瀧浪貞子先生の御新著『奈良朝の政変と道鏡』刊行

No.9861

 ☆ 本学文学部史学科の瀧浪貞子先生より、新刊の御高著『敗者の日本史2 奈良朝の政変と道鏡』(吉川弘文館)を御恵送頂きました。
 先生は本年3月で御定年の由。寂しい限りです。
 瀧浪先生に、あつく御礼を申し上げます。  

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 私こと、年度末の用務に追われながら複数の執筆・校正を同時進行しているためか、老化による呆けが顕在化して、いろいろミスが重なっております。すでに買った本をまた買ってしまったり、PCのクリックミスなど。後者の場合、たとえば、フェイスブックを開いている時などでは、どんな形で、どなたに御迷惑をおかけしているか分からないというケースも想定されて、いささか恐ろしい気も致します。
 すでに御迷惑をおかけしてしまった方がおられましたら、ここでお詫びを申し上げる次第です。(私の対社会的な感覚が、まさに前世紀の遺物と化しているというだけのことならよいのですが。)

防府で新たな抱負をいだく

No.9860

 仕事が山積しているというのに、年度予定に従い、山口県の防府市・山口市に調査に行ってきました。周防国衙と重源関係の史跡・寺院・資料館をレンタカーで回りました。防府はとても史跡の多いところ。重源が東大寺再建のための木材を切りだした佐波川流域(当時の状況がよく掴めりました)は風光明媚。かつての「よき時代」に戻った感がありました。もちろん、人も心優しく、阿弥陀寺や法光寺の御住職からは懇切なご案内をいただくことができました。また、思いもよらぬ人のつながりも。世間は狭いものです。そうそう、防府天満宮(松崎天神)社頭にあるお土産物屋さんの御主人もダジャレ連発で歓迎してくださいましたっけ。
 防府の外港にあたる三田尻は、幕末に京都妙法院から都落ちした三条実美以下七卿が上陸したところ。妙法院至近の大学に籍を置く私としては、例によって、何やら彼らにシンパシーを感じてしまったという次第です。
 しかし、日本中行った先でそう思うのですが、山口県は歴史を勉強するには大変よいところだと思います。
 調査の成果は、重源あるいは武士論関係の著作に反映させたいと考えております。

 本日、研究室に出てみたら暖房が故障。午前中は作動していたのに午後からはストップ。南側のラーニングセンターなどは暖かくて、まさしく別世界。共同研究室には暖房用の灯油ヒーターが運ばれてきましたが(当分修理されないということでしょうかね?)、木曜日の講読会はドアを開放しておけば、勉強には適温かもしれません。

 今月もあと数日を残すのみ。日暮れて道遠し。

『ああ 無情』 と 『とよとみ ひでよし』

No.9858

 本日は,老朽化したレーザープリンターの後継機を探しに街中に出かけ、一番安い機種を購入。予算内で何とかなりました。
 このところ、こんなことばかりしていて、本業は疎かになる一方です。しかし、無情にも時間は刻々と過ぎてゆく。ほんとうに、嗚呼無情。

 今日、ゼミで『レ・ミゼラブル』の話が出ました。私は少年時代に『ああ無情』や『三銃士』を読んだのですが、サッパリ筋がつかめませんでした。
 それに対して『とよとみひでよし』(偕成社版)はとても面白く、これが今の職業に繋がったことは間違いありません。岩波書店の『エミールと探偵たち』という本も父が買ってくれましたが、これもよく分からず。子ども向きにせよ、翻訳物は性に合わなかったようです。その後、英語も苦手。根っからの国粋主義者・・・というより、よく言えば単純明快、要するに複雑な話にはついて行けない性格なのでしょう。

 今日読んだ『吾妻鏡』に、上総国の姉前社が出てきました。元・千葉県立姉崎高校教諭の私としては黙っているわけには行かず、ホワイトボードに房総半島の地図を書いて、関東の社会・風俗などについて執拗に解説してしまいました。もっとも、30年以上前に仕入れた材料による話ばかり。若い頃に頭に入った情報は、不思議なほどによく出てくるものです。

 今日のゼミは、3回生と4回生各一名が帰省していて少し寂しかったのですが、再校ゲラを受け取りに満田さんが来て下さいました。ちなみに、帰省中のお二人の実家はいずれも雪深く、3メートルも積もっているところもあるのだそうです。
編集:2013/02/22(Fri) 00:03

あぁ 無題

No.9859

 『Les Misérables』はクロード・ルルーシュ監督・ジャン=ポール・ベルモンド主演作品の映画(1996年、フランス)で、『三銃士』はアニメ『ワンワン三銃士』(1981年、TBS系)でそれぞれすませてしまう(?)というインスタントな人生を送ってまいりました。どちらもすばらしい作品なんですけどね。原作をきちんと読んでいれば、そのすばらしさをもっと味わえたんだと思います。
 信長も秀吉も、龍馬も卑弥呼も、はじめは小学校の図書室の漫画から知識を得ました(そしてそれ以上に深まってはおりません)。

 次回の『吾妻鏡』のご案内です。

 日時:2013年2月28日(木)午後3時頃~(予定)
 場所:京都女子大学L校舎 3階 共同研究室
 範囲:建永二年(承元元年、1207)六月二十二日・二十四日・二十九日、七月十九日・二十三日、八月十五日・十七日、九月二十四日、十月二日、十一月十七日・十九日、十二月三日の各条
     承元二年(1208)正月十一日・十六日、二月十日、四月二十三日・二十五日・二十七日、閏四月二日・三日・二十五日・二十六日・二十七日、五月二十六日・二十九日、六月十六日、七月五日・十五日・十九日・二十日、八月二十日、九月三日、十月十日・二十一日、十一月一日・十四日、十二月十四日・十六日・十七日・十八日・二十日・二十六日の各条

 火曜日の『吾妻鏡』講読会は、参加者のみなさんの自主的な積極性によって支えられております。
 基礎的な史料読解のニーズにも対応しておりますので、春に向けて何か新しいことを始めてみようという方は、まずは見学からでも、どうぞお気軽にご参加ください。

 また、寒い日も続いておりますので、みなさまどうぞお大事にお過ごしください。私は今週末にしんどい思いを致しました。

ひどいぞNスペ「崩れ落ちる兵士」

美川圭
No.9856

2月はじめに放送されたNHKスペシャル「沢木耕太郎 推理ドキュメント 運命の一枚~戦場写真 最大の謎に挑む~」を録画しておいた。時間ができたので、やっと一昨日見ることができた。

 スペイン内戦において撮影されたとされるロバートキャパの有名な写真「崩れ落ちる兵士」が実はヤラセ写真であったことを、克明な現地取材であきらかにする。さらに、この写真にはもう一人の撮影者がいたことをCGを駆使して実証し、それがキャパの恋人で数ヶ月後に戦車に轢かれて早世するゲルダタローであることを推定する。つまり、この負い目がキャパをしてノルマンデーをはじめとする危険な前線に身をさらさせ、インドシナでの最期につながる。「愛の物語」である。その謎解きの鮮やかさに、すっかり感心してしまった。

 ところが、この番組がでたらめであるというブログを偶然みつけた。その論は大きく言って2つからなる。

 1つは、この写真がヤラセであることは、欧米のカメラマンのあいだでは、常識であること。それをカメラマン沢木がしらないはずがないという。つまり、パクリだという。そんなこと謎でも何でもないというのだ。

 もう1つは、1936年9月にフランスの雑誌に掲載されたもう1つの写真が存在するという。それは、ほぼ同じ場面を撮っている。有名な写真は、写真としてできがよかったので、採用されたというのである。番組では演出写真でありながら、たまたま兵士が倒れたというのは「偶然」という前提だが、実は倒れたのも「演技」だったということになる。撮影者が2人いたとしても、2人はその場面を協力して撮影したことになる。そして、反ファシズムの立場で世界に発信しようとした。こちらの方が重大で、番組であえて反証となる資料を隠蔽して、「愛の物語」にねじまげ、でっち上げたというのだ。

 このブログの意見、たいへん説得力がある。そして、歴史をやるものにとって、大きな教訓ともなる。あまり知らない分野については、その無知ゆえに、「常識」を知らないで、「新説」に騙されてしまう。また、有力な反証資料にきがつかない。そして、CGのような技術に幻惑されてしまうのである。「愛の物語」にも弱い。気をつけよう。


http://blog.goo.ne.jp/zaurus13/e/5b8cdef408ac2df624c6f23d567527aa
編集:2013/02/20(Wed) 13:18

すごいぞ、研究室PCの復活

No.9857

 この番組、私も録画して見ました。私は素直ではないので、見た段階から訝しさを感じておりました。この件については、石浜さんが早々にRTしておられましたね。
 
 研究室では、昨日、鈴木君御夫妻がPCの更新作業を行ってくださいました。人間もあんな風に蘇れたら・・・。鈴木君はまさに「神」でした。

 ラボール学園の日本史講座<古代・中世編>の募集が始まったようです。今年のテーマは「職をめぐる日本史」。開講日は 毎週月曜日、全14回で、開講時間は 午後6時30分~午後8時30分 。受講料 11,500円(資料代含む)とのことです。
 各回のテーマと講師は下記の通り
 ① 4月 1日 職業人としての渡来人
 井上 満郎(京都産業大学名誉教授・京都市歴史資料館館長)
 ② 4月 8日 遊女と女房
 辻 浩和(日本学術振興会特別研究員)
 ③ 4月15日 古代・中世の医師と宗教者
 上野 勝之(京都大学講師)
 ④ 4月22日 平安時代の流通業
 佐藤 泰弘(甲南大学教授)
 ⑤ 5月13日 検非違使と武士-平安時代の警察-
 野口 実(京都女子大学教授)
 ⑥ 5月20日 冷泉家の歌人たち
 美川 圭(立命館大学教授)
 ⑦ 5月27日 借上-鎌倉時代の金融業-
 伊藤 啓介(立命館大学講師)
 ⑧ 6月 3日 僧侶の「家」
 横内 裕人(文化庁文化財調査官)
 ⑨ 6月10日 室町期京都の職人と「町人」
 三枝 暁子(立命館大学准教授)
 ⑩ 6月17日 茶をめぐる人々
 橋本 素子(京都光華女子大学講師)
 ⑪ 6月24日 同朋衆―室町文化のプロデューサー―
 橋本 素子(同上)
 ⑫ 7月 1日 さまざまな芸能者
 野田 泰三(京都光華女子大学教授)
 ⑬ 7月 8日 出頭人―天下人の側近たち―
 尾下 成敏(京都橘大学准教授)
 ⑭ 7月22日 海商と倭寇―東シナ海交流を担う人々―
 中村 翼(日本学術振興会特別研究員)
 ※ 詳しくは⇒http://www.labor.or.jp/gakuen/kouza_school/school_2013haru.html#no6

 ☆ 神戸大学名誉教授髙橋昌明先生より、新刊の御高著『平家と六波羅幕府』(東京大学出版会)を御恵送頂きました。
 高橋先生に、あつく御礼を申し上げます。
 平家の「六波羅政権」を「幕府」と評価すべきかどうかは、さらに議論の余地があるように思います。

 ☆ 大阪大学大学院の芳澤元さんから、御高論「室町期禅宗の習俗化と武家社会」(『ヒストリア』235)を御恵送頂きました。
 芳澤さんに、あつく御礼を申し上げます。
 下総東北部に本拠を置いた東氏や国分氏といった千葉氏一族から、京都で活躍する禅宗僧が排出しているのは興味深いところです。そういえば、旧稿『鎌倉時代における下総千葉寺由縁の学僧たちの活動」(京都女子大学宗教・文化研究所『研究紀要』24)で紹介した、兼好法師と親しい関係にあった渡元僧道源も東氏一族の木内氏の出身でした。

 ☆ 神奈川県立金沢文庫の永井晋先生より、DVD『武家の都・鎌倉と金沢文庫』を御恵送頂きました。
 ゼミで視聴させて頂こうと思います。
 永井先生に、あつく御礼を申し上げます。

親鸞の見た東国の景色の中を歩いてきました

No.9854

 今日の京都は雨模様です。

 相変わらず、後になってから人違いに気がついて、ゾッとするやら申し訳ないやら・・・といった恥ずかしい耄碌を進行させながら棲息しております。

 先週末、茨城県笠間市の楞厳寺・西念寺(稲田御坊)、それに栃木県の下野国衙跡周辺や栃木県立博物館なとを見学してまいりました。宇都宮氏や笠間時朝、そして親鸞の研究を進める上でどうしても行っておかなければならないところを、急ぎ脚で回ったという次第です。笠間周辺は中世前期の東国における文化的先進地であることを、現場で確認することが出来ました。ここから筑波山麓に至る地域もまた同様でしょう。
 八田氏(小田氏)・宇都宮氏、そして常陸平氏の活躍の舞台となった背景や親鸞来住の理由について大いに納得するところがございました。

 年度末なので、ほかにもやらなければならない仕事が多いのですが、後回しになってしまっております。諸方に御迷惑をおかけしているのではないかと怖れております。

 ☆ 武蔵大学の高橋一樹先生より、新刊の御高著『東国武士団と鎌倉幕府』(吉川弘文館)を御恵送頂きました。新鮮な中世前期の東国史研究の成果が展開されています。
 巻末の参考文献欄には、当ゼミのメンバーだった(現役の方もおられます)若手研究者3名の論文があげられています。これは何にも増してうれしいことでした。
 高橋先生に、あつく御礼を申し上げます。

 ☆ 愛知学院大学の福島金治先生より、御高論「鎌倉中期の京・鎌倉における漢籍受容者群-『管見抄』と『鳩嶺集』のあいだ-」(『国立歴史民俗博物館研究報告』175)を御恵送頂きました。
 福島先生に、あつく御礼を申し上げます。 

 ☆ 東京文化財研究所の津田徹英先生より、御高論「佛光寺本『善信上人親鸞伝絵』の制作時期をめぐって」(『美術研究』408)を御恵送頂きました。
 津田先生に、あつく御礼を申し上げます。

 福島・津田両先生の御研究は、ダイレクトに当方の共同研究に活用させて頂ける内容で、有り難い限りです。

☆ 栃木県立博物館の江田郁夫先生より、御高論「足利尊氏の魅力」掲載の栃木県歴史文化研究会会報『歴文だより』86(特集 足利尊氏)を御恵送頂きました。
 江田先生に、あつく御礼を申し上げます。

届かないeメールに困っていたら 『研究紀要』第26号ができてきました。

No.9852

 最近、送信しても届かないeメールが多い。アドレスを確認しても誤っていない。受け手のPCのセキュリティーが厳しいためだろうか。結局、仕方が無いから速達葉書を送ることになったりする。一方で、フェイスブックなどというものが流行っている御時世だというのに困った話である。
 ということは、当方に送信されているはずのメールが届いていないと言うことも想定される。しかし、いかがわしい迷惑メールは増加の一途を辿るばかりである。「困る」の一言あるのみ。
           *-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*

 ところで、京都女子大学宗教・文化研究所『研究紀要』第26号が完成いたしました。今号から装幀を一新。『紫苑』と同様にスクールカラーの藤色が採用されました。
 目次から、日本中世史関係の論稿をあげると、

  「下野宇都宮氏の成立と、その平家政権下における存在形態」…野口実(p21~48)
  「鎌倉の顕密仏教と幕府」…平雅行(p81~106)
  「源実朝と京都-和歌を通して考える朝幕関係-」…坂井孝一(p107~118)

があります。あとの二つの論稿は、一昨年の公開講座の講演録要旨です。
 読んでみたいというゼミ関係の方や本学の学生さんは当方の研究室まで。
 追って、各大学の図書館や研究機関になどに発送されますので、お近くの図書館に配架されていない場合でも、その段階で、大学図書館などで文献複写の送付依頼が可能になります。
編集:2013/02/10(Sun) 11:13

二月も『吾妻鏡』

No.9853

 二月も半分以上過ぎてしまいました。はやいですね。
 次回の『吾妻鏡』のご案内です。

 日時:2013年2月21日(火)午後3時頃~(予定)
 場所:京都女子大学L校舎 3階 共同研究室
 範囲:建永二年(承元元年、1207)二月十一日・二十日、三月一日・三日・十日・二十日、六月二日・二十二日・二十四日・二十九日、七月十九日・二十三日、八月十五日・十七日、九月二十四日、十月二日、十一月十七日・十九日、十二月三日の各条
     承元二年(1208)正月十一日・十六日、二月十日、四月二十三日・二十五日・二十七日、閏四月二日・三日・二十五日・二十六日・二十七日、五月二十六日・二十九日、六月十六日、七月五日・十五日・十九日・二十日、八月二十日、九月三日、十月十日・二十一日、十一月一日・十四日、十二月十四日・十六日・十七日・十八日・二十日・二十六日の各条


 二月は毎週木曜日(21日、28日)に開催予定です。

 火曜日の『吾妻鏡』講読会は、参加者のみなさんの自主的な積極性によって支えられております。
 基礎的な史料読解のニーズにも対応しておりますので、春に向けて何か新しいことを始めてみようという方は、まずは見学からでも、どうぞお気軽にご参加ください。

京都女子大学写真部の学外展「テスト終わっ展」開催中

No.9849

 2月10日まで京都女子大学写真部の学外展「テスト終わっ展」が、ギャラリー「祇園小舎」(東山区四条通縄手東入る北側 tel 075-551-3848 京阪祇園四条駅から東に徒歩2分)において開催されているとのことです。時間は11時~18時(10日は17時まで)とのこと。
 写真部は当ゼミの主要メンバーが副部長をつとめておられます。四条に遊びに出かけるついでにでも、ちょっと脚をのばして覗いてやって下さい、とのことであります。
 写真部の皆さんは優等生ばかりだと思うので、「テスト、単位落とし展」の開催の予定はなさそうですね。

 本日、『紫苑』第11号の初校ゲラが出ました。巻頭論文を書いて頂いた満田さんもお見えになり、美味しいお土産を頂きました。
 校正の期間は一週間と短いですが、14日には印刷屋さんに渡せるように、執筆者の皆さん、宜しくお願い致します。

 本日のゼミは岩田君の報告の続き。東国国家論や鎌倉幕府の成立時期についての基礎的な勉強が出来たことと思います。雑談で長引きましたが、ときにはこういうお話もよいでしょう。

 ☆ 滋賀県立大学の京樂真帆子先生より、御高論「平安京都市社会と火災」の収録された三宅和朗編『環境の日本史2 古代の暮らしと祈り』(吉川弘文館)を御恵送頂きました。
 京樂先生にあつく御礼を申し上げます。 
編集:2013/02/08(Fri) 23:01

『紫苑』も進行中-次回の『吾妻鏡』-

No.9850

 先週と今週は拙い報告を聴いていただきましたが、また次回からは『吾妻鏡』を読んでいきましょう。

 日時:2013年2月14日(火)午後3時頃~(予定)
 場所:京都女子大学L校舎 3階 共同研究室
 範囲:元久三年(建永元年、1206)六月十六日・二十一日、七月一日・三日、十月二十日・二十四日、十一月十八日・二十日、十二月二十三日
     建永二年(承元元年、1207)二月十一日・二十日、三月一日・三日・十日・二十日、六月二日・二十二日・二十四日・二十九日、七月十九日・二十三日、八月十五日・十七日、九月二十四日、十月二日、十一月十七日・十九日、十二月三日の各条

 二月は毎週木曜日(14日、21日、28日)に開催予定です。

 火曜日の『吾妻鏡』講読会は、参加者のみなさんの自主的な積極性によって支えられております。
 基礎的な史料読解のニーズにも対応しておりますので、春に向けて何か新しいことを始めてみようという方は、まずは見学からでも、どうぞお気軽にご参加ください。

トンブクトゥ古文書救出作戦

山田邦和
No.9847

野口先生、私の誕生日を気にかけていただき、ありがとうございます。

最近のニュースで、感動した話をひとつ。

アフリカのマリ共和国が内戦状態であり、先日、フランスが軍事介入したことはご存じの通りと思います。その過程で、歴史地区が世界遺産に指定されているトンブクトゥが争奪の的となりました。トンブクトゥはサハラ砂漠の貿易中継地として13世紀以降に栄え、イスラーム研究の中心都市でもありました。そこには12世紀からの貴重な古文書の大群が残っており、国立研究所のほか、60以上の私立施設が古文書を守ってきたといいます。しかし、今回の内戦でこの古文書群が失われたというニュースが世界を駆け巡りました。

ところが、続報で、この古文書群の大半が、実は救い出されていたことが判明したのです。それも、反政府武装勢力が町を占領する直前に、古文書を砂漠に埋めて隠したといいます。
「ここの人々は大昔のことを覚えている。古文書を隠すのには慣れている。砂漠に出て、安全になるまで埋めておくんだ」。

さらに驚いたこと。国立研究所の所員たちは武装勢力が侵攻してきた時、いったんは首都バマコに逃げ出しました。しかし、彼らは改めて、約1200キロ離れたトンブクトゥに密かに潜入し、武装勢力の目をくぐり抜けながら、深夜などに研究所から徐々に文書を回収したというのです。さらに、古文書は砂漠を行き来する交易商人の助けを借り、文書の箱の上に粉ミルクや米の袋など実際の商品を載せてカムフラージュし、首都バマコの安全地帯まで運んだ。最終的には、研究所が所蔵する古文書約45,000点のうち約20,000点は武装勢力の放火で失われたものの、約25,000点が救出されたというのです。もちろんこれは命がけです。もしこうした行動を武装勢力に見つかったら、否応無しにその場で射殺されていたはずです。彼らは命を張って古文書救出にあたったのです。

これだけでも感動的なのですが、私がもっとも心打たれたのは、トンブクトゥのひとりの観光ガイドさんが語った言葉です。
「これらの古文書は、この町の本当の黄金だ。
「古文書、私たちのモスク、私たちの歴史、これらは私たちの宝なのだ。
「それがなければ、トンブクトゥなど何ものでもない。」

これ以上、何もいうことはありません。この高貴な人々に、一刻も早い安寧の日が来るのを祈っています。

【出典】http://mainichi.jp/feature/nationalgeo/archive/2013/01/30/ngeo20130130003.html
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130202-00000013-mai-m_est
http://mainichi.jp/select/news/20130202k0000m030189000c.html

歴史を伝えゆく人々に幸いあれ!

No.9848

 山田先生、よいお話をありがとうございました。

 われわれが研究に活用している、この京都にのこされている文献史料も、応仁の乱など幾多の戦乱をくぐり抜けてきたもので、その過程で多くの先人たちの命懸けの努力があったのだろうと思います。
 ないがしろには出来ません。当然のことながら、後世にしっかりと伝えていかなければならないものと存じます。
 人々が歴史を顧みることを怠るようになってしまった、今日のような時代に、私たちの責任は重大だと思います。

 ところで、山田先生にとって、今年の誕生日はさぞかし感慨深いものがあったことと思います。
 しかし、古代学協会時代、あの少年のように初々しかった山田さんが、もう50代半ばとは。こうして、時は過ぎ去っていくのでしょう。
 しかし来年は、四捨五入すると、山田さんと私は同年代ということになりますね。

 大安の立春

No.9845

 少し遅くなってしまいましたが、山田邦和先生、お誕生日おめでとうございます。

 本日の京都は小雨模様です。
 後期通常の授業期間はとっくに終わっているにもかかわらず、昼休みのA地下食堂は思いの外、学生さんでいっぱいでした。ランチのコーナーに近寄れないので、カツ丼350円也。
 目下、さまざまな事務処理と原稿の執筆、校正が錯綜して混乱しております。

 車の12ヶ月点検で、タイヤやバッテリーを交換したために、懐具合があやしくなってきました。緊縮財政を心懸けたいと思います。

 今月のゼミの予定は、トップページで御確認下さい。

 >鈴木君 お時間が取れるときに、研究室のPCの件、よろしくお願い致します。
編集:2013/02/04(Mon) 17:14

「体罰」・「丸刈り」で旧著を思い出しました。

No.9846

 体罰や丸刈り強制の根源を歴史的に考える上で「武士論」はおおいに参考になると思います。

 私が『武家の棟梁の条件』(中公新書)で「武士罪障論」を展開した背景には、千葉県における新設公立高校教員として経験したこと、そして、鹿児島での義務教育就学期の子どもを持つ親としての体験がありました。

 本の内容については、いろいろな立場の方たちから、たくさん御批判をいただきました。
 生活環境の変化や歳をとったせいでしょうか、今はだいぶ考え方が変わったところもあります。

 今の私には書けない、かなりエキセントリックなことを述べてしまったようなところもありますが、関心のある方はぜひ読んでみて下さい。

 「へんじゃ」はつらいよ。

No.9844

 瀬戸内寂聴さんが、今朝の京都新聞「天眼」の欄に、「老齢力」と題するエッセイを書かれている。その中で、史上最高齢で芥川賞を受賞した黒田夏子氏について、「私はこの人が小説家になろうと決めて以来、生活の都合のいい職業をすべて拒否して、ひたすら書く時間の得られるアルバイトだけをしてきたという姿勢にいたく感動した」と述べておられる。
 これは、小説家に限らず、何か専門的なことに人生の目的を求めようとする人には共通の姿勢だと思う。
 私の周りにいる優秀な若い歴史学徒の諸姉兄も、まさにそれである。だから、逆説的に言うと、世に権力を持つ識者方は、こういう人たちの中にこそ人材を求めるべきであると思う。

 話は変わるが、本の編者は辛い。
 まず、執筆者の選択。優れた将来性を見込んでお願いしたつもりが、本人はすでにモチベーションを失っていたりする。一方、依頼しなかった人の中からは恨み言がきこえる時もある。
 意欲満々で、素晴らしい原稿をお送り下さる方がいる一方、予期せぬ様々な事情で執筆の遅延に追い込まれる方も現れる。こういう方の原稿は待ってあげたいが、しかし、若手の研究者の著作は将来にかかわることもあるから、早々に刊行しなければ申し訳ない。それに、場合によっては出版社の営業上の事情も考慮しなければならない。
 本の編者は責任が重く、辛い。
 しかし、こんなことを公言する編者はいない。私は愚かな変者なのであろう。