柳原敏昭『中世日本の周縁と東アジア』刊行
No.7982
東北大学の柳原敏昭先生より、新刊の論文集『中世日本の周縁と東アジア』(吉川弘文館)を御恵送頂きました。以前から準備をされていたことは伺っていたのですが、ついに刊行の運びとなり、嬉しい限りです。そして、御恵送ありがとうございました。
私が鹿児島経済大学社会学部に赴任したのは1989年。柳原先生は、その翌年に鹿児島大学法文学部に赴任して来られました。鹿児島で柳原先生に出会えたことは、私の研究人生においてまさに僥倖ともいうべきものでした。柳原先生は私よりちょうど一回りお若い。でも学問の世界では明らかに「学兄」と呼ぶに相応しい存在です。
鹿児島大学御在任中の御活躍はまさに獅子奮迅というべきもので、とくに鹿児島を500年に一度という豪雨が襲った直後に開催された1993年の中世史サマーセミナーの開催に向けての名采配は未だに語り種になっています。
前任の五味克夫先生が着実に積み上げてこられた南九州の中世史料に関する研究を踏まえて、まさに南からの日本中世史を立ち上げられました。その成果が一書にまとめられたことは、同慶にたえません。研究者としての矜持と責任感にもとづいた配慮が随所にみられる、柳原先生らしさの溢れる論文集だと思います。
【内容】
鹿児島県万之瀬川下流域は、中世日本の南の周縁に生まれた一大交易拠点だった。地域の様相に復原し、領主や国家との関係を再検討。東アジア規模で広がる人・物の流れを明らかにする。地域史研究の新たな可能性の提起。
【目次】
第1部 南の周縁=万之瀬川下流地域のすがた(中世前期南薩摩の港・川・道/中世万之瀬川下流地域の様相について─近世絵図を手がかりとして)/第2部 南九州の港と唐坊(中世前期南九州の港と宋人居留地に関する一試論/唐坊再論/中世前期坊津像の形成と普及)/第3部 万之瀬川下流地域の領主たち(薩摩国阿多郡地頭鮫島氏系譜考/二階堂氏の所領と海上交通)/第4部 国家周縁地域の比較史(中世日本の北と南/東北と琉球弧─島尾敏雄「ヤポネシア論」の視界/モンゴル襲来と近代の地域社会─十五年戦争期の鹿児島県を事例として)
私が鹿児島経済大学社会学部に赴任したのは1989年。柳原先生は、その翌年に鹿児島大学法文学部に赴任して来られました。鹿児島で柳原先生に出会えたことは、私の研究人生においてまさに僥倖ともいうべきものでした。柳原先生は私よりちょうど一回りお若い。でも学問の世界では明らかに「学兄」と呼ぶに相応しい存在です。
鹿児島大学御在任中の御活躍はまさに獅子奮迅というべきもので、とくに鹿児島を500年に一度という豪雨が襲った直後に開催された1993年の中世史サマーセミナーの開催に向けての名采配は未だに語り種になっています。
前任の五味克夫先生が着実に積み上げてこられた南九州の中世史料に関する研究を踏まえて、まさに南からの日本中世史を立ち上げられました。その成果が一書にまとめられたことは、同慶にたえません。研究者としての矜持と責任感にもとづいた配慮が随所にみられる、柳原先生らしさの溢れる論文集だと思います。
【内容】
鹿児島県万之瀬川下流域は、中世日本の南の周縁に生まれた一大交易拠点だった。地域の様相に復原し、領主や国家との関係を再検討。東アジア規模で広がる人・物の流れを明らかにする。地域史研究の新たな可能性の提起。
【目次】
第1部 南の周縁=万之瀬川下流地域のすがた(中世前期南薩摩の港・川・道/中世万之瀬川下流地域の様相について─近世絵図を手がかりとして)/第2部 南九州の港と唐坊(中世前期南九州の港と宋人居留地に関する一試論/唐坊再論/中世前期坊津像の形成と普及)/第3部 万之瀬川下流地域の領主たち(薩摩国阿多郡地頭鮫島氏系譜考/二階堂氏の所領と海上交通)/第4部 国家周縁地域の比較史(中世日本の北と南/東北と琉球弧─島尾敏雄「ヤポネシア論」の視界/モンゴル襲来と近代の地域社会─十五年戦争期の鹿児島県を事例として)