こどもの日
No.9575
今日は端午の節句。まだ幼稚園に行く前の頃、祖父が自宅の前の畑に大きな鯉のぼりを揚げてくれたことを思い出します。鯉のぼりの棹はとても高く、天辺でカラカラ回る矢車も大きなもので、棹になる材木を用意して、あんなに立派な鯉のぼりを自力で揚げてくれた祖父には、今さらながら感謝あるのみです。私は自分の孫に同じことはしてやれません。
この連休は、編集者とのお約束を何とか履行するべく、一日中、分厚い『平安時代史事典』をめくりながら、PCに向き合っております。おかげて、またウェストの辺りに余分なものが付着し続けているようなので、昨日は、午後になってから、運動を兼ねて、今、法性寺で一般公開している千手観音像を拝観に行きました。美川先生が絶賛されていたので、ぜひにと思った次第です。
ところが、行ってみると寺の門前には長蛇の列。30分待ちとのこと。
それならばという次第で、近くの東福寺に行き、最勝金剛院にある九条(藤原)兼実の廟に参拝。ミネルヴァの『日記で読む中世史』に『玉葉』について一文を書かせて頂いたこと、そして、来週からゼミで『玉葉』の講読会を始めることを報告いたしました。
それから六波羅門を出て、皇嘉門院の陵墓に向かいました。『玉葉』には、兼実が皇嘉門院の墓に詣でた記事がありましたが、あの条は何年何月何日だったかは失念。しかし、この場所からの京都の眺望は絶景。西山が大学辺りから見るのとはまったく異なって峻厳に見えました。
ここからさらに、坂を上り、北側の谷を下ってから再び坂を上がって泉涌寺に出、戒光寺(丈六釈迦如来像を拝観)、即成院を経て帰路につきました。予定していた法性寺には入れませんでしたが、運動量は予定以上。しかしながら、後の過食で元の木阿弥となったことは例の如しです。
※ 東福寺の周辺を散策しようとする方には、中央公論新社『日本の中世 8 院政と平氏、鎌倉政権』のp227~237(上横手先生の御執筆部分です)がよきガイドになります。
☆ 立命館大学衣笠研究機構の花田卓治君より、御高論「観応・文和年間における室町幕府軍事体制の転換」(『立命館文学』624)を御恵送頂きました。
花田君にあつく御礼を申し上げます。
この連休は、編集者とのお約束を何とか履行するべく、一日中、分厚い『平安時代史事典』をめくりながら、PCに向き合っております。おかげて、またウェストの辺りに余分なものが付着し続けているようなので、昨日は、午後になってから、運動を兼ねて、今、法性寺で一般公開している千手観音像を拝観に行きました。美川先生が絶賛されていたので、ぜひにと思った次第です。
ところが、行ってみると寺の門前には長蛇の列。30分待ちとのこと。
それならばという次第で、近くの東福寺に行き、最勝金剛院にある九条(藤原)兼実の廟に参拝。ミネルヴァの『日記で読む中世史』に『玉葉』について一文を書かせて頂いたこと、そして、来週からゼミで『玉葉』の講読会を始めることを報告いたしました。
それから六波羅門を出て、皇嘉門院の陵墓に向かいました。『玉葉』には、兼実が皇嘉門院の墓に詣でた記事がありましたが、あの条は何年何月何日だったかは失念。しかし、この場所からの京都の眺望は絶景。西山が大学辺りから見るのとはまったく異なって峻厳に見えました。
ここからさらに、坂を上り、北側の谷を下ってから再び坂を上がって泉涌寺に出、戒光寺(丈六釈迦如来像を拝観)、即成院を経て帰路につきました。予定していた法性寺には入れませんでしたが、運動量は予定以上。しかしながら、後の過食で元の木阿弥となったことは例の如しです。
※ 東福寺の周辺を散策しようとする方には、中央公論新社『日本の中世 8 院政と平氏、鎌倉政権』のp227~237(上横手先生の御執筆部分です)がよきガイドになります。
☆ 立命館大学衣笠研究機構の花田卓治君より、御高論「観応・文和年間における室町幕府軍事体制の転換」(『立命館文学』624)を御恵送頂きました。
花田君にあつく御礼を申し上げます。