忙中閑あり
No.9696
清文堂出版から刊行予定の『中世の人物 京・鎌倉の時代』第二巻『治承~文治の内乱と鎌倉幕府の成立』(野口編)の内容を早く発表せよというお声が届いているのですが、それは暫し御猶予を頂くこととして、九月以降の拙著3冊の刊行予定が明らかになりましたので、それを先にお知らせしておきます。第一巻については→>>No.9684
9月中旬:『源氏と坂東武士』(歴史文化ライブラリー234 吉川弘文館)三刷
9月20日:『源義家 天下第一の武勇の士』(日本史リブレット 山川出版社)
10月 :『坂東武士団と鎌倉』(戎光祥出版)再刊
『坂東武士団と鎌倉』は1983年にかまくら春秋社から刊行された『鎌倉の豪族Ⅰ』を改題し、図版写真の構成などをあらためて再刊するものです。『源氏と坂東武士』も重版ですが、両著とも今日の研究水準との落差を埋めるための補筆ないしは改稿を施してあります。刊行の暁には、旧版をお持ちの方も、お目通し頂ければ幸いです。
*********************
目下、『研究紀要』掲載の論文を執筆中ですが、その過程で参照した先学の御高論の中で下記の一節が目にとまりました。
「天皇は閑院に、上皇(法皇)は法住寺殿に、平氏は六波羅にいるのが常態であった。それが八条辺に集中した治承三年クーデター以後は、異常の時代であった。その意味では六波羅政権という称呼は誤っている。平氏が六波羅にいる限り、それは政権ではなかったからである」〔上横手雅敬「平氏政権の諸段階」(御家人制研究会編『中世日本の諸相 上巻』吉川弘文館、一九八九年)543ページ〕
「六波羅幕府論」やら「閑院内裏中世王家正邸論」やら、いろいろ考えさせられます。
△ 宇都宮氏は鎮西に西遷していますよ。豊前に。
△ 史料講読の予習は、自宅か図書館でするのがよいと思いますよ。
△ >>No.9686のタイトルを自分のことだと思ったという方からお手紙やメールを頂いております。変なことを書いてしまったと反省していますが、ちょっぴり、書いて良かったとも思っています。でも、ほとんどが私の念頭になかった方たちからのものであったことも事実です。伝えたい人には伝わらず、・・・と、また余計なことを書いてしまいました。
9月中旬:『源氏と坂東武士』(歴史文化ライブラリー234 吉川弘文館)三刷
9月20日:『源義家 天下第一の武勇の士』(日本史リブレット 山川出版社)
10月 :『坂東武士団と鎌倉』(戎光祥出版)再刊
『坂東武士団と鎌倉』は1983年にかまくら春秋社から刊行された『鎌倉の豪族Ⅰ』を改題し、図版写真の構成などをあらためて再刊するものです。『源氏と坂東武士』も重版ですが、両著とも今日の研究水準との落差を埋めるための補筆ないしは改稿を施してあります。刊行の暁には、旧版をお持ちの方も、お目通し頂ければ幸いです。
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目下、『研究紀要』掲載の論文を執筆中ですが、その過程で参照した先学の御高論の中で下記の一節が目にとまりました。
「天皇は閑院に、上皇(法皇)は法住寺殿に、平氏は六波羅にいるのが常態であった。それが八条辺に集中した治承三年クーデター以後は、異常の時代であった。その意味では六波羅政権という称呼は誤っている。平氏が六波羅にいる限り、それは政権ではなかったからである」〔上横手雅敬「平氏政権の諸段階」(御家人制研究会編『中世日本の諸相 上巻』吉川弘文館、一九八九年)543ページ〕
「六波羅幕府論」やら「閑院内裏中世王家正邸論」やら、いろいろ考えさせられます。
△ 宇都宮氏は鎮西に西遷していますよ。豊前に。
△ 史料講読の予習は、自宅か図書館でするのがよいと思いますよ。
△ >>No.9686のタイトルを自分のことだと思ったという方からお手紙やメールを頂いております。変なことを書いてしまったと反省していますが、ちょっぴり、書いて良かったとも思っています。でも、ほとんどが私の念頭になかった方たちからのものであったことも事実です。伝えたい人には伝わらず、・・・と、また余計なことを書いてしまいました。