拙宅の放射線量は0.05マイクロシーベルト

No.8284

 美川先生、貴重な情報をありがとうございました。
 私もそのうち、千葉の漁師さんたちの中で苦労した曾祖父の話などを披露したいと思っております。遠い昔の歴史ばかりでなく、数代前の声が聞こえる時代の近親者の記録も、のこしておく必要を感じています。

 さて、今夏は酷い猛烈な暑さ。好調だったPCもついに電源が入らなくなったりしております。もっとも、使う側に問題があったのかも知れません。鈴木君のアドバイスを仰ぎ、即、復調致しました。

 研究室旅行で、信州に出掛けている皆様、そちらの天候は如何でしょうか?
 昔、むかし、青山学院大学で非常勤講師をしていたとき、ゼミ合宿で南志賀高原や清里に行きましたが、実に涼しくて、学生たちが宴会をやっている間に、地名辞典の原稿執筆が捗ったことを思い出します。
 昔も今も付き合いの悪い教師です。もっとも、この間に、学生さんたちは周囲の方々にだいぶ御迷惑をお掛けしたようで、翌朝、気まずい思いをいたしましたっけ。

 ☆ 近藤好和先生より、御編著『建内記註釈2-応永三十五年正月二日~二十三日条-』(日本史史料研究会研究叢書7)を御恵送頂きました。
 地道で着実な御研究の成果。頭が下がります。
 近藤先生に、あつく御礼を申し上げます。

小説家としての石原慎太郎氏の評価

美川圭
No.8282

 最近の原発に関するマスコミの報道に、いろいろ疑問をもっていますが、ふと、
祖母の原爆に関する「あの日のこと」という小説がたしか、戦後GHQの検閲に
よって全文発禁になり、その後、朝日ジャーナル誌上で、堀場清子さんが、メリー
ランド大学のブランゲ文庫にのこっている(日本では消滅)ことに気がつき、そ
れを紹介したことがあったな、それは何年だったかな、というので、インターネ
ットで調べてみました。それは1982年であることはすぐわかりました。その朝日
ジャーナルがうちにもあったはずなのですが、ちょっとすぐにはみつかりません
でした。それはそれでいいのですが、祖母の名前などで検索していたので、思い
もかけず、50年以上も前(奇しくも私が生まれた年)にデビューしたての石原
慎太郎を辛辣に批判する文章がひっかかってきたのです。それは祖母の文章が、
斎藤貴男『東京を弄んだ男「空疎な小皇帝」石原慎太郎』(講談社文庫)に引用
されている部分です。もともとは『世界』に連載され、2003年に岩波書店か
ら単行本として発刊、今回文庫になったようです。ちょっと、嬉しかったので、
その部分を引用します。
 
 デビュー当時の辛辣な石原批判を、そこでもうひとつだけ紹介しよう。美川き
よ氏の「操り人形にならないで」。今日では画家・鳥海青児氏の「押しかけ女房」
として記憶されていることが多いが、『デリケート時代』『恐しき幸福』などの
代表作を持ち、1938(昭和13)年の三田文学賞を受賞したこともある実力
派作家だった。57歳だった彼女は週刊誌の「私の年賀状」という企画に応じ、
見ず知らずの石原氏に宛てるというスタイルで、
 〈「太陽の季節」の中で例の障子を突き破る場面がもし無かつたらば、あの作
品はああまでもてはやされるというか、嬉しがられなかつたのではありますまい
か。自分の女を兄貴に金で売買することなども、二十年前三十年前の日本の男性
達が若い頃はそれと似たことを云つてみたり、事実やつた連中もおりました。あ
なたの年頃は、どぎついことを一度云つてみたり試してみることで、自分の力を
試そうとする季節があるものですから。〉
 〈あなたの年頃の男性に注文をつけるのは無理ですが、女の心理をこんなもの
だろう位に書かれるのは、不愉快よりもまだ坊やだなあって感じがします。女性
の行動と裏を書かれたつもりでしょうが、女の心の裏の裏までをのぞく眼力はま
だ無くて、甘いセンチな感情のひ弱さを感じました。これはうちへ来る若い女性
達にも当つてみたのですが、女を甘く見ていると云う意見の方が多いので、実は
近代女性がしつかりして来たことに、安堵の胸を撫でおろしたのですが-。〉
 と石原氏の坊やぶりをからかい、また痛烈にたしなめた。結びは次のような言
葉で締めくくられていた。
 〈今の青年の悩みは、「太陽の季節」や「処刑の部屋」ではまだまだ底が浅い
のではありますまいか。それと何卒真剣に今年は取りくんで下さい。人気のあや
つり人形にならぬように自愛と自戒を切に祈ります。〉(「操り人形にならない
で」『日本週報』57年1月5日号)
 美川氏の忠告は石原氏に届いたろうか。

医学博士渡辺淳一『天上紅蓮』

美川圭
No.8277

 昨日の朝日新聞夕刊を読んでいたら、渡辺淳一氏の小説『天上紅蓮』がとりあげられていました。あの白河法皇と待賢門院のあいだの性愛をあつかった小説です。自分の研究分野に関係が深いといっても、いちいち小説家の歴史小説に関心をもつことはないのですが、今回はちょっと気になります。渡辺氏が「医学博士」だからです。歴史的知識はともかく、医学的知識は私よりはるかに上であるはず。しかも、新聞の記事によると、角田先生の本をとりあげながら「法皇も自分の子を生ませやすい時期を調べさせたはずです」と述べているのです。受胎時期を推定できる荻野久作先生の世界的な学説を角田氏は知っていて(本質を理解されていなかったことは『古代文化』の論文で論証したつもりですが)、あの本を書いたのですが、白河法皇はこの学説を知るよしもない。いったい、それではどうやって受胎時期を推定できたのか。そのことが、この小説に書かれているのか。時間を見つけて読んでみることにします。

オギノ式避妊法を実践していた璋子

美川圭
No.8278

 気になったので、急遽買ってきて、いそいで読んでみました。白河法皇も璋子も、荻野説をご存知だったようです。璋子さんは鳥羽天皇とのあいだに子供ができないように、バースコントロールをしていたということです。何百年も前にオギノ式避妊法実践していた。はっきりいって、トンデモ本です。

 医学博士っていったって、もう医学の学会にもでていないだろうし、考えれば当然かもしれません。医学のことなんてもう何にも知らないということが、166頁で角田先生の誤った荻野説理解をそのまま踏襲しており、よくわかります。少なくとも、医者だったんだから、しっかりしてほしいですね。

 まあ、そんなもんか、と予想はしていましたが、現代作家のレベルにもがっかりです。荻野説がよく理解できていないのなら、一応、歴史学の最新研究も見ておかないと、こういうトンデモ本を出版してしまうことになります。角田先生って、渡辺さんよりどれくらい年上。父親世代でしょ。その人の本に今頃触発されて、本書くってどういうことなんでしょうか。若い人の研究に触発されたというんなら、りっぱですが。

 1600円返してほしいです。

小説家と歴史学者との懸隔?

No.8280

 美川先生の御論文とは、『古代文化』第56編第10号の巻頭に掲載された「崇徳院生誕問題の歴史的背景」です。

 私はてっきり、渡辺氏は美川先生と音信を取り交わした上で、この小説を書かれたのだと思っておりました。
 そんな内容だったとは・・・、ちょっと驚いております。

 ちなみに、昔、『新平家物語』を執筆した吉川英治氏が、中世史研究の大家だった豊田武先生(私もお世話になりました)とともに取材旅行に行ったときの写真というのを拝見したことがあります。

JINー仁ーと比べると?

美川圭
No.8281

 子供のときから、医者にだけはなるまいと思っていたのですが、この10数年医学というのがとてもおもしろいことに気がつきました。まわりが病気になったり、自分が病気になったりすることが多くなり、そのたびごとににわか勉強をすると、興味がつきませんね。人間の身体というか、生命というのは。
 待賢門院の生きた時代、子供はいつできると考えていたのでしょうか。男性の「射精」は目に見えますから知っていたでしょうが、女性の「排卵」は見えませんね。また「受精」もわからないはずですね。それこそ、謎に満ちていたのではないかと思います。そこに宗教が介在する余地が大きかったのでしょう。日本でいえば、それこそ「神仏のご加護」ということになるのでしょう。とても、オギノ式避妊法に近いことを考えたとは思えないのです。そういうことを、渡辺氏は考えたのでしょうか。
 今年の前半、大河ドラマの時間のあと、民放で「JINー仁ー」というドラマをやっていました。ずいぶん評判が高かったので、ご覧になった方も多いのではないでしょうか。幕末にタイムスリップした現代の脳外科医が、引きおこすさまざまな事象を描いた作品でした。単なる興味本位のドラマではなく「医の倫理」の問題などについても踏み込んだみごたえのあるものでした。大河ドラマ「江」などお話にならないほどの「大人のドラマ」でした。これの原作は村上もとか、という人のマンガなんです。現代というのは、いろいろと変化が激しいのですが、かつては子供のものだったマンガが、もっとも大人のドラマを生みだし、NHKの大河ドラマは子供だましにもならない。そして、渡辺氏の小説は、出来の悪いポルノ小説なのですが、『文藝春秋」という立派な雑誌に連載されていたのです。まったく何の問題意識もない小説で、白河法皇はただのスケベ老人に描かれています。残念なことです。

進路指導-学問が面白くなってきた人へ

No.8276

 来月になると国立大学大学院の入学試験が始まります。
 そして、この頃になると、「卒論を書いていて、もっと研究を続けたくなった。でも、周囲を見回すと将来に不安を感じる。どうしたらよいでしょうか?」といった相談をいただくことがあります。
 そこで昨年と同じお節介。

 「短い人生(最近とくに実感!)、大いにやりたいことをやりなさい」というのが、私の最終的な意見なのですが、こんな回答では、むしろ不安倍増だと思います。そんな方に、ぜひお読みいただきたいのが、次に紹介するサイトです。これらを踏まえて判断すれば間違いはないでしょう。

 ① 北海道大学の橋本努先生の「大学院進学の進め」
 →http://www.econ.hokudai.ac.jp/~hasimoto/My%20Essay%20on%20Guidance%20to%20the%20Graduate%20Course%20Education.htm

 ② 南山大学の浦上昌則先生の「大学院のことなど(院希望者,院生へのお説教)」
 →http://www.nanzan-u.ac.jp/~urakami/in.html

 ③ 「学芸員就職課」というサイトの「大学院進学のススメ」
 →http://yondaro.fc2web.com/

残暑お見舞い申し上げます

No.8275

 昔はお世話になった方々に「暑中見舞い」をお送りしていたこともありましたが、いよいよ忙しく、歳を重ねてパワーも不足してしまい、非礼を重ねております。
 せめて、この場を借りて、残暑お見舞いを申し上げる次第です。

 しかし、「暑中見舞い」という習慣そのものが、世間から消え失せていることも確かなようで、これは残念なことだと思います。

 われわれの世代は大学生の時代、「破壊なきところに建設なし」というスローガンをもてはやしてきたのですが、私は昨今、それが大いなる誤りであったことに、ようやく気がつきました。

 もちろん破壊すべきものもあったのですが、長い時間の積み重ねの中で経験的に作り上げられてきた大切なものも十把一絡げにして毀すことに加担してしまったのは、歴史を学んでいた人間としてまったく申し訳ないような気持ちになっているのです。

 然る結果としてでしょう。最近は若い人たちとの文化的な断絶を切に感じています。
 まぁ、昔バカにしていたテレビの時代劇が、一週間の楽しみになってしまうくらい耄碌したことの裏返しで、こんなことを言っているのかも知れません。

 しかし、老後を今の(50年前とは別の民族で構成されているような)日本社会で安心して生きていけるのかどうか、極めて不安を感じています。

 今日(13日)から大学も夏季休業期間に入りました。この間に20日締切の原稿を仕上げなければなりません。たった5枚のコラムですが、短いがゆえに手こずりそうです。

御冥福をお祈り申し上げます。

野口 実
No.8272

 岩田慎平君の御祖母様が昨日(8月9日)の朝に逝去されました。享年97歳。
 衷心より、お悔やみ申し上げます。

Re:御冥福をお祈り申し上げます。

岩田慎平
No.8273

 野口先生、ご丁寧なお言葉を賜り恐縮に存じます。

 家族、とくに主に祖母の介護をしておりました母は大変でしたが、祖母も最後まで生きる意欲を無くしておりませんでしたから、残念に思います。

 昨今の世相を振り返りますと、100年近く生きた人にとって、いまの世の中はどうなのだろう…ということにもたびたび思い巡らすことがございました。

 今年の暑さもまだまだ続くようです。皆さまどうぞくれぐれもご自愛ください。

毎日新聞やっと児玉さんとりあげる

美川圭
No.8270

 今朝の毎日新聞が、野口先生が>>No.8258でとりあげた国会での児玉東大教授の発言をあつかう記事を、やっと掲載しました。以下をご覧下さい。遅かったとはいえ、ここのところ、毎日は原発について他紙とは異なった論調をとっており、その反映であると思われます。まずはよかったです。それにしても最近、ネット上で話題になった情報を、相当に遅れてマスコミがとりあげる場合が多すぎます。独自の判断能力がにぶっているのでしょうか。

http://mainichi.jp/select/jiken/news/20110808ddm012040044000c.html

国土が汚染されて人がいなくなる

No.8271

 昨日、大学からの帰宅途中(17:40頃)五条坂の歩道橋にかかげてある電光掲示板の気温表示は36度になっていました。おりから開催中の陶器市。猛暑を通り越していたことと思います。

 放射線の問題。なによりも子どもたちへの影響が心配です。いよいよ少子化が進行するということも。

 「国破れて山河あり」と比べても。

 大理石建築の多いローマや日本の温泉地でも放射線量が高いところがあるそうですが、自然と人工では大違いのようです。↓
   http://www.youtube.com/watch?v=IV4N63urYjQ

 ☆ NHK出版の石浜哲士さんから、石浜さんが編集を担当された、飯田哲也・佐藤栄佐久・河野太郎『「原子力ムラ」を超えて ポスト福島のエネルギー政策』(NHKブックス)を御恵送頂きました。
 時宜を得た出版。
 ちなみに、著者のお一人である飯田哲也氏は、私が京都女子大学に赴任した当時、現代社会学部におられました。
 石浜さんに、あつく御礼を申し上げます。

摂関期以前の史料が読みたい人へ

No.8268

 レポートの採点、ようやく終わりました。つぎは、採点票に記入して教務課に提出という段階に進みます。

 この季節になると、昔、古代学協会に勤めていた頃、「古代学講座」のあったことを思い出します。ちょうどお盆休みの時期に、東京から山中裕先生を講師にお招きして、今出川通りに面した思文閣会館で午前中、一週間ほどの日程で開かれたものです。
 『御堂関白記』の講読会で、東京はもとより、鹿児島などの遠隔地からも、史学・国文を専攻する研究者・院生、それに歴史愛好家の方たちが集まりました。会期近くに下賀茂神社で古本市が開かれたり、最終日の夜が大文字の送り火で、それを思文閣会館の屋上から見たりするなど、親睦という点でもたいへん意義深いイベントであったと思います。
 今は亡き、泉谷康夫先生のお顔などが思い出されます。
 私は、例によって、主催者側という立場もわきまえず、勝手な質問をしたりして御迷惑をお掛けしておりました。

 その「古代学講座」が、形を変えて復活したようです。『続日本後紀』や『小右記』の講読も行われるようなので、関西圏の院生諸姉兄など、ぜひ参加されたらよいと思います。ゼミ形式で、募集定員も12人とか、とても少ないようですから、早めに申し込まないとアウトのようです。詳しくは↓を御覧下さい。
 http://kodaigaku.org/study/koza-koenkai/kodaigaku-koza/2011/koza-list.html

博士論文の出版

No.8267

 相変わらず、レポートの成績評価を続けています。結構時間がかかります。
 この頃になると、毎年かならずのように出版社の方などから、「そろそろ余裕が出来た頃ではないでしょうか?」というようなメッセージが届くのですが・・・。
 当節は、そうも行かないようです。
 
 ☆ 四天王寺大学の源健一郎先生より、御高論「延慶本『平家物語』の熊野関係記事考-根来の修験を視野に入れつつ-」(関西軍記物研究会編『軍記物語の窓』3)・「動乱の時代と熊野詣-軍記物語の構想との連関-」(説話と説話文学の会編『説話論集』17)・「聖地復興と〈匡房〉の言説-熊野における花山院伝承の背景として-」(『日本文学』57-7)・「義仲にまつわる女性-史実と物語のあわい-」(鈴木彰ほか編『木曽義仲のすべて』新人物往来社)・「『平家物語』の〈涙〉-法悦、執着と鎮魂-」(今関敏子編『涙の文化学』青簡社)・「[コラム]義経の〈涙〉-『平家物語』から『義経記』へ-」(同)・「吉野山-落魄者の聖地-」ほかコラム4編(戸川点ほか編『検証・日本史の舞台』東京堂出版)・「一念弥陀仏」偈の受容層-『平家物語』が語る〈法然による重衡救済物語〉の位相を考えるために-」(佐伯慎一編『中世の軍記物語と歴史叙述』竹林舎)・「『平家物語』の諸本展開と寺門派修験-平家享受の場との交渉を視野に入れつつ-」(川崎剛志編『修験道の室町文化』岩田書院)を御恵送頂きました。
 源先生に、あつく御礼を申し上げます。

 ☆ 駒場東邦中学・高校の田中大喜先生より、新刊の御高著『中世武士団構造の研究』(校倉書房)を御恵送頂きました。
 田中先生に、御出版のお祝いとともに、御恵送につき、あつく御礼を申し上げます。

 田中先生の御高著は博士論文に新しい論文を加えて再構成し、学習院大学の博士論文刊行助成金の支給を得て出版されたものとのこと。
 「あとがき」を拝読していて、私自身の学位論文出版の時のことを思い起こしました。
 あれから、来年でちょうど30年。千葉県立姉崎高校に勤めていた時のことでした。 何かの理由で体育祭が中止になって一日が空いたのを幸いに、一人社会科準備室に籠もって、短冊状に切った紙に索引の項目を書いて、時間を忘れて作業を続けたことが記憶に新しい。若かった。

 博士の学位を取ったからには、それを一冊の形にして出版するのは当然の責務だと思います。
 ひいては自分の人生の証にもなるものです。 

五条坂歩道橋の気温19時前でも32度。

No.8266

 京都女子大学もようやく期末試験期間が終了。大学近くの道路には、寮生を迎えに来た御家族と思われる方の車がたくさん駐車していました。

 目下、「基礎演習Ⅰ」の分も含めてレポートの評価中です。
 学生のレポートから学ぶところもまた多い。そして、これこそ最高の授業評価の材料といえます。
  
 この秋、ある自治体の主催するイベントに協力する目的で、日野法界寺周辺の史跡見学会を実施することを予定しています。『平家物語』の平重衡や源三位頼政、義経の兄の全成などに興味のある方はぜひ参加して下さい。詳細は、追ってゼミメンバーと相談したいと思います。

☆ 尊経閣文庫の菊池紳一先生より、御高論「鎌倉幕府の政所と武蔵国務」(埼玉県地方史研究会『埼玉地方史』64)を御恵送頂きました。
 幕府政所に関心を持っている『吾妻鏡』講読会参加の諸姉兄には垂涎の論文かと思います。
 菊池先生に、あつく御礼を申し上げます。