日本古文書学会見学会のご案内

元木泰雄
No.9452

 すでにご案内しましたように、来る2月18日土曜日に、関西学院大学において、日本古文書学会見学会が開催されます。
 永島福太郎先生が蒐集された東寺文書、灘の酒造などに関する近世文書を拝見致します。
 なお、今回見学する東寺文書については、上島有先生のご紹介があります。
 上島先生の御著書『東寺・東寺文書の研究』(思文閣出版、1998年)第五部第一章「関西学院大学図書館蔵東寺文書について」です。是非ご参照ください。

 参加希望の方は、2月10日までに、下記までハガキでご連絡ください。
 〒606-8501 京都市左京区吉田二本松町 京都大学大学院人間・環境学研究科 元木研究室
 
 すでに、メール、口頭で参加をお伝えいただいた方も、再度ご確認をお願い致します。
 また、3月13日火曜日の京都府立総合資料館での見学会も参加を希望される方は、その旨も御書き添えください。  

節分ですね-次回の『吾妻鏡』-

No.9453

 昨日は途中退席させていただくこととなり失礼致しました。
 建仁元年の四月いっぱいまで読まれたそうですから、次回は五月からだそうですね。

 次回の『吾妻鏡』のご案内です。

 日時:2012年2月9日(木)午後3時~(予定)
 場所:京都女子大学L校舎 3階 共同研究室
 範囲:正治三年(建仁元年、1201)五月六日・十三日・十四日・十七日、六月一日・二日・二十八日・二十九日、七月六日、八月十一日・二十三日、九月七日・九日・十一日・十五日・十八日・二十日・二十二日、十月二日・六日、十一月十三日、十二月二日・三日・二十八日・二十九日の各条
    建仁二年(1202)正月十二日・十四日・二十八日・二十九日、二月二十日・二十九日、三月八日・十四日・十五日、四月二十七日、六月一日・二十五日・二十六日、八月二日・十五日・二十三日・二十四日・二十七日、九月十五日・二十一日、十月八日・二十九日、閏十月十三日・十五日、十一月二十一日、十二月十九日の各条

 木曜日の『吾妻鏡』講読会は、参加者のみなさんの自主的な積極性によって支えられております。
 昨今は、“ポップでライトな”歴史が流行っているようですが、そんなポップでライトで楽しげなイメージも、もとはといえば何らかの史料に依拠して形作られたはずです。そのもとの部分の史料に当たって事実関係をきちんと踏まえて整理するという作業に慣れておくことも、いろいろな角度から楽しむのに役立つかもしれません。
 ただ、そうすると今度は“ポップでライトな”歴史を楽しめなくなってしまうのかもしれませんが…

 基礎的な史料読解のニーズにも対応しておりますので、2012年、何か新しいことを始めてみようという方は、まずは見学からでも、どうぞお気軽にご参加ください。

紅旗征戎、吾事となる

No.9449

 京都もひどい寒さです。
 今日は元木先生から鹿ケ谷事件のお話が聴けたのに、うかがえずに残念なことをしました。

 以前「紅旗征戎、吾事に非ず」の心境 >>No.9378などと書いてしまいましたが、市民講座・カルチャーセンター等々、たくさんの御依頼を頂いている関係上、視聴しないわけにも行かなくなりました。
 近藤先生も、ぜひ御覧になって下さい。うかがいたいことが山ほどあるのです。

 為義については、各方面から、同情の声しきりです。私はけっこうプラス評価です。なにしろ、拙著『武門源氏の血脈』(中央公論新社)第一章のタイトルは「構想する為義-列島ネットワークの構築」ですから。

 それから、おそらく今年中には大阪の出版社から刊行される人物史のシリーズ(一人一冊のではありませんが)に、「源為義」は取り上げられることになっております。

 話は変わりますが、今夜の「SONGS」はよかったですね。私は未だにカセットテープで聴いております。20~30代の頃が懐かしい。

☆ 鹿児島経済大学在勤の時代に、組合で御一緒させていただいた経済学部教授の八尾信光先生から、新刊の御高著『21世紀の世界経済と日本 1950~2050年の長期展望と課題』(晃洋書房)を御恵送頂きました。
 世界経済は身近な問題になりつつあります。
 八尾先生に、あつく御礼を申し上げます。

 ☆ 青山学院大学の佐伯真一先生より、御懇書とともに御高論「梶原父子の栄光」(『銕仙』609)・「書評 佐倉由泰著『軍記物語の機構』」(『国語と国文学』89-1)を御恵送頂きました。
 佐伯先生にあつく御礼を申し上げます。

 このところ、御恵送に対する御礼が、この場ばかりになっており、非礼をお詫び申し上げる次第です。

「あなろぐ、あなろぐ」(「殿上闇討」の話)

No.9443

 御質問に答えて。
 『平家物語』「殿上の闇討の事」の話ですが、そもそも殿上でのことですから、「闇討ち」と言っても血を見るような行為は想定できません。
 これは忠盛が目をいからせながら携帯した刀をちらつかせたり、庭に屈強の郎等をひかえさせたりして、「武士ならではの名誉感情」を傷つけられるのを避けると同時に、武器の携帯を禁じている事に対しては銀箔を貼った木刀を使うなど、うまく立ち回ったのを鳥羽院に褒められたという話で、たんに「貴族対新興の武士」の図式で説明するような話ではないと思います。
 むしろ、武士独特の主従結合のあり方や忠盛のマッチョな側面が看取される逸話とみるべきでしょう。

 「伊勢の瓶子(平氏)は素甕(眇)なりけり」と囃されたのも、五節で雲上人が舞うときには、その形、有様を囃すのが恒例になっており、新参者に対する通過儀礼みたいなもので、貴族の座興と見るべきものでしょう。上級貴族である藤原季仲は蔵人頭(今でいえば官房長官)だったときに五節で舞ったところ、色黒なので「あなくろ、あなくろ、くろき頭かな。いかなる人のうるし(漆)ぬりけむ」と囃されたといいます。

 この時代にPCがあったなら、時代遅れの貴族は、姿形をコケにされた上に「アナログ、アナログ」などと囃し立てられたのでしょうか?

大河の新しい「殿上闇討」..

美川圭
No.9444

『平家物語』を改変して、新しい「殿上闇討」を創造しようとした意欲的な今回の大河でした(笑)。なにせ、藤原忠実が黒幕で、源為義に忠盛を暗殺させようとした「陰謀」でした。しかし、その「陰謀」よりにもよって、為義の馬鹿な家来が、忠盛の子の清盛と戯れていた?義朝のところへ言いに行って、あたりまえだが、ばれてしまう。しかも、為義も、殿上ではなく、地面らしきところを歩いている忠盛に切りつけて、何を血迷ったか、黒幕が忠実ということもばらしてしまう。しかも、よくわからないうちに、暗殺に失敗。そのときに、一部始終を見ていた清盛が、父の「王家の犬で終わらん」とかいう発言に、みょうに感激したらしい。ということで、かつての「松竹新喜劇」でも見ているようでした。ようわからんのは為義で、こういうお馬鹿キャラに描かれては、いくらなんでもかわいそうでした。まあ、今回も「とんでもドラマ」でした。こういう筋立てをまさか、まじめに考えているわけではないでしょうね。

僭越ながら・・・

近藤好和
No.9445

大河ドラマは一切見ていませんが、『平家物語』「殿上闇討」については、
佐伯真一「「殿上闇討」の語義」(水原一編『延慶本平家物語考証一』新典社、1992年)
近藤好和「「殿上闇討」の「刀」についての雑感」(水原一編『延慶本平家物語考証二』新典社、1993年)
という論文があります。ご参考までに。

源為義の評価について.

No.9446

 なるほど、殿上じゃなくて「地面上の闇討ち」でしたか?
 地面の上でも、閉鎖空間だったら、やっぱり相当にマズイでしょうに。

 それにしても、どうも、源為義が気の毒な役回りを負わされているようですね。

 今出ている本の中でも、為義を少しでもプラス評価しているのは拙著くらいなものなのでしょうか?

 近藤先生。論文の御教示ありがとうございます。 

「チュウチュウ」 「ニャーオ」「ぎゃー

No.9448

 「天井の闇討ち」だそうです。

 しかし、これは日本の伝統的家屋構造でなければ無理だ、と、ウチの老ネコが申しております。

Re: 「あなろぐ、あなろぐ」(「殿上闇討」...

佐伯真一
No.9451

近藤先生に名前を挙げて戴いているのに気づき、恐縮して、遅レスです。
拙稿は、野口先生が、このスレッド一番上に書いていらっしゃるようなことを書いているだけです。
「あな黒々」については、故・美濃部重克氏が、『貫首秘抄』を引いて考察された短い論文が、『中世伝承文学の諸相』(和泉書院1988年)に載っています。
大河ドラマの「闇討ち」、私も目を丸くしてみていましたが、まあ、「スガメ」をNHKでやるわけにはいかないでしょうね。解説を書こうとするだけで、いつも規制に引っかかって苦労しています。

「殿上闇討」→誠に遺憾に存じます。

No.9455

 J校舎の図書館に行って、近藤先生御紹介の『延慶本平家物語考証一』『同 二』を探したのですが、一しかなく、近藤先生の御高論は拝読できませんでした。

 一に収録されている佐伯先生の「寿永年間頼盛関東下向について」は、もうすぐ刊行される所属先の『研究紀要』に発表する拙論「北条時政の上洛」執筆の際に大変参考にさせて頂いたのですが、今回、再度この本を開いてみると、佐伯先生の御高論は、ほかに「「殿上闇討」の語義」のみならず、「三井寺炎上の実態について」、「「雪山の鳥」と維盛」、「副将の年齢とその母」「「悪別当経成」のこと」が収録されているのに気づき、おおいに勉強させて頂きました。

 それから、研究室に戻ってPCを開いたところ、佐伯先生のメッセージが書き込まれていて、何たる奇遇かと驚いた次第です。

 しかし、このごろは、『平家物語』の「殿上の闇討」のエピソードなど、ほとんど人口に膾炙しておらず、そのために、「天井」のジョークも冗談にならなかったようで、きわめて遺憾とせざるを得ないところであります。 

今日の産経新聞の読書面

No.9442

 本日(28日)の『産経新聞』朝刊の読書面に、拙著『武門源氏の血脈』の編集を担当して下さった中央公論新社の並木光晴さんが、「編集者お薦めの1冊」として拙著の紹介をしてくださいました。
 サイトにもアップされていますので、紹介させて頂きます。
  http://sankei.jp.msn.com/life/news/120128/bks12012808220000-n1.htm

 とても、うれしいアフターサービスに感激しています。
 最後のオチの部分は全くその通りです。本書に優れた面があったとしたら、編集者のすぐれた見識と著者に対する適切な後押しの賜物だと思います。
 ありがたいことでした。

 正月二十七日「実朝忌」

No.9441

 今日も京都は、ときどき小雪がちらついています。

 車を車検に出しました。年式の新しい代車を借りたのですが、やはり自分の車が一番よい。ただし、この経費の負担は大きい。それでなくても寒いのに。
 
 拙著『武門源氏の血脈』(中央公論新社)に対しては、諸方のみなさまから御感想を頂いており、ありがたく存じております。また、元木先生が『河内源氏』(中公新書)の「あとがき」で紹介して下さったためか、旧著『源氏と坂東武士』(吉川弘文館・歴史文化ライブラリー)も、あらためてお読み頂いているようで、うれしく思っております。さらに、『武家の棟梁源氏はなぜ滅んだのか』(新人物往来社)や『伝説の将軍 藤原秀郷』(吉川弘文館)も。
 後者については、秀郷流藤原氏を出自とする西行がらみでしょうか?
 波及効果による相乗効果とでも、申すべきものか。

 ☆ 東京大学史料編纂所の本郷恵子先生より、新刊の御高著『蕩尽する中世』(新潮選書)を御恵送頂きました。
 第四章のタイトルは「御家人千葉氏を支える人々」。
  本郷先生に、あつく御礼を申し上げます。

   お寒うございます。

No.9439

 本年度のゼミ『吾妻鏡』講読会のうち、木曜日のⅢ講時に行っていた文治元年条については、本日で打ち止めということになりました。最後に、大分県御出身の高橋さんに臼杵惟隆や緒方惟栄の出てくる条を読んで頂けたのは、佳き廻り合わせだったと思います。
 新年度に継続ということになれば、屋島合戦のあたりからということになりますね。
 内乱期の鎮西や四国の情勢についても、追究の余地は多大だと思います。

 京都アスニーから出講の御依頼を頂きました。6月8日(金)の予定で、
   テーマは「源氏と平家~武士社会の夜明け~<仮題>」。

 こまかい話よりも、こういうひろい内容の方が、わかりやすい話が出来るかも知れません。
 なお、新年度の講演予定については、↓を御覧頂ければ幸いです。
           http://donkun.ath.cx/~sion/presence/

 それにしても、深刻な寒さですね。耄碌の身には酷くこたえます。

 それから、倉吉のお土産、ありがとうございました。

非寒冷地仕様です-次回の『吾妻鏡』-

No.9440

 寒くてしかも乾燥しているというのはなかなかつらいですね。そろそろ年度末が見えてくるこの時期、みなさまどうぞお大事にお過ごし下さい。

 次回の『吾妻鏡』のご案内です。

 日時:2012年2月2日(木)午後3時~(予定)
 場所:京都女子大学L校舎 3階 共同研究室
 範囲:正治三年(建仁元年、1201)二月五日、三月四日・十日・十二日・二十四日、四月二日・三日・六日、五月六日・十三日・十四日・十七日、六月一日・二日・二十八日・二十九日、七月六日、八月十一日・二十三日、九月七日・九日・十一日・十五日・十八日・二十日・二十二日、十月二日・六日、十一月十三日、十二月二日・三日・二十八日・二十九日の各条
    建仁二年(1202)正月十二日・十四日・二十八日・二十九日、二月二十日・二十九日、三月八日・十四日・十五日、四月二十七日、六月一日・二十五日・二十六日、八月二日・十五日・二十三日・二十四日・二十七日、九月十五日・二十一日、十月八日・二十九日、閏十月十三日・十五日、十一月二十一日、十二月十九日の各条

 木曜日の『吾妻鏡』講読会は、参加者のみなさんの自主的な積極性によって支えられております。
 昨今は、“ポップでライトな”歴史が流行っているようですが、そんなポップでライトで楽しげなイメージも、もとはといえば何らかの史料に依拠して形作られたはずです。そのもとの部分の史料に当たって事実関係をきちんと踏まえて整理するという作業に慣れておくことも、いろいろな角度から楽しむのに役立つかもしれません。
 ただ、そうすると今度は“ポップでライトな”歴史を楽しめなくなってしまうのかもしれませんが…

 基礎的な史料読解のニーズにも対応しておりますので、2012年、何か新しいことを始めてみようという方は、まずは見学からでも、どうぞお気軽にご参加ください。

雪景色の関東から、結婚の知らせが届く

No.9420

 前任大学のゼミ生(当ゼミ古参メンバーは、よく御存知の方)から、御結婚のお知らせを頂きました。
 おめでとうございます。

 今日はキャンパスプラザの今年度最後の講義。「義経論」でしめました。
 今年度の受講生は少なかったのですが、とても積極的に参加してくれましたので、お伝えすべきことは伝えることが出来たように思います。

 年度末が近いので、いろいろな事務仕事をもてあまし気味なのですが、その一方、『源義家』の書き加えに取り組んでいます。しかし、先ほど月末締切の校正が届いたので、そちらを優先ということに話が変わりました。

 清盛関連本は、ようやく売れ行きが鈍ってきたようですね。しかし、(清盛関連本の範疇には入れたくありませんが)元木先生の『河内源氏』(中公新書)は勢い衰えず。スゴイと思います。

 ☆ 名古屋学院大学の早川厚一先生、青山学院大学の佐伯真一先生の御連名で、早川厚一・佐伯真一・生形貴重校注『四部合戦状本平家物語全釈 巻十』(和泉書院)を御恵送頂きました。
 『平家物語』を史料として活用しようとする際、重宝すること必定。
 巻末の「藤戸合戦関連地図」はうれしい。
 早川・佐伯両先生に、あつく御礼を申し上げます。 

美川圭先生による清盛・平家論

No.9419

 現在、『京都民報』に「清盛・平家とその時代」というシリーズが連載されています。その第1章は美川圭先生の御担当で、1月15日付紙面には「平安時代末期の京都-平清盛の育った都市-」、昨日22日付には「院政とは何か」が掲載されています。新聞の連載とはいえ、最新の研究成果を踏まえたもので、写真・地図・系図も付されてわかりやすく、要を得た読み応えのある内容です。

 ☆ 神戸大学の樋口健太郎先生より、御高論「藤氏長者宣下の再検討」(『古代文化』63-3)および、分担執筆された『高砂市史』第一巻・『香寺町史 村の歴史・通史編』の御執筆部分の抜刷などを御恵送頂きました。
 樋口先生に、あつく御礼を申し上げます。

『日記で読む日本中世史』3刷へ

No.9418

 現在、京都文化博物館で、「古文書・古典籍の世界」という展覧会が開かれており、(財)古代学協会が所蔵している古文書・古記録・古典籍などの文献史料が展示されています。
 平安文学研究者垂涎の重要文化財『大島本源氏物語』や南北朝時代の『紫式部日記絵巻断簡』が人気を集めているようですが、当ゼミ関係の方々には、建久3年(1192)の「後白河法皇院宣」や藤原定家筆『明月記断簡』(建保元年正月16日条)、「北白河院陳子自筆消息」(寛喜3年)、『魚魯愚抄』などが興味を引くのではないでしょうか。
 一見に如かず。会期は2月19日まで。

 先に、元木泰雄・松薗斉編『日記で読む日本中世史』(ミネルヴァ書房)の重版をお知らせ致しましたが、売れ行き好調のため、さらに三刷が決まったとのことです。やはり、充実した内容の本は売れる。

 そういえば、元木プロジェクト(>>No.7823)第一弾の原稿締め切り日がせまっておりますね。御執筆の先生方、頑張ってください。(藪蛇ですが)

源義朝って、どんな顔してたんですか?

No.9413

 今日はとても寒い。研究室で書類を作って提出してきたのですが、後で間違いのあることに気がつき、メールで訂正ということになりました。相変わらず耄碌進行中。
 
 ところで、また御質問を頂きました。「源義朝はどんな顔をしていたのか」というのです。これはわかりません。
 ただ、甲府善光寺の頼朝像が、頼朝の面影をかなり正確に伝えていそうなので、頼朝が父に似ていたなら、こんな顔だったのでしょうか。
 描かれたものとしては、『平治物語絵巻』にありましたね。でも、これは後世の作品ですから、作者のイメージに基づいたものでしょう。そうそう、拙著『源氏と坂東武士』(吉川弘文館、歴史文化ライブラリー)の表紙の絵です。

 平清盛については六波羅蜜寺にある坐像が有名ですが、『平治物語絵巻』にも六波羅合戦の場面に描かれています。これは、樋口州男・鈴木彰・野口華世『図説 平清盛』(ふくろうの本、河出書房新社)の表紙に使われています。