「へんじゃ」はつらいよ。
No.9844
瀬戸内寂聴さんが、今朝の京都新聞「天眼」の欄に、「老齢力」と題するエッセイを書かれている。その中で、史上最高齢で芥川賞を受賞した黒田夏子氏について、「私はこの人が小説家になろうと決めて以来、生活の都合のいい職業をすべて拒否して、ひたすら書く時間の得られるアルバイトだけをしてきたという姿勢にいたく感動した」と述べておられる。
これは、小説家に限らず、何か専門的なことに人生の目的を求めようとする人には共通の姿勢だと思う。
私の周りにいる優秀な若い歴史学徒の諸姉兄も、まさにそれである。だから、逆説的に言うと、世に権力を持つ識者方は、こういう人たちの中にこそ人材を求めるべきであると思う。
話は変わるが、本の編者は辛い。
まず、執筆者の選択。優れた将来性を見込んでお願いしたつもりが、本人はすでにモチベーションを失っていたりする。一方、依頼しなかった人の中からは恨み言がきこえる時もある。
意欲満々で、素晴らしい原稿をお送り下さる方がいる一方、予期せぬ様々な事情で執筆の遅延に追い込まれる方も現れる。こういう方の原稿は待ってあげたいが、しかし、若手の研究者の著作は将来にかかわることもあるから、早々に刊行しなければ申し訳ない。それに、場合によっては出版社の営業上の事情も考慮しなければならない。
本の編者は責任が重く、辛い。
しかし、こんなことを公言する編者はいない。私は愚かな変者なのであろう。
これは、小説家に限らず、何か専門的なことに人生の目的を求めようとする人には共通の姿勢だと思う。
私の周りにいる優秀な若い歴史学徒の諸姉兄も、まさにそれである。だから、逆説的に言うと、世に権力を持つ識者方は、こういう人たちの中にこそ人材を求めるべきであると思う。
話は変わるが、本の編者は辛い。
まず、執筆者の選択。優れた将来性を見込んでお願いしたつもりが、本人はすでにモチベーションを失っていたりする。一方、依頼しなかった人の中からは恨み言がきこえる時もある。
意欲満々で、素晴らしい原稿をお送り下さる方がいる一方、予期せぬ様々な事情で執筆の遅延に追い込まれる方も現れる。こういう方の原稿は待ってあげたいが、しかし、若手の研究者の著作は将来にかかわることもあるから、早々に刊行しなければ申し訳ない。それに、場合によっては出版社の営業上の事情も考慮しなければならない。
本の編者は責任が重く、辛い。
しかし、こんなことを公言する編者はいない。私は愚かな変者なのであろう。