日本古文書学会見学会のお知らせ

元木泰雄
No.9498

 以前にもご案内いたしました、3月13日の日本古文書学会見学会、参加締切が近づきましたので再度掲示致します。国宝の東寺百合文書を間近に見ることができる得難い機会です。
 ぜひご参加ください。
なお、すでに口頭、メールなどでご連絡いただいた方も、メールで結構ですから、確認のご連絡をお願いいたします。

 場所 京都府立総合資料館(京都市営地下鉄烏丸線・北山駅下車)
 日時 3月13日火曜日13時~16時(12時45分受付開始)
 集合場所 京都府立総合資料館入口  
 参加費500 円
 東寺百合文書を上島有先生のご解説を承りながら見学します。今回は、当時百合文書の料紙見学会の4回シリーズの最後になります。
 中世文書全体のまとめをしますので、上島先生のご著書『中世日本の紙―アーカイブズ学としての料紙研究―』(日本史史料研究会刊)の、第二章から第六章まで目を通していただくとわかりやすいかと思います。
 お問い合わせは下記元木研究室まで。TEL075-753-6681
 参加希望者はお名前・連絡先明記の上、下記までハガキで申し込んでください。3月5日必着です。

申し込み先
〒606-8501京都市左京区吉田二本松町 京都大学大学院人間・環境学研究科 元木研究室
編集:2012/03/02(Fri) 07:23

岩田君の解説による「建永元年のフットボール」

No.9499

 元木先生。御案内、ありがとうございます。
 中世の古文書をじっくりと実見し、かつ上島先生のお話をうかがうことの出来る貴重な機会だと思います。
 ゼミのみなさん、とくに学部生は積極的に参加してください。

 昨日のゼミは、帰省されたり、旅行されたりした方からのお土産が沢山。また、手作りのケーキも、ありがとうございました。

 『吾妻鏡』は建永元年条を読了。2回生もだいぶ慣れてきた様子です。頼家将軍期の内容は書誌学的にも面白いと思います。岩田君や藪本君からのコメントからは学ぶところが多い。

 『紫苑』第10号、山本さんのお骨折りにより、初校校正ゲラを印刷屋さんにお渡ししました。

 ゼミの前、お昼休みに、京都文化博物館時代の同僚(今も現役)と後輩(近年、学芸員になられた方)が研究室を訪ねて下さいました。今年、同館で開催される平清盛展のイベントに関する用件だったのですが、7割くらいの時間を昔話に費やしてしまいました。
 このイベントについては、追って御報告したいと思います。準備や本番におけるサポーターをお願いするつもりなので、宜しく。

 もう一件、書面で講演依頼が届きました。四月からの土日は予定がいっぱいになりつつありますが、この機会をとらえて頑張るに如かずだと覚悟を決めています。 

平時子亭を中心に発展した西八条と経済を支えた七条町

No.9497

 機を失してしまいましたが、この前の日曜日(26日)に出た『京都民報』(第2525号)に「清盛と京都」の第3回目として「西八条と七条町」を載せました。
 「院・平家政権期の七条町周辺」という地図がお役に立つと思います。『別冊太陽』に載せた拙文の付図に、さらに工夫を加えました。

 目下、以前御紹介した「元木プロジェクト」の一環として、短編ながら「千葉常胤」の伝記を書いています。

 >池嶋さん 次の講読会のとき(1日)、印鑑をお忘れなく。

 ☆ 愛知学院大学の福島金治先生より、御高論「密教聖教の伝授・集積と隔地間交流-「坊津一乗院聖教類等」の検討を通して-」(『九州史学』160)・「中世後期美濃国細目郷の領主古田氏と不二庵」(『愛知学院大学人間文化研究所紀要 人間文化』26)を御恵送いただきました。
 福島先生に、あつく御礼を申し上げます。

【追記】
 ☆ 東京大学史料編纂所の高橋慎一朗先生より、新刊の御高著『武士の掟』(新人物往来社)を御恵送いただきました。
 「武士がつくった都市の掟」・・・そこに住む人々の生活に視点を据えた中世都市論。
 髙橋先生に、あつく御礼を申し上げます。

業務連絡(プリンター)・吉野&神崎庄・為義亭・菊酒

No.9494

 今日はドラマ関連の書き込みがないようなので、まず業務連絡から。
 ゼミ関係の方で、プリンターにキャノンのPIXUSシリーズのip3600/ip4600/ip4700/MP540/MP550/MP560/MP620/MP630/MP640/MP980/MP990/MX860/MX870を使用されている方は、当方に御連絡下さい。とくにお願いしたいことがあります。

 3月8日の岩田君主催の見学会は吉野に行かれるようですが、事前勉強に疲れたら、このDVDを借りてきて御覧になるとよいと思います。蔵王堂もロケ地になっています。さらに、かつてゼミ旅行で訪れた伊勢の二見浦の夫婦岩も出てきます。
 『男はつらいよ』第39作「寅次郎物語」(マドンナは秋吉久美子)

 今日のドラマですが、神崎庄の倉敷が博多にあるということが視聴者には分かりづらかったのではないでしょうか。私は神崎庄で交易をする宋船の多くは有明海に来航したと考えているのですが。
 それから、為義の邸宅が出てきましたが、あれが六条堀河亭ということになるのでしょうか。地方の小領主の宅のイメージでは?
 菊酒は、この前のゼミの時間に講読した『吾妻鏡』建仁元年九月九日条に出てきましたね。

 それから、『台記』ですが、そんなに生やさしい史料ではありません。本気で取り組みたいのなら、元木先生に師事するに如かざるものがあります。

 つぎに宣伝です。
 ドラマの源為義はいかにも困窮の為体ですが、私は武士成立史の上で為義の役割を積極的に評価しています。拙著『武門源氏の血脈』(中央公論新社)を御覧下さい。また、佐藤義清の系譜や彼の武芸については、同じく『伝説の将軍 藤原秀郷』(吉川弘文館)に詳述致しました。御参照ください。
編集:2012/02/26(Sun) 23:54

博多の神崎荘?

山田邦和(同志社女子大学)
No.9495

野口先生、こんばんは。

今晩の大河ドラマ、のっけから「博多の神崎荘」と出てきて、目を剥きました。ただ、最後の紀行コーナーになって、博多にあった神崎荘の倉敷であると種明かしがされてましたので、一応の説明はつきました。しかしあれが倉敷ですかな。あれは完全に貿易港の市場になってしまっています。平家荘園の博多の倉敷に多数の商人や民間人が出入りして自由闊達に商売をやっているというのは理解に苦しみます。それに、おいおい、忠盛さんよ、院宣を偽造しちゃマズいだろ!、とツッこみたくなりました。清盛が博多で始めて宋銭のことを知るというのもアホすぎますね。確かに平安京に銭が入ってくるのはまだ一般的ではないのですが、それでも皆無というわけではない。銭という存在すら知らないとは、この清盛君、世間知らずもほどがあります。
 それに、平安京のシーンが必ずあのケッタイな市場なのは、そろそろどうにかならないですかね。「一遍聖絵」に鎌倉時代の平安京の東市が描かれていますが、それと似ても似つかないボロボロの市場ですね。だいたい、市場の向こうに崩壊寸前の門があるが、あれは何だ! 羅城門だなんて言ったら怒るぞ! そんな市場が当時の平安京に存在しなかったとはいいませんが、それだけが平安京と思われるのは心外だ。この時期の京都をワザと惨めに見せようという悪意が感じられ、不快きわまりないものです。
 加藤あいさん演ずる高階明子、もう後の重盛の妊娠を報告してましたね。さっさと退場せずに、じっくりと出てくださるよう、お願いします。

 >石浜さん、ごぶさたしております。お目にとまり、恐縮です。またお目にかかりたいですねm(_ _)m

追記:すみません、改めて考えると、上記は説明不足でした。平忠盛が院宣を詐称して神崎荘で貿易をおこなったことは史実ですが、違和感があったのは、単なる詐称ではなく、院宣を「偽造」して、しかもその証拠物件を易々と相手に渡すかな?、というところでした。おわびして追記します。
編集:2012/02/27(Mon) 12:50

美川先生は京都新聞で語っておられました。

No.9496

 美川先生の御出座がないと思っていたら、今朝の京都新聞に「崇徳上皇の出生の謎は事実か」という記事があり、そこに角田文衞説に対する美川先生の御見解が、要領よくまとめられていました。
 美川先生の御説が今日の、政治史研究の成果の水準を示すものと言えましょう。
 在京のみなさんは、御一読下さい。

富士山の日

No.9491

 昨日は、諸方より御丁寧なメッセージをいただき、恐縮致しております。
 ありがとうございました。
 小学生の頃は、この日が嬉しかった。よく廊下に立たされていた時代です。しかし、今は老化あるのみ。

 >石浜さん 久方ぶりの御登場、嬉しい限りです。
 山田先生は相変わらず多方面で御活躍です。四月からは、さらにお忙しくなられるようですが、諸事、颯爽とこなして行かれることと思います。充実した日々をお過ごしゆえの「若さ」、とお見受け致します。

 新聞にマスクのポイ捨てが多いという投書が載っているのを読んで、「まさか」と思ったのですが、宇治も例外ではありませんでした。各町内毎に「規律委員」を設置して取り締まりにあたらせるなどという世の中にならないことを祈るばかりです。

 ある図書館では、最近出版された、ある新書本に予約が集中して、数ヶ月後にならないと読めないとのこと。新書でも本屋さんで買わずに図書館の本で済ませるというのが21世紀的な生き方のようです。
 やはり消費の対象はグルメということになるのでしょうか?
 数ヶ月もしたら読みたい本も変わるでしょうに。
 図書館には街中の本屋さんでは手に入らないような専門書や学術雑誌を置いて貰いたいと思うのですが。
 本が売れないのも道理というものです。

 ☆ 近藤好和先生より、御高論「与一所用の太刀と矢」・「那須家伝来の甲冑」収録の山本隆志編著『那須与一伝承の誕生』(ミネルヴァ書房)を御恵送いただきました。
 近藤先生に、あつく御礼を申し上げます。 
編集:2012/02/25(Sat) 07:52

2月もあっという間の『吾妻鏡』

No.9492

 ぼんやりしているうちに2月も終わろうとしています。『「如月」とかじゃなく「不廻首」とかに改名したほうがよくないか』という声も仄聞しますが、大いに同意します。

 次回の『吾妻鏡』のご案内です。

 日時:2012年3月1日(木)午後3時~(予定)
 場所:京都女子大学L校舎 3階 共同研究室
 範囲:正治三年(建仁元年、1201)九月二十日・二十二日、十月二日・六日、十一月十三日、十二月二日・三日・二十八日・二十九日の各条
    建仁二年(1202)正月十二日・十四日・二十八日・二十九日、二月二十日・二十九日、三月八日・十四日・十五日、四月二十七日、六月一日・二十五日・二十六日、八月二日・十五日・二十三日・二十四日・二十七日、九月十五日・二十一日、十月八日・二十九日、閏十月十三日・十五日、十一月二十一日、十二月十九日の各条

 3月は1日、22日、29日と開催予定です。
 
 木曜日の『吾妻鏡』講読会は、参加者のみなさんの自主的な積極性によって支えられております。
 昨今は、“ポップでライトな”歴史が流行っているようですが、そんなポップでライトで楽しげなイメージも、もとはといえば何らかの史料に依拠して形作られたはずです。そのもとの部分の史料に当たって事実関係をきちんと踏まえて整理するという作業に慣れておくことも、いろいろな角度から楽しむのに役立つかもしれません。
 ただ、そうすると今度は“ポップでライトな”歴史を楽しめなくなってしまうのかもしれませんが…

 基礎的な史料読解のニーズにも対応しておりますので、2012年、何か新しいことを始めてみようという方は、まずは見学からでも、どうぞお気軽にご参加ください。

吉野山、峰の白雪踏み分けて・・・。

No.9493

 3月1日は『紫苑』の校正ゲラ返却の日です。お忘れなきように。校正は完璧を期したつもりでも、必ず漏れの出るものです。だからこそ、しっかりやって下さい。
 若い人の論文で校正漏れが多いというのは、将来性において、即アウトの判定を受けざるを得ないと思います。

 8日は当方に所用発生のため、ゼミは休止とせざるを得ないことになりました。申し訳ありません。
 ただし、当日は、岩田君が私的に日帰りの見学会を主催して下さるとのこと。ありがとうございます。

 本日、分厚い封書でお手紙をいただきました。東京の私大の先生から。和紙風の便箋に万年筆で書かれたもの。
 達筆で拙著『武門源氏の血脈』にたいする御感想がつづられていました。
 しっかりと御精読下さったとのことで、ここで、御紹介したくなるような内容でした。
 こういうお手紙をいただくことは滅多になくなりましたが、清々しい気持ちになります。

 IT社会になって、失ったものは計り知れない。
 私も出来るだけ万年筆を使うようにしたいと思います。

「ポップでライトな<歴史>」と「歴史学」

No.9489

 「ポップでライトな<歴史>」が人気を集めている中で、「歴史学」との乖離というか、その狭間で心を悩ませている方が多い。
 「大学論」にも波及する問題だと思います。

 ☆ 千葉県立佐倉高校の外山信司先生より、御高論「戦国の房総を訪れた連歌師宗長-「東路のつと」を読む-」掲載の『城西国際大学日本研究センター紀要』第6号を御恵送いただきました。
 外山先生に、あつく御礼を申し上げます。

ラボール学園(京都労働学校)2012年春期講座より

No.9488

 日本史講座-京都の戦乱と災害<古代・中世>
 開講日 毎週月曜日 14回<4/2~7/9>
 開講時間 午後6時30分~午後8時30分

 ① 4月 2日 薬子の変                井上満郎(京都産業大学名誉教授・京都市歴史資料館館長)
 ② 4月 9日 大内裏焼亡               野口孝子(同志社女子大学講師)
 ③ 4月16日 永長・康和の大地震           美川圭(摂南大学教授)
 ④ 4月23日 保元・平治の乱             野口実(京都女子大学教授)
 ⑤ 5月 7日 太郎焼亡と福原遷都          山田邦和(同志社女子大学教授)
 ⑥ 5月14日 承久の乱と寛喜の大飢饉       木村英一(滋賀大学講師)
 ⑦ 5月21日 南北朝の戦乱と北畠親房       山田徹(京都大学助教)
 ⑧ 5月28日 天正・文禄の大地震と京都      三枝暁子(立命館大学准教授)
 ⑨ 6月 4日 嘉吉の乱                 野田泰三(京都光華女子大学教授)
 ⑩ 6月11日 源平内乱と飢餓地獄          高橋昌明(神戸大学名誉教授)
 ⑪ 6月18日 1185年、京都激震す         高橋昌明
 ⑫ 6月25日 徳政一揆と牢人・飢饉         早島大祐(京都女子大学准教授)
 ⑬ 7月 2日 中世人は応仁の乱からいかに復興したか  早島大祐
 ⑭ 7月 9日 織田信長の京都焼き討ち       尾下成敏(京都橘大学講師)

 ※ 詳しくは、こちらを→http://www.labor.or.jp/gakuen/kouza_school/school_index.html
編集:2012/02/21(Tue) 22:15

山田邦和先生をニュースで

石浜哲士
No.9490

今朝のNHKBSニュースで山田邦和先生をお見かけしました。用明・推古天皇陵などの立ち入り調査に関するニュースでした。若々しいお姿を久しぶりに目にし、しびれた次第です。

海賊追捕の賞?

美川圭
No.9483

 よくわからない小細工。『中右記』保延元年(1135)8月19日条には、忠盛が海賊26人を検非違使に引き渡したとあり、21日に忠盛の海賊追捕の賞として清盛が従四位下になったとあります。ふつうは、検非違使に海賊を渡したので、その恩賞が朝廷から与えられる。この場合嫡男の昇進というわけです。

 ところが、今日のドラマでは、検非違使に引き渡さなかった。清盛の従四位下は、上皇が忠盛を公卿に昇らせないためであるというようなやりとりがあるわけです。検非違使に引き渡さなかったら、たぶん恩賞は出ないでしょう。それから、嫡男の昇進が父の昇進に対する妨害というのは、よく理解できません。一般視聴者は理解できるのでしょうか。

 重盛の母となる高階基章の娘、この人との和歌のやりとりというまったくのフィクションが出てきます。清盛があまりに粗野で歌などわからないので、西行がかわりに詠んで、それでもふられるが、清盛の率直さにうたれた基章娘が結婚に応ずる。身分が低い者との恋愛結婚に、忠盛夫妻も見合い結婚話を院近臣家成通じて(たぶんその娘)進めていたが、あきらめるというような話でした。

 私はあんな「単細胞」が長じて、のちの清盛になることはまったくありえないと思います。脚本家が「単細胞」粗野おとこが趣味という次元の問題でしょう。

 それから、時子がまるで基章女とお友だちみたいな雰囲気でした。時子は大治元年(1126)生まれですから、現在で言うとまだ満9歳です。時子との最初の子宗盛が生まれたのは久安3年(1147)です。たぶんその少し前に結婚したのでしょう。あんな風にお友だちではありえないのです。しかも時子の家は代々摂関家に仕える名門家司の家。基章のところとは家柄がかなり違う。このあたりも、脚本家の勉強不足はあきらかです。

 さらに、得子が鳥羽院の上にのしかかるようなシーンもやめていただきたいものです。あのシーンで、私の娘は自分の部屋にもどって行きました。ありえないシーンですし、日曜8時です。今上陛下も心臓の大手術されたばかりです。あんなことで、八条院が生まれたとか、近衛天皇ができたとか・・・・。考えるだけでもおぞましいので、やめていただきたい。

高階基章女

山田邦和(同志社女子大学)
No.9484

 美川先生、みなさま、こんばんは。本日の「平清盛」、メロドラマでしたね。見ていてちょっと恥ずかしかった。

 清盛の最初の妻で重盛と基盛の母となる高階基章女(ドラマでは明子という名になっている)が初登場! この女性については、角田文衞先生と高橋昌明先生の考証がありますが、やっぱり決め手に欠けており、実体がもうひとつよくわからない。
 でも、せっかくドロドロぐちゃぐちゃの人間関係が大好きな脚本家と演出家だし、高橋先生が時代考証をされているということもあるのに、どうして高階基章女については高橋説を採用しなかったのかな? 高橋説は、重盛母である高階基章女は「基章(摂関家の家人)の妻と摂関家の大殿・藤原忠実の不倫の結果、生まれた娘であり、清盛の父の平忠盛はそうした事情をすべて承知して、大殿の不始末の尻ぬぐいをするためにその娘を清盛の嫁に迎えた」というショッキングなものなのですから。
 そういえば今日のドラマでは忠実と清盛が院御所ですれ違うシーンが出てきましたね。ちょっと前後関係を操作して、忠実の清盛を見る目に「おお、こ奴が俺の不始末の尻ぬぐい役か!」という感情を含ませればおもしろかったのに・・・ と無責任なことをいいます(高階基章妻と忠実の不義の娘がいたことは事実だが、それは重盛母とは別人だという可能性の方が高いという気がするのですが・・・)。

 しかし、今日のドラマの不満を全て払拭してくれるのは、高階明子役の加藤あいさんの清楚な美しさ!! いやあ、こんな美人に出会ったならば、身分がどうのこうのと四の五の言う前に一目惚れしてしまうキヨモリ君の気持ちがよくわかります! 史実からすると高階基章女はふたりの男子を産んですぐに死んでしまい、時子に清盛の嫡妻の座を譲るということになるのでしょうね。しかし、個人的な感情からすると、もうこうなればどんなに史実をねじ曲げねじ曲げてもかまわないから、ちょっとでも長く加藤あいさんが登場し続けることを願っています(^^;)。

 追伸:そうそう、もうひとつ。あの汚かった漁師の兄ちゃん・鱸丸、上川隆也というイイ俳優さんを使っていると思っていたら、まさかの大逆転で平盛国に大変身!! あぁ、スズキ丸というケッタイな名前も、スズキが出世魚なのだからだというダジャレだったのですね。このシーンで、ブッ飛んだ人、いませんか?
編集:2012/02/19(Sun) 22:53

便乗して告知します-次回の『吾妻鏡』-

No.9485

 ◆美川先生の大河ドラマ評は「視聴率」が高いと大変評判ですので(関学にも視聴者多数)、便乗させていただいて次回の『吾妻鏡』のご案内です。

 日時:2012年2月23日(木)午後3時~(予定)
 場所:京都女子大学L校舎 3階 共同研究室
 範囲:正治三年(建仁元年、1201)六月二十八日・二十九日、七月六日、八月十一日・二十三日、九月七日・九日・十一日・十五日・十八日・二十日・二十二日、十月二日・六日、十一月十三日、十二月二日・三日・二十八日・二十九日の各条
    建仁二年(1202)正月十二日・十四日・二十八日・二十九日、二月二十日・二十九日、三月八日・十四日・十五日、四月二十七日、六月一日・二十五日・二十六日、八月二日・十五日・二十三日・二十四日・二十七日、九月十五日・二十一日、十月八日・二十九日、閏十月十三日・十五日、十一月二十一日、十二月十九日の各条

 木曜日の『吾妻鏡』講読会は、参加者のみなさんの自主的な積極性によって支えられております。
 昨今は、“ポップでライトな”歴史が流行っているようですが、そんなポップでライトで楽しげなイメージも、もとはといえば何らかの史料に依拠して形作られたはずです。そのもとの部分の史料に当たって事実関係をきちんと踏まえて整理するという作業に慣れておくことも、いろいろな角度から楽しむのに役立つかもしれません。
 ただ、そうすると今度は“ポップでライトな”歴史を楽しめなくなってしまうのかもしれませんが…

 基礎的な史料読解のニーズにも対応しておりますので、2012年、何か新しいことを始めてみようという方は、まずは見学からでも、どうぞお気軽にご参加ください。


 ◆昨日2月18日(土)は、関西学院大学図書館で、日本古文書学会の見学会が開催されました。30名をこえる多くの参加者の皆さまをお迎えできましたことを、関学関係者の一人として大変光栄に存じます。
 ご来場いただきました皆さま、見学会をお世話してくださった元木泰雄先生、漆原徹先生、関学の中村直人先生、そのほかご協力いただきました皆さんに、この場をかりて御礼申し上げます。

 今回は、上島有先生が紹介(「関西学院大学図書館蔵東寺文書について」『東寺・東寺文書の研究』思文閣出版、1998年。初出は1981年)されました東寺文書18点と、灘の酒造業関連と紀州牢番頭釘貫家の近世文書、明治維新元勲書簡など、関西学院大学図書館所蔵の文書を見学致しました。
 私もこれらの文書をじかに閲覧することははじめてでしたので、大変貴重な機会をいただくことができました。

高橋説を脚本家は知らなかった説

美川圭
No.9486

山田先生、こんばんわ。お久しぶりですね。

 私の推測では、脚本家は高橋説など知らなかったのだと思います。それどころか、忠実と基章妻との関係も知らなかった。だからああなったのだと。やはり、事実のほうがおもしろい。山田先生のおっしゃるように、高橋説を採用した方が、脚本家のどろどろ路線には合っていたはずなのですが。

 まあ、勉強不足というのは、そういうことです。現在学界で言われている説をすべてあつめて、勉強したうえで「おはなし」つくったほうがいいと思うんですがね。

 ドラマができてから、時代考証者に見せているという話を聞いたことがありますが、それじゃいくらなんでもだめですよ。脚本段階でみせなければ。

ほんとうは平盛康の父が「盛国」なのでした。

No.9487

 私も何か言わないといけませんね。でも今夜のお話は平安時代ファンの女性をターゲットにした演出の様なので、取り上げるとしたら、やはり高階基章の娘が実は藤原忠実の子であるという髙橋先生の御説でしょうか。
 1997年に出た『女性史学』第7号掲載の「重盛の母」で読んだとき、重盛と頼長の顔が似ている(もちろん絵ですが)という御指摘に「なるほど!」と思ったことを思い出します。

 あえて私が今回の話に口出しするとなると、劇中で清盛の乳母夫の役回りを負わされている平盛康と、その後継者という設定の平盛国についてということになりますか。
 面白いことに『尊卑分脉』・「桓武平氏諸流系図」によると、史実において盛康の父の名は「盛国」だったようです(もちろん清盛の郎等の盛国とは別人ですが)。盛康の官歴は、同時代史料から、刑部丞→兵衛尉→検非違使・右衛門尉、保延三年正月に叙爵されたことを知ることが出来ます。平家の家人とはいえ、れっきとした「京武者」ですね。彼の子としては、盛範・盛長・盛仲の存在が確認されます。

 一方、清盛の郎等の盛国の方ですが、こちらは『延慶本平家物語』に、平権守盛遠の子とあります。『吾妻鏡』に平季衡の七男とあるのは世代的に整合しませんが、文治2年(1186)に鎌倉御家人である岡崎義実のもとで断食によって74歳で死去したことは事実と考えられ、それに従えば生年は永久元年(1113)ということになります。

 盛康・盛国の出自・官歴などの詳細については、拙稿「院政期における伊勢平氏庶流-「平家」論の前提作業-」(京都女子大学宗教・文化研究所『研究紀要』第16号、2003年)および「院政期における伊勢平氏庶流(補遺)」(同 第17号、2004年)を御参照下されば幸いです。

 校正の攻勢に立ち向かう日

No.9482

 本日はちょっと大変な仕事を担当しなければならなくなる可能性があったために、元木先生が御案内下さった古文書学会の見学会には参加できませんでした。
 先ほど、とても充実した見学会であったと、関学の学部生の方からメールを頂きました。
 行けずに残念。
 結局、その仕事はしなくて済んだのですが、世の中、そう甘くはなく、代わりに様々な校正の仕事が、速達・Eメールなど、ありとあらゆる手段で押し寄せて参りました。
 20世紀の私は、便利になったら仕事が減るものだと思っていたのですが、便利になるということは仕事が増えるということたったのですね。
 「昔はよかった!」
  一番困ったのは、英文要旨の校正です。英語が苦手なので、わかりやすい日本語で要旨を書いて、これを翻訳して頂いたものが届けられたのですが、英語の苦手な私がみても、どうもおかしい。こういうときに頼りになるのが「友」であります。
 よき師、よき友、よき教え子との出会いは人生の僥倖です。

 さて、明日は日曜日。美川先生の辛口批評が楽しみです。 

【追記】 19日付の『京都民報』7面に「六波羅と法住寺殿」(清盛・平家とその時代 第2章 清盛と京都)と題した拙文が掲載されています。
 短文ながら最新の成果を盛り込みました。
 御笑覧頂ければ幸いです。

2012年度 (財)古代学協会「古代学講座」の案内

No.9481

2012年度 古代学講座

1)〈京都学講座〉平安京研究の方法  山田 邦和(同志社女子大学教授)
   第3土曜日 10:30~12:00 全5回 (4/21,5/19,6/16,7/21,9/15)

2)藤原定家日記を読む 加納 重文(京都女子大学名誉教授)
  第2土曜日 15:00~16:30 全5回 (4/14,5/12,6/9,7/14,9/8)

3)新・弥生時代像を読み解く―最近の考古学の発達を基礎に― 
  森岡秀人(橿原考古学研究所研究員)
  第4水曜日 10:30~12:00 全5回 (4/25,5/23,6/27,7/25,9/26)

4)源氏物語講読―大島本で名場面を読む― 笹川 博司(大阪大谷大学教授)
   第4土曜日 10:30~12:00 全5回 (4/28,5/26,6/23,7/28, 9/22)

5)古代エジプト文明の神秘―ツタンカーメン王の秘宝と美の世界―
  宮本 純二(京都橘大学非常勤講師)
  第2水曜日 13:00~14:30 全5回 (4/11,5/9,6/13,7/11,9/12)

6)『小右記』講読―貴族の日常に触れてみよう― 野口孝子(同志社女子大学嘱託講師)
  第2土曜日 13:00~14:30 全5回 (4/14,5/12,6/9,7/14, 9/8)

7)『続日本後紀』講読  米田 雄介(前正倉院事務所長)
  第3水曜日 13:00~14:30 全5回 (4/18,5/16,6/20,7/18,9/19)

8)ヒエログリフ基礎文法 深川 慎吾
  第4土曜日13:00~14:30 全5回 (4/28,5/26,6/23,7/28, 9/22)

●受講料・申し込み方法等は↓を御覧下さい。
   http://kodaigaku.org/study/koza-koenkai/kodaigaku-koza/gaiyou.pdf

 山本さんと二人の山本先生へ

No.9480

 今日になってから、一昨日までの旅行の疲れが出ております。まさしく老人!

 さて、昨日は久しぶりの例会でしたが、2ケタの人数が集まり、なかなかに充実したものになりました。報告者の山本みなみさんは、『紫苑』の初校への対応の仕事もあり、たいへんであったと思います。お疲れ様!

 山本さんの報告ですが、これはおそらく「鎌倉幕府論」から、さらには「中世国家論」解明の方向が示される研究として評価される可能性を秘めた内容で、今後の進展が期待されます。大学院進学後の山本さんにどのような出会いが待ち受けているか、結果はそれに規定されることでしょう。楽しみにしています。
 
 『紫苑』の初校ゲラを拝見(今号の構成は>>No.9458参照のこと)。巻頭の論文2本は卒論をベースにしたものです。4回生になる人には、よいお手本になることでしょう。京女の後輩たちの士気を高からしめることになることは確か。
 岩田君の研究ノートでは、中世前期における「調停」の意味が論じられています。
 佐伯君の研究余録は、考古学者・山田邦和先生による建春門院(平滋子)の陵墓比定にたいする文献史学からの禁欲的なコメントです。

 十号記念ということで歴代編集長から寄せられた寄稿文は、ゼミの歴史にとって貴重。鈴木(永富)さんの作ってくれた「思いでアルバム」には、なつかしい面々が。

 刊行を楽しみにしていて下さい。
 いつも催促される側なのですが、この際、執筆された諸姉兄には「校正は早々に済ませて返送すること」を強く要請致します。

 ☆ 筑波大学の山本隆志先生より、新刊の御高著『東国における武士勢力の成立と展開』(思文閣出版)を御恵送頂きました。
 僭越な物言いで恐縮ですが、とくに関西で武士論研究に関心のある方に読んで頂きたい内容だと思います。
 山本先生にあつく御礼を申し上げます。

☆ 静岡文化芸術大学の山本幸司先生より、新刊の御高著『人はなぜ騙すのか 狡知の文化史』(岩波書店)を御恵送頂きました。
 「第一章 日本人の狡知観」では、源平合戦における騙しあいが論じられています。
 山本先生にあつく御礼を申し上げます。

 お二人の山本先生ともに、この三月末で定年で御退職とのこと。、寂しいのですが、今後さらなる御活躍と御指導をお願い申しあげる次第です。