西園寺公経の吉田泉殿庭園遺構

No.6642

 昨日の『台記』研究会は、元木先生の御報告。
 いつものように蒙を啓かれること多大なものがありました。
 
 ところで、この研究会に出席された美川先生は、会の前に京大西部構内で発掘調査中の吉田泉殿跡で新たに検出された庭園遺構を見学されてきたとのこと。これについて、今朝の京都新聞に詳報が成されていました。↓
 http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2009032600181&genre=G1&area=K00

 現地説明会は30日午後零時からとのことです。
 鎌倉時代を専攻されているメンバーは是非行ってみてください。

吉田泉殿庭園遺構&近衛邸跡の糸桜

No.6645

 現説に行って参りました。
 この場所は吉田泉殿の庭園の南端に当たる部分のようです。とすると、吉田泉殿の中心となる寝殿などは京大の西部講堂の辺りに比定されることとなり、おそらく地下遺構はすでに破壊されてしまったことでしょう。まことに残念。
 それにしても、吉田泉殿跡の一連の発掘調査を契機として、鎌倉時代の西園寺家に関する研究が深化することを期待したいと思います。
 現説の後、お出でになっていた元木先生・山田先生らとともに、「レストラン芝蘭」で昼食をとることが出来たのは幸いでした。記念写真もたくさん撮りました。
 その後、私は上洛中の高校以来の親友らと共に京都御苑を回って大学に戻ったのですが、御苑内にある近衛邸跡の糸桜の見事なことといったら形容を尽くせないほどでした。
 愛知の野口君がわざわざこれを見るために上洛する理由が分かりました。
 
 6月の公開講座、講演テーマなどが決まりました。追って告知したいと思います。

 ☆ 愛知学院大学の福島金治先生より、国文学研究資料館編『真福寺善本叢刊』第四巻に収録された先生御担当の「富楼那集 紙背文書」の翻刻および解題、御高論「中世美濃龍德寺の売券と在地社会-買主未記載の売券を中心に-」(『愛知学院大学文学部紀要』第38号)・「鎌倉後期の鎌倉・京都の交流-金沢文庫文書を通して-」(『鎌倉時代の喫茶文化』茶道資料館)を御恵送いただきました。
 福島先生にあつく御礼を申し上げます。

09年度学部・短大の担当授業

No.6641

 教務課より、四月からの授業担当について連絡がありましたので、お知らせしておきます(曜日・講時・前後期・対象学生・教室の順。なお、大学院の授業担当の予定は除いてあります)。

 火曜日 2  後期  特別科目講座1 単位互換履修生   キャンパスプラザ
            「『平家物語』と中世前期の京都」  

 火曜日 3  前期  基礎演習Ⅰ 現代社会学部1回生 C213(共同研究室に変更の予定)

 火曜日 5  前期  基礎教養科目B25 大学2回生   C406
            「女性の視点から日本中世の歴史を考える」

 火曜日 5  後期  基礎教養科目18  短大1回生   A403
            「源平内乱の時代を京都で生きた人たち」

09年度前期のゼミ講読会の時間設定

No.6643

◇ 院生主体の『吾妻鏡』、学部生主体の『吾妻鏡』(治承四年)を何曜日のどの時間帯に設定するか、共同研究室使用の必要上、早めに決めておく必要があります。

 前者については岩田君、後者については桒畑さん・山本さんを中心に参加メンバーの履修情報を集約して、候補の曜日と時間帯を知らせて頂くようにお願いいたします。

 新年度から参加する予定の方たち(新2回生)のお名前と連絡先は、追って桒畑さん・山本さんにメールでお知らせします。

◇ 『小右記』講読会については、継続を希望される方がおられれば、学外者も含めて参加者を募って下さい。もし、行うことになれば長和三年正月条を読もうと思っています。御連絡をお待ちします。

◇ 『紫苑』第7号ですが、月曜日に印刷屋さんにお出で頂いて、その場で四校校正を行いました。来月第一週末までには納品の予定です。極めて忙しい時期ですので、発送には暫く時間がかかると思います。早く読みたい人は取りに来て下さい。

次回は例会

No.6638

 桜の季節が訪れようとしています。年度の変わり目はなかなか予定も立てづらいことが多いですが、来週は普段の『吾妻鏡』に加えて例会も開催します。

 【ゼミ例会】
 日時:2009年3月31日(火)15:00頃~(予定)
 場所:京都女子大学L校舎 3階 共同研究室
 報告者:藪本勝治氏(神戸大学)
 報告内容:「諸文献に表れる牛若奥州下りとその助力者について
        -『義経記』巻第二「義経陵が館焼き給ふ事」の解釈-」
 参考文献:保立道久『義経の登場』第三章「青年期義経の人生環境」(NHKブックス、2004.12)
       兵藤裕己「日光山縁起と山民」(『国文学 解釈と鑑賞』1987.9)
       柳田国男「神を助けた話」(『定本柳田国男集 第十二巻』筑摩書房、初出1920.2)


 その藪本さんのご報告の前に、いつもよりショートバージョンの『吾妻鏡』もやります。
 日時:2009年3月31日(火)13:00頃~15:00頃まで(予定)
 場所:京都女子大学L校舎 3階 共同研究室
 範囲:寛元三年(1245年)三月十六日・十九日・三十日、四月六日・二十一日・二十二日、五月三日・七日・九日・二十二日・二十三日、六月三日・七日・十日・二十七日、七月五日・二十六日、九月四日・九日・十四日、十月六日・十一日・十六日・二十八日、十一月四日・十日、十二月十六日・十七日・二十五日
    寛元四年(1246年)正月一日・四日・十日、二月九日・十三日・二十九日、三月八日・十三日・十四日・十八日・二十日・二十三日・二十四日・二十五日・二十六日・三十日、四月八日・十九日、閏四月一日・八日・十八日・二十日、五月二十四日・二十五日・二十六日、六月一日・六日・七日・十日・十三日・二十日・二十七日、七月十一日、八月一日・十二日・十六日、九月一日・十二日・十六日、十二月二日・七日・十二日・十七日・二十八日・二十九日の各条

 毎週火曜日の『吾妻鏡』講読会は、参加者のみなさんの自主的な積極性によって支えられております。新年度から何か新しいことを始めてみようという方は、まずは見学からでもどうぞお気軽にご参加ください。

義経の奥州下り

No.6639

 今年度のゼミ例会の開催は少なかったのですが、最終日に開催できることとなり、有り難く思っております。
 報告者の藪本君は国文学専攻の院生(DC)ですが、歴史学サイドからの意見を聞きたいとのこと。
 広く、国文学の軍記専攻の方や中世前期の武士論、平泉藤原氏に関心のある歴史学専攻の方たちの積極的な参集をお願い申しあげる次第です。
 新年度から2回生になるゼミメンバー諸姉は出来るだけ参加して下さい。良い刺激が得られることと思います。
 なお、参考になりそうな文献として、上横手雅敬編『源義経 流浪の勇者』(文英堂)と角川源義・高田実『源義経』(講談社学術文庫)を紹介しておきます。
 ほかに、数江教一『源義経』(アテネ新書)がありますが、入手困難なので、これは図書館でお読み下さい。

『吾妻鏡必携』の訂正について(お願い)

No.6636

 昨年、関幸彦先生と共編で吉川弘文館から出版させて頂いた『吾妻鏡必携』が重版の運びとなりました。
 誤記・誤植を訂正する、またとないチャンスです。入門者向けの本でもありますから、できるだけ完璧を期したいと思います。
 すでに執筆者には出版社から連絡があったことと思いますが、それ以外の読者の方々からも、広く正誤についての情報をお寄せいただければ有り難いと思います。
 また、私が御依頼した範囲の執筆者の皆さんにも、御担当以外の部分で誤りを発見されましたら、当方まで御連絡下さいますようにお願い申しあげます。
 締切は今週末(28日)ということで、EメールまたはFAXにてお願いいたします。

 野口宛のメールは上記赤い字で書かれた名前をクリックして頂ければ、送信できます。
 また、当方の研究室のFAX番号は、075-531-7221です。

 何卒、宜しくお願い申しあげます。

近藤先生の御編著『建内記註釈1』拝受

No.6633

 神奈川大学の近藤好和先生より、先生の御編著になる『建内記註釈1』(日本史史料研究会研究叢書4・B5版 89頁)を御恵送頂きました。大学院における演習の成果ということで、本文・訓読・大意・注解で構成されています。これから『建内記』ないしは中世の記録に取り組もうとする人には大きな指針となるものと思います。
 近藤先生にあつく御礼を申し上げます。
 複数冊いただきましたので、御指名の岩田君をはじめ、当ゼミで勉強している院生以上の方たちに配布させていただきました。

 ☆ 同志社大学大学院の雨野弥生さんから、「<翻刻>実相院蔵『扶桑蒙求私注』第六-「宇治記」「宇記」引用記事-」(『同志社国文学』第69号)を御恵送頂きました。
 雨野さんに、あつく御礼を申し上げます。

ありがとうございました&頑張ります!

山本陽一郎
No.6630

 昨日は、自分の激励会を催していただきありがとうございました。
また同じ古参のゼミメンバーである鈴木夫妻、田中さんにまで駆けつけてもらって本当に嬉しかったです。ありがとうございました。
 
 このたび四月から地元の福井県で中学校の非常勤を勤めることになり、長らく住んでいた京都から離れることになりました。史跡好きの自分にとっては、少し残念です(泣)。
 
 もともと京都に来たのが、浪人をするために、1994年の3月頃の今ぐらいだったと思います。また一年間受験勉強かという暗澹たる気持ちと、憧れの京都に住めるという期待の気持ちで、上洛したのを今でも憶えています。今から考えると奇遇なのですが、その浪人生用の寮の場所が、京都女子大の近くの馬町にある河井寛次郎記念館辺りでした。今だから言えるのですが、息抜きと称して、友達と京都女子大の学園祭に遊びに行ったなどりしてました(もちろん大学生と称して・だから二浪したのかもしれませんが・その頃から京都女子大学とは縁があったのかもしれませんね)。その寮では、現在の野口ゼミのように、様々な地域から、様々な個性を持った学生が集まって、いろいろ大学受験の事はもちろん、人生や将来の夢、恋愛のことなど、語り合ったりして、ある意味、受験勉強以外の勉強をしていました。
 それから大学に入って、様々な方に出会いましたが、やはり一番劇的な出会いは、大学を卒業してからだと思います。シラバスで野口先生の講義内容を読んで、「面白そうだ」という気持ちで、院生の授業にもぐらせてもらったのが、そもそも野口ゼミ、そして神戸大学という、後の人生を決めた上で、本当にターニングポイントだったと思います。またお会いした当初、先生に名刺を渡されて、京都女子大学と聞いた時は、自分の京都生活の出発点だったので、何か運命めいたものを感じました。
 自分は、中公文庫の『日本の歴史』や他の歴史書などを読んで、石井進や土田直鎮、網野善彦、石母田正、永原慶二、上横手先生など、名前は知っていたのですが、その有名な先生方が研究史上、どういう位置を占めるのかが、先生の講義を聞いて、点と点がつながって、自分の中で氷解したのを憶えています。また当時の『吾妻鏡』講読会は、右も左も分からない状態で参加したのを憶えています。その内先生の紹介される本や論文を読むうちに、ますます中世、『大鏡』や吉川英治の『新平家物語』を読んでいたせいか、特に平安後期から鎌倉時代までの事に興味を持ち始め、結果的には大学院まで行き、歴史学を学ばさせてもらい、また野口ゼミでは、いろんな人達に出会い刺激を受け、在籍していた大学の五年間より、本当に濃密な時間を野口ゼミと神戸大学で過ごさせてもらいました。そして伊勢や鎌倉、熊野、九州、伊豆など各地の有名な史跡を巡るゼミ旅行も、本当にいい思い出です(熊野旅行では有名な遅刻事件をおこしましたが)。ただ惜しむらくは、もっと早く野口先生にお会いしたかったことです。多分学部の2回生で出会っていたら、迷わず日本中世史を専攻していたと思います。だから今の『『吾妻鏡』講読会や『小右記』講読会などにでている京都女子大の二回生さんが本当に羨ましい限りです。とにかくこの野口ゼミで学んだことを忘れず、四月からは頑張りたいと思います。
 
 もう一つ京都を去るのに残念なのが、京都みなみ会館や京都シネマのようなミニシアター系の映画館が福井には無いということです。特に京都みなみ会館などのような、過去の名作をリバイバル上映してくれる映画館も当然ありません(泣)。また関西の深夜では、たまに『キッズ・リターン』(北野武監督)や『魔界転生』(深作欣二監督)、『フルメタル・ジャケット』(スタンリー・キューブリック監督)、『機動戦士ガンダム・逆襲のシャア』、『さらばわが愛・覇王別姫』、『麦の穂をゆらす風』(両方の作品ともに、カンヌでパルムドール賞獲得)などの、過去の名作映画が普通に流れていて、それも見る事が出来なくなるかと思うと映画ファンとしてはかなり残念です(泣)。
 最後に余談ですが、現在『レッド・クリフ』とかいうわけの分からない映画が一応ヒットしているようですが、同じ中国映画なら、上に書いた『さらばわが愛・覇王別姫』は是非みてください。中国映画のナンバー1です。舞台は清朝末期から文化大革命までで、中国の伝統芸能である京劇の劇団員の愛憎劇と時代に翻弄される姿を描いた希に見る傑作映画です(ちなみにこれも大津会館でリバイバルでみました)。
 
 最後の最後に、おそらく先生が学生時代から愛用されていると思われる大事な研究史料である『吾妻鏡』を破ってしまうという大失態を犯してしまいました。本当に最後の最後まで御迷惑をおかけしてすいません。
 とにかく来年度は、京都で学んだ経験を活かして、また地元の福井で、自分を鍛える覚悟で頑張りたいと思います。

頑張れ!山本君

No.6631

 メッセージ、ありがとうございます。

 貴兄のように心優しき人が中学校の先生になってくれるというのは、本当に有り難いことだと思います。

 子どもたちに、歴史の面白さを伝えて下さい。ついでに映画も。

 福井は京都から、それほど遠くはありません。「芋粥」の利仁将軍の如く、しばしば上洛して下さい。

 ともあれ、御活躍を祈念いたします。

グローリーデイズ

No.6634

>山本さん
 遅くなりましたが火曜日は久しぶりにおいでいただいてありがとうございました。久しぶりに山本さんの長い書き込みを読むこともできてとても嬉しいです。
 山本さんとご一緒させていただいたのは、私が山本さんの主催される『吾妻鏡』の時間に伺うようになって以来のことですから、もうかれこれ五年になります。勉強の意義や目的のようなものすら持てずにいた私に、史料をじっくり読むことの大切さや楽しさを教えて頂いたのが、この『吾妻鏡』の時間でした。部屋の本棚で埃を被っていた国史大系の『吾妻鏡』を引っ張り出して参加するようになったこの時間は、史料を囲んで自由に意見交換ができるという一週間のうちで最も充実した時間でした。今でも『吾妻鏡』を素材にしてぽつぽつと勉強していられるのも、この出会いがあったからだと思います。

 『吾妻鏡』の時間以外にも、山本さんにはゼミ旅行などでもお世話になりました。とりわけ思い出深いのは、2006年3月に伊豆を訪れた際に、六地蔵-伊豆-京都の移動で私の拙い運転を助手席からサポートして下さったことでした。浜名湖のS.A.では人数分以上に運ばれてきた鰻丼をみんなで分けたり、意味もなく(?)熱海警察署の場所を教えて下さったり、修善寺ではみんなで足湯に浸かったりと、楽しい旅行をコーディネートしてくださいました。

 地上波の映画放送は観られなくなってしまうかもしれませんが、スカパー!なら日本全国たぶん支障なく観られると思いますから、余裕があればまた「時代劇専門チャンネル(「太平記」再放送中)」や「ファミリー劇場チャンネル(「春日局」放送中)」なども機会があればチェックしてみて下さい。

 福井での利仁将軍の如きご活躍をお祈りしております。私はとうてい「五位」には届きそうにない身分ですが、福井にお邪魔したときは腹一杯の芋粥をごちそうしてください。

 …そんな山本さんが創始された、次回『吾妻鏡』のご案内です。
 日時:2009年3月24日(火)13:00頃~(予定)
 場所:京都女子大学L校舎 3階 共同研究室
 範囲:寛元二年(1244年)八月十六日・二十四日・二十九日、九月一日・二日・三日・十三日・十九日・二十八日、十月十三日、十二月七日・八日・二十七日
    寛元三年(1245年)正月九日・二十一日・二十八日、二月十日・十六日、三月十六日・十九日・三十日、四月六日・二十一日・二十二日、五月三日・七日・九日・二十二日・二十三日、六月三日・七日・十日・二十七日、七月五日・二十六日、九月四日・九日・十四日、十月六日・十一日・十六日・二十八日、十一月四日・十日、十二月十六日・十七日・二十五日
    寛元四年(1246年)正月一日・四日・十日、二月九日・十三日・二十九日、三月八日・十三日・十四日・十八日・二十日・二十三日・二十四日・二十五日・二十六日・三十日、四月八日・十九日、閏四月一日・八日・十八日・二十日、五月二十四日・二十五日・二十六日、六月一日・六日・七日・十日・十三日・二十日・二十七日、七月十一日、八月一日・十二日・十六日、九月一日・十二日・十六日、十二月二日・七日・十二日・十七日・二十八日・二十九日の各条

 毎週火曜日の『吾妻鏡』講読会は、参加者のみなさんの自主的な積極性によって支えられております。ご自身に合った勉強法を見つけていただけると思いますので、どなたさまでも、まずは見学からでもどうぞお気軽にご参加ください。

24日の『吾妻鏡』講読会の会場について

No.6637

 24日は、いつも使用している共同研究室が宗教部関係の会議のため使用できません。
 会場はS校舎(L校舎の東隣)2階の教室に変更の予定です(おそらく、S213)。
 参加者はお間違えのないように、お願いいたします。

今日は京都女子大学の卒業式

No.6624

 今日はたいせつな二つの儀式に出席して参りました。

 午前中は、大阪市天王寺区の大念寺で執り行われた、米谷豊之祐先生の一周忌法要。
 御親族の方々に先生の研究上の御業績について紹介させていただきました。昨春は御葬儀に参列が叶いませんでしたので、有り難い機会を得ることが出来たと思っております。
 
 ただ、残念だったのは先生の追悼記事を載せた『紫苑』第7号の刊行が間に合わなかったこと。それでも、先に御子息にお送りしておいた三校のゲラのコピーが御列席の方々に配布されており、お役に立つことが出来たようです。
 
 なお、米谷先生の御命日ですが、三月一日とうかがっておりましたが、正しくは二月二十九日とのこと。この場を借りて、>>No.6212の書き込みを訂正させていただきます。
 
 米谷先生の御法名は「兎月庵好史豊祐居士」。生前自ら決めておかれたとのことで、「兎」は生まれ故郷の奈良県宇陀郡兎田野町に因むとのことです。

 あらためて、先生からの御恩に感謝し、御冥福をお祈り申し上げる次第です。

  
 午後は京阪電車の特急で京都にとって返し、京都女子大学の卒業式に列席しました。
春の日ざしの女坂は晴れ着姿の卒業生と保護者の方々で一足先に桜が満開になったような風情。それにしても、いよいよ卒業生の御両親が私より確実に若くなって参りました。
 今年は学部・大学院(修士・博士前期課程)の卒業式・修了式が二回に分割されたので、2時30分開始の文学部・文学研究科・現代社会学部・現代社会研究科の卒業式・修了式に出ることが出来たというわけです。

 当ゼミ関係の修了生・卒業生は家政学研究科の満田さんと国文学科の江波さんだけだと思っていたのですが、中国に留学されていた、あの廣政さんも国文学研究科を修了されました。おめでとうございました。
 三人のこれからの<大>活躍を期待するところです。

 さて、本日は、綾部で古文書学会の見学会が行われているはず。元木先生や元木研究室に所属する諸姉兄からのお土産話が楽しみです。

スプリングハズカム。

米澤隼人
No.6618

野口先生、ゼミの皆様、いつもお世話になっております。

やわらかな春の日差しとともに、卒業の季節がやってまいりました。
当方の大学でも本日、卒業式がおこなわれ、私も無事卒業と相成りましたので、謹んでご報告いたします。

大学生活とは、どなたにとってもかけがえのないものでしょうが、私の四年間を顧みても、とても充実していたように思います。
とりわけ貴所では、多くの出会いの中で、大いに啓蒙触発されました。

貴重な場を提供して下さった野口先生、そして岩田さんのほか、お世話になった諸先生、先輩、同輩、後輩の皆様には、心よりお礼申し上げます。

先は案じられますか、もう少し勉強を続けてみようと思いますので、これからも、『吾妻鏡』輪読会をはじめとして、変わらぬご厚誼をお願い申し上げる次第でございます。

あきらけき『鏡』にあえばいまもまた
 いまいくすえのこともみえけり(?)
※大鏡

春が来た~♪

No.6619

 米澤君 御卒業おめでとうございます。
 4月からは、いよいよ最も恵まれた環境のもとでの研鑽が始まります。そこに到達できたことへの自信を大切にし、誇りをもって精進して下さい。
 当方のゼミにおいては、さらに後進を引っ張って頂ければ幸いとするところです。

 本日は永井晋先生に貴重な御報告を頂きました。あいにく諸行事が重なって参加者は少数でしたが、忌憚のない発言が取り交わされて充実した研究会だったと思います。
 アルコール抜き、定食の懇親会も楽しいものでした。
 御多用の中、報告を引き受けて下さった永井先生、御同行の野村朋弘さん、御出席下さった橋本素子先生、ならびに関西各大学院の研究員・院生諸姉兄に御礼を申し上げる次第です。

 米澤君には春が来ましたが、私はいよいよ「ガタが来た」という感じです。

Re: スプリングハズカム。

永井 晋
No.6622

こちらこそ、歴史的事件の枠組をどのように理解するかという話だったので、実証的な分析よりも、放談に近いトークになりました。長村さんなどは、論文で読む印象と認識論として述べた報告の落差にカルチャーショックを受けたのではないでしょうか。自分の知の枠組を固めるための議論をする時の攻撃的な思考と、自分の考えを文章として固定化する時の防御的な思考の違いは別人のようなのかも知れません。ただ、橋本先生の御着物でのご来場には、私もペースを狂わされましたが、院生の方々も驚かれたようですね(笑)。なんでも、「着物パスポート」とかいって京都の着物文化をアピールするイベント期間なんだそうです。


失礼いたしました。

橋本素子
No.6623

先日は、場違いな人間が失礼しました。
着物は、講演の場など、最近はときどき着ているもので、当日も「お天気がよいから着ていこう」という程度のものでございました。
まさか永井先生のペースを乱していたとは思いもよりませんでした(笑)。
当日野口先生にご恵与いただきました「中世前期における宇治の軍事機能について」は、わたくしがこのところ中世後期の宇治において寺社下部層出身者や土豪層によって展開された茶業についてやっているものでして、大変興味深く拝読させていただきました。
ちなみに、小松殿はその後「小松園」という茶園になっております。またご存知の通り中世の最後は槇島城の戦いであり、これに巻き込まれて没落した茶業者も多数ございました。あらためて、中世前期から宇治の歴史を通観することも大切だと教えていただきました次第でございます。誠にありがとうございました。
これからもよろしくお願い申し上げます。
永井先生、着物を着ていると市バスと地下鉄が無料になる「伝統産業の日」は翌日からでございます(笑)。

今度はぜひ橋本先生に御報告を。

No.6625

 橋本先生、研究会にお出で下さり、まことに有り難うございました。
 宇治の共同研究は、今年度でひとまず終了ということになるのですが、ぜひ、先生に宇治のお話をお聞かせ頂く機会を得たいものと存じております。
 今後とも、なにとぞよろしくお願い申し上げます。

 ところで、着物を着ていると市バスと地下鉄が無料になるということであれば、卒業式に出席する京都市内所在大学の女子学生の大半は交通費は無料というわけですね。

半世紀ぶりの「3月10日」

No.6617

 3月10日、大阪では阪神がリーグ優勝したことに興奮したファンによって道頓堀川に投げ入れられたカーネル・サンダースの人形が24年ぶりに発見されたと言う話題で持ちきりでした。一方、関西のマスコミはほとんど忘れているかのようでしたが、この日は東京大空襲から64年目にあたります。

 私は学生時代、総武線の黄色い電車に乗って毎日千葉と渋谷の間を往復しており、毎日通過する東京下町が焼け野原になった東京大空襲の話をきいてはおりましたが、ちょうどその頃出版された早乙女勝元氏の『東京大空襲』(岩波新書)によって、認識を新たにしたことを記憶しています。広島・長崎と共に忘れてはならない、いろいろな意味で残虐な「空襲」だと思います。

 さて、その3月10日は、私個人にとっても忘れがたい日になりました。小学校3年生の時以来、会うことのなかった友人と再会の機会を得たからです。昨秋は大学院時代の友人に再会し、瞬時にして昔と同じ関係を取り戻したのですが、幼年時代の友もまた同様。同業であることも手伝って、みっちり5時間語りまくりました。彼は子どもの時から秀才肌で、プリンストンで学位を取得というだけに、頭脳の出来が違うようで、昔のことを本当に良く覚えていて、おかげで忘れていたことを随分思い出させてもらいました。

 このところ、長く生きないと分からないことが結構あるものだと言うことを実感させられることが多いように思います。

 さて、『紫苑』ですが、いよいよ三校校正の段階です。再校でほとんど修正のなかった分については、原稿をお送りしません。とても多かった人が一人おられるので(笑)、その方はしっかりと確認をして下さい。
 今日は公開研究会ですが、どのくらいの方がお見えになられるか?

 京大の元木先生の研究室のみなさんは、昨日、鳥羽・安楽寿院の見学に出かけられた由。また、お話をお聞かせください。

角田文衞先生を偲ぶ会

No.6609

 本日は京都ホテルオークラにおいて、昨年五月に亡くなられた角田文衞先生を偲ぶ会が催されました。学界・政界・官界などの各方面から百四十名ほどの著名な方々が参会し、不世出の歴史学者であった角田先生の遺徳を偲びました。
  →http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2009030700150&genre=K1&area=K00

 たくさん新たな発見もありましたが、とくに驚いたことが二つ。
 一つは会場の入り口に展示されていた角田先生の使われていた『尊卑分脉』(国史大系本)。
 山田邦和先生のブログ参照→http://heike.cocolog-nifty.com/kanwa/2009/03/post-ea3c.html

 所掲の各人物について、記録所見が小さく且つ綺麗な文字で詳細に書き込まれていました。自家製の平安京図も同様。これが先生の思考の前提にあったわけです。
 学問を業とする者にとって、美しく整理された手書きのノートを作ることは、最低限に必要な能力であることを痛感させられました。今ならPCを使いこなすことで代替されるのかも知れませんが、これを見て、やはり手書きでないと優れた研究は生み出し得ないように思えました。

 二つ目は、挨拶に立たれた碩学たちの見事なスピーチ。
 角田先生の後輩に当たる80歳代の著名な先生方の御挨拶が続いたのですが、いずれも原稿などなし。にもかかわらず、論理明快で固有名詞もすらすら出てくる。角田先生もそうでしたが、老いてもちっとも頭脳の衰えを見せません。これらの先生方には「老人ぼけ」などという言葉はまったく無縁のように思えました。戦前・戦中・戦後の厳しい時代を学問の道を一筋に邁進されてきた結果なのでしょう。私も出来れば、ああなりたいものだと感じ入った次第です。

 会場で、角田先生出演のテレビ番組のビデオが放映されたりしたこともあり、今は、先生御本人にまたお目にかかって来たような気分でおります。