北条時政の評価
No.4966
本日、立命館大学の杉橋隆夫先生より『沼津市史 通史編 原始・古代・中世』の第二編第五章として収録された御高論「荘園制の確立と武士社会の到来」の抜刷を御恵送いただきました。
『北条時政』執筆の準備にあたっている当方にとっては干天の慈雨のごときお心遣いをいただいた思いで、早速拝読させていただきました。期待通り、新知見数多。
三津御厨は皇嘉門院領だった。金持庄や阿野庄は大岡牧に隣接する位置にあった。時政と大岡牧の関係。牧氏の一族が『閑谷集』の作者であったという説のあること。その人物が庵を構えたという沼津市大畑のあたりの考古学的調査で12世紀代を中心とした中国産陶磁器が出土していること。源義朝の乳母子鎌田正清と駿河国香貫および希義との関係。治承三年に清盛が富士参詣だけではなく鹿島詣も計画し、そのために相模国に宿館まで造営させていたこと等々。『平治物語絵巻』に頼朝が描かれていることもこれまで気付きません(忘れていた?)でした。
という次第で、お教えいただいたこと甚大。おおいに執筆意欲を喚起されました。杉橋先生にあつく御礼を申し上げる次第です。
これを拝読したことに刺激されて、本日は伊豆北条氏ないし北条時政の評価に関説した文献を読みあさることになったのですが、一番頷かされたのは上横手雅敬先生の『北条泰時』(人物叢書)7ページの前後の記述でした。この本の初版は昭和33年。私が小学校2年生の時というのはどうでもよいことですが、上横手先生は27歳。
まったく、敬服にたることだと思いました。
>同じ世代の院生をしているゼミメンバー諸姉兄 夏休みに入って、待ちに待った論文執筆に日夜没頭されていることと思います。旬を大切に。
そろそろ一本くらい書き上がった頃でしょうか? 頑張ってください。
『北条時政』執筆の準備にあたっている当方にとっては干天の慈雨のごときお心遣いをいただいた思いで、早速拝読させていただきました。期待通り、新知見数多。
三津御厨は皇嘉門院領だった。金持庄や阿野庄は大岡牧に隣接する位置にあった。時政と大岡牧の関係。牧氏の一族が『閑谷集』の作者であったという説のあること。その人物が庵を構えたという沼津市大畑のあたりの考古学的調査で12世紀代を中心とした中国産陶磁器が出土していること。源義朝の乳母子鎌田正清と駿河国香貫および希義との関係。治承三年に清盛が富士参詣だけではなく鹿島詣も計画し、そのために相模国に宿館まで造営させていたこと等々。『平治物語絵巻』に頼朝が描かれていることもこれまで気付きません(忘れていた?)でした。
という次第で、お教えいただいたこと甚大。おおいに執筆意欲を喚起されました。杉橋先生にあつく御礼を申し上げる次第です。
これを拝読したことに刺激されて、本日は伊豆北条氏ないし北条時政の評価に関説した文献を読みあさることになったのですが、一番頷かされたのは上横手雅敬先生の『北条泰時』(人物叢書)7ページの前後の記述でした。この本の初版は昭和33年。私が小学校2年生の時というのはどうでもよいことですが、上横手先生は27歳。
まったく、敬服にたることだと思いました。
>同じ世代の院生をしているゼミメンバー諸姉兄 夏休みに入って、待ちに待った論文執筆に日夜没頭されていることと思います。旬を大切に。
そろそろ一本くらい書き上がった頃でしょうか? 頑張ってください。