第44回中世史サマーセミナーのご案内

No.4865

 (東北大学柳原先生のご依頼により掲示いたします。)

第44回中世史サマーセミナーのご案内
期日 8月21日(月)~8月23日(水)
会場 ホテル武蔵坊
    〒029-4102 岩手県西磐井郡平泉町平泉字大沢15
     ℡;0191(46)2241  FAX0191(46)2250
研究報告
 シンポジウム「中世における統合の契機とその構造」
  新田一郎氏「世界はいかにして「統合」されるのか」(仮)
  永井隆之氏「日本の国民主権の基層」(仮)
  片岡耕平氏「穢観念の浸透過程について」(仮)
  渡邉 俊氏「滅罪と安穏」(仮)
 研究報告 
  菅野成寛氏「新発見・衣川遺跡群と都市平泉研究」(仮)
  斉藤利男氏「北方世界からみた都市平泉・衣川」(仮) 他1名を予定しております。
日程
 21日 正午 受付開始
13:00~ シンポジウム
 22日 午前 研究報告3本
     午後 史跡見学 柳之御所遺跡・無量光院跡・衣の関道遺跡・接待館遺跡・細田遺跡・六日市場遺跡・長者原廃寺など
23日 午前 史跡見学 関山中尊寺・達谷窟・骨寺村
※最終日は見学会ののちJR一ノ関駅解散予定。
費用 25,000円程度(詳細は後日、参加者にご連絡もうしあげます)
申込方法 葉書もしくはメールに以下の事項をご記入の上、下記事務局宛にお送りください。①氏名②性別③年齢④郵便番号・住所・電話番号・メールアドレス⑤所属⑥喫煙の有無⑦全体参加か部分参加か(部分参加の場合は参加日程をお書きください)。
     宿泊定員は70名ですので、宿泊については定員に達し次第、締め切らせていただきます。
受付期間 6月1日~7月10日
事務局 〒980―0862 仙台市青葉区川内27―1 
東北大学文学研究科日本史研究室気付 東北中世史研究会
        E-mail : tohoku_chuseisi@yahoo.co.jp
※ご不明な点は、片岡耕平(電話 022‐228‐4047)にお問い合わせ下さい。

公開講座 参考資料補足の事 附 懇親会の事

No.4851

ご無沙汰しております。
公開講座の参考資料を補足しておきます。
為朝論に関しては、たくさんの論文が出ています。樋口先生のご講演を聴くにあたっては、樋口先生の論文が一番勉強になるのは勿論なのですが、中でも読んでおいた方がいいのではないかと思うものを挙げておきます。
 永積安明「中世的叙事詩としての平家物語」
     「「軍記もの」の展望」
          (『中世文学の展望』/東京大学出版会/1956年)
 野中哲照「『保元物語』の〈現在〉と為朝渡島譚」
          (『国文学研究』104号/1991年6月)
 大津雄一「為朝・崇徳院考ー王権の〈物語〉とその亀裂ー」
          (『軍記と語り物』27号/1991年3月
            →『軍記と王権のイデオロギー 』(翰林書房/2005年3月)
 
ギリギリになってしまって、申し訳ありませんが、手に入りにくいものはありませんので、ゼミメンバーの方々は是非24日までに読んでください。

>山本さん
 当日は1日空けてありますので、何かお役に立てる事があれば何なりとどうぞ。

なお、懇親会は例の如くではありますが、七条京阪の「まんぞうハーツ」を予約しています。人数に若干の余裕がございますので、参加を希望される方は早めにご連絡いただければと思います。

『紫苑』次期編集長に石井君内定?の事..

No.4852

 田中さん、ありがとうございました。当日、久々の拝眉を楽しみに致しております。
 なお、大津雄一『軍記と王権のイデオロギー 』は研究室に配架ずみですので、御利用下さい。
 
 ◇ 『ヒストリア』200号のP.102【受贈図書】のコーナーに『紫苑』も名を連ねております。
 ただ、寄贈しただけのことですが、『紫苑』もだいぶ大人になったなぁといった感慨をもちました。
 ところで、昨日の作業中の雑談の中で、『紫苑』刊行体制を出版社にたとえるなら、会長(創業者):永富さん、社長:山岡さん、(その他、女院もろもろ)、そして次期編集長は石井君であるという話になりました。

 ◇ いつもお世話になっている横須賀市文化振興課の鈴木様から『三浦一族研究』10号』が出来上がったというお知らせをいただきました。今週中に到着の予定。
 「三浦氏と京都-義経の時代を中心に-」と題する私の講演録が載っています。かなり長編です。
 また、抜刷作成のお手伝いをお願いします。

>長村君  兄弟の分業関係については尊氏と直義みたいな事例もありますね。また、異母か同母かということも検討の余地があるのかも知れません。
 千葉氏など大番役勤仕の負担について、かなり一族間の協力関係がみられます。
 なお、梶原源太景季の「源」について、江平望『島津忠久とその周辺』には論及されておりませんでした。私の記憶違いのようで、山岡さんにも御迷惑をおかけしました。ちなみに、同書収録の「一条能保の前半生-その身分と官途について-」は佐伯君・長村君はすでにお読みになられているでしょうか?

>岩田君  中原氏の周辺、実朝が将軍に在任していた時期などみても、かなり大きな役回りを果たしていたように思います。目崎先生の指摘された波多野氏や源雅頼との関係等々、それに季時の評価など、さらに追究の余地がありそうです。

>柳原先生  衣川シンポの案内、送信いただいた電子版を抄出させていただきました。貼り付けですので誤りはないと思いますが、御確認下さいますように、お願いいたします。

講読のサカナに

No.4854

>『吾妻鏡』にご参加のみなさん
 明日も岩田は欠席いたします。すみません。
 先週話題になった二階堂行村について、おおざっぱですが気付いたことをお伝えしておきます。
 行村の『吾妻鏡』での初出は正治二年九月二十五日条。安達源三親長とともに官途を所望する、という記述がみられます。その後は、左衛門尉・検非違使大夫判官・隠岐守等を歴任します。
 従事した幕府内の業務としては、
 ・仏事のことなど(建暦元年四月二十九日条、建保四年二月十一日条など)
 ・警察的なこと(元久二年十二月二十四日条で黒柄次郎入道が追捕狼籍を行った際の沙汰を受け持つ。このとき上総国奉行となる。建暦三年二月十五日条で、金窪行親とともに阿静房安念法師の取り調べを行う。建暦三年三月九日条で、和田一族の面前で囚人・和田胤長の身柄を引き取る。建保六年七月二十二日条で、侍所司の五人のうちの一人となる。)
 といったあたりが目を引きました。
 京都との連絡云々については、建保五年七月二十六日条・八月二十五日条で院の病悩に際して使節となった記事くらいでしょうか。
 建保七年正月二十八日には他の御家人ともども出家を遂げています(その前日に実朝死去)。その後は、幕府の重鎮・相談役・ご意見番のような地位にあったようです。

 それで前回話題となった、中原広元→大江広元となるに際しての行村の仕事ですが、これはどう考えたらいいんでしょうかね・・・。

 …と、ここまで書いて気付いたのですが、前回話題になったのは「行村」ではなくて「行光」でしたね。しまった・・・_| ̄|○

 二階堂行光についてはまた調べておきます。すいません。こんなあたいを笑うがいいさ・・・(泣)。

国奉行と.黒柄次郎入道

No.4855

 >岩田君  この行村が任じたという上総国奉行がわかりません。それから、黒柄次郎入道も。黒柄は「長柄」の誤りかとも思うのですが。

 かくのごとく、千葉で「郷土史好きの少年」をやっていたころからの課題がまだ片付いておりません。まったく「老いやすく、学成り難し」です。

がんばります

No.4856

>野口先生 ありがとうございます。国奉行は、他にたしか安達親長(?)が上野国奉行に任ぜられたという記事も、過去に講読会で扱いましたね。具体的なことはわかりませんが、上に挙げた元久二年十二月二十四日条に記される、追捕狼藉→名主らの訴え→沙汰という一連の処理が、国奉行というものを考える手がかりになると思います。黒柄だか長柄だかは、先生がご存じなければ私にはお手上げです。 w(´`)w オテアゲ

Re: 公開講座 参考資料補足の事 附 懇親?..

KM
No.4858

>>安達親長(?)が上野国奉行に任ぜられたという記事

これは、『吾妻鏡』元暦元年七月十六日条です。
藤九郎盛長、すなわち安達盛長が正しいです。

中国からのアクセス可能.

KM
No.4859

本掲示板を含む『宗文研ゼミ』は、中国ではアクセスできませんでした。
しかし、ある方法で読み取りは可能なので、ずっと読んでいました。
その方法で書き込みが出来るか試したところ、全段の通り書き込めました。
そこで、普通の方法でアクセスしたところ、問題なくアクセスできました。
改めて、中国からアクセス可能なことをお知らせします。

これは、たぶん、本年春から行われている「金盾行程」(中国政府によるインターネットのファイヤーウォール・システム。これにより好ましくないサイト・Webをアクセス禁止に出来ます)の新システムへの移行のおかげかと思われます。この新システム移行で、現在、日本のサイトにあるEメールの受信に困難を来していて、関係者は迷惑を被っています。

.藤九郎盛長は安達盛長か?

No.4860

 >KM様 と申し上げても、どなたかは分かっておりますが、お書き込みをありがとうございました。

 せっかく書き込みをいただいたところ恐縮でございますが、当方の掲示板は、環境秩序維持のために、基本的に本名での書き込みをお願いいたしております。投稿者名の修正をお願いできれば幸いです。

 ところで、奉行人については薩摩における島津忠久もそうであったと思うのですが、守護とのかかわりなど、何か知見がございましたらご教示いただければ幸いです。
 なお、形式的な発想かもしれませんが、盛長は生涯「藤九郎」であって、厳密には「安達」とすべきではないと思うのですが如何でしょうか?足立と同族かどうかという問題とも関わると思いますが。

.>藤九郎盛長は安達盛長か?

金澤正大
No.4861

最初に、ハンドルネームを使用したことをお詫びします。

足立遠元と藤九郎盛長が甥・叔父関係であることは、拙稿「鎌倉幕府成立期に於ける武蔵国々衙支配をめぐる公文所寄人足立右馬允遠元の史的意義」(『政治経済史学』156,157号1979年5,6月)をご覧ください。なお、『吾妻鏡』文治五年七月十九日条の頼朝奥州鎌倉進発軍交名の分析で、藤元と盛長が同族関係にあることを補強しております(「武蔵武士足立遠元(その6)六、頼朝期における遠元(中)―奥州兵乱と第一次建久上洛―(2005.12.25)『歴史と中国』 http://km45/spaces.msn.com/)。

盛長が安達氏の初祖であるとことは言うまでもありません。確かに『吾妻鏡』では盛長は「藤九郎」としか見えていません。しかし、梶原景時弾劾連署関係記事では「足立藤九郎入道」(正治元年十月二十七日条)、「安達藤九郎盛長入道」(同二十八日条)と見えており、嫡男の弥九郎景盛は初見(同七月十六日条)に「安達弥九郎景盛」とあり、すでに頼家期には彼らは安達氏と見られていたのではないでしょうか。

なお、摂政の兼実は厳密に言えば、同時代では「九条殿」藤原兼実であって、九条兼実ではありませんが、九条家の初祖ということで、今では九条兼実と呼ばれるのが通例です。盛長の安達も同様ではないでしょうか。

金澤先生、よろしくお願い申し上げます。..

No.4863

 金澤先生、早速のご返信、ありがとうございました。なお、暗唱キーを先に登録しておいていただきますと、書き込みの訂正・削除が可能ですので御利用ください。

 安達盛長の件、私の発想ですと天皇はみな今上天皇と呼ばなくてはならないような話で、おっしゃるとおりだと思います。盛長が足立一族であることについての御高説の御教示もありがとうございました。
 ちなみに、ついでの質問にて恐縮ですが、↑で話題にした梶原源太景季の「源」ですが、安達親長が源通親との関係で源姓を称したとすると、梶原の場合、金澤先生はこれをどうお考えになられるでしょうか。

 目下、ゼミの史料講読会で『吾妻鏡』を読んでおり、金澤先生におうかがいすれば即座に解決するであろう問題にしばしば直面いたします。今後ともよろしくお願い申し上げます。

明日の古記録講読会

尻池由佳
No.4864

 本当に連絡が遅くなって申し訳ありません。明日の古記録講読会は、前回の続きから読ませていただこうと思います。教育実習から帰ったばかりで、準備が不十分(いつもですが…)なので、私が教育実習で収穫できたことについてお話しするようになるかもしれませんが、よろしくお願いします。

 古記録講読会
  日時:2006年6月20日 16:30~18:00
  場所:京都女子大学L校舎共同研究室
  範囲:『百錬抄』 康平四年十月廿五日、治暦二年十月十三日、治暦三年十月五日、
           延久元年五月廿九日、延久四年十月廿六日
  

ショタイフ・ブルーとブッシュの上洛

No.4850

 本日は研究室パソコンの交換を鈴木君にお願いしました。半日がかりの大作業でパソコンは面目一新、鈴木君ありがとうございました。

 これと並行して、共同研究室では資料の製本作業(これも同志社勢にお世話になりました。お疲れ様でした)。
 その一齣。昨日の京大出張ゼミ例会における在京武士の家格分類に頭脳を集中させたYさんの発言。「サムライ・ブルー? 侍層は六位でしょ。六位じゃ可愛そう。だからショタイフ・ブルー・・・」。
 以前、承久の乱の勉強に没頭したために、私が講義中の世間話で「ブッシュ上洛」と言ったのを、「武州(北条泰時)、上洛」と聞き間違えられた方もおられましたね。卒論、おおいに期待しています。

 ☆ 本日、神奈川県立金沢文庫の永井晋先生より『企画展 金沢文庫古文書への誘い』の図録を御恵送いただきました。永井先生の仰るように、まさに中世古文書学のための「中級の入門書」として好適だと思います。永井先生にあつく御礼申しあげます。

 >伊藤さん  「古文書読み虎の穴」は、開講の趣旨、それに当ゼミの目的や参加メンバーの顔ぶれからして、やはり中世文書を対象にすべきものと思います。近世、歌舞伎の題材になっているところの「中世」をおおいに学んでいただきたいと思います。

 来週は大変忙しくなりそうです。公開講座の準備など、よろしく御協力のほど!! 

「日本史のなかの衣川遺跡群」の御案内

No.4848

 いよいよ来週6月24日(土)は公開講座です(参照 >>No.4733)。
 東北大学の柳原先生より、同じ日に開催される衣川シンポジウムの開催要項をご送信いただきました。行けないのが残念ですが、一部割愛して転載させていただきます。不明な点は柳原先生(Eメール: tyana@sal.tohoku.ac.jp)までお問い合わせ下さい。  

 衣川シンポジウム「日本史のなかの衣川遺跡群」
開催趣旨
  2005年、平泉の北の衣川地区において、大量のかわらけが出土する接待館遺跡や、庭園・道路跡などにより構成される大規模な衣川遺跡群が発見された。この遺跡群の発見は、平泉研究に衝撃を与え、単に平泉の都市構造の再検討にとどまらない問題を提起している。衣川シンポジウムは、衣川遺跡群が内包する歴史的な意味とその評価について、日本中世史および考古学研究の立場から検討することを目的として開催するものである。
主催:衣川シンポジウム実行委員会 (実行委員長:入間田宣夫 東北芸術工科大学教授)
共催:平泉文化研究会・岩手史学会・岩手考古学会・蝦夷研究会・北上川流域の歴史と文化を考える会
シンポジウム内容
日時:6月24日(土) 会場:サンホテル衣川荘 ℡0197-52-3311
   10:00     開会   10:00~10:15 実行委員長挨拶
   10:15~10:20 来賓挨拶
   10:20~11:10 講演1:高橋昌明(神戸大学教授)「北の衣川・平泉と西の福原」
   11:10~12:00 報告1:羽柴直人((財)岩手県文化振興事業団埋蔵文化財センター文化財専門員)
               「衣川遺跡群」
   12:00~12:50 昼食休憩
   12:50~13:40 報告2:斉藤利男(弘前大学教授)「都市衣川・平泉と北方世界」
   13:40~14:30 講演2:保立道久(東京大学史料編纂所所長)「義経・基成と衣川遺跡群」
   14:30~14:45 休憩
   14:45~16:15 シンポジウム「衣川遺跡群、その評価と歴史的価値をめぐって」
   16:15~16:20 閉会   17:30~    懇親会
<費用>
参加費         1,000円(資料代含)
懇親会費        5,000円(宿泊せず懇親会のみ参加の方)
懇親会+宿泊費  10,000円(朝食付)
<申し込み方法>
  シンポジウムのみ参加の方は、申し込みの必要はありません。懇親会に参加もしくは宿泊を希望する方は、6月18日(日)までにサンホテル衣川荘へ、住所氏名を明記してファックスにてお申し込みください。サンホテル衣川荘 FAX0197-52-3686

宇治史跡見学会のお知らせ。

No.4846

 来る7月1日(土)に、宇治史跡見学会を実施することを計画しています。
 同志社女子大学で開講されている「日本女性史」の現地見学会との合同企画です。
 京阪かJRの宇治駅に午前11時集合ですが、当方のメンバーは授業ではありませんから、午後からの参加も可といたしますので、多くの参加を期待しております。
 具体的な日程、見学先などについては、後日御連絡いたします。なお、見学先などについて御希望があればお知らせ下さい。
 
 なお、便乗の上乗せですが、本年度の研究所共同研究「摂関家の空間における政治と文化 中世前期の宇治に関する総合的研究Ⅰ」の現地見学・調査活動の一環としても位置づけたいと考えております。したがって、とりわけ共同研究員の方々には、積極的な参加をお願い申しあげます。

 ☆ 京都市埋蔵文化財研究所の百瀬正恒先生より御高論「平安京の外京,白河の都市景観-院政期における「宗教都市」の建設」(『鎌倉時代の考古学』 高志書院)を御恵送いただきました。また、吉井功兒先生より御高論「岸和田藩主岡部氏祖系の覚書【上】」(『家系研究』41)を御恵送いただきました。両先生にあつく御礼申しあげます。

ゼミの方針を運営委員会で報告しました。

No.4840

 本日、研究所運営委員会が開催されました。ゼミ関連については以下の2点について報告を行い、委員会としての御助力をお願いいたしました。

1.研究所ゼミナールの方向性について
ゼミ構成メンバーの研究者としての成長(大学院DCレベル-学振研究員も)を受けて、ゼミ活動を 「教育」(史料講読会・見学旅行等)の継続をはかりつつも、さらに「研究」へと前進 させる。そのために以下の課題に取り組む。
  ① 研究所共同研究(複数年継続のテーマ設定)への参加→研究報告書の刊行
  ② ゼミ機関誌『紫苑』をサークル誌的なものから研究年報的なものへ転換
  ③ ゼミHPのbbsを全国の研究者(歴史学・国文学)に対する情報発信に活用

2.公開講座 シリーズ「東山から発信する京都の歴史と文化」の出版計画を進める。
講演ごとに10枚程度の講演録が蓄積しているので数年後には出版可能な分量を確保できる。この本によって京都女子大学周辺の歴史的環境をアピールする効果も期待でき、地域貢献にもつながる。なお、出版社などは未定。
 本年度も含めて、これまでの講座の内容は以下の通り(講演者の肩書は当時)。

  公開講座 シリーズ「東山から発信する京都の歴史と文化」講演者・講演テーマ一覧

 2000年12月16日(土)①「平安・室町の陰陽道と陰陽師」
   「陰陽道と安倍晴明」
    山下克明(大東文化大学東洋研究所兼任研究員・青山学院大学兼任講師)
    「室町の王権と陰陽道」 柳原敏昭(東北大学文学部助教授)

 2001年3月24日(土)②「「平家」は都を落ちたのか?」
   「「平家都落ち」の真実」 上横手雅敬(龍谷大学文学部教授・京都大学名誉教授)
   「<平家都落ち>と『平家物語』」 鈴木彰(早稲田大学非常勤講師)

 2001年6月30日(土)③「平清盛と後白河院」
   「平清盛の闘い」 元木泰雄(京都大学助教授)
   「平家と後白河院」美川 圭(摂南大学助教授) 

 2002年6月29日(土)④「『平家物語』を読む、掘る」
   「『平家物語』合戦談のリアリティー-橋合戦を中心に-」 佐伯真一(青山学院大学教授)
    「消えた建春門院陵を探る」 山田邦和(花園大学助教授)

 2003年6月28日(土)⑤「『平家物語』と治承・寿永の内乱」
   「『平家物語』と風景-清盛の見たもの/清盛を見る者-」 源健一郎(四天王寺国際仏教大学専
   任講師)
   「治承・寿永の内乱と伊勢・伊賀平氏」 川合康(東京都立大学助教授)

 2004年6月26日(土)⑥「清盛の夢-『平家物語』の成立」
   「福原の夢-清盛と神戸」 髙橋昌明(神戸大学教授)
   「平家物語のテクスト形成」 兵藤裕己(学習院大学教授)

 2005年6月25日(土)⑦「平家の本拠・平家の鎮魂」
   「「六波羅」から中世を考える」 高橋慎一朗(東京大学史料編纂所助教授) 
   「小宰相の局と「耳無し芳一」伝承-いくさ語りから江戸怪談へ-」 堤邦彦(京都精華大学教授)

 2006年6月24日(土)⑧「英雄と鎮魂」
   「為朝・義経-日本的『英雄』の条件について」 樋口大祐(神戸大学助教授)
   「安元3年の崇徳院鎮魂-天下静かならず-」 樋口州男(専修大学非常勤講師)

☆古文書読み虎の穴☆次回の日程

No.4839

佐伯です、こんにちは。
今日は教育実習を終えた山岡さんが、愛媛からバス直行でご登場!という荒ワザで決めてくれました(笑)。
このヤル気は本当に素晴らしいと思います。
研究者を目指す人間として、かくありたいものです。

というわけで、次回の古文書読みの研究会の日程をお知らせします。
6月20日(火)13:00~ 於京都女子大学L校舎3階共同研究室
範囲…越前島津家文書45~49

とりあえず前期の予定としては、もう1回7月4日にやって、
18日にやるかどうかは保留ということになっております。
個人的には、せっかく4回生の人が4人も参加してるんだし、
夏休み前に一度卒論の準備報告なんていいじゃ~ん、とか思っておるのですが。
まさかと思うけど、みんな逃げないよね?(プレッシャー! 笑)
あと、越前島津家文書の次は、三鈷寺文書にしようかなあと思ってます。
あとは、伊藤さんご提案の近世文書との兼ね合いですね。

それでは、次回もよろしくお願いします。

>山岡さん
今日はお疲れさまでした&お土産どうもありがとうございました!

教育実習帰り。

山岡 瞳
No.4853

>佐伯さん
 いつもご指導ありがとうございます。
 先日の古文書読み会は、教育実習終了翌日ということもあり、予習がばっちりではなかったため、次回は予習をしっかりして参加したいと思います。よろしくお願いします。越前島津家文書も残り少なくなりました。それとあわせて実力がついていればいいのですが・・・。

次回の『吾妻鏡』講読会の範囲

No.4835

 次回の講読範囲です。
 
 日時:6月19日(月)・15:30頃~
 場所:京都女子大学L校舎3階共同研究室
 範囲:建保四年①九月十八日、②同月二十日、③十一月二十四日、④十二月八日、
         ⑤同月二十五日、⑥同月十五日、
     建保五年⑦二月十九日、⑧四月五日、⑨同月十七日
 
 ※再来週の26日の講読会は、お休みにしますので、各自御確認下さい。

お手伝い(アルバイト)のお願い。

No.4836

 山本君、ありがとうございます(他意はありません・・・笑)。
 このところ、『吾妻鏡』の講読会は内容充実。たいへん勉強になります。岩田君の教育的な配慮にも脱帽です。
 26日は公開講座と大阪歴史学会大会の直後で、みんなお疲れのことと思いますので、休会とすることに致しました。
 
 ところで、今週の土曜日(17日)の午後、鈴木君に研究室のパソコンの交換作業をしていただくことになりました。その際、あわせて、懸案になっている資料の作成作業も行いたいと考えています。そこで、もしお暇な方がおられましたらお手伝い(アルバイト)をお願いしたいと思います。御連絡下さい。

 ☆ 杜の都のY先生、お誕生日おめでとうございます。☆

先生・・・。

No.4847

 大変魅力的な17日の午後のバイトですが、4時半まで博物館実習の講義があるので、参加できません。また、いつか設定してください(ToT)
ちなみに、先週電話をしていた短期バイトのお給料は、すぐに歌舞伎年表第一巻になりました。わ~い↓勉強がおろそかにならない程度に、この7月は貯蓄をするつもりです。

伊藤さん・・・。

No.4849

 歌舞伎年表の御購入おめでとうございます。
 バイトは今後何度もお願いする機会がありますから、何卒宜しく。
 17日は4時半過ぎまで働いていると思いますから、よかったらのぞきにお出で下さい。
 ところで、夏休み前に、ゼミで卒論の中間報告をしてもらおうと、佐伯君(進路指導部長)が仰っておられましたよ。4人の四回生の皆さん、大丈夫ですか?

 ☆ 本日、京大出張ゼミ例会に参加のみなさん、お疲れ様でした。大変、勉強になりました。半額のパスタを食べ損なったとのこと、残念でございました。またの機会に。

書評会の日程変更について

No.4833

 NO.4805でお知らせした村井章介『中世の国家と在地社会』(校倉書房)の書評会ですが、6月中は行事・イベントが多いために、日程を7月以降に延期することに致しました(岩田君には急な変更で申し訳ありません)。
 できるだけ多くの出席者の期待できる日程で、報告者二人くらいずつで複数回に分けて実施したいと考えております。
 すでに決定している報告者と分担は以下のとおりです。
  山本陽一郎(神大院MC)・・・第一部Ⅱ「佐藤進一著『日本の中世国家』によせて」・補論1「権門体制と中世国家史研究」
  岩田慎平(関学院DC)・・・第一部Ⅲ「中世の自力救済をめぐって」
  長村祥知(京大院DC)・・・第二部Ⅶ「易姓革命の思想と天皇制」
  山内梓(京女大4回)・・・第三部「幕府徳政の系譜」の中から
 なお、ほかに担当を希望する方がおられればお申し出下さい。

 ☆ 本日、久保木圭一様より、御高論「清華家「大炊御門家」の成立-始祖藤原経実の婚姻関係を中心に-」(『日本歴史』697)を御恵送いただきました。院政期における摂関家傍系に関する貴重な御研究だと思います。このあたりにお詳しい佐伯君の御感想は如何?
 久保木様にあつく御礼を申し上げます。

 ★ 広島・愛媛を中心に大きな地震が有った由。当ゼミメンバーは、広島で尻池さん、愛媛で山岡さん、山口で山内さんが教育実習中。まさか被害には遭われなかったことと思いますが、一言お見舞いを申し上げます。
 地震は困りますが、自信をもって後半を頑張ってください。

初めて書き込みさせていただきます。

No.4837

はじめまして。
『日本歴史』697号に拙稿を掲載していただきました久保木 と申します。

>野口先生
突然おたよりをさしあげました不躾にもかかわらず過分のご紹介を賜わり、大変恐縮に存じます。
所属先である再興中世前期勉強会のメンバーに、こちらの掲示板に紹介されている旨を伺い、「倒衣馳参」致した次第でございます。
浅学の身ではございますが、これをご縁にお教えを頂戴できれば幸いでございます。

>佐伯先生
もしや、「二条親政の成立」をお書きになられました、佐伯智広先生でしょうか?
おところがわからず、拙稿をお送りすることができませんでした。
ご無礼の段、平にお許しくださいませ。
失礼でなければ抜き刷りをお送りいたしたく、↑にメールアドレスを入れさせていただきました。

宣伝のようなあつかましい書き込みとなっていないか、気がかりでございます。
都の手ぶりを心得ぬ吾妻男の振る舞い、どうかご容赦くださいませ。

どうもはじめまして。

No.4838

久保木様

佐伯と申します、どうもはじめまして。
わざわざお尋ねいただき、どうもありがとうございます。
あの佐伯は、確かにこの佐伯です。
さっそくメールでお便り差し上げました。
同じ時代を研究するものとして、どうかこれからもよろしくお願いします。
(すいません、でも「先生」だけはどうかご容赦下さいませ 苦笑)

衣川シンポジウム

No.4830

 平泉中尊寺の菅野成寛先生より、6月24日(土)にサンホテル衣川荘を会場にして開催される衣川シンポジウム「日本史のなかの衣川遺跡群」(事務局長:東北大学大学院助教授 柳原敏昭先生)の御案内をいただきました。
 しかし、残念ながら当方の公開講座の日程に重なります。
 宇治の共同研究や閑院内裏の研究を進める上で平泉はぜひとも出掛けたいところです。今年の中世史サマーセミナーも平泉ということですが、当方はゼミの有志を募って、イベントのない時期にこっそりとお邪魔したいと考えております。
 もっとも、ゼミメンバーにはサマーセミナーへの参加は奨励しておきます。

 ☆ 学習院大学史料館の木村真美子先生より、御高論「後白河法皇と東大寺大仏復興-『因明入正理論疏紙背文書』を手がかりに-」(『年報中世史研究』31)を御恵送いただきました。
 翻刻や考証論文は学界に寄与するところ多く、執筆の労少なからざるものがあるにもかかわらず、華やかな理論的な論文の陰に隠され、また発表した実証的な成果(考古学なら遺構や遺物の発見に匹敵する)も「正当な評価が得られないままに」また「発表者への敬意がはらわれぬままに」研究者間の共有財産にされてしまうという側面があります。「縁の下の力持ち」は目立つべきではないという謙虚な考え方もあって然るべきでしょうが、私には理不尽に思えて仕方ありません。
 木村先生の御研究。大いに高く評価されるべきものと存じます。
 木村先生にあつく御礼を申し上げます。

【追記】『院政期の内裏・大内裏と院御所  平安京・京都研究叢書1』(文理閣)、12日の 月曜あたりから頒布が出来ると思います。先にお申し込みいただいた方々は早々のうちに取りにお出で下さい。遅くても月内で締め切らせていただきます。

翻刻や考証論文の価値

美川圭
No.4832

 木村先生の御高論に関連して、野口先生の述べられること、非常によくわかります。そうした翻刻や考証論文があってはじめて、日本史学の確固たる地位が維持され、かつ発展していくのだと思います。

 しかし、一部の編集者などの中には、下記のような「実証なんかなんだ」という暴言を吐く方がおられるようです。ほんとうに嘆かわしいことだと思いますが、自分としてはそうしたことばにひるむことなく、なんとかきちんとした本を書いて、その内容そのものによって、反論を示したいと、決意を新たにしております。

                     (新書原稿の改稿におわれる中で)

http://www.furugosho.com/cgi-bin/newbbs/yybbs.cgi

Re: 考証論文の価値

No.4834

>美川先生  例の大冊の新書、出版に向けて順調な御様子にて大慶に存じ上げます。

  実証的な研究の件ですが、
 「とはいえ」、問題意識の欠落したものは、やはり駄目だと思っています。
 それに、己に刃を向けるような発言ですが、実証的研究を標榜しながら、実は「空論」以前の「空想の産物」も問題外でしょう。