E・メールの送受信について、お願い

No.5846

 数ヶ月前に学会事務局に送った書評原稿について受領の知らせが届かない一方で、出版社に依頼して海外に送ってもらった拙著がちゃんと届いたという知らせが届いたりしている今日この頃、私こと、目下、外部との情報交換にもっとも威力を発揮しているメールやネットの機能が損なわれつつある状況にあります。
 毎年、当方自宅のPCは、夏が近づくと不調になって画面が真っ暗になってしまう前歴があり、また以前、無線ランが繋がらないのでルーターを交換したことがあります。今回は後者の症状と同様に、しばしば送受信機能が損なわれるわけですが、ワイヤレスネットワークの接続表示が出ますから、モデムやルーターに原因があるわけではないようです。
 PCのことはサッパリ分からないので、トンチンカンなことを言っているのかも知れませんが、要するに当方にメールをお送りいただいても、接続不可で、すぐに拝読できない可能性があるということです。
 したがって、メール送信に際しては大学研究室宛に送信をお願いいたします。自宅PCが正常作動している限り、自宅にも転送されます。
 とはいえ、大学には夏期休業の期間もありますので、お急ぎの御用でメールを送信しても返信がない場合は別の手段を講じていただくようにお願いいたします。
 郵便や電話のレベルなら、こんなトラブルはあり得なかったのですが、例によって鈴木君頼みです。
 
 ちなみに、学会事務局に送付した書評の件ですが、依頼原稿を送って到着の知らせが届かないのに対して、頼まれた側が受け取ったかどうか問い合わせるというのも可笑しな話ですし・・・、とはいえ、あるいは本当に郵便の事故か何かで届いておらず、先方としては遅延はしていても業界のならいだからと催促を遠慮されているのかも知れません。いずれ、こちらから、葉書ででも問い合わせてみるのが穏当な対応かも知れません。
 しかし、その返信が来なかった場合は・・・?考えすぎですね。

ヤギの仕業でしょうか

No.5851

>野口先生
 「こちらから、葉書ででも問い合わせてみるのが穏当な対応かも知れません。しかし、その返信が来なかった場合は・・・?」というのは、もはや黒ヤギさん・白ヤギさんの世界ですね。お互いのお手紙を食べるのも困りものですが、それもせめて読んでからにしたらいいんですけどね。

ゼミメンバーへ、蔵書捜索のお願い。

No.5842

 眼鏡をかけながら眼鏡を探していたりする今日この頃ですが、そんな調子で、本来、研究室か自宅にあるべき下記の本を探しています。
 ① 貫達人・川副武胤『鎌倉廃寺事典』
 ② 京都国立博物館で2001年に開催された『菅原道真公1100年祭記念 北野天満宮神宝展』の図録
 前者は研究室入って正面に位置するガラス書棚の左端にあったのを記憶しているのですが、このところ所在不明。後者は購入の記憶あるのみです。
 貸し出しノートに記載はないので、どこかに隠れている可能性が高いものと思われます。ゼミメンバーでお気づきの方がおられましたら、宜しくお知らせ下さい。

 >岩田君・長村君・山岡さん
 『伝説の将軍 藤原秀郷』の誤植箇所ですが、月末までと申しましたが、30日の『吾妻鏡』の時までにお知らせいただけると助かります。

見つかりました&昨日の『吾妻鏡』と例会

No.5845

 上記のうち①は岩田君が研究室にお出でになるやいなや見つけ出してくれました。②はA4の大判のはずなのに依然行方不明です。
 ①には便利で大きな鎌倉の地図が付録についていますので、さっそくコピーして『吾妻鏡』講読のメンバーに配布しました。
 今回は岩田師範による前期の総括で、在京武士の一員と思われる右兵衛尉為成の娘の「舞女微妙」や古郡保忠・由利維久・法眼弁覚らが俎上に上りました。これだけで3時間。のこったテーマはまた別の機会に致しましょう。
 続いて18時からは例会。小野さんの卒論中間報告「『吾妻鏡』にみる鎌倉幕府における女房の役割について」です。鎌倉幕府は男だけの世界のようなイメージがあり、これまで、この分野が等閑にされていたのを痛感させられました。
 京都の宮廷に仕える女房については、これまた平安文学の世界で形作られた固定的イメージがありますから、鎌倉幕府で女房を追究することは女房の機能を客観視するうえで有効な方法と思われ、秋に予定されている2回目の報告までの研究の進展が期待されます。

 『伝説の将軍 藤原秀郷』の誤植箇所ですが、長村君・岩田君に御精読いただいて、たくさん発見できました(下記>>No.5836に追記)。ありがとうございました。しかし、たくさん見つかるというのは、なんとも情けない。

筆記試験・レポート・校正

No.5835

 先週実施した「総合教育科目7B」の採点がようやく終わりました。つねづね思うのは、答案こそが最良の授業評価の資料であるということです。
 持ち込み不可であるにも拘わらず、B4の表裏にびっしりと書かれた答案を読んで感じたことは、この5年ほどの間に、学生さんたちの社会認識のあり方に大きな変化があったのではないかということでした。「前提」が異なることになると、講義の材料選択も最初から考え直さなければならなくなります。

 現代社会学部「基礎演習Ⅰ」のレポートは月末締切ですが、すでに提出者あり。先陣を切ったのは、「やはり?」関東出身のMさんでした。
 なお、提出にあたっては、報告に対する評価票の添付をお忘れなきように。

 本当は科研費による研究論文や昨年から持ち越しになっていて御迷惑をお掛けしている書評などの執筆に取りかからなければならないのですが、目下、論文集掲載の2つの論文(一つは旧稿の再録)の校正に追われております。やむを得ない中断を重ねるうちに双方の内容が錯綜・混乱して困ります。

 締切を超過して御迷惑をお掛けしている原稿がある一方、学会事務局に速達でお送りしたにも拘わらず、受け取りの返信もないというケースもございます。あの書評は、いつ陽の目を見ることになるのでしょうか?もとより内容は心許ないのですが、著者と献本してくれた出版社に申し訳ないような気分です。
 発送したのは3月10日でしたから、もう4ヶ月以上経過したことになります。
 また、仕事の順番を間違えてしまったようです。

 ☆ 本日、東海大学の落合義明先生より、御高論「中世鎌倉名越の律宗寺院-東栄寺を中心として-」(『戒律文化』5)を御恵送頂きました。
 落合先生にあつく御礼を申し上げます。
 なお、落合先生は、9月に開催される中世都市研究会において、「中世武蔵国における宿の形成」と題する御報告をされますが、その中で畠山武士団と入間川の関係について言及されるとのことです。

【追記】本日(27日)、広島工業大学附属高校の加栗貴夫先生より、御高論「奥州合戦をめぐる諸相-鶴岡八幡宮・旗・奥州合戦祈祷-」(『青山史学』25)を拝受いたしました。
 たいへん興味深い内容で、個別武士団における嫡宗権の表象としての家紋成立の問題とか、法住寺合戦における院方の祈祷による武装の問題などが想起されました。
 加栗先生にあつく御礼を申し上げます。
 なお、御書信によると、加栗先生は青山学院大学史学科の御出身で、在学中、院生として、先月、公開講座にお出で頂いた中澤克昭先生や、鎌倉ゼミ旅行でお世話になった岡陽一郎先生がおいでになったということです。
 ちなみに、この掲示板はよく御覧いただいている由。
 広島と言えば、当方のゼミメンバーには、広島大学大学院に進学した尻池さんがおられ、また、私の大学院時代の同期の友人は広島の出身で、地元に戻って公立高校の教諭をしておられました(現在は岡山にお住まいです)。
 いずれにしても後輩の御活躍は嬉しいものです。
 加栗先生、今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。

『伝説の将軍藤原秀郷』初版暫定正誤表

No.5836

 論文の校正のほかに当面の課題としてあるのは、重版が決まった『伝説の将軍 藤原秀郷』の誤植訂正の作業です。
 ゼミメンバーの何人かには、直接お願いし、すでに結果の報告をいただいた方もおられるのですが、お気づきのところがあれば、月末までにお知らせ頂きたくお願いいたします。
 なお、これまで気のついた、どうしても正誤訂正を要する箇所は以下のとおりです。

p14  7行目 (誤)高田実・戸田芳実氏→(正)高田実氏・戸田芳実氏
p18  系図1中の人名 (誤)滴→(正)適
p90  1行目 (誤)『江都督願文集』→(正))『江都督納言願文集』
p100 4行目 (誤)子息時頼→(正)嫡孫時頼
p106 6行目 (誤)両総に大勢力→(正)圧倒的な勢力
p136 表4「位階・官職・その他」の欄の4行目 (誤)宇都宮権守宗綱女
    →(正)母宇都宮権守宗綱女
p142 6行目 (誤)宰相局→(正)小宰相
人名索引 ⅱページ か行に「小宰相」を追加  さ行から「宰相局」を削除
【追加】
p77  うしろから3行目 (誤)六月→(正)閏五月
p97  (b)の4行目 (誤)食め煩い→(正)めし煩い
p111 12行目 (誤)蹴鞠→(正)歌鞠
p145 10行目 (誤)軍事貴族とし活動→(正)軍事貴族として活動

Re: 筆記試験・レポート・校正

鈴木 潤@オーストラリア出張中
No.5841

あと一週間日本に戻れない。(戻りたくない?)鈴木です。
郵便に関してですが、結構な確率で事故があったりします。成績発送でも年に2回くらいは学校内で未達のものがでてきます。簡易書留や配達記録はネットでも見られます。もしかしたら本当に届いていないのでは?と思い書き込みました。

就活の際に書留は相手に嫌がられるから使わない方がいいという話も聞いた事がありますが、実際はどうでしょうか…。

永富さん・鈴木君、おめでとうございます。

No.5834

 とうとうというか、ようやくというか、御婚約の由。おめでとうございます。
 もう、大方のゼミメンバーは御存知のことだったと思いますが、本日、永富さんより直々に正式な御報告を頂きました。
 なお、鈴木君は目下、オーストラリアに遠征中とのこと。
 挙式・披露宴は来春に予定されています。
 何はともあれ、おめでとう御座います。
 永富さん、お土産、ありがとうございました。

 本日は、共同研究室で『台記』研究会が開催され、長村君が「木曾義仲の畿内近国支配と内乱期在京武士社会」と題する報告をされました。報告と討論で熱のこもった一時を過ごして、ふと時計を見ると3時間が経過しておりました。
 長村君にはぜひ、とりあえず前半部分を論文化して頂きたいと念じております。鎌倉幕府成立史研究に大きなインパクトを与えるものと期待されます。
 研究会の後は「里」で一席。研究会参加者のほぼ全員が顔を揃えて賑やかな宴となりました。
 元木先生、お土産をありがとうございました。

 30日の『吾妻鏡』講読会、卒論中間報告にも多くの御参加を期待するところです。

 重なりますが、永富さん・鈴木君、本当におめでとう御座います。
 当ゼミ初の「快挙」です。祝着至極。
 管理人のお二人が夫婦になられることで、このHPも永遠に不滅でしょう。

Re: 永富さん・鈴木君、おめでとうございます。

岩田慎平
No.5839

 遅くなりましたが、永富さん・鈴木君、御婚約おめでとうございます。お二人のご多幸をお祈り申し上げます。
 そもそも私が当ゼミに参加できるようになったのは、この掲示板を見たからでありますが、いまも日々いろんな方々がご覧になるこの掲示板を維持してくださるお二人には、感謝の言葉も言い尽くせません。今後ともよろしくお願いいたします。

軍記・語り物研究会大会のご案内

源 健一郎
No.5830

ご無沙汰しております。皆さんのご活躍、当HPを通じて、よく拝見しております。
さて、今夏、奈良大学にて、軍記・語り物研究会大会が行われます。
告知のために、場所をお借りすることをお許し下さい。

***軍記・語り物研究会 2007年 大会***

    2007年8月23日(木)~25日(土)
    第一・二日目会場 奈良大学 本部棟四階 大会議室

第一日目 シンポジウム 14:00~17:00
 軍記物語と城郭―柵・館・城をめぐって―
  基調講演「考古学から見た城と戦い」奈良大学 千田嘉博氏
  関連報告「文献史料からみた城郭概念」國學院大學(兼) 菱沼一憲氏
      「城郭をめぐる戦いとその表現」愛知教育大学 今井正之助氏
             コメンテーター 元京都女子大学 笹川祥生氏
                     中京大学 徳竹由明氏
                     日本学術振興会特別研究員 和田琢磨氏

第二日目 研究発表 10:00~16:30
 ニューヨーク公立図書館スペンサーコレクション蔵『祇王物語』絵巻の位置
                     九州大学大学院生 森誠子氏
 『菅芥集』所収願文考―笠置寺関係願文を中心に―
                     日本学術振興会特別研究員 中川真弓氏
 『太平記』終末部の一考察        京都大学聴講生 森田貴之氏
 『陰徳太平記』成立過程再考       台湾立徳管理学院 山本洋氏
 平家物語と南都炎上―延慶本の周辺―   帝塚山大学 小林美和氏

第三日目 実地踏査「東大寺諸堂を巡る」 9:30~12:00
 行 程 東大寺図書館・大仏殿・俊乗堂・法華堂・二月堂他
 ご案内 東大寺塔頭清凉院御住職 森本公穣師
 参加費 一,五〇〇円(事前申し込みが必要)


軍記・語り物研究会そして史料講読会

No.5831

 源先生、お久しぶりです。ちょうど軍記・語り物研究会からも郵便物が届きましたので、案内を書き込もうかと思っていたところでした。
 つねづね軍記研究と中世考古学の連携の必要性を感じておりましたので、第一日目のシンポジウムは極めて有意義な好企画だと思います。

 ちなみに、郵送されてきた大会案内には運営委員の被選挙人名簿と投票用紙が同封されていましたが、そこには当ゼミ古参有力メンバーのお名前が!
 
 さて、昨日の『吾妻鏡』講読会ですが、前半は夏休みの勉強会について長村君から御案内を頂きました。『台記』研究会での報告(「木曾義仲の在京」)をひかえている中で、詳細な資料(「俺たちに夏休みは無い!!」)を用意していただき、長村君には大いに感謝しております。
 本日、ご本人は明日の準備に没頭中のことと思いますので、代わって概略をお知らせしておきますと、

  講読対象史料:中山法華経寺文書「双紙要文」紙背文書
  日程:9月4日(火)~6日(木)
  担当者:長村君・岩田君・山岡さん・米澤君
  ※ 講読史料のコピーは野口研究室に用意してありますので、参加希望者はお申し出下さい。
 閑院内裏や蓮華王院の造営、千葉氏の大番役、下総千葉寺の住僧から渡宋を経て九条家の堂僧として法印にまで上り詰めたが幕府転覆を企てて捕縛された了行の話などが出て参ります。

 なお、来週30日(月)の『吾妻鏡』は、岩田師範による前期の総括。興味深いテーマが目白押しです。すでに師範が用意してくれた資料は野口研究室にあります。
 『吾妻鏡』終了後は小野さんの卒論中間報告です。

 ☆ 愛知学院大学の福島金治先生より、御高論「真福寺所蔵『将軍次第』の翻刻・紹介」(科研費報告書『中世寺院の知的体系の研究-真福寺および勧修寺聖教の復原的研究-』研究代表者 阿部泰郎)を御恵送いただきました。
 『吾妻鏡』と同時期の書写本で、南都で記録された将軍の列伝。頼朝の配流先・国地頭・政子の地位等々について、興味深い記事と分析が目白押しです。
 福島先生に、あつく御礼を申し上げます。

次回の『吾妻鏡』講読会

岩田慎平
No.5832

 上で野口先生よりご案内いただきましたが、次回の吾妻鏡講読会は通常の講読を一旦お休みにして、岩田のほうでネタをご用意いたしましたので、それを読んでみたいと思います。参加者の皆さんは、お配りした資料をざっと下読みをしておいてください。使用する資料は野口先生の研究室にてお預かりいただいております。必要な方はお申し出いただきたいと思います。

 日時:7月30日(月)13:00~(予定)
 場所:京都女子大学L校舎 3階 宗教・文化研究所共同研究室

 吾妻鏡講読会は、貴重なお時間を割いてお集まりいただく皆さんによって支えられております。どなたさまでも、まずは見学からでもどうぞお気軽にご参加ください。


 また、当日は小野さんによる卒論準備報告も行われます。

  日時:7月30日(月)18:00~(『吾妻鏡』購読会終了後)
  場所:京都女子大学L校舎 3階 宗教・文化研究所共同研究室
  報告者:小野 翠 氏
  テーマ:「鎌倉幕府における女房の役割について」(仮)

 こちらの準備報告へのご参加もよろしくお願いいたします。

卒論中間報告会

小野 翠
No.5828

お知らせが遅くなってしまい申し訳ありません。

この度卒論の中間報告をさせていただけることになりましたのでお知らせ致します。

日時:7月30日(月)18:00~(『吾妻鏡』購読会終了後)
場所:京都女子大学 宗教文化研究所 共同研究室(L校舎3階)
報告者:小野 翠
テーマ:「鎌倉幕府における女房の役割について」(仮)


お忙しいかとは思いますが至らないところだらけですので、お時間がありましたらぜひお越しいただき、厳しいご意見をいただけますと幸いです。

どうぞよろしくお願い致します。

『女たちの鎌倉幕府』

No.5829

 小野さんの卒論。これまで幕府政治史で見過ごされていた側面を解明する上で重要な研究につながるものと期待しています。とりあえず、鎌倉幕府の女官組織、祗候の女房・美女の実態解明がはかられることでしょう。
 じつは私も、そのうちに『女たちの鎌倉幕府』などというタイトルの本を書きたいと思っているのです。その前に片付けなければならない仕事は山のごとしなのですが。

 中・高は夏休みに入ったことですし、小野さんの報告には、教職にある先輩方もぜひ時間を作って御出席くだされたく、お願いいたします。3回生も来年のために。
 ちなみに、石井君も卒論報告をしませんか?
 
※ 前にも告知しましたが、新しいプリンターを購入したために不要になったインクタンクがブラック・カラーとも複数あります(新品)。品名はCanonのBCI-24。廃棄するのは勿体なく、残りがある限り、差し上げますので、御連絡下さい。

いまごろの『吾妻鏡』

No.5827

 世の中はぼちぼち夏休みに入りますが、みなさんはいかがお過ごしでしょうか。私は先週半ばに山陰地方に出掛けてきたのですが、やはり京都の暑さは際立ちます。

 ずいぶん下の方に沈んでしまったようなので、忘れないうちに次回の『吾妻鏡』のご案内を再掲致します。次回は以下のとおりです(山陰地方のお土産はありません。ごめんなさい)。
 日時:7月23日(月)13:00~(予定)
 場所:京都女子大学L校舎 3階 宗教・文化研究所共同研究室
 範囲:『吾妻鏡』安貞二年四月二十二日、二十六日、二十七日、五月七日、八日、十六日、二十二日、七月十六日、十八日、二十日、二十四日、二十九日、九月二十日、十月七日、八日、十四日、十八日、十九日、十二月三日、四日、二十九日
  (※適宜休憩を挟みつつ、読めるところまで読んでいきましょう)

 30日(月)は通常の講読は一旦お休みして、岩田のほうでネタを用意したいと思います。これまで読んだ範囲を回顧できるような資料をご用意したいと思います。

 それから、『吾妻鏡』とはまた別に、八月中の空き時間を利用して近距離の見学(ドライブ)を幾つかしてみたいと思わないではないですが、そういうご相談も次回(23日)にさせていただきたいと思います。23日は長村くんが【恒例、夏の短期勉強会】のご案内もしてくださるそうですので、併せて意見交換しましょう。

法住寺殿の武将墓

山田邦和
No.5822

時差ボケでまだボーッとしている山田です。

森浩一先生〈同志社大学名誉教授〉の『京都の歴史を足元からさぐる〈洛東の巻〉』(東京、学生社、2007年7月)が刊行され、一本をいただきました。森先生ならではのユニークな視点から構成された「京都案内」で、読んでいて、私も目から鱗が落ちる場面が続出します。

なかでも驚愕したのは、法住寺殿の「武将墓」についてです。森先生は、この墓の被葬者の候補として、法住寺殿合戦で戦死した円慶法親王(園城寺長吏、後白河法皇第5皇子)をあげておられるのです。私など、正直いってこの墓の被葬者としては武将ばかりを考えましたが、確かに、合戦の際には僧侶も武装するはずです。もちろん、この説には、墓の時期推定などの点で問題があり、確定ということはできないのですが、法住寺殿について新鮮な仮説が提起されたことを慶びたいと想います。

 野口先生も、法住寺殿の武将墓の被葬者について、仮説をお持ちだとおっしゃっていましたね。まだ秘密だ、ということでしたが、そろそろ公表されないのですか? 興味津々で見守っています。

 宣伝:来る21日、この本について、森先生がサイン会をされるそうです。ご興味ある方はどうぞ。→ http://heike.cocolog-nifty.com/kanwa/2007/07/06/index.html

Re: 法住寺殿の武将墓

No.5823

 私の「仮説」はある程度キチンとした論証が固まるまでは発表しないでおこうと思っています。しかし、自分としては、「おそらく、これで決まり」だと思っております。

 森先生の御説については、どのような論証がされているのか、あるいは拙論にたいする御批判を踏まえられたものなのか、御高著をまだ拝読していないので分かりませんが、法住寺殿というと、どうしても法住寺合戦が想起されてしまいがちのようです。
 私は武将墓の造営時期を12世紀半~とする発掘報告書執筆者(考古学者)の御見解にそって、文献史料の博捜と当時の具体的な政治・文化環境を前提に、平重盛の可能性を指摘したのですが(拙著『武家の棟梁の条件』などを参照)、その後、京都市埋文研の上村和直先生から、共伴土器によって造営時期は13C前半に降るという御見解が示されました(「法住寺殿の成立と展開」京都市埋蔵文化財研究所『紀要』9)。この段階で、私は発掘担当者などからの反論を期待して重盛説を一応留保したのですが(「法住寺殿と小松家の武将たち」京都女子大学宗教・文化研究所『研究紀要』15)、それに対して考古学サイドから再批判が出なかったので、13世紀初頭段階に時期をしぼって検討したところ、重盛以上に蓋然性の高い人物に行き当たったという次第です。
 何よりも、考古学の成果は客観性・科学性が高い(と尊重しております)ので、時期については、これをまず前提とするべきだと考えていたのですが、考古学者である森先生が上村説を否定されたとなると、文献史学者としては身の置き所を失ってしまいます。
 なお、法住寺合戦において、院方が物理的武装よりも、むしろ宗教的武装を行ったこと(横内裕人「密教修法からみた治承・寿永内乱と後白河院の王権」大山喬平教授退官記念会『日本国家の史的特質 古代・中世』)、また、合戦が義仲軍の圧倒的勝利に帰したことを考える必要があります。要するに法住寺合戦において法親王は調伏法を行ったのであり、そして、合戦直後には、堂を伴うような墓所の造営は絶対に不可能だったということです。

 などなど、申し上げましたが、今日においても、一般向けの本などでは、やはり、当初、朧谷寿先生が提出された法住寺合戦で死んだ北面の武士の墓であるという説が広く見受けられるところです。

 武将墓についての自説は自分ですっかり納得してしまっているので、わざわざ書く気にならず、先に済ませなければならない諸事を片付けてから、その気になったら、とりかかろうかと思っています。間に合わなければ、結論だけを長村君辺りに遺言し、論証はお任せしたいと考えております。
 もっとも、研究熱心な長村君は、もう気がついているかも知れませんね。

【追伸】 そういえば本日は7月19日。32年前は土曜日で、暦には仏滅とありました。この日、東京渋谷の青学会館で面白いイベントがあったことを、どれだけの方が御記憶でしょうか?
 32年後の本日。仏の心で採点中です。

 ☆ 本日、北海道教育大学の鈴木哲雄先生より、御高論「香取神宮神幸祭絵巻(権検非違使家本)について」掲載の『千葉県史研究』15、御高論「中世東国の百姓申状-称名寺所蔵「万福寺百姓等申状」考-」(佐藤和彦編『中世の内乱と社会』)を御恵送いただきました。
 鈴木先生に、あつく御礼を申し上げます。 

再び法住寺殿の「武将墓」について

No.5826

 目下、期末試験の採点と締切のさし迫った複数の校正に追われております。

 今日は学会誌の編集会議がありましたが、その帰途、はじめて拙著『源氏と坂東武士』が書肆店頭に並んでいるのに遭遇。また、上記、森浩一先生の御著書も立ち読みして参りました。

 ザッと拝読したところ、森先生の御説の根拠は、①『平家物語』に円慶法親王の頸が明雲大僧正とともに六条河原に晒されたとあること、②円慶は後白河の息子であるから、後白河・建春門院の陵墓の近くに葬られて然るべきである。この2点にあるようです。なお、「武将墓」被葬者について、発掘報告書の源光長説(朧谷寿先生による)を否定されているのですが、建春門院陵を後白河陵の北に隣接するとする山田先生の御説を前提にされていることからすれば、この建春門院陵養源院参道地下所在説がはじめて公にされた野口・山田「法住寺殿の城郭機能と域内の陵墓について」(京都女子大学宗教・文化研究所『研究紀要』16)は御覧いただけているものと思われ、森先生は「武将墓」に関する私の見解を御存知であるものと思われます。
 まず、①についてですが、法住寺合戦の史実を検証する上で、『平家物語』を使用するにはかなりの検討を要するということを指摘しておかなければなりません。これについては、国文学の『平家物語』研究者からも高い評価を受けている長村君の「法住寺合戦について-『平家物語』と同時代史料の間-」(『紫苑』2)を一読すれば明らかなことです。ちなみに、法住寺合戦における円慶法親王(正しくは円恵法親王)について、『玉葉』寿永2年11月22日条には「又八条円恵法親王、於華山寺辺被伐取了、(中略)抑、今度之乱、所詮只在明雲・円恵之誅、未聞貴種高僧遭如此之難」と見えています。
 ②については、上に書いたとおりで、「武将墓」は五領もの高級な大鎧や馬具なども入れられた特別な埋葬形態が取られ、また付属の堂も造られていたわけですから、合戦直後に設けられたものとは考えられず、また治承3年の清盛によるクーデターに際して解官された院近臣平業忠の姉妹の所生である円恵が、平家と後白河を取り結ぶ存在であった建春門院(平滋子)の陵墓の直近に埋葬されるというのも不審といわざるを得ません。後白河にはたくさんの子女があり、②の考え方をつきつめるならば、ほかの皇子女たちも、このエリアに埋葬されなければならないことになってしまうでしょう。
 そして、遺物に関する年代比定との矛盾もさることながら、何よりも、山田先生が上記論文において、「この「W8土坑(武将墓)」は死してなお後白河天皇陵・建春門院陵を守護する最高級の武士の墓であると考えるのが最も可能性の高い解釈であろう」と述べられたのを否定する理由が示されていないのが腑に落ちないところです。
 立ち読みを思い出しての感想なので、記憶違いや誤解の可能性と雑駁の誹りは免れませんが、愚見はかくの如しです。

 ☆ 本日、慶應義塾大学の桃崎有一郎先生より、御高論「足利義満の公家社会支配と「公方様」の誕生」(『ZEAMI-中世の芸術と文化04』)・「中世後期における朝廷・公家社会秩序維持のコストについて-拝賀儀礼の分析と朝儀の経済構造-」(『史学』76-1)、「書評・水野智之著『室町時代公武関係の研究』」(『年報中世史研究』32)を御恵送いただきました。
 桃崎先生に、あつく御礼を申し上げるとともに、精力的な御研究に敬意を表します。

お願い←『伝説の将軍 藤原秀郷』重版

No.5821

 2001年に出版した拙著『伝説の将軍 藤原秀郷』(吉川弘文館)が重版されることになりました。

 秀郷流藤原氏研究の総括としてばかりでなく、産経新聞に上横手雅敬先生に書評を御寄稿いただいた思い出深い書です。重版は誤植を正して完璧な形で世に遺したいと考えております。

 つきましては、ゼミメンバーには、お気づきの誤植箇所をお知らせいただきたく、宜しくお願い申しあげます。自ら気がついているところは相当あるのですが、やはり本人だけでは見落としが出てしまうと思います。

 武士論を専攻されている長村君・岩田君・山岡さんをはじめとする諸姉兄、お暇なときにパラパラとでも拙著をお目通しいただければ幸いです。

 御礼は、元木先生のごとく<焼肉>とはいきませんが、京女のA地下でお好きな定食(安~!)など御用意させていただきたいと存じております。

 できますれば『台記』研究会の開かれる25日、おそくとも月末までにお知らせいただきたくお願い申しあげる次第です。 

本年度、宇治共同研究メンバーへ

No.5819

 論文執筆は、昨年度のメンバーの「義務」ですが、本年度メンバー(昨年度から継続の方が大半ですが)も着実に研究の実をあげておられることと思います。
 その際、いろいろ必要な書籍や消耗品などが出てくると思いますが、それらについては積極的にお申し出をお願いいたします。出来る限りの対応を致したいと思います。
 なお、後期には成果発表の報告会の開催を企画したいと考えています。宜しくお願いいたします。