夏の勉強会

No.5899

先日の書評会では勉強させていただきました。ありがとうございました。

改めて夏の勉強会の日時をご連絡申し上げます。

日時:9月4日・5日・(二日間で終わらなければ)6日 午後1時30分~
内容:『中山法華経寺文書』(日蓮遺文紙背文書)から、主に建長年間の閑院内裏関係史料を輪読。

八月三十一日

No.5900

 8月31日というのは、小学生の頃、まさに末法到来のような日だったことを思い出します。

 大学でも明日から授業開始という所もあるようですが、なにしろ8月末と9月末というのは申し合わせたように、諸事締切が多く、辛い時期ではあります。

 締切といえば、紀要掲載の宇治共同研究の原稿、田中さん・佐伯君から速達にて拝受いたしました。御協力に感謝します。

 長村君には、史料講読会の案内の御礼を申し上げます。長村君に準備をお願いしておりますが、当方もせめて『千葉系図(神代本)』のコピーくらいは用意したいと思っております。

 岩田君にお任せしている『入門吾妻鏡』も原稿送付に至ったとのこと。一部の執筆者の方々には、執筆のみならず、全体の原稿の内容の検討や字数の調整にもご尽力をいただき、ありがとうございました。

 こうしてみると、負債を持ち越しているのは私だけなのかも知れません。

 ところで、後期の『吾妻鏡』講読会の日程ですが、学部生の皆さんの御都合は如何でしょうか?後期は、講義開始が9月19日ですから、初回は24日(月)13時からに実施したいと思います。24日は秋分の日の振替休日なのですが、京都女子大学は講義があるのです。

書評会の御礼と史料講読会の参考文献

No.5897

書評会の御礼と史料講読会の参考文献 野口 実 - 2007/08/29(Wed) 00:46 >>No.5892 再掲

 本日(28日)の書評会。御担当いただいた生駒さん、貴重なコメントを下さった元木先生、準備万端の上、司会をしてくれた岩田君、ありがとうございました。
 お陰様で、自分のやってきたことについて整理がつき、源氏による「調停」の実態、平家による東国支配の評価、用語の概念の明確化等々、また新しい課題を見出すことが出来たように思います。
 岩田君のお仲間の関学の院生の方たちが参加してくれたのも嬉しいことでした。「まんぞう」では、老生の戯言に耳を傾けて下さり、ありがとうございました。
 なお、お土産にたくさんのお菓子を持ってきて下さった小野さん、滑川さん、岩田君、伊藤さんに、御礼を申し上げます。

 さて、つぎは9月4・5・6日の史料講読会ですが、あらためて事前学習用の文献を紹介させていただきます。
 ① 『石井進著作集 第七巻』のⅡ「日蓮遺文紙背文書」
 ② 井上聡「御家人と荘園公領制」(『日本の時代史8』所収)
以上。必ずお目通しおき下さい。

 ☆ 本日、共同研究員の樋口健太郎さんから、御高論「摂関家「氏寺」の中世的展開-法成寺・平等院を中心に-」(『年報中世史研究』32)および「史料紹介 国立歴史民俗博物館所蔵田中穣氏旧蔵本『山槐記』応保二年三月」(『神戸大学史学年報』22)を御恵送いただきました。前者は広島の尻池さんには必読ですね。
 なお、後者はゼミメンバー用に余分に5部頂いております。必要な人は御連絡下さい。先着順で差し上げます。
 樋口さんに、あつく御礼を申し上げます。 

書評会の御礼、次は史料講読会

No.5898

 遅くなりましたが、先日はお暑い中、野口先生のご著書の書評会にお集まりいただきまして、ありがとうございました。当日は慣れない司会を買って出ました挙げ句に、議論の流れを整理できずにご迷惑をお掛けしました。
 しかしながら、著者である野口先生ご本人からいろいろと示唆に富んだお話や、元木先生のコメントを伺うことができまして、非常に充実した時間となりました。また、書評をご担当いただきました生駒さんにも御礼申し上げます。ありがとうございました。

 次は来週の史料講読会ですが、こちらでもどうぞよろしくお願い致します。

三度掲載、書評会のご案内

No.5889

 開催日が近づいてまいりましたので、再掲致します。
 野口先生の『源氏と坂東武士』ご出版を記念して、書評会を開催することとなりました。武士論研究の今後のより一層の活性化のため、日頃なかなか機会が持てない意見交換のため、みなさんで大いに活発な議論を交わしましょう。

 ◇ 野口実著『源氏と坂東武士』出版祝賀の書評会 ◇

 日程  8月28日(火)
 時間  15:00~
 会場  京都女子大学宗教・文化研究所共同研究室(L校舎3F)
 書評会の形式  著者である野口先生を囲んで参加者による談論。ただし、内容の概括と問題提起のため担当者を配する。
 担当者  生駒孝臣氏

 担当者の生駒先生は畿内武士のご研究の第一人者でおられ、そのお立場からの書評をしていただける予定です。また、当日は元木泰雄先生にもご臨席いただけることになっております。両先生には今回の書評会の趣旨にご賛同頂き、快くお引き受け頂きました。今回の書評会は、ゼミメンバーにとどまらず、広く公開の研究会の形で実施させていただきますので、みなさま奮ってのご参加をお待ちしております(※人数の把握もございますので、参加ご希望の方は、野口先生・岩田・ゼミメンバーのいずれかまで、事前にご連絡ください)。

>ゼミメンバーのみなさんへ
 どうでもいいことなんですが、このところ掲示板の投稿者が「権藤・権藤・雨・権藤」みたいに、「野口・野口・岩田・野口」ばっかりでちょっと寂しい(むさくるしい←すいません)です。帰省中の方も、夏を満喫中の方も、試験勉強中の方も、何かの折りに近況報告でもなんでも書き込んでね。

>野口先生
 ネットの具合はいかがでしょうか。

権藤・権藤・雨・権藤

No.5891

 いろいろ御心配、御迷惑をおかけいたしましたが、お陰様でネットもメールも復旧いたしました。原因はモデムにありました。

 ところで、雨が降らなかったのに、また「野口」の登板で申し訳ありません。
 それにしても、昔は先発完投で何年も連続して20勝、それどころか30勝もする投手がたくさんいましたね。あの頃はリリーフなんて珍しかったし、セーブなんて言葉は聞いたことがありませんでした。当節は何処の世界でも分業がされすぎのようです。
 というわけで、岩田君には権藤選手(のちに監督)を目指していただきたいと思っています。

 『土佐日記』の御執筆をいただき、岩田君、元木先生、ありがとうございました。夏休みには、皆様、いろいろなところにお出掛けになられ、充実した毎日をお過ごしのようで羨ましい限りです。山田先生など、西洋と東洋を股にかけての御活躍です。
 私は度重なる安請け合いが災いして、原稿執筆と研究会報告の準備の仕事が山のごとくあり、さらに一年以上遅れている原稿(複数)を抱えたまま遊びに出掛けて顰蹙を買うのも憚られますので、仕事は捗らなくても、せめてもの償いに蟄居謹慎の日々を過ごしております。そして「不動如山」の毎日を送った結果、いよいよメタボリックシンドロームの見本の如き体型に「進化」しつつあるところです。

 ちなみに土佐ですが、始めて行ったのは32年前。宇高連絡船で四国に渡り、奮発して急行のグリーン車に乗車。ところが、車内で100円玉を落とし、高知駅に着くまでそれを延々と探し続けて、景色はほとんど見られなかったのを覚えています。ほんとうに「貧乏はいやです」ね。
 この時は、土佐中村のほか丸亀・宇和島にも行きました。土佐中村は今は四万十市というのですね。土佐中村では一泊して一条神社や一条教房の墓を見学して、一条氏の歴史に感動したあまり、お城の形をした博物館で大冊の『中村市史』を購入。以後、これが荷物になって大変でした(今も研究室にあり)。土佐中村からは当時珍しかった冷房の効いたバスで、海岸沿いに宇和島まで出たのですが、元木先生の御感想と同様に、海や海岸の景色が素晴らしかったことを思い出します。そういえば、土佐中村では、幸徳秋水の墓にも行ったような気がします。
 つぎに土佐の高知に行ったのは、1980年。今度は高校の修学旅行の引率です。ハードな毎日。今だったらとても無理でしょう。桂浜とか龍河洞が思い出されます。
 かくして、小生、もはや過去に遊ぶのみです。

再びE・メールの送受信の不調について

No.5884

 7月31日に当家のE・メールの送受信の不調について書きこみました( >>No.5846)。その後、このトラブルは解消され、忘れかけていたのですが、本日朝より、再びメールもネットも接続できなくなりました。症状は前と同じで、ケーブルネットワーク接続はOKなのに、ポップアップブロックのサインが出てログインできません。宇治周辺は昨夜、落雷の中で大雨が降っておりましたので、その関係かも知れません。いずれにしても、そのようなわけで、目下当家はメールもインターネットも通じておりませんので、研究室PCをもってお知らせ申し上げる次第です。
 前回同様、トンチンカンなことを言っているのかも知れませんが、要するに当方にメールをお送りいただいても、接続不可で、すぐに拝読できないということです。したがって、メール送信に際しては大学研究室宛に送信をお願いいたします。自宅PCが回復すれば、自宅にも転送されます。いずれにしても、お急ぎの御用の場合は電話など別の手段を講じていただくようにお願いいたします。

28日の書評会について。

No.5885

 すでに、岩田君から告知されている拙著『源氏と坂東武士』の書評会ですが(>>No.5852)、元木先生のお声がかりをいただいていることでもありますし、ゼミメンバーにとどまらず、広く公開の研究会の形で実施させていただきたいと思います。
 頸を洗って待っていなければならない立場から申し上げるのは恐縮ですが、よろしくお願い申し上げます。

28日の書評会について

No.5886

 野口先生からご提案いただきましたように、28日の書評会にはゼミメンバーにとどまらず、多くのみなさまのご参加を歓迎致します。人数の把握もございますので、参加ご希望の方は、野口先生・岩田・ゼミメンバーのいずれかまで、事前にご連絡いただきたいと存じます(←…ということで宜しいでしょうか、野口先生)。
 

『古代文化』の刊行が『京都新聞』に詳報 

No.5883

 岩田君の研究ノート掲載の『古代文化』第59巻第1号については、京都新聞本日付夕刊の記事を御覧下さい(カラー写真付き)。↓
 http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2007082200072&genre=M1&area=K1C
 なお、次号には山岡さんによる美川先生著『院政』(中公新書)の書評が掲載される予定です。

 >小野さん メール送信、お待ちしています。添付ファイルがうまく行かなければ、メールの送信文に貼り付けていただいても構いません。FAXの場合は自宅電話番号と同じです。
 
 >岩田君 『土佐日記』の御発表、楽しみに致しております。
 >ゼミメンバーのみなさん 報告者には旧知の方もおられますし、水戸ツアー、計画してみませんか? 

『土佐日記』

No.5887

 残暑お見舞い申し上げます。久方ぶりの昨夜の雷雨の夜に、元木先生からお誘いいただきました土佐旅行より帰洛しました。以下、少しご報告します。

 日程は20日~22日でしたが、私はその前日に木幡から在来線を乗り継ぎ乗り継ぎ、高知入りしました。家を出てから当日の宿に着くまで10時間ほどを費やしましたが、大阪で生駒孝臣先生(28日の書評会はよろしくお願い申し上げます)と合流し、姫路、岡山、児島、瀬戸大橋、三好、阿波池田などを経由しながら、各地の景色を楽しむこともできました。阿波池田では地元の高校生らしきバンドの生演奏が駅前の広場で行われており、蝉の鳴く静かな山間に響く歌声がなんともいえず良い雰囲気でした。到着の夜は高知市内を少し散策し、おいしいものについて地元のにーちゃんの意見に耳を傾けつつ、〈土佐黒潮料理 早川本店〉にて夕食。高知の素材を使ったちゃんこ鍋定食をいただきました。おそらく鳥でとったダシが、非常に澄んだ旨味を醸し出していました(食べ終わるとダシの余韻を楽しむ間もなくあっさり下げられてしまいました…)。

 20日は、まず高知駅にて漆原徹先生ご一行及び今回のご案内をお引き受けいただきました池内敏彰先生と合流し、その後高知龍馬空港にて元木先生・中村直人先生と合流しました。猛暑のなか、田村遺跡、源希義墓、五台山竹林寺、土佐神社、国衙跡、岡豊城跡などを精力的に見学される御一行に、初参加の私は早くも圧倒されてしまいましたが、五台山や岡豊城跡からの眺望にも別の意味で圧倒されました。岡豊城は、背後の山々を堂々と背負い、国衙という権威空間を取り込みつつ、まさに「ここを押さえれば高知平野は掌握できる」ことが納得できる場所であったように思います。国衙跡の公園には地元のみなさんの作った歌が展示されており、それもまた趣深いものでした。
 夜は〈郷土料理 土佐藩 高知本店〉にて皿鉢料理や地酒を堪能しました。宴会でのお遊び(「はしけん」)の体験版も登場するなど、いろいろ盛りだくさんな宴会となりました。

 21日は四万十市~足摺岬方面を見学しました。四万十市(土佐中村)は水陸交通の要衝というべき場所であり、京都からやって来た一条家が当地を支配したことを踏まえると、中世における「領主」という存在の意味を改めて考えさせられました。南端の金剛福寺は、夏の強い日差しの中での見学であったことも影響しているのかもしれませんが、ずいぶん南国ムードのお寺であったように思いました。元木先生は「源頼光建立」との碑が建つ多宝塔の前で記念撮影しておられましたね。足摺岬もまさに絶景でしたが、台風接近の折には岬の灯台の高さまで波が押し寄せるそうで、もはや想像を絶する世界です。
 その日の夜は池内先生のご推薦により四万十市内の〈味劇場ちか〉にて、土佐中村のさまざまな名物を頂くことができました。お刺身やゴリの唐揚げ、土佐巻(ネタはもちろん海苔も旨い)などが印象的でした。またその宴会の折には、当掲示板にてお名前を拝見しておりました栃木県立文書館の松本一夫先生から、関東の守護に関するご意見やさまざまなお話を拝聴する機会を得られましたことが私には幸いでした。

 22日は、昼過ぎの飛行機で東京にお帰りの漆原先生ご一行と朝にお別れし、元木先生以下の一行は引き続き池内先生のご案内により四万十市内を見学しました。一条教房の墓所を訪れたときは、ちょうど地元の方が教房のお墓にお花のお供えと水やりをなさるところで、伝えられてきた歴史の一齣に遭遇したような気がしました。不破八幡宮は四万十川沿いに鎮座していましたが、大きな御神木が作る日陰が境内にちょうど良い心地よさを提供していました。そして佐田の沈下橋(橋の上を鷹?が気持ちよさそうに泳いでいました)を見学した後、池内先生とお別れし、高知市内へ戻ることとなりました。元木先生より高知城の見学をご提案いただきながら、帰りの電車の時間の都合で慌ただしく帰ることになってしまったのが残念でしたが、旅行中は雨に祟られることもなく(帰宅直前はものすごい雷雨だったようですが)、無事に全日程を終了しました。

 今回は旅行中の様々な手配のほとんどを神野潔先生のお世話になりました。神野先生に深く御礼申し上げます。また旅行にお誘いいただきました元木先生・漆原先生、現地でのご案内をお引き受けいただきました池内先生にも、改めまして深く御礼申し上げます。
 三日間のうち二日間のクルマの運転を担当し、慣れない道を走る不手際も多々ございましたが、今回の旅行にご一緒させていただき、貴重な見学の機会を頂くことができました。ありがとうございます。

土佐日記・蛇足

No.5890

 ご無沙汰しております。
 旅行で張り切りすぎたのか、はたまた飲みすぎたのか、暑さ負けもあってダウン気味の元木です。
 20日から22日までの土佐旅行については、岩田君の簡潔なご報告の通りで、付け加えることもありません。ただ、私自身、大変感銘し印象に残る旅行だったので、蛇足を承知で付け加えさせていただきます。

 今回の旅行で最も印象に残ったのは、海の青さ。紺碧の快晴のもと、これだけ美しい海を見たのは久しぶりでした。足摺岬の爽快で鮮烈な絶景は、生涯の想い出になると思います。
 「暑いときに、わざわざ南国に行くとは(物好きな)」、と案じられた方もおられましたが、猛暑の時期には南国の陽光こそがふさわしいと痛感しました(最もふさわしくないものは北海道の猛暑ではないですかね)。
 今回は天候に恵まれ、一回も雨に遭わず。これまでの漆原先生との旅行では、近江の小谷城、安土城と二度も城跡で雷雨に遭遇し、途中で見学を断念しただけに、今回岡豊城以下、全行程を無事見学できたことは大きな喜びでした。
 野口先生をはじめ、ゼミメンバーの方々に一番関心が深いのは、源希義の墓かと思います。場所は高知空港から市内に向かう途中、式内社朝峯神社の近くです。同社の親切な神主さんのご教示を頂き、その場に到達したのですが・・・・
 ご案内の池内敏彰先生いわく、「こりゃ蜂は来るは、マムシも出そうじゃ」というすごい場所。おまけに倒木が道をさえぎる始末。これまで無視された希義のたたりか、などとすっかり怖気づいてしまいました。幸い薮蚊に体中を刺された程度で、生死に関わる事態は発生しませんでした。ここは、冬に行くべきところです。なお、供養塔は禅宗の様式とのことで、時代は下がるもののようです。
 希義の墓で出鼻をくじかれ、この先どうなることかと心配したのですが、名所として知られる五台山や竹林寺は当然としても、長宗我部氏の居城で山城の岡豊城、紀貫之ゆかりの土佐国庁跡など、重要な史跡がきちんと整備されて大切に保存されていることに安心と感心を致した次第です。
 また岩田君の書かれているように、国庁跡は和歌を通した地元の方々の交流の場所になっていますし、22日に訪問した四万十市の一条教房のお墓には、花を供える人がおられました。こうしたことから、土佐の方々が史跡や郷土の歴史を大切にし、敬意を抱いておられるご様子が伺われ、深い感銘を受けました。
 
 さて、旅行のハイライトのひとつは四万十市(中村)、足摺岬周辺の一条氏、幡多荘関係の史跡めぐりです。
 足摺岬に近接した金剛福寺、岩田君のご指摘のように南国的でした。ただ、和泉式部の逆修塔があったり、嵯峨天皇筆と称する扁額があったりして、幡多荘の関係で京とのつながりの深さを感じました。あの多宝塔、説明には満仲建立とあるのですが、塔の前の看板には頼光建立と書かれておりました。まあ、そんなものです。
 四国八十八箇所の寺院は、やはりどこも整備されていましたね。八十八箇所めぐりの人気と、それが文化財保存に役立っている様子が伺われます。この炎天下、国道などを歩くお遍路さんを何人も見かけました。若い方が多かったのですが、どんな思いを抱いているのでしょうか。
 四万十市内の一条氏関係史跡は、池内先生のご説明で、非常に興味深く見学させていただきました。池内先生の一条氏に関するお話の要点は以下の通り。

・一条兼良の息子教房が、突然土佐に下向したのは、決して食うに困ってやけくそになったわけではない、一条氏は各地の荘園における民衆の動向を把握した上で土佐幡多荘の直接支配に乗り出したのである。
・その背景には、各地を遍歴して情報収集を行うとともに、応仁の乱の裏面工作に関与した兼良の動きがあった。彼の行動を単なる金儲けと見てはならない。
・幡多荘は木材の産地であるとともに、遣明船も立ち寄るなど、貿易の大きな利潤があった。時期は異なるが、西園寺と伊予知行に対比できるのではないか。また、一条家と、大内義隆の早世した嫡男は婚姻関係にあり、貿易を通した同盟も予想された。
・中村は、四万十川の河口に近く、また材木の切り出し地にも近い。交通、交易の要衝でもあった。京都に似た地形が拠点となった理由ではない。

 これまで、それこそ切羽詰まった公家の行動くらいに思っていたのですが、認識を大きく改めさせられました。家司殺害のほとぼりが冷めるまで、一時的に日根野荘に下った九条政基とは大きく異なります。源平争乱期の藤原頼輔の豊後下向にも通ずるところがありそうですね。
 五摂家のひとつが自ら戦国大名になる、まさに公家・武家の同質性を物語る重要な事例ですが、我々ももっと詳しく検討する必要がありそうです。

 今回ご案内いただいた池内敏彰先生は、高知県立土佐清水高校の先生で、古文書学会等でも幡多荘についてたびたびご報告になっている篤学の方です。
 その一方で、22日に四万十川の名所沈下橋を見た後の「とんでもナビ」など、なかなか愉快な?行動もとられます。
 さらにお酒が入ると面白さは倍増。やはりこの旅行で参加者に最大のインパクトを与えたのは、21日の晩の「味劇場ちか」における「21発」発言ではないでしょうか・・・。
 
 ちなみに、当方、往復ともに例のボンヴァルディア機。多少ハラハラしましたが、何事もありませんでした。飛行機の便利さはいうまでもないのですが、一抹の不安は常に付きまといますね・・・

 ついでで恐縮ですが、28日の書評会、よろしくお願い申し上げます。
 読み直すにつれ、多くの事例に圧倒される思いがしております。 

茨大シンポ「北関東の武士たち」の御案内 

No.5882

      茨城大学人文学部・地域史シンポジウム
北関東の武士(もののふ)たち 
―新しい中世武士団のイメージ―

  現在、中世史研究の世界では、どんな武士団のイメージが創られようとしているのか。北関東の武士団のイメージはどう変わったのか。第一線で活躍する研究者に、新しい中世武士団の姿を、事例に即してわかりやすく提示していただき、会場を交えたディスカッションを行います。

【日時】2007年12月9日(日曜日)
    11時~17時00分(休憩12時~13時)
【場所】茨城大学水戸キャンパス(水戸市文京2-1-1)理学部インタビュー・スタジオ
    アクセス JR水戸駅より茨交バス(7番乗り場から)で約15分、「茨大前」バス停下車。
【プログラム】
基調講演
「『坂東武士』の実像」             京都女子大学教授 野口 実
報告 
「関東武士団研究の軌跡」          茨城大学非常勤講師 伊藤瑠美
「常陸平氏 再考」                茨城大学教授 高橋 修
「東国武士団と都鄙間の文化交流―下総下河辺氏と関戸の宝塔―」
                          古河第二高等学校教頭 内山俊身                                           
「武士団と町場―下野小山氏―」       栃木県立文書館副主幹 松本一夫
「武士団と寺院、門前町―上野新田氏と世良田長楽寺―」
                           駒場東邦中・高等学校教諭 田中大喜
コメント                      常磐大学教授 糸賀茂男
パネルディスカッション(60分)   コーディネーター 茨城大学教授 酒井紀美
                                          高橋 修
《主催》茨城大学人文学部
《共催》茨城大学五浦美術文化研究所  
《協賛》茨城県立歴史館 茨城中世史研究会 茨城大学中世史研究会

[問合せ] 茨城大学人文学部 高橋修研究室029-228-8120(直通) osm@mx.ibaraki.ac.jp

◆入場は無料です。申し込みも不要です。どなたでもご参加いただけます。

研究所懸賞論文募集のお知らせ

No.5881

 現在、京都女子大学ではA・L校舎スロープ・階段等の改修工事が行われています。宗教・文化研究所はL校舎にありますので、工事期間中は普段の方法での入構はできません。そのため、S校舎からの経路を御利用下さいますようにお願いいたします。
 こちらに↓S校舎にある受験生ルームの案内が出ておりますので、参考にして下さい。
   http://www2.kyoto-wu.ac.jp/detail.cgi?target=0&news_id=218

 > 京都女子大学の院生・学部生・短期大学部生のみなさん(とりわけ、研究所ゼミメンバーおよび野口担当の現社「基礎演習Ⅰ」履修者諸姉)へ

 宗教・文化研究所では平成19年度懸賞論文を募集しています。ここに、募集要項の一部を抜粋いたします。夏休みの時間を活用し、ふるって応募して下さい。
(※ 要項の詳細は学内の掲示・配布プリントで必ず確認して下さい)。

  ■宗教・文化研究所 平成19年度懸賞論文募集要項 (抜粋)■
 
 テーマ:親鸞の思想、仏教思想や宗教思想等あるいは現代社会の直面しているさまざまな問題について、宗教の視点も加えて論評したもの(たとえば性差別や生命倫理の問題、地球環境、国際関係、ITの普及、少年犯罪やカルト宗教をめぐる問題など)に関するもの。題は自由。また、エッセイの形式でも可。

 1.応募資格 京都女子大学・京都女子大学短期大学部学生および京都女子大学大学院生
 2.応募締切日 平成19年10月1日(月)正午
 3.原稿枚数 原稿用紙400字詰、A4・縦書き15枚程度或いは、パソコン40字×30行、A4・縦書き5枚程度
 4.原稿提出先 宗教・文化研究所(大学宗教部宗教教育センター内)
 5.入選発表・表彰式 平成19年12月5日(水)「心の学園記念式」
            ◎ 入選者には、下記の賞金と賞状を差し上げます。
               特選 10万円  優秀作 7万円
               秀作  5万円  佳作   3万円

『入門吾妻鏡』原稿拝読。

No.5879

 >『入門吾妻鏡』執筆者諸姉兄
 締切を厳守して原稿をご提出してくださり、ありがとうございました。字数制限の中で、よくまとめてくださったと思います。本日、拝読の後、事実関係の誤りなどについての修正を岩田君にお願いいたしました。よろしく、御了承下さい。
 なお、本日は豪州帰りの鈴木君に、PCにセキュリティ・ソフトをインストールしていただくなど、半日がかりでメンテナンスをしていただきました。ありがとうございました。
 元木先生のPCも、後日当方の研究室にでもお持ちいただければ、不良箇所の点検が出来ると思います。よろしくお願い申しあげます。

 ☆ 神奈川県立金沢文庫の西岡芳文先生より、金沢文庫企画展「陰陽道×密教」の図録を御恵送いただきました。
 西岡先生にあつく御礼を申し上げます。
 なお、この企画展の会期は9月30日(日)までとのことです(休館日など、詳細については同文庫http://www.planet.pref.kanagawa.jp/city/kanazawa.htmにお問い合わせ下さい)。

御高論拝受。

No.5880

  『古代文化』再出発の経緯などについては、山田邦和先生のブログ「平安京閑話」を御覧下さい。→http://heike.cocolog-nifty.com/kanwa/2007/08/post_cab6.html

 ☆ 本日、弘前大学の斉藤利男先生より、御高論「都市衣川・平泉と北方世界」(入間田宣夫編『平泉・衣川と京・福原』 高志書院)ならびに「「北の古代末期防御性集落」の成立・発展・消滅と王朝国家」(天野哲也・小野裕子編『古代蝦夷からアイヌへ』吉川弘文館)を御恵送いただきました。
 また、市川市歴史博物館の湯浅治久先生から、御高論「香取社宮中町の成立と変貌-東国における町場展開の一様態-」(佐藤博信編『中世東国の社会構造』岩田書院)・「中世的「宿」の研究視角-その課題と展望-」(佐藤和彦編『中世の内乱と社会』東京堂出版)・「<書評>峰岸純夫著『中世東国の荘園公領と宗教』」(『人民の歴史学』第172号)を御恵送いただきました。
 斉藤先生・湯浅先生にあつく御礼を申し上げます。

「武士発生史上の院宮王臣家・諸司」

No.5862

 『古代文化』第59巻第1号が刊行されました。
 これには、当ゼミの牽引役である岩田慎平君の研究ノート「武士発生史上の院宮王臣家・諸司-富豪層との関連について-」が掲載されています。
 以下、その紹介です。

 近年の職能論的武士論の成果を踏まえて、かつての領主制論的武士論の中で論じられてきた富豪層の問題を再検討した問題提起的な研究ノートとして高く評価できる。
 流通・交通拠点の掌握や在京活動など、主に12世紀段階を対象とした近年の武士論研究の成果を踏まえて、目下停滞している9~10世紀における武士発生段階を考察。かつて戸田芳実・河音能平氏らによって検討された富豪層と院宮王臣家・諸司の関係やその存在形態について、とくに流通・交通の観点から再検討を加えたもので、在地からの視角への偏りを修正し、より広域的な存在としてそれらを評価し直しており、当該分野における今後の研究に大きく資する内容である。

 ぜひ御一読下さい。『古代文化』のこの号には、ほかに文献史学関連の論攷として、

 積山 洋「牛馬観の変遷と日本古代都城」
 鈴木琢郎「大臣曹司の基礎的研究」 
 田原光泰「兼官留任の宣旨について」
 野口孝子「『夜』化の時代-物忌参籠にみる平安貴族社会の夜-」

が掲載されています。

Re: 『古代文化』第59巻第1号

No.5867

>野口先生
 過分のお言葉を賜り、恐悦に存じます。
 上記拙稿は、以前に私自身が「やり尽くされたよ」と聞かされました平将門の乱とその時代について、昨今の武士論研究の成果を踏まえた過去の研究蓄積の再検討が必要なのではないかと思い、現時点での気付いたことを少しまとめ、発表する機会を頂いたものです。富豪層や院宮王臣家・諸司の広域に亘る活動は夙に指摘されており、そのことと近年研究の進展著しい中世における武士の存在形態との類似点を幾つか探ってみただけの習作ですが、ご高覧に与ることが叶いましたならば幸甚でございます。

『古代文化』講読会員(会友)募集御案内

No.5874

 送付されてきた『古代文化』を開いてみたところ、157ページに「古代文化刊行委員会からのお知らせ」として耳寄りな情報が掲載されていました(私もこれで初めて知ったことです)。

 『古代文化』の再スタートにともない、新規定期購読者(会友・年間購読会費8000円)を募るに際して、以下の特典を用意するというのです。

 Ⅰ 『古代文化』第51巻~57巻までのバックナンバー進呈(一部欠号あり)

 Ⅱ 古代学協会出版物の進呈(1冊)
  ① 古代学研究所研究報告第2輯『福田(神明前)貝塚』
  ② 古代学研究所研究報告第6輯『東山道武蔵路の調査・研究』
  ③ 古代学研究所研究報告第7輯『東院跡の調査・研究』
  ④ 『(財)古代学協会創立25周年記念 平安博物館創立10周年記念 日本古代学論集』
  ⑤ 『角田文衞博士古希記念 古代学叢論』
  ⑥ 『淳和天皇の離宮 雲林院跡』

 Ⅰ,Ⅱのいずれかから、希望の特典一つを選択できるのだそうです。送料は着払いとのこと。

 それにしても、Ⅰなら『古代文化』は一巻で一年分ですし、Ⅱの場合、③,⑤は各定価が7000円もする本ですから、ずいぶん思いきったことをしたものです。
 ゼミメンバーも、この機会に会友資格を取得して、投稿を期するというのはどうでしょうか。 

 なお、(財)古代学協会のアドレスなどは以下のとおりです。詳しくはこちらに問い合わせてください。
  〒604-8131 京都市中京区三条高倉
  ℡:075-252-3000 FAX:075-252-3001
   E-mail:kodaigaku@deluxe.ocn.ne.jp  

※ ついでに、もう一件、お得な情報。
 前にも告知しましたが、新しいプリンターを購入したために不要になったインクタンクがブラック・カラーとも複数あります(新品)。品名はCanonのBCI-24。廃棄するのは勿体なく、残りがある限り、差し上げますので、御連絡下さい。
 こちらは、野口まで。

「院政期における後鳥羽芸能の位置」

No.5859

 宇治に関する共同研究のメンバーである辻浩和君の御高論「院政期における後鳥羽芸能の位置-後白河芸能との関係を中心に-」が『史学雑誌』116-7に発表されました。
 以前、研究会でその大要をうかがって以来、論文化を待望しておりました。すぐれた芸能史論であるばかりでなく、後白河と後鳥羽の権力の本質の相違を突いた鋭い指摘に溢れており、今後の政治史研究に裨益するところは多大だと思います。
 このところ、歴史学の狭義の「文化史」化が進行する中、辻君のような着実な実証を踏まえつつ広い視野に立った研究者の登場は、(私にとっては)大きな救いです。
 辻君の今後の御活躍を期待するところです。

 国文学や民俗学を専攻されている方たちにも広く一読をお勧めいたします。

>田中さん
 お誕生日、おめでとうございます。
 そろそろ、博士論文が視野に入ってきたことと思います。御精進下さい。

>拙著『伝説の将軍 藤原秀郷』の誤植発見のお手伝いを頂いた皆さんへ
 おかげさまで、誤植訂正の依頼を吉川弘文館の担当の方に送付することが出来ました。
 重版の刊行日は10月1日の予定。価格は据置。発行部数は800部です。

>『入門吾妻鏡』執筆の方たちへ
 大詰め段階だと思います。字数の制約の中で、必要最小限の情報の他に、どれだけオリジナルなものを盛り込めるかが腕の見せ所だと思います。頑張ってみてください。
 入門書ですから、読む側の立場に立って、何度も読み返してみることが大切です。
 万事、岩田君と連絡を取り合いながら、よろしくお願いいたします。 

 私は目下、3本の原稿執筆を同時進行していて、いよいよ頭の整理がつかなくなってきております。ただ、先日、来月に予定されている研究会報告の内容の案を元木先生に聞いていただく機会を得て、その際に元木先生がチラリと口に挟まれたことが、大きな行き詰まり打開の糸口になっております。然るべき人に話を聞いていただくことは本当に大事なことだと思いました。
 上記研究会では、元木先生がコメントを担当してくださいます。

 ◆ 京都女子大学構内は、夏休み中のため、各所で工事が行われています。28日に書評会が予定されていますが、その際、共同研究室にお出でになる際も、いつものコースで入れないケースが想定されますので、ご注意下さい。現代社会学部の建物(S校舎)を経由するのが確実なようです。

Re: 「院政期における後鳥羽芸能の位置」

辻 浩和
No.5873

>野口先生
拙論をご紹介頂き有難うございます。過分のお言葉を賜り恐縮です。
後白河・後鳥羽がともに遊女・傀儡子・白拍子と深く関わったことは有名ですが、
近年進展の著しい院政期「芸能史」研究を通覧していると、
両院の文化面での共通性はこれに留まるものではないということに気づかされ、
またそれぞれの文化的性格についても各分野でかなり共通した指摘がなされているように思います。
本稿では両院の関係を中心に、院政期の天皇・院の芸能を少し大きな視点からまとめなおしてみようと試みました。
発表の席上で野口先生からご指摘いただいた問題については未だ確たる見通しが得られないままに活字化の運びとなってしまいましたが、今後さらに考えていきたく存じます。
まことに拙いものではありますが、御笑覧頂き、ご叱正を賜れば幸いです。

帰洛いたしましたら、またご挨拶に伺います。