「アプレ先生」の弁明
No.6433
沢山やらなければならないことがあるというのに、締切の最終宣告?を受けた原稿執筆がついに暗礁に乗り上げてしまいました。こういうときは、優れた研究者のお話しを聴くに如かず、かてて加えて共同研究の一環にも、という次第で、上横手先生の御講演(>>No.6424参照)を拝聴に出掛けて参りました。
平日の昼間だというのに会場はほぼ満席の盛況。お話しは、宇治橋の架橋と浮島十三重の塔造立に集約する形で、叡尊の思想から、叡尊と忍性との人物像の相違、執権時頼の政策基調、さらに元寇にまでおよび、その都度「目から鱗」の連続。ときに適切なユーモアを交えてのお話しぶりに、会場を後にする聴衆からは「面白かった」の言葉がしきりでした。要するに、先生は、聴き手が一般の方であろうと研究者であろうと、それぞれに楽しく得ることの多いお話しをされているわけで、講演・授業はかくあるべし、と別の意味でも多大な収穫を得ることが出来た次第です。
メモのボールペンも走りまくったのですが、腰痛もあって、脚を組んで膝の上にレジュメを載せてという格好で、聴く態度としては失礼だったかも知れないなぁと、ちょっとばかり気にしながら戻って参りました。ここからがタイトルの中味です。
机上に昨日届いた瀬野精一郎先生の御著書があったので、ページをめくってみると、こんな文章が目に留まりました。「借りた本を先生に持たせて帰すとは何事か、先生のご自宅まで持参しておかえしすべきだ」(P218)。明治生まれの学者は非礼な弟子を、このように窘めたのだとのこと。こういう非礼な学生は戦争直後の頃「アプレ学生」と呼ばれたのだそうです。
とするならば、本日の私の聴講の態度は、まさしく「アプレ」であり、恥じ入るばかりと申さざるを得ません。この瀬野先生の御著書は歴史を専攻するものにとっては、身近なところから近現代史を語ってくれるばかりでなく、さらに一つの生き方の指針を示してくれる本だと思います。
☆ 早稲田大学名誉教授の瀬野精一郎先生より、新刊の御高著『歴史の残像-歴史家の見た戦前・戦中・戦後-』(吉川弘文館)を御恵送頂きました。上記のように、いろいろな側面から学ぶところ多大で、しかも面白い本です。
瀬野先生にあつく御礼を申し上げます。
☆ 立命館大学大学院DCの谷昇さんから、御高論「後鳥羽天皇在位から院政期における神器政策と神器観」(『古代文化』第60巻第2号)を御恵送頂きました。博論提出までもう一歩の由。精力的な御研鑽に敬服するばかりです。
谷さんにあつく御礼を申し上げます。
平日の昼間だというのに会場はほぼ満席の盛況。お話しは、宇治橋の架橋と浮島十三重の塔造立に集約する形で、叡尊の思想から、叡尊と忍性との人物像の相違、執権時頼の政策基調、さらに元寇にまでおよび、その都度「目から鱗」の連続。ときに適切なユーモアを交えてのお話しぶりに、会場を後にする聴衆からは「面白かった」の言葉がしきりでした。要するに、先生は、聴き手が一般の方であろうと研究者であろうと、それぞれに楽しく得ることの多いお話しをされているわけで、講演・授業はかくあるべし、と別の意味でも多大な収穫を得ることが出来た次第です。
メモのボールペンも走りまくったのですが、腰痛もあって、脚を組んで膝の上にレジュメを載せてという格好で、聴く態度としては失礼だったかも知れないなぁと、ちょっとばかり気にしながら戻って参りました。ここからがタイトルの中味です。
机上に昨日届いた瀬野精一郎先生の御著書があったので、ページをめくってみると、こんな文章が目に留まりました。「借りた本を先生に持たせて帰すとは何事か、先生のご自宅まで持参しておかえしすべきだ」(P218)。明治生まれの学者は非礼な弟子を、このように窘めたのだとのこと。こういう非礼な学生は戦争直後の頃「アプレ学生」と呼ばれたのだそうです。
とするならば、本日の私の聴講の態度は、まさしく「アプレ」であり、恥じ入るばかりと申さざるを得ません。この瀬野先生の御著書は歴史を専攻するものにとっては、身近なところから近現代史を語ってくれるばかりでなく、さらに一つの生き方の指針を示してくれる本だと思います。
☆ 早稲田大学名誉教授の瀬野精一郎先生より、新刊の御高著『歴史の残像-歴史家の見た戦前・戦中・戦後-』(吉川弘文館)を御恵送頂きました。上記のように、いろいろな側面から学ぶところ多大で、しかも面白い本です。
瀬野先生にあつく御礼を申し上げます。
☆ 立命館大学大学院DCの谷昇さんから、御高論「後鳥羽天皇在位から院政期における神器政策と神器観」(『古代文化』第60巻第2号)を御恵送頂きました。博論提出までもう一歩の由。精力的な御研鑽に敬服するばかりです。
谷さんにあつく御礼を申し上げます。