木曾義仲の故地でお世話になった「重盛」さんの思い出
No.9598
本日のゼミ講読会は、初参加の一回生も加わって賑やかなものになりました。彼女たちが『吾妻鏡』をスラスラ読めるようになる日も遠くなさそうです。
京都文博の歴史散歩(>>No.9594)の申し込みは、すでに定員数をオーバーしているとのことです。
当方の公開講座(>>No.9582)にも、すでに新潟や熊本から御出席の意思表明が寄せられております。
昔むかし、私がまだ学生だったころ、木曾義仲の足跡を追って信濃路を旅したことがありました。たしか、徳音寺に行った帰り、食事をしようと宮ノ越の駅の近くまで行ったのですが、食堂が見つからず、小さな土産物屋さんで店番をしていたおばさんに食堂はないかと尋ねたら、家に上がれと言われてお餅と漬物を御馳走になったことがありました。
あのころは若かったので、本当に空腹が絶えられず、大感謝だったのですが、ふと、そのお宅の表札を見ると「重盛」とあり、「源氏ゆかりの地に重盛とは、奇しき因縁」と、後になっても気になっていました。
それから、二十年ほど後、「あの親切なおばさんが御健在ならば」と、愛車を駆って、そのお店を探しに行ったのですが、もうありませんでした。
太田亮『姓氏家系大辞典』で調べてみたのですが、「重盛」については「シゲモリ 信濃に存す」とあるばかり。
それにしても、昔は、旅先で、見ず知らずの方から、いろいろお世話になることが多くあったものでした。若者は、旅は歩いてするものです。
京都文博の歴史散歩(>>No.9594)の申し込みは、すでに定員数をオーバーしているとのことです。
当方の公開講座(>>No.9582)にも、すでに新潟や熊本から御出席の意思表明が寄せられております。
昔むかし、私がまだ学生だったころ、木曾義仲の足跡を追って信濃路を旅したことがありました。たしか、徳音寺に行った帰り、食事をしようと宮ノ越の駅の近くまで行ったのですが、食堂が見つからず、小さな土産物屋さんで店番をしていたおばさんに食堂はないかと尋ねたら、家に上がれと言われてお餅と漬物を御馳走になったことがありました。
あのころは若かったので、本当に空腹が絶えられず、大感謝だったのですが、ふと、そのお宅の表札を見ると「重盛」とあり、「源氏ゆかりの地に重盛とは、奇しき因縁」と、後になっても気になっていました。
それから、二十年ほど後、「あの親切なおばさんが御健在ならば」と、愛車を駆って、そのお店を探しに行ったのですが、もうありませんでした。
太田亮『姓氏家系大辞典』で調べてみたのですが、「重盛」については「シゲモリ 信濃に存す」とあるばかり。
それにしても、昔は、旅先で、見ず知らずの方から、いろいろお世話になることが多くあったものでした。若者は、旅は歩いてするものです。