カール・ヤスパースの故郷

No.7440

 「基礎・教養科目」の採点を済ませました。論述式試験の採点はなかなか大変です。
 しかし、「思いの外」と言っては失礼ですが、受講生諸姉は、私の伝えたかったことをよく理解してくれていて、安心致しました。まぁ、史学科の人が多いので、そうでなければ困るのですが。

 岩田君の一日遅れの情報ですが、ついにドイツ国境を越えて、ブレーメンの手前のオルデンブルクに到達とのこと。ここは、かのカール・ヤスパースの故郷。余談ながら、この人の誕生月日は私と同じなのであります。
 オルデンブルクでは古いお城や教会を見学し、街中を少し散策。スーパーマーケットもあり、そこには日本と同様にコピー機が置いてあったそうです。

 「自分は柔道をやっていて東京オリンピックで金メダルを取ったヘ-シンクに会ったことがある」とか、「居合もやっている」とか言う日本かぶれの英語教師のおじさんと出会い、家に行ってみたら、ほんとうに模造の日本刀や武士に関する本などいろいろ持っておられたそうです。
 気象状態は「ときどき肌寒いくらい」とのことで、まったく羨ましい限りです。

 こんなに暑い日本からは、金輪際、ヤスパースのような大学者は出ないでしょうね。

国境を越えたのはどこのドイツだ?

No.7438

 採点をはじめています。
 授業評価のアンケートもありますが、担当者本人にとって一番の授業評価の材料は答案なのです。

 後期のゼミ史料講読会の日程ですが、金曜の『吾妻鏡』は前期と同じということになりそうです。ほかは如何でしょうか?
 
 岩田君は目下、サイトラーレンに滞在中のようで、昨日は古くからの大学の街フローニンヘンを散策したそうです。フローニンヘン大学は伝統と革新がうまく調和しており、この大学と日本の大学とでは、『質』において勝負にならないという感想を持たれたようです。とくに図書館も見学させてもらい、そのお礼に『紫苑』第8号を2部寄贈してこられたとのこと。『紫苑』も国際的な地位を確立しつつあります。
 本日は国境を越えてドイツに進出を果たしていることと思います。

これは誰の?おらんだ!岩田君の旅

No.7437

 昨日は前期講義の最終日。Ⅲ講時、全員で最後のミーティングと思ったら、また9月に集まることになりました。ファースト・フードに関する報告の際にゲスト出席してくれた岩田君にもお誘いあり。
 Ⅴ講時は期末試験。熱心な受講者からレポートの自主提出もありました。
 「変成男子」を説明しなさい、という設問の回答に「おかしな男の子」というのがありました。書いた御本人も面白がっておられました。

 さて、Ⅲ講時履修のみなさんが知りたがっていた、岩田君のオランダ旅行の情報です。

 モスクワで飛行機に乗り遅れ、空港の係員さん達にいろいろ相談したところ、よほど同情を誘うほどに困った様子だったのか、しばらくして係員の一人が翌日の便のチケットをヒラヒラさせながらもってきて、一言「プレゼントだ」と言い残して去って行ったとのこと。ドラマじみてますね。
 昨日はアムステルダム市内を観光。ボートで運河を巡り、市内を歩き回り、ゴッホ美術館に行くなどして有意義な一日を過ごされ、それから北東のフローニンヘンの辺りに移動。本日は有名な大堤防を横断して、フローニンヘンの南、サイトラーレン(Zuidlaren)というところにおられます。
 教会とカフェはどんな小さな集落にも必ずあり、カフェは充分に美味しくて安い(一杯200円くらい)ということで、さすがに元スタバでアルバイトしていただけの観察をされておられます。

 岩田君は、9月のお誘いを有り難くお受けするとのことです。
 しかし、世界は狭くなったものでありますね。

 本日は、京大で『台記』の研究会があり、野木君による国家軍制に関わる大きなテーマの報告に大いに啓発されました。
 また、元木プロジェクトもいよいよ本格的に動き始めることとなりました。歴史学専攻の当ゼミの関係者諸姉兄にもいろいろ仕事を分担して頂くことになると思います。
 お楽しみに!!

泉谷康夫先生の御冥福を祈ります。

No.7434

 新聞を開くと森毅氏の訃報が載っていました。御専門の分野のことは皆目分かりませんが、大学や学問のあり方について教えられ、勇気づけられた研究者でした。今のような時代にこそ居て欲しい学問の超人たちが次々と去って行かれるのは辛いところであります。

 届いてから暫く開封を忘れていた『日本歴史』の学会消息欄に、泉谷康夫先生御逝去の記事があって驚きました。泉谷先生とは、最近お目にかかる機会が無く、書信のやりとりばかりでした。書面から、体調のすぐれない御様子がうかがわれたのですが、4月に亡くなられていたことを知って愕然とさせられました。残念でなりません。
 泉谷先生とは、私が古代学協会に勤めていた頃からのお付き合いでした。先生は当時、古代学協会に関係する日本史の研究者の中で殆どただ一人、中世や社会経済史に造詣の深い研究者であり、私の研究を評価し、暖かく接して下さって、私としては心強く、親しみをもつことのできた希有の方でした。
 毎年夏に開かれていた『御堂関白記』の講読会にも出席され、ときに昼食を御一緒したこともありました。奈良教育大では、『高円史学』という雑誌を学生さんたちと共に発刊されていました。当ゼミの『紫苑』はこれを一つのお手本にしてます。
 御著作は殆ど御恵送に与っているのですが、不勉強のために吸収し切れておりません。守護・地頭制度に関する御研究など、これから学びなおさせて頂きたいと思います。
 泉谷先生の御冥福を衷心より祈り申し上げます。

☆ 慶應義塾大学の小川剛生先生より、先生が特集「藤原定家 明月記」を担当された『週刊朝日百科 国宝の美 書跡3 古文書・国書・漢籍』を御恵送頂きました。
 小川先生にあつく御礼を申し上げます。

福原京の二重濠

山田邦和(同志社女子大学)
No.7430

みなさま。
わたしも知らなかったのですが、例の福原京の「二重濠」(楠・荒田町遺跡、神戸大学附属病院内遺跡)、
現在、その延長上が発掘調査中で、去る24日に現地説明会がおこなわれました。
http://www.city.kobe.lg.jp/information/press/2010/07/20100722841001.html
ただし、新聞には産経・読売の神戸版と、神戸新聞に出ただけだということです。

以前発掘調査された「二重濠」の延長が綺麗にでています。
これで、濠の総延長の確認部分は65mとなったとのことです。
ただし、問題となっている、ふたつの濠が同時存在かどうかはこの調査でもよくわかりません。
ただ、「この2本の壕は、同時存在の可能性は残されているものの、壕の前後関係が確認されており、最終埋没はSD01の方が後であることが確認できました。」とされており、
完全に埋まった時期はV字形濠のほうが後だということになったようです。

文献史学研究者を悩ます「二重濠」

No.7433

 山田先生、お知らせ下さり、有り難うございました。
 考古サイドの評価が変わったので、元木先生が『新修神戸市史』の執筆の際に、大変苦労したというお話をうかがったばかりでした。

 福原はまた、再来年に向けて注目を浴びることになるでしょう。「同時に存在した可能性は残される」というところが、問題ですね。

 私は、区画溝だろうが排水路だろうが、そこに軍事的(防御)機能が期待されて掘削されたのは当然だと考えております。
 ちなみに、「区画溝」というのは、貴族の邸第の周囲に一般的に存在するものなのでしょうか?また、道路の側溝とは異なるものなのでしょうか?

まだ、授業期間中です(なぜか?)。

No.7428

 明日の授業。Ⅲ講時はレポート提出とミーティング。
 Ⅴ講時は期末試験です。試験時間は70分の予定。
 ゼミはありません。

 岩田君はモスクワで(なぜか?)乗り継ぎに失敗したものの、半日遅れで(なぜか?)奇跡的にアムステルダムに到着し、現地の方々と(なぜか?)中華料理を食したとのことです。
 「旅」というのは、こうでなくちゃいけない、と寅さんも言っておられました。 

再来年の話に鬼はどう反応することか?

No.7424

 NHKの方から「これはまだ非公表なので内々にしておいて下さい」と言われたことが、公表になったようで、一安堵しています。なにしろ、こういうことは、うっかりと口を滑らせてしまいかねないものですから。それにしても、最近、この件について、当然御存知の先生にお目にかかったり電話で話をしたのですが、流石に口に出されませんでした。みなさん口が固い。

 これでまた、執筆計画や公開講座のテーマ設定など、変更を余儀なくされることと思いますが、元木先生を中心に進めているプロジェクトにも大きく影響することが予想されますので、とりあえずこのプロジェクトの叩き台を完成させたいと考えております。

 午前中、岩田君から成田空港で出国手続きを終了したというメールが届きました。『吾妻鏡』を持参とのこと。モスクワで乗り換えるとのことなので、今ごろはシベリアの上空辺りにおられることと思います。

 ☆ 国士舘大学の秋山哲雄先生より、新刊の御高著『都市鎌倉の中世史』(吉川弘文館歴史文化ライブラリー)を御恵送頂きました。
 火曜日の『吾妻鏡』講読会に参加されている諸姉兄には大いに役に立つ本です。
 ようやくにして、一般の方たちにも分かりやすい、説得力のある鎌倉都市論が現れたという感想を持ちました。
 秋山先生にあつく御礼を申し上げます。

日本古文書学会見学会

元木泰雄
No.7420

暑中お見舞い申し上げます。
 梅雨明けとともに猛暑到来、これくらい明確に季節が変化する年も珍しいですね。
 さて、以前にも予告致しましたが、来る8月17日火曜日、府立総合資料館で、今年度二回目の見学会を開催致します。
時間 13時~16時
集合場所 京都府立総合資料館玄関に13時に集合(12時45分より受付開始)。
参加費 200円を徴収致します。
内容 上島有先生のご説明を承りながら、東寺百合文書を見学致します。前回の第Ⅲ類  (檀紙)に続いて、今回は中世最高の料紙である第Ⅰ類を中心に見学致します。
申込先 〒606-8501
   京都市左京区吉田二本松町京都大学大学院人間・環境学研究科元木研究室
申込締め切り 7月30日(金)必着でお願い致します。
 参加される方に、予め簡単な資料をお届けするため、締め切りが早くなっておりますのでご注意ください。

 以前、口頭、メールなどで参加を表明された方も改めて御連絡ください。

秋には「甲斐源氏」の企画展があります

No.7423

 元木先生、御案内ありがとうございました。
 この見学会、私も参加させて頂きたいと思っております。
 ちなみに、懸案のプロジェクトについて、新たな叩き台を作成してみました。近日中にお届けできればと考えております。

 昨日は渡欧直前の岩田君が、『紫苑』をオランダへの土産に(輸出?)したいということで、研究室に入来。豪華なケーキを持参されたので、夕刻にお見えになるお客様には、これを召し上がっていただくことに致しました。
 そのお客様とは山梨県立博物館の西川先生です。若狭への調査のついでにお立ち寄りになられ、同博物館開館5周年記念特別展「甲斐源氏 列島を駆ける武士団」(開催期間  平成22年10月9日(土曜) から 12月6日(月曜) まで
http://www.museum.pref.yamanashi.jp/2nd_tenjiannai.html#kikaku)のコンセプト等について詳しく御説明を頂きました。私は10月30日(土)に、この企画展の関連イベントとして開催される講演会「甲斐源氏の世界」で講演をさせて頂くことになっているからです。
 この企画展は、出陳される資料も素晴らしく、歴史研究者のみならず国文学研究者も楽しめそうな出色の内容で、とても驚かされました。

 本日は午前中、来週実施する前期末の試験問題を作成。印刷も済ませました。
 Ⅲ講時は卒論指導。小林さんから前期中間報告の書面を受理。
 Ⅳ講時は前期最後の『吾妻鏡』講読会。月曜日に山岡さんから頂いたお菓子はここで賞味させていただきました。今日の講読範囲は伊東祐親の自害の話など、国文学サイドから興味の持てる条が続きました。

 再起動して直ぐに復旧はしたものの、帰宅直前になって、研究室のPCがローカルネットワークから切断という事態が発生したのは、この異常な猛暑のせいでしょうか。

 すでに、岩田君は関東で成田からの渡航に向けてスタンバイされていることと思います。新しい空気をたくさん吸ってきて下さい。

一昨日も昨日も今日も京は暑いのです

No.7413

 月曜日の夕刻、鈴木君が奥様(もと永富さん)をともなって、新しいPCの設定に来てくれました。7年間使ったLavieともお別れですが、その古いPCの蓄積した情報はすべて新しいPCにインストールされました。しかも、新しいPCの容量は古いものの10倍以上と言うから驚きです。
 人間の教育もかくありたい。

 夕食は近くに2年ほど前に開店した「ヒルズ・ガーデン」というカフェ・レストランにて。住宅地にあるせいか、とても安いので、いい気になって食べ過ぎ、その晩は暑いからと冷たい物を飲み過ぎ、翌日から胃腸の具合を悪くして現在に至っております。
 なお、新しいPCは前と同じくNEC製で、すぐに使えるようにXP仕様にしてあります。ディスプレイが横長で、軽快に動きます。この夏はこのPCでたくさんの仕事をこなしたいところです。
 鈴木君、忙しいところ、ありがとうございました。

 昨日は、食事抜きで授業2コマにゼミで、ちょっとフラフラになりました。にもかかわらず、Ⅴ講時の基礎・教養科目では、学生さんの私語の注意にかこつけて、最近の大学のあり方について持論を力を込めて演説してみたり、ゼミ(『吾妻鏡』)では無駄話に花を咲かせてしまったりで、体力を多少消耗していても、私は私でいられることを自覚させられました。
 ある意味、困ったことです。

 ゼミでは、御本人の持ってきて下さったお菓子を頂きながら、ほんの少しばかりの時間でしたが、岩田君の壮行会を催しました。
 来週の今ごろ、岩田君は、あの木の靴とチューリップで有名な国にいるはずです。
 「誰ですか?パチンコ屋じゃないのか、なんて言っている人は!」。

 さて、本日はⅢ講時に『小右記』のゼミ。大谷さんの事前調査の凄まじさは例の如し。『令義解』『令集解』まで徹底的。国文専攻の方にここまでやって頂くと、頭が下がるばかりです。
 学部生の山本さんも、院生なみのレジュメを用意。『小右記』をしっかり読んでおけば、中世の記録なんか「お茶の子さいさい」だと思います。

 Ⅳ講時はB校舎で大学の公聴会があったのですが、卒論指導に来る学生さんがいたので、こちらを優先。宇野さんと濱千代さんのお二人。ゼミ旅行をしようかという話も出ました。
 研究所ゼミとの合同で企画してみようかなどと考えておりますが、いかがでしょうか? それにしても、私にもう少し体力があれば良いのですが。

 それからすぐ、久しぶりに山岡さんが入来。北山通りのお菓子屋さんで美味しそうなお菓子を買ってきて下さいました。ちょうど明日、山梨から研究室にお客様がお見えになるので、お茶請けに使わせて頂きます。
 話題は先日の西八条シンポ等々・・・。

 それにしても、今日も暑い一日でした。
 胃腸の具合が悪いのに、冷たいものが飲みたくなって、困っております。

飛べないオランダ人

No.7414

 昨日(7/20)でひとまず前期の火曜日の『吾妻鏡』は終了です。参加者の皆様、ありがとうございました。
 後期の再開は、9月21日(火)頃からでよろしいでしょうか。次回以降の範囲は以下の通りです。

 範囲:正元二年(文応元年、1260年)七月八日・十日・二十五日・二十六日・二十九日、八月六日・七日・十二日・十五日・十六日・十七日、九月五日、十月十五日、十一月十一日・十八日・二十一日・二十二日・二十六日・二十七日・二十八日、十二月一日・二日・十六日・二十日・二十一日・二十三日・二十五日・二十六日・二十九日
    文応二年(弘長元年、1261年)正月四日・十日・二十五日・二十六日、二月二十日・二十五日・二十九日、三月五日・十三日・二十日・二十五日、四月二十一日・二十三日・二十四日・二十五日・二十六日、五月一日・十三日、六月一日・三日・六日・十日・十八日・二十二日・二十三日・二十五日・二十七日・二十九日・三十日、七月二日・九日・十七日・十八日・二十二日・二十九日、八月二日・七日・十日・十二日・十三日・十四日・十五日、九月三日・四日・十九日・二十日、十月四日・二十九日、十一月一日・二日・三日・二十六日、十二月二日の各条

 ですが、再開後の後期の火曜日の『吾妻鏡』は、頼経~宗尊将軍期の注目すべき記事をオムニバス形式で振り返りながら読むようなことを数回やってから、以上の範囲に戻りたいと思います。その振り返りのための史料は岩田が用意します(メンバー各自で好きな記事を選んでご用意していただいてもけっこうです)。以前読んだ箇所をどんどん忘れてしまわないようにしましょう。

 それで今週末からはヨーロッパにあるオレンジ色の国に行ってきます。育成組織に定評のある彼の国で、若手育成のノウハウをしっかり学んできたいと思います(ウソです)。
 いろいろ見聞したことはゼミでもご報告したいと思いますので、よろしくお願いします(後期再開時にでも)。ちなみに、いまだに海外にも、パチンコ屋さんにも、行ったことはありません。

『坂東武士団の成立と発展』の在庫について

No.7404

 卒論や修論に本格的に取り組む人が増えてくるためか、この時期になると拙著『坂東武士団の成立と発展』の在庫に関する問い合わせをいただくことがあります。
 すでに発行元は解散しており、私の手元にもお譲りできる在庫はございません。復刊ドットコムにも沢山のリクエストをいただいていて嬉しいのですが、とりあえずは図書館の相互貸し出しや複写のサービスを御利用頂ければ幸いです。なお、京都女子大の図書館には2冊配架されております。
 ただし、同書は刊行後すでに30年近く経過しており、訂正を要する部分もございます。その後の研究成果を参照の上、活用して頂くようにお願いする次第です。

 先日、國學院大學で開催されたシンポジウム「『源平盛衰記』の全釈から見えてくるもの」の様子の写真がこんなところに出ていました。
  ⇒http://www.kokugakuin.ac.jp/guide/diary100703.html
自らの実在(!)を確認させられた次第です。

 さて、明日の授業です。
 Ⅲ講時の「基礎演習Ⅰ」は、先週で個別報告がすべて終了いたしましたので、全体の総括。
 各自、報告の補足やその後の知見などについてお話しして頂きます。

 Ⅴ講時の「基礎・教養科目」は先週の続き。
 鎌倉時代の仏教者の女性観にアプローチしてみるつもりです。先週配布した資料をお忘れなく。
 来週はいよいよ筆記試験です。

 ゼミは岩田君からの御案内の通り。岩田君の渡欧の壮行会も。