永山修一先生の『隼人と古代日本』刊行

No.6891

 鹿児島経済大学在職中以来、たいへんお世話になっている鹿児島ラサール学園の永山修一先生より、新刊の御高著『隼人と古代日本』(同成社 古代史叢書6)を御恵送頂きました。古墳時代から平安時代に至る南九州の歴史をテーマにした珠玉の論文集です。「珠玉の」というのが、決してお世辞などでないことは、御一読頂ければすぐにわかると思います。
 永山先生に、あつく御礼を申し上げます。
 ちなみに、私も目下、南九州をターゲットにした武士成立期に関する本の出版を目指しているところです。 

 ☆ >>No.6874で御高論について触れさせて頂いた宮崎県都城市教育委員会の桒畑光博先生より、御高論「島津荘は無主の荒野に成立したのか」(『南九州文化』109)・「島津荘の成立をめぐる諸問題」(『地方史研究』341)を御恵送頂きました。
 目下、執筆中の論文にも関係する内容。グッドタイミングで頂きました。
 桒畑先生にあつく御礼を申し上げます。

 昨日は、鈴木夫人のみならず、御夫君も研究室にお出で下さり、懸案の書類作成はもとより、研究室の整理までして頂きました。ほんとうに助かりました。

来年度の共同研究について(おしらせ)

No.6892

 昨日、平成22年度における研究所共同研究助成の申請書を提出致しました。
 概要は以下のとおりです。研究の遂行に際し、諸方の御協力を御願い申しあげる次第です。

<研究課題>「中世前期における都鄙の文化・社会情況
        (法然・親鸞登場の歴史的背景に関する研究Ⅱ)」
<研究代表者> 野口 実(本学研究所教授・日本中世史)
<研究協力者> 岩田慎平(関西学院大学大学院研究員・日本中世史)
           畠山 誠(元、広島県公立高校教諭・日本仏教史)
           前川佳代(奈良女子大学人間文化研究科博士研究員・日本中世考古学)
           藪本勝治(神戸大学大学院人文学研究科DC・日本中世文学)
<研究目的>
 平成23年(2011)は法然上人の800年大遠忌、同24年は親鸞聖人の750回大遠忌を迎える。これに際して、両者に対する関心は各方面において高まりを見せている。本研究は、この機に乗じて、歴史学の立場から、かれらとその思想を育んだ12~13世紀の政治・社会と、これらを包括する文化総体を、かれらの登場という視角を通して解明・考察しようとするもので、「法然・親鸞登場の背景に関する研究」というテーマを掲げて数年間の期間での継続研究を企図している。
<研究概要>
 平成22年度は、前年度の研究(テーマは「地方武士の在京と文化の伝播」)を踏まえ、さらに地方社会と京都との文化関係を政治・社会のシステムを通して検討する。とくに鎌倉幕府の将軍ないしはその妻室として関東に下向した皇族・貴族に随従して京都から関東に下向した廷臣・女房のさまざまな側面における活動や幕府や地方有力御家人の周辺において行われた儀式、および居館をとりまく空間構造に関する実証的な事例研究を進めたい。また、法然・親鸞の活動した地域における地域研究の成果を収集することにつとめ、当該地域における京都文化伝播の実態について検討を加えつつ、その文化環境を明らかにしていきたい。
                                      以上

十月半ばの『吾妻鏡』

No.6890

 すっかり秋めいてきましたが、また次回の火曜日の『吾妻鏡』のご案内です。

 日時:2009年10月20日(火)14:00~(予定)
 場所:京都女子大学L校舎 3階 共同研究室

 範囲:建長二年(1250年)三月三日・五日・十三日・十六日・二十日・二十六日、四月二日・四日・五日・十六日・二十日・二十五日・二十九日、五月十四日・二十日・二十七日・二十八日、六月三日・十日・十五日・二十四日、七月一日・五日・八日・二十二日、八月七日・十八日・二十六日、九月十日・十八日、十月七日、十一月十一日・二十八日・二十九日、十二月三日・五日・七日・九日・十一日・十五日・二十日・二十三日・二十七日・二十八日・二十九日の各条

 毎週火曜日の『吾妻鏡』講読会は、参加者のみなさんの自主的な積極性によって支えられています。後期もどうぞよろしくお願いします。秋から何か始めてみようという方も、まずは見学からでもどうぞお気軽にご参加ください。

淀川シンポ(公開講座)のおしらせ

No.6888

美川です。

 以下の予定で、私の職場主催のシンポジウムを行います。事前の打ち合わせでは、淀川の流路などが話題になりそうです(私の関心もかなりそこにありますので)。興味のある方はぜひご参加ください。

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時下ますますご清祥のこととお慶び申し上げます。

 さて摂南大学では毎年、一般市民と学生の方々にむけて公開シンポジウムを行っておりますが、今年度は「水都大阪2009」にちなみ、「淀川を流れる文化」をテーマに、3人の専門家による講演とシンポジウムを企画いたしました。 水の都のシンボルとして、今も私たちのくらしと深い関わりのある淀川。その文化と歴史を知るきっかけにしていただければ幸いです。

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公開講座「淀川を流れる文化」
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●日付:2009年10月24日(土)  時間:14:00~16:30

●場所:常翔学園大阪センター
     大阪市北区梅田3-4-5 毎日インテシオ3F
TEL06-6346-6367
  ・JR福島駅、阪神福島駅から徒歩5分
  ・JR大阪駅・地下鉄梅田駅・阪神梅田駅から徒歩10分
地図:http://www.josho.ac.jp/osakacenter/img/map001.pdf

●参加費:無料  定員160人

●講演内容
1 「母なる淀川とその流域」 原 秀禎(摂南大教授 地理学)
2 「貴族たちの淀川-離宮・遊宴・文芸」 小川豊生(摂南大教授 中世文学) 
3 「与謝蕪村『春風馬堤曲』をよむ」 松本節子(摂南大元教授 近世文学) 
   司会者:美川 圭(摂南大教授 日本史学)

京と大坂をむすぶ淀川は、古くから多くの人や物が往来し、それとともにさまざまな文化がはこばれた文化の道でした。また、淀川にひろがる美しい風景や、川に遊び、川を旅する人たちの心情は、数々の文芸や美術の題材となりました。講演では、時代による淀川の流れの変化、淀川が生み出した中世の文学、近世の文学について、それぞれ専門家が解説いたします。
 
●大学サイト:http://www.setsunan.ac.jp/~kokusai/gakubu/event/kokusai_sympo/sympo09.html
(チラシの写真をクリックしていただきますと、講演内容などが紹介されます。)
  
●問合先
摂南大学外国語学部事務室(〒572-8508 寝屋川市池田中町17-8)  
Tel: 072-839-9195/Fax: 072-838-6607
E-mail: l-bu@ofc.setunan.ac.jp

●準備の都合上、参加ご希望の方は下記アドレスにお知らせいただけると、助かります。

皆様のお越しを心よりお待ちしております。

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淀川講演会事務局
kokusai@jm.setsunan.ac.jp
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システム障害によるアクセス不可のお詫びとご報告

No.6885

システム障害によりアクセス不可

2009/10/09(金)23時頃 本HPを設置しているサーバのハードディスク障害により、サーバ機能停止
2009/10/10(土) 0時頃 現象確認
2009/10/11(日)20時頃 サーバを置き換え、復旧
2009/10/12(月)21時頃 サーバ自動更新により設定が変わり、接続が切れる
2009/10/13(火) 7時頃 設定を変更し復旧

この度は皆様に大変ご迷惑をおかけしましたことを深くお詫び申し上げます。

この間のレポート

No.6886

掲示板が止まってしまい、楽しみにされていた方には大変ご迷惑をおかけしてしまいました。

 先週、金曜日の時点で事象は把握していたのですが、10日→11日で熊本阿蘇へ出張があり、すぐに対応することが出来ませんでした。
 日曜日には自宅に寄る事ができましたので、障害の切り分けと対応をしました。
 原因は、ハードディスクの障害でした。危うく保存しているデータがすべて消失するところでした。
 何とかバックアップをとっていたので、紫苑の掲示板データは残っていたのですが、コンピュータそのもののバックアップはしていませんでしたので、結局新しい機械に置き換えて復旧することにしました。
 今朝の障害は、ただ単に僕の設定ミスです。自動で設定が変わってしまって、インターネット上から見えなくなっていました。(こちらについてはリモートで復旧できました)

 バックアップはとっていたものの、サーバ本体にすべて保存していたので、サーバ自体が故障してしまい危うく取り出せなくなる所でした。日頃から(授業でも)バックアップは大事だと言っているのですが、二重にコピーしていたおかげで難を逃れました。
 何よりもデジタルデータは脆弱です。やっぱり紙に印刷しておくのが保存の為には一番です。紙媒体は物によっては何百年も残りますが、デジタルデータは一晩で消失です…。
 
 とりあえず、サーバは仮復旧の形です。(宗文研のページのみ再開しています)ぼちぼち暇をみて直していきます。
 このたびは大変ご迷惑をおかけし申し訳ありませんでした。

急募! ワードの使いこなせる方

No.6884

 この掲示板は、金曜の午後から接続不可状態となっておりましたが(特定の方にアクセス禁止措置をとったわけではありません→念のため)、昨夜にいたって復旧したようです。原因は機械の故障によるとのこと。鈴木君、ありがとうございました。

 この間、いろいろお伝えしたかった情報があるのですが、目下最優先課題がありますので、それは後回しにさせて頂いて、その最優先課題のための技術要員を緊急に募集致します。仕事はワードによる書類作成です。私は日頃、一太郎を使っているので、ワードには大変てこずってしまい、本文すら書く気力を失う有様です。高給?にて処遇致しますので、我と思わん方は(そうでなくても、普通にワードが使えるという方は)、躊躇することなく、ぜひ御連絡下さい。仕事は14日(水)・15日(木)の午後に予定しています(書類作成の仕事が重なってしまい、長村君の御報告を聴きに行けず残念至極です)。

 明日のキャンパスプラザⅡ講時の「特別講座科目1 『平家物語』と中世前期の京都」は、白河~後鳥羽院政期の京都における諸事件を、地図を参照しながら概説します。

 Ⅴ講時の基礎教養科目「源平内乱の時代を京都で生きた人たち」は、平清盛を取り上げます。

 ※  >>No.6883←私も元木先生と同様の経験がございます。考古学の調査で発見された遺構の評価はあとで変更されることがありますが、それに文献史の研究者が振り回されるか、その情報が行き渡らないまま、最初の見解が通説になってしまったりすることがあります。ほんとうに(泣)ですよね。

 本日のゼミ。土日に高野山と熊野の参詣を果たしてこられた山本さん(史学科)から、お土産(ラッコとイルカのクッキー)を頂きました。ご馳走様でした。

 今日の午前、しばらく音信不通になっていたゼミのメンバーから研究室に電話がありました。ちょっと、心配していたのですが、ほっと一安心です。

ワード難民の述懐

No.6889

 ワード救援をお願いしたところ、さっそくメールにて、武蔵国に住む高校以来の親友より、別のソフトからの変換方法の教示があり、さらに昨日は山本さん・岩田君から蘇生術を施され、そして明日は鈴木夫人(永富さんのことですよ!)に社会復帰の手助けをいただけることになりました。

 おかしな例えをしてしまいましたが、このPC崇拝の御時世においては、本当に一人の力では生きていけないことを実感させられている次第です。

 老者の経験は役に立たず、老者の中でも巧みに時流に乗りえた少数の「賢者」や若者の助けに頼るのみであります。でも、私は助けてくれる人が周りにいるから、何とかなっているのですが、孤立無援の方も結構おられるのではないでしょうか。ワードが使えない人も日本史研究者としてちゃんと生きていけるような環境を整えるべきであります。

 それにしても、なぜワードなのでしょうか?他意のない素朴な疑問です。

復活しましたね

No.6882

>鈴木くん(…ですよね)
掲示板の復旧、ありがとうございます。お忙しいところすみません。

ところで取り急ぎのご案内ですが、次回の火曜日の吾妻鏡は、10月13日(火)、14:00~(予定)、宗教・文化研究所共同研究室にて、宝治二年閏十二月十日条から読んでいきたいと思います。
よろしくお願いします。

そ、そんなバカな

元木泰雄
No.6883

しばらく掲示板にアクセスできず、心配しておりました。
 無事に回復されたご様子、何よりと存じます。
 ところで、2003年、神戸大学付属病院の敷地内で、福原における平氏の邸宅の遺構とみられる「二重壕」が見つかり、大きな話題となったのはまだ記憶に新しいところかと思います。
 この壕の性格は軍事的なものか、平頼盛邸に敷設されたのか、あるいは新造内裏の施設か、はたまた一ノ谷合戦直前の新内裏に設けられたのか。熱い議論が展開されておりました。当方もシンポジウムに出席したり、『古代文化』の論文で、この壕にふれたことがありました。
 当方も含め、これまでの議論はすべて、二本の壕が同時に並行していたことを前提としていたものでした。ところが、昨年3月付で兵庫県教育委員会が刊行した『楠・荒田町遺跡Ⅱ 神戸大学医学部付属病院埋蔵文化財発掘調査報告書2』の末尾には、これを否定する記述があります。

 「二重の壕が同時期に存在していた可能性は、両壕から出土した遺物の検討からかなり低いものと考えられるようになった」。
 
 つまり、同時に併存した二重壕ではなく、たまたま二本の壕跡が並行して見つかった二本壕とのこと。また付近の「櫓」とされた建物跡も平安時代までさかのぼるものではない(近世の可能性を示唆)とのことです。
 上記の遺物の検討については報告書に記載がなく、困惑しておりますが、ともかく二本の壕は時期が異なるもので、およそ軍事的なもの、特別なものとは言い難いということのようです。出土品の検討結果に基づく、新たな分析が急務と存じます。
 実はこの報告書、昨年夏に寄贈を受け、調査報告部分のみを確認して、書架にしまっていたのですが、読み飛ばしていた「あとがき」で、まさにさりげなく、さらっと触れられておりました。読み落とすのが悪いには違いないのですが・・・。こんな大事なことは、根拠を挙げて、わかりやすく書いてもらいたいものです。 
 かくして、これで神戸市史の原稿が全面書き直しです。まさに(泣)・・・・

台風接近のため明日のゼミは休止します

No.6880

 台風が接近しており、予想進路によると、明日午前9時頃には京都の近くを通過する模様です。そのため、明日(8日)Ⅱ講時に予定していた『吾妻鏡』講読会は休止します。

 ☆ 東北芸術工科大学の入間田宣夫先生より、御高論「御館は秀郷将軍の正統なり」(藤木久志・伊藤喜良編『奥羽から中世をみる』吉川弘文館)および「中世松島の景観」(『季刊 東北学』第20号)を御恵送頂きました。
 入間田先生にあつく御礼を申し上げます。

 入間田先生から、御依頼頂いた原稿、もう少しで脱稿できると思います。遅延の段、お詫び申し上げます。

立命館の谷さんが京都新聞に掲載

美川圭
No.6878

 立命館大学の谷昇さんが、みごと博士号を取得されたことはご存知だと思いますが、そのことが10月3日(土)の京都新聞に掲載されていることを、今日知りました。谷さんとは元木先生のところの玉葉研究会でご一緒させていただいておりますとともに、よくアフターでも楽しい時間を過ごさせていただいています。高校ご退職後の博士号は快挙ですが、このように新聞に大きく掲載されることも、いうまでもなく実に快挙といえましょう。私もいつも谷さんの姿勢から多くのことを学んでいます。若い方々も、谷さんに続いて、飛躍を期待します。

http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2009100300133&genre=G1&area=S00

谷さん、おめでとうございます。

No.6879

 御精進の賜物。心より敬意を表する次第です。
 また、さらなる、御活躍をお願い申し上げます。

 これは、志をもって頑張っている沢山の方たちに元気と勇気を与えることでもあり、二重の意味での快挙だと思います。
 
 それにしても、自分自身にに置き換えて考えてみると、定年後に化学のジャンルで学位を取るなどということは120パーセント不可能なことですから、あらためて本当に大変なことなのだと感心してしまいます。

 美川先生の御指摘通り、若い方々は谷さんに続いてくれなければいけません。

 そういえば、『紫苑』第6号掲載の書評会の写真(p80)の一番手前に、谷さんのお姿がうつっています。→http://donkun.ath.cx/~sion/organ/sion_006.pdf

 明日(6日)の講義とゼミ(『吾妻鏡』)

No.6877

 キャンパスプラザⅡ講時の「特別講座科目1 『平家物語』と中世前期の京都」は、平安京・京都の都市構造に関する概説の続きから、六波羅の成立についてお話しします。

 Ⅴ講時の基礎教養科目「源平内乱の時代を京都で生きた人たち」は、この時代の政治の流れと、それに関連する京都周辺の史跡についてのお話しです。

 ゼミは>>No.6873を参照。開始時間に気をつけて下さい。
 「きびだんご」を食べて鬼退治といきましょう!

 日本史研究会の大会が迫ってきましたね。

岡山の「きびたんご」倉敷の「むらすずめ」

No.6875

 本日(3日)は、トップページの「今月の予定」にあるとおり、共同研究員の畠山誠先生が御来室になり、中世前期の遠江国に関する多くの資料とともに、当該期・当地方の仏教の状況についてのレクチャーをしていただきました。
 ゼミの皆さんへと、岡山のお菓子(きびだんご・むらすずめ)をたくさん頂戴致しました。彼は大学院時代をともに過ごした友。いろいろありました。
 たしかに、今のゼミメンバーの諸姉兄は、あの頃の我々の姿とオーバーラップするものがある。まさに「院友」ゆえのお心遣いに感謝します。
 お菓子は、月曜日のゼミからさっそく供出いたします。お楽しみに!

 ☆ 東京大学史料編纂所の髙橋典幸先生より、御高論「地頭制・御家人制研究の新段階をさぐる」(『歴史評論』714号)を御恵送頂きました。
 髙橋先生に、あつく御礼を申し上げます。
 最近再び、地頭や御家人制に関する研究に注目が注がれているように思います。文治勅許の問題は執筆予定の『北条時政』で触れる必要があるとは思うのですが、私の能力の及ぶところではありませんので、敬遠策をとるつもりでおります。