鎌倉の世界遺産不登録に思う
No.9938
このニュース、最近、『坂東武士団と鎌倉』という「鎌倉」の名をタイトルに付した本を出したはかりでもあり、些か忸怩たるものを感じざるを得ない。
しかし、世界遺産というのは、国際的とはいえ、主に西欧文化を享受する人たちの価値観で判断されるのだから、日本の文化遺産の場合、相当視覚に訴えるものがあったり、エキゾチックなものでなければ、なかなか理解して貰えないだろうことは、平泉の時にも感じたところである。
それに、私の居住地の近くの寺院は長く地域の人たちに守られ、その憩いの場であったのだが、世界遺産に登録されるや、じつにとっつきにくい場となってしまった。だから、私のような庶民には、世界遺産に登録されることのメリットというのがよく分からないし、その選択のモノサシも客観的だとは思えない。
たしかに、世界遺産に登録されることは日本文化の国際的理解ということで大きなメリットはあるだろう。しかし、私には、これは話が逆だと思うのである。だいたい、日本の歴史というのは国際的にどれだけ知られているのだろうか。ナポレオンを知っている日本人はたくさんいるが、源賴朝を知っているフランス人はどれだけいるのか。
賴朝や北条氏をよく知る外国人が増えれば、鎌倉の世界遺産認定は簡単だろうと思う。視覚に訴えるものを補う情報が必要なのである。日本人がローマやヴェネツィアに行って感動するのは、ただ古い遺跡や文化財があるからではなく、前提となる知識があるからである。「テルマエ・ロマエ」を面白がってみられるのも、大ざっぱながらもローマ史の知識を日本人が共有しているからに違いないからである。視覚や物という点から言えば、あの石の文化に対して、我が木と紙の文化は「残存」という一点だけでも抗すべくもないだろう。
そして、ここが肝腎なのだが、さらにいえば、日本人でも「源賴朝」をどれだけ知っているというのだろう。
英語が話せない者は大学に入れてやらないとか、外国人の教師に教養の日本史の講座を担当させるなどというのも、グローバリゼーションへの対応として良策なのかも知れないが、それ以前に日本人が日本の歴史や文化を学び、外国の人たちに日本の歴史や文化を知ってもらう、アピールする方が先決なのではないだろうか。
高校で日本史が必修科目になっていないという話をすると国内外を問わず驚かれる。
フジヤマ・ゲイシャガール・ハラキリも困るが、最近は外国人の日本文化認識はサブカルチャー一辺倒である。それこそ、国策で日本の歴史や文化を学んだり研究することを目的とする留学生を千人単位で受け入れることくらいできないものだろうかと思うのである。
しかし、世界遺産というのは、国際的とはいえ、主に西欧文化を享受する人たちの価値観で判断されるのだから、日本の文化遺産の場合、相当視覚に訴えるものがあったり、エキゾチックなものでなければ、なかなか理解して貰えないだろうことは、平泉の時にも感じたところである。
それに、私の居住地の近くの寺院は長く地域の人たちに守られ、その憩いの場であったのだが、世界遺産に登録されるや、じつにとっつきにくい場となってしまった。だから、私のような庶民には、世界遺産に登録されることのメリットというのがよく分からないし、その選択のモノサシも客観的だとは思えない。
たしかに、世界遺産に登録されることは日本文化の国際的理解ということで大きなメリットはあるだろう。しかし、私には、これは話が逆だと思うのである。だいたい、日本の歴史というのは国際的にどれだけ知られているのだろうか。ナポレオンを知っている日本人はたくさんいるが、源賴朝を知っているフランス人はどれだけいるのか。
賴朝や北条氏をよく知る外国人が増えれば、鎌倉の世界遺産認定は簡単だろうと思う。視覚に訴えるものを補う情報が必要なのである。日本人がローマやヴェネツィアに行って感動するのは、ただ古い遺跡や文化財があるからではなく、前提となる知識があるからである。「テルマエ・ロマエ」を面白がってみられるのも、大ざっぱながらもローマ史の知識を日本人が共有しているからに違いないからである。視覚や物という点から言えば、あの石の文化に対して、我が木と紙の文化は「残存」という一点だけでも抗すべくもないだろう。
そして、ここが肝腎なのだが、さらにいえば、日本人でも「源賴朝」をどれだけ知っているというのだろう。
英語が話せない者は大学に入れてやらないとか、外国人の教師に教養の日本史の講座を担当させるなどというのも、グローバリゼーションへの対応として良策なのかも知れないが、それ以前に日本人が日本の歴史や文化を学び、外国の人たちに日本の歴史や文化を知ってもらう、アピールする方が先決なのではないだろうか。
高校で日本史が必修科目になっていないという話をすると国内外を問わず驚かれる。
フジヤマ・ゲイシャガール・ハラキリも困るが、最近は外国人の日本文化認識はサブカルチャー一辺倒である。それこそ、国策で日本の歴史や文化を学んだり研究することを目的とする留学生を千人単位で受け入れることくらいできないものだろうかと思うのである。