毎回こんな話ですみません(^ ^;

笠 露子
No.3105

実は2月の連休に上洛することになったのですけれど、
12日夜もしくは13日昼に皆様とお会いできますでしょうか?
関西に足を運ぶのは今後難しくなると思いますので
(と言いつつ卒業後の上洛は今回何度目だろう(^_^;)
是非京都で皆様に再会したくカキコしている次第です。

皆様お忙しいとは存じますが、都合をつけてくださる方々
どうぞよろしくお願いいたしますm(_ _)m

お久しぶりです

No.3107

笠さんお久しぶりです
12日・13日にお会いするのは、私は予定があって、ちょっと難しそうです。
予定の合う方々に気持ちを託します!大寒波が来ていますが、笠さんが来られる
頃には寒さも少し緩んでいるといいですね。

あと、お菓子を送っていただいてありがとうございました。
遅くなってしまいましたが、今度の書評会の時に分配と合わせて
皆でいただきたいとおもいます。
そういうわけですので、参加される皆様お楽しみに☆

こんばんは

No.3108

おひさしぶりです♪
上洛されるのですね♪ d(⌒o⌒)b♪

実は前々からここで話題になっていた廣政さんの中国留学の壮行会をちょうど2月中旬に・・・と計画しておりましたので、この機に笠さんの上洛歓迎会と廣政さんの壮行会を兼ねて宴を催したいと思いついたのですがいかがでしょうか?
(野口君京都検定合格おめでとう会、院試壮行会も兼ねる・・・という説もありますが。。。(笑))

すでにさきほど数名のメンバーに根回し的に予定を伺ったところ、13日よりも12日のほうが都合のよい人が多かったので12日の夜を今のところ予定したいと考えております。
笠さんの承諾がいただければ追って詳細を決めていきたいと思っております。
勝手に計画を進めて申し訳ないのですが、何卒どうぞよろしくお願いいたします。m(__)m

いろいろとありがとうございます

笠 露子
No.3117

>田中さん
お会いできないとは残念です。
今後機会があれば是非再会いたしましょう。
それから、お菓子がもしも余ったら(余らないかな(^^;?)
この件に関しましては大変お手数をおかけしました
田中さんが食べちゃってください♪(笑)

>永富さん
お手数かけます。
どうぞよろしくm(_ _)m

卒論提出!!

No.3100

 いろいろな方に心配をかけていたような気がしますが、本日無事に提出を終えました。
 1月にはいってからも、影も形もなかった卒論ですが、終わってみるとそれなりの分厚さになっていて、満足感は結構ありますね☆
 今回は、まわりに合わせて、WORDの機能をフル活用して卒論を書いていったのですが、枚数が50を超えるにしたがって、プログラムの動きが遅くなっていって(目次とか図番の自動連番機能が悪さをしているようですが)、便利なのか不便なのかよくわからない、2日間を味わっていました。

 概要や付録資料の整理にとまどって、卒論の提出は延長戦にもつれ込みそうでしたが、10回表くらいに1点をいれて、なんとか放送時間内に試合終了したという感じでした。(9回裏じゃない所が重要です!!)

 2日間寝ていないので、まずはたっぷり寝ようかなと思っています!!

 『紫苑』第3号、とても期待していますよ!!!!!
 P.S.次のハードルは卒論発表会です(^^ゞ

祝着でございます

岩田慎平
No.3101

 鈴木くん、卒論提出お疲れさまでした。
 ちょうど週末でもありますし、まずはどうぞゆっくりお休みください。

卒論提出お疲れさまでした

No.3102

 鈴木くんのことなので、心配はしていませんでしたが、
根を詰めて卒論を書いた後ですから、まずはゆっくりお休み下さいませ。

お疲れ様でした

No.3103

卒論提出お疲れ様でした。とりあえず一段落ということで、ゆっくり休んでください。

Re: 卒論提出!!

笠 露子
No.3106

お疲れさまでしたm(_ _)m
卒論発表会はさておき、まずはゆっくりお休み下さい。

Re: 卒論提出!!

長村祥知
No.3112

お疲れ様でした。
10回に決まった試合のほうが記憶に残るので、終わり良ければ万事よし!!ですね。

Re: 卒論提出!!

平田樹理
No.3116

 鈴木君、本当にお疲れ様でした。
卒論発表会もひかえられていますが、十分休まれてから次の試合に臨んでくださいね。

業務連絡=『紫苑』のことなど。

No.3098

 >『紫苑』第三号の原稿を改稿中ならびに新規執筆中のメンバーの皆さん
 山岡編集長から連絡が届いたことと思いますが、2月2日に最終割付。翌3日の午前に印刷屋さんに入稿という段取りで進めています。このことを踏まえて、作業をお願い致します。小生、今年は図書館に走る余裕はありません。

 >山岡さん 
 原稿催促やら執筆やらタイトルの揮毫やら、大変だと思いますが、もうひと頑張りお願いします。
 昨年は永富編集長が獅子奮迅の活躍ぶりでした。

 >長村君
 上のようなことで山岡さんは何かと忙しいので、書評会の方は何卒宜しくお願い致します。司会はどうしましょう?
 なお、ほかに一件、学術的な用向きでお願いしたいことがあります。
 
 >山内さん 
 ゼミ旅行の準備、着実に進んでいるようで、ありがとうございます。

 >鈴木君
 たしか今日あたりが卒論提出日でしょうか?お疲れ様でした。

書評会のまちあわせ

No.3099

学外者の僕が言うのも変ですが・・・
2月3日に、初めて京都女子大学に来られる皆様。

12時40分に、女坂の下(東山七条をほんの少し上がった東側の坂の麓。智積院と妙法院の間)で待ち合わせして会場までお連れいたします。
女子大の下に男子学生が3・4人集まっているので、すぐわかるかと思います。

ながむらくんへ

No.3104

長村くん>書評会の件お返事遅れてしまいすみません。
やっぱり当日は面接が入ってしまいました。
でも11時から「法華クラブ」にて面接なので、たぶん途中からになるとは思いますが書評会、参加させていただきたいと思います。
よろしくお願いします。

お久しぶりです!

国方茉伊
No.3094

昨日の午後、L校舎の3階窓から田中さんに呼び止められ、久しぶりに研究室にお邪魔しました。
誰が呼んでるんだ?!ってビックリでしたよ田中さん。
もう少しで帰省なのですが、ちょこちょこ関西に遊びにくる予定なので、また皆さんにお会いしたいです。

國方さんへ。義経第三回。図書の配架。

No.3095

 おやっ?國方さん、昨日研究室に見えたのですか?
 帰省後も、ゼミのイベントをにらんで、しばしば御上洛下さい。こちらからも香川には行きたいですね。

 >元木先生 義経第3回で面白かったのは、新宮十郎が鞍馬に持参した「系図」でした。

 ☆ 故・須田春子先生寄贈図書である太田亮『姓氏家系大辞典』全三巻を研究室に配架しました。活用してください。

お久しぶりでした!

No.3096

国方さん、お久しぶりでした。多分、秋の女子コン以来ですよね。
電話をかけに廊下に出たら、窓から国方さんが見えたものですから・・・。
帰省された後では、笠さんからのお菓子を渡せませんし。
というわけで、3階から声をかけた次第です。目が良いのだけが取り柄です(笑)
国方さんが京都にいる間を狙って、女子追いコンでもしなければ☆

京都検定

野口洋平
No.3088

昨日合格通知が届きました。
目標の満点は実現できませんでしたが(大言壮語もいいとこですね)合格できたのでよかったです。
気のなるのは一緒の届いた合格証。これはいったい何かの役にたつのでしょうか?
お寺の拝観料割引制度でも作っていただければ非常にありがたいのですが・・・まず無理でしょうね。

京都の知識

岩田慎平
No.3090

 はじめに、URLばっかりの書き込みであることをお断りいたします。

 http://www.kyoto-np.co.jp/kyoto-kentei/index.html
 http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2005012500159&genre=I1&area=K10

 ↑「京都・観光文化検定試験(京都検定)」の記念すべき第一回目の合格者が発表になりました。三級の合格者は約四割、二級の合格者に至っては三割を割り込んでいるとのこと。難関だったんですね。

 野口くん、合格おめでとう。今度会うときはその合格証を見せびらかしてください。

 ついでに、同じ新聞にうちの近所の許波多(こはた)神社に関する記事が載っていたのでご紹介します。
 http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2005012500204&genre=J1&area=K20
 不勉強な僕は、許波多神社はずっと現在の場所にあると思っていたのですが、もともとはずいぶん山沿いの位置に鎮座ましましていたのですね。今年の初詣はこの許波多神社にお参りしました。
 許波多神社の現在地はこちら。↓
http://www.mapion.co.jp/c/f?grp=all&uc=1&scl=25000&el=135%2F48%2F08.825&pnf=1&size=500%2C500&nl=34%2F55%2F19.969

院試も合格!宇治・木幡歴史散歩の提案

No.3091

 また、欲張ったタイトルです。
 >野口君 しばらく潜伏されていたようですが、お元気そうで何よりです。本日、研究室に期せずして集まった田中さん・岩田君・長村君・山岡さんと、「野口君はどうしているのかな~」と心配していたところでしたので、グッドタイミングでした。京都検定は貴兄の場合、合格して当たり前。でも100点満点とはいかなかったようですね。まあ、将来は出題する側に回って活躍されることを楽しみにしています。その、関門は先ずは院試。当面は健康の管理です。
 京都検定の合格証は京都で観光関連の仕事に就く場合は、けっこう威力を発揮するのではないかと思います。それにしても、取っても無意味な資格が最近は多すぎますからね。あらゆるところ、中身のない形骸化したものだらけです。

 >岩田君 宇治市の史跡は平等院のあたりがメインに考えられがちですが、伏見区に接した木幡の辺りにも藤原道長ゆかりの浄妙寺跡や摂関家の墓所群である宇治陵、以仁王・源頼政の逃亡ルートといわれる頼政道、高野山金剛三昧院の長老になった真空の居た木幡観音院址など、いろいろ面白い史跡が点在しています。すこし暖かくなった3月の初め頃にでも、木幡・宇治の歴史散歩でもやりませんか?

宇治・木幡歴史散歩

岩田慎平
No.3097

 >野口先生 宇治・木幡歴史散歩、賛成です。僕らが住んでるこの数年のうちにも、ずいぶん地形は変わってしまいましたが、洛中との位置関係やら道の具合やら地形やらを意識しながら歩くのは楽しそうです。
 バス停に「頼政道」と名付けるのはおしゃれですね。最近このバス停から南に抜けるトンネルが開通しましたが、こういう間道(トンネル)があれば、南都へ逃れる源三位殿も喜んだでしょうか。あるいはあっさり追いつかれるので困るでしょうか。

上京物語

岩田慎平
No.3085

 表題を「じょうきょうものがたり」(シャ乱Qの名曲)ではなく、「かみぎょうものがたり」と読んでしまった人は、京都人。「中京」はどう読みますか?

 昨日、久しぶりに野口先生の研究室にお邪魔しました。先生、お忙しいところありがとうございます。
 その際に、上記のようなことが話題に登りました。だからどうだということもないのですが、来月末には東京へ行く予定ですから、この機会に自分たちが生活する京都と現代日本のいろんなものが集まる東京との違いを、何かしら実感できればと思います。〈野口先生の東京ガイド〉に期待しております。

 下で鈴木くんが挙げてくれた京都市内のバスのことですが、路線云々とは別につい最近もMBSの夕方のニュース「VOICE」でも取り上げられました。
 http://mbs.jp/voice/special/200501/0124_1.html
 僕も去年までは通学のため京都市バスを利用していましたが、この「次のバスにお乗り換えお願いします」のアナウンスには北大路バスターミナルでよく出くわしました。これ、本当にひどいと思います。新規参入が、こういったバス事情に一石を投じることになるのでしょうか。

東京ガイド募集。ついでにゼミ生も。

No.3086

 昨日は久しぶりに元気そうな岩田君が研究室に現れて、一安心いたしました。

 市バスの件。『台記』研究会の時など、京女から京大まで206系統の市バスを使いますが、これがなかなか来ない。観光シーズンは乗れても大混みの上、道路は渋滞。同志社に行く場合は、東大路から今出川通りに行く路線がない・・・等々、大学間の移動だけ考えても、京都のバス事情にはいろいろ問題がありますね。
 
 ところで、ゼミ旅行ですが、小生の東京案内は実に情報が30年も前のものばかりで心許なし。そこで、青学の貫ゼミの同窓生の皆様(もう50代)から、わずか2年間という薄命だった青学野口ゼミの出身のみなさん(もう40代?)。それに前任大学の野口ゼミ生だった諸姉(まだ20代)をはじめとする、首都圏在住の小生と「一所傍輩之好」(『吾妻鏡』治承四年十二月二十日条)の関係の方々に、ぜひ御協力を仰ぎたく、もし立候補頂ける場合はご連絡の程お願い申しあげる次第。

 ★ 今日は大学コンソーシアム京都「源平内乱期の京都」の最後の授業で、六波羅に関するお話を致しました。ご出席の諸姉兄でこの分野に関心を持たれた方は、どうぞ遠慮なく当ゼミにも御参加下さい。ご連絡をお待ちします。

Re: 上京物語

No.3087

そういえば、野口ゼミは東京出張でした。飲み会に飛び込もうかな……。

大歓迎です。そしてさらに東京ガイド募集

No.3092

 >石浜さん 2月3日もよろしく。書評会は関西で中世前期を専攻している若手の優秀な研究者が沢山参加してくれそうなので、たいへん楽しみです。将来のNHKブックスにおけるベストセラー執筆者がこの中から現れることは必定のようです。
 東京ゼミ旅行における「懇親会」にも是非に。
 
 なお、「東京案内」については、小生の高校時代の同窓生や高校教員時代に何かの縁で小生担任のクラスや授業を担当したクラスにいた方たち、さらには高校に於ける同僚にも「一所傍輩」の範囲を拡大して募集することに致します。

卒論の息抜き

No.3078

京女の学生の皆様に朗報みたいです!!

「大阪のバス会社、新規参入へ JR京都駅から京都女子大間」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050122-00000001-kyt-l26

京都駅八条口←→東山七条←→京都女子大学
の間で新たにバス路線が開通しそうです。

料金は220円。通学時間帯は1時間に10本という事ですが
卒論提出を終えた永富絵里子氏曰く『もっとはよしろやー(ー_ーメ)!!』

京女生の試練でもある「女坂」、京都駅から連なる京女生の行列はもうすぐ見納めとなりそうですよ!!

『紫苑』第3号は順調とのことで、期待大です☆

Re: 卒論の息抜き

岩田慎平
No.3080

 鈴木くん、卒論の作成おつかれさまです。
 教育大は来週から期末試験だったでしょうか。昔、パンキョウの〈西洋史学〉というさっぱりお手上げの科目の試験の後、屋上に積もった雪で雪だるまを作って遊んだことがあります。ひとりで作ってるところを、僕の指導教官が写真に撮ってくれました。

 このところ体調を崩されたり(その最たる例は他ならぬ僕なのですが)、元気がなかったりという方が多いと伺いました。みなさんどうぞお大事に。

 ところで、そもそも岩田が何故に入院していたのかということを書いていなかったと思うので、今となってはどうでもいい話なのですが、書いておきます。
 お医者さんから「入院しなさい」と言われたのは、病院の血液検査で肝臓の機能を示す数値が異常な値を示していたからでした。すなわち肝機能低下です。
 肝臓が悪くなると黄疸が出るので、病院でお会いした方はご存じのとおり、カレーパンマン(http://www.ntv.co.jp/anpanman/profile/currypan.html)のように黄色くなりました。
 酒もタバコも飲まないのにどうして肝機能が低下したかというと、これが結局最後までよくわからなかったのですが、どうも疲労やちょっとした風邪や、その風邪の症状を緩和させるために飲んだ市販の薬などが、様々に肝臓に負担をかけたのだろうというのが、主治医の先生の見立てです。それで六週間の入院のうち、四週間ほどはひたすら怠いという症状が続きました(体重は71→64kg)。

 ここからが本題なのですが、僕の場合は本格的に悪くなってからようやく病院に行ったため、入院する羽目に陥りました。ですからどうかみなさんは、「体調がちょっとヘンだ」と思ったら、まずは四の五の言わずに病院で診てもらうのがいいと思います。もちろん、そんな時間もなかなか作れない場合もあるでしょうが、適当に市販の薬を飲んだり、ぐずぐず迷ってとことん悪くなってから診てもらうよりは、早めの受診を強くおすすめします。血液検査などしてもらうと、いろんなことがわかりますよ。

 下にも書きましたが、2/3(木)の書評会にははりきって参加いたしますが、懇親会は自重して辞退いたします。

 >山岡さん・長村くん  書評会の手配、ありがとうございます。

 >山本さん  〈太平記〉の一回目、観ました。現在放送中の〈義経〉同様、これもみんなであーだこーだ言いながら観たいですね。

 >山内さん  春のゼミ旅行の事前学習等、そろそろ準備に入る頃でしょうか。僕もいつまでも病人のふりをしてるわけにはいかないので、事前学習の割り振りがあれば岩田にも振ってください。

京都駅-京都女子大学間バス路線開通

No.3081

 >鈴木君 朗報をありがとうございます。卒論執筆中なのに世事に疎くならず、立派です。大したことも書いていないのに、時に引き籠もって執筆に専念している「フリ」をしている小生など、反省しなければいけません。
 永富さんの怨嗟の声、ごもっともです。
 歩くにはすこし遠いし、バスは混んでいるし定時に来ない。そのうえ、観光シーズンは降りられない。・・・みたいな状態だったので、大変な朗報ですね。通学時間帯には一時間に10本も運行されるそうですから、これは助かる。でもほとんど女性専用バスみたいなことになって、オジサンは少し空いた市バスを待つのが賢明のようです。
 それにしても、もう少し早く報道されていたら京都女子大の受験生がどっと増えた可能性がありますね。京大にも三条京阪や出町柳あたりから直行便があるとよいのですが。
 でも、京女の先生の中には、体力の低下を防ぐために、一生懸命に京都駅から歩いて通っておられる方もいらっしゃいます。しかし、「女坂」はきつい!

 >岩田君 懇親会は無理をしない方がよいでしょう。私もこのところ、タバコとお酒には肺も胃腸も辟易気味で、辛いときがあります。
 でも、岩田君の復帰は、とてもお目出度いことなので、メンバーで勝手に祝わせてもらいますよ。

卒論ご苦労さまです

No.3082

ご無沙汰しておりました。
先日出願書類を提出し、あとは試験を待つばかりです。
そんなわけで、久しぶりに英語の勉強なんかもしております。
急遽お引き受けした『紫苑』の原稿も、早いうちに書いてしまわねば!
今のところは、どうやら無理をしても壊れない「頑丈」な(決して「丈夫」
ではないのですよ!!)体らしいので、色々頑張ります☆

>鈴木くん、毎日遅くまでお疲れ様です。
京女大へのバス・・・私が高校生の時にあって欲しかったものです!!
大学4回生で野口ゼミに参加するようになって、女坂のキツさが身に沁みる
ようになりました(ToT)

>岩田くん
 その後、お元気そうで何よりです。が、肝臓はしっかり治してくださいね。

ミクロとマクロ、此岸と彼岸の世界。

No.3084

 >田中さん 門屋君ともに、今年こそは・・・です。特に田中さんは歴史学への食い込みが、国文学の諸先生方から高く評価されておられるようですから、2月3日の書評会には是非御参加下さい。小生の報告はいざ知らず、佐伯君の方は建礼門院の理解にきっと役立つはずです。
 
  書評会と言えば・・・。

 >元木先生 ↓のNO.3083のお書き込みや15日の「福幸」でのお話の続きにもなりますが、『保元・平治の乱を読みなおす』は、冥界の藤原信頼さんが名誉回復をさぞかし喜んでおられることと思います。書評会では、この辺りのことを中心に取り上げようかと我田引水を目論んでおります。

 >ゼミメンバー諸姉兄  プレミオにカーナビを搭載しました。これで、道に迷うことなく目的地に到達できることになるでしょう。しかし、本日、拙宅から京大までのルートで実験走行したところ、山科から三条通を西進して蹴上で南禅寺方向に入った方が、疎水や平安神宮を楽しめるのに、東山三条の交差点を右折して東大路に入るルートを指示されました。所詮、機械とかマニュアルというのはこんなものです。
 カーナビ搭載と同じ日に、読書用の眼鏡を買いました。何とよく見えることでしょう。しかし、本から遠くの景色に目を転じるとボヤーの世界です。これも何かの教訓に使えそうな話です。
 何れにしても、知らない土地に行き、先賢の本をしっかり読み、早くNHKブックス・・・等々を仕上げるべく、努力精励したいと思います。

 ※ 21世紀になってから、東京に行くことを何の頓着もなく「上京」と言う京都人が増えてきたように思います。あえて評価は下さず、事実の提示のみ。

大学院進学の勧め・書評会・紫苑・ゼミ旅行

No.3073

 ちょっと欲張ったタイトルをつけてしまいました。

 ☆ まず大学院進学の件です。時期的にすこし手遅れなのですが、とても良いアドバイスを北海道大学の橋本努先生のHPで見つけました。すでに大学院に在籍している人や今のところ院進学を考えていない人も、一度御覧になるとよいと思います。研究ジャンルは異なりますが、十分に普遍性のある内容です。
 http://www.econ.hokudai.ac.jp/~hasimoto/index.htm
から入って、「大学院進学のすすめ」を開いてください。

 もう一つ、南山大学、浦上昌則先生の御意見も。
 http://www.ic.nanzan-u.ac.jp/~urakami/in.html

 ☆ 2月3日の書評会ですが、当日お誕生日の山田邦和先生も参加して下さるとのこと。京都都市論や考古学の側面からも御意見が頂けそうで、いよいよ楽しみです(ただし、自分が発表者であることを度外視した場合)。小宴の方は山田先生生誕四十数年の祝賀会も兼ねることになりましたので、幹事さん何卒よろしく。
 なお、龍谷大学大学院などで元木先生の御指導をいただいている方たちも、この機会に是非、京女へお運び下さい。
 書評会には、義経のことは知らないことはない前川佳代さんも出席してくださるとのことです。
 

 ☆ 『紫苑』第3号、編集の最終段階に入っています。今度の号から、印刷屋さんでの製版になり、いよいよ本格的な学術雑誌を目指します(まだ、道は遠いのですが)。

 ☆ ゼミ旅行、東京大学史料編纂所の見学は2月28日の午前になりました。編纂所の著名な先生方の御案内を頂けることになりました。日程の一部には、小生の前任大学でゼミに所属していた人も参加してくれるとのことで、これまた楽しみです。

 > 山田邦和先生
  懸念していたことが、現実のものとなりました。『史学雑誌』第113編第12号の文献目録(日本史Ⅵ)12頁を御覧下さい。そのうちに逆のケースもあり得ますね。

書評会および懇親会

No.3074

詳細は、>>>>No.054をご覧ください

出欠のご連絡をすでに頂いた皆様、どうもありがとうございます。

まだの方は、期限までに、書評会と、懇親会の、どちらも!、の出欠をお知らせくださいますようお願いいたします。

書評会後の懇親会

No.3075

 書評会後の懇親会のお知らせです。
↑上記の懇親会の場所は京阪七条近くの「まんぞうハーツ」を予定しています。
なお、出席の連絡先は長村さんです。よろしくお願いします。

紫苑編集は順調に進んでおりますが、先日風邪でダウンしてしまい、二日ほどストップしてしまいました・・・。体調管理には十分に気をつけたいと思います。

『史学雑誌』文献目録のミス

No.3076

文献目録は、こういうところが重要なのであって、
しっかりしてもらわんと困ります。
ほんとうに不勉強の極みである。
抗議を申し込まれたほうがいいと思います。

忍耐と寛容。

No.3077

 >長村君・山岡さん 書評会の幹事、御苦労様です。
 
 ☆ 書評会には岩田君も参加できそうだとのことです。懇親会は「岩田師範」の快気祝いも兼ねられますね。一石三鳥というわけです。

 ☆ 研究室に故・須田春子先生の蔵書を配架していますが、『史林』に続いて『史潮』も、だいぶ前のものながら並べられそうです。ゼミメンバーは御活用下さい。
 ただし、雑誌はすでに何冊か紛失された号もあるので、基本的に、その場で見るか、即、必要な部分をコピーに取るかにしてください。(にもかかわらず、例外的に貸し出したのに、返却されていないものもあり、いささかガッカリさせられています。)

 ☆ 『紫苑』第3号の編集は、山岡編集長が直接印刷屋さんと連絡を取るなどして頑張ってくれています。
 山本君の越前斉藤氏に関する力作、山内さんの近江佐々木氏に関する習作。そして、山岡さんの女院論に関する研究ノートや國方さんによるゼミ旅行のレポートなど、盛りだくさんです。
 おっと、田中さんにもこれまでのゼミを俯瞰するような立場からの新稿をお願いしてありましたね。
 小生も大河ドラマがらみで「義経の平泉下向」について短文を寄稿しました。
 いずれにしても、乞うご期待!

 > 美川先生 ミスは校正刷りでは見つからないのに、完成したものからは続々と・・・というのが相場ですので、寛容が肝要と心得ます。 

Re: 書評会後の懇親会

岩田慎平
No.3079

 回復基調の岩田です。2月3日(木)ははりきって参加いたします。
 しかしながら懇親会は…、辞退させていただきます。すいません。虚弱なのです。

楠・荒田町遺跡説明板記念式典と講演会

No.3071

 先にNO.3058で紹介させていただいた『古代文化』特輯「平家と福原」において、巻頭図版として掲載される、神戸大学附属病院敷地内の遺構(楠・荒田町遺跡の一部)の説明板設置を記念する式典と講演会が開かれます。

 1月28日(金)
  14:00~14:10 除幕式(立体駐車場に設置された説明板前)
  14:20~14:35 記念展示紹介(医学部共通棟1Fエントランスホール)
               中川渉氏(兵庫県教育委員会埋蔵文化財調査事務所主査)
  15:00~16:00 講演会「清盛と福原京」(神緑会館1F多目的ホール)
               高橋昌明氏(神戸大学文学部教授)  
 
 行かれる方は下記を御覧になって詳細をご確認下さい。
  http://www.kobe-u.ac.jp/info/event/e2005_01_28_01.htm

あれから10年

No.3066

 今日で阪神大震災から10年目となりました。震災の話は、いつまでも、そしてできるだけ多くの人々に語り継がなければなりません。なぜなら、いつか、どこかで必ず起こる次の大震災に備える必要があるからです。

 1995年1月17日、午前5時46分、私は兵庫県芦屋市翠ヶ丘町の自宅におりました。地震勃発時には熟睡していたため、事前の地鳴り、最初の縦揺れは覚えておりません。激しい横揺れで目が覚めましたが、立ち上がるのは無理、身を起こしたところに横の本棚の本が飛んできました。まるで、本のシャワーだ、と思ったことを覚えています。次の瞬間、自宅が倒壊してゆくのが分かりました。一階に家族がいるのに・・・

 地震が起こればまず暖房などを消し、頭に何かをかぶって、屋根からの落下物に気をつけて外に出る・・・。そんな事ができるような地震なら、死者が出たり、建物が倒壊したりはしません。本当の大地震では、まず身動きできないと思わないといけません。 
 また、阪神大震災では一瞬で多くの建物が倒壊し、尊い命が失われました。阪神間の大学生・大学院生がその犠牲となっております。関西の住宅は、近代以降地震の経験がなく、逆に台風対策を重視したため、屋根が重く相対的に柱が弱くなっておりました。これが被害を拡大したようです。京都の下宿、古い民家などはかなり危険な建物が多いのではないでしょうか。一刻も早く補強対策を検討してください。
 地震で棚のものが落ちるのは、震度5程度のこと。7になると、地面が10センチ以上左右に揺れるとの事で、ものは「飛んでくる」のです。故熱田先生の教え子で、神戸大の応援団員だった屈強な男子学生が、建物は無事だったのに飛んできたオーディオ製品の角で首に大怪我をしてなくなったという悲惨な例もあったそうです。置物などにも、十分気をつける必要があります。
 
 我が家は、一瞬で倒壊しましたが、奇跡的に両親は隙間にはまり、妹は自力で脱出して無事でした。両親は壊れた家に閉じ込められたのですが、幸い出勤前の時間でもあり、となりのマンションが無事だったことから、そこの居住者の工務店関係の男性が、短時間で救出してくれました。二重三重の幸運としか言いようがありワせん。怪我はしましたが、おかげで両親は助かりました。これがもっと遅い時間で、家に老人、女性、子供ばかりだったら・・・。想像を絶します。
 人々の協力は各地で見られました。しかし、辛うじて助かったものの、物資はなく、被災地に残って生きていられるのか、という恐怖が人を捕らえると、今度はわずかな物資をめぐる争いも起こりました。幸いなことに、近隣の大阪が無事で、すぐに救援物資が大量にもたらされたので、ひどいパニックが発生したり、騒動などには至らなかったようですが、かなり緊迫した状況もありました。
 当時、勤務していた西宮市夙川の大手前女子大学でも、避難してきた人々の間でもめごとが起こったり、大学側の対応が悪いとくってかかってくる人もおりました。しかし、この地域の地区長の婦人は大変しっかりした方で、見事に人々をまとめ、混乱を回避しておられました。もちろん、公的な支援が第一ではありますが、それが届くまでは、地域の協力、日ごろからの連係が第一だと痛感させられたことでした。
 負傷した両親を抱え、大学に避難しておりましたが、食料も十分ではなく、水もガスもない状況で、まず思ったことは生き延びられるのかということでした。被災から5日目、店が開き物が売られるようになりました。ようやく助かったと思えたのは、この時でした。水道が復旧したのは40日後、それまで毎日、近所の夙川で這い蹲ってポリタンクに水を汲んだことでした。
 
 震災直後の混乱の中、美川先生ご夫妻が自転車で救援に駆けつけてくださいました。孤立した被災者にとって、外部とのつながりを確認できたのは何よりもうれしいことでした。遠方の野口先生はじめ、多くの方々から、御激励を賜ったことも勇気付けられました。
 また、倒壊した家の家財道具は、もちろん自分で回収しなければなりません。公的救援など、いつになるか分かったものではありませんでした。何人かの方が交代で救援に見えて、家財道具、特に書籍の搬出を手伝ってくださったことも、本当に有難いことでした。こうしたご支援があってこそ、今のように研究が継続できたことと、心から感謝いたしております。この時に賜ったご恩を、生涯忘れることはございません。
 これから、被災者を救援に行かれる方も多いと思います。できるだけ多くの方々の力になって差し上げてください。ただ、その際に被災者を見下したり、軽んずるようなことのないように留意することが肝要です。「何だ、この程度の被害か」といった言葉、態度は絶対に慎むべきです。無論、もっとひどい被害を見たり聞いたりすれば、そういう思いも生まれるのですが、被害を受けていない人からそのようにいわれる筋合いはありません。また、見下されるくらい理不尽で、腹立たしいことはありません。
 
 震災で、九死に一生を得て、一番思ったこと。死に直面する恐怖の深さ、衝撃の大きさを思い知りました。報道でしか知らなかった災害の本当の姿がやっとわかるようになったのです。それは同時に、「戦争経験」を語り継ぐことの意味を何も理解していなかった自分に気づくことでもありました。
 経験することとしないことの落差。では、経験できない過去を対象とする歴史家は、この落差を認識し、克服できるのか。10年続いた、そして死ぬまで続くであろう自問自答です。

 同じような被害を受け、一瞬の差で生死を分けた現実が、死に直面した恐怖というトラウマをもたらしたことはいうまでもありません。それと同時に、なぜ生き残ったのか、生き残ってよかったのかという、辛く厳しい自問を強いることがあります。死んでいった人々の恐怖や苦痛、家族を失った人々の苦悩や悲しみを思わない時はありません。
 だから、死んでいった人たちのためにも、恥ずかしくない、悔いのない生き方をしなければならないという思いを、私は常に心に片隅に宿しております。

当時、僕は小学校6年生でした。

No.3067

 経験することとしないことの落差。との元木先生のお言葉はいろんな場所で感じる気がします。
 コメントや感想などを書くことは出来そうにないのですが、僕自身の当時の体験を忘れないうちに書いておこうと思います。(京都にいた人間にとっての体験です)
 京都では震度5(今の尺度だと5弱だったと思います)でした。地震発生時は母と妹が朝のジョギングから帰ってきたところで、寝ていた父と僕はたたき起こされました。(激しい横揺れの最中でした)
 震度5弱の地震では家の家具等は倒れることはありませんでした。やはり5と7とでは全く違うのですね。当時はまだ家が建て変わる前の古い家でしたので、本震の後の余震が一番怖かった記憶があります。つけていたテレビ画面のNHK大阪放送局のスタジオが大きく揺れだし、タイムラグのあと自分の家も揺れる。家が倒れるのではないかとヒヤヒヤしながら、床に手をつけて踏ん張っていました。
 
 当時、父は西宮の鳴尾浜に職場があり、当日も会社へ向おうとしました。もちろん全線ストップで京都駅まで車で行って、運休していることを確認して帰ってきました。職場の部下のほとんどが兵庫県下に住んでいるとのことで、当日は1日中電話で安否確認をしていました。
 小学生だった僕は、いつも通り学校へ通学しました。特に周りの友達は被害がなく「すごかったねぇ」という感想を言い合ってた状況でした。そして昼休みに職員室に行き初めてヘリコプターからのテレビ映像を見ました。ホントに「絶句」しました。

 父は、職場までの交通機関が確保できた時から、母が作った大量のおにぎりを持って、毎日職場に向かっていました。
 ある程度、現地の状況が収まった後、阪神電車に乗り、父に連れられて西宮の職場まで行きました。ブルーシートに包まれた家があったり、ビルの周りはビルの基礎を残してすべて液状化している状況でした。

 不適切な表現かもしれませんが「戦争ってこんな状況なのだろうか」とも思いました。
 僕自身は、阪神大震災は間接的な経験でしかありません。しかし、ビルが倒れたり町中が燃えている映像は、写真や白黒の映像ではなく衝撃的なものでした。小学校の職員室でリアルタイムのカラー映像でみた状況は、今でも思い出すことが出来ます。

 地震に関しては、被災地の周辺に住んでいた人間にとっては、ライフラインの確保や情報収集の大事さを学んだのだと思います。
 特に大きな災害の場合、同時多発的にさまざまな問題が発生し、どこで何の援助が必要かという情報や、安否情報なども錯綜していたように思います。
 4月から僕は情報の教員ですが、いざというときに必要な情報を受信したり発信する事ができるような、そういう事もきっちり押さえていきたいと、元木先生の書き込みを見て再確認しました。

あれから10年 当日のこと

No.3068

10年たちましたね。

 あの日のことは、ほとんど被害のなかった京都に住んでいた私も、きのうのように覚えています。私の住んでいた五条河原町では、非常に振幅が大きいがゆったりした揺れで、非常に不気味でした。ぜったいどこかで大地震があったんだという確信があり、すぐに東京の実家に電話で、家族の無事を伝えました。おそらく、少したつと電話が不通になると思ったからです。
 そして、テレビをつけると、各地の震度を出していたのですが、神戸あたりの「震度がない」。これは怖かったです。京都は震度5。私の経験した最大のものですが、そんなにひどかったかな、というのが印象。実際に、うちでは本の1冊も落ちていなかった。とにかく直後のテレビを見ていてもよくわからないので、とにかく職場に行くことにしました。当時の職場は、今と同じ、寝屋川市の摂南大学です。京都と大阪の間のかなり大阪寄りです。通勤に使っている京阪電車は、動いていたのです。ただし、すべて普通。しかもやたらに混雑していました。
 いつものように、香里園という駅から歩くと、いつもはほとんど車のいない裏道まで、車で溢れかえり、道という道が車で完全に詰まりきっていました。そして大学に着くと、ある先生が、息子の住んでいる神戸のマンションの向の建物が崩壊した、という話をしていました。そのとき、はじめて、とてつもないことがおこった、と感じたのです。

Re: あれから10年

No.3069

あの頃は元木先生とはまだ面識もありませんでした。お名前を存じ上げていただけ。震災当日のあの時刻、私は朝食を摂りながら、テレビで地震報道を見ていました。当時は刀剣保存協会に勤めていたので。その時の報道では、関西方面で大きな地震がありましたが、被害は小さい模様です。と言っていました。

 そのため、あまり気にも留めず、職場に着いてからも、午前中は地震のことは忘れていました。それが昼休みになって、大震災であることが分かったのです。情報の伝達なんて、こちらが意識しないとそんなものなのかと思いました。

 それからは、関西の友人・知人に電話を掛けまくりましたが、一向に通じませんでした。それから何日後に神戸の知人にやっと通じました。しかもその人にとって私の電話が一番最初の電話だったようで、物凄く喜ばれたのを覚えています。

 神戸の震災は他人事ではありません。じつは近藤家は神戸の出身で、親戚といっても、祖父の従兄弟とかその程度ですが、被災しています。

 震災十年後の今年、義経関係で神戸市の仕事を頼まれています。また、『源義経』の執筆で正月は神戸市の地図とにらめっこでした。パワーの全日本も去年・今年と神戸です。何か因縁を感じます。

Re: あれから10年 2日後

No.3070

元木先生の避難先にうかがった日。

たしか、阪急電車が西宮北口まで動き出した震災2日後、つまり1月19日だったと思います。我が家には、1歳11ヶ月の娘がいたので、彼女を隣家にあずけて、とにかく西宮界隈まで、夫婦で行くことにしました。

元木先生のご家族が、被害に遭われるも一応ご無事で、大学の寮に避難されているということは、震災当日の夜あたりか、翌日に間接的に耳にしておりました。寮の電話も聞いていたのですが、とにかく、域外からはほとんど電話が通じません。で、とにかく阪急の西宮北口まで行こうということになったのです。というのも、西宮北口近くに友人が数人住んでいて、そのうちの一人の家(マンション)の被害がほとんどなく、数人の家族がそこに避難していたのです。そこをベースキャンプにして、元木先生の避難先をめざそう、ということになったのです。

何をもっていけばいいのか、まったく見当もつかないので、ともかく四条河原町のドンクで日持ちのしそうなパンを仕入れて、阪急に乗りました。大阪の十三で、神戸線に乗換てもしばらくは窓外の風景はなにも変化なし。ところが、尼崎近くだったかな、その辺から突然、青シートのオンパレードになっていくのです。

西宮北口の友人宅は、じつに不思議なことに食べ物であふれていました。
今や大阪の有名店になってしまったポンテベッキオというイタリア料理店の山根大助というシエフが知り合いだったので、巨大なローストビーフなどが届けられていたりさえしていたのです。たしか「大ちゃん」とよばれていた山根シエフも、その場に来ていた気がします。つまり、交通のつながった西宮北口に、援助物資が過剰に滞留。その喜劇的に極端な例が、その家だったわけです。そこで、京都に帰っていれば、なんだたいしたことないじゃない、ということになっていたわけです。友人いわく、もう食べ物はいらない。

そこから、元木先生の避難先に電話をすると、予想通りつながり、たしか先生の母上が電話口に出られた(かけたのは家内)。元木先生は、まさに水を川まで汲みに行っておられたか、職場に行っておられたかで、お留守でした。ともかく、徒歩でもなんでも、夙川ちゥくの元木先生のところへ行くことにしました。自転車を友人の隣家の方が貸してくださったので、けっきょく自転車で行くことになりました。

そこから、国道を通っていったのですが、その光景は、まったくわが目を疑うものでした。車道は車だらけで、まったく動かず。歩道は、大阪方面に、まさに避難民といった人たちが、一様に肩を落として、数珠つながり。ここが日本とは。そこらじゅうで家が全壊し、ビルは傾き、もうむちゃくちゃ。しかもどんどん、被害はひどくなっていく。途中で、家内が全壊した家から、声が聞こえるというのです。まさか。しかし、あとで、ぞっとしました。そして、そこらじゅうに、だれだれ亡くなりました、だれだれ無事です、という立て札。そして、涙が出たのは、やはりおもちゃなどが供えてある光景です。なにがあったか、一目でわかりますよね。

元木先生にお会いした瞬間。私は思わず「よかったですね」と禁句を口走ってしまいました。元木先生のお顔がほんの一瞬歪んだのを、よく覚えています。あんな目に遭われて、「よかった」はずがありませよね。でも、私の言いたかったのは、つまり、生きていてほんとうによかったですね、という意味だったのです。そのことをすぐに理解された元木先生の表情がすぐにやわらかになりました。

ほんとうに失礼だったのですが、あの状況のなかで生きていた、というのは奇跡的。と思えたのです。しかもけがをされているとはいえ、ご家族4人がご健在であったのは、まったく奇跡だったのです。命さえあればなんとかなる。

そんな異様な日が、あの震災2日後でありました。

怖い夢

No.3083

 美川先生、書き込み有難うございました。リアルな書き込みで、あの日のことをありありと思い出しました。
 先生、そして奥様には感謝の言葉もありません。本当に有難うございました。あの時のこと、これからの防災対策、各地の地震のことなど、当時を思い起こしながら家族と色々話し合ったことでした。
 震災は、いつ、どこで起こるか、全くわかりません。あの時、無残な最期を遂げた、前途有為な方々のことを思うと、本当にいたたまれない気持ちです。地震は防ぐことができません。しかし、震災は軽減することができるはずです。どうか地震には、十分な備えをお願いいたします。
 震災の恐怖は骨身にしみました。しばらく、何回も地震の夢を見て、夜中に飛び起きました。今のNHKの朝ドラでは、地震に立ち向かう姉と、恐怖に戦く弟が描き分けられておりましたが(今はストーリーが大分展開しましたが)、あれは被災者の偽らざる両面だと思います。
 震災の前は、大学院に入ったつもりが、実は試験はこれからだったという夢を見ました。今の職場に移った後は、移ったつもりが実は非常勤だったという夢を見ました。
 悪夢といえば、「金縛り」の御経験はおありですか。半ば意識がある状態で、幻覚、幻聴に見舞われ、体が動かないように思える現象です。大体高校くらいの若いころに経験するもので、これを幽霊と思う方も多いようですが、実は体のバランスの悪い時に起こる、一種の自己催眠だそうです。
 高校のとき、外で子供の甲高い声が聞こえたと思った瞬間、毛むくじゃらの手がわきの下から現れ、首を絞められた(ように思えた)ことが有り、何度か同様の経験をしました。数年前、泊まったホテルで本当に久しぶりに金縛りにあいました。この時、金縛り状態で、ベッドの端に黒い服、長い黒髪の女が座っているのを目撃した(ように思えた)事がありました。実は、黒い台と黒いテレビがあったのですが。よほど体調が悪かったのでしょう。
 昨年、父を失い、葬儀等々で心身ともに追い詰められて、久しぶりにまた金縛りに会いました。今度は足の上に黒い塊が乗っているではありませんか。両手で私を引きずってゆくのです。よく見ると、パンチパーマに、黒いひげ。「元木君、こっちに来なさい」「た、た、た、棚橋さん、待ってくれー」と叫ぼうとしてもがくうちに目覚めました。
 目覚めて思うに、本当に当方をお呼びだったのは、飲み仲間兼助手役をお探しのA先生ではなかったかとかと・・・。親不孝な私は父が呼んでいるなんて、思いもしませんでした。いや、あるいはK君かも。いやいや、K君は当方などにお構いなく、藤原忠実の聞き取りに一生懸命になっていることでしょう。
 あちらに行っても、親しい人も増えたし、それに清盛や頼朝もいるわけだし、あちらに行くのも悪くはないかもしれません。
 でも、ある大先生いわく「あっちに行ったら偉い先生が一杯おいって、わしらは小僧扱いやないか。こっちにいたら威張れるが、向こうじゃそうは行かない。そんならしばらく行くのはやめとこ」。仰るとおりです。