院試の季節

No.5914

 かつて、九月は「恋の季節」などといわれておりましたが、このところの異常気象で、昨今は如何なものなのでしょうか。
 さて、今年も当ゼミメンバーの何人かが各地の大学院の秋期入試にチャレンジします。
 ふだんの実力を発揮してくれることを祈るのみです。しっかりやってきて下さい。
 試験を通過すれば、目標に近づける立場というのは幸せだと思います。

 ところで、夏の暑さでパワー不足を感じているゼミメンバーに朗報です。一昨日、拙宅に見えた共同研究員の大原さんが、栄養ドリンクとコラーゲンウエハースをたくさん寄進して下さいました。さすがは考古学!!研究室にて先着順にどうぞ。

 宇治共同研究の紀要掲載分の原稿は、目下、整理中です。執筆者には表記の統一などで問い合わせが行くかも知れませんが、宜しくお願いいたします。

 私は例の例会報告や一年以上遅れの原稿やら・・・やらで、相変わらずの混乱状態を続けております。ひとつひとつ片付けているのですが、三つ四つずつ、まとめて新しい仕事が入ってきます。同世代の親友たちもみんな同じ状況のようです。
 50代のおとうさんを大切に!

後期からの『吾妻鏡』と、日本史研究会九月例会

No.5915

 九月が「恋の季節」というのは、なんとなくわかるような気がします。が、季節の変わり目につき、どうかみなさまご体調にはお気を付けを。

◆さて、二ヶ月近く中断しておりました『吾妻鏡』の講読会も、ぼちぼち再開致します。

 日時:9月24日(月)13:00~(予定)
 場所:京都女子大学L校舎 3階 宗教・文化研究所共同研究室
 範囲:『吾妻鏡』安貞二年七月二十四日、二十九日、九月二十日、十月七日、八日、十四日、十八日、十九日、十二月三日、四日、二十九日、
         安貞三年(寛喜元年)正月十三日、十五日、二十七日、二月二十日、二十一日、三月二十六日、
  (※適宜休憩を挟みつつ、読めるところまで読んでいきましょう)

 当日は振り替え休日となるのですが、京都女子大は通常通り授業の行われる日であるということですので、開催日とさせていただきました。普段はお仕事などでなかなかゼミにはお出でになれないみなさんも、この機会にぜひともお運び下さい。

◆それから、野口先生がご講演されます日本史研究会の九月例会につきまして、勝手ながらお知らせです。

        日本史研究会 九月例会
   「京都からみた東国武士の展開と鎌倉幕府の草創」

 近年の中世東国武士研究は、武士発生期以来の東国武士と京・王権との関わりに注目し、在地のみで完結しない東国武士の存在形態を明らかにした。しかし一方、鎌倉幕府に対する評価においては、京都と対立する側面のみをとらえて、公家の圧制に抵抗して成立した政権とする理解が未だに強く、それは東国国家論や二つの王権論の論拠となっているように思われる。そこで本例会では、承平・天慶の乱以後における東国武士の存在形態について、彼らが京都との間に構築した政治的な諸関係を踏まえて検証し、それを前提として鎌倉幕府成立の意義を再検討したい。

  日時:9月29日(土) 13:30~17:00
  場所:機関紙会館5階会議室(京都市上京区新町通丸太町上ル東側)
     (地下鉄丸太町駅下車2番出口より西へ徒歩五分、市バス府庁前下車すぐ)

  報告   :野口実氏(京都女子大学) 「東国武士と京都」
  コメント :元木泰雄氏(京都大学)

『吾妻鏡事典』と『入門吾妻鏡』

No.5918

 岩田君からの御案内にもあったように、24日はふだん参加できないメンバーも、時間が空いていたら是非御参集下さい。
 (ついでに、岩田君、昨日は梨をありがとうございました。)

 ところで、『吾妻鏡』といえば、葛飾区郷土と天文の博物館の谷口榮先生より、佐藤和彦・谷口榮編『吾妻鏡事典』(東京堂出版)を御恵送いただきました。講読会で活用させていただきたいと思います。
 谷口先生に、あつく御礼を申し上げます。

 ちなみに、実は、目下、鶴見大学の関幸彦先生と私の共編で『入門吾妻鏡』という本の刊行準備が進められています(出版社は吉川弘文館)。私の担当は、人名と系図で、その執筆は、岩田君をチーフとして当ゼミに所属する日本中世史専攻の院DC生を主体とする方たちにお願いしています。『吾妻鏡事典』に対して、強烈な主体性が主張できるものになるか、完成が楽しみです。

☆ 立命館大学の松本郁代先生より、御高論「室町期における「鎮護国家」の社会的展開-「洛中洛外」と鴨河原をめぐって-」(『巡礼記研究』第四集)を御恵送いただきました。
 松本先生にあつく御礼を申し上げます。

☆ 広島大学の下向井龍彦先生より、御高論「徒歩の実資、乗車の実資-『小右記』長和二年二月十二日条から-」(『日本歴史』712)を御恵送いただきました。車にばかり乗って、運動不足の私には身につまされる内容。京女に至る「女坂」も「路遠甚苦々々」なのであります。
 下向井先生にあつく御礼を申し上げます。

『伝説の将軍 藤原秀郷』第二刷刊行。

No.5911

 >>No.5821でお知らせした拙著『伝説の将軍 藤原秀郷』第二刷が出来上がり(奥付の発行日は十月一日です)、先ほど手もとに届きました。
 ゼミのみなさんに御指摘いただいた初版の誤植(>>No.5836)が完璧に訂正されていて、著者として胸のつかえがとれたような気持ちです。

 古書は一般に初版本に高値がつけられるようですが、それはモノとしての話で、研究書の場合は中味が問題ですから、誤植訂正済みの版に価値があります。
 この本は歴史学以外の、特に中世の軍記や説話文学を専攻されている国文の方たちにも御高覧いただければ有り難いと思っています。
 御批判・御叱正をいただければ更に幸いとするところです。
 なお、出版元は吉川弘文館、定価は本体2,300円+税です。

『中世武家系図の史料論』刊行の御紹介

No.5913

 もうひとつ、拙文掲載の論文集が刊行されますので、これも紹介させていただきます。
 私が紅顔?の「鼻持ちならない」歴史少年だった頃、心をときめかせていたのは、一に系図、二に中世城郭、三に中世の五輪塔でした(相当な変わり者です)。
 しかし、本格的に歴史の研究に参入してみると、文献史料の中で系図ほど厄介な史料はないということに気づかされたものです。しかし、しっかりと史料批判を行えば、多くの情報が引き出されることは確か。また、国文学のジャンルに於いても、軍記や説話研究の対象として重要だと思います。
 2年ほど前のことでしょうか。下記の論集へ執筆の御依頼を頂きました。それでなくても、執筆遅延の原稿をたくさん抱えている中で、お引き受けするのを一瞬躊躇したのですが、少年時代の「系図」への熱き情熱を思い起こし、大昔に書いた卒論の付論をベースにして何とかまとめ上げたのが拙文です。そういう次第で、拙文は中味の薄い内容ですが、諸先生方の御高論には興味津々なテーマが多く、刊行が大変楽しみです。

 峰岸純夫・入間田宣夫・白根靖大編『中世武家系図の史料論』上・下巻
【上巻】
日奉氏小川系図                         峰岸純夫(元・中央大学)
横山氏系図と源氏将軍伝承                    川合康(東京都立大学)
鎌倉期成立の「結城系図」二本に関する基礎的考察    市村高男(高知大学)
藤原南家武智麿四男乙麻呂流鎌倉御家人の系図     今野慶信(新宿歴史博物館)  
三浦氏系図にみる家の創造神話                高橋秀樹(文部科学省)
千葉氏系図の中の上総氏                    野口実(京都女子大学)
薩摩国阿多郡地頭鮫島氏系譜考               柳原敏昭(東北大学)
系図の裏面にさぐる中世武士団の成立過程         入間田宣夫(東北芸術工科大学)
【下巻】
中世古系図に見る公家と武家                 白根靖大(中央大学)
『玉燭宝典』紙背文書中の那須系図をめぐって        江田郁夫(宇都宮北高校)
留守氏と「奥州余目記録」                    七海雅人(東北学院大学)
武田氏系図の成立                        西川広平(山梨県立博物館)
秋田県公文書館所蔵「古本佐竹系図」に関する一考察  佐々木倫朗(松江市歴史資料館)
山内上杉氏・越後守護上杉氏の系図と系譜          片桐昭彦(練馬区教育委員会)
相馬中村藩の系図編纂について                岡田清一(東北福祉大学)
戸沢氏系図の成立と中世の戸沢氏              金子拓(東京大学史料編纂所)
 (上巻 定価4200円,下巻 定価5250円 税込)
 10月10日、 高志書院より刊行の由。

土佐日記と紫式部日記

No.5903

 土佐日記、面白く読ませていただきました。
特に一条氏のこと。いずれ戦国期の下向公家のことを考えてみたいと思っていますので、勉強になりました。高知には、私も何年か前に、鎌倉仏教研究会で初めて行きましたが、山中で台風と遭遇、大変スリル万点の旅となり、その印象ばかりが強くて、見学したものをあまり覚えていない有様で、またじっくり廻りたいと思っております。

 以下、紫式部とあまり関係ないのですが、私のゼミの女性4人に、家司のごとく私と野口君がお供して、石山参詣を果たしました。 

 初日は、四条河原町に出て、建仁寺から六道珍皇寺を経て、清水坂に入り(そこで四葉のタクシーを発見)、清水寺まで行かず、途中で北へ降り(いのだの支店で休憩)、八坂の塔に寄りました。たまたまなのか、塔の中が見れるということで(二層までですが)、久しぶりに五重塔の中を登り、心柱の構造など直に見ることができました。
 そこから六波羅蜜寺に行き、清盛公にごあいさつ(女性陣は、どちらかというと、髪の毛をつかんだ地蔵様の方に驚いていました)、宮川筋を北上、花見小路を通って、団栗橋を渡り、「フランソワ」で休憩(夕食前ですが、チーズケーキが美味しいと召されてました)、高島屋で買い物して、京阪で西院に行き、そこからタクシーで仁和寺に辿り着きました。
 2日は、天候が心配されましたが(明け方、雷と激しい雨)、幸い持ちそうでしたので、当初の予定通り、京都駅から石山寺へ。恥ずかしながら、小生は行ったことがなく、前々から行きたいと思っていたのですが、今回やっと果たせました。
 JR石山駅を降りると、とにかく涼しく助かりました。
 石山寺は、長谷寺のように急斜面なところかと思っていましたが、石段も多くなく、これなら女房衆でも大丈夫と納得。本堂の「源氏の間」のレプリカは、式部が暇な時、受付のアルバイトをしているかの印象で、ほほえましいですね。
 山上の「豊浄殿」で紫式部展をやっていました。あまり期待せず入ったのですが、さすが石山寺、直接式部に関係するものばかりではないものの、いいものが並んでいました(拝観料200円です)。古い式部像は、暗い色調のうえに剥落があることもあって、原稿に行き詰って煩悶している女流作家の鬼気のようなものが感じられ、面白かったです。
 見終わって出てくると、20人くらいの学生(ほとんど女子学生)を連れた同業者の方とすれ違い、明後日の自分の姿を想像し、おかしいやら、一方でやれやれご苦労様という思いにかられました。今年は4年生が20人と多いので、4日より、院生とは別に仁和寺に卒論の合宿に参ります。初日と最終日の見学、どこに連れて行こうか、思い悩みます。
 昼過ぎ、浜大津で昼食、その後、久しぶりに三井寺を訪ね、その広大さを実感しました。しかし、観音堂からの琵琶湖の眺めが、高層マンションに遮られており、残念ですね。
 今年も野口君の名ガイドもあって、充実した合宿でした(まだ半分だけですが)。
 

「飲む」と言えばお茶

No.5904

 松薗先生、お久しぶりです。先日の公開講座ではお世話になりました。まだまだ(本日は特に)暑い京都へようこそおいでになりました。松薗先生と野口くんが「家司」役とは、なんとも贅沢なご参詣だったのですね。
 土曜日の東山周辺はかなりの人混みで、ご見学なさるのも一苦労ではなかったでしょうか。イノダやフランソワにお立ち寄りでいらっしゃったことから察しますと、みなさんずいぶんお茶好きのようですね。宇治にも良いお店がありますから、宇治市内をご見学の折には、どうぞいちどご利用下さい。

 こちらのゼミでは、明日・明後日と長村くんの主催による勉強会(「日蓮遺文紙背文書」)ですから、参加者(私も含めて)はその準備のため自宅や図書館に「参籠中」かと思います。先生のゼミのみなさんも準備に大わらわでしょうか。みなさん実りある合宿となりますように。

 
 

中山法華経寺所蔵日蓮遺文紙背文書

No.5905

 松薗先生、京都は猛暑のままですから、史跡見学にさいしては、ときどきの御休息、最善のことと存じます。野口君が御活躍とのこと、嬉しい限りです。

 こちらは京都にいながら、京都を歩かず、引き籠もりの毎日です。しかし、本日開始の史料講読会は、たいへん充実した内容で、当たり前のことのようですが、みんなで史料に取り組むと、得られるものは一人よりも遥かに大きいことを実感させられました。
 なお、鞆の浦(広島県)に旅行された辻君から、美味しいお土産を頂きました。ありがとうございました。
 ちょうど、辻君がお見えになる直前に、広島の尻池さんから近況報告のメールが届きました。壱岐で開かれたサマーセミナーで鹿児島の永山先生とお目にかかった由。列島規模で張りめくらされたネットワークは着々と拡大し、再生産されているようです。

 ☆ 本日、大阪工大の大村拓生先生より御高論「都市史における一四世紀の位置」(『日本史研究』540)・「中世前期の高野参詣と宿所」(『密教文化』218)・「書評 松薗斉著『王朝日記論』」(『史学雑誌』116-7)を御恵送いただきました。
 大村先生にあつく御礼を申し上げます。

 史料講読会、明日も楽しみましょう!

Re: 土佐日記と紫式部日記

No.5909

 夕方、京都からもどりました。20人を引き連れての合宿はさすがに大変でしたが、何とか楽しんでもらえたようです。男子9人・女子10人で、メンバーが多いと、ラグビー部の猛者から可憐なお嬢さんまで、キャラクターがいろいろで、最後の打ち上げも異常に盛り上がり(御室会館の他のお客様、すみません)、私自身も楽しみました。
 初日の午後の見学は、野口君に教わった嵐電の一日乗車券を買い(20枚購入したので、帷子ノ辻の駅員さんが苦労してました)、嵯峨野界隈を散策。
 今日の午前中は、青蓮院を訪ねました。なかなかすてきなお庭ですね。間一髪、女子高生(学生たちに言わせると、J・Kだそうですが。私が、J・Kって「授業来てない」の略じゃないの、といったら苦笑いしてました)の大集団とかち合わず、静かに楽しめました。
 お昼は、修学旅行生よろしく、新京極をうろついて、お昼を取り解散。私は一人「ラ・フォーレ」に立ち寄り、台風でとまりかけた新幹線(初めて700系に乗れました)で名古屋にもどりました。蒸し暑さと寝不足で(昨日2時ごろ寝て、今日朝6時の勤行に出たためです)、さすがにくたびれました。

松薗先生、お疲れ様でした。

No.5910

 松薗先生、無事にお帰りの由、祝着に存じます。
 それにしても、京都は連日の猛暑で、さぞかしお疲れのことと思います。
 たしかに、若い学生さんたちとのコミュニケーションは歳を重ねるにつれて難しくなりますね。自分の子どもの世代までは何とかなるのですが、それより下になると、時に「異星人との遭遇」の如きことになりかねません。もっとも、○○君のように、「若いのに何でこんなことを知っているんだ、本当は同世代なのではないのか」、と思わせるような人もおられないことはありませんが。

 当ゼミの史料講読会は、充実した都合10時間をもって終了。佐賀県小城町・小城町教育委員会による『肥前千葉氏シンポジウム 小京都小城のルーツをさぐる 肥前千葉氏と小京都小城-歴史資産を活かしたまちづくり- 講演録』(2003年)に掲載された1999年10月の小城町立歴史資料館開館記念講演会における故石井進先生の講演記録がたいへん役に立ちました。
 この講演記録は、『千葉県の歴史 資料編』収録の中山法華経寺所蔵日蓮遺文紙背文書の一部について、釈文の訂正が行われるなど、とても貴重な資料だと思います。

☆ 神奈川県立金沢文庫の永井晋先生より、埼玉県春日部市郷土資料館夏季展示「中世の武士~春日部氏と浜川戸遺跡~」図録と春日部氏教育委員会文化財保護課編『春日部市文化財マップ』を御恵送いただきました。
 永井先生にあつく御礼を申し上げます。

『延慶本平家物語全注釈』第二本 拝受

No.5902

 佐伯真一先生・平藤幸先生・大橋直義先生・菱沼一憲先生の御連名で、延慶本注釈の会編『延慶本平家物語全注釈 第二本(巻三)』(汲古書院)を御恵送いただきました。
 内乱期を研究対象にしている歴史研究者の一人として、この注釈の刊行によって、恩恵を蒙らせていただくこと多大なものがあります。
 それに致しましても、軍記を研究されている方たちの、地道にして精力的な取り組みには、いつも感心させられます。
 四人の先生方に、あつく御礼を申し上げます。

 『吾妻鏡』についても、国文学(とくに『平家物語』)の研究者が、正面から研究対象として取り上げてくださることを期待しております。

夏の勉強会

No.5899

先日の書評会では勉強させていただきました。ありがとうございました。

改めて夏の勉強会の日時をご連絡申し上げます。

日時:9月4日・5日・(二日間で終わらなければ)6日 午後1時30分~
内容:『中山法華経寺文書』(日蓮遺文紙背文書)から、主に建長年間の閑院内裏関係史料を輪読。

八月三十一日

No.5900

 8月31日というのは、小学生の頃、まさに末法到来のような日だったことを思い出します。

 大学でも明日から授業開始という所もあるようですが、なにしろ8月末と9月末というのは申し合わせたように、諸事締切が多く、辛い時期ではあります。

 締切といえば、紀要掲載の宇治共同研究の原稿、田中さん・佐伯君から速達にて拝受いたしました。御協力に感謝します。

 長村君には、史料講読会の案内の御礼を申し上げます。長村君に準備をお願いしておりますが、当方もせめて『千葉系図(神代本)』のコピーくらいは用意したいと思っております。

 岩田君にお任せしている『入門吾妻鏡』も原稿送付に至ったとのこと。一部の執筆者の方々には、執筆のみならず、全体の原稿の内容の検討や字数の調整にもご尽力をいただき、ありがとうございました。

 こうしてみると、負債を持ち越しているのは私だけなのかも知れません。

 ところで、後期の『吾妻鏡』講読会の日程ですが、学部生の皆さんの御都合は如何でしょうか?後期は、講義開始が9月19日ですから、初回は24日(月)13時からに実施したいと思います。24日は秋分の日の振替休日なのですが、京都女子大学は講義があるのです。

書評会の御礼と史料講読会の参考文献

No.5897

書評会の御礼と史料講読会の参考文献 野口 実 - 2007/08/29(Wed) 00:46 >>No.5892 再掲

 本日(28日)の書評会。御担当いただいた生駒さん、貴重なコメントを下さった元木先生、準備万端の上、司会をしてくれた岩田君、ありがとうございました。
 お陰様で、自分のやってきたことについて整理がつき、源氏による「調停」の実態、平家による東国支配の評価、用語の概念の明確化等々、また新しい課題を見出すことが出来たように思います。
 岩田君のお仲間の関学の院生の方たちが参加してくれたのも嬉しいことでした。「まんぞう」では、老生の戯言に耳を傾けて下さり、ありがとうございました。
 なお、お土産にたくさんのお菓子を持ってきて下さった小野さん、滑川さん、岩田君、伊藤さんに、御礼を申し上げます。

 さて、つぎは9月4・5・6日の史料講読会ですが、あらためて事前学習用の文献を紹介させていただきます。
 ① 『石井進著作集 第七巻』のⅡ「日蓮遺文紙背文書」
 ② 井上聡「御家人と荘園公領制」(『日本の時代史8』所収)
以上。必ずお目通しおき下さい。

 ☆ 本日、共同研究員の樋口健太郎さんから、御高論「摂関家「氏寺」の中世的展開-法成寺・平等院を中心に-」(『年報中世史研究』32)および「史料紹介 国立歴史民俗博物館所蔵田中穣氏旧蔵本『山槐記』応保二年三月」(『神戸大学史学年報』22)を御恵送いただきました。前者は広島の尻池さんには必読ですね。
 なお、後者はゼミメンバー用に余分に5部頂いております。必要な人は御連絡下さい。先着順で差し上げます。
 樋口さんに、あつく御礼を申し上げます。 

書評会の御礼、次は史料講読会

No.5898

 遅くなりましたが、先日はお暑い中、野口先生のご著書の書評会にお集まりいただきまして、ありがとうございました。当日は慣れない司会を買って出ました挙げ句に、議論の流れを整理できずにご迷惑をお掛けしました。
 しかしながら、著者である野口先生ご本人からいろいろと示唆に富んだお話や、元木先生のコメントを伺うことができまして、非常に充実した時間となりました。また、書評をご担当いただきました生駒さんにも御礼申し上げます。ありがとうございました。

 次は来週の史料講読会ですが、こちらでもどうぞよろしくお願い致します。

三度掲載、書評会のご案内

No.5889

 開催日が近づいてまいりましたので、再掲致します。
 野口先生の『源氏と坂東武士』ご出版を記念して、書評会を開催することとなりました。武士論研究の今後のより一層の活性化のため、日頃なかなか機会が持てない意見交換のため、みなさんで大いに活発な議論を交わしましょう。

 ◇ 野口実著『源氏と坂東武士』出版祝賀の書評会 ◇

 日程  8月28日(火)
 時間  15:00~
 会場  京都女子大学宗教・文化研究所共同研究室(L校舎3F)
 書評会の形式  著者である野口先生を囲んで参加者による談論。ただし、内容の概括と問題提起のため担当者を配する。
 担当者  生駒孝臣氏

 担当者の生駒先生は畿内武士のご研究の第一人者でおられ、そのお立場からの書評をしていただける予定です。また、当日は元木泰雄先生にもご臨席いただけることになっております。両先生には今回の書評会の趣旨にご賛同頂き、快くお引き受け頂きました。今回の書評会は、ゼミメンバーにとどまらず、広く公開の研究会の形で実施させていただきますので、みなさま奮ってのご参加をお待ちしております(※人数の把握もございますので、参加ご希望の方は、野口先生・岩田・ゼミメンバーのいずれかまで、事前にご連絡ください)。

>ゼミメンバーのみなさんへ
 どうでもいいことなんですが、このところ掲示板の投稿者が「権藤・権藤・雨・権藤」みたいに、「野口・野口・岩田・野口」ばっかりでちょっと寂しい(むさくるしい←すいません)です。帰省中の方も、夏を満喫中の方も、試験勉強中の方も、何かの折りに近況報告でもなんでも書き込んでね。

>野口先生
 ネットの具合はいかがでしょうか。

権藤・権藤・雨・権藤

No.5891

 いろいろ御心配、御迷惑をおかけいたしましたが、お陰様でネットもメールも復旧いたしました。原因はモデムにありました。

 ところで、雨が降らなかったのに、また「野口」の登板で申し訳ありません。
 それにしても、昔は先発完投で何年も連続して20勝、それどころか30勝もする投手がたくさんいましたね。あの頃はリリーフなんて珍しかったし、セーブなんて言葉は聞いたことがありませんでした。当節は何処の世界でも分業がされすぎのようです。
 というわけで、岩田君には権藤選手(のちに監督)を目指していただきたいと思っています。

 『土佐日記』の御執筆をいただき、岩田君、元木先生、ありがとうございました。夏休みには、皆様、いろいろなところにお出掛けになられ、充実した毎日をお過ごしのようで羨ましい限りです。山田先生など、西洋と東洋を股にかけての御活躍です。
 私は度重なる安請け合いが災いして、原稿執筆と研究会報告の準備の仕事が山のごとくあり、さらに一年以上遅れている原稿(複数)を抱えたまま遊びに出掛けて顰蹙を買うのも憚られますので、仕事は捗らなくても、せめてもの償いに蟄居謹慎の日々を過ごしております。そして「不動如山」の毎日を送った結果、いよいよメタボリックシンドロームの見本の如き体型に「進化」しつつあるところです。

 ちなみに土佐ですが、始めて行ったのは32年前。宇高連絡船で四国に渡り、奮発して急行のグリーン車に乗車。ところが、車内で100円玉を落とし、高知駅に着くまでそれを延々と探し続けて、景色はほとんど見られなかったのを覚えています。ほんとうに「貧乏はいやです」ね。
 この時は、土佐中村のほか丸亀・宇和島にも行きました。土佐中村は今は四万十市というのですね。土佐中村では一泊して一条神社や一条教房の墓を見学して、一条氏の歴史に感動したあまり、お城の形をした博物館で大冊の『中村市史』を購入。以後、これが荷物になって大変でした(今も研究室にあり)。土佐中村からは当時珍しかった冷房の効いたバスで、海岸沿いに宇和島まで出たのですが、元木先生の御感想と同様に、海や海岸の景色が素晴らしかったことを思い出します。そういえば、土佐中村では、幸徳秋水の墓にも行ったような気がします。
 つぎに土佐の高知に行ったのは、1980年。今度は高校の修学旅行の引率です。ハードな毎日。今だったらとても無理でしょう。桂浜とか龍河洞が思い出されます。
 かくして、小生、もはや過去に遊ぶのみです。

再びE・メールの送受信の不調について

No.5884

 7月31日に当家のE・メールの送受信の不調について書きこみました( >>No.5846)。その後、このトラブルは解消され、忘れかけていたのですが、本日朝より、再びメールもネットも接続できなくなりました。症状は前と同じで、ケーブルネットワーク接続はOKなのに、ポップアップブロックのサインが出てログインできません。宇治周辺は昨夜、落雷の中で大雨が降っておりましたので、その関係かも知れません。いずれにしても、そのようなわけで、目下当家はメールもインターネットも通じておりませんので、研究室PCをもってお知らせ申し上げる次第です。
 前回同様、トンチンカンなことを言っているのかも知れませんが、要するに当方にメールをお送りいただいても、接続不可で、すぐに拝読できないということです。したがって、メール送信に際しては大学研究室宛に送信をお願いいたします。自宅PCが回復すれば、自宅にも転送されます。いずれにしても、お急ぎの御用の場合は電話など別の手段を講じていただくようにお願いいたします。

28日の書評会について。

No.5885

 すでに、岩田君から告知されている拙著『源氏と坂東武士』の書評会ですが(>>No.5852)、元木先生のお声がかりをいただいていることでもありますし、ゼミメンバーにとどまらず、広く公開の研究会の形で実施させていただきたいと思います。
 頸を洗って待っていなければならない立場から申し上げるのは恐縮ですが、よろしくお願い申し上げます。

28日の書評会について

No.5886

 野口先生からご提案いただきましたように、28日の書評会にはゼミメンバーにとどまらず、多くのみなさまのご参加を歓迎致します。人数の把握もございますので、参加ご希望の方は、野口先生・岩田・ゼミメンバーのいずれかまで、事前にご連絡いただきたいと存じます(←…ということで宜しいでしょうか、野口先生)。
 

『古代文化』の刊行が『京都新聞』に詳報 

No.5883

 岩田君の研究ノート掲載の『古代文化』第59巻第1号については、京都新聞本日付夕刊の記事を御覧下さい(カラー写真付き)。↓
 http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2007082200072&genre=M1&area=K1C
 なお、次号には山岡さんによる美川先生著『院政』(中公新書)の書評が掲載される予定です。

 >小野さん メール送信、お待ちしています。添付ファイルがうまく行かなければ、メールの送信文に貼り付けていただいても構いません。FAXの場合は自宅電話番号と同じです。
 
 >岩田君 『土佐日記』の御発表、楽しみに致しております。
 >ゼミメンバーのみなさん 報告者には旧知の方もおられますし、水戸ツアー、計画してみませんか? 

『土佐日記』

No.5887

 残暑お見舞い申し上げます。久方ぶりの昨夜の雷雨の夜に、元木先生からお誘いいただきました土佐旅行より帰洛しました。以下、少しご報告します。

 日程は20日~22日でしたが、私はその前日に木幡から在来線を乗り継ぎ乗り継ぎ、高知入りしました。家を出てから当日の宿に着くまで10時間ほどを費やしましたが、大阪で生駒孝臣先生(28日の書評会はよろしくお願い申し上げます)と合流し、姫路、岡山、児島、瀬戸大橋、三好、阿波池田などを経由しながら、各地の景色を楽しむこともできました。阿波池田では地元の高校生らしきバンドの生演奏が駅前の広場で行われており、蝉の鳴く静かな山間に響く歌声がなんともいえず良い雰囲気でした。到着の夜は高知市内を少し散策し、おいしいものについて地元のにーちゃんの意見に耳を傾けつつ、〈土佐黒潮料理 早川本店〉にて夕食。高知の素材を使ったちゃんこ鍋定食をいただきました。おそらく鳥でとったダシが、非常に澄んだ旨味を醸し出していました(食べ終わるとダシの余韻を楽しむ間もなくあっさり下げられてしまいました…)。

 20日は、まず高知駅にて漆原徹先生ご一行及び今回のご案内をお引き受けいただきました池内敏彰先生と合流し、その後高知龍馬空港にて元木先生・中村直人先生と合流しました。猛暑のなか、田村遺跡、源希義墓、五台山竹林寺、土佐神社、国衙跡、岡豊城跡などを精力的に見学される御一行に、初参加の私は早くも圧倒されてしまいましたが、五台山や岡豊城跡からの眺望にも別の意味で圧倒されました。岡豊城は、背後の山々を堂々と背負い、国衙という権威空間を取り込みつつ、まさに「ここを押さえれば高知平野は掌握できる」ことが納得できる場所であったように思います。国衙跡の公園には地元のみなさんの作った歌が展示されており、それもまた趣深いものでした。
 夜は〈郷土料理 土佐藩 高知本店〉にて皿鉢料理や地酒を堪能しました。宴会でのお遊び(「はしけん」)の体験版も登場するなど、いろいろ盛りだくさんな宴会となりました。

 21日は四万十市~足摺岬方面を見学しました。四万十市(土佐中村)は水陸交通の要衝というべき場所であり、京都からやって来た一条家が当地を支配したことを踏まえると、中世における「領主」という存在の意味を改めて考えさせられました。南端の金剛福寺は、夏の強い日差しの中での見学であったことも影響しているのかもしれませんが、ずいぶん南国ムードのお寺であったように思いました。元木先生は「源頼光建立」との碑が建つ多宝塔の前で記念撮影しておられましたね。足摺岬もまさに絶景でしたが、台風接近の折には岬の灯台の高さまで波が押し寄せるそうで、もはや想像を絶する世界です。
 その日の夜は池内先生のご推薦により四万十市内の〈味劇場ちか〉にて、土佐中村のさまざまな名物を頂くことができました。お刺身やゴリの唐揚げ、土佐巻(ネタはもちろん海苔も旨い)などが印象的でした。またその宴会の折には、当掲示板にてお名前を拝見しておりました栃木県立文書館の松本一夫先生から、関東の守護に関するご意見やさまざまなお話を拝聴する機会を得られましたことが私には幸いでした。

 22日は、昼過ぎの飛行機で東京にお帰りの漆原先生ご一行と朝にお別れし、元木先生以下の一行は引き続き池内先生のご案内により四万十市内を見学しました。一条教房の墓所を訪れたときは、ちょうど地元の方が教房のお墓にお花のお供えと水やりをなさるところで、伝えられてきた歴史の一齣に遭遇したような気がしました。不破八幡宮は四万十川沿いに鎮座していましたが、大きな御神木が作る日陰が境内にちょうど良い心地よさを提供していました。そして佐田の沈下橋(橋の上を鷹?が気持ちよさそうに泳いでいました)を見学した後、池内先生とお別れし、高知市内へ戻ることとなりました。元木先生より高知城の見学をご提案いただきながら、帰りの電車の時間の都合で慌ただしく帰ることになってしまったのが残念でしたが、旅行中は雨に祟られることもなく(帰宅直前はものすごい雷雨だったようですが)、無事に全日程を終了しました。

 今回は旅行中の様々な手配のほとんどを神野潔先生のお世話になりました。神野先生に深く御礼申し上げます。また旅行にお誘いいただきました元木先生・漆原先生、現地でのご案内をお引き受けいただきました池内先生にも、改めまして深く御礼申し上げます。
 三日間のうち二日間のクルマの運転を担当し、慣れない道を走る不手際も多々ございましたが、今回の旅行にご一緒させていただき、貴重な見学の機会を頂くことができました。ありがとうございます。

土佐日記・蛇足

No.5890

 ご無沙汰しております。
 旅行で張り切りすぎたのか、はたまた飲みすぎたのか、暑さ負けもあってダウン気味の元木です。
 20日から22日までの土佐旅行については、岩田君の簡潔なご報告の通りで、付け加えることもありません。ただ、私自身、大変感銘し印象に残る旅行だったので、蛇足を承知で付け加えさせていただきます。

 今回の旅行で最も印象に残ったのは、海の青さ。紺碧の快晴のもと、これだけ美しい海を見たのは久しぶりでした。足摺岬の爽快で鮮烈な絶景は、生涯の想い出になると思います。
 「暑いときに、わざわざ南国に行くとは(物好きな)」、と案じられた方もおられましたが、猛暑の時期には南国の陽光こそがふさわしいと痛感しました(最もふさわしくないものは北海道の猛暑ではないですかね)。
 今回は天候に恵まれ、一回も雨に遭わず。これまでの漆原先生との旅行では、近江の小谷城、安土城と二度も城跡で雷雨に遭遇し、途中で見学を断念しただけに、今回岡豊城以下、全行程を無事見学できたことは大きな喜びでした。
 野口先生をはじめ、ゼミメンバーの方々に一番関心が深いのは、源希義の墓かと思います。場所は高知空港から市内に向かう途中、式内社朝峯神社の近くです。同社の親切な神主さんのご教示を頂き、その場に到達したのですが・・・・
 ご案内の池内敏彰先生いわく、「こりゃ蜂は来るは、マムシも出そうじゃ」というすごい場所。おまけに倒木が道をさえぎる始末。これまで無視された希義のたたりか、などとすっかり怖気づいてしまいました。幸い薮蚊に体中を刺された程度で、生死に関わる事態は発生しませんでした。ここは、冬に行くべきところです。なお、供養塔は禅宗の様式とのことで、時代は下がるもののようです。
 希義の墓で出鼻をくじかれ、この先どうなることかと心配したのですが、名所として知られる五台山や竹林寺は当然としても、長宗我部氏の居城で山城の岡豊城、紀貫之ゆかりの土佐国庁跡など、重要な史跡がきちんと整備されて大切に保存されていることに安心と感心を致した次第です。
 また岩田君の書かれているように、国庁跡は和歌を通した地元の方々の交流の場所になっていますし、22日に訪問した四万十市の一条教房のお墓には、花を供える人がおられました。こうしたことから、土佐の方々が史跡や郷土の歴史を大切にし、敬意を抱いておられるご様子が伺われ、深い感銘を受けました。
 
 さて、旅行のハイライトのひとつは四万十市(中村)、足摺岬周辺の一条氏、幡多荘関係の史跡めぐりです。
 足摺岬に近接した金剛福寺、岩田君のご指摘のように南国的でした。ただ、和泉式部の逆修塔があったり、嵯峨天皇筆と称する扁額があったりして、幡多荘の関係で京とのつながりの深さを感じました。あの多宝塔、説明には満仲建立とあるのですが、塔の前の看板には頼光建立と書かれておりました。まあ、そんなものです。
 四国八十八箇所の寺院は、やはりどこも整備されていましたね。八十八箇所めぐりの人気と、それが文化財保存に役立っている様子が伺われます。この炎天下、国道などを歩くお遍路さんを何人も見かけました。若い方が多かったのですが、どんな思いを抱いているのでしょうか。
 四万十市内の一条氏関係史跡は、池内先生のご説明で、非常に興味深く見学させていただきました。池内先生の一条氏に関するお話の要点は以下の通り。

・一条兼良の息子教房が、突然土佐に下向したのは、決して食うに困ってやけくそになったわけではない、一条氏は各地の荘園における民衆の動向を把握した上で土佐幡多荘の直接支配に乗り出したのである。
・その背景には、各地を遍歴して情報収集を行うとともに、応仁の乱の裏面工作に関与した兼良の動きがあった。彼の行動を単なる金儲けと見てはならない。
・幡多荘は木材の産地であるとともに、遣明船も立ち寄るなど、貿易の大きな利潤があった。時期は異なるが、西園寺と伊予知行に対比できるのではないか。また、一条家と、大内義隆の早世した嫡男は婚姻関係にあり、貿易を通した同盟も予想された。
・中村は、四万十川の河口に近く、また材木の切り出し地にも近い。交通、交易の要衝でもあった。京都に似た地形が拠点となった理由ではない。

 これまで、それこそ切羽詰まった公家の行動くらいに思っていたのですが、認識を大きく改めさせられました。家司殺害のほとぼりが冷めるまで、一時的に日根野荘に下った九条政基とは大きく異なります。源平争乱期の藤原頼輔の豊後下向にも通ずるところがありそうですね。
 五摂家のひとつが自ら戦国大名になる、まさに公家・武家の同質性を物語る重要な事例ですが、我々ももっと詳しく検討する必要がありそうです。

 今回ご案内いただいた池内敏彰先生は、高知県立土佐清水高校の先生で、古文書学会等でも幡多荘についてたびたびご報告になっている篤学の方です。
 その一方で、22日に四万十川の名所沈下橋を見た後の「とんでもナビ」など、なかなか愉快な?行動もとられます。
 さらにお酒が入ると面白さは倍増。やはりこの旅行で参加者に最大のインパクトを与えたのは、21日の晩の「味劇場ちか」における「21発」発言ではないでしょうか・・・。
 
 ちなみに、当方、往復ともに例のボンヴァルディア機。多少ハラハラしましたが、何事もありませんでした。飛行機の便利さはいうまでもないのですが、一抹の不安は常に付きまといますね・・・

 ついでで恐縮ですが、28日の書評会、よろしくお願い申し上げます。
 読み直すにつれ、多くの事例に圧倒される思いがしております。 

茨大シンポ「北関東の武士たち」の御案内 

No.5882

      茨城大学人文学部・地域史シンポジウム
北関東の武士(もののふ)たち 
―新しい中世武士団のイメージ―

  現在、中世史研究の世界では、どんな武士団のイメージが創られようとしているのか。北関東の武士団のイメージはどう変わったのか。第一線で活躍する研究者に、新しい中世武士団の姿を、事例に即してわかりやすく提示していただき、会場を交えたディスカッションを行います。

【日時】2007年12月9日(日曜日)
    11時~17時00分(休憩12時~13時)
【場所】茨城大学水戸キャンパス(水戸市文京2-1-1)理学部インタビュー・スタジオ
    アクセス JR水戸駅より茨交バス(7番乗り場から)で約15分、「茨大前」バス停下車。
【プログラム】
基調講演
「『坂東武士』の実像」             京都女子大学教授 野口 実
報告 
「関東武士団研究の軌跡」          茨城大学非常勤講師 伊藤瑠美
「常陸平氏 再考」                茨城大学教授 高橋 修
「東国武士団と都鄙間の文化交流―下総下河辺氏と関戸の宝塔―」
                          古河第二高等学校教頭 内山俊身                                           
「武士団と町場―下野小山氏―」       栃木県立文書館副主幹 松本一夫
「武士団と寺院、門前町―上野新田氏と世良田長楽寺―」
                           駒場東邦中・高等学校教諭 田中大喜
コメント                      常磐大学教授 糸賀茂男
パネルディスカッション(60分)   コーディネーター 茨城大学教授 酒井紀美
                                          高橋 修
《主催》茨城大学人文学部
《共催》茨城大学五浦美術文化研究所  
《協賛》茨城県立歴史館 茨城中世史研究会 茨城大学中世史研究会

[問合せ] 茨城大学人文学部 高橋修研究室029-228-8120(直通) osm@mx.ibaraki.ac.jp

◆入場は無料です。申し込みも不要です。どなたでもご参加いただけます。