海賊追捕の賞?

美川圭
No.9483

 よくわからない小細工。『中右記』保延元年(1135)8月19日条には、忠盛が海賊26人を検非違使に引き渡したとあり、21日に忠盛の海賊追捕の賞として清盛が従四位下になったとあります。ふつうは、検非違使に海賊を渡したので、その恩賞が朝廷から与えられる。この場合嫡男の昇進というわけです。

 ところが、今日のドラマでは、検非違使に引き渡さなかった。清盛の従四位下は、上皇が忠盛を公卿に昇らせないためであるというようなやりとりがあるわけです。検非違使に引き渡さなかったら、たぶん恩賞は出ないでしょう。それから、嫡男の昇進が父の昇進に対する妨害というのは、よく理解できません。一般視聴者は理解できるのでしょうか。

 重盛の母となる高階基章の娘、この人との和歌のやりとりというまったくのフィクションが出てきます。清盛があまりに粗野で歌などわからないので、西行がかわりに詠んで、それでもふられるが、清盛の率直さにうたれた基章娘が結婚に応ずる。身分が低い者との恋愛結婚に、忠盛夫妻も見合い結婚話を院近臣家成通じて(たぶんその娘)進めていたが、あきらめるというような話でした。

 私はあんな「単細胞」が長じて、のちの清盛になることはまったくありえないと思います。脚本家が「単細胞」粗野おとこが趣味という次元の問題でしょう。

 それから、時子がまるで基章女とお友だちみたいな雰囲気でした。時子は大治元年(1126)生まれですから、現在で言うとまだ満9歳です。時子との最初の子宗盛が生まれたのは久安3年(1147)です。たぶんその少し前に結婚したのでしょう。あんな風にお友だちではありえないのです。しかも時子の家は代々摂関家に仕える名門家司の家。基章のところとは家柄がかなり違う。このあたりも、脚本家の勉強不足はあきらかです。

 さらに、得子が鳥羽院の上にのしかかるようなシーンもやめていただきたいものです。あのシーンで、私の娘は自分の部屋にもどって行きました。ありえないシーンですし、日曜8時です。今上陛下も心臓の大手術されたばかりです。あんなことで、八条院が生まれたとか、近衛天皇ができたとか・・・・。考えるだけでもおぞましいので、やめていただきたい。

高階基章女

山田邦和(同志社女子大学)
No.9484

 美川先生、みなさま、こんばんは。本日の「平清盛」、メロドラマでしたね。見ていてちょっと恥ずかしかった。

 清盛の最初の妻で重盛と基盛の母となる高階基章女(ドラマでは明子という名になっている)が初登場! この女性については、角田文衞先生と高橋昌明先生の考証がありますが、やっぱり決め手に欠けており、実体がもうひとつよくわからない。
 でも、せっかくドロドロぐちゃぐちゃの人間関係が大好きな脚本家と演出家だし、高橋先生が時代考証をされているということもあるのに、どうして高階基章女については高橋説を採用しなかったのかな? 高橋説は、重盛母である高階基章女は「基章(摂関家の家人)の妻と摂関家の大殿・藤原忠実の不倫の結果、生まれた娘であり、清盛の父の平忠盛はそうした事情をすべて承知して、大殿の不始末の尻ぬぐいをするためにその娘を清盛の嫁に迎えた」というショッキングなものなのですから。
 そういえば今日のドラマでは忠実と清盛が院御所ですれ違うシーンが出てきましたね。ちょっと前後関係を操作して、忠実の清盛を見る目に「おお、こ奴が俺の不始末の尻ぬぐい役か!」という感情を含ませればおもしろかったのに・・・ と無責任なことをいいます(高階基章妻と忠実の不義の娘がいたことは事実だが、それは重盛母とは別人だという可能性の方が高いという気がするのですが・・・)。

 しかし、今日のドラマの不満を全て払拭してくれるのは、高階明子役の加藤あいさんの清楚な美しさ!! いやあ、こんな美人に出会ったならば、身分がどうのこうのと四の五の言う前に一目惚れしてしまうキヨモリ君の気持ちがよくわかります! 史実からすると高階基章女はふたりの男子を産んですぐに死んでしまい、時子に清盛の嫡妻の座を譲るということになるのでしょうね。しかし、個人的な感情からすると、もうこうなればどんなに史実をねじ曲げねじ曲げてもかまわないから、ちょっとでも長く加藤あいさんが登場し続けることを願っています(^^;)。

 追伸:そうそう、もうひとつ。あの汚かった漁師の兄ちゃん・鱸丸、上川隆也というイイ俳優さんを使っていると思っていたら、まさかの大逆転で平盛国に大変身!! あぁ、スズキ丸というケッタイな名前も、スズキが出世魚なのだからだというダジャレだったのですね。このシーンで、ブッ飛んだ人、いませんか?
編集:2012/02/19(Sun) 22:53

便乗して告知します-次回の『吾妻鏡』-

No.9485

 ◆美川先生の大河ドラマ評は「視聴率」が高いと大変評判ですので(関学にも視聴者多数)、便乗させていただいて次回の『吾妻鏡』のご案内です。

 日時:2012年2月23日(木)午後3時~(予定)
 場所:京都女子大学L校舎 3階 共同研究室
 範囲:正治三年(建仁元年、1201)六月二十八日・二十九日、七月六日、八月十一日・二十三日、九月七日・九日・十一日・十五日・十八日・二十日・二十二日、十月二日・六日、十一月十三日、十二月二日・三日・二十八日・二十九日の各条
    建仁二年(1202)正月十二日・十四日・二十八日・二十九日、二月二十日・二十九日、三月八日・十四日・十五日、四月二十七日、六月一日・二十五日・二十六日、八月二日・十五日・二十三日・二十四日・二十七日、九月十五日・二十一日、十月八日・二十九日、閏十月十三日・十五日、十一月二十一日、十二月十九日の各条

 木曜日の『吾妻鏡』講読会は、参加者のみなさんの自主的な積極性によって支えられております。
 昨今は、“ポップでライトな”歴史が流行っているようですが、そんなポップでライトで楽しげなイメージも、もとはといえば何らかの史料に依拠して形作られたはずです。そのもとの部分の史料に当たって事実関係をきちんと踏まえて整理するという作業に慣れておくことも、いろいろな角度から楽しむのに役立つかもしれません。
 ただ、そうすると今度は“ポップでライトな”歴史を楽しめなくなってしまうのかもしれませんが…

 基礎的な史料読解のニーズにも対応しておりますので、2012年、何か新しいことを始めてみようという方は、まずは見学からでも、どうぞお気軽にご参加ください。


 ◆昨日2月18日(土)は、関西学院大学図書館で、日本古文書学会の見学会が開催されました。30名をこえる多くの参加者の皆さまをお迎えできましたことを、関学関係者の一人として大変光栄に存じます。
 ご来場いただきました皆さま、見学会をお世話してくださった元木泰雄先生、漆原徹先生、関学の中村直人先生、そのほかご協力いただきました皆さんに、この場をかりて御礼申し上げます。

 今回は、上島有先生が紹介(「関西学院大学図書館蔵東寺文書について」『東寺・東寺文書の研究』思文閣出版、1998年。初出は1981年)されました東寺文書18点と、灘の酒造業関連と紀州牢番頭釘貫家の近世文書、明治維新元勲書簡など、関西学院大学図書館所蔵の文書を見学致しました。
 私もこれらの文書をじかに閲覧することははじめてでしたので、大変貴重な機会をいただくことができました。

高橋説を脚本家は知らなかった説

美川圭
No.9486

山田先生、こんばんわ。お久しぶりですね。

 私の推測では、脚本家は高橋説など知らなかったのだと思います。それどころか、忠実と基章妻との関係も知らなかった。だからああなったのだと。やはり、事実のほうがおもしろい。山田先生のおっしゃるように、高橋説を採用した方が、脚本家のどろどろ路線には合っていたはずなのですが。

 まあ、勉強不足というのは、そういうことです。現在学界で言われている説をすべてあつめて、勉強したうえで「おはなし」つくったほうがいいと思うんですがね。

 ドラマができてから、時代考証者に見せているという話を聞いたことがありますが、それじゃいくらなんでもだめですよ。脚本段階でみせなければ。

ほんとうは平盛康の父が「盛国」なのでした。

No.9487

 私も何か言わないといけませんね。でも今夜のお話は平安時代ファンの女性をターゲットにした演出の様なので、取り上げるとしたら、やはり高階基章の娘が実は藤原忠実の子であるという髙橋先生の御説でしょうか。
 1997年に出た『女性史学』第7号掲載の「重盛の母」で読んだとき、重盛と頼長の顔が似ている(もちろん絵ですが)という御指摘に「なるほど!」と思ったことを思い出します。

 あえて私が今回の話に口出しするとなると、劇中で清盛の乳母夫の役回りを負わされている平盛康と、その後継者という設定の平盛国についてということになりますか。
 面白いことに『尊卑分脉』・「桓武平氏諸流系図」によると、史実において盛康の父の名は「盛国」だったようです(もちろん清盛の郎等の盛国とは別人ですが)。盛康の官歴は、同時代史料から、刑部丞→兵衛尉→検非違使・右衛門尉、保延三年正月に叙爵されたことを知ることが出来ます。平家の家人とはいえ、れっきとした「京武者」ですね。彼の子としては、盛範・盛長・盛仲の存在が確認されます。

 一方、清盛の郎等の盛国の方ですが、こちらは『延慶本平家物語』に、平権守盛遠の子とあります。『吾妻鏡』に平季衡の七男とあるのは世代的に整合しませんが、文治2年(1186)に鎌倉御家人である岡崎義実のもとで断食によって74歳で死去したことは事実と考えられ、それに従えば生年は永久元年(1113)ということになります。

 盛康・盛国の出自・官歴などの詳細については、拙稿「院政期における伊勢平氏庶流-「平家」論の前提作業-」(京都女子大学宗教・文化研究所『研究紀要』第16号、2003年)および「院政期における伊勢平氏庶流(補遺)」(同 第17号、2004年)を御参照下されば幸いです。

 校正の攻勢に立ち向かう日

No.9482

 本日はちょっと大変な仕事を担当しなければならなくなる可能性があったために、元木先生が御案内下さった古文書学会の見学会には参加できませんでした。
 先ほど、とても充実した見学会であったと、関学の学部生の方からメールを頂きました。
 行けずに残念。
 結局、その仕事はしなくて済んだのですが、世の中、そう甘くはなく、代わりに様々な校正の仕事が、速達・Eメールなど、ありとあらゆる手段で押し寄せて参りました。
 20世紀の私は、便利になったら仕事が減るものだと思っていたのですが、便利になるということは仕事が増えるということたったのですね。
 「昔はよかった!」
  一番困ったのは、英文要旨の校正です。英語が苦手なので、わかりやすい日本語で要旨を書いて、これを翻訳して頂いたものが届けられたのですが、英語の苦手な私がみても、どうもおかしい。こういうときに頼りになるのが「友」であります。
 よき師、よき友、よき教え子との出会いは人生の僥倖です。

 さて、明日は日曜日。美川先生の辛口批評が楽しみです。 

【追記】 19日付の『京都民報』7面に「六波羅と法住寺殿」(清盛・平家とその時代 第2章 清盛と京都)と題した拙文が掲載されています。
 短文ながら最新の成果を盛り込みました。
 御笑覧頂ければ幸いです。

2012年度 (財)古代学協会「古代学講座」の案内

No.9481

2012年度 古代学講座

1)〈京都学講座〉平安京研究の方法  山田 邦和(同志社女子大学教授)
   第3土曜日 10:30~12:00 全5回 (4/21,5/19,6/16,7/21,9/15)

2)藤原定家日記を読む 加納 重文(京都女子大学名誉教授)
  第2土曜日 15:00~16:30 全5回 (4/14,5/12,6/9,7/14,9/8)

3)新・弥生時代像を読み解く―最近の考古学の発達を基礎に― 
  森岡秀人(橿原考古学研究所研究員)
  第4水曜日 10:30~12:00 全5回 (4/25,5/23,6/27,7/25,9/26)

4)源氏物語講読―大島本で名場面を読む― 笹川 博司(大阪大谷大学教授)
   第4土曜日 10:30~12:00 全5回 (4/28,5/26,6/23,7/28, 9/22)

5)古代エジプト文明の神秘―ツタンカーメン王の秘宝と美の世界―
  宮本 純二(京都橘大学非常勤講師)
  第2水曜日 13:00~14:30 全5回 (4/11,5/9,6/13,7/11,9/12)

6)『小右記』講読―貴族の日常に触れてみよう― 野口孝子(同志社女子大学嘱託講師)
  第2土曜日 13:00~14:30 全5回 (4/14,5/12,6/9,7/14, 9/8)

7)『続日本後紀』講読  米田 雄介(前正倉院事務所長)
  第3水曜日 13:00~14:30 全5回 (4/18,5/16,6/20,7/18,9/19)

8)ヒエログリフ基礎文法 深川 慎吾
  第4土曜日13:00~14:30 全5回 (4/28,5/26,6/23,7/28, 9/22)

●受講料・申し込み方法等は↓を御覧下さい。
   http://kodaigaku.org/study/koza-koenkai/kodaigaku-koza/gaiyou.pdf

 山本さんと二人の山本先生へ

No.9480

 今日になってから、一昨日までの旅行の疲れが出ております。まさしく老人!

 さて、昨日は久しぶりの例会でしたが、2ケタの人数が集まり、なかなかに充実したものになりました。報告者の山本みなみさんは、『紫苑』の初校への対応の仕事もあり、たいへんであったと思います。お疲れ様!

 山本さんの報告ですが、これはおそらく「鎌倉幕府論」から、さらには「中世国家論」解明の方向が示される研究として評価される可能性を秘めた内容で、今後の進展が期待されます。大学院進学後の山本さんにどのような出会いが待ち受けているか、結果はそれに規定されることでしょう。楽しみにしています。
 
 『紫苑』の初校ゲラを拝見(今号の構成は>>No.9458参照のこと)。巻頭の論文2本は卒論をベースにしたものです。4回生になる人には、よいお手本になることでしょう。京女の後輩たちの士気を高からしめることになることは確か。
 岩田君の研究ノートでは、中世前期における「調停」の意味が論じられています。
 佐伯君の研究余録は、考古学者・山田邦和先生による建春門院(平滋子)の陵墓比定にたいする文献史学からの禁欲的なコメントです。

 十号記念ということで歴代編集長から寄せられた寄稿文は、ゼミの歴史にとって貴重。鈴木(永富)さんの作ってくれた「思いでアルバム」には、なつかしい面々が。

 刊行を楽しみにしていて下さい。
 いつも催促される側なのですが、この際、執筆された諸姉兄には「校正は早々に済ませて返送すること」を強く要請致します。

 ☆ 筑波大学の山本隆志先生より、新刊の御高著『東国における武士勢力の成立と展開』(思文閣出版)を御恵送頂きました。
 僭越な物言いで恐縮ですが、とくに関西で武士論研究に関心のある方に読んで頂きたい内容だと思います。
 山本先生にあつく御礼を申し上げます。

☆ 静岡文化芸術大学の山本幸司先生より、新刊の御高著『人はなぜ騙すのか 狡知の文化史』(岩波書店)を御恵送頂きました。
 「第一章 日本人の狡知観」では、源平合戦における騙しあいが論じられています。
 山本先生にあつく御礼を申し上げます。

 お二人の山本先生ともに、この三月末で定年で御退職とのこと。、寂しいのですが、今後さらなる御活躍と御指導をお願い申しあげる次第です。 

津屋崎や宗像大社で日宋貿易の殷賑の跡を見てきました。

No.9479

 今日は山本さんの研究報告会。多くの方の御参集を期待しております。15時からです。

 月曜日から昨日までの3日間、福岡県に出掛けてきました。
 博多からレンタカーで、福津市・宗像市・田川市・香春町・飯塚市・太宰府市などを回りました。
 レンタカーを借りたのは、ゼミ旅行の時に利用した、博多駅筑紫口のお店です。今回は、あの時、例のアクシデントで(私だけ)行くことの出来なかった大宰府の政庁跡にも行ってきました。

 一番の目的は福津市津屋崎の「唐房」跡(摂関時代、小野宮実資領であった高田牧に属するとのこと)と遠賀川流域の粥田庄などの故地を廻ることで、津屋崎では、「なるほど!」と思わせる玄界灘に面した素晴らしいラグーンの景観や、小学校に展示されている出土遺物を見ることが出来、また平信盛という伝承上の人物(知盛の子だそうです)の墓に遭遇することなどもあって、得るところは大きかったのですが、筑豊地方を回ったことで、近現代の炭鉱産業のもとで生まれた独自の地域文化のようなものにも大いに興味をひかれました。
 太宰府市では近年完成した九州国立博物館にも行くことが出来ました。

☆ 四天王寺大学の源健一郎先生より、御高論「書評 佐倉由泰著『軍記物語の機構』」掲載の『日本文学』(61-2)を御恵送頂きました。
 源先生にあつく御礼を申し上げます。

 ☆ 山梨県立博物館の西川広平先生より、御高論「戦国期におけ川除普請と地域社会-甲斐国を事例として-」(『歴史学研究』889)および、同館企画展図録『柳沢吉保と甲府城』を御恵送頂きました。
 西川先生にあつく御礼を申し上げます。

たるんだドラマ

美川圭
No.9474

 最近の大河ドラマでこまるのは、ドラマとしてひどく間延びしていること。今日の話も、まったく緊迫感のかけらもない。

 だいたい、清盛と信西が何しに海賊の唐船めざして行ったのかよくわからない。信西が漢文が読み書きできるならわかるが、何で中国語が話せるのかがわからない。博多か大宰府にでもいて、貿易を担当していたという設定なのだろうか。それだったら、忠盛が中国語話せたという方が、おもしろかろうと思うんです。九州の肥前神崎荘での貿易の話が、この保延元年(1135)の海賊追討の2年前ですから。私だったら、そういうお話をつくります。

 ともかく、それで海賊に捕まって、自分がこの海賊の首領の父を殺した忠盛の子だとばらしてしまうので、とうぜん命が危うくなる。こういうところは、ふつうの人間だと自分の命があぶないので、言わない。こういうおばかはけっしてあとで権力をにぎったりできない。

 それで、なんだか人質になり、平家一門がおびき出される。ところが、この海賊の首領はまるでアホで、おびき出された平家一門が近づくのがわからない。このあたりのドラマの運び方は、ふざけているのか。視聴者をなめているのか。それとも作り手がしろうとなのか。小学生か幼稚園児なのか。

 45分のドラマだが、だいたい25分すぎから、あほらしくなって、見続けたくなくなります。長ーいです。時計を見ながら、ほかのことをやりたくなってくる。海賊の首領と清盛が殺し合いをしているようなシーンが延々と続くが、しかしどうみてもじゃれている。周りの戦いは終わっているらしく、みんな見学している。

 去年の大河も、戦国時代だというのに、妙に緊迫感がなかった。今回もそうである。史実と違うとかもう言わないので、なんとかもう少し眼が離せないような歴史ドラマをつくってくれないだろうか。無理なんだろうか。昔の大河ドラマのパロデイのつもりなのだろうか。

 ちなみに、最近、ローワン・アトキンソン(いわゆるMr.ビーン)主演のジョニーイングリッシュ、気休めの報酬という007のパロデイ映画を見に行きました。かなりよくできたコメデイでした。お勧めです。

(頼朝) 「母熱田大宮司季範女」

No.9475

 「史実と違うとかもう言わないので」という立場からすれば、もうどうでもいいことなのですが、せっかくですから、私も一言。

 当時の熱田大宮司家を尾張の在地豪族、そして頼朝を尾張国熱田(現、名古屋市)の生まれと誤解している人は多い。その再生産につながるような描かれ方は困る、ということです。

 熱田大宮司の職は頼朝の外祖父にあたる季範が担っていましたが、それは名誉職的なもので、このころ彼は京都に常住しており、頼朝も京都の生まれであることがほぼ確実です。
 頼朝の母(?~1159)が待賢門院や上西門院と関係の深い家の女性で、そうした環境に生まれ育ったことが、頼朝の政治的立場を規定することになったこと等については、角田文衞「頼朝の母」(『王朝の明暗』所収)に詳述されています。
 そのあたりのことは、拙著『武門源氏の血脈』(中央公論新社)でも触れておきました。

 ちなみに、頼朝の母の名を「由良」とする伝承も、出典詳らかならざるところです。
編集:2012/02/13(Mon) 00:12

身分が違いすぎる待賢門院と得子

美川圭
No.9476

 皇女をみごもった得子と待賢門院が出会い頭に、待賢門院の方が道をよけるシーンがありましたが、ありえませんね。得子はまだ女御にもなっていないと思いますが、待賢門院はすでに中宮をへて、ということで身分が違いすぎます。どだいこのレベルの作り手に、このあたりを要求しても無理だとは思いますが・・・・。

 この作り手の頭では、頼朝はできるだけ田舎から出てこないとこまるんでしょうね。武士は東国の草深い農村、西では海賊の中からでも出てこないと、既成の秩序は倒せないと思い込んでいるのでしょう。そして、アホで乱暴で無鉄砲な若者こそが、えらくなるのでしょう。

突然おじゃましてしまい、ご迷惑ではないかと心配しております。

長瀬
No.9477


以前から、先生方の御高説うかがえて、大変為になっております。

私は、大河は小学生時代の「国盗物語」から見ていて、「新平家物語」は、時代背景が良くわからないまま、清盛が叔父を処刑したシーンとか、そういうものが若干記憶に残っております。

大河のお陰で歴史が好きになったようなものですが、結局歴史とは関係ない分野を専攻して、関係ない分野で仕事もしております。趣味として、愛好家として、古文書とかを今も学んでおります。

この掲示板では、御高説ほか、一般向けで良質の本を御紹介いただき、野口先生の『武門源氏の血脈』も買わせていただきましたし、美川先生の『院政 もうひとつの天皇制』も読ませていただきました。最近では岩田慎平先生の「平清盛」を読ませていただき、大変素晴らしく、多くの知識を与えて下さる本であると感謝しております。

さて、本論ですが、大河が歴史好きのきっかけとなる小中学生は、私だけでは無いと思います。それで、どうしても、史実とフィクションを識別下さり、時代考証・年代のズレ等ご指摘いただくと大変参考になります

耐えがたいドラマかもしれませんが、1年色々ご指摘くださると、幸甚でございます。

大河ドラマから歴史家へ

美川圭
No.9478

 長瀬さん、迷惑なんてとんでもありません。よろしくお願い致します。拙著も読んでいただいているそうで、ありがとうございます。

 15年ほど前に出しました『院政の研究』(臨川書店)の「あとがき」にも書いたのですが、私が歴史好きになり、しいてはそれが職業となってしまったのは、大河ドラマのおかげです。もっと、具体的に言えば、たしか小学校3年生の時にやっていた「太閤記」です。高橋幸治の信長と緒形拳の秀吉の魅力にとりつかれてしまいました。とくに、本能寺の変は強烈な印象で、しばらく「切腹」のまねをしつづけてしまいました。当時の大河ドラマのレベルは高く、けっして子供だましではなかったはずです。しかし、ほとんど当時の映像はのこっておらず、残念です。

 そんなことなので、大河ドラマには格別な思い入れがあります。それゆえに、最近の惰性でつくっていることを疑わんばかりの出来にほとほとあきれるばかりです。ここのところ年末にやっていた「坂の上の雲」は、そこで描かれる思想には異論があるのですが、それでもドラマとしての出来はよく、日本海海戦のシーンでは画面に釘付けとなりました。ああいうシーンが撮れるNHKなのに、こと大河となると、去年のでも戦国時代なのに、ろくに合戦シーンもない、およそ緊迫感の感じられないドラマでした。現実は、東北の大震災のすさまじさなのに対して、ドラマの方はあまりにも腑抜けていました。

 世間ではどこかの市長が「画面が暗い」と言ったとかどうとか、どうでもいいようなことが言われていますが、あまりそんなことには関心がありません。

 そんなことなので、できる限り、今回の大河にはおつき合いし、苦言を呈していく所存です。作り手は、いちいち歴史家の言うことを聞いていたら、おもしろいドラマなどできないと思い込んでいるのかもしれませんが、私はそんなことはないと思っています。いいかげんな作り物より、事実の方がずっとおもしろいのです。なにとぞ、1年間おつきあいください。

京都史跡案内は『京都迷宮案内』より難しいか?

No.9473

 講演依頼は何とか対応できるのですが、難しいのが史跡見学(散歩)の案内の依頼です。
 最近、しばしば地方自治体の教委や博物館から御依頼を頂くのですが、大勢の方たちをお連れするので、通行の安全や休憩施設、駐車場のことを念頭に見学先を決めなければなりません。一番の難問は、お連れした先に関心を持って頂けるかどうか。私がお連れするのは、たいてい、今は何もないところ。
 おみくじが引けて、御利益のある神社もお寺さんもない。なんとかグッズを売っているお土産物屋さんもない。あぶらとり紙屋さんも遠い。美味しいものを食べるところもない。
 そんなところで、じっくりと話を聴いてくれる方たちのみを対象に。というのでは、申込みゼロになりかねませんから。
 こんな事を考えてしまうのは、サービス過剰(あるいは錯誤)の御時世に毒されているからかも知れませんね。
 浅草下町散歩や市川の史跡見学に何十人もの学生が喜んで参加した、あの1970年代の青学史学科時代は良かったなぁ、と、また懐旧の涙を催すのでありました。

 ところで、京都で歩いて見学に行くとすれば、どこがよいでしょうか。お教え下さい。もちろん大河ドラマがらみですが。

 京都南インターから北上して、近衛天皇、白河・鳥羽・後白河院、そして待賢門院・上西門院の順に、お墓参りなども妙案かと思うのですが、大人数では無理ですね。

 新幹線利用で一番楽なのは、京都駅で解散して八条院御所・院庁・御倉町と七条町跡を自由行動で見学して頂くというのだと思いますが。ダメでしょうねぇ。
 それにしても困りました。 

深夜のニュースに物思う。

No.9472

 ニュースに接して、
 源頼朝の法華堂跡は我が青春の思い出深い場所であります。
 熊本県立第一高校は、2009年の秋に出張講義に出掛けた高校であります。→>>No.6900
 野田首相が同窓会に出席したという千葉県立船橋高校は、高校教員時代、日本史の先生との会合で何度か出掛けたことがありましたっけ。「あれから30年!」

 『京都民報』、今日(12日)付の2523号から4回にわたって、拙文「清盛と京都」(『清盛・平家とその時代』第2章)が掲載されます。第1回目のテーマは「平家の六波羅」です。
 お目通し頂ければ幸いです。 

朝日・日経・読売3紙の運営するサイト「あらたにす」

No.9471

 18日の古文書学会見学会。岩田君の指導を受けている関学の学部生の方たちもたくさん参加されるようで、盛況を期待いたしております。
 お酒好きの歴史研究者には必読の文書などもありそうですね。

 ところで、拙著『武門源氏の血脈』の編集を担当して下さった中央公論新社の並木さんが、朝日、日経、読売の3紙が運営するサイト「あらたにす」に紹介文を書いてくださいました。
                 ↓
      http://allatanys.jp/C006/L0008M0062S2627.html
 私に対する評価は事実に反しておりますが、そんなお気持ちで一生懸命に編集にあたって下さったのだ、と有り難く受けとめている次第です。

 昨日のゼミには、関学の徳重さんが初参加。いかがでしたか?

 それから、最後になってしまいましたが、藪本君、ほんとうにおめでとうございます。

16日のゼミは例会報告 「鎌倉幕府における政所執事」

No.9465

 16日(木)のゼミは『吾妻鏡』の講読会を一回お休みして、研究報告会にいたします。
 研究者から学部生まで、ふだん講読会に参加されていない方でも、報告テーマに関心のある方はぜひ御参集下さい。
  報告者:山本みなみ(本学文学部史学科4回生)
  報告テーマ:「鎌倉幕府における政所執事」
  会場:京都女子大学宗教・文化研究所共同研究室(L校舎3F)
  時間:15:00~17:30(予定、途中休憩あり)
   ※ これまでの山本さんの研究成果
     「鎌倉幕府成立期における文士-二階堂氏を中心に-」(『紫苑』8)
     「近衛宰子論-宗尊親王御息所としての立場から-」(同 9)
      こちらでお読みいただけます→http://donkun.ath.cx/~sion/organ/
 **************************************************
 ◎ 先月刊行した拙著『武門源氏の血脈-為義から義経まで-』(中央公論新社)に対しては、当方に多くの御感想を頂いており、感謝申し上げる次第です。
 内容に関する個々の問題についての御意見はもとより、武士論研究の成果を分かりやすく提示する役割を果たしたというような御評価を嬉しく受けとめております。
編集:2012/02/10(Fri) 08:55

2月18日古文書見学会

元木泰雄
No.9469

 2月18日の古文書見学会の参加締切が迫ってまいりました。
 以前に口頭・メールなどで参加の意志を示された方も、念のために確認の連絡をお願いします。
 人数が確定できないと、先方にご迷惑がかかりますので、早急に確認をお願いします。
 得難い機会ですので、一人でも多くの方にご参加いただきたいと思います。
 また、参加される方は上島先生の御著書『東寺・東寺文書の研究』の、第五部第一章に目を通しておいてください。

補足のご案内

No.9470

 大阪市内(梅田)からは電車、バスなどを乗り継いでいただいても40~50分掛かりますが、関西学院大学での見学に多くの方のご参加をお待ち申し上げております。

 先日もお知らせ致しましたが、関西学院大学(関学)の周辺にはお食事が出来るような場所がほぼ皆無です。

 阪急西宮北口駅周辺の西宮アクタ、ガーデンズ西宮などのショッピングモールなどで済ませていただくか、関学会館の「レストランポプラ」をご利用下さい。

  関学会館 レストランポプラ 0798-54-1188
 (http://member.kwangaku.net/kwangakukaikan/index.html


 ◆元木先生が以前掲出して下さった情報を再掲させていただきます。

 関西学院大学(阪急電鉄今津線甲東園または仁川駅下車、徒歩12分、甲東園駅より関 学行きの阪急バスがあります)
 http://www.kwansei.ac.jp/pr/pr_000374.html

 日時 2月18日(土) 13時〜15時(12時45分受付開始) 
 集合場所 関西学院大学図書館(時計台裏手)入口のエントランスホール
 http://www.kwansei.ac.jp/pr/images/0000017078.jpg(25番の建物が図書館です)
 参加費500円
 関西学院大学所蔵の東寺文書、および近世文書(灘の酒造関係の文書、その他)を見学します。

 お問い合わせは、関西学院大学図書館利用サービス課古文書室担当 羽田真也氏まで。 TEL:0798-54-6123、FAX:0798-51-0911