帰省中の皆さんへ、自宅に寄生中の私より

No.9809

 美川先生が大河ドラマについて書き込んで下さって以来、アクセスが急増しているようです。それだけに、大河ドラマの影響力は大きいということでしょう。

 それにしても、山田先生が年末に至って快活な書き込みをして下さり、本当にうれしく思っています。山田先生には、お身体に負担をかけない形で、これからも太く長い御活躍をお願いいたします。

 一部を視聴した限りでの感想ですが、私も山田先生の奥様の評は当を得ていると思います。昨日(27日)の朝日新聞朝刊のオピニオン欄に斎藤環氏が、日本がヤンキー社会化していることを述べておられましたが、何か今年の大河ドラマの製作姿勢と一脈通じるものがあるのではないかという感想を持ちました。大河ドラマのみならず、出版界における歴史ものの現状も然りだと思います。 

 すでに帰省されている方も多いと思います。長野や新潟は雪で大変でしょう。おばあちゃんからお小遣いを頂いたという人もおられますね。
 私は、後回しにしていた原稿の執筆や昨日受け取った『研究紀要』の再校中。年末年始はまとまった時間がとれるので、引き籠もり状態が続きます。また体重が増えてしまいそうですが、お正月を病院で迎えたこともありますから、それに比べれば・・・です。

清盛最終回

美川圭
No.9804

 何ヶ月ぶりに見ました。無理ですね。清盛の死から、壇の浦、義経の死、なんでもかんでもぶちこんで、45分、時間軸も何もまったくぐちゃぐちゃ。しかも、生き霊やら死霊やらで、空間的にもごたごた。この1年間の低空飛行を象徴する最後でした。建久元年の頼朝上洛で会った後白河法皇の貧相なこと。がっかりです。頼朝の死までやるのかな、どう死ぬのかな、とちょっと期待していたのですが(平家一門の怨霊に八つ裂きになるとか)。これも何もなく。はちゃめちゃもはじけず、あえなくしぼみました。低視聴率に、お金もなくなり、やる気もうせたのでしょうか。合掌。

 それにしても、その15分後からはじまったNHKスペシャル「日本国債」は怖かった。現実はこわい。
編集:2012/12/23(Sun) 22:17

「見るべき程のことは見つ」ですね。

No.9805

 えっ!、一回の放送で文治五年(1189)までやってしまったのですか?
 ほとんど『中世の人物』第2巻の範囲をカバーしていますね。すごい。
 「見るべき程のことは見つ」ではなく、結局、「見るべき程のものにあらず」でしたか。残念。

 ところで、先般、大阪歴史学会の『ヒストリア』第235号が出ましたが、これに佐伯智広君による樋口健太郎著『中世摂関家の家と権力』にたいする大部の書評が掲載されています。一読をお勧めします。
 ちなみに、広島の尻池さん、どうぞよろしくお願い致します。

 ☆ 奈良県立図書情報館の千田稔先生より、新刊の御高著『古事記の奈良大和路』(東方出版)を御恵送頂きました。
 千田先生にあつく御礼を申し上げます。
編集:2012/12/24(Mon) 14:48

専修無視できず仕舞

古谷みはる
No.9806

こんにちは、6月の公開講座の時にお邪魔しました一介の歴史好きです。その節はお世話になりました。
と、いいますか、いつもこちらの掲示板で論文やら出版物やらの情報をいつもこっそり頂いております。ありがとうございます。

大河ドラマ「平清盛」
好きな時代、好きな人物を良いように嬲られてポイされ、実にやるせない気持ちです。
序盤早々、激昂して視聴しなくなってはいたのですが
「放念、放念」
と思っていても「あんなものが大河ドラマとして!地上波で!!流されている!!!」という怒りは結局一年間頭にこびりついたままでした。
美川先生の「ぶった斬り」でこっそり溜飲を下げていたのですけれど、途中棄権されたのが残念でした…いや、見たくなくなるお気持ちはよくわかります…
時代考証の責任って何なんだろうと思いつつ、髙橋昌明氏の講演など聞いてみたりしましたが、専門と娯楽の乖離を思い知らされたといいますか…
もういっぽうのお方はネット上で「東大の試験問題にしても遜色ない出来」と発言されるなど、終始出来を褒め称えておいででした。
それは「関係者」としてせめて盛り上げようという努力なのか、それとも本気でそう思っているのか(嘆息)。

信憑性について「?」のある数値だとわかっていてもいい、せめて低視聴率であれと怨念めいた思いを抱いていましたが、最終回もめでたく(?)関東ヒトケタ達成、年間平均視聴率も歴代のなかでぶっちぎりのワースト達成となったようで、これで少しは楽になれるかな…と思っています。

「馴染みがない時代だから」という擁護がありますが、面白くない時代などないと思います。
それをエンタメとして上手いことつくれない制作側に、今年の責任はあるということを、NHKは思い知ってほしいです。切に、切に。

突然現れての長文、失礼しました。
清文堂の本の発売、楽しみにしております。

ドラマとしての出来の問題

美川圭
No.9807

古谷さん。途中棄権して申し訳ありませんでした。

とにかく、自分のプロ意識に欠けるというか、この大河を見ていると、あまりに機嫌が悪くなるので、家族に視聴を止められたというのが真相です。嫌なものを見なくてもいいでしょ。テレビぐらい楽しく見てよ。家を暗くしないで、ということです。娯楽作品のはずなのですから、もっともな意見です。

いちおう、ほとんどビデオに録ってありますので、ときどき家族の不在のときに見ようとしたのですが、意欲がわきませんでした。

新聞などでは、低視聴率の理由を、登場人物が多すぎてわかりにくい、画面が汚かった、などとされていますが、疑問符ですね。登場人物が多くても、ドラマなんですから、脚本の段階で人物を統合するとか、いろいろやりかたはあるのです。画面が汚いっていうけれど、黒澤の時代劇だって綺麗とはいえませんが、とくに白黒時代のものはとにかくおもしろい。黒澤映画と比較しても、そりゃ脚本家のレベルがどうしようもないとはわかっていますが、とにかく、おもしろいドラマにできなかったということにつきます。

平安末期、つまらない時代のはずがないでしょう。

『平家物語』 めちゃ、おもしろい。
編集:2012/12/25(Tue) 16:08

ウチの奥様の大河ドラマ評

山田邦和
No.9808

みなさまお久しぶりです。

大河ドラマ「平清盛」について、インターネットなどいろいろなところでさまざまな意見が飛び交っていますが、私が一番得心したのは、実はウチの奥様がポツリと漏らした一言です。
「なんか、少年チャンピオンかなんかに出てくる少年漫画(劇画)みたい・・・」

なるほど。その通りだと思います。主人公が何かというと走り出して、「武士の世を造るのじゃ!」「王家の犬から脱却するのだ!」「面白う生きるのだ!」などと空に向かって絶叫する。重要な登場人物はただひたすらに「遊びを〜 せんとや〜 生まれ〜 けむ〜」と呟くのと、双六遊びばかりをやっており、良く言えばそれがトレードマーク、悪く言えばなんたらの一つ覚え。登場人物といえば現実離れした人ばかりな上に、人物の性格がコロコロ変わって前後矛盾するのに、ストーリーはスラスラと流れる。
こうした点は、まさに(できの悪い)少年漫画によく見られる特徴です。もしかして今回の「平清盛」、これを原作にして少年向けの劇画にすれば、なかなか面白いものになったかもしれませんね。

それにしても、たった一言でこのドラマの本質を見抜くウチの奥様、なかなかの慧眼の持ち主です。感服しました。

 もっと早く書き込んでほしかった!

No.9812

 こんなメッセージが届きました。 

 「なんで皆さん、清盛が終わった後に書き込むのでしょうか。もっと早く書き込んでほしかった。嘘だろう、変だなと思いながら視聴しているほうも辛いのである。」

 企業などの経理関係のお仕事をされている方からです。

聚楽第か聚楽亭か?

No.9803

 明日、現地説明会があるようですが、↓
    http://www.kyotofu-maibun.or.jp/event/2012/gensetu/h24jyurakudai2.htm

 聚楽第なのか聚楽亭なのか、御質問を頂きました。第と亭の表記の問題については、下記の論文を御覧下さい。

 野口孝子「「殿」とよぶ心性-平安貴族社会の住宅表記-」(『日本歴史』762号,2011年11月)

 源義光と承久の乱に関する画期的な研究

No.9802

 第一線で活躍されている研究者の方たちとの会合の席で人名を混同して恥をかくなど、おのれの耄碌を実感する毎日を過ごしておりますが、なにしろ困るのは、休んでも、なかなか疲労が回復しないことです。これから人並みに活動するには、人並み以上に休む時間を確保せざるを得ないと思います。
 「休む」という形態は、人によって様々だと思いますが、私は何しろ家に戻って安静にしているのが一番のようです。いろいろ大変でしたが、一晩休めば翌日は全力で動けた、あの若い時分の体調がいとおしく思い出されます。
 若さと健康こそ最大の財産。元気な若者は落ち込むことなかれ。

 ☆ 当ゼミの古参メンバーで、草創期における活況の立役者のお一人である田中(丸山)裕紀さんから、御高論「『延慶本平家物語』における八条院」収録の関西軍記物語研究会編『軍記物語の窓 第四集』(和泉書院)を御恵送頂きました。
 だいぶ前に頂いたのですが、例によって???信じがたいような一騒動がありまして(ゼミにまつわるエピソードとして長く語り伝えられそうです)御紹介が遅れてしまいました。
 田中さんにあつく御礼を申し上げます。

 そこで、思い出しましたが、田中さんと出身大学が同じで、やはり草創期の活況に貢献してくれた長村祥知君から御高論「〈承久の乱〉像の変容-『承久記』の変容と討幕像の展開-」(『文化史学』68)を頂きました。本欄では、手渡しで頂いた研究成果の御紹介は原則としてしない方針なのですが、この論文は中世の政治史や政治思想史の研究者のみならず、国文学を研究されている方にも是非読んで頂きたいので、あえて書かせて頂きました。
 いずれにしても、承久の乱および『承久記』研究における画期的成果であることは疑いありません。

  画期的成果といえば、これも同様。
 ☆ 明治大学大学院(DC)生の小野真嗣さんから、御高論「後三年合戦と源義光-河内源氏の東国進出を中心として-」(『駿台史学』146)を御恵送頂きました。
 海道(常陸)平氏と清原氏との関係を前提に、源義光の北関東進出について極めて説得力のある論を展開された御研究です。私がかつて紹介した中条家文書「桓武平氏諸流系図」による知見が、ここまで発展してきたことには喜びを感じざるを得ません。
 東国における源氏系武士団の研究に大きな進展をもたらした成果だと思います。
 小野さんに、あつく御礼を申し上げます。

 最近の東国武士の研究は北関東が盛んなようですね。

『全訳読解古語辞典【第四版】』

No.9801

 今日は21日。高校教員の時代は給料日でした。当時は印鑑を持って事務室に行き、手渡しで受け取ったものです。

 岩田君が告知して下さったように、新年のゼミは授業再開の前日の8日から開始する予定です。『玉葉』の講読会ですが、一月中は21日しか出来ませんね。
 春休みの予定なども考えておいて下さい。

 ☆ かつて当ゼミで活躍された方や関係者で、出版界に進出された方はすでに何人もおられますが、その一人である雨野弥生さんから、出版社の編集者として初めて一冊を担当された『全訳読解古語辞典【第四版】』([編者代表]鈴木一雄・外山映次[編集幹事]伊藤博・小池清治 三省堂)を御恵送頂きました。
 ややもすると「語学」面に重きが置かれがちな古語辞典の中では「文学と歴史双方からの当時的理解」を最大の特色とした学習用辞書で、読み物としても楽しめる内容だと思います。高校で教鞭を執っておられる方は、書店などでぜひお手にとってみられるとよいでしょう。
 そういえば、出身地の大学院に進学された方の中に、教科書の出版で有名な会社に就職が決まった方もいらっしゃいましたね。これからの仕事のお手本になるのではないでしょうか。
 雨野さんに、あつく御礼を申し上げます。

 学問研究・教育の最後の砦

No.9799

 昨日で、今年のゼミの通常活動は全て終了しました。史料講読では、3回生はだいぶ読めるようになって来たと思います。
 昔、一語一語たどたどしく読んでいた人が、今や院生となって学部生を指導しているのを見ると、時の流れとか、文化の継承、さらには歴史そのもの、そんな途方もないことまで考えが及んでしまいます。
 
 『紫苑』11号の原稿も提出されました。特別な事情でしばし提出を猶予されている方は、是非、年内の完成を目指してください。なによりも、編集長さんに負担のかからないように、宜しくお願いいたします。

 昨日は研究発表会でしたが、やはりやってよかったと思います。どのくらいの理解で勉強を進めているのか、よく分かりました。普段の話だけでは分かりませんね。ちゃんと、報告してもらってよかったと思います。いろいろ問題点があぶり出されました。これにどう対応してくれるのか、そこが評価の分かれ目です。
 なお、藪本君には、お仕事の帰りにお立ちより下さって、貴重なコメント・アドバイスを頂き、ほんとうに感謝です。ありがとうございました。

 ところで、今朝の京都新聞に次のような記事がありました。
   http://www.kyoto-np.co.jp/education/article/20121219000016
  関連する情報も紹介させて頂きます。
       http://forliberty.s501.xrea.com/

 日本史の研究・教育にも極めて重い影響を及ぼす事態。注視すべき大問題だと考えます。
編集:2012/12/19(Wed) 14:17

行く『吾妻鏡』、来る『吾妻鏡』

No.9800

 研究発表会でご報告頂いた滝沢さん、池嶋さん、おつかれさまでした。
 年内の『吾妻鏡』の時間は終了しました。次回は2013年です。

 日時:2013年1月8日(火)午後3時頃~(予定)
 場所:京都女子大学L校舎 3階 共同研究室
 範囲:元久二年(1205)十一月十五日・二十日、十二月二日・二十四日の各条
     元久三年(建永元年、1206)正月十二日・二十七日、二月四日・二十日・二十二日、三月十二日・十三日、五月六日、六月十六日・二十一日、七月一日・三日、十月二十日・二十四日、十一月十八日・二十日、十二月二十三日の各条

 2013年1月は、8日・15日・22日に開催予定です。

 火曜日の『吾妻鏡』講読会は、参加者のみなさんの自主的な積極性によって支えられております。
 基礎的な史料読解のニーズにも対応しておりますので、新年から何か新しいことを始めてみようという方は、まずは見学からでも、どうぞお気軽にご参加ください。

 『紫苑』に私怨を抱くことなかれ!

No.9795

 選挙に行ってきました。ちなみに、これまでに私の投じた票はほとんど死票と化しています。今回は、積極的に投じたい候補者がいないので、相対評価の投票でした。当地では市長と市議会議員の補欠選挙も同時に行われたので、投票葉書が2枚必要なのに1枚しか持っていかず、その場で再発行して貰いました。
 マスコミの方が待ち構えていて、出口調査を申し込まれましたが、お断り。 昔はこんな事はやっていませんでした。そもそも、開票以前に当落が判明なんていうのは宜しからざる事である、と私は思うのです。

 年賀葉書の受付も始まったようですね。年賀葉書はアドレス帳の更新の意味もありますから、お互いに出しておいた方が宜しい。E・メールアドレスは数年もすると連絡機能を失います。私には何十年も会っていないけれども、何十年も年賀状を取り交わしている人が何十人もいます。年賀状は止めない方が良いと思います。

 明日の『玉葉』ですが、いつも予習のために使っている時間に来客があるために、私の準備が不十分になるかも知れません。その分、出席者諸姉にしっかりと予習をしてきて頂きたいと思います。
 ちなみに、明後日のゼミは研究発表会ですが、学期末なので、学校にお勤めで普段おいでになれない方も参加して下さるようです。

 それから、18日は『紫苑』の原稿の締切日であることを再確認!
 (なお、『紫苑』は『紫怨』ではありません。よみは「しおん」であり「しえん」ではありません。)

 ☆ 早稲田大学の海老澤衷先生より、早稲田大学文学学術院第4回東アジア人文学フォーラム『危機と再生-グローバリズム・災害・伝統文化-』の資料冊子を御恵送頂きました。
 現代社会学部の学生さんのお役に立ちそうです。
 海老澤先生に、あつく御礼を申し上げます。
編集:2012/12/16(Sun) 16:48

無題

滝沢智世
No.9797

18日に研究報告をさせていただきます京女史学科三回の滝沢です。
二つ下の記事にも書きこませて頂きましたがわかりづらいようなので再投稿させていただきます。

報告タイトル:守護代長尾氏の越後支配の展開と中央の権威
参考文献
・羽下徳彦「越後に於る永正―天文年間の戦乱――後上杉政権成立前史――」『上杉氏の研究』戦国大名論集9 吉川弘文館 1948年
・矢田俊文『上杉謙信―政虎一世中忘失すべからず候―』ミネルヴァ書房 2005年

以上のタイトル、参考文献で報告を行います。よろしくお願いします。

無題

No.9798

池嶋です。18日の発表に使用した参考文献は以下の通りです。

発表テーマ『日蓮の信者、富木常忍』
〈参考文献〉
大野達之助『人物叢書新装版 日蓮』(第一版1959年・新装版一版1986年:吉川弘文館)
佐々木馨編『日本の名僧⑫法華の行者日蓮』(2004年:吉川弘文館)
佐藤弘夫『日蓮―われ日本の柱とならむ―』(2003年:ミネルヴァ書房)
高木 豊『日蓮とその門弟』(1965年:弘文堂)
中尾 尭『日蓮』(2001年:吉川弘文館)
中尾 尭『日蓮宗の成立と展開』(1974年:吉川弘文館)
立正大学日蓮教学研究所編『日蓮教団全史 上』(1965年:平楽寺書店)
石井進『石井進著作集 第七巻 中世史料論の現在』(2005年:岩波書店)
川添昭二「千葉氏と日蓮宗の関係(上)」(『日本歴史第106号』1957年:吉川弘文館)
川添昭二「千葉氏と日蓮宗の関係(下)」(『日本歴史第107号』1957年:吉川弘文館)
高橋貫道「日蓮上人と檀越―富木氏を中心として―」
(『日蓮教学研究所紀要35号』2008年:立正大学日蓮教学研究所)
『日蓮宗事典』(1982年:東京堂出版)
『日本仏教史辞典』(1999年:吉川弘文館)
『日本史大事典』(初版1993年・四版1997年:平凡社)

以上です。よろしくお願いします。

 恩師からの課題

No.9794

 >池嶋さん・滝沢さん
 18日の研究発表について、岩田君からの御指示(>>No.9793)への対応を宜しくお願い致します。

 この秋、耄碌を省みずに各地を動き回ったので、疲れがたまっていたらしく、このところの寒さがこたえます。
 若くても体調を崩されている方が多いようなので、体調管理にはくれぐれもお気を付け下さい。

 最近、鎌倉時代の京都に関する研究の欠落を痛切に実感することがあったが、昨日、或る人から、「鎌倉時代の京都を研究しなさい」と貫先生が仰っていたことを鮮明に思い出させていただいた。
 そういえば、私が秀郷流藤原氏の研究に手を染めたのも、先生のちょっとしたアドバイスからであった。あのころ、先生は豊田武編『図説日本の歴史5 貴族と武士』(集英社、1974年)に収録された「武士の登場と源平二氏の動き」を執筆されていたのだと思う。
 先生から与えられた課題はやり甲斐がある。

 来年度のシラバスのこと、そろそろ考えなくてはならない時期になりました。思い切って一新したい科目もありますが、如何なものか?

 「シラバス」で思い出しましたが、『史学雑誌』の最新号(121-11)にコラムとして掲載されている服部良久「歴史教員の悩み-学士課程の教育と研究-」は同感するところ頻り。史学専攻の学生さんもぜひ読んでみて下さい。

☆ 熊本学園大学の小川弘和先生より、御高論「院政期の肥前社会と荘園制」(『熊本史学』95・96)を御恵送頂きました。
 これまで、未解明な部分の多かった平家の肥前支配について論じた貴重な研究です。
 小川先生に、あつく御礼を申し上げます。

 師走なれど、老いて走れず

No.9792

 まずは御連絡。
 明日(13日)はお昼にオフィスアワーを設定していましたが、都合により休止させて頂きます。悪しからず。

  本日は奥州から来られて在京活動中の若い研究者の歓迎会に参加させて頂きました。場所は祇園四条のロシアレストラン。ボルシチがうまかったし、ロシアの方と思われるウェイトレスさんは日本の礼儀作法をしっかり身につけた気配りのきく方でした。
 それにしても今夜は寒い。京阪六地蔵の駅前で長い時間バスを待ったのがこたえました。

 ☆ 駒澤大学の高橋秀栄先生より、御高論「『沙石集』の生蓮入道と舎利信仰」(『駒澤大学佛教学論集』43)を御恵送頂きました。 
 高橋先生に、あつく御礼を申し上げます。

 ☆ 駒場中学・高等学校の田中大喜先生より、御編著『下野足利氏』(シリーズ中世関東武士の研究9、戎光祥出版)を御恵送頂きました。
 田中先生に、あつく御礼を申し上げます。
 ちなみに、いまだに矢田義清(足利義康の子)の本拠(名字)地を下野国内に比定する見解が一般的なようですが、これは佐々木紀一先生の指摘されるように、丹波国矢田郷とすべきだと思います。
 当時の東国武士を東国の枠の中だけで考えるのは誤りです。
編集:2012/12/12(Wed) 23:42

年末、ジャンボな準備会

No.9793

 前回もご案内しましたが、来週(18日)は『吾妻鏡』の講読はお休みで、池嶋さんと滝沢さんに研究報告をしていただきます。
 時間はいつもどおり午後3時頃から、L校舎3階の共同研究室で開催予定です。
 池嶋さん、滝沢さん、よろしくお願いします。〈参考文献〉のご指定などありましたら、こちらの掲示板に随時書き込みをお願いします。

 2013年1月は、8日・15日・22日に開催予定です。
 次回以降の『吾妻鏡』の範囲は以下の通りです。

 範囲:元久二年(1205)十一月十五日・二十日、十二月二日・二十四日の各条
     元久三年(建永元年、1206)正月十二日・二十七日、二月四日・二十日・二十二日、三月十二日・十三日、五月六日、六月十六日・二十一日、七月一日・三日、十月二十日・二十四日、十一月十八日・二十日、十二月二十三日の各条

 火曜日の『吾妻鏡』講読会は、参加者のみなさんの自主的な積極性によって支えられております。
 基礎的な史料読解のニーズにも対応しておりますので、新年度から何か新しいことを始めてみようという方は、まずは見学からでも、どうぞお気軽にご参加ください。

無題

滝沢智世
No.9796

18日に研究報告をさせていただきます京女史学科三回の滝沢です。

報告タイトル:守護代長尾氏の越後支配の展開と中央の権威
参考文献
・羽下徳彦「越後に於る永正―天文年間の戦乱――後上杉政権成立前史――」『上杉氏の研究』戦国大名論集9 吉川弘文館 1948年
・矢田俊文『上杉謙信―政虎一世中忘失すべからず候―』ミネルヴァ書房 2005年

以上のタイトル、参考文献で報告を行います。よろしくお願いします。

 浜辺をさまよう

No.9791

 先週、神奈川県立歴史博物館の特別展に、私の恩師である貫達人先生が鎌倉で集めた青磁片が展示してあることを書きましたが、そのことについて青山学院大学史学科史学会の機関誌である『史友』第3号(1971年)に先生御自身による「浜辺をさまよう」と題するエッセーが収載されています。
 「この秋は日課のように海岸に行った。朝の浜は静である。体操やゴルフの練習をしている人、釣人、海苔の業者などが数人見える。雨の日などは人一人見えぬ。浜に出て何をしたのか?汀までいって、足下を見ながらさまようのである。なぜ?ホラ、そこに青磁のかけらが濡れているじゃありませんか。」と書き出され、鎌倉の海岸に青磁片のあることを知った背景や、和賀江島にたいする当時の研究状況、神奈川県立博物館(現、歴史博物館)で三上次男先生の指導を得て宋磁片出土の分布図を作るに際し、青磁片を寄贈したこと、作家竹山道雄氏宅に糸底のついた青磁のかけらが置いてあったことなどを紹介しながら、「青磁片には不思議な魅力がある。眺めていてあきない。これが七百年も前のものかとおもうほどみづみづしいかけらもある」などと青磁の魅力を語り、「もう海岸に行きたくてたまらない」「青磁をひろう楽しみは、きのこ狩に似ている」と言われるのである。
 そして、最後に「日曜の午後、天気がよいと、海岸はかなりの人出である。家族連れもあるが、たいがいは若いアベックである。こちらが目をそむけたくなるような組もあるが、まあそれはよいとして、あの人たちはキタナイ格好をした人品イヤシカラヌおやじさんが、下を向いてさまよい、時々腰をかがめて何か拾っているのを見て、どう思っているかなと思う。もっともアベックは二人だけの世界に閉じこもっている様だから、これはこちらのおもいすごしかな。」と貫先生らしい締めくくり方をされている。
 さて、当時若いアベックの側の世代でありながら、その「地位」を得ることの出来なかった私は、先生のようにもいかないで、いまや「キタナイ格好をした人品イヤシイおやじさん」になってしまいました。
 ちなみに、このエッセーの掲載された『史友』第3号の編集担当は史学会の委員であった私で(学部2年生)、御多分に漏れず非力をもって苦労しておりました。東洋史の宇津木章先生とともに、貫先生は私の依頼(口には出さぬ懇願?)に応じて執筆してくださったのだと思います。当時の先生方は、まったく学者そのものでありましたが、「教育、教育」などと急かされなくても、ちゃんと教育をして下さっていたのだと、最近しみじみと思います。
 あれが本当の大学における教育だったのでしょう。