ゼミ、この一年

No.6499

 大つごもり。帰省中の方々は、巫女さんをされていたり、お餅つきをされていたり、楽しく過ごされているようで、何よりだと思います。

 さて、なにごとも最後は必ずやってくる。今年最後の日にあたり、ゼミの活動を中心に、この一年を振り返ってみたいと思います(※は野口)。

【1月】
 科研報告書の作成(ゼミ関係者の援助)・『紫苑』第6号の編集作業(山岡編集長の活躍)
※ 27日、中世戦記研究会(都立九段中等教育学校)で『曽我物語』巻八の輪読担当(佐伯君・伊藤さん参加)
【2月】
 『紫苑』第6号入稿
※ 拙稿「執権体制下の三浦氏」収録の峰岸純夫編『三浦氏の研究』(名著出版)刊行
 ※ 17日、隼人文化研究会(鹿児島市黎明館)で報告(「地域史研究における京都認識-閑院内裏・宇治と南九州・奥羽-」)。
【3月】
   研究所『研究紀要』第21号刊行(野口実・佐伯智広・田中裕紀・大原瞳「摂関家の空間における政治と文化(中世前期の宇治に関する総合的研究Ⅱ)」収録)。
1日 米谷豊之祐先生逝去(92歳)
3日・10日 ゼミ史料講読会
9日 神戸大学高橋昌明教授最終講義
13日 国際日本文化研究センター 千田稔教授・今谷明教授退任記念講演会
※ 14日 『台記』研究会(京都大学)で報告(「平家の坂東支配に関する新知見」)
23日 鈴木潤君・永富絵里子さん結婚式(同志社高校チャペル)
26日 ゼミ見学会(宇治市歴史資料館・浄瑠璃寺・般若寺など)
29日 上横手雅敬先生喜寿記念会(ウェスティン都ホテル)
ゼミ機関誌『紫苑』第6号刊行
 ※ 科学研究費成果報告書『閑院内裏の政治史的研究』刊行(資料は佐伯君・長村君・坂口君が分担、作成協力は山岡さん)  
【4月】
3日 ゼミ・ 9日 ゼミ(1回生5名参加)
11日 吉田泉殿跡現地説明会(京都大学構内)
12日 千葉乗隆先生逝去(86歳)
17日 新たに『小右記』と『吾妻鏡』(治承四年)の史料講読会を開始
19日 ゼミ史跡見学会(木幡~宇治)
24日 ゼミ史料講読会(『小右記』・『吾妻鏡』) 26・29日(『吾妻鏡』)
【5月】
8・15・22・29日 ゼミ史料講読会(『小右記』・『吾妻鏡』)
10・13・20・27日  ゼミ史料講読会(『吾妻鏡』)
14日 角田文衞先生逝去(95歳)
18日 歴史学研究会大会(早稲田大学、岩田君・佐伯君・伊藤さん参加)
24日 日本研究会例会(機関紙会館)
 ※ 「書評と紹介 落合義明著『中世東国の「都市的な場」と武士』」掲載の『古文書研究』第65号刊行
【6月】
 ※ 2日 京都労働学校出講(テーマ「京都と鎌倉-王権の行方-」)
3・17・24日 ゼミ史料講読会(『吾妻鏡』)
5・12・19日  ゼミ史料講読会(『小右記』・『吾妻鏡』) 
13日 愛知より野口洋平君上洛
16日 東大史料編纂所高橋慎一朗先生とゼミの懇親会(市場小路寺町)
22日 中世戦記研究会(学習院大学、伊藤さん・長村君出席)
28日 研究所公開講座・懇談会・懇親会(里)
 ※ 「書評 村井章介著『中世の国家と在地社会』」掲載の『史学雑誌』第117編第6号刊行
【7月】
3・10・17日 ゼミ史料講読会(『小右記』・『吾妻鏡』) 
8・15・22日 ゼミ史料講読会(『吾妻鏡』)
17日 ゼミ例会報告(小野翠さん「鎌倉将軍家の女房について-源家将軍期を中心に-」)
24日 ゼミ史料講読会(『小右記』)
 29日  ゼミ公開講座事後勉強会・ 史料講読会(『吾妻鏡』)
【8月】
2日 平安京八条三坊四・五町現地説明会
27・28日 古代史サマーセミナー(広島県宮島、28日 尻池さん報告、岩田君・江波さん参加)
【9月】
    関幸彦・野口実編『吾妻鏡必携』(吉川弘文館)刊行
   (野口担当部分は、岩田君・佐伯君・長村君・坂口君・山本君・山岡さん執筆、岩田君が統括)
4日 学習院大学兵藤ゼミを案内(法住寺殿跡・清閑寺など)    
6・7日 中世都市研究会(東大武田先端知ビル)
※19日 唐津東高校にて出張講義(テーマ「武士の都としての平安京・京都」)
22日 ゼミ(一回生)
※24日 京都SKY大学講演「平安京・京都の歴史」(京都新聞社文化ホール)
29日  ゼミ史料講読会(一回生『吾妻鏡』治承四年)
30日 ゼミ史料講読会(『吾妻鏡』)
【10月】
2・9・16・30日 ゼミ史料講読会(『小右記』)
4日 鈴木夫妻結婚祝賀会(ル・デッサン、幹事田中さん)
6・20・27日 ゼミ史料講読会(一回生『吾妻鏡』治承四年)
7・14・21・28日 ゼミ史料講読会(『吾妻鏡』)
21日 ゼミ例会報告(岩田慎平君「泰時政権下の鎌倉幕府について」)
【11月】
4・11・18・25日 ゼミ史料講読会(『吾妻鏡』)
10・17・24日 ゼミ史料講読会(一回生『吾妻鏡』治承四年)
13・20・27日 ゼミ史料講読会(『小右記』)
 ※  26日 『台記』研究会(京大、元木研究室)で研究報告(テーマ「渡宋僧了行と渡元僧道源」
 ※ 「書評 牧野和夫著『延慶本『平家物語』の説話と学問』」掲載の『日本宗教文化史研究』第12巻第2号刊行
【12月】
1日 『紫苑』第7号原稿締切(新編集長は国文4回生の江波曜子さん)
1・8日 ゼミ史料講読会(一回生『吾妻鏡』治承四年)
2・9日 ゼミ史料講読会(『吾妻鏡』)
4日 ゼミ史料講読会(『小右記』)
14日 茨城大学シンポ「北関東の武士たち」(岩田君・長村君)
15日 筑波山南麓史跡見学(岩田君・長村君・伊藤さん)
※ 20日 鎌倉遺文研究会例会報告「東国出身僧の在京活動と渡宋・渡元」
22日 ゼミ(一回生 昼食会)
23日 ゼミ史料講読会(『吾妻鏡』)

 ☆ 高知大学の市村高男先生より、新刊の御高著『戦争の日本史10 東国の戦国合戦』(吉川弘文館)を御恵送頂きました。
 戦国期の千葉氏や里見氏の動向が詳述されていて、千葉の中世史から歴史を志した私には、たまらない内容。少年時代のワクワクした気持ちが甦りそうです。
 四国にありながらも、郷里・東国の歴史を継続して研究されている市村先生に敬意を表したいと思います。
 これに励まされて、私も、来年から、中世前期の東国の歴史について、新たな角度から再チャレンジをはかりたいと考えています。
 市村先生にあつく御礼を申し上げます。

 ☆ 平泉町世界遺産推進室の千葉信胤先生より、御高論「菅江真澄と平泉」(『真澄学』第4号)を御恵送頂きました。
 千葉先生にあつく御礼を申し上げます。

ゆくゼミ、くるゼミ

No.6500

>野口先生
 この一年の詳細な振り返り、ありがとうございます。
 今年もゼミでの活動を通じて、実に多くの方々と出会う機会を得ることができました。もともと出不精の私にとってはそれは大変ありがたいことでありまして、今年も「あぁ、野口ゼミの…」とお声を掛けて下さいました皆様に深く御礼申し上げます。

 来年も、ゼミへの変わらぬご指導、ご支援をいただきますようお願い申し上げます。

お世話になりました、本年もよろしくお願いします

元木泰雄
No.6502

 野口先生、野口ゼミのみなさん、明けましておめでとうございます。
 昨年は本当にお世話になりました、厚く御礼申し上げます。本年も何卒よろしくお願い申し上げます。
 思えば去年は、研究室と自宅という二度の大移転を経験致しました。
 近衛寮への配流は半年に及び、赦免帰還は去年1月末。この間、研究室没官という非常事態に直面したのですが、野口先生には当方の研究会のために研究室をご提供くださり、危機を救ってくださいました。改めて御礼を申し上げます。
 また、6月の転居に際しましては、岩田君に大変お世話になりました。老母を連れた再度の下見、転居後の荷物整理など多大のご尽力には感謝の言葉もありません。本当に有難うございました。
 また野口先生には、上横手先生の喜寿記念会に際し、お心のこもったお祝辞を頂戴致しました。当方の『台記』研究会では二度もご報告を賜り、主席者を裨益してくださいました。本当に有難うございました。
 野口ゼミには当方の研究室メンバーも参加さえていただいております。正確にいえば、野口ゼミのメンバーが当方の研究室に属すようになったのですが。それはともかく、彼らをご指導くださったことに心より御礼を申し上げます。
 今年も、協力して若い諸君を叱咤、激励してゆきたいと存じます。よろしくお願い申し上げます。
 
 歴史的な経済危機の中、人文科学は存続すら危ぶまれる事態に直面しております。しかし、経済面でも政治面でも根本的な価値観さえもが大きく動揺するときにこそ、歴史学が重要な意味をもつと存じます。
 過去の危機への対応の具体例を解明するのはもちろん、価値観の転換の中でも変わらない人間のあり方の本質を問い直せるのが、歴史学だからです。極端な言い方をすれば、歴史学をおろそかにし、政治的に歪曲する国は滅亡すると思います。
 こうした時代の中で、歴史学を守り、発展させるにはどうすべきか、学問を志す者は自身にできること、なすべきことを常に意識する必要があると存じます。
 歴史学を志すことの重要性と、意義を認識し、危機に立ち向かいたいと思います。
 何卒、今年もよろしくお願い申し上げます。
 

木曾義仲の父、帯刀先生義賢について

No.6497

 >>No.6477>>No.6493で『木曾義仲のすべて』を紹介させて頂きましたが、これに関連して、義仲の父義賢について書いた本はあるのかという御質問の声が届きました。

 拙著『武家の棟梁源氏はなぜ滅んだのか』所収の「城外の乱逆」や『源氏と坂東武士』でも触れておりますが、いちばん読んで頂きたいのは、上横手雅敬先生の「院政期の源氏」(御家人制研究会編『御家人制の研究』吉川弘文館、1981)です。
 義賢が甥の義平に討たれた久寿2年(1155)の武蔵国大蔵合戦を保元の乱の前哨戦と捉え、また頼朝の挙兵の背後に後白河院の意志の存在したことを明確に指摘した点においても、僭越な申し様で恐縮ですが、もっと評価されるべき論文だと思います。

 ◇ 『古代文化』第60巻第3号が刊行されました。辻浩和君の「後白河と〈都市民〉」が掲載されています。
 史学・国文などのジャンルを問わず、平安末~鎌倉初期を研究対象としている方すべてに裨益多い論文です。

 ☆ 宮田敬三先生から、御高論「屋島・壇ノ浦合戦と源義経」(川合康編『平家物語を読む』吉川弘文館)を御恵送頂きました。
 宮田先生に、あつく御礼を申し上げます。  

広島大学大学院 2月の院試案内

No.6495

 当ゼミ出身(今もメンバー)の尻池さんが進学された広島大学大学院の下向井龍彦先生より、2月の院試案内の紹介についての御依頼を頂きましたので、以下に掲載いたします(下向井研究室の組織力・行動力の素晴らしさについては、今夏の「古代史サマーセミナー」で実証済みのことと思います)。
 なお、「尻池さん、がんばっています」とのメッセージも頂きました。嬉しい限りです。

           ☆    ☆    ☆    ☆    ☆
   広島大学大学院教育学研究科下向井研究室(SHIMOKEN塾)で平安時代史の研究しませんか

 大学院博士課程前期課程では第2次募集を行います。
 出願期間 2004年1月5日(月)~9日(金)
 受験日時 2004年2月12日(木)英語
             13日(金)午前:専門科目、              午後:口述試験
 [募集要項]には次のように書かれています。
 学校教育と生涯学習社会のつながり及び生涯発達を視野に収め,各発達段階における地理歴史・社会科学認識の形成過程と論理を,教育現場でのフィールド・リサーチを中心とした科学的手法を用いた研究によって解明し,これらの研究を踏まえて社会認識の教育的意義や教育方法,内容等に関する研究・教育を展開します。
 [募集要項]を読んだだけでは、とてもここで日本史の研究ができるとは思えませんが、「内容等に関する研究」のなかに、実は日本史の研究も含まれているのです。
私の研究室(SHIMOKEN塾)で仲間達と一緒に奈良平安時代史(王朝国家論)の研究をしてみようか、という人、是非、受験してみて下さい。現在、塾生は、教育学部・文学部の院生・学生など10数名。

 院生以上の塾生の研究テーマは、
 「平安時代対外関係史/平安時代国家財政論」(広島大学研究員)
 「平安時代の祭礼と武士」(文・D2)
 「平安時代の勝負儀礼と舞楽」(教・D1)
 「平安時代の受領統制」(教・M2)
 「摂関家と宇治」(教・M2)
 「平安時代の国衙と郡司」(教・M1)

 受験科目
 英語(全専攻共通)。25点に満たないと不合格。英和辞典持ち込み可。
 専門科目
 社会科教育学・日本史
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 下向井龍彦
 広島大学教育学部社会認識教育学講座
 〒739-8524 東広島市鏡山1-1-1
 Tel & Fax 0824-24-7065(直通)
 E-mail shimoken@hiroshima-u.ac.jp
 ======================

 ☆ 上記の御案内を頂いた下向井龍彦先生より、先生が研究代表者である科研研究成果報告書『律令国家・王朝国家の国家軍制に関する総括的研究』と御高論「明経生中原師重の明経得業生進学をめぐって-『小右記』長和三年十月~十二月条から-」(『日本歴史』727号)、御講演要旨「藤原純友の乱の実像」(『伊予史談』350号)を御恵送頂きました。
 下向井先生に、あつく御礼を申し上げます。  

『木曾義仲のすべて』の内容紹介

No.6493

 >山本さん  書き込みをありがとうございました。
         日本中世史に取り組むに素質十分。嬉しい限りです。
         年末年始の休暇の間に、たくさん本を読んでおいて下さい。


 ◎  >>No.6477で刊行をお知らせした『木曾義仲のすべて』の内容(各論テーマと執筆者)について、あらためて紹介させていただきます。

 「木曾義仲-物語と史実」・・・・ 樋口州男(専修大学非常勤講師)
 「木曾義仲の出自」・・・・・・・ 戸川 点(都立松原高校教諭)
 「木曾義仲と北陸合戦」・・・・・ 櫻井 彦(宮内庁書陵部主任研究官)
 「木曾義仲の武士団」・・・・・・ 松井吉昭(都立向丘高校教諭)
 「法住寺合戦」・・・・・・・・・ 長村祥知(日本学術振興会特別研究員・京大院DC)
 「木曾義仲の最期」・・・・・・・ 錦 昭江(鎌倉女学院中・高校教頭)
 「義仲にまつわる女性-史実と物語のあわい」・・・・・源健一郎(四天王寺大学准教授)
 「近世・近代の木曾義仲-『義仲勲功図会』から『木曾義仲勲功記』へ」・・・鈴木彰(明治大学准教授)
 「英雄論のなかの木曾義仲」・・・ 久保 勇(千葉大学助教)
 「木曾義仲関係史蹟を歩く」・・・ 川鶴進一(早大本庄高等学院教諭)・樋口州男・島崎直人(平塚市
                  立旭小学校教諭)・松井吉昭・野口孝子(同志社女子大学嘱託講師)
 「木曾義仲関係人物事典」 ・・・ 石附敏幸(開成高校教諭)・川鶴進一・堀内寛康(都立高校嘱託)
 「木曾義仲関係年譜」・・・・・・ 根本隆一(駒沢学園女子高非常勤講師)
 「木曾義仲文献目録」・・・・・・ 今西康二(愛知県立尾西高校教諭)・羽原 彩(博士〔文学〕)

 ☆ 長野工業高専の中澤克昭先生より、新刊の御編著『歴史のなかの動物たち2 人と動物の日本史』(吉川弘文館)を御恵送頂きました。
 収録論文のうち、中澤先生の「狩る王の系譜」ならびに中込律子氏の「王朝の馬」は中世前期武士論研究にとっても貴重な研究成果だと思います。
  中澤先生にあつく御礼を申し上げます。

 ☆ 秋田大学の志立正知先生より、新刊の御高著『〈歴史〉を創った秋田藩 モノガタリが生まれるメカニズム』(笠間書院)を御恵送頂きました。
 秋田藩主佐竹氏が自らを源義家の後裔とするという虚構をつくりだした背景について、歴史学・国文学の枠組みを超えて追究した労作で、これまた武士論研究にとって裨益の大きな労作です。
 志立先生にあつく御礼を申し上げます。

 ☆ 駒場東邦中・高校の田中大喜先生より、御高論「平家一門の実像と虚像」(川合康編『平家物語を読む』吉川弘文館)を御恵送頂きました。
 田中先生に、あつく御礼を申し上げます。

京都は初雪。附、御寛恕のお願い二件

No.6486

 今朝の京都は周囲の山に冠雪が見られてなかなかの風情。しかれども、寒いこと尋常ではありません。そろそろ床屋さんに行かなければならないのですが、ここで髪を切ったら風邪を引くこと必定。むさ苦しい姿のままで、年を越すことになりそうです。周囲のみなさまの御寛恕を請う次第です。

 昨夜は四条で、上洛中の近藤好和先生を囲んでの大宴会。上横手先生・元木先生御師弟の間に席をえて、充実の時を過ごすことが出来ました。ついで、長村君と酔い覚ましに祇園に繰り込み、というのは虚言で(長村君はウーロン茶オンリーでした)、ただコーヒーを飲みに岩田君ゆかりのお店に行って歓談。店を出た時間のタイミングが良かったようで、京阪電車の特急、宇治線、京阪宇治バスの最終便と乗り継ぎ順調で、45分ほどで自宅に帰着することができました。
 なお、元木先生・近藤先生ご一行が二次会・→・→・・・へ行かれたことは言うまでもありません。

 寮生の皆さんは既に帰省の途につかれたことと思います。御家族と楽しいお正月をお迎え下さい。

 当方は、昨日、本当は10日締め切りの季刊誌の原稿を、ようやく添付ファイルで送信したという体たらく。これから、本年中に済ませなければならない最低限の「残務処理」にとりかかり、お正月には何とか中断中の原稿に手をつけたいと考えているところです。 そのような次第で、年賀状は三賀日は無理でも、松ノ内にはお届けできるように努力したいと存じますので、これまた御寛恕のほどお願い申し上げます。

前途に希望の見えてきた史料講読会

No.6485

 薗田さん、詳報をいただき恐縮に存じます。
 大河ドラマで「篤姫」が放送された年のサプライズということで、故郷の方々もしっかりと記憶にとどめられることでしょう。
 ちなみに、私が鹿児島に赴任した翌年正月からの大河ドラマは「翔ぶが如く」でした。

 さて、昨日(23日)の『吾妻鏡』講読会は、鈴木さんのお土産のほかに、岩田君が東京のお土産と例の美味しいシュークリーム、いつものコーヒーを持参して下さいましたので、ちょっとしたティ・ーパーテイーならぬコーヒー・パーティーと相成りました。
 嬉しかったのは、前日進路相談に見えた一回生の大倉さんが参加してくれたこと。それから、治承四年の記事に比べて、かなり難しい条文を山本さんがしっかりと読み下してくれたことでした。
 嘉禎年間の南都強訴について、熊谷隆之氏の論文に学びつつ、良い勉強が出来たと思います。
 
 江波さんの卒論(控)は目下拝読中ですが、流石になかなかの出来だと感心しております。

 今年のゼミはこれで終了ですが、私は図書館の開いている26日までは、研究室にいることが多いと思いますので、何か御用のある方は、電話かメールで在室を確認の上、遠慮なくお越し下さい。

 先週から風邪気味なのですが、明日の夜は四条橋のあたりに出没すべく、体調を整えております。

史料講読会のお礼

山本みなみ
No.6487

 野口先生、先輩方、先日の講読会ではお世話になりました。鎌倉遺文と吾妻鏡の両面から南都強訴をみていくのは、とてもおもしろかったです。
 当時と現在の価値観が異なることや文書は動画ではなく静止画(写真)で、個々の政治過程のひとつにすぎないことなど、いろいろと勉強になりました。また、武力が背景にあったとはいえ、文字の力というものを改めて感じ、ますます興味がわきました。条文の読み下しについては、つまらずに読めるよう更に頑張りたいと思います。今後ともご指導の程よろしくお願い致します。

 無事帰省の途につき、実家を満喫しています。
 それでは、良いお年をお迎えください。

希望という名の列車

No.6488

 山本さん、書き込みをありがとうございます。
 これは「京都女子大の」掲示板なのですが、それは大学の学生さんが書いてくださればこそなのです。ゼミでは代々「山本さん」が活躍してこられましたので、山本さんの今後のご活躍に期待致します。いろいろな史料を読む楽しさをみなさんと共有できたのは良いことだったと思います。

 来年はまた火曜日に『吾妻鏡』を読んでいきたいと思いますが、再開は1/13(火)を予定しております。
 範囲は以下の通りです。
『吾妻鏡』延応二年(仁治元年、1240年)十一月二十一日・二十三日・二十八日・二十九日・三十日、十二月十二日・十五日・十六日・二十一日
     仁治二年(1241年)正月二日・十四日・十七日・十九日・二十三日・二十四日、二月七日・二十二日・二十三日・二十五日・二十六日、三月十六日・十七日・二十日・二十五日・二十七日、四月二日・三日・五日・十六日・二十五日・二十九日、五月六日・十日・十四日・二十日・二十九日、六月八日・十一日・十六日・十七日・十八日・二十八日、七月八日・二十六日、八月十一日・十五日・二十五日・二十八日、九月三日・七日・十日・十一日・十三日・十四日・二十二日、十月十三日・二十二日、十一月三日・四日・十七日・二十一日・二十五日・二十七日・二十九日・三十日、十二月一日・五日・八日・十三日・二十一日・二十四日・二十七日・二十八日・二十九日・三十日、の各条

 毎週火曜日の『吾妻鏡』講読会は、参加者のみなさんの自主的な積極性によって支えられております。どなたさまでも、まずは見学からでもどうぞお気軽にご参加ください。

明日は今年最後の『吾妻鏡』講読会です。

No.6481

 先ずはじめに、「薗田さん、おめでとうございます!!!」。

 明日の『吾妻鏡』講読会は、実質的に今年最後のゼミの集まりと言うことになると思います。新旧を問わず、常には講読会に参加されていない方も含めて、多くのメンバーの御参集を期待しています。
 15:00より 研究所共同研究室にて 

 本日は、午前中、一回生『吾妻鏡』の打ち上げ(昼食会)。専攻領域は異なることになっても、継続して『吾妻鏡』を読み進めることになりました。

 午後、久しぶりに鈴木(旧姓永富)絵里子さんが研究室を訪ねてくれました。来年度からの新しい方向性を模索中の由、常に前進の姿勢は流石です。
 ちょうど、そこに史学科1回生のお二人が進路相談に見えたので、一緒に相談に乗ってもらいました。このお二人にとっても、私にとってもほんとうにグッドタイミングなことでした。
 このお二人にも、明日のゼミへの参加をお誘いしたのですが、如何なる結果となるでしょうか?
 なお、明日のゼミ出席者には、鈴木さんがお土産に持ってきて下さった甘春堂のお菓子が用意されております。鈴木さん、どうもありがとうございました。

 夕刻は、卒論提出を済ませてから、まだちょっと一日を過ごすペースが落ち着かないとおっしゃる江波編集長と『紫苑』編集の相談。

 >江波さん 文庫版(日本古典全集)の『御堂関白記』、見つかりました。明日お持ちしましょう。

 茨城大学の高橋修先生より、2年にわたって茨城大学で開催されたシンポジウム「北関東の武士(もののふ)たち」の成果が出版されることになったとのお知らせがあり、岩田君・長村君にも執筆の御依頼を頂きました。ありがたいお話しだと思います。
 よろしく、お願い申しあげます。

ありがとうございます(ご報告)

No.6483

野口先生、ご祝辞ありがとうございます。

私事で恐れ入りますが、じつは年明け早々に入籍することになりました。
今年のはじめに鈴木さんの披露宴に呼んでいただき、ステキだなぁ~と思っていた矢先、
まさか自分にもこんなサプライズが待っているとは、思いもよりませんでした。

入籍に伴い、苗字が「黒岩」に変わるのですが、職場では「薗田」姓を名乗りますので、
これまでどおり「薗田さん」と呼んでいただいても、支障はございません。
式など諸々の予定は未定ないのですが、そのさいはあらためてご報告させていただきます。

なお、こういった事情がございまして、今月のはじめに転居しました。
一部の方にはお伝え済みなのですが、もしもお知りになりたい方がおいででしたら、
お手数おかけして誠に申し訳ないのですが、ご一報いただきたくお願い申し上げます。

転居したばかりで、まだまだむさくるしい状態ですが、一軒家になりましたので、
片付けなどひと段落しましたら、たいしたお構いは皆様あそびにいらしてください。

年の瀬のご報告になってしまい誠に恐縮なのですが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

「帰洛な稼業」は「気楽」とは言えない話

No.6480

 先ほど京都に帰って参りました。毎週、離洛しては帰洛する。「帰洛な稼業」とは、こういうことを言うのだと思います。

 さて、昨日は早稲田大学で開かれた鎌倉遺文研究会第147回例会において、「東国出身僧の在京活動と渡宋・渡元」と言うテーマの報告をさせて頂いて参りました。
 会の予告に掲載して頂いた「報告者の一言」は、以下の如しです。

 「鎌倉時代、千葉氏一族の出身で京都権門をパトロンとして宋や元に渡り、経典を日本に将来した了行・道源という二人の僧の存在を紹介する。了行については渡宋を裏付ける新出の史料について検討すると共に、九条家と密着した彼の行動と宝治合戦前後の千葉氏一族の去就を関連づけて考察する。道源については、その出身と周辺の文化環境について明らかにする。これらを踏まえて東国武士の在京活動について再評価してみたい。」

 要するに東国武士の在京活動について考えるための材料を、東国出身の渡宋・渡元僧の活動に探っただけのものなので、タイトルには「東国武士研究の視点から」というような副題をつけておくべきだったと反省しています。

 ほかに多くの日本中世史関連の研究会が開催されていた中、わざわざ御出席下さいました皆様方にあつく御礼申しあげます。拙い話であったにも拘わらず、樋口州男先生に、「来た甲斐があった」と言って頂けたのが救いでした。久保田和彦先生に久しぶりにお目に掛かれ、また、錦昭江先生と鎌倉と京都の女子中・高・大の連携歴史教育についての構想を語る機会を得ることが出来たのは幸いでした。

 いずれにしましても、このような貴重な機会を与えて下さった海老澤衷先生と、いろいろとお世話になった海老澤研究室の院生の皆様に重ねて御礼を申し上げる次第です。

 なお、報告内容は論文化して『鎌倉遺文研究』に投稿させて頂く予定です。

 さて、当ゼミ関係者の次の東国出陣は、岩田慎平君。来年2月、歴史学研究会の部会報告です。ちょうど懇親会の後、早稲田駅に向かう途中でお目に掛かることのできた(しばしば、当家の一族と誤解されて御迷惑をお掛けしている)野口華世さんにも、ぜひ御出席下さるようにお願いしたのですが、中世前期を専攻されている関東の若手研究者の皆様には、挙って御参集下さいますように、お願い申しあげておきたいと思います。
 このところ、中世前期の武士が列島をまたにかけて移動することにより、大きなネットワークを形作っていたのに比べて、それを研究対象にしている我々の方が余程地域的に固まりすぎていることを実感させられることが多く、ぜひ若い方々には交流の機会を増やして頂きたいと考える次第です。

 ところで、20日は大学で卒論提出日の喧噪を「観戦」し(時に、血相を変えて糊とかハサミとかを「貸して下さ~い」と、研究室に飛び込んでくる方がおられますので)、また提出直後の簡単な慰労会を開催したいとも思っていたのですが、不在にてたいへん失礼いたしました。
 江波さんも、ゆっくり休んでひと区切りがついた事と思います。そこで、すぐにこういうことを言うのは酷かとも思いますが、・・・『紫苑』をよろしく!
 
 なお、一回生のゼミメンバーの皆さん、明日の『吾妻鏡』講読会は、今年の打ち上げ(昼食会を含む)ですので、そのおつもりで。

☆ 茨城県立歴史館の宮内教男先生より、当方の共同研究に関わる貴重な情報の御教示を頂くと共に御高論「「開基帳」にみる中世常陸北部の真言宗」(『茨城県立歴史館報』34)および先生御担当の『茨城県立歴史館史料叢書 鹿島神宮文書Ⅰ』を御恵送頂きました。
 御教示頂いた史跡は、ぜひ機会をみて見学にうかがいたいと存じております。
 宮内先生に、あつく御礼を申し上げます。なお、今後とも何卒宜しくお願い申しあげる次第です。

『木曾義仲のすべて』刊行

No.6477

 関西でも風邪が流行しつつあるようで、担当者が罹患したために休講となる授業もあるようです。補講が大変だと思います。
 京都女子大学文学部の卒論提出は明日。今の段階に至って大車輪の方も多いことと思いますが、くれぐれも健康管理に気をつけてほしいところです。江波さんは、もう余裕のことと思いますが。
 かく言う私も喉を痛めてしまい、明日の早稲田大学における研究報告が、弁士なしの「無声映画」のようになってしまわないかと心配しております。もとより、準備不足ゆえ、内容には自信がありませんが。

 ところで、楽しみにしていた、鈴木彰・樋口州男・松井吉昭編『木曾義仲のすべて』(新人物往来社,240ページ,税込2940円)が遂に刊行されました。源平内乱期に活躍した人物の中で、本格的な研究対象になっていないのは、この義仲くらいではないでしょうか。自治体史は除くとして、関連する近年の研究書としては、浅香年木『治承・寿永の内乱論序説』(法政大学出版局、1981)をあげるにとどまるでしょう。
 この度の『木曾義仲のすべて』は、一般向けとはいえ、日本史・国文学のジャンルで活躍されている第一線の研究者が、それぞれ担当のテーマを最新の研究に基づいて執筆されており、じつに新鮮です。
 とりわけ、当ゼミの立場から紹介させて頂きたいのが、長村祥知君執筆の「法住寺合戦」。学術的評価の高い論文「法住寺合戦について-『平家物語』と同時代史料の間-」(『紫苑』第2号掲載→http://donkun.ath.cx/~sion/organ/)を踏まえ、短編ながら、当時の政治状況や木曾方・院方武士の存在基盤にも論及した、この事件に関する決定版というべき内容をもつものです。
 多くの方々にお読み頂きたいと存じます。

 ちなみに、この本の編集者の方から、割引購入についてお知らせを頂いておりますので、ゼミ関係者で購入を希望される方は、年内に当方までお知らせ下さい。

 ☆ 上記『木曾義仲のすべて』の編者のお一人でもある明治大学の鈴木彰先生より、先生の御高論「合戦空間の創出」の収録された、新刊の川合康編『平家物語を読む』(吉川弘文館)を御恵送頂きました。
 これまた、刊行を楽しみにしていた本でした。
 鈴木先生にあつく御礼を申し上げます。 

走る師

No.6479

 「師走」も押し迫ってまいりました。100年前の京都には、実際に、元気に市中を駆け回る「走り坊さん」がいたそうですが、ここ数日は私の周囲でも体調を崩して走り回れなさそうな方が増えているようです。みなさまどうぞお大事に。
http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2008121800092&genre=J1&area=K00

 本日が京都女子大学文学部の卒論提出締め切り日だったようです。私が所属する関西学院大学文学部も本日が締切でした。本日は各地の大学で卒論提出にまつわるいろいろなドラマが展開されたでしょうか?
 しかし近頃は、締め切り日「まで」に提出してしまい、締め切り日当日は悠々と仲間同士で寛ぐ、といったような方もおられるようです。私には到底、到底真似のできないことだと思います。
 そういうわけですので、大好きな映画『影武者』も観れません…。

>野口先生 
 本日の早稲田大学における研究報告はいかがでしたでしょうか。また次回の『吾妻鏡』の時間にでも詳細を伺えればと思います。

「常陸」を再認識した三日間

No.6474

 13日は茨城県立歴史館の見学、14日は茨城大学人文学部・地域史シンポジウム「北関東の武士(もののふ)たちⅡ」に出席、また昨日は岩田君・長村君、それに東京から駆けつけてくれた伊藤さんと共に筑波山南麓に展開する中世史跡の見学、と充実した3日間を過ごし、昨夜遅くに帰洛いたしました。

 総じて、常陸地域の奥羽と関東、さらに京都・畿内との結節点・中継点としての機能の大きさを実感し、そこに独自のかなり高度な文化圏が形成されていたということを認識することができました。
 志太義広の信太庄への留住、親鸞の稲田定住、北畠親房の小田城入りなど、一連の事実の背景を理解できたように思いました。日向廃寺は常陸平氏が平泉藤原氏による無量光院のごとき宗教施設を本拠の地に設けていたことを物語り、常陸平氏本宗からこのエリアを継承した八田(小田)氏は、三村山に新たな宗教空間を構築したのでしょう。宇都宮歌壇の中心人物として知られる笠間時朝による様々な文化活動も、この地域の特性と連動するものがあったはずです。
 あれこれ、考えさせられることが多く、それは今後の自らの東国武士研究に反映させていきたいと考えております。

 2年にわたってシンポジウムを企画・実現された高橋修先生・酒井紀美先生をはじめとする茨城大学の方々、また報告を担当された先生方や会場で御研究の成果を頂いたり、さまざまな御教示にあずかった方々にあつく御礼を申し上げます。
 また、史跡見学にあたって御案内のみならず、資料の用意から車の運転までして下さった茨城大学大学院の額賀大輔さん、小田城跡・三村山・日向廃寺跡・小泉館跡などを懇切に御案内下さったつくば市教育委員会の広瀬季一郎先生に深甚なる感謝の意を表したいと思います。

 旅程中、例によって失敗も多く、14日、水戸から土浦に移動する際に、珍しくも奮発して特急を利用することを決断。手に鞄、背にリュックを負いながら老骨にむち打ってホームを走ってなんとか乗り込み、発車後しばらくして漸く空席を見つけて「やれやれ」と座ったとたん、上野までノンストップとの表示にガックリするなどのことがございました。
 かくして、上野から満員の快速電車で逆行(藤代まで立ち通し)。
 『男はつらいよ 真実一路』に、寅さんが米倉斉加年演ずる鹿児島出身の猛烈サラリーマンと一緒に常磐線の通勤電車に揺られていたシーンがあったことなどを思い出しながら、時間と運賃と体力の散財を嘆いたりしておりました。
 今週土曜も江戸上府ですが、また何が待ち受けているやら、といった塩梅でございます。
 そういえば、報告の資料が未完成でした。
 「話になりません」ね。

みえてきた中世武士団の実像

No.6475

 昨年は夜行バスを使った強行日程に懲りたので、今年は京都から新幹線→水戸市内に前泊というゆとりある行程で、「北関東の武士(もののふ)たちⅡ―みえてきた中世武士団の実像―」(12/14(日)、茨城大学水戸キャンパス)にお邪魔して参りました。
 主催されました茨城大学人文学部のみなさん、コーディネーターをおつとめいただきました茨城大学の酒井紀美先生、高橋修先生、講師の諸先生方、当日の運営に奔走して頂きました茨城大学の院生のみなさん、学生のみなさん、OB・OGのみなさんに、改めまして御礼申し上げます。

 昨年度に続き、北関東という私にとっては土地勘のない地域の様々な武士団に関する最新の研究成果に接することができ、大変勉強になりました。
 近年の武士論研究は、様々な事例を蓄積し、武士団個々の国家的役割、国衙や諸権門との関係、武士団相互の競合関係や協調関係、武士団内部における分業活動や一族間抗争の様相、などの政治的諸関係を整序することで、その一般的な特性(「武士とはなんだろうか」という大きな問い掛けに対する回答)や個々の特色(地域的特色や政治的地位など)がずいぶん明らかになってきたと思いますが、そのような観点からも、昨年度と今年度のシンポジウムは誠に時宜に適った催しであったのではないかと拝察する次第です。その場に参加する機会を得られましたことは、私にとっても大変貴重な経験となりました。
 シンポジウムに関わられたみなさんに御礼申し上げます。

 また翌日(12/15(月))は、茨城大学人文科学研究科の額賀大輔さんとつくば市教育委員会の広瀬季一郎先生のご案内で、小田城跡、三村山、平沢官衙跡(を横目に見ながら通過)、日向廃寺跡、多気義幹墓、小泉館跡などを見学させていただきました。
 小田城は中世を通じ一貫してこの地域の中心地であったようですが、野口先生も上↑で指摘しておられるように、新たな宗教空間を三村山に構築したことを思わせるのに充分な好適地にも遭遇できましたね。日向廃寺跡の規模も想像した以上のもので、この地域の中世における文化環境の豊かさ(それは多分に自然環境の豊かさにも支えられたはず)を充分に実感することができました。京都と共通するものを導入しながら、京都にはない価値を発信しうる文化を生み出していたのかもしれませんね。
 筑波鉄道の廃線を利用した自転車道路はとても趣があり(春には桜が美しいのでしょうか)、快晴の空の下で眺めた筑波山の秀麗な姿は忘れがたい思い出となりました。
 額賀さんと広瀬先生には一つ一つの史跡をとてもご丁寧にご案内していただき、おかげさまで大変充実した一日となりました。

 ところで、のんきに茨城の旅を楽しんでいられるような身分ではないのですが、来週火曜日はまた『吾妻鏡』も読みたいと思いますので、そのご案内です。
 日時:2008年12月23日(火)15:00頃~(予定)
 場所:京都女子大学L校舎 3階 宗教・文化研究所共同研究室
 範囲:今までに読んだ記事の振り返り(史料は別途用意します)

 仁治年間は注目すべき記事が多いので、じっくり読んでいきたいと思いますが、次回も今までに読んだ気になる記事をダイジェストで読んでみたいと思います。次回は遅刻しないよう充分に余裕をみて家を出ようと思います。
 毎週火曜日の『吾妻鏡』講読会は、参加者のみなさんの自主的な積極性によって支えられております。クリスマスイブの前日というなんとも中途半端な日ですが、どなたさまでも、まずは見学からでもどうぞお気軽にご参加ください。