『吾妻鏡必携』の訂正について(お願い)

No.6636

 昨年、関幸彦先生と共編で吉川弘文館から出版させて頂いた『吾妻鏡必携』が重版の運びとなりました。
 誤記・誤植を訂正する、またとないチャンスです。入門者向けの本でもありますから、できるだけ完璧を期したいと思います。
 すでに執筆者には出版社から連絡があったことと思いますが、それ以外の読者の方々からも、広く正誤についての情報をお寄せいただければ有り難いと思います。
 また、私が御依頼した範囲の執筆者の皆さんにも、御担当以外の部分で誤りを発見されましたら、当方まで御連絡下さいますようにお願い申しあげます。
 締切は今週末(28日)ということで、EメールまたはFAXにてお願いいたします。

 野口宛のメールは上記赤い字で書かれた名前をクリックして頂ければ、送信できます。
 また、当方の研究室のFAX番号は、075-531-7221です。

 何卒、宜しくお願い申しあげます。

近藤先生の御編著『建内記註釈1』拝受

No.6633

 神奈川大学の近藤好和先生より、先生の御編著になる『建内記註釈1』(日本史史料研究会研究叢書4・B5版 89頁)を御恵送頂きました。大学院における演習の成果ということで、本文・訓読・大意・注解で構成されています。これから『建内記』ないしは中世の記録に取り組もうとする人には大きな指針となるものと思います。
 近藤先生にあつく御礼を申し上げます。
 複数冊いただきましたので、御指名の岩田君をはじめ、当ゼミで勉強している院生以上の方たちに配布させていただきました。

 ☆ 同志社大学大学院の雨野弥生さんから、「<翻刻>実相院蔵『扶桑蒙求私注』第六-「宇治記」「宇記」引用記事-」(『同志社国文学』第69号)を御恵送頂きました。
 雨野さんに、あつく御礼を申し上げます。

ありがとうございました&頑張ります!

山本陽一郎
No.6630

 昨日は、自分の激励会を催していただきありがとうございました。
また同じ古参のゼミメンバーである鈴木夫妻、田中さんにまで駆けつけてもらって本当に嬉しかったです。ありがとうございました。
 
 このたび四月から地元の福井県で中学校の非常勤を勤めることになり、長らく住んでいた京都から離れることになりました。史跡好きの自分にとっては、少し残念です(泣)。
 
 もともと京都に来たのが、浪人をするために、1994年の3月頃の今ぐらいだったと思います。また一年間受験勉強かという暗澹たる気持ちと、憧れの京都に住めるという期待の気持ちで、上洛したのを今でも憶えています。今から考えると奇遇なのですが、その浪人生用の寮の場所が、京都女子大の近くの馬町にある河井寛次郎記念館辺りでした。今だから言えるのですが、息抜きと称して、友達と京都女子大の学園祭に遊びに行ったなどりしてました(もちろん大学生と称して・だから二浪したのかもしれませんが・その頃から京都女子大学とは縁があったのかもしれませんね)。その寮では、現在の野口ゼミのように、様々な地域から、様々な個性を持った学生が集まって、いろいろ大学受験の事はもちろん、人生や将来の夢、恋愛のことなど、語り合ったりして、ある意味、受験勉強以外の勉強をしていました。
 それから大学に入って、様々な方に出会いましたが、やはり一番劇的な出会いは、大学を卒業してからだと思います。シラバスで野口先生の講義内容を読んで、「面白そうだ」という気持ちで、院生の授業にもぐらせてもらったのが、そもそも野口ゼミ、そして神戸大学という、後の人生を決めた上で、本当にターニングポイントだったと思います。またお会いした当初、先生に名刺を渡されて、京都女子大学と聞いた時は、自分の京都生活の出発点だったので、何か運命めいたものを感じました。
 自分は、中公文庫の『日本の歴史』や他の歴史書などを読んで、石井進や土田直鎮、網野善彦、石母田正、永原慶二、上横手先生など、名前は知っていたのですが、その有名な先生方が研究史上、どういう位置を占めるのかが、先生の講義を聞いて、点と点がつながって、自分の中で氷解したのを憶えています。また当時の『吾妻鏡』講読会は、右も左も分からない状態で参加したのを憶えています。その内先生の紹介される本や論文を読むうちに、ますます中世、『大鏡』や吉川英治の『新平家物語』を読んでいたせいか、特に平安後期から鎌倉時代までの事に興味を持ち始め、結果的には大学院まで行き、歴史学を学ばさせてもらい、また野口ゼミでは、いろんな人達に出会い刺激を受け、在籍していた大学の五年間より、本当に濃密な時間を野口ゼミと神戸大学で過ごさせてもらいました。そして伊勢や鎌倉、熊野、九州、伊豆など各地の有名な史跡を巡るゼミ旅行も、本当にいい思い出です(熊野旅行では有名な遅刻事件をおこしましたが)。ただ惜しむらくは、もっと早く野口先生にお会いしたかったことです。多分学部の2回生で出会っていたら、迷わず日本中世史を専攻していたと思います。だから今の『『吾妻鏡』講読会や『小右記』講読会などにでている京都女子大の二回生さんが本当に羨ましい限りです。とにかくこの野口ゼミで学んだことを忘れず、四月からは頑張りたいと思います。
 
 もう一つ京都を去るのに残念なのが、京都みなみ会館や京都シネマのようなミニシアター系の映画館が福井には無いということです。特に京都みなみ会館などのような、過去の名作をリバイバル上映してくれる映画館も当然ありません(泣)。また関西の深夜では、たまに『キッズ・リターン』(北野武監督)や『魔界転生』(深作欣二監督)、『フルメタル・ジャケット』(スタンリー・キューブリック監督)、『機動戦士ガンダム・逆襲のシャア』、『さらばわが愛・覇王別姫』、『麦の穂をゆらす風』(両方の作品ともに、カンヌでパルムドール賞獲得)などの、過去の名作映画が普通に流れていて、それも見る事が出来なくなるかと思うと映画ファンとしてはかなり残念です(泣)。
 最後に余談ですが、現在『レッド・クリフ』とかいうわけの分からない映画が一応ヒットしているようですが、同じ中国映画なら、上に書いた『さらばわが愛・覇王別姫』は是非みてください。中国映画のナンバー1です。舞台は清朝末期から文化大革命までで、中国の伝統芸能である京劇の劇団員の愛憎劇と時代に翻弄される姿を描いた希に見る傑作映画です(ちなみにこれも大津会館でリバイバルでみました)。
 
 最後の最後に、おそらく先生が学生時代から愛用されていると思われる大事な研究史料である『吾妻鏡』を破ってしまうという大失態を犯してしまいました。本当に最後の最後まで御迷惑をおかけしてすいません。
 とにかく来年度は、京都で学んだ経験を活かして、また地元の福井で、自分を鍛える覚悟で頑張りたいと思います。

頑張れ!山本君

No.6631

 メッセージ、ありがとうございます。

 貴兄のように心優しき人が中学校の先生になってくれるというのは、本当に有り難いことだと思います。

 子どもたちに、歴史の面白さを伝えて下さい。ついでに映画も。

 福井は京都から、それほど遠くはありません。「芋粥」の利仁将軍の如く、しばしば上洛して下さい。

 ともあれ、御活躍を祈念いたします。

グローリーデイズ

No.6634

>山本さん
 遅くなりましたが火曜日は久しぶりにおいでいただいてありがとうございました。久しぶりに山本さんの長い書き込みを読むこともできてとても嬉しいです。
 山本さんとご一緒させていただいたのは、私が山本さんの主催される『吾妻鏡』の時間に伺うようになって以来のことですから、もうかれこれ五年になります。勉強の意義や目的のようなものすら持てずにいた私に、史料をじっくり読むことの大切さや楽しさを教えて頂いたのが、この『吾妻鏡』の時間でした。部屋の本棚で埃を被っていた国史大系の『吾妻鏡』を引っ張り出して参加するようになったこの時間は、史料を囲んで自由に意見交換ができるという一週間のうちで最も充実した時間でした。今でも『吾妻鏡』を素材にしてぽつぽつと勉強していられるのも、この出会いがあったからだと思います。

 『吾妻鏡』の時間以外にも、山本さんにはゼミ旅行などでもお世話になりました。とりわけ思い出深いのは、2006年3月に伊豆を訪れた際に、六地蔵-伊豆-京都の移動で私の拙い運転を助手席からサポートして下さったことでした。浜名湖のS.A.では人数分以上に運ばれてきた鰻丼をみんなで分けたり、意味もなく(?)熱海警察署の場所を教えて下さったり、修善寺ではみんなで足湯に浸かったりと、楽しい旅行をコーディネートしてくださいました。

 地上波の映画放送は観られなくなってしまうかもしれませんが、スカパー!なら日本全国たぶん支障なく観られると思いますから、余裕があればまた「時代劇専門チャンネル(「太平記」再放送中)」や「ファミリー劇場チャンネル(「春日局」放送中)」なども機会があればチェックしてみて下さい。

 福井での利仁将軍の如きご活躍をお祈りしております。私はとうてい「五位」には届きそうにない身分ですが、福井にお邪魔したときは腹一杯の芋粥をごちそうしてください。

 …そんな山本さんが創始された、次回『吾妻鏡』のご案内です。
 日時:2009年3月24日(火)13:00頃~(予定)
 場所:京都女子大学L校舎 3階 共同研究室
 範囲:寛元二年(1244年)八月十六日・二十四日・二十九日、九月一日・二日・三日・十三日・十九日・二十八日、十月十三日、十二月七日・八日・二十七日
    寛元三年(1245年)正月九日・二十一日・二十八日、二月十日・十六日、三月十六日・十九日・三十日、四月六日・二十一日・二十二日、五月三日・七日・九日・二十二日・二十三日、六月三日・七日・十日・二十七日、七月五日・二十六日、九月四日・九日・十四日、十月六日・十一日・十六日・二十八日、十一月四日・十日、十二月十六日・十七日・二十五日
    寛元四年(1246年)正月一日・四日・十日、二月九日・十三日・二十九日、三月八日・十三日・十四日・十八日・二十日・二十三日・二十四日・二十五日・二十六日・三十日、四月八日・十九日、閏四月一日・八日・十八日・二十日、五月二十四日・二十五日・二十六日、六月一日・六日・七日・十日・十三日・二十日・二十七日、七月十一日、八月一日・十二日・十六日、九月一日・十二日・十六日、十二月二日・七日・十二日・十七日・二十八日・二十九日の各条

 毎週火曜日の『吾妻鏡』講読会は、参加者のみなさんの自主的な積極性によって支えられております。ご自身に合った勉強法を見つけていただけると思いますので、どなたさまでも、まずは見学からでもどうぞお気軽にご参加ください。

24日の『吾妻鏡』講読会の会場について

No.6637

 24日は、いつも使用している共同研究室が宗教部関係の会議のため使用できません。
 会場はS校舎(L校舎の東隣)2階の教室に変更の予定です(おそらく、S213)。
 参加者はお間違えのないように、お願いいたします。

今日は京都女子大学の卒業式

No.6624

 今日はたいせつな二つの儀式に出席して参りました。

 午前中は、大阪市天王寺区の大念寺で執り行われた、米谷豊之祐先生の一周忌法要。
 御親族の方々に先生の研究上の御業績について紹介させていただきました。昨春は御葬儀に参列が叶いませんでしたので、有り難い機会を得ることが出来たと思っております。
 
 ただ、残念だったのは先生の追悼記事を載せた『紫苑』第7号の刊行が間に合わなかったこと。それでも、先に御子息にお送りしておいた三校のゲラのコピーが御列席の方々に配布されており、お役に立つことが出来たようです。
 
 なお、米谷先生の御命日ですが、三月一日とうかがっておりましたが、正しくは二月二十九日とのこと。この場を借りて、>>No.6212の書き込みを訂正させていただきます。
 
 米谷先生の御法名は「兎月庵好史豊祐居士」。生前自ら決めておかれたとのことで、「兎」は生まれ故郷の奈良県宇陀郡兎田野町に因むとのことです。

 あらためて、先生からの御恩に感謝し、御冥福をお祈り申し上げる次第です。

  
 午後は京阪電車の特急で京都にとって返し、京都女子大学の卒業式に列席しました。
春の日ざしの女坂は晴れ着姿の卒業生と保護者の方々で一足先に桜が満開になったような風情。それにしても、いよいよ卒業生の御両親が私より確実に若くなって参りました。
 今年は学部・大学院(修士・博士前期課程)の卒業式・修了式が二回に分割されたので、2時30分開始の文学部・文学研究科・現代社会学部・現代社会研究科の卒業式・修了式に出ることが出来たというわけです。

 当ゼミ関係の修了生・卒業生は家政学研究科の満田さんと国文学科の江波さんだけだと思っていたのですが、中国に留学されていた、あの廣政さんも国文学研究科を修了されました。おめでとうございました。
 三人のこれからの<大>活躍を期待するところです。

 さて、本日は、綾部で古文書学会の見学会が行われているはず。元木先生や元木研究室に所属する諸姉兄からのお土産話が楽しみです。

スプリングハズカム。

米澤隼人
No.6618

野口先生、ゼミの皆様、いつもお世話になっております。

やわらかな春の日差しとともに、卒業の季節がやってまいりました。
当方の大学でも本日、卒業式がおこなわれ、私も無事卒業と相成りましたので、謹んでご報告いたします。

大学生活とは、どなたにとってもかけがえのないものでしょうが、私の四年間を顧みても、とても充実していたように思います。
とりわけ貴所では、多くの出会いの中で、大いに啓蒙触発されました。

貴重な場を提供して下さった野口先生、そして岩田さんのほか、お世話になった諸先生、先輩、同輩、後輩の皆様には、心よりお礼申し上げます。

先は案じられますか、もう少し勉強を続けてみようと思いますので、これからも、『吾妻鏡』輪読会をはじめとして、変わらぬご厚誼をお願い申し上げる次第でございます。

あきらけき『鏡』にあえばいまもまた
 いまいくすえのこともみえけり(?)
※大鏡

春が来た~♪

No.6619

 米澤君 御卒業おめでとうございます。
 4月からは、いよいよ最も恵まれた環境のもとでの研鑽が始まります。そこに到達できたことへの自信を大切にし、誇りをもって精進して下さい。
 当方のゼミにおいては、さらに後進を引っ張って頂ければ幸いとするところです。

 本日は永井晋先生に貴重な御報告を頂きました。あいにく諸行事が重なって参加者は少数でしたが、忌憚のない発言が取り交わされて充実した研究会だったと思います。
 アルコール抜き、定食の懇親会も楽しいものでした。
 御多用の中、報告を引き受けて下さった永井先生、御同行の野村朋弘さん、御出席下さった橋本素子先生、ならびに関西各大学院の研究員・院生諸姉兄に御礼を申し上げる次第です。

 米澤君には春が来ましたが、私はいよいよ「ガタが来た」という感じです。

Re: スプリングハズカム。

永井 晋
No.6622

こちらこそ、歴史的事件の枠組をどのように理解するかという話だったので、実証的な分析よりも、放談に近いトークになりました。長村さんなどは、論文で読む印象と認識論として述べた報告の落差にカルチャーショックを受けたのではないでしょうか。自分の知の枠組を固めるための議論をする時の攻撃的な思考と、自分の考えを文章として固定化する時の防御的な思考の違いは別人のようなのかも知れません。ただ、橋本先生の御着物でのご来場には、私もペースを狂わされましたが、院生の方々も驚かれたようですね(笑)。なんでも、「着物パスポート」とかいって京都の着物文化をアピールするイベント期間なんだそうです。


失礼いたしました。

橋本素子
No.6623

先日は、場違いな人間が失礼しました。
着物は、講演の場など、最近はときどき着ているもので、当日も「お天気がよいから着ていこう」という程度のものでございました。
まさか永井先生のペースを乱していたとは思いもよりませんでした(笑)。
当日野口先生にご恵与いただきました「中世前期における宇治の軍事機能について」は、わたくしがこのところ中世後期の宇治において寺社下部層出身者や土豪層によって展開された茶業についてやっているものでして、大変興味深く拝読させていただきました。
ちなみに、小松殿はその後「小松園」という茶園になっております。またご存知の通り中世の最後は槇島城の戦いであり、これに巻き込まれて没落した茶業者も多数ございました。あらためて、中世前期から宇治の歴史を通観することも大切だと教えていただきました次第でございます。誠にありがとうございました。
これからもよろしくお願い申し上げます。
永井先生、着物を着ていると市バスと地下鉄が無料になる「伝統産業の日」は翌日からでございます(笑)。

今度はぜひ橋本先生に御報告を。

No.6625

 橋本先生、研究会にお出で下さり、まことに有り難うございました。
 宇治の共同研究は、今年度でひとまず終了ということになるのですが、ぜひ、先生に宇治のお話をお聞かせ頂く機会を得たいものと存じております。
 今後とも、なにとぞよろしくお願い申し上げます。

 ところで、着物を着ていると市バスと地下鉄が無料になるということであれば、卒業式に出席する京都市内所在大学の女子学生の大半は交通費は無料というわけですね。

半世紀ぶりの「3月10日」

No.6617

 3月10日、大阪では阪神がリーグ優勝したことに興奮したファンによって道頓堀川に投げ入れられたカーネル・サンダースの人形が24年ぶりに発見されたと言う話題で持ちきりでした。一方、関西のマスコミはほとんど忘れているかのようでしたが、この日は東京大空襲から64年目にあたります。

 私は学生時代、総武線の黄色い電車に乗って毎日千葉と渋谷の間を往復しており、毎日通過する東京下町が焼け野原になった東京大空襲の話をきいてはおりましたが、ちょうどその頃出版された早乙女勝元氏の『東京大空襲』(岩波新書)によって、認識を新たにしたことを記憶しています。広島・長崎と共に忘れてはならない、いろいろな意味で残虐な「空襲」だと思います。

 さて、その3月10日は、私個人にとっても忘れがたい日になりました。小学校3年生の時以来、会うことのなかった友人と再会の機会を得たからです。昨秋は大学院時代の友人に再会し、瞬時にして昔と同じ関係を取り戻したのですが、幼年時代の友もまた同様。同業であることも手伝って、みっちり5時間語りまくりました。彼は子どもの時から秀才肌で、プリンストンで学位を取得というだけに、頭脳の出来が違うようで、昔のことを本当に良く覚えていて、おかげで忘れていたことを随分思い出させてもらいました。

 このところ、長く生きないと分からないことが結構あるものだと言うことを実感させられることが多いように思います。

 さて、『紫苑』ですが、いよいよ三校校正の段階です。再校でほとんど修正のなかった分については、原稿をお送りしません。とても多かった人が一人おられるので(笑)、その方はしっかりと確認をして下さい。
 今日は公開研究会ですが、どのくらいの方がお見えになられるか?

 京大の元木先生の研究室のみなさんは、昨日、鳥羽・安楽寿院の見学に出かけられた由。また、お話をお聞かせください。

角田文衞先生を偲ぶ会

No.6609

 本日は京都ホテルオークラにおいて、昨年五月に亡くなられた角田文衞先生を偲ぶ会が催されました。学界・政界・官界などの各方面から百四十名ほどの著名な方々が参会し、不世出の歴史学者であった角田先生の遺徳を偲びました。
  →http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2009030700150&genre=K1&area=K00

 たくさん新たな発見もありましたが、とくに驚いたことが二つ。
 一つは会場の入り口に展示されていた角田先生の使われていた『尊卑分脉』(国史大系本)。
 山田邦和先生のブログ参照→http://heike.cocolog-nifty.com/kanwa/2009/03/post-ea3c.html

 所掲の各人物について、記録所見が小さく且つ綺麗な文字で詳細に書き込まれていました。自家製の平安京図も同様。これが先生の思考の前提にあったわけです。
 学問を業とする者にとって、美しく整理された手書きのノートを作ることは、最低限に必要な能力であることを痛感させられました。今ならPCを使いこなすことで代替されるのかも知れませんが、これを見て、やはり手書きでないと優れた研究は生み出し得ないように思えました。

 二つ目は、挨拶に立たれた碩学たちの見事なスピーチ。
 角田先生の後輩に当たる80歳代の著名な先生方の御挨拶が続いたのですが、いずれも原稿などなし。にもかかわらず、論理明快で固有名詞もすらすら出てくる。角田先生もそうでしたが、老いてもちっとも頭脳の衰えを見せません。これらの先生方には「老人ぼけ」などという言葉はまったく無縁のように思えました。戦前・戦中・戦後の厳しい時代を学問の道を一筋に邁進されてきた結果なのでしょう。私も出来れば、ああなりたいものだと感じ入った次第です。

 会場で、角田先生出演のテレビ番組のビデオが放映されたりしたこともあり、今は、先生御本人にまたお目にかかって来たような気分でおります。

早咲きの「サクラ」サク!院試は全員合格。

No.6605

 先日「合格」の知らせを頂いた杉山君に続いて、本日、満田さんからも合格の知らせが届きました。
 これで、今年度当ゼミの関係者で大学院修士、博士(後期課程)進学希望者全員が所期の目的を達したことになります。素晴らしいことです。
 ところは東広島・吉田(2名)・大宮・桂と離れは致しますが(後の3地点は京都市内とはいえ)、それぞれの地で大いに活躍されることを期待するところです。
 なお、当ゼミには御本人からの「離縁状」提出のない限り、卒業も修了も御座いません。今後とも宜しくお願い申しあげる次第です。
 それにしても、嬉しい限りです。

【追記】さらにまた、慶ぶべき情報が続々と到来しました。
  >田中さん おめでとう御座います。
   「さすがは八坂神社の御神籤!」などと、ひどく感動されている方がおられましたよ(笑)。

  >山本君  一安心ですね。
   郷里での御活躍を期待しています。

全員合格。

田中裕紀
No.6615

全員合格、おめでとうございます。
なかなかゼミに伺うことが出来ませんが、お会いした方の吉報は嬉しいです☆

そして、野口先生ご祝辞ありがとうございます。
まだ新生活がスタートした・・という感じではありませんが、少しずつ実感がわいてきました。
新しい環境を、どう楽しむかが課題です。
今後とも、どうぞ宜しくお願いいたします。

野口ガ果報ハ・・猶マサリマイラセタリケレ

No.6620

 (もと)田中さん、あらためまして御入籍おめでとう御座います!

 それにしても、「新しい環境を、どう楽しむかが課題」とは流石です。
 しかし、建礼門院ほどにというのは酷ですが、少しは苦労を背負って、『平家物語』ならぬ『平気物語』を平成の世に送り出すというのもオツなものなのではないでしょうか(笑)。

 ともあれ、ひたむきな御健闘を期待しております。


 「全員合格」本当に素晴らしい。こんなに優秀な若者達に囲まれて過ごしていられる幸せを、自覚的に噛みしめなければ、罰が当たるかも知れませんね。

『後鳥羽院のすべて』の御紹介

No.6603

 このほど、当研究所の公開講座で講師をつとめて頂いたことのある、鈴木 彰・樋口 州男両先生の御編になる 『後鳥羽院のすべて』が刊行されました(新人物往来社、 税込価格: \3,150 )。

 構成は以下のとおり。
「後鳥羽院とその時代」(樋口州男:専修大学非常勤講師)
「院政開始」(櫻井彦:宮内庁書陵部主任研究官)
「承久の乱」(野口実:京都女子大学教授)
「京方武士群像」(錦昭江:鎌倉女学院中学・高校教頭)
「隠岐の後鳥羽院」(平田英夫:藤女子大学准教授)
「後鳥羽院と公家衆」(長村祥知:日本学術振興会特別研究員・京都大学大学院DC)
「後鳥羽院をとりまく女性たち」(野口華世:東京都立大学・首都大学東京非常勤講師)
「後鳥羽院と兄弟・子女-皇統対立のなかの後鳥羽院-」(松井吉昭:都立向丘高校教諭)
「後鳥羽院の歌壇」(石澤一志:目白大学専任講師)
「後鳥羽院と熊野御幸」(清水眞澄:青山学院大学女子短期大学部等非常勤講師)
「後鳥羽院の怨霊-利用される怨霊-」(今野慶信:駒澤大学兼任講師)
「後鳥羽院像の展開-刀剣文化との関わりから-」(鈴木彰:明治大学准教授)
「後鳥羽院関係史蹟事典」(錦昭江)
                (野口孝子:同志社女子大学嘱託講師)
                (石附敏幸:開成高校教諭)
               (鈴木彰)
                (平田英夫)
「後鳥羽院関係人物事典」(石澤一志)
                (川鶴進一:早稲田大学本庄高校教諭)
                (平田英夫)
                (堀内寛康:都立高校嘱託)
「後鳥羽院関係年譜」(長村祥知)
「後鳥羽院参考文献目録」(平藤幸:鶴見大学非常勤講師)
 
  ※ 新人物往来社の『~のすべて』シリーズの中には、さまざまな内容のものがありますが、本書は確実に教養書、さらに歴史学・文学専攻の学生・専門家向けに属します。
 編者のみならず執筆者には長村君をはじめ、当ゼミ所縁の方が多く名を列ねています。
 なお、拙稿は、はじめて慈光寺本『承久記』によって、承久の乱の過程を通覧したもので、以前執筆した「ドキュメント承久の乱」(『別冊歴史読本15-28』)にかわる、私の承久の乱認識を示したものです。

 ◎ 現在、日本の出版文化は危機に瀕しています。定額給付金は飲み食いに使わずにこういう書籍購入に充てて下さい。

「以仁王挙兵の枠組みを考える」

No.6600

 以前、予告した公開研究会の詳細スケジュールです。

 報告テーマ:「以仁王挙兵の枠組みを考える」
 報告者  :永井晋先生(神奈川県立金沢文庫主任学芸員)
 日 時  :3月12日(木)午後3時~5時
 会 場  :京都女子大学宗教・文化研究所共同研究室(L校舎3F)
         ※ 交通アクセス・キャンパスについては下記をごらん下さい。
            http://www.kyoto-wu.ac.jp/access/index.html
         http://www.kyoto-wu.ac.jp/student/campus/map/index.html

  関西で永井先生のお話をきける機会は少ないと思います。また、御報告には、佐伯智広君が担当される2009年度日本史研究会大会中世史部会報告の内容に関係する論点が含まれるのではないかと思いますので、関西圏で中世前期(12C後半)政治史を専攻される院生諸姉兄の積極的な参加を期待するところです。

久しぶりの案内です-次回『吾妻鏡』-

No.6602

 このところご案内を掲出するのを怠っておりましてすみません。来週(3/10)は一回お休みの次の『吾妻鏡』のご案内です。

 日時:2009年3月17日(火)13:00頃~(予定)
 場所:京都女子大学L校舎 3階 共同研究室

 範囲:寛元二年(1244年)五月十一日・十八日、六月五日・十日・十三日・十七日・二十七日・二十九日、七月五日・十五日・二十日、八月三日・八日・十五日・十六日・二十四日・二十九日、九月一日・二日・三日・十三日・十九日・二十八日、十月十三日、十二月七日・八日・二十七日の各条

 毎週火曜日の『吾妻鏡』講読会は、参加者のみなさんの自主的な積極性によって支えられております。ご自身に合った勉強法を見つけていただけると思いますので、どなたさまでも、まずは見学からでもどうぞお気軽にご参加ください。

山本陽一郎君の壮行会

No.6613

 3月17日の講読会には、久しぶりにゼミメンバーの兄貴分である山本陽一郎君が出席してくれるとのことです。
 終了後、時間があれば山本君の壮行会を行いたいと思いますので、山本君ゆかりの方々の積極的な御出席をお願いする次第です。

 ☆ 鎌倉考古学研究所の馬淵和雄先生より、御高論「上行寺東遺跡やぐら群の成立と展開」(『神奈川地域史研究』第26号)を御恵送いただきました。
 馬淵先生に、あつく御礼を申し上げます。