若者たちは吉野へ、老体は宇都宮・足利氏の遺跡を訪ねる。
No.9509
岩田プロジェクトによる昨日の吉野見学はとても充実したものだったようで、行けなかった私も嬉しい限りです。見学と共にメンバー間の親睦も図られたようで、何よりでした。 次の企画も如何?
岩田君、ドライバーお疲れ様でした。また、真鍋さんからはメールで無事帰着の御報告を頂きました。これまた、ありがとうございました。
私の方の調査旅行もなかなかよい結果が得られたと思います。
二泊三日の行程で、初日(6日)は、益子町の地蔵院阿弥陀寺を訪れました。地蔵院は宇都宮朝綱が造営した寺院で、宇都宮氏歴代の菩提所でもあります。本堂(阿弥陀堂)など中世に遡る建築物ものこるのですが、私の関心は浄土庭園の遺構と立地空間にあります。やはり、現地に立つことによつて理解できた点が多々ありました。
二日目(7日)は上三川町の満願寺。ここも浄土庭園の存在が想定されているところです。この寺の南方にある満福寺のご住職ご夫妻からお話をうかがうことが出来、資料も頂いて、ここも少なくとも宇都宮頼綱以前から宇都宮氏の拠点としていた空間であったことが判明したように思います。鬼怒川の水運との関連がポイントでしょう。
午後は壬生町に行き、上田の三日月山にある朝比奈義秀の墓と伝える五輪塔を調査し、これを管理している小林弘美氏宅にお邪魔して、お話をうかがい、また伝来の古文書を拝見させていただきました。小林氏のご先祖は、壬生城主の壬生氏(官務小槻氏を出自とする興味深い存在)の被官であったようです。
ここから西方城址を遠望したりしながら、足利市に向かい、足利義兼の造営した樺崎寺(法界寺)跡を見学。やはり立地に考えさせられるところが多くありました。それから、足利の市街地に向かい、鑁阿寺の境内や足利学校の周辺を歩きました。
三日目(8日)は足利義兼の妻(北条時政の娘)の墓のある法玄寺、ついで彼女の所生である足利義氏の墓のある法楽寺を回りました。これらも樺崎寺と似た空間構造をとっており、池庭の存在は間違いのないところだと思います。
ここから高速道路を経由して宇都宮の市街地に戻り、宇都宮氏が社家をつとめた二荒山神社、それにその居館のあった宇都宮城跡を見学しました。城跡は整備されていて、発掘調査で出土した遺物も展示されていました。
三日間の見学・調査で在地における宇都宮氏・足利氏の文化遺産に数多く触れることが出来、これまでに考えていたことを補強する上で傍証となる、様々な情報を得ることが出来ました。
岩田君、ドライバーお疲れ様でした。また、真鍋さんからはメールで無事帰着の御報告を頂きました。これまた、ありがとうございました。
私の方の調査旅行もなかなかよい結果が得られたと思います。
二泊三日の行程で、初日(6日)は、益子町の地蔵院阿弥陀寺を訪れました。地蔵院は宇都宮朝綱が造営した寺院で、宇都宮氏歴代の菩提所でもあります。本堂(阿弥陀堂)など中世に遡る建築物ものこるのですが、私の関心は浄土庭園の遺構と立地空間にあります。やはり、現地に立つことによつて理解できた点が多々ありました。
二日目(7日)は上三川町の満願寺。ここも浄土庭園の存在が想定されているところです。この寺の南方にある満福寺のご住職ご夫妻からお話をうかがうことが出来、資料も頂いて、ここも少なくとも宇都宮頼綱以前から宇都宮氏の拠点としていた空間であったことが判明したように思います。鬼怒川の水運との関連がポイントでしょう。
午後は壬生町に行き、上田の三日月山にある朝比奈義秀の墓と伝える五輪塔を調査し、これを管理している小林弘美氏宅にお邪魔して、お話をうかがい、また伝来の古文書を拝見させていただきました。小林氏のご先祖は、壬生城主の壬生氏(官務小槻氏を出自とする興味深い存在)の被官であったようです。
ここから西方城址を遠望したりしながら、足利市に向かい、足利義兼の造営した樺崎寺(法界寺)跡を見学。やはり立地に考えさせられるところが多くありました。それから、足利の市街地に向かい、鑁阿寺の境内や足利学校の周辺を歩きました。
三日目(8日)は足利義兼の妻(北条時政の娘)の墓のある法玄寺、ついで彼女の所生である足利義氏の墓のある法楽寺を回りました。これらも樺崎寺と似た空間構造をとっており、池庭の存在は間違いのないところだと思います。
ここから高速道路を経由して宇都宮の市街地に戻り、宇都宮氏が社家をつとめた二荒山神社、それにその居館のあった宇都宮城跡を見学しました。城跡は整備されていて、発掘調査で出土した遺物も展示されていました。
三日間の見学・調査で在地における宇都宮氏・足利氏の文化遺産に数多く触れることが出来、これまでに考えていたことを補強する上で傍証となる、様々な情報を得ることが出来ました。