「あなろぐ、あなろぐ」(「殿上闇討」の話)
No.9443
御質問に答えて。
『平家物語』「殿上の闇討の事」の話ですが、そもそも殿上でのことですから、「闇討ち」と言っても血を見るような行為は想定できません。
これは忠盛が目をいからせながら携帯した刀をちらつかせたり、庭に屈強の郎等をひかえさせたりして、「武士ならではの名誉感情」を傷つけられるのを避けると同時に、武器の携帯を禁じている事に対しては銀箔を貼った木刀を使うなど、うまく立ち回ったのを鳥羽院に褒められたという話で、たんに「貴族対新興の武士」の図式で説明するような話ではないと思います。
むしろ、武士独特の主従結合のあり方や忠盛のマッチョな側面が看取される逸話とみるべきでしょう。
「伊勢の瓶子(平氏)は素甕(眇)なりけり」と囃されたのも、五節で雲上人が舞うときには、その形、有様を囃すのが恒例になっており、新参者に対する通過儀礼みたいなもので、貴族の座興と見るべきものでしょう。上級貴族である藤原季仲は蔵人頭(今でいえば官房長官)だったときに五節で舞ったところ、色黒なので「あなくろ、あなくろ、くろき頭かな。いかなる人のうるし(漆)ぬりけむ」と囃されたといいます。
この時代にPCがあったなら、時代遅れの貴族は、姿形をコケにされた上に「アナログ、アナログ」などと囃し立てられたのでしょうか?
『平家物語』「殿上の闇討の事」の話ですが、そもそも殿上でのことですから、「闇討ち」と言っても血を見るような行為は想定できません。
これは忠盛が目をいからせながら携帯した刀をちらつかせたり、庭に屈強の郎等をひかえさせたりして、「武士ならではの名誉感情」を傷つけられるのを避けると同時に、武器の携帯を禁じている事に対しては銀箔を貼った木刀を使うなど、うまく立ち回ったのを鳥羽院に褒められたという話で、たんに「貴族対新興の武士」の図式で説明するような話ではないと思います。
むしろ、武士独特の主従結合のあり方や忠盛のマッチョな側面が看取される逸話とみるべきでしょう。
「伊勢の瓶子(平氏)は素甕(眇)なりけり」と囃されたのも、五節で雲上人が舞うときには、その形、有様を囃すのが恒例になっており、新参者に対する通過儀礼みたいなもので、貴族の座興と見るべきものでしょう。上級貴族である藤原季仲は蔵人頭(今でいえば官房長官)だったときに五節で舞ったところ、色黒なので「あなくろ、あなくろ、くろき頭かな。いかなる人のうるし(漆)ぬりけむ」と囃されたといいます。
この時代にPCがあったなら、時代遅れの貴族は、姿形をコケにされた上に「アナログ、アナログ」などと囃し立てられたのでしょうか?