廣政さん壮行会、笠さん歓迎会

No.3162

今週12日に予定されている「廣政さん壮行会、笠さん歓迎会」(略して廣笠コン!?)
の件で若干の変更がありますのでお知らせいたします。

☆会場は居酒屋 たぬキ 四条店を予定しておりましたが、諸事情により
居酒屋たぬき ニュートン(京阪本線三条駅 徒歩3分)に変更いたします。
それに伴い、集合場所をローソン三条大橋店(三条大橋のすぐそば、スターバックスコーヒーの向かい側)に変更したいと思います。
急な変更で申し訳ございませんが、当日くれぐれもお間違いのないようよろしくお願いいたします。もし当日遅れる場合はできるだけ早めに幹事にご連絡ください。

☆集合時間は18時のままです。

☆メニューは牛鍋食べ放題とドリンク飲み放題のコースを予約してあります。
単品料理も豊富ですのであとは追加で注文するという形にしたいとおもいます。

☆参加人数は9名です。あと一人加われば一名分の料金が無料になるクーポンがありますので、割安になります。もし今からでも「参加したい!」という方はぜひ幹事までご連絡ください

それでは皆様、当日会えるのを楽しみにしております。
どうぞよろしくお願いいたします。

近況報告

No.3163

野口先生>卒論の口頭試問、無事に終わりました。
14時半からのグループに割り当てられていたのですが、一人12分×12~3人で私は最後のほうだったためかなり待ちました・・・
久しぶりに会う友達がいっぱいいたので話し込んでいるうちに私の番・・・
本来は学生が概要を話したあとに先生方からコメントがでるはずだったのですがなぜか私は着席と同時に先生が話し始められたので概要を話すこともなく、ただただ「はい、すみません。」と頷いていただけでした。
コメントの中身は自分で「つっこまれるだろうな」と思っていた部分を見事につついてくださったので納得です。

ちなみに製本された卒論の表紙は「紫苑色」でした☆
和綴じでとても素敵な表紙なのですが中を開けると私のきちゃない字が踊っているので、微妙です(T-T)

廣政さん・笠さんによろしく。

No.3167

 永富さん、口頭試問の御報告ありがとうございました。
 壮行会と歓迎会ですが、急な用務の出来と忘れていた用務の出来で、どうしてもまとまった時間の確保が必要となり、欠席のやむなきに至りました。主賓である廣政さん・笠さん、それに、小生の都合を踏まえた上で企画をしてくれた永富さんに深くお詫び申しあげます。
 小生はこのところ思う存分の飲み食いというのは辛くなりましたが、牛鍋食べ放題・飲み放題のメニューときくと、すぐに元木先生や近藤先生の嬉しそうなお顔を想起せざるを得ません。
 などと考えておりましたら、昨秋の講演のテープ起こしの原稿を送るから、チェックしてくださいという電話がかかってきて、また仕事が増えてしまいました。
 「いつまで続くぬかる溝!!」

Re: 廣政さん壮行会、笠さん歓迎会

永富絵里子
No.3171

野口先生の欠席は本当に残念ですが、その分、デジカメで楽しい様子を撮影してまた研究室へもって行きますね♪

今回の会場となるお店は牛鍋のほかにと真ん中ので牛肉や鳥団子などのしゃぶしゃぶを楽しみながらしゃぶしゃぶ鍋のまわりの鉄板で焼肉を楽しめる「火鍋」というメニューがあります。今回は二月限定キャンペーン中で牛鍋のほうがお得だったのでそちらにしたのですが、また機会がありましたら元木先生や近藤先生もご一緒に火鍋の食べ放題に行けたらいいですね♪(もしお店がつぶれたら責任は幹事ではなくご自身でとってくださるようお願いいたします☆笑)

元木先生>インフルエンザとのことですが、お大事になさってください。

お見舞い有難うございました

No.3174

 永富さん、お見舞い恐縮です。お蔭様で、昨日から平熱になりました。インフルエンザにはリレンザという特効薬ができたので、高熱は2日で収まりました。でも、さすがにまだふらついております。
 食べ放題へのお誘い有難うございます。さすがに、当方も弱ってきましたので、この件は近藤先生にお任せします。飲み放題なら考えますが・・・?
 食べ放題はともかく、火鍋には関心があります。この鉄板焼用プレートの真ん中に煮炊き用のつぼを持つ「火鍋」という形式は、かつて大阪のサッポロビール系のビアホール「ニューミュンヘン」の山根料理長が開発(?あるいは原型はどこかにあったのかもしれません)したものです。ニューミュンヘンでは「海鮮火鍋」という名称でした。
 その料理の内容は、まずプレートでビーフの焼肉、ジンギスカンを焼き、煮えた鍋で魚介類を炊き、さらにシャブシャブを食べて、最後にエキスの凝縮したスープでラーメンを食べるというものです(これはもっとも豪華なコースで4000円でした)。これとの対比のためにも一度行かねばなりますまい。

 余談ですが、「海鮮火鍋」を知ったきっかけは92年の夏、山根さんに落し物を拾ってもらったことにあります。そのお礼をしたら、逆に店に招待されて「海鮮火鍋」をご馳走になり、しばらく病み付きになってしまいました。
 当時、大阪梅田にその専門店があり、大阪以外の友人をそこに連れてゆくと、大概感動してくれたものでした。当方が、グルメの道にはまり、梅田でグルメ探索を始めたのも、あの店にめぐり合ってからです。
 残念ながら、その店は山根さんの引退もあって閉店してしまいました。ニューミュンヘンはチェーンですが、本店など、普通の店ではやっていないようです。メニューにあるのは、阪急高槻市駅高架下のニューミュンヘン、大阪なら道頓堀のニューミュンヘン南大使館などです。
 余計な話で失礼しました。ご盛会を祈ります。また酒呑童子の会もよろしく。

よかった~っ!!!南セントレア市撤回!

No.3156

南セントレア、ご存じでしたか? 東南アジアか南太平洋のどっかの国?なんて言っているあなた、認識不足です。れっきとした我が国の話。

愛知県知多郡美浜町・南知多町が合併することになり、その法定合併協議会が決定した新市名が、なんとこの「南セントレア市」だったのです! 傍目には冗談またはご乱心としか思えないこの所業ですが、町長さんは大のご満悦。

おそろしいことに!! 美浜町といえば、源義朝が殺された尾張国野間の故地で、義朝の墓所のある大御堂寺もここに存在するのです(参照→平安京探偵団http://homepage1.nifty.com/heiankyo/heike/heike48.html)。ということは、野口先生も元木先生も美川先生も今後は著書の中で「義朝は平治の乱で敗れて東国におちのびる途中、現在の愛知県南セントレア市で無惨な最期をとげた」と書かねばならないところだったのです!

1月27日にこのニュースが公表されてから、全国に爆笑と反対の嵐が巻き起こりました。そりゃそうです。平成の大合併にともなう日本三大悪地名といえば、山梨県の南アルプス市、埼玉県のさいたま市、愛媛県の四国中央市というのが通り相場だったのですが、南セントレア市が実現したならばこれはもう間違いなしのぶっちぎり。京都五山の「上」ならぬ日本三大悪地名の「上」に位置することは確定でしたから。

さすがに抗議殺到で、法定合併協議会はこれを白紙に戻し、改めて住民投票で新市名を選ぶことにしたとのことです。http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050209-00000193-kyodo-soci
とりあえずは良かったのですが、どうしてこんなバカなことになってしまうのか、町長らの常識を疑います。

千葉県太平洋市

No.3161

 小生の先祖が千年来住み続けた千葉県でも「太平洋市」というのが登場するようです。現在の成東・蓮沼・山武・松尾の4町が合併するとのこと。律令制の行政区分なら上総国武射郡・山辺郡の辺りでしょうか。
 しかし、太平洋市というと海の中に町があるようなイメージですね。まったく、最近の人たちの「感覚」にはついていけません。
 この辺りは外からの流入人口はさほど多くはないと思うのですが、小生の生地千葉市などは、1960年代以降の新来の方々が圧倒的に多く、地域の伝統的な文化や歴史を知らず、子ども時代からの地名に対する愛着もありませんから、ただ便利だということで、市の中心部の町名であった「吾妻町」とか「通町」というのが消滅して「中央○丁目」などという無味乾燥なものに変えられてしまいました。植民地支配における「創氏改名」のような所業で、小生の心は深く傷ついております。
 その点、京都は良い。京都で生まれ育った山田先生が羨ましい限りです。

 >元木先生  完全復活のご様子、祝着至極です。流石、ジムでお鍛えの身体だと思います。羨ましき限りです。
 ご質問の建春門院役に相応しい女優さんですが、小生、世情に疎く、心当たりは見つかりません。ただ、身近なところで、女院になられて権勢を振るわれそうな方をあげるとすれば、・・・やめておきます。

ゼミ旅行の日程表(改訂版です。)

No.3141

 前回、ホームページに日程をアップしたのですが初日の訪問を予定していた東大史料編纂所を三日目に回さざるを得なくなりました。その結果三日目は大幅に時間が空いてしまうことになったので、誠に勝手ながら三日目の午後に鎌倉の見学を加えることにしました。二日目の午後は予定が若干変更する可能性もあります。

<一日目・2月26日(土)>

 8:00     ホテル着。荷物を預ける。
        ↓
9:00~11:00 東京国立博物館
        ↓
 11:10~12:00 昼食
        ↓
 12:30    上野駅にて新幹線で来た方達と合流 
        ↓
 2:30~5:00 浅草付近(浅草寺・浅草神社・金龍寺)
        ↓
 7:00頃    夕食


<2日目・2月27日(日)>
        
 8:00     出発(上野から京成線・1時間半ぐらい)
        ↓
 10:00~1:00 国立歴史民俗博物館(昼食含む)・三時間程度
        ↓
 3:00~4:00 中山法華経寺
        ↓
 4:30     上野駅着
        ↓
 6:00~    夕食

       
<3日目・2月28日(月)>       
 
 8:30     出発
        ↓
 9:00~12:00 東大史料編纂所 
        ↓  
 1:00 鎌倉到着・昼食
        ↓
       ①鶴岡八幡宮・大蔵幕府跡・源頼朝墓・法華堂跡
        ↓
       ②荏柄天満宮・永福寺跡・勝長寿院跡・鎌倉宮・瑞泉寺
        ↓
 5:00     解散。


改訂版に訂正の要あり。

No.3144

 山内さん、御苦労様です。
 日程については、まだ未定の部分は多くても仕方がありませんし、かえって流動的なところがあった方がよいと思います。
 ただし、28日の東大史料編纂所の9:30~10:00というのは、いくら何でも誤りだと思います(正しくは、12:00に東大を出て13:30に鎌倉といったところでしょうか)。史料編纂所の見学は、せっかくの貴重な機会ですし、著名な先生方に御案内を頂けるのですから、「できるだけ長く」というのが参加者の偽らざる気持ちでしょう。
 なお、鎌倉は二年前のゼミ旅行で見学したところなので、この日の午後は解散にして自由行動にしてもよいのではないでしょうか。
 
 >山内さん  旅行の申請書類作成のため、宿泊先の住所・電話番号と、参加する京女生の住所・電話番号の一覧をよろしくお願い致します。

いざ鎌倉

No.3145

>山内さん
昨日はメールありがとうございました!
往復の公通手段はどうにか確保いたします。
飛び入り参加ですが、みなさんどうぞよろしくお願いいたします。

鎌倉時代を扱っているのに鎌倉に行ったことがないのは…やっぱりちょっと恥ずかしいですね(^_^;)。
学部のときは九州におりましたが、史料に「七条坊門」「大炊御門」などの地名が出てきても、「地名のようだなぁ」と思うだけで、それ以上考えが広がらなかったことを思い出します。
たびたび足を運ぶなり住むなりして地名を空間的に把握できるようになると、地域性や人の動きなどへの理解も深まりますよね。

それでは、続報お待ちしております。

申し訳ありませんでした。

No.3146

 >野口先生
 度々の不手際本当に申し訳ありません。以後こういったことのない様、十分に注意をしていきます。本当に申し訳ありません。

 

幹事、御苦労様です・元木先生お見舞い

No.3148

 >山内さん  
 はじめての幹事ですから、紆余曲折は当たり前で、おおいにやって経験を積んでおけば、後で恐いものナシというところです。
 おかげさまで、これで書類を作ることが出来ます。
 山内さんは、責任を持って仕事を処理してくれるので安心しています。

 >元木先生
 発熱が40℃もあったというのに、一日で御快復とは流石です(ひょっとすると何度目かの「知恵熱」でしょうか?)。しかし、お互いに、すでに前近代社会では「御隠居」の年齢でありますから、くれぐれも御自愛ください。

 >園田さん
 近世に島津氏が建てた頼朝の墓は必見ですね。

幹事ご苦労様☆

No.3149

>山内さん
 お金も時間も無く、この旅行が実質卒業旅行となりそうなのでとても期待しています。(と、多少のプレッシャーもかけつつ☆)

 ちょっとだけ質問があります。
 2日目についてですが、国立歴史民俗博物館が3時間(昼食を含む)というのは、時間的に少なくないですか?
 上野駅→中山法華経寺→国立歴史民俗博物館の順番だと、もう少し時間がとれるのではないか、と思いました。
 京成中山→京成佐倉駅間は35~45分程度なので、ここで早めの昼食にしてしまうという裏技もアリかと思います。

 昨日、無事に卒論発表を終えましたので、4月まではある程度時間がとれます。
 ゼミ旅行もお手伝いできることがあれば言ってくださいね。

 こういった時間のやりくりが、旅行計画の醍醐味だと思うので、おそれずあわてずにいろいろ決めていって下さい。
(宿と交通機関(指定券のいるもの)さえ決まっていれば、後は何とでもなりますよ!!)

>野口先生
 パソコン起動時のネット接続のもたつきは、解消していますか?
 無線での接続は、目に見えないだけに不安が残ります。

>薗田さん
 例の白いヤツは元気にしてますか?

もうすぐゼミ旅行。もうすぐ10万アクセス!

No.3151

 鈴木君、おかげさまでパソコンは好調です。「無線」も「無銭」同様に不安ですね。トップページの月間予定は、そろそろゼミ旅行にして下されたし。
 ゼミ旅行の時間配分は、おおざっぱで構わないと思います。千葉氏の館の跡推定地でも、柴又の帝釈天でも、大森貝塚でも、渋谷の青山学院でも、原宿・六本木でも、幕張新都心でも、神田の古本屋でも、池袋にある税理士事務所(ごく一部の方にしか分からないと思いますが)でも・・・どこへでもお連れ致しましょう。
 
 昨日は京女の史学科も卒論の口頭試問だったようで、佐々木さんが(この時点で役割を果たした)本を返しに来てくれました。
 永富さんは如何でしたでしょうか?
 そういえば、昨日は立花さんも研究室前の掲示を見に来てくれました。また『吾妻鏡』講読の日程など、みんなで相談していただきたいと思います。

 ところで、この掲示板ですが、みなさん、すっかり使い方をマスターされたようで、ときに修正機能を活用して、書き込まれたあと、大幅な書き加えがされていたりしますから、要注意。すでに読んだと思っていても、もう一度見ておかないと損をすることがありそうです。たとえば、本日の元木先生の書き込み。昼間に読んでみたら、朝とはだいぶ異なる増補版になっていました。日付と時刻表示が変わらないのがミソ。犯罪ミステリーに使われるかも知れません。
 
 >元木先生  熱は下がりましたか?
 
 >そのださん  園田さんor薗田さん?

文書偽造疑惑?

No.3153

 野口先生、山田先生、いやはや混乱させたようで、申し訳ありません。
 今朝方、38度くらいに熱も下がり、書き込んでみたのですが、昼過ぎて薬の効力が顕著になり37度に下がると、問題やアラが目に付き、二・三度にわたって書き直した次第です。これからは「修正版」などと書き込むことにしましょう。
  
 当方のインフルエンザはB型で、「リレンザ」という特効薬を処方してもらいました。朝、服用すると体温が下ったのですが、日が暮れると効力が薄れるのか、また寒気がしてまいりました。またも38度台。早々に寝ます。
 本を出すのも、自宅への電話もやたら遅い某出版社から電話がかからないことをいのりつつ。

Re: ゼミ旅行の日程表(改訂版です。)

No.3155

>鈴木さん
 二日目についてですが、歴民博に実際に行かれた方の話を聞いて三時間程度が妥当だと考えました。またこの日は歴民博、中山法華経寺以外の場所に行くことも視野に入れて検討中です。
 卒論発表、お疲れ様でした。今後も何かと失敗したり、助けていただくことも多々あると思いますが、その時は是非アドバイスをお願い致します。

山下憲子様へ

山内 梓
No.3169

今回のゼミ旅行の幹事をさせていただいております、京都女子大学二回生の山内梓と申します。今回のゼミ旅行にはゼミの先輩でいらっしゃる山下さんが参加していただけると先生からお聞きし、とても楽しみにしております。何度かメールを送らせていただいたのですがなかなか届きません。そこで、掲示板をご覧でしたら↑のアドレスまでぜひ返信をいただければと思い書き込みをさせていただきました。よろしくお願い致しますm(__)m。

建春門院の陵墓は何処に?

No.3135

 後白河が自分のために用意しておいた法華堂に埋葬し、しかもその間の事情や埋葬形態まで詳細な記録がのこされているにもかかわらず、その所在地が長く不明であった建春門院滋子の陵墓。
 その位置を見事に推測(ほぼ確定)したのが、誰あろう、山田邦和先生です。これは、センセーショナルな大発見だと思っているのですが、建春門院の知名度が今ひとつのためか、研究者の間でもあまり話題にのぼらなかったようです。しかし、今こそ、ようやく機が熟してきたようですね。
 科学と実証によって事実に迫っていくという学問の醍醐味を堪能させてくれる山田先生の学説は、京都女子大学宗教・文化研究所『研究紀要』第16号(2003年)掲載の「法住寺殿の城郭機能と域内の陵墓について」(小生と共著)において展開されています。
 
 ☆ なお、建春門院滋子・平時子・建礼門院徳子に関する現在の研究の水準を知りたい方は、栗山圭子「二人の国母」・金永「平時子論」・鈴木啓子「『平家物語』と<家>のあり方」を参照してください。いずれも新進気鋭の女性研究者による優れた成果で、『文学』隔月刊 第3巻・第4号「≪特集≫歴史の語り方-平家物語」(2002)に収録されています(栗山論文の後半は次号に及びます)。
 おのおの方、これらを読まずして、平家の女性たちを語る事なかれ!

建春門院

No.3142

野口先生、美川先生、後白河天皇陵・建春門院陵についての私説をご紹介いただき、ありがとうございます。

言及いただいた通り、今は失われてしまった建春門院陵、私は三十三間堂の東方真正面に存在したと推定しております。後白河法皇は自分が入るつもりでここに法華堂を建立したのですが、まったく予想もしなかったことに、建春門院が自分よりも先に亡くなってしまった。そこで法皇はその法華堂を故・女院のために明け渡し、自分はその南側に新たに法華堂を建ててそこに入った、ということになります。

後白河は建春門院にホント、ぞっこんだったようですね。後白河はもちろん当時の権力者だったからいろんな女性に手を出していますが、本当に惚れ込んだ女性は永く永く熱愛するというタイプだったようです。中年の時には建春門院、老年時は丹後局高階栄子に入れあげています。

元木先生も著書の中で書いておられますが、建春門院が危篤になった時、後白河は自ら全身全霊を込めて加持にあたり、その声は他の祈祷僧のそれを圧するかのように「太高」く響き渡っていたといいます(『玉葉』安元2年7月8日条)。愛する女性のために、今様で鍛えに鍛えた喉すら張り裂けんばかりに絶叫していた後白河。そして、その甲斐もなく絶命した女院の側で、人目もはばからず「後歎息」を顕わにした後白河(『百錬抄』同日条)。そして、その彼女のために、周囲の反対を押し切って自分の陵所となるはずの法華堂を明け渡した後白河。その人間臭い姿に、私は心打たれます。

建春門院は、後白河にそれほど熱愛されるだけのすばらしい女性であったことは確かです。だからこそ大河ドラマでの建春門院は黒木瞳さんクラスの女優にやってほしかった・・ いや、ついつい個人的趣味がでてしまいます。

閑話休題〈あだしごとはさておき〉、野口先生ご指摘の栗山論文にある通り、最近では建春門院の政治的重要性が指摘されております。建春門院は単なる法皇の奥さんにとどまらず、いわば「治天の君代理」とでもいうべき存在だったというのです。
建春門院が35歳の若さで亡くならなかったら、日本の中世史はどう変わっていたか・・・ 歴史に「もし」は禁句ですが、やっぱり考えてしまいます。

想いのある女性のことを語るとやはり長くなってしまいました。失礼しました。

Re: 建春門院の陵墓は何処に?

No.3147

 ここのところ、インフルエンザでダウンしており、すっかり出遅れておりました。
野口先生にはお見舞いの御言葉を頂き恐縮に存じます。まだ37度台ですが、何とかPCに向かえるようになりました。さて・・・

 大河ドラマの建春門院、あれはひどい!諸先生のお怒りごもっとも。
 建春門院や、当時の政治史に関する当然の認識が無視するにも程がある!
 第一、妖艶にして才知にあふれた女院を、あんな安っぽい女優にやらせるな(中江有里ファンの方、ごめん。役に適合していないということですので・・・)!
 結局、清盛の陰謀で徳子が入内する、後白河は内心反発するという構図のようですが、これは貴族と武士は対立するものだという、古めかしい幼稚な議論の産物としか言いようがありません。
 ただ、多少制作サイドのことを考えるなら、清盛と後白河の関係を短い期間で強引に描こうとする場合、協調から対立という変化は盛り込みにくく、こうした図式にせざるを得なかったのかもしれません。旧来の図式に乗っておかないと視聴者がついてこない恐れもあるのではないでしょうか。
 その意味で、入内の先例は摂関家のみとするのも、平氏が摂関家を模倣したという通説に依拠した台詞ではありますね。
 こう申しては何ですが、当方の周辺を見回しても、一般視聴者のレベルは我々の想像以上に低いものがあります。新説をどこまで盛り込むのか、下手に盛り込むと難しいという批判を招きかねず、たちまち視聴率の低下につながるというジレンマが制作サイドにあるのではないでしょうか。
 それにしても、ですよ。どこかに多少は最近の学説も盛り込んでほしいものです。大河ドラマの国民的影響力を考えれば、わずかなことでも大きな効果があるのですから。
 大きな影響力の悪しき例。先年の『時宗』を見ていた親戚いわく、「梅鉢の話は下野じゃなくて伊豆だったんだ」・・・。こんな弊害を垂れ流すようなら大河ドラマは中止すべきです。とはいえ時代劇がなくなっても困るので、いっそのこと水戸黄門(これは民放に定着したか)、大岡政談(これは民放が投げた)、旗本退屈男(上横手先生がお好きです)、国定忠治(これは前会長ご愛好)、遠山の金さん、丹下左膳、若様侍、鞍馬天狗、清水次郎長の類の講談話を、交代で取り上げれば宜しい。これならどんなストーリーにしても害はありますまい。

 宮尾さんの描いた建春門院像は我々のイメージと共通する魅力的なものであり、清盛が懸想する場面さえありました。歴史像をゆがめ、さらには原作をも損なうようなお粗末なドラマは願い下げです。

 それにしても、美川、山田先生、石浜さん、皆さん考えるところは同じでしたね。当方も女院役は同じ女優をイメージしておりました。妖艶にして魔性を内に秘め、岩下志麻をもシカトする向こう意気の強さは、まさにあの役にぴったりです。 
 もっとも彼女は1960年生まれで、35才をかなり超えているようですが。 

Re: 建春門院の陵墓は何処に?

No.3152

>元木先生
高熱を出されたとのことですが、さすがは凄い回復力ですね。私など、2週間くらいぐずくず体調不良が続きました。でも、油断大敵ですので、どうかご自愛ください。

建春門院滋子のイメージ=黒木瞳さん説は、元木先生の力強い支持のもと、あとは野口先生が一票投じていただければ、もはや日本中世史学界では完全に通説化すると存じます。年齢の齟齬の件は、建春門院は実際の年齢よりもずっと威厳があったということでなんとかクリアーいたしませう。

元木先生の書き込みが改訂されているということに気付き、どんな魔法をお使いになられたのか、首をひねっておりました。実はこの掲示板には修正機能というのがあることを知り、驚愕しております。日付と時刻が変わらないということになると、第1次史料といっても百パーセント信頼することはできないということになります。野口先生はこれをネタにしてゼミで「史料批判論」を展開されそうな予感・・・

あの時、君は若かった♪

No.3154

 山田先生、やはり年齢は大きいですよ。だいたい、平治の乱の年(1159)、清盛の年齢は41歳(その年に相当する西暦年から生年に相当する西暦年を引いた数値、以下同じ)。のちの建春門院、平滋子は17歳ですよ。
 学生さんたちの世代からすれば、41はもうオヤジでしょうが、我々の年代からすれば、まだ子供も同然。建春門院の亡くなった年齢34歳というのは、まだまだ年端もいかない・・・といったところでしょう。この時、後白河は何歳かと言えば49歳で、今の元木先生と同じくらいの年齢です。頼朝挙兵の治承4年(1180)ならば、小生と同年の53歳。
 その治承4年、清盛の子の宗盛は33、知盛は29(○○君と同じ?)、重衡は24、孫の維盛は23歳でありました。だいたい、当ゼミメンバーの世代が内乱期の主役と言っても過言ではありません。ちなみに以仁王は29歳。
 東国に目を転じても、頼朝は33、義経は21。木曾義仲は26。北条時政42、政子23歳、なんと若いことでしょう。義時など17歳ですから。
 そうした中で、源頼政の76歳は特筆に値しますね。相模の三浦義明(88歳?)も。

あの時、君は若かった♪

No.3157

>野口先生
う~ん。さすがは先生、実証的に突き詰めてこられます。まいりました。

ただ、ドラマに登場した建春門院は徳子入内を後白河に迫っているのですから、承安元年(1171)の姿だと思っていいでしょう(同年12月に徳子入内)。女院は康治元年(1142)生まれですから、その時には満年齢で29歳=数え年で30歳。現在45歳の黒木瞳さんに演じてもらうことも、メークアップ次第では決して不可能ではないと推考いたします・・・ 
と、あくまで黒木さんにこだわる山田でした。

しかし、ご指摘の通り、歴史の登場人物はみんな若い頃から主役に躍り出ていますね。それだけ寿命が短い時代だからあたりまえだといえば身も蓋もないですが、「若さのエネルギーの爆発」という視点から歴史を見ることも必要かも知れません。

もっとも、年表を見ていて、「1176年、六条上皇(13歳)、崩御する」などという記事にぶつかると、やっぱり哀れを感じてしまいます。

建春門院役は誰に?

No.3158

 では野口先生御推奨の建春門院役はどなたでしょうか。
 ちなみに、1972年の『新平家物語』では、村松英子(右翼評論家村松剛の妹、三島由紀夫の作品の主役を多数演じております。一時、鳥取の方の短大で教授をしておりましたが)が演じておりました。翳りのある知性派という感じでした。
 
 それにしても源氏伝来の鬚切なんぞ、太政大臣清盛が屁とも思うはずもないし、それを源氏とはいえ河内源氏とは無関係の頼政が言いつけるというのも噴飯ものですな。まあ、頼政は武家源氏の中心ですから、何でも知っていたということなのでしょうかね。
 源氏なら皆味方でお知り合いという、幼稚な源平対立史観の産物のようです。
 あるいは、丹波さんが、そろそろ出番を作れとばかりに文句を言い出したのでしょうか。いやいや、あの場面、彼が死後の世界で頼政に聞き出したのかも知れませんぞ。
 余談ですが、5月7日、丹波で頼政の話をするのですが、ドラマネタで時間が稼げそうです。へへへ。 

黒木瞳に不可能はない。

No.3160

野口先生、たしかに黒木瞳と建春門院には多少の年齢差はありますが、それをいったら、76歳の頼政をやっている丹波哲郎はいったいいくつなのでしょう。それに、義経の兄範頼役の石原某や、頼朝役の中井貴一はタッキーより20歳も年上。問題は…。あまりやると、たんなる中年おやじの化けの皮がはがれてしまうので、このへんで。

やはりボロがでる大河「義経」

美川圭
No.3128

2月6日放映の義経を見ました。

いちばん、何だと思ったのは、徳子の入内問題で、たしか時子が、
摂関家しか入内できない、などという間抜けなことを言っているシーンです。
しかも、待賢門院がいかにも入内のために、白河院の養女になったかのようにも、
発言していました。これも明確に誤りでしょう。
白河、鳥羽と、ともに母が待賢門院と同じ閑院流藤原氏出身ということを知らないのか。
いったい、美福門院はどこの家の出身なんだ。
これでは、時子が貴族社会の先例をなにも知らない女性となってしまいます。
きっと、時子の出身の家なんかの性格なんて、まったく作り手は知らないのでしょうね。

もう少し、脚本家や制作者は勉強してほしいですね。
そうでないと、やはり大河ドラマは大人が見るに値しない「子供だまし」なのか、
と思います。

Re: やはりボロがでる大河「義経」

No.3131

 目下、後期科目のレポートを採点中ですが、そのなかに、小生の講義について「年代のギャップを感じさせる、貴重な講義テーマに関する大河ドラマの話なども非常に興味深かった」などと書かれたものがありました。やはり「年代のギャップ」は大きいですね。
 ところで、「義経」ですが、美川先生の仰せのとおりで、どうも制作者は、いつものことですが「貴族」というと、<文学作品によって造形された>摂関時代のイメージしか持っておられないように思えます。「遊女」に対する認識も近世的だし、中世の「民衆」の描かれ方も、大河ドラマの伝統的ワンパターンが継承されているように思います。
 ストーリー的にも、頼朝に源氏重代の太刀を偽られたことで、清盛が庭園の植栽を破壊するほどに激怒し、しかもそのことで義朝の遺児たちへの監視が厳しくなるなどという展開は理解しがたいものがあります。みなさんは、どう思われますか?
 いずれにせよ、せっかく同じNHKの名のつく出版社から美川圭『白河法皇』や元木泰雄『保元・平治の乱を読みなおす』というテキストとすべき名著が出ているのですから、大河ドラマの制作に関与されている方たちには、これを是非精読していただきたいものであります。
 それにしても、次回あたりから『北条時政』も登場するらしく、ミネルヴァ日本評伝選の執筆を催促されているようで落ち着かなくなって参りました。

 ところで、採点中のレポートですが、中にはじつに水準の高い作品があります。相当に勉強しているのでしょう。受講生恐るべしです。こういう人にNHKに入社してほしいところです。

 ☆ 山田先生がお書きになっているように、4月刊行予定の『古代文化』(特輯「平家と福原」)は、早くも校正の段階に入りました。乞う、ご期待!!

 ☆ ゼミ旅行には、府立大院の薗田さんや東京在住の山下さん(旧姓・八木さん)も参加されることになりました。幹事の山内さん、よろしく。
 なお、事前調査?のために鎌倉に乗り込まれた山岡さんからの御報告をお待ちしております。

 >中村先生  義経伝承の成立について、手頃なところで、先月、講談社学術文庫から再刊された、角川源義・高田実『源義経』をお勧め致します。 

Re: やはりボロがでる大河「義経」

No.3132

美川先生・野口先生、こんばんは。うちの家では、キャッキャいいながら、どうでもいいところばかりけなしていました。五条橋の真ん中には中島がなけりゃおかしい、とか、五条橋から見た五条大路末が行き止まりのT字路になっているのは変だ、とか、細かいことばかりです。ついでにいうと、徳子を「トクコ」と発音しているのはかなり耳障りです。やっぱり私には「ノリコ」のほうがしっくりときます(拠「平安時代史事典」)。
うれしかったのは、建春門院平滋子が登場したこと。ただ、時子の前に居並んだ平氏の女性たちが、「法皇さまの女御である建春門院滋子さま」と呼んでいたのはいただけません。滋子は皇子・憲仁親王立太子によって女御となりましたが、同親王が高倉天皇として即位した後は国母として皇太后の尊位に昇り、さらにその後は女院に列せられております。その方に対して、いまさら女御よばわりは不敬の極みでございますね。どうでもいいけれども、建春門院はもっとあでやかでかつ知的な女優さんにやってほしかった。まったく個人的な好みからいうと、たとえば黒木瞳さんなんか・・・
こんなひねた視聴者がいるとNHKも大変ですね。しかし、うちはきちんとNHKの受信料を払っているので、文句をつける権利は保持しております(知り合いの某先生は受信料支払い拒否なので、番組に文句をつける資格がないらしいです)。

建春門院を軽視するな

No.3134

山田先生、先日はぜひお誕生会にかけつけたかったのですが、
ほんとうに失礼いたしました。

私もNHKにはBS受信料まで払っているので、どんどん言わせてもらいます。

建春門院の件は、まったく同感です。
あのシーン、違和感がありましたね。
その前に、時子が冷泉局に仲介、と言っていたので、あれはてっきり冷泉局、
と思ったら、「建春門院」のテロップで、えっ、と思いました。
後白河院と建春門院の御陵が堂々と並んでいたとする山田説からしても、
いかにも、後白河院に仕える建春門院という構図はいただけませんね。
当時の女院の地位は高い。後白河院と同等に近い配役と、位置が必要です。
黒木瞳さん、それはいい。

しかも、後白河院はひたすら「悪役」で行きそうな気配。
家内も、「悪そう」とつぶやいていました。
後白河院はきわめて多面的な人格ですし、平幹二郎さんなら、
それが演じられると期待しているのですが、
せっかくの名優を出しておいて、演出がそこまでわかっていないのかな。

宝の持ち腐れ。

やはり、早く本を書くべきだ、と自らの身に責任がふりかかってくる気もしますが、
私の『白河法皇』を読んでいる気配もないので、いくら本を出してもだめか。

Re: やはりボロがでる大河「義経」

No.3138

そうですか、黒木瞳がお好きですか。美川先生、山田先生と好みが一致し、うれしいかぎりです。美川先生、本を出すことは無駄ではないと思います。それが、いかに普及するかというのが、むしろ大きな問題のように思います。そうした本が何冊も出れば、やがてはそれが大きなうねりになり、人々の認識を大きく変えていくのではないかと思う次第です。
今回の「義経」で思ったのは、一条長成なんですが、清盛の家人の盛国に問い詰められ、ばかにされるぐらい、力のない存在だったのでしょうか。古い貴族観が巣くっているように思えてならないのですが。
まつけんこと弁慶がうつろな目でタッキーを探し回るシーンを見ていると、まるで…。いらぬ邪推ですが。

山田先生 原稿の束、いただきました。これから拝読させていただきます。ありがとうございました。

前川様 先日はご挨拶できず、失礼いたしました。年表とは、どこに載っているもののことでしょうか。ドラマストーリーを見ても、歴史・文化ガイドを見ても、お名前が載っていないようですが。このどちらかでお手伝いいただきながら、お名前を入れ忘れたのだとしたら、申し訳ございません。また、チェックというのは、番組サイドからの、ということしょうか。そういった検閲めいたことはないと思うのですが。

さすが辣腕編集者

No.3139

石浜さん、こんにちわ。
さすがに、辣腕編集者、おことば肝に銘じます。
本をどんどん書かねばなりませんね。

ところで、一条長成についても、同感です。
以前に、彼だけお歯黒をしている意図を指摘しました。→>>No.3060

作り手が「弱々しい伝統的な貴族観」を脱しきれないのですね。
武器を使わずに時代に挑む人々を、もう少し評価できないものでしょうか。
定家の「紅旗征戎、吾がことにあらず」という言葉が、心にしみるのですが。

すぐに人を殺傷する武士は、いやだいやだ。

Re: やはりボロがでる大河「義経」

No.3140

いえいえ、美川先生、そんなにおだてられても何も出ませんから! 
野口先生のご指摘で、「頼朝に源氏重代の太刀を偽られたことで、清盛が庭園の植栽を破壊するほどに激怒し、しかもそのことで義朝の遺児たちへの監視が厳しくなる」ことをどう思うか、というのがありましたが、なるほど、先日の書評会での元木先生のご指摘にもあったかと思うのですが、政治史の根幹のところが、やはり消化できていないので、こういった単純な見方に収斂してしまうのかと思った次第です。背後にある様々な動きを描けない・描こうとしないから、こうした描写の仕方になってしまうのですかね。

担当部署が異なるのかもしれません。

前川佳代
No.3143

石浜さま 
こんばんわ。私が依頼され、文章や年表を載せていただいたのは、教養・文化シリーズ『義経 史実と伝説をめぐる旅』(NHK出版 2004.11)です。常に下請け会社からの連絡だったので、直接年表担当の方とはお話していないのですが、どうもNHK側の年表と差違があったようで、何回か見直した経緯がありました。その時に、NHKには大河なんかの関係で、膨大な年表をしきっている人がいると聞いたのです。石浜さんがご存じでなかったということは、きっと部署が異なるのでしょうね。

年表担当者はいるのか

No.3150

前川さま
そうですか、『義経 史実と伝説をめぐる旅』でしたか。確かに、お名前が載っておりました。そういえば、見た記憶もありました。
 下請けの会社とやりとりなさっていたということは、NHK出版サイドの人間との連絡はなかったのでしょうが、このムックは番組関連ではありますが、NHK出版編なので、番組サイドからの検閲はなかったものと思います。何か変更を要求されたのだとしたら、おそらく、番組の都合で一部ぼかすなどのことが必要とされたのかもしれません。つまり番組で史実をねじ曲げた場合、年表にも多少手を加えることもあるそうです。ですが、特に番組制作サイドに、年表を仕切っているような人はいないとのことですが。
 

ありがとうございました。

前川佳代
No.3159

石浜さま
ありがとうございました。直接担当者とお話ができなかったものですから、年表のどこが悪いのか結局わからず仕舞いでして、それが大変気がかりだったものですから、お伺いいたしました。ご丁寧な対応をしていただき、大変感謝しております。

関東から戻りました。

No.3127

 昨日は調査のために関東に行っておりました。
 品川歴史館に行くために京浜東北線の大森駅を下車すると、まさにホームの降り立ったところに「日本考古学発祥の地」の記念碑がありました。そう、大森駅の近くの線路沿い一帯の地こそ、あの大森貝塚だったのです。そこで、遺跡庭園もしっかり見学して参りました。山田先生は行かれたことがありますよね?
 駅を出て北に向かって歩いていく途中のあるホテルに、この日に行われる結婚披露宴の案内が掲示されており、そこには最近、日本中世史のジャンルで優れた論文を発表されている若い男女の研究者の名と同じ新郎新婦の名がありました。ただの偶然の同名異人か、はたまた・・・。いずれにしても、お目出度うございます。
 かかる偶然も含めて、品川の調査は収穫多大でした。鎌倉幕府御家人の紀姓品川氏については、来年発表の紀要論文か、あるいはNHKブックスで触れなければならないと思っております。

 >ゼミメンバー諸姉兄  元木先生から、「おとなしい」との御指摘がありましたが、たしかに研究会などで若者が謙虚すぎるのは実によくありません。心してください。

 >中村武生先生  牛若丸誕生井のようなものを問題にするのは、方法論的に歴史学よりも先ず伝承成立論(国文学のジャンルでしょう)の観点から検討されるのが順当と考えます。

Re: ご指摘ありがとうございます

No.3130

野口実先生 
 中村武生です。

 ご指摘ありがとうございます。

 私はこれまで「史蹟空間」がどのように成立するのか、近代史における歴史意識の形成、地理学における「場」の論理の成立、という視点で、主に「建碑」の意味を考えてまいりました。三宅安兵衛遺志碑、京都市教育会碑などの考察はそれにあたります。

 このたび牛若丸誕生井を始めとする義経伝承「地」を同じ視点で捉えようと考えておりました。しかしながらそれを進める前に、まず「事実」として、紫竹に義朝邸や常盤邸な
るものが成立しえるのかを知っておきたいと思いました。

 もちろんきっかけは、保立さん『義経の登場』の安易な紫竹の牛若丸伝承地の事実認定を読んだからです(近世地誌や僧侶からの聞き取りの遡及)。 
 はずかしながら私は中世前期の勉強をしておりませんので、それを学ばせて頂きたく、先の書評会に参加させて頂いた次第です。

 おかげさまで「ありえない」ということを教えていただき、大変感謝いたしております。

 私の立場で論ずるに、歴史学より国文学における伝承成立論の視点が「順当」かどうかは分からないのですが、これはぜひ今後意識して学んでみたく存じます。

 ご指摘、心より感謝申上げます。今後ともどうかよろしくお願いいたします。

大森貝塚

No.3133

>野口先生
大森駅、行かれましたか。あそこは私たち考古学徒にとっての聖地です。私は今まで何度、ホームに立っている「日本考古学発祥の地」記念碑(ご丁寧にブロンズ製の縄文式土器がのっかっている)を拝して涙したことでございましょうか(ウソ)。ただ、E・S・モースの発掘した大森貝塚の位置はずっと2説が対立し、その記念碑が2ヶ所に建っています。ひとつは「大森貝墟」碑で、線路沿いのNTTビルの隙間にあります。もうひとつは「大森貝塚」碑で、このあたりは品川区によって遺跡公園として整備されています。発掘調査の結果では、後者がモース発掘地に近い、ということになっております。野口先生の行かれたのはどっちですかね? なお、品川歴史館は小さいですけれども、なかなかお勧めポイントですね。

中世の品川

No.3136

 山田先生、もちろん両方行きましたよ。こう見えても、小生、かつて古代学協会において「発掘調査部」(だったかな?)の辞令を頂いたこともございます。れっきとした・・・ですから。

 ところで、品川は中世において紀伊などとの間で海運の盛んなところでしたが、源頼朝挙兵当時には、ここに品川氏という紀姓の武士がおりました。ちなみに、品川歴史館の所在地は「品川区大井」ですが、この地名を苗字にした大井氏も品川氏の一族です。
 港津としての品川とともに、この品川氏・大井氏の存在形態について、目下、考えているところです。ちょっと、従来考えられてきた東国武士の範疇に入りきらないような存在のように思えます。

公開シンポジウム「鎌倉武士の伝説と信仰」ご案内

西山美香
No.3121

はじめまして。突然の宣伝をお許しください。西山美香と申します。
このたび下記のような公開シンポジウムを開催することになりました。
平日とありましてご無理な方が多いかとは存じますが、
もしどなたでもお越しくださればまことにありがたく存じあげます。
多くの方々のご参加をお待ちしております。
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公開シンポジウム「鎌倉武士の伝説と信仰」ご案内
 研究会「今昔の会」(古代・中世の説話文学や日本思想史を研究して
おります)では、「鎌倉武士の伝説と信仰」をテーマに
公開シンポジウムを開催することとなりました。日本史上初の
本格的武士政権を支えた伝説や思想はいったい何だったのでしょうか?
歴史学研究における説話・思想研究の「今(いま)」を感じとり、
活発な討議を期待しています。

   シンポジウム「鎌倉武士の伝説と信仰」
日時:2005年3月7日(月)午後1時~
場所:早稲田大学文学部(戸山キャンパス)33号館2F第一会議室
報告:生駒哲郎氏(山脇学園短期大学講師)「中世生身信仰と守屋伝説」
   坂井法曄氏(興風談所所員)    「日蓮と武士と説話」
   細川重男氏(東洋大学講師)    「鎌倉北条氏の始祖説話について」
   コメンテーター:吉原浩人氏(早稲田大学教授)
        *資料代 500円(当日受付にて)
        *シンポジウム終了後懇親会あり。会費4500円。
参加をご希望の方は、2月20日までに下記の連絡先に「お名前・ご所属・ご住所
・メールアドレス・懇親会のご出欠」をご記入の上、お申し込みください。
【主催・連絡先】今昔の会 konjakunokai@infoseek.jp
報告の要旨など、プログラムは↓でご案内しております。

西山先生、ぜひこちらにも。.

No.3124

 西山先生、御案内をありがとうございます。
 西山先生は関東では早稲田・明治・聖心女子・フェリス女学院、京都では花園の非常勤講師をされておられますが、来年度からは京女でも火曜1時限の「国文学史」を担当されるとのことです。どちらにお住まいなのか、通勤はどうされるのか謎だらけですが、ぜひ京女に御出講のおりには当ゼミにも御参加下されば幸いとするところです。

書評会(小生誕生日祝賀会〈?〉)御礼

No.3120

>野口先生、皆様方。
昨日(2月3日)の書評会に参加させていただき、ありがとうございました。参加者の皆さんの学問的熱気あふれる雰囲気に圧倒される思いです。宗教・文化研究所ゼミナールは、今や京都における中世史研究の「核」のひとつになりつつあることを実感いたしました。
懇親会も和気藹々でさまざまな情報をいただき、楽しいひとときを過ごさせていただきました。私の誕生日まで(ついでに)祝っていただき、ありがとうございました。


>元木先生  久しぶりにじっくりとお話をさせていただき、ありがとうございました。いつもながらの鋭い御舌鋒に接し、活力を分けていただいたような思いです。今日は少々宿酔い気味ではありますが・・・

>石浜様  きちんとホテルまでたどりつけましたでしょうか。当方はべろべろになっていたのでほとんどどうやって帰ったのかわかりません。NHKブックスの件、真剣に考え中です。よろしく。

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帰宅したら、『古代文化』4月号の「福原特集号」のゲラ刷りが届いていました。私の担当は「『福原京』の都市構造」で、清盛の築いた(そして、築こうとした)福原京の復元図を描くという、大胆でいささか無謀な試みです。乞ご期待(?)。
福原については、もう少しいろいろな角度から考えていきたいと思っています。皆様の御指導をぜひお願いいたします。

書評会・山田先生誕生祝賀会御礼

No.3122

 昨日は盛会で何よりでした。山田先生と同様、小生も元木先生の溢れるばかりのエネルギーに圧倒されました。今年は「元木泰雄著」の新刊が目白押しとなること必定。月に一度のペースで出版記念パーティーということになるかも知れません。元木研究室常任幹事の長村君は修論を書く暇がなくなるかも知れませんよ。
 元木先生の爪の垢をいただいて、なんとか小生もNHKブックス『鎌倉武士のネットワーク-中世武士団の列島支配-』を仕上げたいと思っております。
 なお、昨日は、小生も、「政治社会状況の理解を前提としないで呪的なものにばかりにしか興味を持てない、最近の歴史<マニア>の若い人たち」への苦言を呈しましたが、言わずもがなのことであったのかと反省致しております。

 >石浜さん 書評会のレジュメは、さっそく保立先生に送付させていただきました。

 >元木先生 昨日はありがとうございました。二次会では美川先生と合流されたのでしょうか?
 本日のアスニーは盛会でした。会場は満席の上に、山科に同時中継されているそうで、どのくらいの方が来ておられるのか分からないくらいの有様でした。一階には、最近まで歴史資料館にあった平安京の復元模型が展示されていました。ちなみに、元木先生の御講演の翌日に、上横手先生がやはり義経をテーマにここで講演をされます。

 >前川さん 昨日はお子さんを預けての御来会、ありがとうございました。育児・家事と学位論文の執筆で大変だと思いますが、ここを正念場に頑張ってください。論文執筆でストレスがたまったら、ぜひゼミに来て学問的なストレスの発散をお願い致します。きっと、女性研究者の卵たち(むしろ男性の方かな?)には良い刺激になることと思います。
 なお、NHK出版の『義経 史実と伝説の旅』をありがとうございました。お作りになった年表は見やすくて便利だと思います。

 >佐伯君 御発表の上、コピーにまで走ってくださり、恐縮至極です。今後とも実質的な非常勤講師(ただし無給)の仕事を宜しくお願い致します。

 >山岡さん・長村君 昨日は幹事、御苦労様でした。ところで、山岡さん、鎌倉はいかがですか?

Re: 書評会(小生誕生日祝賀会〈?〉)御礼

No.3123

野口先生、元木先生、山田先生、みなさま
 中村武生です。昨日は突然にお邪魔いたし失礼いたしました。
 両先生がすでにお書き込みですが、元木先生のパワーに全く圧倒されました。大変勉強になりました。ありがとうございました。
 個人的には、北区紫竹の牛若丸誕生井の「答」が知れ、満足でした。専攻は異にしますが、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

 なお「牛若丸誕生井」の管見の一部は、『京都新聞』2月18日(金)夕刊3面「カッパが語る/京の水」に掲載予定です。小文ですが御覧下さると幸いです。
 

Re: 書評会(小生誕生日祝賀会〈?〉)御礼

美川圭
No.3125

皆様
昨日は、書評会のあとの懇親会、山田先生の誕生祝いに参加するつもりだったのですが、ほぼ1週間にわたる入試関係業務で神経をすりへらし、
職場の先生たちと飲みにいってしまい、
べろんべろんになってやっと家にたどりつきました。
そのため、二次会に合流することもできませんでした。
ほんとうに、失礼をいたしました。
来週から、なんとか学問の世界に復帰したいと思います。
でも最近の大学入試に対する世間の風当たりは強く、
ほんとうに2月の第一週は、苦痛きわまりないです。

昨日はどうも

No.3126

 野口先生、研究会で書評会を開催していただき、過分のお言葉を賜り、恐縮に存じます。これで、書いた甲斐があったと思いました。
 アスニーの件、ご教示有難うございました。翌日が上横手先生とのこと、先生の前座(あるいは当日のカラオケ指導の前座?)と心得て、あまり難しくならないように、当たり障りのないお話をしておきます。
 山田先生、貴重なご指摘有難うございました。また、中村先生、高重先生はじめ、二次会に遅くまでお付き合いいただいた方に、御礼申し上げます。 
 石浜さんには、わざわざ京都にお越し頂き、恐縮に存じます。酔っ払って修正点のご相談を忘れました。ご容赦ください。何とかします。
 
 日本史の世界はいろいろな意味で、内外の危機に直面していると思います。それだけに、研究者は真摯に研究に向き合い、正しい学問のあり方、取り組む姿勢を常に自問せねばならないと思います。もちろん自戒も含めて申すのですが、このことをすべての研究者は肝に銘じてもらいたいと存じます。
 ところで、お若い方々は随分大人しいようですが、研究会では何時もあんな状態なのですか。もっと、ご自分をアピールするように心がけてほしいものです。時には、大恥をかいたり、罵倒されることも若いうちなら薬です。
 ついでに長村君、まずは論文ですから。研究もきちんとできない人が「幹事長」など、とんでもない。まずはしっかりした成果を上げた上で、研究室の雑務もお願いしたいと思います。
 
 色々発散したおかげで、本日は目覚めもすっきり。生ビール8杯(といっても小さいジョッキ)にオールドのストレート2杯はどこかに飛んでおりました。
 どなたか、今度は焼肉(+カラオケ)でも行きましょう。ムフフフ・・・(酒呑童子談)。

遅ればせながら 書評会の御礼です。

前川佳代
No.3129

先生方、先日はお疲れさまでした。大変遅れましたが、書評会出席の御礼を書き込みます。元木先生のパワフルさは以前よりかなり倍増されていて、これが多数の著書を生み出す執筆エネルギーかと感心いたしました。
 最後までお付き合いできなくて申し訳ありません。女性陣のみなさまいつかゆっくりお話をいたしましょう。
 NHKブックスの石浜さんにお伺いしたいことがありました。NHKでは年表担当の方がおいでになるとか。私が作った年表もチェックを受けたようです。

廣政さん壮行会、笠さん歓迎会+α宴会

No.3118

↓のスレッドで予告しておりました廣政さんの中国留学壮行会、笠さんご夫婦上洛歓迎会を開催したいと思います。皆様何かとお忙しい時期かとは思いますが、主賓の方々にはこの機を逃せばなかなかお会いすることができなくなってしまうでしょうし、皆様ぜひふるってご参加くださいませ。

日時:2005年2月12日(土) 午後6:00集合
集合場所:京都河原町阪急百貨店(大きな看板の前)
会場:居酒屋 たぬキ 四条店
予算:三千円程度(当日集めます)

☆予約の関係から参加希望受付の締め切りを2月6日までといたします。
参加希望の方は永富までご連絡ください。(もちろん、それ以降の飛び込み参加も可能ですが、一応の目安として6日に締め切りを設けますのでお早めにご連絡ください。)

☆ご質問等ございましたら掲示板、またはメールで遠慮なくどうぞ

ただいま『紫苑』執筆中

No.3109

 『紫苑』執筆の為に、ここ1年の過去ログを流し読みしていました。
今年の活動で主立ったものだけ挙げても、全行程車で行った伊勢旅行、前代未聞の人数だった春の神護寺見学会(附三尾ツアー)、山田邦和先生率いる花園大学の学生さんとの合同見学会、高橋先生と兵藤先生を迎えての公開講座、猛暑に見舞われた小城旅行、盛況に終わった(らしい)『天養記』講読会、『吾妻鏡』講読会の二本化、岩田くんの古文書講読会・・等々。これに個々人の活動やなんかをプラスすると、今年もまあ色々とありました。振り返るにはまだ早いのですが、何とか自分が前に進んでいる事を確認したような気がします。今後も差し迫った所では、書評会に広政さん壮行会にゼミ旅行と、まだまだイベントは目白押しです(自分の事にはあえて触れませんが・・・)!一体、このゼミはどこまで走り続けるのでしょう?
 さて、1年前と比較して気になったのは、ここ最近ゼミメンバーの掲示板露出度が下がっている事でしょうか。というわけで、先駆けて「仕事の合間に一息つける癒しの空間」として使わせていただく事にして、現在書き込み中です☆仕事に戻る前に、ひとまず次につなげるべく、「山本さーん」「長村くーん」と呼んでおきたいと思います(笑)お二人さま以外にも、皆さまの消息をお待ちしております。

『紫苑』執筆お疲れさまです。

No.3110

 執筆お疲れさまです。上の書き込みをみると、改めて本当に盛況だなぁ・・・。と感嘆してしまいました。と、同時に今年は高校の非常勤で思うように時間がとれず、本当にスポット参戦やったなぁ・・・。と思っている次第であります。
 さて、その非常勤で行っている学校が今日、春のセンバツの代表校として選ばれました!!(初出場)近畿大会はベスト8で敗退(曖昧な記憶)でしたが、負けた相手が勝ち進んだので行けそうだということで期待が高まっていました。そして、今日正式な発表がありました。
 学校では報道陣控え室が設けられ、いつもテレビでしか見ない、もっともらしく置かれた電話を直接見る事ができました。(笑)家に帰ってテレビを見ると初出場ということで映像付きで取り上げられていました。見慣れた風景がテレビで映ると変な感じです。
 教えている生徒がいないのは少し残念ですが、応援しようと思います。ちょっといつもと違う一日の報告でした。

Re: ただいま『紫苑』執筆中

長村祥知
No.3111

こんにちは。ほんとに色々なことがあった一年でした。
思い起こせば、ゆっくりパソコン見ている余裕なかったですね。
そして今も目の前に、やりたいことがたくさん。
幸せな多忙です。

・・・しかし、どれほどのことが身についたものやら・・・

ただいま『紫苑』編集中

No.3113

>紫苑執筆中の皆様
 なにがなんでも明日までに校正を完了させてください。誤字などのないようにお願いします。私も心配になってきました・・・。紫苑の題字は2種類書いてみました。どちらになるのかは完成してからのお楽しみです。

 明日午後三時から編集会議です。お忘れなく・・・。

出没です

No.3114

最近出没頻度が極端に下がっている陰の管理人、永富です☆(笑)

田中さん、「紫苑」執筆おつかれさまです ( ^‐^)_且~~
院試などで多忙な中「紫苑」の執筆もこなされるバイタリティーはぜひ後輩としてみならいたいところです。

そうですね、あっというまの一年だった気がするのですが振り返ってみればいろいろな出来事がありましたね。でも年々ゼミのメンバーも増え、イベントも多様化、さらに充実した内容となってきているので、これからのさらなる発展が楽しみです。
しかしながら最近京女生率が低下しつつあるとの噂もございますので、後輩の皆様はぜひしっかりと勧誘活動を行ってくださいね(笑)あくまで「京都女子大学」を拠点にしたゼミですから・・・☆
私事になりますが、このゼミの成長とともに、私自身も随分と成長させていただいた気がします。
ここ最近履歴書やエントリーシートを書くにあたり、自分の大学生活を振り返ったり、また「自己分析」なるものをすることが多いのですが、やはりこのゼミの存在というのは大学生活の中で大きかったのだなと思います。
私はもともと歴史のこの分野が好き!というのがきっかけで史学科へ入ったのではなく、海外へ行った経験から逆説的に日本に興味を持ち、その上でそういった国内外の人々の文化交流に携わりたいという願いから歴史をはじめたので、このゼミでいろんなジャンルの最新の研究を幅広く、勉強させていただき、また人の前で話すという能力、また「紫苑」の編集やこのBBSの運営を通して情報発信のひとつの手法を自分なりに身に付けることができた事は今後、自分の夢を実現する上でどれもきっと役立つ経験だと思います。
こういったことはなかなか願っても誰もが経験できることではないので、本当に恵まれていたと感謝している次第です。
春から社会へ出ることになりますが、まだ未熟ではありますがここで学ばせていただいたことをいかしつつ、またこれからもさらにこのゼミで多くのことを吸収させていただきたいと思っておりますのでどうぞよろしくお願いいたします。

>最後になりましたが、ほかの「紫苑」執筆者の皆様、そして編集長の山岡さんももうひとふんばりですね☆陰ながら応援しております。

>門屋さん おめでとうございます♪甲子園出場ということは校内も活気で盛り上がりそうですね!!もしチケットとかあまってたらぜひ譲ってください(笑)

Re: ただいま『紫苑』執筆中

平田樹理
No.3115

 こんにちは、お久しぶりです。
神戸大は昨日後期のゼミが終わりました。
今日も外は雪が積もっていますが、大学周辺は「六甲おろし」が本当に身にしみます…。
研究室の中も寒いです(すきま風?)。

 掲示板を見つつ、一年の軌跡を振り返ると、本当に早かったなあと実感しました。
当ゼミでもたくさんの貴重な経験をさせていただきました。
今後の自分の糧にしていきたいと思います。

>「紫苑」執筆の皆様、編集長の山岡さん、お疲れ様です。
ついに最終段階ですね、あと少し頑張ってください。

六甲おろしはやっぱり寒い。

No.3119

 まだ今年度の活動を顧みるには、若干早い気がしますが、今年度は本当に時間の経つのが早かったです。去年五月にあった卒論報告会が昨日のように思えます。また田中さんのご指摘のように、昨年度に比べると掲示板への書き込みはめっきり減ってしまいました。
忙しさにかまけて、ついつい筆不精になりがちでしたが、自分の弱点である文章力向上のためにも、なるべく書き込みたいです。また今年度は、近場では神護寺・大通寺・観心寺・金剛寺、遠方では九州・島根など広範囲に渡って見学できました。ただし、映画はあんまり見られなかったのが、かなり残念ですが(まだ『ハウル』見てないです)。とまぁ、いろいろあって若干消化不良をおこしがちですが、「胃薬」飲みながらがんばりたいです。