池谷先生の御著書が出ました

No.7501

 6月の研究所公開講座で講師をつとめて下さった池谷初恵先生から、新刊の御高著『鎌倉幕府草創の地 伊豆韮山の中世遺跡群』(新泉社 シリーズ「遺跡を学ぶ」072、定価1500円+税)を御恵送頂きました。

 先般の御講演を振り返るには絶好の内容です。考古学の成果に基づいて、伊豆韮山が鎌倉北条氏から小田原北条氏に至る中世史の舞台として描かれています。図版が写真・地図ともにほとんどがカラーで、初見のものも多く、おおいに楽しませて頂きました。
 「ゼミの皆様へ」ということで複数冊いただきました。研究室に配架いたしますので、ぜひ御覧下さい。

 私もミネルヴァから出して頂けることになっている『北条時政』に早く取りかからなければならないのですが。この御本を拝読して、モチベーションが高まって参りました。
 新たなる北条時政像を提示するにたる材料は揃いつつあるのですが(一部は既に『研究紀要』に発表)、伊東氏など、伊豆のほかの武士団に関する考古学的知見をもっと学ばなければならないかと思っています。
 また、修善寺の位置づけや下田の稲田寺や長谷寺にある阿弥陀如来坐像にも関心を抱いております。
 さらに、北条氏館跡の狩野川対岸の江馬地域の発掘調査も期待するところです。

池谷先生に、御恵送の御礼とともに、今後のさらなる御教示をお願い申しあげる次第です。

※ 「ブルジョワ」という言葉を史学科の学部生が知らないという話を書いたところ、すかさず、さる国文学の先生から、「先生、オルグって何ですか?」と院生に問われて驚いたというE・メールが届きました。
 まぁ、天気予報で「宵のうち」という表現では分かりにくいから「夜のはじめ」というようにしてしまったり、律令制導入以来の由緒正しいお役所の名称であった「大蔵省」が、あっという間に「財務省」に変更されてしまうような御時世ですから、仕方がないと言えば仕方がないのかも知れません。

帰ってきた飛べないオランダ人-オランダ報告新町-

No.7495

  どなたからのファン・Eメール、空の上で読み返すの
  窓の外はスカイブルー、かげりひとつない夏の空
 …というわけで、読んで下さる方がいるのでしたらあっさりと前言を撤回しまして、またオランダで考えたことを書いてみたいと思います。

 ※オランダの市役所
 英語でいう「CityHall」は、日本語でいう「市役所」のことだそうですね。オランダではどの町にも教会と広場のセットがあるのは以前にもご紹介したとおりですが、その教会が現役で活躍していない町では、市役所(CityHall)として利用されているところが多いようです。もともと町の中心にあるので、市民のみなさんにも便利なのでしょうね。アムステルダムからフローニンヘンに向かう途中で立ち寄ったボルスワルト(Bolsward)という町にも立派な教会建築があり、塔の鐘はいまも定時に鳴らされたりしていましたが、現在は市役所として利用されていました(内装はいろいろと手が入っていました)。
 市役所の中の掲示板には、コンサートの案内や各種連絡の張り紙などが貼られていました。

 ※オランダのスタジアムツアー
 アヤックス=アムステルダムのホーム「ArenA」では11:00から一時間ほどのスタジアムツアーに参加してきました。受付で料金(12ユーロ)を支払い、時間になったら集合場所に集まって出発です。ガイドはクラブの若いスタッフで、途中で記念写真の撮影もしてくれます(出来上がった写真は出口で受け取り。5ユーロ/枚)。
 若いスタッフの案内の様子は実に溌剌・堂々としたもので(内容はあまり理解できませんでしたが)、それ自体がツアーに参加した子供達にも「このクラブの一員になりたい」と思わせるのに充分な演出となっていました。働く姿というのはこうありたいですね。
 見学は、ピッチサイドからメインスタンド、プレスルームを経て、二階席、その後クラブ事務所(スタジアムの外側に併設)の前を通って、もとに集合場所に戻りました。
 ツアーには、現地オランダのほかヨーロッパ各地や、中東、中国や日本(私)などからも参加者がいました。プレスルームのイスに座りたがる、ピッチを背負って写真撮影したがる、など、フットボールファンはどこも似たようなものだなぁと、ほのぼのした気持ちになりました。
 なお、ツアーの集合場所付近にはカフェが併設されており、例によってテラスもありました。そこで出されたコーヒーに付いてきたチョコはサッカーボール(「ジャブラニ」ではなく「テルスター」)を象っており、砂糖の袋には往年のアヤックスの選手の顔写真がプリントされていました。私の砂糖はダニー=ブリントさんでした。

ブルジョワという言葉を知らない学生たち

No.7498

 岩田君、期待に応えてくれて、ありがとうございました。

 さて、本日は京都府立総合資料館で開催された古文書学会見学会に参加して参りました。
 滅多に出展されない足利義満の自筆文書などをじっくりと見学する事が出来ました。 
 上島先生のお話からは学ぶこと多大でしたが、とりわけ、「古文書には、非文字列情報が無限に秘められている」と、「古文書は、現在の形が元の形に一番近い」という御言葉がつよく印象に残りました。
 関東方面からも多くの研究者の方たちがお出でになっておられ、いろいろお話しをうかがうことも出来、有益な時間を過ごさせて頂きました。会の実施に御尽力下さった、元木先生を始めとする皆様に、心より御礼を申し上げたいと思います。

>明日から研究室旅行の皆さん  猛暑の最中でもあり、くれぐれもお気を付けて。
 例によって、土産話を楽しみに致しております。

 当方、明日は研究室で一仕事ということになりそうです。

 タイトルは何処かの大学の「史学科」での話だそうです。昭和は遠くになりにけり。

高校野球なみの連投-オランダ報告六丁目-

No.7483

 「先発だ」とエース兼監督の野口先生からご指示をいただきましたので、上に書きます。昨日未明の雷雨にはほんとに驚きました。雷鳴はもちろん、稲光も眩しくて目が覚めてしまいました。

 ◆さて、誠に勝手ながら、8月17日(火)の府立総合資料館における日本古文書学会見学会が近づいて参りましたので、ご案内を再掲致します。
 時間  :13時~16時
 集合場所:京都府立総合資料館玄関に13時に集合(12時45分より受付開始)。
 参加費 :200円を徴収致します。
 内容  :上島有先生のご説明を承りながら、東寺百合文書を見学致します。前回の第Ⅲ類(檀紙)に続いて、今回は中世最高の料紙である第Ⅰ類を中心に見学致します。

 事前に参加を申し込まれた方には、既に見学用の資料がお手元に届いたかと思います。

 ◆しつこいですが、またオランダで考えたことを書きたいと思います。

 ※オランダの食事
 「これがオランダの食べ物だ」というものはあまりピンときませんが、コロッケのもとになったとされるクロケット、ホットケーキのようなパンネクック、ニシンやムール貝を使った料理などが有名でしょうか。クロケットはビールによく合います。
 もともと船乗りの国でもありますから、世界中の国の料理が持ち込まれ、いろいろなところでそれらを楽しむことができます。とくに、中華料理、イタリア料理、インドネシア料理などは、ほぼどんな小さな町にも一件はレストランがあります。これらの料理が嫌いでない方は、オランダでの食事に困ることはないと思います(オランダ語のメニューが読めないという難点は残りますが)。
 「オランダでは手軽なレストランを探しづらい」と、あるガイドブックなどに書かれていたのですが、私の印象ではそんなことはなく、しかも軽食でもよければカフェはどんな町にも必ず二つ三つはありますから、選り好みしなければ食事場所に困るということもないと思います。夏場は昼間も長いので探しやすいと思います。
 ところで、中華料理もインドネシア料理もアーモンドソース(味噌のような風味です)を多用します。中華料理で、焼き鳥のようなものに味噌のようなものがかかっているので、これはなんですかと尋ねてみると、「アーモンドソースだ」という答えでした。なるほど、味噌っぽい風味は豆の味なんですね。またインドネシア料理では、焼き鳥のようなものに同じく砂糖醤油のようなものがかかっていました。醤油ときな粉を混ぜたものかと思って尋ねてみると、やはり「アーモンドだ」という答えでした。いずれにしても日本にあるものに近い風味ですし、抵抗なくいただくことができました(焼き具合はもう少しレアなほうがよかった)。
 日本でいう納豆やクサヤのような、少々くせのある食べ物にも出会いませんでした(人によってはチーズなどがそれに当たるのかもしれませんが)。食材が一様に皆美味しいので、それをどのように料理してもだいたい美味しい、というのが私の全体的な感想です。
 なお、残さずきれいに食べると(※食べ方はさておき)、「good eater」などと言ってくれます。

 ※オランダの大学
 フローニンヘン大学(Rijksuniversiteit Groningen)の構内を少し見学させていただきました。この大学は1614年に創立され、オランダでも2番目に古く(※最古はライデン大学Universiteit Leidenの1575年) 、学生数は現在約20000人だそうです。
 オランダ国内には2007年現在15の大学があり、ほぼすべて公立大学だそうです。オランダの中等教育で最高レベルであるVWOの卒業資格をとった学生のみが入学を許されるため、結果として、大学進学率は全高校生徒の10%にも未たず、エリート志向が強いとのことです(ウィキペディアを参照)。
 そのフローニンヘン大学は街のほぼ中心に本部や図書館、人文科学系の学部を構え、理工系学部や各種実験棟、福利厚生施設(グラウンドや売店)などはクルマで十分ほどの郊外の広大な敷地に展開しています。原子力の実験棟などもこの郊外のキャンパスに設置されているのですが、理由は「やっぱり核実験棟はそれなりに危険だし」とのことです。が、そうは言っても市内からクルマで十分ほどですから、日本の大学が「郊外」に新たなキャンパスを構えるのとはわけが違いますね。
 この項目を書きながら知ったことですが、どうやらオランダと日本とでは大学そのものの社会的機能が異なるようですから、彼我の違いを一概に云々することはできないかもしれません。しかしながら、大学をざっと見学したときの衝撃は、私にとって小さいものではありませんでした。
 年度は九月に始まるため、私がお邪魔した七月下旬はオフシーズンでした。新学期には広大なキャンパスに「人があふれる」そうですが、混雑の観念もオランダと日本とでは異なるようですから、どのような雰囲気なのか改めて見てみたい気もします。

良いお店とは良い客の来るところである 

No.7485

 岩田君、先発ありがとうございました。
 お客さんが増えるに従って、投手の層が薄くなり、とうとうこんなことになってしまいました。ちょっと残念な気も致します。

 オランダ旅行。話は尽きないと思いますので、尽きるまでお願いできれば幸いです。→∞

 旅の楽しみの一つは食事だと思いますが、私の場合、旅行に出掛けて一番困るのは、生来胃腸が弱いために、腹をこわして旅程が必ず狂うことです。したがって、基本的に団体行動は不可。
 とはいえ、調子の良いときは食欲旺盛。しかし、運動不足なので、御承知の通りの結果という次第です。

 今日も、蒸し暑くて、あまり体調は良くなかったのですが、気分転換も兼ねて、昼食に以前から噂に聞いていた京都大学宇治キャンパス内にあるカフェ・レストランに出かけてみることにしました。→ http://www.madoi-co.com/food/kihada/index.html
 ランチメニューですが、なかなかにリーズナブル。そして、なにより、雰囲気が大変宜しい。
 緑の多い研究施設の中、これが本当の大学のレストランというものなのでしょうね。という感じでした。

 ☆ 当ゼミメンバーにもお馴染みの近藤好和先生より、新刊の御高著『武具の日本史』(平凡社新書)を御恵送頂きました。
 先に、同じ平凡社新書から刊行された『装束の日本史』と合わせて、これは日本史学習→研究に必備の書だと思います。
 とくに日本史関係の博物館学芸員を目指している方たちには必携でしょう。
  近藤先生に、あつく御礼を申し上げます。

【追記】 13日の時点での話ですが、『坂東武士団の成立と発展』が早稲田の五十嵐書店に出ているとのことです。

オランダ報告・最終番地

No.7491

 >野口先生 燃え尽きるまで…とおっしゃっていただいた矢先に最終回で申し訳ありません。そろそろ言いたいことも無くなってきてしまいました…。
 オランダ報告の最終回は、そもそもなぜオランダに、しかもツアー旅行などではない方法で行ったのかをご紹介したいと思います。

 ※オランダの知り合い
 私の報告でも何度かご紹介したフローニンヘンの南方に、サイトラーレン(Zuidlaren)という人口一万人程度の小さな町があります。今回、オランダで私を案内してくれた知人というは、この町に住む一人の老人です。
 この老人は昨年11月頃に日本を訪れ、京都にも一週間ほど滞在していました。宿泊先が祇園ホテルでしたので、当時の私のバイト先にも毎朝毎晩ご来店いただきました(ホットティーばっかり飲んでました)。とても気さくな人なので、私にも「君は毎日働いているのか。忙しいな」というように声を掛けてくれたりしました。
 そのうち名刺を交換しようということになりまして、そこに彼のメールアドレスも書かれていましたから、老人が帰国した後にメールを送ってみました。すると、すぐに返信してくれましたので、それからメールのやり取りが始まりました。
 そうしてメールのやり取りをするうちに、「君もオランダに来ないか」と言ってくれましたので、じゃあ行ってみるか…と計画したのが今回の旅行というわけでした。先にも書きましたように海外旅行は未経験でしたから、準備などもわからないことだらけでしたが(※野口先生に「海外に行く飛行機のチケットはどこで売ってるんでしょうね」とご相談したこともありました)、現地に知り合いがいるというだけでも気持ちはずいぶん楽でした。出発前にもいろいろな方からアドバイスをいただくこともできました。
 それが今回のオランダ旅行のきっかけだったわけですが、現地の方々からも「日本人が一人で旅行するって珍しいな」とたびたび言われました。確かに、こういう形で初めての海外旅行を経験することは珍しいでしょうし、日本-オランダ間の移動は一人旅でしたが、現地での移動や宿泊はその老人が全て手配してくれましたし、図書館やスタジアムなどでのイレギュラーな交渉も引き受けてもらいましたので、ツアー旅行よりも余程恵まれた(甘やかされた)旅であったと思います。そのおかげもあって、いろいろな物事を気楽に見聞できたと思います。

オランダ報告の終了を惜しむ

No.7493

 「燃え」とまでは申し上げませんでしたが、岩田君の旅行記、終わってしまうのが残念です。

 この掲示板。お客さんが多くなったと申しましたが、なにしろ私の高校時代の同級生までが読んでくれていて、「岩田君の報告は、外国に行ったことのない人間には、視点が新鮮なので興味津々である。いっそのこと一つの紀行文にしてUPしては如何か」などというファン・レタ-ならぬファン・Eメールを頂戴したりしています。普通の旅行話とは違って、たしかに面白い。
 そのうち、出版社から旅行記執筆の依頼が来るかも知れません。

 ちなみに、高校時代からの友人と言えば、地方在住で事業所を経営している親友からは、「都内の有名私大の卒業生を採用したのだが、なかなか仕事に慣れてくれない。そのうえ、書類を綴じさせれば、揃えることが出来ず、曲がっていても気にする風でもない。雇い入れた責任上、後で自分で綴じ直している有様である」などという気の毒な繰り言が届いています。
 立派な資格なんかより、<基本>が大切ですね。

 狭い住宅地であるにもかかわらず近隣への迷惑も顧みずに・・・、のような、生活者としての基本に欠ける方たちの話を耳にすることも多くなりました。
 我が身を振り返って、行動を正さなければなりません。

老耄人の眠りを覚ます宇治の雷公の話

No.7479

 京都は未明から雷鳴が轟いておりましたので、睡眠不足の為体です。

 八月も中盤にさしかかり、ようやく鎌倉時代の千葉寺のお坊さんたちのことが少し分かってきたところなのですが、ここに来て論文の査読と『芬陀利華』の連載原稿の締切が数日後に迫っている事に気がつき、大慌てをしております。
 
 ☆ 東京大学史料編纂所の保立道久先生より『かぐや姫と王権神話  『竹取物語』・天皇・火山神話』(洋泉社 歴史新書)を、また、奈良大学の河内将芳先生より『信長が見た戦国京都  城塞に囲まれた異貌の都』(同)を御恵送頂きました。
 保立先生・河内先生に、あつく御礼を申し上げます。

残暑お見舞い申し上げます

No.7468

 暦の上では秋になりましたが、相変わらずの猛暑ですね。
 頼朝の挙兵は8月17日ですが、旧暦のことゆえ、涼しくなるのを待っての決行だったことになります。

 寄生虫じゃなくて、帰省中の皆さんは、故郷で楽しい毎日をお過ごしでしょうか?
 
 ところで、一ヵ月前の大失態ですが(>>No.7366)、昨日、ようやく穴埋め(?)が叶いました。情報は薩摩・大隅の方にも伝わっていたらしく、このことから、長門本『平家物語』に南九州関連の記事がどうして多いのかという問題を解く鍵が得られるかも知れません。

 目下、執筆中の論文ですが、ほとんど前に書いたものの訂正に終始するような状態に陥っております。耄碌するとこういうことになってしまいます。若いみなさんは、今のうちに素晴らしい論文をまとめておかれますように。 

オランダ報告・番外地(ドイツ編)

No.7472

 旅行気分はすっかり抜けてしまいましたが、見聞したことは引き続きご報告したいと思います。今日は半日だけ滞在したドイツのことです。

 ※ドイツの国境
 オランダのフローニンヘンからA7の高速道路を西へ40kmほど行くと、ドイツとの国境に差し掛かります。国境には、ドイツに向かう車線にはドイツの、オランダに向かう車線にはオランダのそれぞれサービスエリア(というのも遠慮したいような、小さな喫茶店やお手洗い)があります。警察官の詰所やパトカーもありましたが、稼働しているようには見えないくらい静かで、私が国境を通過したときもチェックは一切ありませんでした。

 ※ドイツのオルデンブルク
 オランダ-ドイツ国境から100kmほど西にオルデンブルク(Oldenburg)という街はあります。そこからさらに西に40kmほど行くとブレーメン(Bremen)ですね。私はこのオルデンブルクを少し散策しました。
 例によって街の中心には教会(Lambertikirche)と広場があり、その広場では野菜や肉やパンやお菓子などを売る市場が開かれていました。なお、ここの教会の鐘のメロディは、「蛍の光」でした。
 また、教会のすぐ近くにはオルデンブルク城もあります。これは街の中心にあり、豪華なホテルといった外観ですが、写真をご覧になった方のなかには「御館やな」という感想を持たれた方もいます。そんな感じです。
 街にはアピタのようなショッピングセンターもありますが、商店街もちゃんと賑やかでした。スポーツショップを眺めるとベルダー・ブレーメンのシャツが一番目立つ場所に置いてありました。オランダ同様にチーズの専門店も多く、また洋菓子店も目に付きました。市場でも美味しそうな果物が安価で売られていましたから、そういった果物を使った洋菓子作りも盛んなようです。なお、この商店街には1ユーロショップもありました。日本でいう100円均一ですね。

オランダ報告五丁目

No.7475

 昨日は宇治川の大花火大会でした。ちょうど打ち上げ開始時刻頃に大雨が降ってきたのですが、雨天決行されたようですね。雨のなか観に行った方の感想はいかがでしたでしょうか。

 掲示板も真夏のロード仕様、というわけではないと思いますが、例によってまた「権藤・権藤・雨・権藤」みたいになってきましたね…。帰省中のみなさんも、夏休み中のことなどいろいろ書いて下さ~い。
 とはいえ、今日もまたオランダのことを書きます。

 ※オランダの美術館
 アムステルダム市内にある国立ゴッホ美術館を見学しました。文字通り世界中からゴッホの作品を観ようという人々が集まってくるので、館内は大変混雑していました。開館前から入場待ちの列ができておりまして、私が行ったのはピークを避けた16時過ぎでした。大きな荷物はクロークに預け、飛行機の搭乗時のようなボディーチェックを受けてからの入館となりました。また、入口では各国語の音声案内が用意されており、私も日本語の音声案内を利用しました(4ユーロほど?)。
 館内は大きな吹き抜けのある広々とした空間で、オランダ時代、パリ時代、アルル時代などに区分してゴッホの代表的な作品が展示されていました。ゴッホの作品が、その生活環境の変化とともにどのような変遷を辿ったのかがよく示されていたと思います。
 作品はどれも間近で鑑賞することができたのですが、そのかわり(?)フロアごとに屈強な案内係か警備員とおぼしき人々が不機嫌そうに巡回していました。

 余談ですが、オランダで美術館らしいものを観たのはここだけで、あとは「混んでるから」(※ガイド役の知人)という理由で見学できませんでした…。ゴッホ美術館の混み具合も、京博や奈良博の特別展に比べれば物の数ではなかったので、もっと積極的に見て回りたかったのですが。
 それと、Goghは日本で「ゴッホ」と呼んでいますが、「スキポール」「フローニンヘン」などと同様に、ほんとうはもっと難しい発音でカタカナ表記が難しいです。

 ※オランダのスーパー
 オランダにもチェーン店のスーパーがいくつもあります。品揃えは日本のスーパーとだいたい同じで、食料品から生活雑貨、雑誌やお花なども置いています。また、canonのコピー機を置いてるお店もありました。
 お店にはキャスター付きの買い物カゴ(キャリーバッグのようにごろごろ引きずることができる)が置いてあり、欲しいものをぽいぽい放り込んでレジまで持っていくのは日本と同じです。違いといえば、どの商品も日本より幾分か安いところでしょうか。卵10個パックが80円くらいというのは安いですよね。
 レジでは商品をベルトコンベアーのようなところに載せて、レジの店員さん(座っている)がお会計をしてくれます。とくに何も言わなければレジ袋はもらえないので、持参するか、もしかすると買うのかもしれません。

投手不足で万年最下位の弱小球団

No.7476

 岩田君、連投させてしまい申し訳ありません。
 今度はぜひ「先発」で書き込んで下さい。

 昨日の宇治川花火大会は豪雨のために奈良線がだいぶ遅れるような状況下で、よくぞ決行したものだと感心しておりました。私は例によってボン・ボンという音のみを鑑賞した次第です。
 宇治川で豪雨と言えば、承久の乱における宇治川合戦を思い出します。このとき、幕府軍の犠牲者は大変な数でした。

 このところ郷里の千葉寺について知見が広がっています。幼い頃、よく散歩に連れて行って貰った、あの仁王様の居るお寺が、こんなに凄いところだったとは・・・。
 これは京都に来なければ、知ることも実感することも出来なかったことだと思いますので、ある種の因縁を感じざるを得ません。
 700年の時を経て、あの空間で難解な仏教教理の講説に耳を傾けていた学僧たちに、言い様のない程のシンパシーを感じております。

 週が明けると五山(大文字)の送り火です。京都では、これが済むと秋が訪れるはず。そうなってほしいものです。

 今日、高校以来の親友から、「今、坊津にいる」という電話がかかってきました。
 「坊津」で思い出し、8月15日も近いので、書棚の奧から梅崎春生『桜島』を取り出して読み直してみることにしました。

 戦後65年。私はその最初の方は知らないのですが、夢のように過ぎ去ってしまったという観があります。 

東国武士団に関する最新の研究書

No.7461

 2007・8年の2回にわたって茨城大学で開催された東国武士に関するシンポジウムの成果を踏まえて、高橋修編『実像の中世武士団  北関東のもののふたち』が高志書院から刊行されました〔A5判・上製・340頁 ISBN978-4-86215-081-3、6,500円(税別)〕。
 構成は以下のとおり、

序 -研究課題と本書の構成-……………………………………………茨城大学/高橋 修
   Ⅰ いま、北関東の中世武士団を考える
「東国武士」の実像…………………………………京都女子大学宗教・文化研究所/野口 実
東国武士論ノート……………………………………………………………筑波大学/山本隆志
関東武士研究の軌跡……………………………………………東京大学史料編纂所/伊藤瑠美
   Ⅱ 京と向き合う 
東国武士団と都鄙の文化交流………………………………茨城県立境西高等学校/内山俊身
下野藤姓足利一族と清和源氏………………………………………群馬県立文書館/須藤 聡
下野宇都宮氏と在京…………………………………………………栃木県立博物館/江田郁夫
武士の成立と関東…………………………………京都女子大学宗教・文化研究所/岩田慎平
在京を継続した東国武士………………………………日本学術振興会特別研究員/長村祥知
   Ⅲ 奥州と結ぶ
平泉藤原氏と北関東の武士団…………………………………東北芸術工科大学/入間田宣夫
金砂合戦と常陸佐竹氏………………………………………………茨城県立歴史館/宮内教男
下野那須氏…………………………………………………大田原市那須与一伝承館/阿部能久
   Ⅳ 地域社会と武士団
「常陸平氏」再考……………………………………………………………茨城大学/高橋 修
常陸一の宮・鹿島社の武士たち…………………………………水府明徳会彰考館/前川辰徳
中世武士の拠点と陸上交通……………………………………市立市川歴史博物館/湯浅治久
武士団と町場 下野小山氏…………………………………………栃木県立文書館/松本一夫
地域の町場に集う武士たち………………………………駒場東邦中学・高等学校/田中大喜
武蔵国と秩父平氏………………………………………………東海大学非常勤講師/落合義明

 京都や奥羽との関係も踏まえた、東国武士研究の現在の水準を示す優れた研究書だと思います。刊行を進められた高橋修先生の御尽力に感謝申し上げる次第です。

 上掲の如く岩田君・長村君の論文も掲載されています。岩田君の肩書きには驚きましたが、間違いではありません。
 ちなみに、拙論は、日本史研究会2007年9月例会における報告「東国武士と京都」の内容と一部重複するものです。

 まだ、ざっと眺めただけですが、世代や活動している地域などの条件によって研究者の武士認識や問題意識が、かくも異なってくるものか、ということを具体的に感じることができました。そうした実態を踏まえて、建設的な議論を展開するために、それこそ、若い研究者たちの列島規模での交流が望まれるところです。

 ところで、岩田君・長村君。同学の諸姉兄をお誘いして、昼食をはさみながらでも、論文の合評会(相互批判の会)を開きませんか?

オランダ報告・番外地(ロシア編)

No.7463

 京都女子大学宗教・文化研究所「共同研究員」の岩田です。『実像の中世武士団 北関東のもののふたち』の執筆者紹介欄にもそのように紹介されておりますよ。
 論文の合評会は賛成です。ぜひ夏休み中に実現いたしましょう。

 さて、今回はオランダ報告の番外地としまして、途中で立ち寄ったロシアのことに少し触れたいと思います。

 ※ロシアの航空会社(Аэрофлот)
 オランダに行くのに成田発着モスクワ経由のアエロフロート・ロシア航空を利用しました。いろいろな評判のあるアエロフロートですが、私はそもそも海外路線の利用自体が初めてでしたので、何が起きても、何を出されても、ただ「ほほぅ」と納得するだけでした。フライト自体は長時間でしたが、概ね快適でした。
 機内放送は、日本発着の場合ロシア語・英語・(たどたどしい)日本語で、アムステルダム発着はロシア語と英語でした。
 機内食は、日本発の場合日本から食材を積み込むようですから、巻き寿司(お新香巻)やグリコの抹茶アイスなどが出されました。また、「肉ですか魚ですか」の質問に「魚」と答えると、発着地に関わりなくほぼ鮭が出てきました。ロシアの方は鮭が大好きなんでしょうか。鮭は切り身ではなく、ハンバーグのように丸く固められていました。味付けは全体的に薄味で、アエロフロートロゴ入りの塩とコショウが付いてきました。なお、おしぼりもロゴ入りで、こちらはローズマリーか何かのとても良い香りがしました。
 飛行機はロシア製(旧ソ連製)かと思いきや、普通のエアバスが飛んでいました。かつては世界初の超音速旅客機ツポレフTu-144(コンコルドっぽい飛行機)なども飛んでいたそうなんですけどね。空港などと同様に、ロシアは「かつて共産主義の中心」だったというようなこだわりは一切(?)無いようで、良いと思うものは西側(という言い方も近頃はしませんが)のものでもなんでも柔軟に取り入れてしまうようです。空港にはコカコーラやスプライトもたくさん置いてましたし、「USドルなら使えるよ」という免税店も多かったです。これがグローバル化ということなんでしょうか。なお、離着陸はたいへんスムースでした。

 ※モスクワの空港(シェレメチエヴォ国際空港)
 『空港の設備、職員の対応、市内へのアクセスなどあらゆる面で評価が低いことで知られる(ウィキペディアより)』そうですが、確かにいくつものターミナルビルが乱立する構造はわかりにくかったです。ご存じのようにそれで飛行機一本乗り過ごしてしまいましたので…(構造のせいだけではないですが)。
 職員さんも決して「きめ細かい」わけではなく、むしろ皆さん「鷹揚」なので、それが見ようによっては「ちゃんとしてない」と思われるかもしれませんね。しかし、その職員さんたちを頼らないことには乗り継ぎ一つできないわけで、それはまぁ慣れるしかないのかもしれませんね。いろいろと接点を持てば、ロシアの方はみなさんそれなりに親切だというのが私の感想です。スターウォーズに出てきた惑星カミーノの人たちみたいな感じですね(※外見ではありません)。
 成田発着はターミナルD(2009年11月15日に運用開始)、アムステルダム発着はターミナルFを利用しました。
 ターミナルDはこざっぱりとしたきれいな建物で、「どこかで見たことあるようなカフェ」や各種免税店も充実していました。カフェの内装には、アポロ宇宙船の宇宙服の置物が置いてあり、「ソユーズはどうした!」といった突っ込みどころ満載ではありましたが。なお、このターミナルで偶然に、ロシア・プレミアリーグのアムカル・ペルムに移籍が決まった巻誠一郎選手に出会いました。巻選手はちゃんと乗り継ぎできたんでしょうか。新天地での巻選手のご活躍をお祈り致します。
 ターミナルFはモスクワオリンピック開催に向けて建設された建物だそうで、なるほどやや古めかしい印象でした。『すでに陳腐化・老朽化が進んでおり、天井が低く照明が暗いことで有名である。各種手続きも滞りがちで、入国審査に一時間かかることもある。レストラン・バー・免税店などは辛うじて揃っているものの、椅子はほとんど無い(ウィキペディアより)』とのことで、だいたいそのとおりですが、椅子はそれなりにありました(その椅子に寝転んでいる人は私も含めてけっこういました)。日本にもよくある昭和五〇年代風の建物ですね。喫煙ブースも数カ所ありましたが、空港の職員さんは掃除係の人も含めてタバコを吸わない人が多いようです。また、ロシア人家族が飛行機を待つ間にお弁当を広げるなど、なかなかほのぼのとした光景も見られました。

 資源はたっぷりある、人口も多い、科学技術もソ連科学アカデミー以来の伝統がありますし、国土も広い。堂々たる世界の超大国ロシアは、「社会を元気にしましょう」とか「がんばろう!」などと気勢を上げずとも、淡々と我が道を行くかの如くです。では一体どこを(何を)目指しているのか。周辺の小国の人たちにはそれがわかりにくい…という不気味さは拭えませんが。

もう、しょうがないほどの猛暑。

No.7458

 大変な猛暑ですね。このところ、四季の風情も失われ、これが「花鳥風月」の国なのか、と思っていたら、その異常さはそこに暮らす人間たちの社会にも及んで、「醇風美俗」などという言葉も死語になってしまったようです。

 目下、古き良き時代に、東国武士の出身ながら、商業の才覚を持ち、京都の高級貴族の援助を得て大陸に渡り、帰途の航海中、暴風雨に遭遇しながら、命がけで経典を将来し、六波羅にお寺を建て、千葉のお寺に下って高度な哲学的議論をたたかわせたお坊さん(しかも西国に地頭職を持つ)について、『研究紀要』に載せるべく駄文をまとめております。了行ではありませんよ。

 現社卒論ゼミの中間発表会ですが、土曜の午後ということで10月2日とすることになりました。公開で行いたいと思いますので、しっかりと準備をしておいて下さい。

 9月に予定されている「基礎演習Ⅰ」のノンアルコール・コンパですが、田島さんが幹事を引き受けて下さいました。ゲストのはずの岩田君もお手伝い下さるとのことです。深謝。

 ☆ 神奈川県立金沢文庫の西岡芳文先生より、同館で開催中の企画展「金沢文庫発見ものがたり」の図録等を御恵送いただきました。
 一風変わった、しかし、とても面白そうな企画展です。お近くにお住まいの方はぜひお出かけになると良いと思います。
 西岡先生にあつく御礼を申し上げます。

オランダ報告四丁目

No.7459

 日本の暑さにもようやく慣れてきました。暑さ馴化というのは本当に大変ですね。
 9月のゼミ会のご連絡は田島さんからもいただきました。ありがとうございます。オランダで撮ってきた写真もそのときにご覧に入れられると思います。
 そういうわけで、またオランダのことなどをご報告します。

 ※オランダの農業
 オランダの農地は広大です。とくに北部は見渡す限り平地で、山や丘と呼べそうなものはほとんど見当たらないくらいですから、農地も広大に確保できるのでしょうか。この時期はトウモロコシや麦、ジャガイモの畑が目立ちました。
 ところで、よく「日本人は農耕民族で、ヨーロッパ人は狩猟民族だから…」というたとえ話を聞くことがありますが、現地の農園を見ると、そのたとえ話は本当かなぁと懐疑的にならざるを得ません。「狩猟民族」と言われるヨーロッパの人々も、きちんと農耕を行っているわけですから(採れるものも美味しい)。
 もちろん、こういったたとえ話はもともとあまりきちんと掘り下げて考えられたものではないだろうとは思いますが、ともかくそんな感想を持ちました。
 フローラン=ダバディ氏はあるテレビ番組のなかで「フランスは農家の国」と面白い表現を使っていましたが、それに倣うなら「オランダは農業と酪農の国」と言えそうだと思ったという次第です。

 ※オランダの酪農
 高速道路沿いに、乳牛や肉牛、馬、羊、山羊、ロバなど各種家畜を放し飼いにしているのを頻繁に見かけました。牧場が広いので、牛舎に戻すときは大変だと思います。
 ホテルの朝食のときにも触れましたが、オランダでは乳製品が種類豊富で、どれも美味しいものばかりでした。基本の牛乳はもちろん、ヨーグルトもチーズも絶品でした。
 とくにチーズ(オランダ語でKaas)はどの町にも必ず専門店がありますし、普通のスーパーにも種類豊富にしかも安価で流通しています。専門店のチーズはたいてい(「アルプスの少女ハイジ」などに出てくるような)丸のまま売られていますし、頼めばその場でスライスしてもくれるようです。スーパーのチーズコーナーにも丸のままやスライスしてパックされた様々な製法のチーズが、熟成の進んだもの・そうでないもの・中くらいのものなどいろいろと区分けされて売られていました。

 ※オランダの街並み
 オランダは街の真ん中にほぼ例外なく教会と広場があります。アムステルダムのようなちょっと大きめの都市には、教会と広場のセットがいくつかあります。教会を取り巻く建物たちはほとんどが古い建物ですから、必然的に街の中心部の雰囲気は古風で統一感があります(たまに中華料理屋さんなども混じっていますが、中華屋さんもそれなりの外観で統一感のある街並みを形作っています)。
 街の外側に向かって住宅街や、新興の街並み(企業の新社屋など)が広がっていました。中心部の統一感に対して、郊外は実に個性豊かな建物が建ち並んでいます。そのあたりの対比を現地の人はどう考えているのか…と気になったのですが、尋ねるのを忘れてきました。すみません。

洋の東西を問わず岩田君は忙しいのだ

No.7454

 岩田君、オランダ旅行の報告ありがとうございました。
 二丁目までだけでは済まないと思います。サッカー場のお話など、上の方にさらにお続け下さい。
 
 実は山本さんと私は帰国早々の岩田君からお土産を頂くとともに、400枚ほどのデジカメ写真を見せていただきながら、2時間半におよぶオランダ・ドイツ・ロシア最新情報のレクチャー(土産話)を受けているのであります。

 さて、ようやく前期の成績処理も終わり、本務=研究に専念すべき段階に至りました。
 元木先生のプロジェクトに加えていただいたことでもあり、今年の夏はちょっと気合いを入れ直さなければいけないと考えています。
 岩田君もいよいよ本格的に始めて下さい。

 ところで、来月の研究会情報を一件。

 ◆女性史総合研究会 9月(第154回)例会◆

 開催日:9月11日(土)
 報告: 西野 悠紀子氏 「『薬子の変』と女官」 (仮題)
 場所: ウイングス 京都 会議室

 ※ 詳細は後日再掲します。
  夏休み気分を吹き飛ばすには最適な時期の開催です。

 来月と言えば、「基礎演習Ⅰ」のコンパ(ノンアルコール)も予定されていますね。
 ゲストは岩田君ですが、幹事さんには、「お店のことは岩田君に相談したら」と言ってあります。

オランダ報告三丁目

No.7456

 >野口先生
 先日は長々とお邪魔致しました。昨日は大学の先輩に同じように長々とお話を聞いていただいて参りました。
 あのお話も承っておりますので、さっそく準備に取りかかっております。

 それで、二丁目では足りませんのでまたオランダのことをご報告します。

 ※オランダの自転車
 オランダの皆さんもサイクリングが大好きです。きれいに舗装された道に、心地よい並木道なども至るところにありますから、さぞ気持ちよかろうと思います(私は今回の旅ではサイクリング未体験でした)。
 オランダでは(日本もですが)自転車は歩道を走ってはいけませんから、車道と歩道との間に1mほど設けられた専用の自転車道を走らないといけません。クルマもけっこうなスピードで走っていますから、慣れないとちょっと危ないかもしれませんね。自転車の右折・左折時は、手で合図を出している人もけっこういました(右手を水平にしたり、カキッと曲げたりする合図)。
 余談ですが、オランダは道交法(?)の適用がきっちりしているようで、タクシー乗り場にうっかり一般車を放置してしまうと、即座に白バイ警官(ロナルド=クーマンのような屈強な警官)がやってきます。が、案外融通も利くようで、「いやいや、いま日本からやってきた観光客にこのスタジアム(フローニンヘンのユーロボルフ)を案内しとったんだ」とかいうようなことを言うと、「まぁしょうがねぇな」みたいな感じで許してくれることもあるようです(毎回そうとは限りませんが)。

 ※オランダのスタジアム
 今回の旅行では、先述のユーロボルフのほかアムステルダムの「ArenA」(約53000人収容)、同オリンピスフ・スタディオンも見学してきました。
 「ArenA」はアヤックスのホームスタジアムで、11:00から小一時間ほどの見学ツアー(12ユーロほど)が毎日実施されています。私もそれに参加してきました。
 スタジアムの隣には大型ショッピングモールがあり、スタジアムの中にもクラブ事務所、カフェ(選手のグッズなどを展示)、グッズショップ、展示室などが併設されています。「ArenA」を本拠とするアヤックスはヨーロッパでも屈指の名門ですから、設備はもちろんのこと、展示品もUEFAチャンピオンズリーグの優勝カップなど立派なものばかりでした。
 スタンドのどの座席からでもピッチがよく見える構造で、本当にフットボールが文化としてよく根付いていることを実感しました。メインスタンドのロイヤルシートは、高級レストランかと見まごうような豪華でシックな内装でした。
 一方、フローニンヘンの「ユーロボルフ」は「ArenA」よりも小ぶりで、ちょうど日本のフクダ電子アリーナやホームズスタジアム神戸くらいの規模(30000人くらい)かと思います。地方クラブの小ぶりなスタジアムですが、ここもVIP席へつながるコンコースには立派なバーやラウンジが併設されており、清潔感があって豪華な造りとなっていました。なお、ここはスタジアムツアーなどではなく、「ちょっとお願いして」スタンドからピッチ上まで見学させていただくことができました。お土産に絵はがきもいただきました。オランダのクラブスタッフのみなさんのホスピタリティは素晴らしいです。
 アムステルダムのオリンピスフ・スタディオンは1928年のアムステルダムオリンピックのメインスタジアムとして作られたもので、スタンドやピッチが多少改装されている以外は往事のままのようです。なお、この1928年のオリンピックには日本から織田幹雄さん、人見絹枝さんなども出場し、それぞれ金メダル・銀メダルを獲得しておられます。ほかにも、のちにターザン役でも名を馳せるジョニー=ワイズミュラーさんも出場していたそうです。

大学院に行くべきか悩んでいる方へ

No.7447

 そろそろ来年度入学者対象の院試が始まる時期です。
 この頃になると、「卒論を書いていて、もっと研究を続けたくなった。でも、周囲を見回すと将来に不安を感じる。どうしたらよいでしょうか?」といった相談をいただくことがあります。

 「短い人生、大いにやりたいことをやりなさい」というのが、私の最終的な意見なのですが、こんな回答では、むしろ不安倍増だと思います。そんな方に、ぜひお読みいただきたいのが、次に紹介する2つのサイトです。これらをお読みになって判断すれば間違いないでしょう。
 ① 北海道大学の橋本努先生の「大学院進学の進め」
 →http://www.econ.hokudai.ac.jp/~hasimoto/My%20Essay%20on%20Guidance%20to%20the%20Graduate%20Course%20Education.htm

 ② 南山大学の浦上昌則先生の「大学院のことなど(院希望者,院生へのお説教)」
 →http://www.nanzan-u.ac.jp/~urakami/in.html

☆ 尚古集成館(鹿児島市)の松尾千歳先生より、御高論「島津斉彬の写真研究に関する一考察」(『尚古集成館紀要』9)・「鹿児島の歴史・文化再考」(鹿児島純心女子短期大学『想林』創刊号)および、尚古集成館企画展図録『海洋国家薩摩~海が育んだ薩摩の文化~』を御恵送いただきました。
 尚古集成館も、坂本龍馬がらみで、たくさんの方が見学に押し寄せているのではないかと思います。
 松尾先生にあつく御礼を申し上げます。

オランダ報告

No.7450

 直前の日曜日までオランダに行ってまいりました。少しずつですがその間のことをいろいろご報告したいと思います。

 ※オランダの全体的な情報
 オランダ王国(人口約1600万人)は立憲君主制国家で、憲法上の首都はアムステルダム(人口約70万人)とされており商業や文化の面でも中心のようです。一方、政治の中心はデン・ハーグ(人口約50万人)で、ここには王宮や国会があります。
 東はドイツ、南はベルギーと接しており、特にベルギー、ルクセンブルクとは「ベネルクス三国」として様々な面で非常に緊密な関係を持っています。
 とくに北部の方はずっと平坦な地形で、広大(…といっても九州より一回り大きいくらいですが)な土地に農場や牧場などが広がっています。そのなかに人口数万人程度の都市が点在しているといった様子です。広々してます。

 ※オランダの高速道路
 オランダの高速道路は、一般車両については全線無料のようです。長距離輸送のトラックや高速バスなどは課金されるようですが、日本の料金所のようなものはなく、ETC(…と呼ぶのかどうか知りませんが)で自動的に徴収されるそうです。
 高速道路は「A4」「A28」などで表記されます。主要都市には高速道路が環状に巡らされており、そこからさらに放射状に各地へ向かう道路が伸びています。
 なお、高速道路でオランダ→ドイツの国境を越えたときもチェックは受けませんでした。たまに抜き打ちでパスポートの提示を求められることもあるようです。また、東欧諸国から西側(?)に越境してくるときは若干チェックが厳しいそうです。

 ※オランダの自動車
 オランダにも自動車メーカーはあるようですがあまり有名ではないようです(私が知らないだけでしょうか)。走っているのは、ルノー、オペル、メルセデス、ボルボ、フィアット、プジョーなどの欧州の主要メーカーのほか、トヨタ、ホンダ、日産、マツダ、三菱などの日本車も多かったです。私が乗せてもらったのはマツダの「Mazda 6(日本でいうAtenza)」というクルマで、ディーゼル車でした。ディーゼルの普通車は日本よりも多かったです。
 ガソリンはリッターあたり1.55ユーロ、軽油は1.50ユーロ程度だったと思います。日本よりちょっと高いですかね。
 オランダ国内にも欧州各地からやってきたクルマが縦横無尽に走り回っていますが、国籍はナンバープレートに表記された記号(NL=オランダ、B=ベルギー、など)で識別できます。
 あちらの方々はキャンピングカーを多用するらしく、実際に走っているのも頻繁に見かけましたし、牽引していなくても普通車に牽引用のフックが付いているのをよく見かけました。

 ※オランダのホテル(の朝食)
 高速道路A4沿いのVan der Valk Hotel Harderwijk B.V.というところに泊まりました。ここはチェーンのホテルのようで、各地のS.A.のようなところに併設されているのをたくさん見掛けました。
 朝食は1500円くらいのバイキング形式で、パン、ハム類、チーズやヨーグルトなどの乳製品が非常に種類豊富でした。パンは白い食パン、茶色い食パン、クロワッサンなど10種類ほど。ハム類は生ハム、スモークチキン、ローストビーフなどこれまた10種類ほど。チーズは「若い」もの、「熟成させた」もの、ハーブ入りのもの、クリームチーズなどこれまた数種類並んでいました。なお、「チーズをパンにのせて焼く」という習慣はないようで、朝食会場にトースターはありましたがそういうことをしている人はいませんでした(私はやりました)。
 ほかの野菜や果物などもおいしいものばかりで、ホテルのおいしい朝食をいただきながら「オランダって農業と酪農の国なんだなぁ」と実感した次第です。なお、キュウリは日本と同じ味でしたが、直径が二倍くらいあって巨大でした。

オランダ報告二丁目

No.7451

 自分で立て続けにレスをつけてすみませんが、オランダ報告の二つめです。

 ※オランダのカフェ
 オランダにはどんな小さな町にも二つや三つ、気の利いたカフェがあるようです。カフェにはほぼ例外なくテラス(屋外のテーブル・イス)が併設されており、みなさん屋外で思い思いにティータイムを楽しんでいました。オランダの方々に「日本にはテラスのある喫茶店は少ない」というようなことを言うと、一様に驚いておられました。
 メニューはコーヒーや紅茶、各種アルコール類、サンドイッチやパンケーキなどの軽食も揃っていますから、そのへんは日本の喫茶店と同じような感覚なのかもしれません。
 適当に空いてる席に就くと、やがてどこからともなく「おしゃれな(←これがポイント)」店員さんがやってきて注文を聞いてくれます。お会計も席で済ませられました。
 コーヒー一杯がだいたい2ユーロ程度で、多少手の込んだもの(キャラメルマキアートとか)になると3ユーロ程度になります。コーヒー、紅茶にはこれまたほぼ例外なく小さなクッキーが一つがついてきました。

 ※オランダのファーストフード
 どんな町にも必ず気の利いたカフェのあるオランダですが、日本にもあるようなファーストフードショップもありました。概ね大きな道沿いに、ケンタッキーフライドチキン、バーガーキング、マクドナルドなどを見掛けました。スキポール空港にはスターバックスもあります。
 フライドポテト大好きなオランダの方々ですが、年配の方はファーストフードが「好きではない」という人も多いようで、そのへんの事情は日本とも似ている気がしますね。
 滞在中は一度もそういったお店を利用できませんでしたので、具体的なメニューの中身などについては不明です。

みんみんゼミが啼きやんだら研究所ゼミ

No.7442

 後期のゼミ史料講読会ですが、『小右記』も、すでに前期と同じく水曜日Ⅲ講時ということに決まっておりました。再開は9月15日になります。火曜の『吾妻鏡』も、前期と同じでよいかと思います。
 ちなみに、京都の某研究機関で、この秋から『小右記』や『古今著聞集』の講読会を市民対象で開始する予定があるとの情報を得ました。詳細な情報を得ましたら、お知らせ致します。

 さて、岩田君の旅行記です。
 アムステルダムのスキポール空港でのこと。
 岩田君が時間待ちで『吾妻鏡』を読んでいると、ウィーンに行ってきたという大きなカバンをぶら下げた雪駄履きの日本人旅行者が話しかけてきました。しばし身の上話をした後、「たいへんおジャーマニーになりました」と言って立ち去って行くそのオジサンに、岩田君はすかさず「そんなことは、ネーデルランド」と答えられたとか。
・・・というのは、ダジャレが言いたいばかりの嘘話。
 
 岩田君はオランダの年長の友人からギリシヤ料理を御馳走になってから、アムステルダムに移動。空港近くのホテルで一泊の後、モスクワ経由で帰国の途に就かれた模様です。往路で苦い経験をされたので、また、モスクワ空港で、恐ロシヤということにはならず、無事に帰国を果たされることと思います。
 「土産話を聴く会」でも開きたいところですね。

ダジャレは言ってネーデルランド

No.7444

 岩田です。モスクワ経由で先ほどオランダから帰国しました。

 オランダからも掲示板は拝見しておりまして、旅行のだいたいの経緯は野口先生が随時発信してくださったとおりです。細かい感想その他はまた書き込ませていただきたいと思います。

 アムステルダムの空港では雪駄のおじさんではなく、ロシア人のかわいらしい女の子(3~4才?)にからまれました(※実話です)。
 待合室のベンチで『吾妻鏡』を読んでいると、嬉しそうにちょこんと隣に座ってくれました。「このまま君だけを奪い去りたい」と思うくらいかわいらしかったのですが、残念ながら程なくご両親が“奪回”に来られたのでした…。