木曾義仲の故地でお世話になった「重盛」さんの思い出

No.9598

 本日のゼミ講読会は、初参加の一回生も加わって賑やかなものになりました。彼女たちが『吾妻鏡』をスラスラ読めるようになる日も遠くなさそうです。

 京都文博の歴史散歩(>>No.9594)の申し込みは、すでに定員数をオーバーしているとのことです。

 当方の公開講座(>>No.9582)にも、すでに新潟や熊本から御出席の意思表明が寄せられております。

 昔むかし、私がまだ学生だったころ、木曾義仲の足跡を追って信濃路を旅したことがありました。たしか、徳音寺に行った帰り、食事をしようと宮ノ越の駅の近くまで行ったのですが、食堂が見つからず、小さな土産物屋さんで店番をしていたおばさんに食堂はないかと尋ねたら、家に上がれと言われてお餅と漬物を御馳走になったことがありました。
 あのころは若かったので、本当に空腹が絶えられず、大感謝だったのですが、ふと、そのお宅の表札を見ると「重盛」とあり、「源氏ゆかりの地に重盛とは、奇しき因縁」と、後になっても気になっていました。
 それから、二十年ほど後、「あの親切なおばさんが御健在ならば」と、愛車を駆って、そのお店を探しに行ったのですが、もうありませんでした。
  太田亮『姓氏家系大辞典』で調べてみたのですが、「重盛」については「シゲモリ 信濃に存す」とあるばかり。
 それにしても、昔は、旅先で、見ず知らずの方から、いろいろお世話になることが多くあったものでした。若者は、旅は歩いてするものです。
編集:2012/05/22(Tue) 23:34

遠くへ行きたい-次回の『吾妻鏡』-

No.9599

 旅というのは、団体行動をしているよりも一人旅のほうがいろいろと構ってもらえますし、思わぬ出会いや発見も増えますね。

 次回の火曜日の『吾妻鏡』のご案内です。

 日時:2012年5月29日(火)午後4時すぎ~(予定)

 場所:京都女子大学L校舎 3階 共同研究室
 範囲:建仁三年(1203)九月七日・十日・十二日・十五日・十七日・十九日・二十一日・二十九日、十月三日・八日・九日・十四日・十九日・二十六日・二十七日、十一月三日・六日・十日・十五日・十九日、十二月三日・十三日・十四日・十五日・十八日・二十二日・二十五日の各条

 今年度から火曜日開催となった『吾妻鏡』購読会、5月はこのあと29日(火)に開催予定です。

 わけあって開始時間を四時過ぎに変更させていただいております。メンバーのみなさんにはご迷惑・ご不便をお掛け致しますが、よろしくお願い致します。

 火曜日の『吾妻鏡』講読会は、参加者のみなさんの自主的な積極性によって支えられております。
 基礎的な史料読解のニーズにも対応しておりますので、新年度から何か新しいことを始めてみようという方は、まずは見学からでも、どうぞお気軽にご参加ください。

 明日の基礎演習Ⅰとゼミ講読会

No.9597

 明日、Ⅲ講時の「基礎演習Ⅰ」は、寺澤さんの報告で、テーマは「オリンピックについて」。履修の諸姉は、オリンピックによる経済効果など、調べ、考えておいて下さい。

  Ⅳ講時の『玉葉』講読会は、治承四年五月十三日の条から。以仁王が園城寺(三井寺)に立て籠もるという辺りの話です。

 Ⅴ講時の『吾妻鏡』講読会は、岩田君が>>No.9591に告知してくれています。今回から、またあらたに一回生が参加することになります。
 この時代(頼家~実朝将軍期)が初めてという人は、石井進『鎌倉時代』(中公文庫版『日本の歴史』)などを読んでおくとよいでしょう。
 それにしても、この時代を対象にした概説書というのは、あまり思いつきませんねぇ。良い本があったら紹介して下さい。

 ところで、ツィッターやインターネット上の情報は誤りが多いので気を付けて下さい。たとえば、ウィキペディアには源義康(足利氏の祖)が陸奥守になったなどと書いてありますが、それは明らかな誤り。12世紀半ばの政治・社会に関する既往の研究を無視して、ただ『尊卑分脉』の記事を鵜呑みにしてしまったものと思われます。
 むしろ、ネット情報というのは、テキスト・クリティークの格好の素材です。

 明日は介護実習に行っていた池嶋さんも復帰されますね。

西行きの新幹線で『西行』を読む。

No.9596

 たしかに、歴史家にとって、「正確は義務であって、美徳ではない」のです(E.H.カー『歴史とは何か』参照)。
 
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 『平清盛の時代』(通学路の歴史探索)
   第三回 後白河院の御所 法住寺殿

 京阪七条駅を出ると、そこは七条通(七条大路末)と川端通の交差点です。信号を渡って七条通を東に五分ばかり歩くと、通りの北には国立博物館、南には三十三間堂があって、いつも観光客で賑わっています。十二世紀後半、この辺りから、南は大谷高校全域、東は本学にいたるエリアを占めたのが、後白河院(一一二七~九二)の御所であった法住寺殿(ほうじゅうじどの)です。博物館の辺りは院のプライベートゾーンともいうべき北殿(七条殿とも、東・西両殿が置かれた)のあったところで、儀式などを行うハレの空間である南殿(東山殿)は、大谷高校のグラウンド(当時は広大な園池)の北側に営まれていました。

 法住寺殿は、南殿・北殿などの複数の邸第のほかに、御願寺である蓮華王院(三十三間堂はその本堂で御所や五重塔が付属)・最勝光院(後白河院の妻・建春門院滋子の御堂で、宇治の平等院を模した。現在の一橋小学校の場所に所在)、さらに鎮守社である新(今)熊野社・新日吉社をとりこんだ広大な領域をしめ、周辺には院近臣の宿所や民衆の町屋も立ち並んでいましたから、一つの独立した都市空間を構成していたと言ってよいでしょう。

 ちなみに「法住寺」とは、十世紀の末に右大臣藤原為光が七条の末に造営した寺院で、その旧地に造営されことが、院御所としての「法住寺殿」の名の由来です。現在、三十三間堂の東側にある法住寺は、明治時代までは大興徳院と呼ばれていたお寺で、平安時代の法住寺とは直接の関係はありません。
 法住寺殿で最大の建造物である蓮華王院御堂(三十三間堂)は平清盛の手によって造営されましたが、鎌倉時代(一三世紀半ば)に焼失してしまいました。現存する建物は鎌倉幕府の負担によって再建されたものですが、これが法住寺殿の唯一の遺構と言えましょう。

 次回からは、この法住寺殿を舞台にした事件や、ここにまつわる人々について語っていきたいと思います。

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 ☆ 広島大学の下向井龍彦先生より、御高論「承平六年の紀淑人と承平南海賊の平定-寺内・岡田両氏の研究に接して-」(『史学研究』274)を御恵送頂きました。
 下向井先生に、あつく御礼を申し上げます。

 ☆ 髙橋昌明先生より、御高論「養和の飢饉、元暦の地震と鴨長明」(『文学』隔月刊13巻2号)・「平家政権の新しさ」(『歴史地理教育』788)を御恵送頂きました。
 髙橋先生に、あつく御礼を申し上げます。

バースデイに研究発表。

No.9595

 今日は「中世戦記研究会」に出かけました。会場は目白の学習院大学。
 同じ構内では「歴史学研究会」、そして、隣の教室では、なんと「物語研究会」が開かれていました。
 報告に臨んだ粟村さんは今日がお誕生日とのこと。
 懇親会で乾杯しました。
 久しぶりにカリスマ編集者ともお目にかかり、兵藤先生と私と二人、小中同窓生の記念写真を撮りました。

 それにしても、こちらの情報は、伝わっているはずのないものが伝わっているのに、伝わっているべきものが伝わっていない。京・東国の関係は中世と同じ。「伝聞・・・・・・・云々」

 創価大学の梶川さんのご報告は、じつによく整理されており、国文の方たちもよく理解して頂けたことと思います。こういう実証的な研究は好感が持てます。
 自重を心がけていた私ではありますが、例によって、いろいろ口を挟んでしまいました。これも耄碌のなせる業かもしれません。
 御研究の進展をおおいに期待したいと思います。

 「中世戦記研究会」の輪読は『太平記』になりました。まったく不勉強なのですが、これから新しい領域に踏み込むのも、「また楽しからずや」なのかもしれません。

 山手線が混んでいるのは昔ながらですが、恵比寿の「第三の男」、高田馬場の「鉄腕アトム」は和めますね。京都でも、京阪や市営地下鉄の駅でやれば面白いと思います。東山駅では「月は朧にひ~がしやま~♪」なんてね。

歴史散策「清盛ゆかりの地を巡る」

No.9594

 京都文化博物館の特別展の関連イベントとして、下記のような歴史散歩を行います。

 ◇ 歴史散策 「清盛ゆかりの地を巡る」
   講師 野口 実(京都女子大学教授)
   日時 2012年7月7日(土) 午後1時30分-3時30分
   参加費500円(当日お支払い下さい)(ただし、本展覧会入場券〔半券可〕が必要です)
   要申込。 くわしくは→http://www.bunpaku.or.jp/exhi_kiyomori.html

※ 来月に入ったら、プレ散策を実施したいと思います。

山田先生はお元気です。もう心配は要りません。

No.9593

 昨日、山田邦和先生のお見舞いに行って参りました。
 (事情は→http://heike.cocolog-nifty.com/kanwa/2012/05/post-f1b0.html

 順調に快復されている御様子で、いつもと同じように快活にお話をされておられました。
 病室に機材を持ち込めれば、e-ラーニングによる講義も可能か、などと不埒なことを考えてしまい、IT社会に毒されてしまった私自身を反省するほどでした。

 どこにも障害がのこるようなことはなく、以前にも増してお元気になって完全復帰されるのは 、まさに時間の問題のようで、すっかり安心致しました。

 とはいえ、しばらくは、身体機能回復のためのリハビリが必要だと思いますし、これまでの諸方面における獅子奮迅の御活躍ぶりを考えると(私も含めて、周囲が山田先生のお人柄に甘えすぎて、本来分担すべき事を、一身に負って頂いていたように思います)、ゆっくり休んで頂き、その後、出来るだけ長い間、これからはリーダーとしての役割を担って頂ければ幸い、と念じております。

 山田先生らしく、しきりに愛犬に会いたいと言っておられました。ご自宅で待つ3匹のワンちゃんたちも同様の思いでしょう。

 なお、この間、奥様(私の古代学協会時代の同僚であり、一般参加のゼミ古参メンバーのお一人です)も、さぞかし大変だったことと思います。落ち着かれたら、またゼミの方にもお出かけ下されば、と存じております。

 というわけで、山田先生はお元気です。もう御心配は要りません。

6月2日(土) 京都では山本さんの卒論報告があります。

No.9592

 岩田君の講演と同じ日に、今春本学を卒業された山本みなみさんが卒論報告を行います。今年は会場が京都市内なので、これから卒論を書く史学科の後輩諸姉はぜひ行ってみるべきだと思います。

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  ◇ 大阪歴史学会・日本史研究会合同卒論報告会 ◇

  2012年6月2日(土)13:00~

  報告①山本みなみ氏(京都大学)「鎌倉幕府における政所執事」
   参考文献
   ・杉橋隆夫「鎌倉執権政治の成立過程―十三人合議制と北条時政の「執権」職就任―」御家人制研究会編『御家人制の研究』(吉川弘文館、1981年)
   ・盛本昌広「関東御公事と鎌倉幕府財政」(『鎌倉』93、2001年)

  報告②徳満悠氏(大阪市立大学)「中世後期における山城国木津の都市構造―十五世紀を中心として―」
   参考文献
   ・宇佐見隆之「木守と問―流通・交通業の起源を探る―」(同『日本中世の流通と商業』吉川弘文館、1999年)
   ・小林保夫「東大寺領木津木屋所の歴史的地位―発生期の問との関連で―」(上横手雅敬『古代・中世の政治と文化』思文閣出版、1994年)

  報告③川口成人氏(京都府立大学)「将軍義澄期における伊勢貞宗・貞陸」
   参考文献
   ・山田康弘『戦国期室町幕府と将軍』(吉川弘文館、2000年)
   ・萩原大輔「足利義尹政権考」(『ヒストリア』229、2011年)

  報告④大木敦史氏(神戸大学)「戦国期における勅使の地方下向―大宮伊治肥後下向の事例を中心に―」
   参考文献
   ・富田正弘「戦国期の公家衆」(『立命館文学』209、1988年)
   ・菅原正子「公家衆の在国」(『中世公家の経済と文化』吉川弘文館、1998年)
   ・渡邉大門『逃げる公家、媚びる公家』(柏書房、2011年)

  会場は機関誌会館5階 (京都市営地下鉄丸太町駅から徒歩5分)
  →http://homepage2.nifty.com/kikanshi-keiji/kaizyou.html
 
  報告順は当日変更する場合があり、また報告終了後、懇親会(自由参加)を開催するとのことです。

 岩田君の講演「平清盛と武士の時代」の御案内

No.9590

 第29回 京阪・文化フォーラム 『平清盛と平家物語』

 第一部講演
   「平清盛と武士の時代」 関西学院大学非常勤講師 岩田 慎平氏
 第二部講演と朗読 
   講演・「平家物語」万華鏡 神戸大学大学院人文学研究科准教授 樋口 大祐氏
   朗読・「平家物語」  フリーアナウンサー 馬場 尚子氏
 第三部講談
  「清盛の末期(まつご)-源平盛衰記から-」 講談師 旭堂 南陵氏
 開催日:平成24年6月2日(土)13時~16時(予定)
 会  場:中央電気倶楽部(大阪市北区堂島浜2-1-15)
 募  集:300名(先着順)  受講料:1,000円
 締  切:5月21日(月)
 くわしくは→https://www.okeihan.net/navi/culture/form.php

京阪電車で通勤・通学の方は車内の吊り広告で御確認ください。
編集:2012/05/16(Wed) 16:43

京阪電車に乗って-次回の『吾妻鏡』-

No.9591

>野口先生
 京阪文化フォーラムを宣伝していただきましてありがとうございます。
 当日はほかにいろいろなイベントもあるようですが、お時間のございます方はご来聴いただけましたら幸いでございます。
 ご来場の際には、京阪電車中之島線をご利用下さい。

 さて、次回の『吾妻鏡』のご案内です。

 日時:2012年5月22日(火)午後4時すぎ~(予定)

 場所:京都女子大学L校舎 3階 共同研究室
 範囲:建仁三年(1203)九月五日・六日・七日・十日・十二日・十五日・十七日・十九日・二十一日・二十九日、十月三日・八日・九日・十四日・十九日・二十六日・二十七日、十一月三日・六日・十日・十五日・十九日、十二月三日・十三日・十四日・十五日・十八日・二十二日・二十五日の各条

 今年度から火曜日開催となった『吾妻鏡』購読会、5月は22日(火)、29日(火)に開催予定です。

 前回(5/8)は九月二日条をすべて読めませんでしたので、次回はその続きからとなります。
 また、次回以降はわけあって開始時間を四時過ぎに変更させていただいております。メンバーのみなさんにはご迷惑・ご不便をお掛け致しますが、よろしくお願い致します。

 火曜日の『吾妻鏡』講読会は、参加者のみなさんの自主的な積極性によって支えられております。
 基礎的な史料読解のニーズにも対応しておりますので、新年度から何か新しいことを始めてみようという方は、まずは見学からでも、どうぞお気軽にご参加ください。

今日の講話と明日の基礎演習Ⅰ

No.9587

 本日Ⅲ講時の仏教学の講話。どうも焦点の定まらない話になってしまいました。でも、終了後、受講した学生さんが2名(史学科1回生)、研究室を訪ねてくれました。

 明日(15日)の基礎演習Ⅰ。辻田さんの「ユニクロについて」という報告です。

 ☆ 創価大学の坂井孝一先生より、御高論「源実朝にとっての和田合戦」(『創価人間学論集』4)・「源頼朝の流人時代に関する考察」(同 5号)を御恵送頂きました。
 坂井先生にあつく御礼を申し上げます。
編集:2012/05/14(Mon) 19:45

仏教学IIAにて

鳥飼真希
No.9588

野口先生、御無沙汰しております。
私たち史学科三回生は四講時に仏教学を受講しているのですが、講師がお話をされた三講時の仏教学と同じ熊谷先生なのです。四講時では野口先生の講話の事が話題に出ておりました。熊谷先生は歴史から見る女性の地位についてのお話に大変驚いたと仰っていました。
また受講した一回生が研究室を訪ねたとのこと、思えば私も野口先生の講義を受けたのが始まりでした。先生のお話はやはり私たち学生の心を動かす力がありますね。今後もこうした学生が研究室を訪れることを私も楽しみにしております。

乱文失礼いたしました。

今日は『玉葉』を読み始めます。Ⅴ講時は研究発表会。

No.9589

 >鳥飼さん どうもありがとうございます。
 今朝も研究室に昨日の講話を聴いてくれた史学科の一回生の来訪がありました。

 ところで、本日Ⅳ講時は『玉葉』。Ⅴ講時は大学院研修員粟村さんのプレ発表です。
 ゼミメンバー以外も歓迎。とくに国文の学生さんたちの主体的な参加を期待しています。

 なお、開始は16:45を目安にしたいと思います。それまで、15分くらい、いろいろ連絡をさせて下さい。

もう平清盛見ません

美川圭
No.9583

 さすがに、もう大河ドラマの平清盛を見ないことにした。

 理由は、先週の日曜日、1回見なかったら、この1週間がハッピーだったから。

 ドラマというのは、根底に見て楽しい、あるいは楽しいとはとてもいえなくても、何か重要なことを考えるヒントになる、といったことがないと、少なくとも暇をもてあましているのではなければ、見続けるのは苦痛以外の何ものでもない。それを、約4か月やったのだから、もういいだろう。いくらなんでも、こんなに出来の悪いドラマを見続けるのは限界という結論である。

 昨日の毎日新聞夕刊の一面に「「清盛」おごる日いつ」という記事が載っていた。視聴率、歴代最低に迫る、ということで、まあ、最低はやはり中世をあつかった「花の乱」だそうである。あのドラマも一応見たが、ドラマとしてひどい出来であった。それよりは視聴率は高かったということだろうが、「北条時宗」もひどかったそうである(これはほとんど見ていない)。いずれも中世を舞台にしている。そのあたり、脚本家とか演出家に、中世のイメージがない、という問題もあるような気がする。おもしろくない時代だろうから、自分たちがおもしろくしてやる、というおごりに近い雰囲気が画面から漂ってくるのである。それもとても嫌だ。

 そこまで歴史家の責任にされるいわれもないが、もう少しわかりやすいかたちで、中世のイメージを歴史家が一般に語る必要は、日頃から痛感している。とにかく、変な脚色をして、かえって作品を台無しにする例が多すぎるのである。中世は、あまり変なことをせず、そのままドラマにした方が、よほどおもしろいのである。なにしろ、変なことが実際にたくさんあった時代なのだから。

 最近、とくに思うのだが、歴史はおもしろい。だから歴史家になったのだろう、何をいまさら、と言われればどうしようもないが、以前は少し小説家とか脚本家とか、映画監督にたいしてあこがれがあった。というか、できればなってみたかったと思ったこともあるのだ。

 「事実は小説よりも奇なり」とはよく言ったもので、作り事には限界があるのだ。実際の人間のおこすことは、思いも掛けないことがおこるのである。

 たまたま、7時30分のBSでの朝ドラの前に、以前放送していた「ゲゲゲの女房」の再放送をやっている。今の「梅ちゃん先生」と続けてやっているので、ドラマの出来不出来がほんとうによくわかる。「ゲゲゲの女房」は水木しげるのほぼ実話だろうが、「梅ちゃん先生」は完全なフィクションのようである。「ゲゲゲの女房」はきちんと毎回見ていたにも関わらず、2度目でもおもしろい。「梅ちゃん先生」の方は、たった15分が長くてしょうがなく感じる程度の出来である。こちらももう見ないことにする。ちなみに、この3月までやっていた「カーネーション」も実におもしろかったが、これもコシノ三姉妹の母親の話であり、ほぼ実話である。実話だからおもしろく、完全なフィクションだからつまりないなどというセオリーはありえないが、しかし、そのことが影響する場合もかなりあるような気がする。

 さて、毎日新聞の記事にもどると、人間関係の複雑さなどをとりあげながら、低視聴率の原因をけっきょく視聴者の知識量の少なさ、時代へのなじみのなさに帰している。

 しかし、この分析は完全に誤っている。

 私をはじめ、この時代の歴史家の多くが、このドラマをつまらないと言っているからである。ここに描かれている複雑な人間関係をよく知っていても、つまらないのである。わかりにくいから視聴率が低いのではなく、つまらないドラマだから低いのである。このことを、前の朝日新聞の記事もまったく書いていない。

 考えてみれば、出来の悪いドラマなど山のようにあり、むしろ秀作の少ないのはあたりまえである。民放のドラマだと、視聴率低迷により、スポンサーが離れて打ち切りになる。この点、NHKは地味な、しかし重要な報道番組などを、スポンサーの意向を考慮せず、放映できる有利さはあるが、娯楽ドラマとなると逆にどうなのだろうか。とくに大河ドラマは1年間も続くという慣例になっている。評判が悪ければ、打ち切りとなってもいいと思う。少なくとも、私はもうこのできの悪いドラマに付き合う気はおこらなくなった。

 最初から見ていない近藤好和先生の決断を尊敬している。私は、それに踏み切れず、ずいぶん損をしてしまった気がする。毎回、批判を書いたら、「誹謗中傷」だなどと、私に対する人格攻撃までなされているサイトがあることも知っている。そんな言われ方をするのも、もうこりごりである。

 もう終わります。

 残念ですが、お気持ちはよく分かります。

No.9585

 今回もつまらなかったですね。
 なんで、ああいう風にしか描けないのか、分かりかねます。

 美川先生のコメントは同感させられることばかりで、とても楽しく、かつ勉強になりましたので、御退場は残念です。これを読んで溜飲を下げていた方もさぞかし多かったことだろうと思います。
 私は関連する市民向けの講座がいくつかございますので、これからも執拗に視聴を続けようと思います(もっとも、耄碌ゆえに半分は寝てしまいそうですが)。
 昨夜も京都の経済を下支えされている方々に「平家・平清盛とその時代」というテーマで、楽しく食事をともにしながら、お話をさせて頂きました。みなさん、とても熱心に聴いてくださいました。読むべき本の推薦を求められましたので、元木先生と岩田君の御著書を紹介させて頂きました。ついでに東国武士と源氏については拙著も(抜け目なく)。

 ドラマを御覧になられて、「キャラ萌え」したりせず、「こんなはずではない」と思われている方には、(何度も申し上げますが)元木泰雄先生の『平清盛と後白河院』(角川選書)をお勧めいたします。ちなみに、本日付の神戸新聞「ひょうご選書」欄に紹介文を載せて頂きました。

 さて、今週もコメントに替えて、『平清盛の時代(通学路の歴史探索)』を掲載致します。
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 第2回「八条院の御所」

 源平内乱のころ、現在京都駅のある一帯には、八条院(暲子内親王)の御所や院庁(役所)・御倉町(工房や倉庫群)が立ち並んでいました。八条院は鳥羽院の皇女。母はその皇后であった美福門院(藤原得子)で、弟の近衛天皇の死後、女性ながらも新帝の候補にあげられたほどに王家正統の血を引く存在でした。ですから、本来中継ぎ役として即位したにもかかわらず、院政の担い手となった後白河院(八条院の異母兄)も、彼女が父母から莫大な所領を受け継いで富裕であったこともあいまって、その力を頼むところがあったようです。

 京都駅には毎日たくさんの旅客が降り立っていますが、八三〇年の昔も、この空間は、全国各地の八条院領荘園から上洛した人々で、今と同じように、賑わっていたことでしょう。

 ちなみに、治承四年(一一八〇)平家打倒の兵を挙げた高倉宮以仁(もちひと)王(後白河院の皇子)は彼女の猶子(ゆうし)であり、八条院に仕える女房三位局(さんみのつぼね)との間に一男一女をもうけています。そして、平家打倒の挙兵を呼びかけた以仁王の令旨(りょうじ)を全国の反平家勢力に伝えたのは、八条院蔵人の源行家(頼朝・義経の叔父)でありました。さらに、挙兵の軍費は八条院領から調達されたとも考えられています。

 彼女は大変おっとりとした性格であったと伝えられ、政治の動きに直接介入した形跡も見られませんが、その存在そのものが、源平内乱の展開に大きな影響を与えたといえましょう。
 平成六年(一九九四)、現在の京都駅ビルが新築された際に行われた発掘調査では、この時代の遺構・遺物が大量に検出されました。まさに、京都は文献と考古の両面から歴史に迫ることの出来る希有な空間なのです。
編集:2012/05/15(Tue) 12:40

無題

元木泰雄
No.9586

美川先生、お疲れ様でした。ただでさえ面白くない上に、話もよくわからないドラマを、コメントをしようと熱心にご覧になれば、体調も悪くなることでしょう。先生の4月23日付けのコメントで、このドラマの基本的な問題点は解明されており、もはや毎回のコメントは不要ではないかと思います。
 先生のコメントを誹謗中傷などとするサイトがあるとは呆れたものです。
 きっとドラマ関係者のそれじゃないですかね。
 幼稚な誹謗中傷を浴びせられるのは、有名税のようなもの、御気になさることではありません。当方も某掲示板で「複合権門などというくだらないことを言う元木は殺してやる」とか書き込まれました(笑)
 
 昨日も相変わらず。鳥羽が危篤になって崇徳が対面に訪れる、ところが両者を融和させるとか言っていたはずの清盛が、剣を抜いて崇徳を追い返す。いったいなんじゃこりゃー????
 前後の脈絡もなにもあったものではありません。それに、やっぱり清盛は無法者のまま。こんな場面を見せられたのでは、病気になる人が出るのも仕方ありません。
 前回、鳥羽は崇徳と融和しようとしていたのに、信西が「大乱を防ぐため」と称して崇徳の皇子重仁の即位をやめさせる場面がありました。崇徳を忌避したからこそ、大乱が起こったとだれもが認識しているのですが、これでは視聴者が混乱するだけです。
 以前、殿上闇討ちの話が、源為義が忠盛を襲うというトンデモ話になっておりました。高校生でも古典でならう国民の共通認識を破壊したわけですから、視聴者が困惑し、怒り、離れてゆくのは当然です。
 脚本家は。朝ドラ「ちりとてちん」を手掛けた方とのこと。あれにははまりました。その人がなぜ?としか言いようがありません。史実や古典より面白いものを目指しているのかもしれませんが、国民に深く浸透している共通認識を否定するのは、慎重でなければならないと思います。
 従来の大河ドラマは、史実をきちんと料理した原作があり、それを脚本家が味付けしていったのですが、原作がないまま、いきなり脚本家に筋書きを描かせたのでは、どうしてもこうした問題を生じるのではないでしょうか。

 様々な面で大河ドラマの恩恵を被っているのは事実ですから、打ち切りは避けてもらいたいところ。また、講演会のたびに大河の悪口で爆笑を招き、「ツカミ」にさせてもらえるのは便利ではあります。しかし、あとから「あんたの話で溜飲が下がった」「ひどいドラマに腹がたつ」といった声をたびたび聴かされると、莫大な受信料を費やしてあんな番組を作っていいのかと、考えさせられますね。
 平清盛が取り上げられることで、ドラマはともかく、この時代に関心を持つ人が増えたらいいと思ったのですが、これでは嫌いになる人が増えそうです。NHKには反省してもらいたいのですが、例の批判を浴びた薄汚いぼけた画面も依然としてそのままのようです。汚いというだけではなく、視力の衰えた高齢者には見にくい画面であり、それが視聴者離れにつながっていると思います。
 NHKに反省を求めるのは、音戸の瀬戸ではないが西から太陽を昇らせるようなもの、あるいはワンマン理事長の大学に民主的運営を求めるようなものでしょうか?

 まあ講演会のネタ用に毎回見させてもらいますが、見てる人がいなくなりそうです。そうなったら無理して見続ける必要もなさそうですね。