昔は「平常服」も「たいらのつねふく」と脳内変換されるほどだったのですが・・・。

No.9964

 昨日、熊本学園大学の小川先生や若き碩学の坂口君から、いろいろ御教示を頂きましたが、今日も京都文博の長村君に、書かれているのに見つけられなかった記事の御教示を頂きました。『六代勝事記』の記事です。
 書いてあっても見つからないとは、もう情けないこと限りなし。昔は、史料を読むと記事の方から目に飛び込んできたものです。なのに・・・、もはや神通力は失せたか。

 本日は、本学に出講してくださっている中村武生先生にA地下で昼食をともにさせて頂きました。先生はここに入られたのは初めてとのこと。そういえば、私も現・長村夫人に連れて行って頂くまで、逡巡のあげく5年かかりましたっけ。

 ☆ 青山学院大学の佐伯真一先生と国立歴史民俗博物館の菱沼一憲先生の御連名で、新刊の延慶本注釈の会編『延慶本平家物語全注釈 第三末(巻七)』(汲古書院)を御恵送頂きました。
 両先生に、あつく御礼を申し上げます。
 

 注に挙げられているのに、見つけられない話。

No.9962

 目下、来週の研究会で報告するために、12世紀末の阿波の有力武士「田口成良」に関するレジュメを作成しています。その中で、 久安二年(1146)七月十一日「河人成俊等問注申詞記」(『愚昧記』裏文書,『平安遺文』2583)を取り上げたいのですが、ある論文に、これに触れた先行研究として戸田芳実「初期中世武士の職能と諸役」(『日本の社会史』4)が注に示されていました。書架を見たところ、あいにく『日本の社会史』のこの巻だけが見当たらないので、この論文が再録されている戸田先生の論文集『初期中世社会史の研究』で参照したところ、この文書に触れた記述は全く見つかりませんでした。
 また、老人呆けであることをおそれますが、もし戸田先生あるいは地元以外の研究者がこの文書に関説した論文を御存知の方がおられましたら、御教示いただければ幸いとするところです。

 当時の阿波一宮の比定とか、なかなか厄介で頭が混乱しております。そもそも、「田口成良」という呼称も問題があり、如何様に表記すべきか迷っております。しかし、どうして田口成良(重能)という名で一般に流布してしまったのでしょうか。
 それにしても、中世前期の西国武士団の研究は、一次史料が多くて(あくまでも、東国との比較において)、なかなか新鮮です。

 ☆ 高知大学の市村高男先生より、御高論「四国における中世城館と交通」収録の、橋口定志編『中世社会への視角』( 高志書院)を御恵送頂きました。
 市村先生に、あつく御礼を申し上げます。

【追記】 戸田先生の論文の件、Facebookに同じことを書いたら、すぐに熊本の小川先生から御教示をいただけて、解決致しました。こんなとき、Facebookというのは便利なのですね。
 小川先生には、本当に感謝あるのみです。

 なお、ほかにこの文書に関説した論文を御存知であったり、「田口成良」の表記についてのお考えをお持ちの方がおられましたら、よろしく御教示頂きたくお願い申し上げます。

【追々記】 坂口君から1892年~2005年の間に発表された 7件の関係論文を教えて頂きました。
      ありがとうございました。
      そういえば、坂口君の御高論が『史学雑誌』最新号の巻頭を飾っております。とても重厚な内容です。
編集:2013/05/21(Tue) 20:05

早退させていただきますが…-次回の『吾妻鏡』-

No.9963

 前回から、『吾妻鏡』頼家・実朝期の記事を抜粋して振り返りを行っております。史料を挙げながらいろいろな問題について意見交換していきますので、とくにこれといった予習もなくご参加いただけると思います。

 日時:2013年5月23日(木)午後3時頃~(予定)
 場所:京都女子大学L校舎 3階 共同研究室
 範囲:頼家・実朝期の振り返り

 5月も木曜の午後、23日・30日に開催予定です。

 23日は私(岩田)は都合により4:00過ぎには退場させていただきますが、ご了承ください。

 『吾妻鏡』講読会は基礎的な史料読解のニーズにも対応しておりますので、早くも夏の訪れを思わせる季節に何か新しいことを始めてみようという方は、まずは見学からでも、どうぞお気軽にご参加ください。京都女子大の方限定ではありませんよ。

 ♪ 向こう意気なら焼津の半次~

No.9961

 最近、京都テレビで「素浪人花山大吉」が放送されるようになりました。私が大学に入った頃に毎週土曜夜8時から放送されていた番組で、私はこれの大ファンでした。近衛十四郎演じる花山のダンナと、品川隆二の焼津の半次の掛け合いがとても楽しい。こういう軽妙なやりとりは今どき聴くことがなくなりました。

 ところで、Facebookなるものをはじめて20日ほどになります。ゼミのページでは、昔の写真をたくさん見ることが出来て便利で有り難いのですが、コミュニケーションの場としては、なかなか難しいところもあるようです。お会いしたこともない方と「友達」というのも、なんか気の引けるところがありますし、「いいね!」の応酬ばかりでは意に反する。書き込んだ内容を思うように修正できないし、人間関係の構築という面からも、少し面倒ですね。
 「やろうかな、と思いはするものの、何度も逡巡します」という、ある知人の意見は尤もだと思います。

 私もそうですが、突き詰めると、情報収集に便利であることから、仕事上・生活上の必要に迫られて使っているという人が多いのではないかと思います。若い人は、すでにこれが当たり前のコミュニケーション手段なのかも知れませんが。それにしても、これを始めたことで、40~50代の同業の方でも私とは相当に価値観が違うのだということを痛いほど認識させられました。これは厳しい現実を知ったと思っています。
 しかしまぁ、私の頑迷さに自ら呆れる日が来るかも知れません。

 明日は、降誕会で大学の授業はありません。

ああ、結婚!《速報》

No.9960

 つい先ほど、古参メンバーで何かとエピソードの多かった、あのケータイを必需品とするN君(私の猶子?)から、結婚が決まったというお報せを、ケータイから頂きました。

 あの「Y」を頭文字とする3人は、当分結婚など「しない」(ほかの表現もありますが)だろうと思っていたのですが、どうやら、うちお二人は私(24歳・未就職)を見習って頑張ってくれたようです。でも、彼らはちゃんと就職してからで、その点は常識人。
 
 思い起こせば、お饅頭(Facebookの伊豆旅行の写真参照)やら、おいてけぼりやら、彼も大変でした。

 とっても、とってもうれしそうな声で、こちらもうれしくなってしまいました。まずは、めでたし、目出度しです。

 式は今出川の母校のチャペルで挙げるとのこと。
 新婦さんに、お得意の京都案内をされるのでしょうか?
 
 さぁ、古参メンバーの諸姉兄、さっそくお祝いのメール、メッセージを送りましょう。

「忘却」の日々

No.9959

 このところ物忘れがひどくなり、あるはずの物が見つからなかったり、食堂で食券を買うとき、券売機で同じ金額の異なるメニューのボタンを押してしまったことに食べるべき物がで出て来た段階で気がつく、などということが多く、危ないばかりです。今朝も、頂いたばかりの本を探しています。耄碌した上に、自宅も研究室も本や書類で満杯になっているのが原因だと思います。

 昨日の「教養科目」の講義。琉球・沖縄の歴史をお話ししましたが、どうだったのでしょうか?最近、教壇からでは学生さんたちの反応が分かりにくくなってきたように思います。次回は、国家領域の問題から派生する形で、「ムクリ・コクリ」というテーマで、元寇のお話しをしようと思います。

 研究所ゼミの『吾妻鏡』講読会は、岩田君が資料を用意してくれた上に、適切な問題提起をして下さり、たいへん勉強になりました。昨日は、卒論で紀州の湯浅氏をとりあげている4回生も参加してくれましたが、これから6月にかけて、学部生がいろいろな実習に出かけてしまうのは少し残念。
 それから、山本さん、お土産、ありがとうございました。

 月末の週に講話と研究発表が重なっているので、いささか焦り気味です。研究発表の方は、阿波の田口成良に関する内容を考えていますが、研究成果の報告というより、見学記みたいな事になってしまいそうです。
 講話の方は悩むばかり。史学科の1回生が対象なのですが。

 宗教部の『芬陀利華』331号に「若者たち」という小文を書きました。Facebook(「宗教・文化研究所ゼミナール」)にも転載しておきましたので、学外の方も御笑覧下されば幸いです。

今週の「教養科目」は琉球・沖縄の歴史をとりあげます。

No.9956

 完全に老人化した証みたいな話ですが、このところ、A地下で流れている最近の若者向け音楽が騒音としか聞こえなくなりました。クラシックかなんかにしてくれないかなぁ。
 昔、はじめて鹿児島の長崎鼻に行ったら、スピーカーで歌謡曲が流されていて、せっかくの雄大な光景が台無しだと思ったことがありますが、まぁ、私のような人間の方が少数派なんでしょうね。

 昨日のラボール学園の日本史講座。みなさん熱心に聴いて下さいました。50人ほどの受講者ですが、私の親と同じ世代の方も数人おられました。私より若い方は9人しかおられなかったので、たくさん昔(といっても30~50年くらい前)と今を比較するお話が出来ました。この世代の方たちは、日本史に関する基礎的な教養と伝統的な日本文化の素養を身につけておられるので、ある部分、とても話が通じやすいのです。
 嬉しさいっぱいで、2時間にわたって、マイクなし立ちづめでお話しした結果、家にたどり着いたらグッタリの有様でした。いまも腰痛です。
 往復の「阪急電車」では、15分たっても何も奇跡は起きませんでしたが、「京阪電車」は新型車両ばかりで快適でした。

 救急車を呼ぶほどの深夜の急病人が、病院から受け入れを拒否されたという話は以前から聞いており、ゆゆしき時代になったと恐ろしく思っていたののですが、そうしたことが関東にいる身内に発生いたしました(幸い大事には至りませんでした)。
 いろいろ事情はあるのでしょうが、病院が病人を見捨てたら話にならないと思うのですが。

 老いゆく我が身、病院で体中に管をつけられて、連続する機械音とともに事切れるか。それとも、都会の雑踏の中、通りゆく人たちのシカトの中で苦しみ息絶えるか、どっちかな~、と想像してしまいます。

 ところで、本題ですが、明後日の「教養科目」では、前回お話しした空間的な浄穢構造との関わりから、中世日本の国家領域認識と、それに関連して琉球王国・沖縄の歴史について、お話ししたいと考えています。
編集:2013/05/14(Tue) 15:25

単なる音か音楽か-次回の『吾妻鏡』-

No.9957

>野口先生 私も“最近の若者向け音楽”を認識できなくなってきております。'70~'90頃の歌謡曲など流してくれたらいいのになぁと思うときもあります。が、そうするとついつい聴き入ってしまい、長居→客席の回転が悪くなる→売り上げに響く、のかもしれません…
 こちらが“最近の若者向け音楽”を単なる音としてしか認識できなくなっているように、こちらの発信している情報も、あちらでは単なる音としてしか認識されてないのかな…と危惧したくなることもありますね。

 阪急電車(とくに今津線)は奇跡に溢れているそうですが、私は9年ほどの間“奇跡的に”そういった奇跡には遭遇できませんでした。気付かなかっただけかもしれませんけどね。

 ところで、次回以降しばらくの間の『吾妻鏡』の時間は、これまで読んできた頼家・実朝期の振り返りをするとお伝えしました。振り返るべき記事を挙げてみるとなかなかたくさんありますので、けっこう時間がかかると思います。参加者のみなさん、ご了承ください。

 日時:2013年5月16日(木)午後3時頃~(予定)
 場所:京都女子大学L校舎 3階 共同研究室
 範囲:頼家・実朝期の振り返り

 5月も木曜の午後、16日・23日・30日に開催予定です。

 『吾妻鏡』講読会は基礎的な史料読解のニーズにも対応しておりますので、早くも夏の訪れを思わせる季節に何か新しいことを始めてみようという方は、まずは見学からでも、どうぞお気軽にご参加ください。京都女子大の方限定ではありませんよ。
編集:2013/05/14(Tue) 13:08

「BGMの考察」と『吾妻鏡』講読会へのお誘い。

No.9958

 な~るほど。あの音楽は老人撃退の効果を狙ったものたったのかも知れませんね。
 音楽の好みは、世代や価値観に反映されるものでしょうから、期待する客層に応じてBGMも使いようというわけですね。

 私が音楽を聴くのはもっぱら車の中ですが、いまだにアリスや竹内まりや・五輪真弓ばかり、それもテープで聴いています。いまどきカセットデッキを搭載した新車はないでしょうから、これからもプレミオ(2003年に購入)は大切に乗り続けていきたいと思います。
 それにしても、こうした音楽を聴いていると、高校教員時代に毎日走った千葉の国道16号や鹿児島経済大学在職中、毎週火曜日に往復した宮崎自動車道路の景色、そればかりか、そのときの心境まで思い出してしまうのですから、音楽の力は侮れません。

 さて、『吾妻鏡』の講読会ですが、頼家・実朝将軍期の振り返り。岩田君、よろしくお願い致します。
 年度もかわったばかりですし、この機会に、新しいメンバーにもぜひ加わって頂きたいところ。
 もちろん、京都女子大学の学生さんは大歓迎ですが、それ以外、所属する大学(大学院)・学部(研究科)・専攻などは問いません。
 中世前期の研究をしていきたい方はもとより、これから卒論を書くのに『吾妻鏡』など中世の史料に取り組まなければならないという方もどうぞ。
 ちなみに、史料講読会は史料ばかりを読んでいるだけではなく、雑談のメリットもあります。研究所主催の公開講座や地方自治体主催の歴史散歩などへの協力で大いにネットワークを広げる楽しみもあります。

 これまで、史料講読会に参加してくれたメンバー(院生も含む)の所属大学をざっとあげてみましょうか。
 同志社大学・立命館大学・関西学院大学・京都大学・神戸大学・京都精華大学・京都橘大学・奈良女子大学・同志社女子大学・京都府立大学・・・、このほか、忘れていたら、おゆるし下さい。

 これらの大学に在籍した当ゼミメンバーの後輩のみなさん、さらに、今まで参加者のなかった大学から先陣を切ろうという方の参加をお待ちしています。

明日の「基礎演習Ⅰ」とFacebookの友達リクエストについて

No.9955

 明日の基礎演習Ⅰは田渕さんの発表。
 テーマは『正義の味方アメリカ~アメリカから見る正義~』とのことです。
 アメリカの正義とは何か。戦後を振り返り、これからの日米関係について考えましょう。

 Facebookには、多くの方から友達申請を頂いており、有り難く存じます。ただ、やはり、まったく存じ上げない(面識の有無ということではありません)方と、ネット上とはいえ「友達」になるのは、いささ気が引けるところです。
 旧知の方は存外ですが、せめて、私のよく知るどなたかからの御推薦を頂きたく存じます。
 よろしく、御理解頂きたくお願い申し上げます。

 今日は夜間の講義をしてまいりました。すっかり疲れてしまいましたので、この辺で。

 非違を検する使(つかい)

No.9952

 月曜日に京都勤労者学園で「武士と検非違使」のお話をするので、そのための資料づくりをしています。しかし、検非違使の仕事というのは、武士の担当業務に相応しい軍事・警察のみならず、裁判から清掃・水防、国家・王権に対して秩序を乱す、あらゆる問題=「穢」の取り締まりを一手に引き受けていたわけですから、分業はされていたとはいえ大変だったと思います。
 現代社会で「秩序を乱すもの」といったら、すぐに思いつくのは環境破壊とかネット犯罪。平安時代に入ってから、社会の変化で律令制に基づく行政機関が機能不全を起こしたときに、令外官として検非違使が出現したのと同じように、今の社会もお役所の機構をどんどん変えていく必要があるのかも知れませんね。お役所だけではないか?
 しかし、歴史学上の「穢」の問題というのは、京都にいるとよく分かります。
  昔、ある民間の博物館に勤務していた頃、あまりの待遇の悪さにふと不満を漏らしたとき、国立大学に勤める某研究者から、「歴史を商売にしている者にとっては京都にいるだけでも給料月額5万円くらいの価値があるのだから、がんばりなさい」と、暖かいが変な励まし(?)をいただいたことを思い出しました(私は今、これを受け売りにして、使っています)。
 
 とすると、京都の大学で日本史を専攻している学生さんは、学費が安いと思わなければいけないという理屈になるのかな?「どうですか?」と滝沢さんにフる。

【追記】Facebookの方に、岩田君が伊豆旅行や学習院の兵藤先生のゼミのみなさんを法住寺殿跡に御案内したときなどの懐かしい写真を貼ってくれました。
    伊豆旅行では、山田先生御夫妻のお姿も!うな丼もあります。
編集:2013/05/11(Sat) 23:20

御指名をうけまして、

滝沢智世
No.9953

 野口先生、確かに京都は博物館・史跡が身近にたくさんあって訪れやすく、また地理的・風土的な感覚が理解しやすいので、京都で日本史を学ぶことができて本当によかったと思っています。
 地方から出てくる場合は交通費だけもかなりかかりますし、特に風土感覚は実際に住んでみないとわかりませんので。京都に来て4年目ですが、いまだに春の訪れの早さに驚かされています。

 ただ、自分が地の利を生かして月5万円分も他の地域の学生さんより学べているのかといわれるとその自信はないのですが・・・。

アンチ京都の人たち。

No.9954

 滝沢さん、回答ありがとうございます。
 どこにだって歴史はある。「京都」、「京都」と喧伝されるのは不愉快である。私も昔、そう思いました。
 「首都論?、どうせ京都の話でしょ、わかった、わかった」みたいな発言も、(とくに武士好きの人たちから)よく聞かされます。

 しかしですよ。良質な史料(文献のみならず遺跡・遺物・・・)が圧倒的な分量と密度でのこり、地名や伝統技術も継承されて、景観もほとんど昔と変わらない。考古学的な情況証拠と文字史料の突き合わせが可能、なんていうところは世界的にも稀有でしょう。
 だいたい、前近代の史料のほとんどは京都やその周辺にのこされているのですから、ただ史料を読む上でも、せめて平安京の街路の名前くらいは知っておかないとマズイ。

 京都で日本史を学ぶメリットをお金に換算するのはナンセンスかも知れません。ただ、この恵まれた環境を享受する意志如何にかかる。
 葵祭なんか下宿や寮から歩いて見に行けるでしょう。その後で、『小右記』から賀茂祭の記事を拾って読んでみる、なんて最高ではありませんか?
 
 ちなみに、高校生の時、修学旅行で京都に来たとき、三十三間堂に並ぶ観音様の数に圧倒されましたが、「朱雀」とか「醍醐」というのが、現行地名として日常の中に生きているのを知り、京都の高校生は日本史学習の上で、ちょっとズルイ立場にいるなと思いました。千葉の地名なんて、日本史の教科書にちっとも出てきませんから。「加曽利貝塚」くらいか?

 教壇上の孤独

No.9951

 昨日の「教養科目」。絵巻に描かれた葬地や汚物の話ばかりで、一番大事な「空間的浄穢構造」の説明が疎かになってしまいました。これは次週冒頭に補わなくてはならないと考えています。
 それにしても、所属する大学を問わず、古手の先生とお目にかかると異口同音に出るのは「最近、学生の層(質)が変わりましたね」というお話。まったくです。私も1980年代に大学教員をはじめて以来、ここ数年の学生さんたちの意識・価値観の変化には劇的なものを感じています。

 先ほど京都駅前の大きな本屋さんに行ってきたのですが、復刊の拙著『坂東武士団と鎌倉』は平積みにされており、元木先生の御新著『治承・寿永の内乱と平氏』と同じ程度に減っていました。Amazonを見ても、そこそこ売れているようで、出版社さんのお荷物にならないで済みそう?です。
 もっとも、「30年前に書いた本の方がいいじゃないか」などと現在の私の存在を脅かすようなコメントを寄せてこられる方もおられますのでオチオチしてはいられません。
 
 オチオチしていられないと言えば、最近BBSやブログをやめて、Facebookに乗り換えている方が多いようなので、ゼミの新旧メンバーや関係者のコミュニティみたいなものを作ったらどうかな?と思いついたところ、管理人さんがとっくの昔に作ってくれていました。特に旧ゼミメンバーの方、ぜひ参加して下さい。岩田君がゼミ旅行の時のなつかしい写真をたくさんupして下さいました。
「宗教・文化研究所ゼミナール」で検索すると出て来ます。

『紫苑』11号いただきました。

山本陽一郎
No.9948

 先日、『紫苑』11号が届きました。
 早速返事を書こうと思ったですが、遅れてしまいました。スイマセン。
 
 今年度から小学校から高校の方へ勤務先が変わりました。
 担当教科は、世界史です。授業準備をしていて、知らないことが分かったりして、それなりにに楽しんで仕事をしています。
 ただし、野口先生がご指摘のように、なぜ自国の歴史である日本史が選択科目であるのかが解しかねます。
 このような状況が続けば、いずれ過去に戦争があったことや原爆が落とされたことも、常識でなくなるかもしれませんね。ますます自国の歴史を軽視する、真摯に向き合わない国民が大量生産されていくでしょう。教育改革でいろいろな問題が議題に挙がっていますが、この日本史選択に関しても改革の俎上に上げて欲しいと思います(あと個人的には倫理と政経も大事だと思うんですが)。
 
 長々と現在の歴史教育に対する不満を書いてしまいましたが、未だにゼミメンバーとして認識していただき、また昨年度のアルバムの写真と今回の『紫苑』をお送りいただき本当にありがとうございました。   
編集:2013/05/08(Wed) 21:24

 やぁ、山本君、お久しぶりです。

No.9949

 山本君をはじめ、同志社のYを頭文字とする3人は、当ゼミの歴史を語るにおいて欠くべからざる存在です。
 おそらく、ゼミの歴史が叙述されるときには、かなりの曲筆が期待できるものと思われますよ(笑)。
 冗談はともかく、『吾妻鏡』講読会は山本君の創設ですし、昔、山本君が中心になって読んだ条文に遭遇したときなど、岩田君と当時のことを思い出して、二人で盛り上がったりしております。なにしろ、男の子だったら貴兄と全く同じ名前になっていたはずのメンバーも活躍しておられるくらいですから。

 昨日も、研究室に来られた鈴木君御夫妻と、貴兄たちとゼミ旅行に出かけた当時のことを懐かしんでおりました。そのうちまた、あの当時のメンバーを集めて修学旅行をやりたいものですね。
 実現の可能性はあるでしょうが、君たちが暇になった頃、残念ながら私はもういないでしょう。否、しぶとく頑張りましょうか。

 高校で世界史を担当されているとのこと。同志社大学の学部で西洋史を専攻し、神戸大学の大学院で日本中世史を専攻した貴兄には、福井県の高校歴史教育を牽引しうる実力があるはずですから、存分の御活躍を期待する次第です。自信を持って頑張ってください。

 また、ひょっこりと上洛して、研究室にお立ちより下さい。

源流はここにある-山本さんがはじめた『吾妻鏡』-

No.9950

 山本さん、お元気ですか。かわらずご活躍のこととお察しします。
 山本さんが種をまき、育ててくれた『吾妻鏡』の講読会も、今年で十年目となります。その間いろいろな方に参加していただき、僕も成長させていただきましたが、その源流は山本さんにあります。
 またお目にかかれることを期待したいと思います。映画のお話しでもしましょう。

 ところで、次回以降しばらくの間の『吾妻鏡』の時間は、これまで読んできた頼家・実朝期の振り返りをしたいと思います。史料は岩田がご用意します。

 日時:2013年5月16日(木)午後3時頃~(予定)
 場所:京都女子大学L校舎 3階 共同研究室
 範囲:頼家・実朝期の振り返り

 ※振り返りが終わった後の範囲は以下の通りです。
     承元四年(1210)正月一日、二月五日・十日・二十一日、三月十四日・二十二日、四月九日・十九日、五月六日・十一日・十四日・二十一日・二十五日、六月三日・十二日・十三日・二十日、七月八日・二十日、八月九日・十二日・十六日、九月十一日・十四日・三十日、十月十二日・十三日・十五日、十一月二十二日・二十三日・二十四日、十二月五日・二十一日の各条
     承元五年(建暦元年、1211)正月十日、閏正月九日、二月二十二日、三月十九日、四月二日・十三日・二十九日、五月四日・十日・十九日、六月七日・二十一日・二十六日、七月四日・十一日、九月十二日・十五日・二十二日、十月十三日・十九日・二十日・二十二日、十一月二日・三日・四日・二十日、十二月一日・十日・十七日・二十日・二十七日の各条

 5月も木曜の午後、16日・23日・30日に開催予定です。

 『吾妻鏡』講読会は基礎的な史料読解のニーズにも対応しておりますので、初夏を感じさせる季節に何か新しいことを始めてみようという方は、まずは見学からでも、どうぞお気軽にご参加ください。京都女子大の方限定ではありませんよ。