センター試験と源為義、そしてガラパゴス

No.7959

 お寒うございます。宇治の山々にも雪がちらついております。

 大学センター試験の国語に『保元物語』が出題されたとのこと。今朝の新聞で確かめてみたら、親切なことに為義を義家の子とした源氏の系図まで掲げられておりました。

 通説によれば、為義の実父は義家の子の義親だが、義家の養子となって河内源氏の嫡流を継いだということになっています。ところが、最近、やはり義家の実子だという説が米沢女子短大の佐々木紀一先生から提出されていて(「源義忠の暗殺と源義光」『山形県立米沢女子短期大学紀要』45)、これは説得力があるように思います。

 ちなみに、通説を確認しようと『平安時代史事典』を広げてみたら、「源為義」の項目の執筆者は私のとてもよく知った人物でした。ただし、インターネット上の情報よりは、正確だと思います。

 そのインターネット上の情報ですが、歴史上の人物の解説などに、時として小説を拠り所に書いたと思われるものがあります。歴史学あるいは歴史教育の立場からすると、こんなことが平気で行われるのは大問題です。

 大河ドラマのストーリーの方が、研究者の共通理解よりも通説化してしまうというのも困ったものだと思っていたのですが、どうもそれは日本文化のガラパゴス的現象によるものらしい。昨日の『朝日新聞』に、日本文学研究者のキース・ビンセントさんが「アメリカでは、フィクションとドキュメンタリーには厳然とした区別があって、架空の物語を事実と装って出版すれば、それだけで社会的な非難を浴びます」と書いています。オタク文化が栄えるのも、このような文脈上に理解されるとのこと。なんだか、すこし分かったような気が致しました。
 いずれにしても、日本で歴史学をやるのは大変なことのようです。

 本日、バーゲンセールを狙って久しぶりにズボンを買いに出掛け、またしてもウェストサイズの拡大を確認して参りました。これは大問題!。
 まったく、緊縮財政下の「太っ腹」ではサマになりません。

甘葛煎の復元報告

No.7955

 奈良女子大学の前川佳代です。
 野口先生、甘葛煎復元成功の報告をしていただき、ありがとうございました。

 今回で奈良女のツタを使用してしまうと次に復元するのは20年後くらいになるというプレッシャーの中、奈良で甘葛煎を作るのが夢で年齢的にこれが最後の復元と覚悟された石橋顕先生のご指導を受けて、採取した5本のツタから460ccの樹液(これが芋粥を煮る時に使う味煎(みせん))を吹き出し、糖度75度を目標に煮詰め、史料にみる「箸にかけると糸を引く」状態で復元終了となりました。

 大変な労力でたったの50cc強と思われるかもしれませんが、樹液が460ccも集まり、煮詰めたら糖度が75度になったということだけでも感動でした。
 初めての、甘葛煎、おそらく日本でも数百人くらいしか味わったことのないお味は、非常に甘く、口の中ですぐにその甘さがなくなる「はかない」もので、これが「あてなるもの」と表現されたお味かと本当に感動しました。義経もきっと味わったに違いないと別の感慨も加わって・・・
 参加者の中にはその存在を知っていたけれど、一生味わえないと思っていたとおっしゃる奈良食文化研究会の方もおいででした。
 採取してから構内のラウンジで樹液採取を行ったため、余計な外皮やゴミを取り除くことができたので、薄い琥珀色の大変上質な甘葛煎となりました。
 またその前日の報告会も盛況で院生たちは菓子の歴史を塗り替える報告をしてくれました。

 この掲示板を見て参加してくださった方もいらっしゃいました。皆様のおかげで成功できました。本当にありがとうございました。
 急ぎご報告とお礼まで。
 なお、甘葛煎に関する資料は大学にございますので、ご興味ある方は前川までご一報くださいませ。

Re: 甘葛煎の復元報告

No.7956

前回の書き込みから、結果がどうなったのか大変気になっていました。
文章だけでも、甘さが伝わってきました。バレンタインのチョコとは違う、歴史的な重みのある甘さですね。

>「Web情報実習」で高校生向けのHPを作成中です。
とありましたが、本物の高校生に評価させたりというのをお考えでしょうか?

甘葛煎は義経のような味。

No.7958

 前川先生によると、甘葛煎の味は、
   一口なめると濃厚な甘さが一瞬のうちに口に広がり、消える。
  「はかない」ものでした。日本人好みなんでしょうね・・・
そして、
   大好きな義経にたとえて、義経のような味。
  奥州藤原氏のような一瞬の栄華を極めた味といってもいいでしょう!
とのことでした。
 ちなみに、この実験については新聞各紙も報じております。
  http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/nara/news/20110114-OYT8T01107.htm
  http://www.nara-np.co.jp/20110114094907.html

 ところで、昨日で今年度金曜日の『吾妻鏡』の講読会は終了。
 出席の粟村さん・尾田さん・井草さんから和洋取り混ぜた美味しいお土産を頂きました。
 こういうときに、折良くやってくるのが長村君です。みんなでヨシトモ談義に花を咲かせました。

 ☆ 神奈川県立金沢文庫の西岡芳文先生より、御高論「富士山をめぐる中世の信仰」(『興風』22号)を御恵送頂きました。
 西岡先生にあつく御礼を申し上げます。

甲斐源氏・木曾義仲と鎌倉幕府の成立

No.7954

 昨秋、山梨県立博物館で開催された甲斐源氏をテーマにしたシンポジウムに参加させて頂いたことを契機にして、鎌倉幕府成立過程における甲斐源氏をどのように評価すべきか考えています。

 安田義定については、以前、「稲荷社を造営した二人の東国武士」(『朱』第43号、伏見稲荷大社、2000年)で触れたことがあるのですが、そこでは義定の武士社会におけるステイタスの高さや頼朝に対する独立性を主張しました。

 彦由一太氏の研究でも、甲斐源氏の独立性と軍事的役割の大きさが評価されているのですが、最近、私は、頼朝の作り上げた政権について、その画期性を従来のようには評価できなくなり、その一方で、『玉葉』などをよく読んでみると、東国叛乱勢力の中で頼朝の存在がきわめて高く評価されていることに気がついて、いささか混乱するところがありました。彦由氏の研究からは学ぶべき所が多いのですが、甲斐源氏と頼朝を同等の政治勢力としてに捉えるような見方には違和感を感じてしまうのです。

 今日は、関連する先行研究を読んでいたのですが、松井茂氏の「源頼朝と甲斐源氏」(『文化』第42巻第1・2号、1978年)を読んで大いに腑に落ちるところがありました。当然、以前読んでいるはずなのですが、その時には納得できなかったのだと思います。
 最近、私は各地に挙兵した勢力の中で頼朝が一頭地を抜いた存在であったことを「「東国武士」の実像」(高橋修編『実像の中世武士団』 高志書院)の中で述べたのですが、それを補強してくれるような内容でした。松井先生に感謝です。

  結局、彦由氏の説も踏まえつつ、最近の政治史研究の成果に基づいて、それを相対化するという形で、私の甲斐源氏にたいする認識は落ち着きそうですが、それは木曾義仲や源行家の評価、ひいては鎌倉幕府論にも関わる問題だと思います。目下、「木曾義仲論」の最前線にいる長村君などの御意見をうかがいたいものです。

 昨日頂いた髙橋昌明先生からのお手紙によると、最近の武士論研究は在地武士団の見直し、再構築に議論が向けられているようですが、そうした研究が進行する中で、上記のような問題についても、新しい見解が示されるようになるものと期待したいところです。
  いろいろ御教示いただければ幸いです。

 【追記】 本日、朝日放送の18時台のニュースで、先日奈良女子大の前川佳代先生が紹介して下さった(>>No.7925)イベントの様子が放映されました。
  http://www.nara-wu.ac.jp/news/H22news/110112.pdf
 実験は大成功だったようで、甘葛煎はとても美味しそうでした。 

 『紫苑』第9号の原稿集まる。

No.7953

 昨日は『吾妻鏡』、本日は『小右記』。ゼミの講読会が再開されました。昨日は久しぶりに小野さんが参加。お土産にたね屋のカステラを頂きました。『紫苑』第9号原稿の締め切り日でしたので、ちょうどやって来られた大谷さんも加わって、御馳走になりました。

 その『紫苑』ですが、メインとなる論文・研究ノートの原稿以下、すべて集まりました。今号は国文2編(ともに『平家物語』関連)と史学2編(ともに鎌倉時代政治史関連)の4編を中心に構成されます。乞うご期待!
 編集長の山本さんの御尽力により、本日、見積もりの依頼書を事務方に提出することが出来ました。 
 おりしも、先代の編集長である江波さんから、Eメールにて、広島から修士論文提出の報告が届きました。お疲れ様でした。

 みなさん御立派!。一方、この私はと言えば、先月締切の原稿をいつ出すつもりだという督促(叱責)のEメールを編集者の方から頂いて、すっかり落ち込んでしまっております。

 ☆ 髙橋昌明先生より、御高論「比較武人政権論」(荒野泰典ほか編『日本の対外関係3 通交・通商圏の拡大』吉川弘文館)を御恵送頂きました。
 髙橋先生に、あつく御礼を申し上げます。
 ただ、私には「平家の六波羅幕府」というのが、どうしてもしっくりいきません。

進取の精神、学の独立

No.7951

 昨日は大河ドラマは見ませんでしたが、昼にラグビーをテレビ観戦しました。そこでインパクトを得たのは試合そのものよりも、試合開始前に歌われた早稲田大学の校歌。「学の独立」というフレーズに、あらためて感動を覚えた次第です。「大学」にとっては当たり前のことなのですが。

 年末年始に執筆する予定の2本の原稿のうち、ようやく1本を脱稿し、添付ファイルで送信致しました。これは科研がらみなので優先しました。もう1本の原稿は、元木先生や近藤先生もお書きになる論文集のものです。両先生は、きっともう提出されてしまったことでしょう。設計図は出来ているので即着工いたします。
 さて、昨年末に届いた原稿依頼への回答をどうするか、ここが思案のしどころです。

 明日は今年に入って初めての授業とゼミ。  
 キャンパスプラザⅡ講時の授業は「源義経論」(その一)。
 『吾妻鏡』講読のゼミは15時開始ですが、同じ時刻が『紫苑』の原稿の締切ですから、関係者は少しお早めにお出で下さって構いません。

 現代社会学部卒論指導対象の諸姉には、本日、アドバイスの最終便をお送りするつもりです。

すでに来年まで360日を切ってしまった。

No.7949

 そろそろ私立の学校では、新年度に向けて教員の採用面接が始まったようです。
 22年前の正月6日、採用委員会の先生方と面接するために初めて鹿児島の地に降り立ったことを思い出します。翌日、年号が変わりました。その後、学長面接は東京のホテルで。
 当時、京都に住んでいた私にとっては、西へ東へと、なかなかスケールの大きな面接でした。

 年末年始に論文を2本仕上げる予定でおりましたが、未だに1本目の途中にて停滞中です。これは、ひとえに「国外逃亡」を妄想した結果といえましょう。
 そのような私に引きかえ、こちらが原稿を依頼した若い方々からは、執筆完了のお知らせが続々と届いています。頼もしい限りです。

 本日(8日)は、鈴木君御夫妻がPCのメンテナンスに来て下さいました。新しい機能を加え、また一太郎の編集技術も教えて頂きました。多謝!!

京都女子大学は明日から講義再開です。

No.7948

 今日は大学に、今年の初出勤。書類を書いたり、日程の調整をしたりしていたら、もう4時を過ぎてしまいました。仕事が先に進まなくなったので、今思っていることをちょっと記してみたいと思います。

 年賀状というのはよいものである。少年時代に模型作りや切手の蒐集を教えてもらった近所のお兄さんや、園児~児童~生徒~学生時代の友達、高校教員時代の教え子、各地の職場で世話になった同僚たち、大学教員になってからの教え子等々から、多くは年に一度きりの消息である。年賀状のおかけで繋がっていられる。
 私は今年で還暦なので、同学年の友人には3月末で退職する人が多い。私など定年後の人生は真っ暗闇なのだろうが、友人たちは、南国に引っ越してしばらく静養するだとか、県の外郭団体に再就職とか、みんな上手に生きているらしい。
 世間一般ではどうでもよいことかも知れないが、御同業の諸賢にとっては大ニュースも飛び込んでくる。今年のトップは、大手出版社の編集者からもたらされた、1960年代に日本中世史学会で大活躍し、将来を嘱望されていながら学界から忽然と姿を消した研究者が御存命であったという情報である。一方、都内某研究機関に所属する著名な先生からの年賀状には、「年末に執筆したブログに『野口さん』のことを書きました。失礼!」というのもあった。
 年賀状は短い期間に大量に書くものだから大変なのだが、一度出し忘れると、それで縁が切れてしまうことになる場合が多い。縁は人を助けるものである。一瞬の面倒が人生を大きく分けることになるかも知れない。

 謹賀新年   HAPPY NEW YEAR

No.7942

 あらためまして、明けましておめでとうございます。

 年賀状や年賀メールをありがとうございました。略儀ながら、この場を借りて御礼を申し上げます。
 それにしても、年賀状には貴重な情報が満載です。

 当ゼミの今年。就職する人、進級や進学する人、卒論や修論を書く人、博士になる人、大学の教壇に立つ人。結婚する予定の人は今のところおられないようですが(知らぬは私ばかりなのかも?)、様々な一年を送られることと思います。
 みなさんは若いので、決して焦る必要はありませんが、健康にだけは気を付けて充実した毎日をお過ごし下さい。

 今、卒論の草稿に対するコメントを、私が卒論指導を担当している現社4回生に送信している途中です。あとは自力救済。最後の一踏ん張り、頑張ってください。結構、面白くなっているのかも知れませんね。

 『紫苑』執筆の方たちは、そろそろ脱稿の段階でしょうか。11日の締切後、即、印刷経費の見積もりを事務方にお願いしなければなりませんので、宜しくお願い致します。

 ☆ 國學院大学の千々和到先生より、御高論「思いもかけぬめぐりあい-中村直勝旧蔵の牛玉宝印-」掲載の『國學院雑誌』第111巻第10号を御恵送頂きました。
 中村直勝氏はかつて本学の教壇に立たれていたことのある古文書学の泰斗です。昨夏の古文書学会の見学会の際、千々和先生から、このことに関してお話をうかがう機会があり、今回わざわざお送り頂きました。
 千々和先生にあつく御礼を申し上げます。

今年一年のお礼

No.7939

 宇治はすっかり雪景色になっております。
 もう、大晦日とは。まったく実感が湧きません。卒論指導の諸姉にもコメントをお送りしなければならないのですが、自分の論文がちっとも進んでおらず、指導などおこがましい限りに思えてしまいます。
 とはいえ、卒論や『紫苑』の原稿の追い込みで年末年始返上の皆さん、頑張ってください。

 今年も多くの方々のお世話になりました。ゼミの運営では、『吾妻鏡』講読会は岩田君、『小右記』講読会は大谷さんがリードしてくれました。『紫苑』の編集や細々とした雑務は山本さんがしっかりと引き受けてくれました。例会で御報告をして下さった方、そしてコンスタントに講読会に参加してくれた諸姉兄にも、御礼を申し上げたいと思います。

 共同研究では、調査や講演で訪れた各地(岡山県岡山市・総社市、茨城県鹿島市、千葉県成田市・千葉市・佐倉市、静岡県磐田市・森町、神奈川県秦野市、徳島県阿南市、山梨県笛吹市)で多くの方のお世話になりました。ありがとうございました。

 担当した授業では、現代社会学部の前期「基礎演習Ⅰ」のメンバーが皆よくやってくれました。これからの成長が楽しみです。いつまでも結束を保って欲しいと思います。

 ☆ 昨年三月、中央大学より学位を授与された日本学術振興会特別研究員の赤澤春彦先生より、新刊の御高著『鎌倉期官人陰陽師の研究』(吉川弘文館)ならびに御編著の『陰陽道史料目録-院政期~鎌倉期篇-』(日本史史料研究会)・『同 索引・参考資料』(同)を御恵送頂きました。
 当ゼミにおいて、鎌倉幕府の文士を研究テーマの一つに掲げている山本さんや、権門家の家産機構として幕府機関を捉えようとしている岩田君にとって大いに有益な内容です。一緒に学ばせて頂きたいと思います。
 赤澤先生にあつく御礼を申し上げます。

 【追記】 宇治の雪はだいぶ小降りになってきました。
      そんな中、郵便屋さんが今年最後の配達。ご苦労様です。

 ☆ 大阪大学の平雅行先生から、御高論「中世仏教における呪術性と合理性」(『国立歴史民俗博物館研究報告』第157集)・「建永の法難と『教行信証』後序」(『真宗教学研究』第31号)・「鎌倉中期における鎌倉真言派の僧侶-良瑜・光宝・実賢-」(『待兼山論叢』第43号史学篇)ならびに『朝日新聞』に連載された「時代を生きる 法然・親鸞と今」のコピーを御恵送頂きました。
 何れも学ぶこと多大。じっくり拝読させて頂きたいと存じます。
 平先生とは、元木泰雄先生の御縁を得て、今年からある仕事を御一緒させて頂くことになりました。奇しくも来年は、ともに還暦を迎えます。
 平先生にあつく御礼を申し上げます。 

Re: 今年一年のお礼

元木泰雄
No.7940

野口先生、野口ゼミの皆さん、今年はお世話になりました。
まさにあっという間の一年でした。しかし、仕事ははかどらず、処理能力も気力も大幅減退で、情けない限りです。野口先生も来年は還暦をお迎えになるとのこと、思えばその三年後には当方も還暦になるはずですが・・・・

 今年前半は、学務重畳の上に神戸市史の刊行で追いまくられ、二回肺炎、さらに初体験の入院まで経験する始末でした。もっとも入院といっても検査目的、結果は大事には至らずということで、やれやれでした。
 とはいえ、その後も学内の繁忙に追いまくられ、体力、気力の衰えは覆いがたいものがありました。人生の残り時間ばかり気になる毎日です(だから酒で紛らわせている?そうかもしれませんね)。野口先生、平先生とのお仕事、ご迷惑をかけなければいいのですが。
 いやいや暗くなってばかりはいられませんね。
 お約束した今年後半の旅行をご報告します。すでに書き込ませていただいた濃尾旅行のあと、9月初めに金沢大学の集中講義、同下旬に松山での古文書学会大会とインパクトの強い体験が目白押しでした。
 金沢では金沢大の平瀬先生にお世話になりました。熱心にあちこちご案内いただき、大変勉強になりました。ただ、史跡の位置を間違えて、炎天下に30分歩かされ、日焼けで真っ黒になってしまったのはご愛嬌でしょうか(笑)。
 受講した学生諸君の熱心さ、優秀さも特筆できると思います。それにしても、金沢の中心からタクシーで3500円もかかるキャンパスは、たしかに広大ではあるのですが、通学も不便で、バイトも楽ではなく本当に気の毒です。
 金沢で忘れられないのは肴のうまさ。どうしてもそんな話にゆきますな(笑)。平瀬先生おすすめの「いたる」のあじの刺身は絶品。また学生諸君とのコンパで行った居酒屋の能登豚の照り焼きは風味豊かでした。
 それに、金沢城・兼六園を中心とした、歴史に根差した熱心なまちづくりも印象に残りました。日本人は歴史が好きであり、そこに誇りとアイデンティティーの基盤があると思わざるを得ません。正しく、わかりやすい歴史学の重要性を痛感させられます。
 古文書学会大会が行われた松山も、松山城二の丸、三の丸の復元も進み、以前に増して歴史が重視されている様子がうかがわれました。道後の湯築城跡も素晴らしい歴史公園として整備されております。
 今回の古文書学会大会は、道後温泉のにぎたづ会館で開催され、松山大学の山内譲先生のお世話になりました。先生は県立西條高校の校長先生をお勤めになったのですが、昨年西條高校はエース秋山を擁して、春夏の甲子園に出場しております。しかも、その時の野球部長が、3日目に訪問した忽那文書も所有者、忽那家の御当主とのこと。御当主にかわって文書見学会に立ち会われたご尊父の携帯の着メロが「六甲おろし」でした。
 富田正弘先生の古文書学の分類に関する刺激的なご講演、そして山内先生の忽那文書の全貌をわかりやすく紹介されたご講演をうかがい、大変勉強になりました。その晩、懇親会後の二次会は、山内先生ごひいきのバー「やまうち」。別に先生がオーナーというわけではないそうです(笑)。村井章介、漆原徹、美川圭、松本一夫の諸先生と遅くまで談笑の機会を得ました。
 今回の大会では、関西の若手研究者諸君が、運営委員として活躍されました。古文書学会の担い手として、ますますの健闘を期待したいと思います。二日目の晩の鯛そうめん、三日目の忽那文書見学に赴いた中島までの瀬戸内海クルーズなど、思い出は尽きません。そして、南北朝時代を中心とした忽那文書の迫力は、さすがでした。

 11月には上横手先生の叙勲もあり、明るい話題で終わった今年ではありました。
 でも依然として続く会議攻めには閉口させられます。ちなみに12月16日には、11時から会議、13時から授業、14時50分から教務委員会(委員長をさせられています)、17時から人事に関する委員会が連続し、終わったら21時。心身ともに摩耗です。
 来年はこんな生活に別れを告げて、お引き受けした原稿を書きたいものです。
 でもこれだけ消耗すると、加齢と相まって元には戻らないことと思います。その際にはいろいろご迷惑をおかけすると思います。何卒よろしくお願い申し上げます。

 学務をこなし、若手の育成を行いながら、きちんとした実証に基づく研究を進めることが、我々の世代の研究者の責務と思います。それを実践しておられる野口先生を追いかけながら、当方も少しは頑張りたいと思います。
 今年は本当に有難うございました。
 来年も何卒よろしくお願い申し上げます。
 2011年が、良い年になりますようにお祈りいたしております。    

あけましておめでとうございます。

No.7941

 締切の過ぎた原稿を「二年越しで」執筆していたら新年を迎えてしまいました。この論文も、元木先生の御研究に依拠するところ多大です。
 元木先生、そして元木研究室の皆様。こちらこそ本年もどうぞ宜しくお願い申しあげます。

 還暦を迎えますので、生まれ変わった気持ちで何か新しいことにチャレンジしたいと思っているのですが、当面は原稿執筆、それに卒論指導です。それが済んだら、来年度のシラバスを書き、続いて期末試験に入学試験。それからまた締切の過ぎた原稿にとりかかる・・・。
 ・・・やはり、なかなか新しいことにチャレンジするのは難しそうですね。そういえば、昨年の末にまた原稿依頼が届いていたのでした。
 やはり国外逃亡でしょうか?

 余裕なきところに陥穽あり

No.7929

 年末ということで、帰省や旅行のために宅急便を利用する方も多いと思います。
 昨日、こんなことがありました。インターネット利用の宅急便のメンバーに入っているので、ネットで集荷を依頼しました。するとすぐに確認メールが届いたので、安心して待っていたのですが、指定した時間を過ぎても取りに来てくれません。電話で問い合わせをしようにもずっとお話中。以前は遅くなる場合は電話をくれたのですが、それもなし。ついに夜になっても取りに来てくれませんし、何の連絡もありませんでした。
 再度、メールで本日の集荷を依頼して、ようやく取りに来てくれたのですが、こんな事態も発生することがありますので、どうかお気を付け下さい。以前、鹿児島に住んでいたとき、別の運送会社でしたが、配送がひどく遅延して鹿児島に到着した人が、そこからさらに旅行するための荷物が間に合わなくなりそうになったことがありましたが(もちろん、その頃はインターネットでの依頼ではありません)、今回は「集荷」で、しかも確認メールまで送った上でのトラブルですから、ちょっと問題ではあります。
 本日集荷に来た人に直接責任はないと思うので、あまり追及はしませんでしたが、こういうこともありますから、諸事余裕を持って行うことが肝要だと、とくに卒論提出を控えている諸姉にお伝えしたいわけであります。
 しかし、こんなことを書くと、「そういうおまえだって、原稿締切の約束を破っているではないか!」と諸方の編集者の方々の糾弾を浴びそうなので、内心忸怩たるものがございますね・・・。

 本日、新刊の『古代文化』第62巻第3号が届きました。巻頭論文は野木雄大君の「平安期国家軍制と追討使」。
 「国家軍制」を、中央から派遣され公的な軍事活動を担う制度と規定し、「追捕」と「追討」の用法に注意を払いつつ、10~12世紀における、その展開過程を明解にあとづけたもので、論者によって齟齬の多かった従来の研究を鮮やかに整理したすぐれた論文だと思います。
 中世前期の武士論を専攻されている方は、ぜひお読み下さい。

 ☆ 本学史学科の御出身である佐藤文子先生より、御高論「古代の得度に関する基本概念の再検討-官度・私度・自度を中心に-」(『日本仏教綜合研究』第8号)を御恵送頂きました。この論文は、今春入院された際に、病室にPCと資料をもちこんでまとめあげたものであるとのこと。
 佐藤先生にあつく御礼を申し上げます。

【追記】☆ 駒場中学・高校の田中大喜先生より、御高論「『人返法』の誕生」(阿部猛編『中世政治史の研究』日本史史料研究会)を御恵送頂きました。
 田中先生に、あつく御礼を申し上げます。

 ☆ NHK出版の石浜哲士さんから、編集を担当された新刊の井上寿一『山県有朋と明治国家』を御恵送頂きました。
 石浜さんに、あつく御礼を申し上げます。