学問研究・教育の最後の砦

No.9799

 昨日で、今年のゼミの通常活動は全て終了しました。史料講読では、3回生はだいぶ読めるようになって来たと思います。
 昔、一語一語たどたどしく読んでいた人が、今や院生となって学部生を指導しているのを見ると、時の流れとか、文化の継承、さらには歴史そのもの、そんな途方もないことまで考えが及んでしまいます。
 
 『紫苑』11号の原稿も提出されました。特別な事情でしばし提出を猶予されている方は、是非、年内の完成を目指してください。なによりも、編集長さんに負担のかからないように、宜しくお願いいたします。

 昨日は研究発表会でしたが、やはりやってよかったと思います。どのくらいの理解で勉強を進めているのか、よく分かりました。普段の話だけでは分かりませんね。ちゃんと、報告してもらってよかったと思います。いろいろ問題点があぶり出されました。これにどう対応してくれるのか、そこが評価の分かれ目です。
 なお、藪本君には、お仕事の帰りにお立ちより下さって、貴重なコメント・アドバイスを頂き、ほんとうに感謝です。ありがとうございました。

 ところで、今朝の京都新聞に次のような記事がありました。
   http://www.kyoto-np.co.jp/education/article/20121219000016
  関連する情報も紹介させて頂きます。
       http://forliberty.s501.xrea.com/

 日本史の研究・教育にも極めて重い影響を及ぼす事態。注視すべき大問題だと考えます。
編集:2012/12/19(Wed) 14:17

行く『吾妻鏡』、来る『吾妻鏡』

No.9800

 研究発表会でご報告頂いた滝沢さん、池嶋さん、おつかれさまでした。
 年内の『吾妻鏡』の時間は終了しました。次回は2013年です。

 日時:2013年1月8日(火)午後3時頃~(予定)
 場所:京都女子大学L校舎 3階 共同研究室
 範囲:元久二年(1205)十一月十五日・二十日、十二月二日・二十四日の各条
     元久三年(建永元年、1206)正月十二日・二十七日、二月四日・二十日・二十二日、三月十二日・十三日、五月六日、六月十六日・二十一日、七月一日・三日、十月二十日・二十四日、十一月十八日・二十日、十二月二十三日の各条

 2013年1月は、8日・15日・22日に開催予定です。

 火曜日の『吾妻鏡』講読会は、参加者のみなさんの自主的な積極性によって支えられております。
 基礎的な史料読解のニーズにも対応しておりますので、新年から何か新しいことを始めてみようという方は、まずは見学からでも、どうぞお気軽にご参加ください。

 『紫苑』に私怨を抱くことなかれ!

No.9795

 選挙に行ってきました。ちなみに、これまでに私の投じた票はほとんど死票と化しています。今回は、積極的に投じたい候補者がいないので、相対評価の投票でした。当地では市長と市議会議員の補欠選挙も同時に行われたので、投票葉書が2枚必要なのに1枚しか持っていかず、その場で再発行して貰いました。
 マスコミの方が待ち構えていて、出口調査を申し込まれましたが、お断り。 昔はこんな事はやっていませんでした。そもそも、開票以前に当落が判明なんていうのは宜しからざる事である、と私は思うのです。

 年賀葉書の受付も始まったようですね。年賀葉書はアドレス帳の更新の意味もありますから、お互いに出しておいた方が宜しい。E・メールアドレスは数年もすると連絡機能を失います。私には何十年も会っていないけれども、何十年も年賀状を取り交わしている人が何十人もいます。年賀状は止めない方が良いと思います。

 明日の『玉葉』ですが、いつも予習のために使っている時間に来客があるために、私の準備が不十分になるかも知れません。その分、出席者諸姉にしっかりと予習をしてきて頂きたいと思います。
 ちなみに、明後日のゼミは研究発表会ですが、学期末なので、学校にお勤めで普段おいでになれない方も参加して下さるようです。

 それから、18日は『紫苑』の原稿の締切日であることを再確認!
 (なお、『紫苑』は『紫怨』ではありません。よみは「しおん」であり「しえん」ではありません。)

 ☆ 早稲田大学の海老澤衷先生より、早稲田大学文学学術院第4回東アジア人文学フォーラム『危機と再生-グローバリズム・災害・伝統文化-』の資料冊子を御恵送頂きました。
 現代社会学部の学生さんのお役に立ちそうです。
 海老澤先生に、あつく御礼を申し上げます。
編集:2012/12/16(Sun) 16:48

無題

滝沢智世
No.9797

18日に研究報告をさせていただきます京女史学科三回の滝沢です。
二つ下の記事にも書きこませて頂きましたがわかりづらいようなので再投稿させていただきます。

報告タイトル:守護代長尾氏の越後支配の展開と中央の権威
参考文献
・羽下徳彦「越後に於る永正―天文年間の戦乱――後上杉政権成立前史――」『上杉氏の研究』戦国大名論集9 吉川弘文館 1948年
・矢田俊文『上杉謙信―政虎一世中忘失すべからず候―』ミネルヴァ書房 2005年

以上のタイトル、参考文献で報告を行います。よろしくお願いします。

無題

No.9798

池嶋です。18日の発表に使用した参考文献は以下の通りです。

発表テーマ『日蓮の信者、富木常忍』
〈参考文献〉
大野達之助『人物叢書新装版 日蓮』(第一版1959年・新装版一版1986年:吉川弘文館)
佐々木馨編『日本の名僧⑫法華の行者日蓮』(2004年:吉川弘文館)
佐藤弘夫『日蓮―われ日本の柱とならむ―』(2003年:ミネルヴァ書房)
高木 豊『日蓮とその門弟』(1965年:弘文堂)
中尾 尭『日蓮』(2001年:吉川弘文館)
中尾 尭『日蓮宗の成立と展開』(1974年:吉川弘文館)
立正大学日蓮教学研究所編『日蓮教団全史 上』(1965年:平楽寺書店)
石井進『石井進著作集 第七巻 中世史料論の現在』(2005年:岩波書店)
川添昭二「千葉氏と日蓮宗の関係(上)」(『日本歴史第106号』1957年:吉川弘文館)
川添昭二「千葉氏と日蓮宗の関係(下)」(『日本歴史第107号』1957年:吉川弘文館)
高橋貫道「日蓮上人と檀越―富木氏を中心として―」
(『日蓮教学研究所紀要35号』2008年:立正大学日蓮教学研究所)
『日蓮宗事典』(1982年:東京堂出版)
『日本仏教史辞典』(1999年:吉川弘文館)
『日本史大事典』(初版1993年・四版1997年:平凡社)

以上です。よろしくお願いします。

 恩師からの課題

No.9794

 >池嶋さん・滝沢さん
 18日の研究発表について、岩田君からの御指示(>>No.9793)への対応を宜しくお願い致します。

 この秋、耄碌を省みずに各地を動き回ったので、疲れがたまっていたらしく、このところの寒さがこたえます。
 若くても体調を崩されている方が多いようなので、体調管理にはくれぐれもお気を付け下さい。

 最近、鎌倉時代の京都に関する研究の欠落を痛切に実感することがあったが、昨日、或る人から、「鎌倉時代の京都を研究しなさい」と貫先生が仰っていたことを鮮明に思い出させていただいた。
 そういえば、私が秀郷流藤原氏の研究に手を染めたのも、先生のちょっとしたアドバイスからであった。あのころ、先生は豊田武編『図説日本の歴史5 貴族と武士』(集英社、1974年)に収録された「武士の登場と源平二氏の動き」を執筆されていたのだと思う。
 先生から与えられた課題はやり甲斐がある。

 来年度のシラバスのこと、そろそろ考えなくてはならない時期になりました。思い切って一新したい科目もありますが、如何なものか?

 「シラバス」で思い出しましたが、『史学雑誌』の最新号(121-11)にコラムとして掲載されている服部良久「歴史教員の悩み-学士課程の教育と研究-」は同感するところ頻り。史学専攻の学生さんもぜひ読んでみて下さい。

☆ 熊本学園大学の小川弘和先生より、御高論「院政期の肥前社会と荘園制」(『熊本史学』95・96)を御恵送頂きました。
 これまで、未解明な部分の多かった平家の肥前支配について論じた貴重な研究です。
 小川先生に、あつく御礼を申し上げます。

 師走なれど、老いて走れず

No.9792

 まずは御連絡。
 明日(13日)はお昼にオフィスアワーを設定していましたが、都合により休止させて頂きます。悪しからず。

  本日は奥州から来られて在京活動中の若い研究者の歓迎会に参加させて頂きました。場所は祇園四条のロシアレストラン。ボルシチがうまかったし、ロシアの方と思われるウェイトレスさんは日本の礼儀作法をしっかり身につけた気配りのきく方でした。
 それにしても今夜は寒い。京阪六地蔵の駅前で長い時間バスを待ったのがこたえました。

 ☆ 駒澤大学の高橋秀栄先生より、御高論「『沙石集』の生蓮入道と舎利信仰」(『駒澤大学佛教学論集』43)を御恵送頂きました。 
 高橋先生に、あつく御礼を申し上げます。

 ☆ 駒場中学・高等学校の田中大喜先生より、御編著『下野足利氏』(シリーズ中世関東武士の研究9、戎光祥出版)を御恵送頂きました。
 田中先生に、あつく御礼を申し上げます。
 ちなみに、いまだに矢田義清(足利義康の子)の本拠(名字)地を下野国内に比定する見解が一般的なようですが、これは佐々木紀一先生の指摘されるように、丹波国矢田郷とすべきだと思います。
 当時の東国武士を東国の枠の中だけで考えるのは誤りです。
編集:2012/12/12(Wed) 23:42

年末、ジャンボな準備会

No.9793

 前回もご案内しましたが、来週(18日)は『吾妻鏡』の講読はお休みで、池嶋さんと滝沢さんに研究報告をしていただきます。
 時間はいつもどおり午後3時頃から、L校舎3階の共同研究室で開催予定です。
 池嶋さん、滝沢さん、よろしくお願いします。〈参考文献〉のご指定などありましたら、こちらの掲示板に随時書き込みをお願いします。

 2013年1月は、8日・15日・22日に開催予定です。
 次回以降の『吾妻鏡』の範囲は以下の通りです。

 範囲:元久二年(1205)十一月十五日・二十日、十二月二日・二十四日の各条
     元久三年(建永元年、1206)正月十二日・二十七日、二月四日・二十日・二十二日、三月十二日・十三日、五月六日、六月十六日・二十一日、七月一日・三日、十月二十日・二十四日、十一月十八日・二十日、十二月二十三日の各条

 火曜日の『吾妻鏡』講読会は、参加者のみなさんの自主的な積極性によって支えられております。
 基礎的な史料読解のニーズにも対応しておりますので、新年度から何か新しいことを始めてみようという方は、まずは見学からでも、どうぞお気軽にご参加ください。

無題

滝沢智世
No.9796

18日に研究報告をさせていただきます京女史学科三回の滝沢です。

報告タイトル:守護代長尾氏の越後支配の展開と中央の権威
参考文献
・羽下徳彦「越後に於る永正―天文年間の戦乱――後上杉政権成立前史――」『上杉氏の研究』戦国大名論集9 吉川弘文館 1948年
・矢田俊文『上杉謙信―政虎一世中忘失すべからず候―』ミネルヴァ書房 2005年

以上のタイトル、参考文献で報告を行います。よろしくお願いします。

 浜辺をさまよう

No.9791

 先週、神奈川県立歴史博物館の特別展に、私の恩師である貫達人先生が鎌倉で集めた青磁片が展示してあることを書きましたが、そのことについて青山学院大学史学科史学会の機関誌である『史友』第3号(1971年)に先生御自身による「浜辺をさまよう」と題するエッセーが収載されています。
 「この秋は日課のように海岸に行った。朝の浜は静である。体操やゴルフの練習をしている人、釣人、海苔の業者などが数人見える。雨の日などは人一人見えぬ。浜に出て何をしたのか?汀までいって、足下を見ながらさまようのである。なぜ?ホラ、そこに青磁のかけらが濡れているじゃありませんか。」と書き出され、鎌倉の海岸に青磁片のあることを知った背景や、和賀江島にたいする当時の研究状況、神奈川県立博物館(現、歴史博物館)で三上次男先生の指導を得て宋磁片出土の分布図を作るに際し、青磁片を寄贈したこと、作家竹山道雄氏宅に糸底のついた青磁のかけらが置いてあったことなどを紹介しながら、「青磁片には不思議な魅力がある。眺めていてあきない。これが七百年も前のものかとおもうほどみづみづしいかけらもある」などと青磁の魅力を語り、「もう海岸に行きたくてたまらない」「青磁をひろう楽しみは、きのこ狩に似ている」と言われるのである。
 そして、最後に「日曜の午後、天気がよいと、海岸はかなりの人出である。家族連れもあるが、たいがいは若いアベックである。こちらが目をそむけたくなるような組もあるが、まあそれはよいとして、あの人たちはキタナイ格好をした人品イヤシカラヌおやじさんが、下を向いてさまよい、時々腰をかがめて何か拾っているのを見て、どう思っているかなと思う。もっともアベックは二人だけの世界に閉じこもっている様だから、これはこちらのおもいすごしかな。」と貫先生らしい締めくくり方をされている。
 さて、当時若いアベックの側の世代でありながら、その「地位」を得ることの出来なかった私は、先生のようにもいかないで、いまや「キタナイ格好をした人品イヤシイおやじさん」になってしまいました。
 ちなみに、このエッセーの掲載された『史友』第3号の編集担当は史学会の委員であった私で(学部2年生)、御多分に漏れず非力をもって苦労しておりました。東洋史の宇津木章先生とともに、貫先生は私の依頼(口には出さぬ懇願?)に応じて執筆してくださったのだと思います。当時の先生方は、まったく学者そのものでありましたが、「教育、教育」などと急かされなくても、ちゃんと教育をして下さっていたのだと、最近しみじみと思います。
 あれが本当の大学における教育だったのでしょう。

 我が意を得たり!

No.9789

 いよいよ師走。今月のゼミですが、18日の『吾妻鏡』講読会の時間に池嶋さんと滝沢さん(ともに史学科3回生)の研究発表が行われることになりました。報告内容は池嶋さんが「鎌倉時代の千葉氏被官冨木常忍」、滝沢さんが「戦国期の上杉氏」をテーマにしたものになるようです。先輩のアドバイス、お友達の参加を歓迎致します。

 それから、18日は『紫苑』第11号の原稿締め切り日です。お忘れなきように。

 昨日のゼミでうれしかったこと。
 その1は、山本さんの積極的な行動。私がこの掲示板に神奈川県立歴史博物館に行くことをお勧めした前日には、すでに鎌倉国宝館をはじめとする三館の見学に出かけ、夜行バスで横浜に行き、早朝から一日で回られた由。若いうちは、こうでないといけません。
 どうやら、美川先生と山本さんと私は、同じ頃に鎌倉を歩き回っていたようですね。誰が一番先に着いたのでしょうか?承久の乱の時の京都からの使者の話が思い起こされます。
 山本さんからは、宍道湖のシジミ饅頭のお土産も頂きました。有り難うございました。

 その2は、久しぶりにゼミの見学に訪れた学生さんがおられたこと。以前から関心を持っていた由。こういう人は多くおられるのだと思いますが、それを行動に移すかどうかが人生の分かれ目になります。

 また、昨日は、先般の「もちもちぃんウォーク」を主催された伏見区醍醐支所の担当者お二人が研究室にお出で下さいました。「栢ノ杜遺跡」に関する坂口君の発見の公表を待望されておられました(一般の方に史跡のイメージを具体化して頂く上で大きな効果が期待できます!)。
 それにしても、今年のイベントでは、重源のことなど、私自身も大変勉強になりました。これからも、地域の歴史の啓蒙に協力させて頂きたいと思っています。なお、御助力頂いた佐伯君・岩田君、それに山本さん・滝沢さんをはじめとするゼミメンバー諸姉に御礼を申し上げます。
 そのうち、栢ノ杜遺跡の復習を兼ねて兵庫県小野市の浄土寺を見に行きましょう。 
編集:2012/12/05(Wed) 20:03

『紫苑』の準備会ですね

No.9790

 18日は研究発表ということになりましたので、講読自体は次回が実質的に年内最後ですね。

 日時:2012年12月11日(火)午後3時頃~(予定)
 場所:京都女子大学L校舎 3階 共同研究室
 範囲:元久二年(1205)九月二日・二十日、十月十日・十三日、十一月三日・四日・十五日・二十日、十二月二日・二十四日の各条
     元久三年(建永元年、1206)正月十二日・二十七日、二月四日・二十日・二十二日、三月十二日・十三日、五月六日、六月十六日・二十一日、七月一日・三日、十月二十日・二十四日、十一月十八日・二十日、十二月二十三日の各条

 12月は11日、18日に開催予定です。18日は池嶋さんと滝沢さんのご報告です。

 火曜日の『吾妻鏡』講読会は、参加者のみなさんの自主的な積極性によって支えられております。
 基礎的な史料読解のニーズにも対応しておりますので、新年度から何か新しいことを始めてみようという方は、まずは見学からでも、どうぞお気軽にご参加ください。

  清文堂出版『中世の人物 京・鎌倉の時代』第二巻の構成

No.9787

 明日のゼミ史料講読会は『玉葉』の治承四年六月二十二日条からでしたね。

 ところで、『中世の人物 京・鎌倉の時代』第二巻 『治承~文治の内乱と鎌倉幕府の成立』(野口実編)の構成案がまとまりましたのでお知らせ致します。※ 執筆者の敬称は略させて頂きました。

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 治承~文治の内乱と鎌倉幕府の成立…野口 実

Ⅰ 列島を覆う戦雲
   1 以仁王と源頼政 ~摂津源氏一門の宿命~ … 生駒孝臣
   2 甲斐源氏~東国に成立した もう一つの「政権」~ … 西川広平
   3 木曽義仲~安堵の下文を中心に … 長村祥知
   4 源義経と範頼~平氏追討の戦い~… 宮田敬三
   5 平宗盛~悲運の武家の棟梁~… 田中大喜
   6 平氏の新旧家人たち… 西村 隆
   7 藤原秀衡 … 三好俊文
コラム1 乳母と乳母子~頼朝と義仲~ … 糟屋優美子
        
 Ⅱ  鎌倉幕府の成立と東国武士
   1 源頼朝~天下草創の光と影~ … 元木泰雄
  2 大庭景親~石橋山合戦の平家方大将~ … 森 幸夫
   3 千葉常胤~列島を転戦した清盛・西行と同い歳の東国武士~ … 野口 実
   4 和田義盛と梶原景時~鎌倉幕府侍所成立の立役者たち… 滑川敦子
   5 北条時政と牧の方~豆駿の豪傑、源頼朝からの自立~ … 落合義明
   6 源頼家 ~「暗君」像の打破~ … 藤本頼人
 コラム2 九州の武士たち~原田種直・菊池隆直・緒方惟栄~…清水 亮

 Ⅲ 内乱期の女院・貴族と僧たち
    1 八条院 … 高松百香  
   2 藤原兼実~右大臣から内覧へ … 高橋秀樹
   3 源通親~権力者に仕え続けた男の虚像~ … 佐伯智広 
    4 法然・貞慶と明恵~仏教改革の群像~… 平 雅行
  5 重源~王法仏法の興隆をめざして~… 久野修義
  6 栄西~日本禅宗の原型~… 中尾良信
 コラム3   流人頼朝の側近たち~挙兵に加わった文官・神官~ …下村周太郎

    索引
    ********************************* 

 【3日追記】
  今朝の京都は霧がかかり、東山トンネルの山科側は霧の中に沈む紅葉で常ならぬ景色でした。

 ☆ 先般の横浜市立歴史博物館における講演の際にお目にかかることのできた甲冑製作者の豊田勝彦さんから、板橋区郷土資料館特別展「当世具足-大名とその家臣団の備え-」の展示図録などを御恵送頂きました。
 豊田さんに、あつく御礼を申し上げます。

 ☆ 千葉県史編纂のお仕事を御一緒させて頂いたことのある岡野浩二先生より、御高論「児島修験の再検討」(『吉備地方文化研究』22)を御恵送頂きました。
 岡野先生に、あつく御礼を申し上げます。

 ☆ 茨城県立古河第一高等学校の内山俊身先生より、御高論「『将門記』に見える古代東国の物流と陸奥-平将門の東国独立国家構想の背景について-」収載の古河歴史シンポジウム実行委員会編『古河の歴史を歩く 古代中世に学ぶ』(高志書院)を御恵送頂きました。
 内山先生に、あつく御礼を申し上げます。

 ◎ 美川先生のお書き込み(↓>>No.9788「鎌倉文学館の源実朝」)、お読みのがしのなきように。  

「博士」と「がくしゃセンセイ」&推奨「神奈川県立歴史博物館」

No.9786

 来春、当ゼミのメンバーから二人目の博士が生まれることになる見通しが用意された模様。長年の努力の結実を期待しています。
 昔、古代学協会にいた頃、角田文衞先生が、研究員で博士号を持っている人に対しては○○博士と呼んでおられたことを思い出しました。先生は若い頃、イタリアで研究生活を送られていたので、当たり前のこととして実行されていたのでしょうが、研究員の間では定着を見ませんでした。しかし、あれは一つの見識というものです。日本においては「学位」が正当に評価されていないことは疑うべくもないことです。その一方で、蔑称のように「がくしゃセンセイ」などと曰われる方もおられます。
 
 ところで、先ほど関東より帰洛致しました。今回は行き帰りともに車窓から富士山を見ることが出来ました。鎌倉は観光の人がたくさん。鶴岡八幡宮では結婚式も。銀杏の落ち葉で埋め尽くされた称名寺の庭園は美しく・・・。よく歩きました。

 しかし、一番よかったのは神奈川県立歴史博物館の特別展示。鎌倉時代の政治史を研究している人は必見。ただし、明日までらしい。首都圏在住の方で見ていない人は頑張って行ってみてください。これは素晴らしい展示でした。当方のゼミ生にも見て欲しかった。
 個人的にうれしかったのは、恩師貫達人先生が鎌倉の海岸で集められた青磁片や、大学4年の夏休みに鎌倉国宝館で博物館実習を行った際にお世話になった安田三郎さん(1950年から1980年まで国宝館に勤務されていた由)に関する展示があったこと。安田さんのことはすっかり忘れていましたが、当時(1972年)鎌倉の景観保存について心を尽くされていたことを思い出しました。
 あの頃の国宝館のことと言えば、まだお若く、美術工芸史家として将来を嘱望されていた灰野昭郎さんが思い出されますが、その灰野さんも、もう亡くなられてしまいました。本当に時の流れを感じてしまいます。

 神奈川県立歴史博物館は、常設展の方も充実しており、これはぜひ関西で中世史をやっている人は行っておくべき所だと思いました。(岩田君や山本さんは是非行きなさい。)レプリカとはいえ『天養記』や妙法院の後白河院像も展示されています。大きな鎌倉の立体地図は歴博のものより分かりやすいし、円覚寺の舎利殿の建築構造を示した展示もよい。ただ、「頼朝の挙兵と東国武士」というパネルに示された、房総半島における頼朝の進軍コースは変に思いました。

  神奈川県立歴史博物館には数年前にも行ったはずなのですが、初めて地下鉄で桜木町駅に着いたせいもあって、場所が分からなくなって焦りました。首都圏は、21世紀になっても変化が激しすぎるように思います。
 京都に戻って、1970年代の山手線と同じウグイス色の奈良線普通電車に乗ったら、気持ちがヤケに落ち着きました。東京で学生時代を過ごした団塊世代には、今の奈良線普通電車はきっと懐かしいはず。これで客寄せが可能かも知れませんね。
編集:2012/12/09(Sun) 10:50

鎌倉文学館の源実朝

美川圭
No.9788

 野口先生も、鎌倉に行かれていたのでね。私も同日、鎌倉におりました。3館はしごは、11月に小学校の同期会が東京の広尾であったときに、いたしました。今回は、4年に1度の高校の同期会が新宿のホテルであったので、それを兼ねて、土曜日の昼間に鎌倉文学館の「源実朝展」にまいりました。

 正岡子規以降の近代の詩人、小説家が、実朝をどのように評価したかを一望することが中心の展示で、こじんまりしながら、歴史畑の人間には、けっこう新鮮な視点でした。前田別邸の庭園から相模湾見晴らしを堪能できるので、9日までなので、紅葉見物を兼ねて気持ちのよい時間をすごせます。

 個人的に、ちょっとびっくりしたのは、常設展に祖母の展示があったことです。戦前と戦後に出た、ともに中央公論社刊の2冊の小説と生原稿1枚、それに説明パネルだけのちっちゃな展示でしたが、とても懐かしかったです。とくに祖母の生原稿の記憶がないので、こんな字を書いたんだ、などと少し感激しました。もう、今の人は手書きで原稿を書かなくなりましたから、これからはこんな生原稿の展示はできなくなりますね。寂しいですね。生原稿は肉声を伝えてくる感じがします。学芸員の方に聞くと、300人ほどの作家の展示を特別展の展示のときに順に展示替えするそうです。ですから、祖母の展示も4年ぶりくらいになるようです。祖母が呼び寄せてくれたのかな。もう忘れ去られた作家である祖母の展示がされているとは、思いもかけませんでした。

 ちなみに、祖母は昭和20年から27年まで鎌倉に住んだと説明パネルにあります。そのころの鎌倉って小説家だらけだったようです。最近、桐野夏生が『ナニカアル』という林芙美子主人公の小説を出版しましたが、そのなかにやたらに祖母が登場します。それを読むと、事実に作家がどのように虚構をからめて作品を構成するかが、家族だけにはよくわかります。実名で登場するので、読者はそれを皆事実だと思って読むのでしょうね。

 それで、土曜日の夜は高校の同期会。出光美術館の常務理事が同級生であることがわかりました。

清文堂出版『中世の人物』第一巻 元木泰雄編『保元・平治の乱と平氏の栄華』の構成案のお知らせ

No.9784

 以前お知らせした、取り上げる人物と執筆者のラインナップ>>No.9684を踏まえた新しい構成案をお知らせ頂きましたので、ここに御紹介させて頂きます(執筆者敬称略)。
 なお、刊行は本年秋の予定でしたが、来年早々となる見込みとのことです。
 後続の第二巻・三巻も着々と編集作業が進んでおります。

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  『中世の人物 京・鎌倉の時代』第一巻『保元・平治の乱と平氏の栄華』
      保元・平治の乱と平氏の栄華                   元木泰雄
  
      Ⅰ 鳥羽院政と保元の乱
    鳥羽院・崇徳院-崇徳院政の夢                  佐藤健治
    藤原忠実-辛酸を嘗めて中世を切り開いた摂関家家長      佐古愛己
    藤原頼長-苦闘する大学者                     横内裕人
    平忠盛-都鄙で広がる京武者の舞台                守田逸人
    源為義-保元の乱における実像                    須藤 聡
    覚仁と信実-悪僧論                          久野修義
    阿多忠景と源為朝-その伝説と実像                 栗林文夫
   コラム1 王家の乳母                          野々村ゆかり

   Ⅱ 平治の乱と後白河院政の成立
    後白河院-暗主の波瀾万丈の生涯                 高橋典幸
    藤原忠通と基実-院政期摂関家のアンカー             樋口健太郎
    信西-中世を開いた稀有の天才                   木村真美子
    藤原信頼・成親ー平治の乱と鹿ヶ谷事件               元木泰雄
    藤原経宗-拷問を受けた有職の公卿                元木泰雄
    源義朝-最初の武士の棟梁                     近藤好和
   コラム2 京武者たち                            元木泰雄

       Ⅲ 平氏の栄華
    平清盛-「おごれる」権力者の実像                 川合 康
    池禅尼と平時子-平家の後家たち                 栗山圭子
    平時忠と信範-「日記の家」と武門平氏               松薗 斉
    藤原邦綱とその娘たち-平清盛の盟友/近衛家の忠臣      佐伯智広
    平重盛-一門栄耀の反照                       平藤 幸
    西行-秀郷流故実の継承者                       近藤好和
   コラム3 院と芸能者たち                        辻浩和

    系図
    索引
**************************************************************
編集:2012/11/28(Wed) 12:06

師走の『吾妻鏡』

No.9785

 街の雰囲気もすっかりそういうかんじになってまいりましたが、『吾妻鏡』もよろしくお願いいたします。
 次回のご案内です。

 日時:2012年12月4日(火)午後3時頃~(予定)
 場所:京都女子大学L校舎 3階 共同研究室
 範囲:元久二年(1205)八月七日・十一日・十六日・十七日・十九日、九月二日・二十日、十月十日・十三日、十一月三日・四日・十五日・二十日、十二月二日・二十四日の各条
     元久三年(建永元年、1206)正月十二日・二十七日、二月四日・二十日・二十二日、三月十二日・十三日、五月六日、六月十六日・二十一日、七月一日・三日、十月二十日・二十四日、十一月十八日・二十日、十二月二十三日の各条

 12月は4日、11日、18日に開催予定です。

 火曜日の『吾妻鏡』講読会は、参加者のみなさんの自主的な積極性によって支えられております。
 基礎的な史料読解のニーズにも対応しておりますので、新年度から何か新しいことを始めてみようという方は、まずは見学からでも、どうぞお気軽にご参加ください。

久方ぶりの~!

No.9783

 本日は私にとって、とても大切な人物の誕生日でありましたが、その上に久しぶりの佳きことも重なりました。その最後のシメは、帰宅したら美味しい松葉ガニが待っていたこと。
 松葉ガニを丸ごと食させて頂いたのは、久しぶりというより初めてかも知れません。境港からの絶品。本当に美味しゅうございました。ありがとうございました。
 
 もう15年ほども原稿を提出できずにいる本がありますが、その最後の追い込みにかかっています。そこへ研究紀要の初校ゲラも届きました。編著書も大詰めに近づきつつあり、そして師走は目前。どうやら今年も「大つごもり、合わぬ算用」必至のようです。

 さて、明日は山本さんの御報告。とても楽しみです。多くの方々の御来会を期待するところです。