四日、十一月十八日・二十日、十二月二十三日の各条

 2013年1月は、8日・15日・22日に開催予定です。

 火曜日の『吾妻鏡』講読会は、参加者のみなさんの自主的な積極性によって支えられております。
 基礎的な史料読解のニーズにも対応しておりますので、新年から何か新しいことを始めてみようという方は、まずは見学からでも、どうぞお気軽にご参加ください。

 後世の歴史家(屋)

No.9821

 『吾妻鏡』の講読会。会の創立と発展の過程において、いま福井にいる山本陽一郎君が「右大将家」みたいな存在。だとすると、「右大臣家」が長村君で、岩田君は義時・泰時・時頼を一人で担っているといった感じか?そうすると、「二位殿」に擬せられるのは山本さんでしょうねぇ。
 「西八条禅尼」とか「伊賀の方」の比定が面白くなってきますね。

 今朝の京都は極寒。車のリアガラスにこびりついた氷を溶かしてから出立。私が知る限り、大学の構内で一番暖かかったのは、図書館分館。地下だからでしょうか。北向きの私の研究室は冷蔵庫の中のごとし。目下、「頭暖足寒」の状態で思考停止中です。

 『紫苑』の原稿、年末提出を執行猶予中のみなさん、明日は必ずよろしくお願い致します。

 ほんとうの自分の論文

No.9818

 科研の書類を書いているときは、これからの世の中はワードやエクセルが使いこなせないと研究者としての権利の行使も難しいのか、イヤな世の中になったものだ、ついに時代に置いて行かれることになってしまったか、と落胆させられました。そして、今は、頂いた年賀葉書の流麗な墨書を見ては、おのれの悪筆に恥入っております。
 やはり文字は筆やペンで書いてこそ心が伝わる・・・何と言われようと、そう思いますよ。
 一度、論文を、資料のメモや下書きから全部手書きで書いてみてごらんなさい。それが、あなたの書いた本当の論文ということです。

 というわけで、お送りした年賀状は、せめてものなぐさめに宛名書きと署名は手書きにさせて頂いた次第です。  

 ☆ 学振特別研究員の辻浩和君より御高論「中世前期「遊女」の組織と支配」(『藝能史研究』198)を御恵送頂きました。
 興福寺・春日社等の寺社に組織された遊女・白拍子の存在を指摘することで、朝廷による遊女支配を強調した網野善彦説を相対化。また、遊女集団の組織構造を分析することで集団の自立性と支配との関係が論じられている。「職能民」一般に回収してしまうのではなく、固有の生業と自立的組織の上に存立する遊女の存在形態を示した労作です。
 辻君にあつく御礼を申し上げます。