考古学研究者との会話 2012年8月17日

No.9698

 お母さんになった田中(現姓丸山)さんからメッセージが届いております。→>>No.9697

 若手が論文を積極的に書かなくなってしまったという状況は、考古の世界でも同様であるとのこと、今日、ある著名な考古学者とのお話の中でうかがいました。

 北海道大学の山口二郎教授がブログにこんな事を書かれていました。
 「大学改革の議論では、英語が喋れるグローバルな人材の育成が叫ばれるが、何とも的外れな話である。欧米でも、大学の基礎教育は歴史と哲学が中心である。安直なハウツーを身に着けるのではなく、答えの出ない問題を必死で考え続ける知的基礎体力を持った人間を育てるのが大学の仕事である。」
 学部生のみなさんは、この意見について、どうお考えでしょうか?
 授業アンケートで、問うてみたいところです。

 ある本を拝見して、かつて故・石井進先生からいただいた、厳しい苦言を思い出してしまいました。私としては、ようやく今になってこたえています。

☆ 房総石造文化財研究会の早川正司様から、御高論「館山市千手院の石造千手三尊について」掲載の『房総の石仏』22を御恵送頂きました。
 早川様に、あつく御礼を申し上げます。
 なお、同誌掲載の川戸彰「十二仏を刻む石造遺品について」には、岡山県高梁市有漢町上有漢字大石所在の保月山六面石幢が紹介されています。山本さんは必読かも?

☆ 学振研究員(京都大学)の辻浩和君より、御高論「中世前期における〈遊女〉の変容」(『部落問題研究』201)を御恵送頂きました。
 辻君に、あつく御礼申しあげます。
 なお、辻君は今年11月17日(土)に開催される女性史総合研究会の例会で「遊女と女房」(仮)という研究報告をされるとのことです。
 詳細が決まりましたら、またお知らせしたいと思います。  

 忙中閑あり

No.9696

 清文堂出版から刊行予定の『中世の人物 京・鎌倉の時代』第二巻『治承~文治の内乱と鎌倉幕府の成立』(野口編)の内容を早く発表せよというお声が届いているのですが、それは暫し御猶予を頂くこととして、九月以降の拙著3冊の刊行予定が明らかになりましたので、それを先にお知らせしておきます。第一巻については→>>No.9684

 9月中旬:『源氏と坂東武士』(歴史文化ライブラリー234 吉川弘文館)三刷 
  9月20日:『源義家 天下第一の武勇の士』(日本史リブレット 山川出版社)
  10月 :『坂東武士団と鎌倉』(戎光祥出版)再刊

 『坂東武士団と鎌倉』は1983年にかまくら春秋社から刊行された『鎌倉の豪族Ⅰ』を改題し、図版写真の構成などをあらためて再刊するものです。『源氏と坂東武士』も重版ですが、両著とも今日の研究水準との落差を埋めるための補筆ないしは改稿を施してあります。刊行の暁には、旧版をお持ちの方も、お目通し頂ければ幸いです。

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 目下、『研究紀要』掲載の論文を執筆中ですが、その過程で参照した先学の御高論の中で下記の一節が目にとまりました。
  「天皇は閑院に、上皇(法皇)は法住寺殿に、平氏は六波羅にいるのが常態であった。それが八条辺に集中した治承三年クーデター以後は、異常の時代であった。その意味では六波羅政権という称呼は誤っている。平氏が六波羅にいる限り、それは政権ではなかったからである」〔上横手雅敬「平氏政権の諸段階」(御家人制研究会編『中世日本の諸相 上巻』吉川弘文館、一九八九年)543ページ〕
 「六波羅幕府論」やら「閑院内裏中世王家正邸論」やら、いろいろ考えさせられます。

 △ 宇都宮氏は鎮西に西遷していますよ。豊前に。

 △ 史料講読の予習は、自宅か図書館でするのがよいと思いますよ。

 △ >>No.9686のタイトルを自分のことだと思ったという方からお手紙やメールを頂いております。変なことを書いてしまったと反省していますが、ちょっぴり、書いて良かったとも思っています。でも、ほとんどが私の念頭になかった方たちからのものであったことも事実です。伝えたい人には伝わらず、・・・と、また余計なことを書いてしまいました。

 歴史の境目の日に

No.9695

 この67年の時間の流れは如何様にも評価されると思いますが、この8月がもう半分過ぎ去ってしまったというのには参っています。
 子どもの時は気楽に、あまり罪悪感も感じずに夏休みの宿題を後回しにしていたように思うのですが、そうでもなかったか?

 今日は旧知の博物館に勤める研究者の方からお電話を頂き、今秋、関東でお話をする機会が一つ増えました。

 ところで、後期の『玉葉』の講読会ですが、現在のメンバーの都合を優先して、月曜日の5講時(16:30~)というところに落ち着きそうです。そうなると初回はいつにするのか、また告知させて下さい。この曜日・時間なら参加したいという方はご連絡下さい。
 テキストは図書寮叢刊の九条家本を使っています(コピーを配付)。

☆ 京都大学の山田徹先生より、御高論「土岐頼康と応安の政変」(『日本歴史』769)を御恵送頂きました。
 山田先生に、あつくお礼を申し上げます。

 ☆ 鹿児島県霧島市教育委員会の重久淳一先生より、御高論「南九州の社家町小考」(『鹿児島考古』42)・「大隅国正八幡宮の空間と中世前期の様相」(小野正敏ほか編『考古学と中世史研究9 一遍聖絵を歩く-中世の景観を読む- 』(高志書院)ならびに、霧島市の所在の『平家物語』関係の史跡に関する資料を御恵送頂きました。
 重久先生にあつくお礼を申し上げます。

 豪雨と雷鳴

No.9694

 宇治のあたり、昨夜は一晩中雷鳴がとどろき渡り、何度も目を覚ましました。こんなに雷が続いたのを経験したことはありません。また落雷によってテレビの視聴に支障が出るかもしれないと思いましたが、それは免れました。しかし、雨量も尋常ではなかったようで、市内の低地では冠水したところもあるようです。おそらくマスコミのものと思われるヘリコプターが朝から上空を飛び交っています。
 テレビニュースなどを御覧になって、心配してお電話を下さった方もあり、恐縮しております。当家は、宇治と言っても、道長の墓所の営まれた浄妙寺よりもさらに高所、鴨長明が隠棲した日野に近い高台に位置しますので、大雨の害は被ることはありませんでした。
 岩田君の所も大丈夫だと思います。

☆ 清水眞澄先生より、御高論「「師子」と幸若舞曲-「元徳二年三月日日吉社幷叡山行幸記」を始点として-」収録の前田雅之編『もう一つの古典知 前近代日本の知の可能性』(勉誠出版)を御恵送頂きました。
 清水先生に、あつく御礼を申し上げます。

 ☆ 和田琢磨先生より、御高論「『太平記』「序」の機能」(『日本文学』61-7)・「翻刻 楠妣庵観音寺蔵『楠公一代絵巻』上巻」(『亜細亜大学学術文化紀要』21)を御恵送頂きました。
 和田先生に、あつく御礼を申し上げます。

【速報】 田中さん、お母さんとなる!

No.9693

 田中さん、そうでした現姓は丸山さんに赤ちゃんが誕生しました。女の子の由。おめでとうございます。
 すでに平田(現姓山田)さん、薗田(現姓黒岩)さんがお母さん。
 そういえば、北海道の笠(現姓澤田)さんは、もうすっかりベテランのお母さんのはずです。

 ゼミメンバーがお母さんになる。こうなると、私もオジイサンらしくならないといけないようです。玉手箱を開いてしまった浦島太郎の如き心境です。

 これから、結婚話も続々の観あり。
 みんな、順序を踏んで人生を拓いていて立派です。

 なにしろ、当ゼミの主宰者は、就職する前どころか学生のうちに結婚し、二人目の子どもが生まれるという時点になってから、ようやく就職したという常道をはずれた人生を歩んでおりますから、教え子の諸姉兄にはよき反面教師になっているのだろうと思います。

 それにしても、おめでとうございます。(母に似て)次代を担う強力な女性が誕生したことを心からうれしく思っています。
 子育て、がんばってください!!
編集:2012/08/13(Mon) 17:02

ありがとうございます

田中 裕紀
No.9697

お祝いのお言葉、ありがとうございます。
お腹の中で、先日の公開講座を聞いてゴロゴロと動き回っていた人が、とうとう外に出てきました。
誰に似たのか気が強く頑固な性格がすでに見え隠れしております。
今は24時間営業で子に振り回される日々ですが、動けるようになったら、あちらこちらと連れて歩きたいなあと夢は膨らむばかりです。
次にみなさんにお会いできる日を楽しみにしています。

 最近の「批判」について

No.9692

 研究室の窓枠工事が始まりました。終了は19日とのことです。

 仕事柄、仕事(東国武士の研究など)の内容について批判の矢面に立つことはやぶさかではありませんし、反省させられるような御指摘があれば有り難い。時には、新しい発見に繋がる場合もあります。
 ところが、このところ、どうもよく分からない批判が多い。つまり、このことについて論じられていないという批判を受けている研究は、既にそのことを論じた上で語ったものであったりするのです。それから、曲解されているのか、問題意識がまったく異なるのか、どうも批判の意味が理解できないものも多いのです。
 私の頭脳の老化によるものなのかとも考えたのですが、どうやら、批判を発している方の所属にも問題があるらしいことに気がつきました。所属というのは、同じ発想とか価値観をもっているグループという意味です。そのことを踏まえて、批判の内容を考えると、「なるほど」と思えることがあります。ただし、「なるほど」というのは、批判に利があるというのではなくて、なんでそんな(私にとって)訳の分からないことを仰せになられるのかが分かるという意味においてのことです。
 人はもともと多様な考え方をするものでしょうが、ある集団に所属すると同調バイアスがかかって、その集団とは異なる発想には理解を示そうとしなくなるような傾向があるように思います。地域とか研究組織とか学統とかが、その集団にあたります。
 それを踏まえると、研究者にとっては、ある一定の年齢までに、多様な生活空間を経験することが結構意味を持つものだと思うに至った次第。若い人は動くに如かずです。

紫苑 第10号、アップロードしました

No.9690

お待たせいたしました。
紫苑 第10号 をアップロードしました。
http://donkun.ath.cx/organ/ から閲覧可能です。

 『紫苑』第10号の読みどころ。

No.9691

 鈴木君、お忙しいところ、ありがとうございました。

 『紫苑』第10号 (2012年3月)の構成は以下のとおり。
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 論文
 ・鎌倉幕府における政所執事…山本みなみ
 ・『平家物語』小督条に見られる漢詩文及び『源氏物語』の影響…尾田沙祐里
 研究ノート
 ・北条泰時執権期の鎌倉幕府に関する一試論…岩田慎平
 研究余禄
 ・建春門院陵はもと後白河院陵か?…佐伯智広
 
 ・『紫苑』第十号に寄せて―歴代編集長から―…鈴木絵里子・山岡瞳・江波曜子
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 論文2編は、史学科と国文学科の4回生の手になるもの。学部生は卒論の指標にして下さい。

 ☆ 東洋大学の森公章先生より、科研報告書『平安・鎌倉時代の国衙機構と武士の成立に関する基礎的研究』(研究代表者:森公章)研究成果報告書と御高論「古代阿波国と国衙機構-観音寺遺跡と出土木簡を手がかりに-」(『海南史学』50)・「古代常陸の相撲人と国衙機構」(『白山史学』48)を御恵送頂きました。
 森先生にあつく御礼を申し上げます。

 ☆ 國學院大學の細川重男先生より、御高著『頼朝の武士団 将軍・御家人たちと本拠地・鎌倉』を御恵送頂きました。
 細川先生に、あつく御礼を申し上げます。

 67年目の夏に。

No.9689

 美川先生の御意見には同感です。
 しかし、にもかかわらず、あの日は女子マラソンがありましたから、録画にした人が多かったのでは。それにBSの放送もありますから、やはり視聴者は多いと思うのですが。
 先日、海津先生から頂いた書信によると「和大の周辺では80%」とのことでした。

 さて、ようやく夏休みということで、早朝の涼しいうちに原稿執筆などに取りかかろうとしたところ、近所で車の盗難よけの警報が鳴り響きました。実はこの二三日連続。毎朝自動車泥棒が出没するほど治安の悪い地域ではないと思うのですが。友人宅と同じような状況になりつつあるものか?(>>>>>>No.9666・9678・9686)

 そんなわけで大学に退避。ところが、学生が夏休みに入った大学は各所で工事が行われており、私の研究室も窓枠工事のために足場の設置中。

 かの植木等氏曰く「どこに行こうたって、行くところがないじゃないか」。
 しかし、この御時世。「みんなまとめて面倒見るよ」と、言ってくれるような奇特な方はおられません。こうなると、考えないで済む作業あるのみ。「いつか使うだろう」「歳をとってから、昔を偲ぶ縁(よすが)になるだろう」などと考えて後生大事に溜め置いていた書類や本をボンボン譲渡・廃棄することに致しました。
 勿体ないような気も致します。千葉県の近世や近現代史関係の報告書類など、必要な方がおられましたら、差し上げますのでどうぞ。

 ☆ 神奈川県立金澤文庫の永井晋先生より、先生御担当の企画展『鎌倉密教-将軍護持の寺と僧-』図録を御恵送頂きました。
 永井先生に、あつく御礼を申し上げます。

平清盛視聴率最低の理由

美川圭
No.9688

平清盛が、大河ドラマはじまって以来の7.8%の視聴率となってしまったそうである。
ロンドンオリンピックたけなわとはいえ、さすがにびっくりしたと同時に、当然だろうなという気がする。私も、講演などの話題にする必要上、ときどきは義務的に見ているのだが、もう歴史的うんぬん、以前にドラマとしてのできが悪すぎるのである。

その根本原因は、脚本が最低であることによる。

「新平家物語」のように吉川英治の原作があって、それにある程度脚色を加えた形なら、1年の長丁場もなんとかなるが、大河ドラマを、オリジナル脚本でやるのはもう難しいのではないか。そんなことも感じている。

とにかく毎回それぞれの人物が、その特徴を変えてしまうので、俳優も一貫した人物像を演じられない。その最たる者が、主人公の清盛である。久しぶりにみると、まったく別人格になっている。あれほど、単細胞であった保元・平治の乱のときまでの清盛が、前回などまるで、鈍感力いっぱいの今の某総理のようなおもしろみのかけらもない人間になっている。これでは登場人物にまったく共感できない、感情移入できないので、かってに早く死んじまえ、ということになるのである。こうなると、どうにも次回が見たくなくなる、というか、視聴自体が苦痛になるのである。

そもそも、藤本有紀という脚本家が実在かどうかさえ、インターネット上で噂されているのである。高橋昌明先生が会ったと証言しているので、いることはいるんでしょうが。それほど、プロの脚本家が書いた脚本とはとうてい思えない稚拙さということである。もう、歴史を知らない方とか何とかの次元ではないと思う。

あと何ヶ月もあるけれど、一体どうするんだろうと思う。そして、少なくともこの時代に愛着を感じて研究をしている私としては、ここまでひどいとかえって寂しさもいっぱいである。

 『玉葉』の講読会について

No.9687

 昨夜の放送も、小道具には凝っていても、身分秩序などを無視した設定で興を削がれることひとかたならず。
 伊豆の武士の存在形態や、かの流人の境遇も近年の成果は反映されておらず、・・・
 卒論を書くときのイメージづくりには、『草燃える』の方が遥かにベターですよ、4回生のみなさん。
 ちなみに、当時の流人の配所における生活については、
 平雅行「親鸞の配流と奏状」(早島有毅『親鸞門流の世界-絵画と文献からの再検討-』法蔵館)
をお読みになるとよいと思います。 

 前期に火曜日のⅣ講時に実施していた『玉葉』の講読会ですが、当方の授業担当の都合と、これまで科目履修上出席が不可能であった学生が複数存在することを考慮して、後期は別の曜日に設定することに致しました。
 当方の都合もありますが、これまでの出席者にも出来るだけ迷惑のかからない形で、多くの方たちの希望にそえる曜日・時間帯に設定したいと考えています。
 学部生諸姉には、すでに個別に連絡しておりますが(3回生は池嶋さんにとりまとめをお願いしています)、宜しく御協力の程、お願い申し上げる次第です。
 なお、曜日・時間が決定致しましら、あらためて告知します。その段階で、さらに新規参加者を受け付けたいと考えております。