不勉強の一言につきる
美川圭
No.9536
今日は久安3年(1147)の「祇園闘乱事件」。鳥羽院政期の清盛に興味をもっている人間にとっては、よく知られた事件でしょうが、一般にはそれほど知られているとは思えない事件です。
清盛自身が延暦寺強訴に担ぎ出された日吉社神輿に矢を放ったというのは、完全なフィクションです。しかも、ありえない作り話です。史料に書いていないことは、創作して構わないといっても、ありえないことをつくるのはやめてほしい。ここでの清盛は、まるで400年先の延暦寺焼き打ちした織田信長です。
これは考えるに、少し前の信長像、つまり既存の宗教的権威を認めず、延暦寺を焼き打ちし、自ら神になろうとした(最近の学説では否定されています)というものに極めて近いです。とくに、父親の葬式にばさら姿であらわれて、祭壇に無礼をはたらく、割とよく知られたほんとうとは思えない逸話の信長に。つまり、作り手が新しい時代を切り開く人物は信長しか知らないので、似てしまうのでしょう。しかし、あたりまえですが、12世紀と16世紀の延暦寺は違います。12世紀の延暦寺はこれから、法然・親鸞をはじめきら星のごとく宗教思想家を輩出する大寺院です。けっして腐敗堕落した存在とはいいきれません。時代も古代から中世への移行期と中世から近世への移行期とは状況が異なります。
作り手がまったく平安時代末を理解していない証拠でしょう。
院御所議定に信西が出ていて、清盛を弁護するのもありえませんが、院近臣藤原顕頼を信西におきかえたフィクションということでしょう。保元の乱での頼長と信西の対立がここからはじまっていたと、話を単純化。
ちなみに顕頼は実務官人系の院近臣で54歳。もと議政官で、このときは前権中納言であるが、特別院御所議定に顕頼が召し出されたというのが事実ですが、こんなこと、この作り手にはどうでもよいのでしょう。信西は出家したとはいえ、もと議政官ではありません。私の公卿会議に関する仕事など、どうでもよいのでしょう。
それはさておき、あいかわらず、大殿忠実が、鳥羽法皇に長くは政権は続かないなどと、無礼なことを口走っています。ああいうことを議定で院政を行っている法皇に言えるはずはありません。しかも、忠実は白河院政のときとはうってかわり、鳥羽院政のもとでは重用され、ほぼ近臣に近いとも評価されているのです。
法皇が突然謹慎中の忠盛・清盛の所へ現れ、清盛にわれを射て見よとかいって、やられたとかいうわけのわからない芝居。子供の西部劇ごっこです。白河院の血が出たとか、意味不明。ちなみに鳥羽法皇は一貫して、忠盛と清盛の庇護していたのが史実です。
それに反して、中井貴一の忠盛の演技はなかなかのもの。彼がこんなに名優になるとは思わなかった。彼がひとたび語ると、意味のわからない設定もにわかに真実みを帯びてくる。歌舞伎のお涙ちょうだいの筋書きを、名優が演じると、わけわからず泣いてしまうのとよく似ている。それに比して、あいかわらず、マツケンの清盛はひどいものです。まもなく忠盛が死にますが、そうすると改心するという筋なのでしょう。できれば、忠盛の死のあとは、中井貴一に清盛をやってもらいたい。
最後のいちおう史実に忠実な歴史解説と、ドラマの中身が異なっているのは、ほんとうに困ります。賢明な視聴者は理解に苦しむと思います。ドラマは勝手に作りましたと言いたいのでしょうか。それならば、最後に、「このドラマはフィクションです」というテロップを流すべきです。
とにかく相変わらず支離滅裂です。
清盛自身が延暦寺強訴に担ぎ出された日吉社神輿に矢を放ったというのは、完全なフィクションです。しかも、ありえない作り話です。史料に書いていないことは、創作して構わないといっても、ありえないことをつくるのはやめてほしい。ここでの清盛は、まるで400年先の延暦寺焼き打ちした織田信長です。
これは考えるに、少し前の信長像、つまり既存の宗教的権威を認めず、延暦寺を焼き打ちし、自ら神になろうとした(最近の学説では否定されています)というものに極めて近いです。とくに、父親の葬式にばさら姿であらわれて、祭壇に無礼をはたらく、割とよく知られたほんとうとは思えない逸話の信長に。つまり、作り手が新しい時代を切り開く人物は信長しか知らないので、似てしまうのでしょう。しかし、あたりまえですが、12世紀と16世紀の延暦寺は違います。12世紀の延暦寺はこれから、法然・親鸞をはじめきら星のごとく宗教思想家を輩出する大寺院です。けっして腐敗堕落した存在とはいいきれません。時代も古代から中世への移行期と中世から近世への移行期とは状況が異なります。
作り手がまったく平安時代末を理解していない証拠でしょう。
院御所議定に信西が出ていて、清盛を弁護するのもありえませんが、院近臣藤原顕頼を信西におきかえたフィクションということでしょう。保元の乱での頼長と信西の対立がここからはじまっていたと、話を単純化。
ちなみに顕頼は実務官人系の院近臣で54歳。もと議政官で、このときは前権中納言であるが、特別院御所議定に顕頼が召し出されたというのが事実ですが、こんなこと、この作り手にはどうでもよいのでしょう。信西は出家したとはいえ、もと議政官ではありません。私の公卿会議に関する仕事など、どうでもよいのでしょう。
それはさておき、あいかわらず、大殿忠実が、鳥羽法皇に長くは政権は続かないなどと、無礼なことを口走っています。ああいうことを議定で院政を行っている法皇に言えるはずはありません。しかも、忠実は白河院政のときとはうってかわり、鳥羽院政のもとでは重用され、ほぼ近臣に近いとも評価されているのです。
法皇が突然謹慎中の忠盛・清盛の所へ現れ、清盛にわれを射て見よとかいって、やられたとかいうわけのわからない芝居。子供の西部劇ごっこです。白河院の血が出たとか、意味不明。ちなみに鳥羽法皇は一貫して、忠盛と清盛の庇護していたのが史実です。
それに反して、中井貴一の忠盛の演技はなかなかのもの。彼がこんなに名優になるとは思わなかった。彼がひとたび語ると、意味のわからない設定もにわかに真実みを帯びてくる。歌舞伎のお涙ちょうだいの筋書きを、名優が演じると、わけわからず泣いてしまうのとよく似ている。それに比して、あいかわらず、マツケンの清盛はひどいものです。まもなく忠盛が死にますが、そうすると改心するという筋なのでしょう。できれば、忠盛の死のあとは、中井貴一に清盛をやってもらいたい。
最後のいちおう史実に忠実な歴史解説と、ドラマの中身が異なっているのは、ほんとうに困ります。賢明な視聴者は理解に苦しむと思います。ドラマは勝手に作りましたと言いたいのでしょうか。それならば、最後に、「このドラマはフィクションです」というテロップを流すべきです。
とにかく相変わらず支離滅裂です。